みんなの人生を生きる

昨年の9月、僕は自我について以下のように書いています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

近代以降、人間の自我は好き勝手に振る舞ってきました。
そんな行動を積み重ねることで人間は業を深め、自我は混乱の極みにあります。
今、自我の選択は多くの場合、自らを不幸にしていくのです。

例えば、それは依存症や引きこもりなどの社会不適応として現れています。
そして、世界に目を向けてもそのような事例は多々あります。

例えば、北朝鮮はミサイルの開発や核実験を重ねていますが、
それは国の自我、国家エゴに基づいた行動です。
国家エゴに基づいた行動が国際社会で北朝鮮を孤立させていきます。

そして、経済発展。今、人々のエゴは経済成長を求めていますが、
それが経済格差や環境破壊をもたらし、人々そして自然との分断を広げています。

思い通りに行動することが自分や社会、自然に不幸をもたらしているのです。
人間は今、そのような状態にあるのですが、そこに歯止めが掛かりません。

そんな中、本当の幸せや平和を求めるならば、混乱した自我を超えるしかないのです。
木の花ファミリーに出会い、その道の大切さに触れながら、そこを離れていく。
それも混乱した自我の振る舞いと言えるでしょう。


☆彡 ☆彡 ☆彡

自我は浮かんでは消える波のようなもの。本当の自分は海そのものですべての存在と繋がっています。だけれども多くの人は波がすべてと思って、それに固執し自我の波に飲み込まれ右往左往して暮らしています。

どんな大きな波が来ても、自分が海だということを覚えていれば、飲み込まれることはありません。そして、すべての波(自我)が繋がっていることが理解出来ます。そんな心を育むことが自我を超えることであり、木の花ファミリーの暮らしです。

もうすぐ「まなこい」から3年に書いたように、3年前、僕は「場創りをしたくない」と宣言しました。そんな僕が今、足りないところは多々ありますが、場創りを楽しんでいます。人は変わるもので、そんな僕を見て、「目標だ」と言ってくれる人がいます。僕を見て「目標だ」と感じる人がいる。ならば、そうあり続ける責任(Responsibility)が僕にはあって、そうすると僕の人生は僕だけのものではないと思うのです。

木の花ファミリーの暮らしは「みんなで自我を超える」実験の場です。それは僕たちの趣味ではなく人類の未来へ向けた実験です。ならば、僕の人生は人類の未来のものです。

僕は海。そして浮かんでは消える波として人生を送ります。

波としての自分に焦点を当てれば、それは自分の人生と感じるかもしれませんが、僕は本来、海そのものなのです。だから、波(自我)としての自分は他のすべての波(自我)と同様で、世界の彩りの一つに過ぎず、それはみんなのものなのです。

僕は自分を通してみんなの人生を生きる。

それは僕の人生が僕だけのものではなくみんなのものでもあるということです。

ところで今日はふたご座の新月です。

ふたご座の新月は「選択」がテーマとなると「双子座新月はベストチョイスが出来る時」には書かれています。そして、その時大切になるのが、自分自身のハートで選択するということです。このタイミングで僕は、自分の人生ではなくみんなの人生を生きることを心の底から選択します。

それは自分の満足を求めるのではなく、みんなの満足、この世界の道理に基づき生きるということ。山の裾野は広くとも、頂上は一つ。この道は進めば進む程狭くなっていきますが、それは窮屈になるということではなく、より明快になるということで、高みに行けば視界は開け、心はクリアになっていきます。心がクリアになればなるほど、自分の人生が自分だけのものではなくみんなのものであるということが見えてくるのです。

そして今日、この新月のタイミングで合同会社ロータスランドが生まれます。

特に新月を意識していたわけではないのですが、たまたまこのタイミングで準備が整いました。この会社は、まずはカフェ&ショップ・ロータスランドのショップ部門に担うことから始まりますが、これから木の花ファミリー、そして社会に新しいお金の流れを生み出していきます。これは僕らの選択から生まれる新しい流れで、これからお金を通して、この世界に幸せの循環を生み出していくことでしょう(^-^)

午前4時44分。毎朝、僕が起きる時間に月はふたご座で新月となりました。

僕は月の後押しを受けて目覚め、みんなの人生を生きていきます(^-^)





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