蜜蜂のように生きる

カフェ&ショップ・ロータスランドははちみつを看板商品としていて、様々な種類のはちみつやはちみつ関連商品を販売しています。販売スタッフは、お客様が求めるはちみつの知識を提供する必要があり、その再確認の場として、先日、いさどんによる養蜂プレゼンが行われました。僕はロータスランドのスタッフではありませんが、木の花を訪問するお客様の見学ツアーの担当をしています。養蜂の知識は知っておく必要があるため、その場に参加しました。いさどんからは様々な話がされたのですが、ここでは最後に語られた言葉を引用したいと思います。

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蜜蜂に接するには蜜蜂のことを理解しなければならないのです。人間が、きっとこうだろうと自分の欲を掛けて接したら絶対に蜜蜂を駄目にします。蜜蜂の都合で、それにそっていかなければ長続きはしません。蜜蜂は人の心が本当に表れる生き物です。最近よく、蜂を飼っている人がうちに来て、なんでここの蜂はこんなに大人しいの?と聞きますが、それは飼う人の性質が表れているのです。雑に扱えば蜂だって荒くなります。

蜜蜂は一つの群であって、一匹一匹は細胞と言えます。細胞は各部署をしっかりと分担して役割を果たしています。その役割は個々の役割ではあるけれども、そこには自我はなく、全体のための役割をしています。それは我々の身体と一緒です。細胞がいろいろな役割をしてくれているため身体全体の健康が保たれています。それは木の花ファミリーが心掛けている姿勢です。蜜蜂の存在自体が木の花の在り方と一緒なのです。これは地球の生態系とも一緒だし天体の星の関係とも同じです。蜜蜂ほど、我々が生きることの見本となり、それを分かりやすく表現しているものはいません。それが、我々が養蜂家であることの一番の意味だと思っています。

天から降ってくる甘い露のことを「甘露(かんろ)」と言います。地上が天国となり人間が受け皿となったら甘露が降りてくると言われていますが、はちみつはまさしく寒露と言えます。人間が単独でどんなに努力をしても花から蜜を取り出してこの豊かなモノを手にすることは出来ません。ですが、自然を理解し蜜蜂と共同作業をするとあの甘露を恵みとして貰えるのです。それは普通の畑で種を蒔いて、育てるのとはまた違う共同作業が必要です。だから本当に蜂の側に立った、畑でも一緒ですが、作物の側に立った配慮の仕方によってはじめて実現することです。

実践の話をすると、病気の話や管理の話になっていきますが、例えば蜜蜂は言葉を持っています。蜂の字ダンスがそれです。分業が細かく行われ、働き蜂は成長に伴い役割が変わっていきます。女王蜂は女王と呼ばれていますが、違う見方をすれば、働き蜂の奴隷とも言えます。働き蜂は寿命が短く新陳代謝で変わっていきますが、この蜂たちが天候を読んで、日照りが来るぞとか蜜源がないぞと判断した時には女王蜂に産卵を止めさせます。今年はいいぞとなったら、早めに産卵を促します。これは全部、女王蜂の意志ではなくて、一番寿命の短い働き蜂の意志によって行われています。特別ではないたくさんいるものたち、我々で言えば細胞ですよね。細胞11個が意志を持っていて全体を運営していると考えられます。

我々の身体も細胞一つ一つを目覚めさせるような精神性を貫き通したら、身体全体がセンサーとなります。天候を読んで危険を感じる。身体が何をどうすればいいかを教えてくれるのです。犬は人間をはるかにしのぐ嗅覚を持っていて、タカなど猛禽類の視力は人間をはるかに超えますが、人間は、すべての生き物が持っているすべての能力を有すると言われています。なぜ今の人間がそれを有していないかと言ったら、それだけ何かがボケているからです。人によっては手に目があったり、肌で何かを感じたり、神技をしますよね。人間の中にはすべての能力の最高傑作があります。だけれども、それを人間が発揮できないのは、内にあるもの、天体の会話を受けるアンテナが麻痺して機能していないからです。だから磨けば磨くほど、そういうものが出て来ます。

昔は危険の中で生きていたから、能力を発揮して生きていました。だんだん楽をして便利になって、緊張せずに生きていけるようになったためにそれらはなくなりました。今の便利な世の中で、高度な人間の能力を発揮したら、とても豊かな世界が出来る可能性があります。

時代はそのような時代を迎えています。ですが今、世界を見ると、同じ地球、同じ太陽、同じ水の下、一つの宇宙船に乗って皆で旅しているのに、核爆弾がどうのこうのと言っています。あのようなものが世界のリーダーになっているのですから、人類は未だに未熟なのです。だから本当に自我が取れて見本となるものたちがそろそろ出て来なければなりません。蜜蜂はその見本となっており、我々は蜜蜂のように生きるのです。

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人は、自然を理解し蜜蜂に寄り添うことで甘露であるはちみつをいただくことが出来ます。同じように、人生の様々な場面で、宇宙の法則を理解し、出来事に寄り添うことで天から甘露が降りてくるのだと思います。その受け皿となるためには、自分の都合、自我の心を手放していく必要があります。

心磨き、自分を知り、自分を手放せば手放すほど、奥に眠っている能力が目覚めていきます。そこに天から甘露が降りてくるのです。

蜜蜂は、個体の維持ではなく群れの維持のために動きます。それは個体と群れが一体であり、個体は常に自分を超える大いなるシステムの中に自分を位置付けています。それが個体に安定感を与え、全体で美しいハーモニーを奏でています。

同じように人間も自我を超えたら、自分がこの世界、宇宙と一体であることが見えてきます。生きることは、自分を超えた大いなるシステムの中で役割を果たすことであり、過去から未来へと繋がる時代の流れの中で、自分一人分の物語を紡いでいるのです。この位置に立った時、人間の能力は最大限に発揮され、出会う出来事はすべて天からの恵み、甘露となります。

ここでまたいさどんの言葉を引用したいと思います。

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人間性と目線によって同じ現象がどんなふうにでも受け取れる。苦痛は天の恵みだよ。我々が健全に生きていくための手助けだから。だけれども、どんなに恵まれていてもそれを不満に感じ、恵みどころか不愉快なものにしていく人もいる。だから、見る人の目線、意識の位置、姿勢が変わるとどんなものにもなる。

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物質的にはとても恵まれている現代社会ですが、人々の心の中は不満でいっぱいとなっています。社会の分断が進み、立場の違いで人々は対立し、戦争やテロ、暴動や不祥事などのニュースが日々飛び交っています。これは恵みに不満を感じている状態と言えますが、多くの人々は自我に囚われ、目線が狭くなっているのです。そのため、一つ一つの細胞である一人ひとりの人間が真の役割を果たせなくなっています。

一人ひとりの人間が真に目覚めた時、苦痛すら天からの恵みとなり、全体の中で生かされていきます。今、社会を覆っている大きな苦しみや混乱さえも、人々が目覚めたら生かされ未来へと繋がっていきます。出会う出来事すべてを自分自身の顕れとして受け取り学ぶ姿勢が、この世界を弥勒の世、桃源郷にしていきます。そして、そこに甘露が降りてくるのです。

これは蜜蜂が教えてくれるメッセージ。僕らは常にそれを意識し生きています。

蜜蜂のお世話をするいさどんです。




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