変化に富んだ物語を紡いでいく

たとえばオリンピックで人を感動させるのは、メダルを取ったという事実だけでなく、
その演技の素晴らしさであったり、そこに至る過程、選手やコーチ、仲間の物語であったりします。

もしメダルを取ったという事実だけが語られるならば、
それは勝った負けただけの世界となり、面白みがなく貧しい世界となってしまうでしょう。

ですが今、多くの人は勝った負けた、もしくは成功失敗という事実に囚われ暮らしています。
そしてそのことが世界を狭くし、貧しくしているのですが、その事実にはなかなか思い至りません。
それは、他者(社会)からの評価という報酬が人々に染み渡っていて、
それが判断や行動の基準となってしまっているからです。

今、社会全体が様々な価値基準に囚われています。
勝ち負け、成功失敗、拡大発展など。
それが人々の世界を狭くし、変化に富んだ物語を描く可能性を奪っているのです。

宇宙は過去から現在、そして未来へ向けて変化し続けています。
変化の中で星々は様々な物語を生み出し続けています。
人間一人ひとりはその中の一部を担い独自の物語を生み出しているのです。
その視点が人々を目の前の出来事から解放し、広い視点へと導きます。

例えば、先日、NHKスペシャル「縮小ニッポンの衝撃」が放映されました。
番組では、北海道夕張市や島根県雲南市など
行政サービスが縮小し、住民が苦労している姿を紹介していますが、
2020年には東京にも人口縮小の波が襲い掛かると予想されています。
その内容は衝撃的で視聴者からは絶望の声が相次いだようです。
 ※NHKスペシャルの縮小ニッポンの衝撃の内容に、絶望の声が相次ぐ

ですが、木の花ファミリーではこの番組を明るい気持ちで観ました。
例えば、番組では、建物が取り壊される姿が描かれていますが、
みかちゃんはその姿を見て「自然に還ることであり、バランスを取り戻している」と感じたそうです。

そしていさどんは番組を観て、以下のように感じたといいます。

☆彡 ☆彡 ☆彡

「大変だ!」と感じるのは現状に執着しているからです。
変化に身を委ねたら、怖れることはありません。
人間は最終的にはみんな死ぬのです。

今は変動の時代です。
天変地異が世界各地で起こっており、テロや紛争も絶えません。
人口減少は混迷を極める現代社会の中の一つの事象に過ぎません。
今、人間社会は行き詰まっていますが、それは時代が変化を求めているということです。

そんな現実に向き合い乗り越えるためには、
一人ひとりが自らと向き合い個性を発揮して繋がっていく必要があります。
そんな人間力を育てているのが木の花ファミリーの暮らしであり、
その暮らしは世界に調和をもたらし豊かな場へと変えていくのです。

この暮らしはこれからの未来の雛形です。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今の価値観に囚われていると、番組の内容は絶望的に映ってしまいます。
ですが、そこを離れ、宇宙や地球、人類の物語という視点で見ると、
それはプロセスであり、一時の困難は未来への希望へと繋がっていくのです。

そのような例は他にもあります。

たとえば以下2つのブログによるとアメリカ政府やドイツ政府は、
国民に緊急事態に備えて食料や水を備蓄するように呼び掛けているようです。

 アメリカ政府が、国民一人ひとりに食料、水、武器、金銀、現金の準備を呼びかけ

 天下泰平ブログ:2016年秋から始まる大変革の流れ

この状況について、上記の天下泰平ブログでは以下のように書かれています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

ドイツ政府が、国民に対して「備蓄」を呼びかけているというニュースが話題となっています。


主に“テロ”などによる社会情勢の混乱に備えるための準備のように伝えられていますが、最近はイタリアの地震にしろ、イギリスのEU離脱にしろ、自然災害や経済危機などにおいても、ヨーロッパでは今何が起こってもおかしくはない状況となっています。

「この秋に何かが起こる」

各方面において、2016年の秋というのは1つの大変革の節目のタイミングとなることが言われていますが、その中で有名なのはエササニという惑星からの宇宙人「バシャール」の見解です。

 「未来予測などと言うものはありません。不確定だからです。可能性のある現実が、いくつもあるだけです。けれども今、この瞬間の、あなたたちの個人的、集団的エネルギーから感じる可能性は、おそらく変動することなく、三次元的現実に現れるでしょう。2016年の秋、そうした可能性の種は芽吹き始めます。もしくは数年後に起きた変化を振り返った時、その原点となるのが、2016年なのです。」(バシャール)

     ~ 中略 ~

またバシャールは、この秋から現在の金融(経済)システムの変化が起こることも予測しています。

この秋より、再びリーマンショックの後のような経済の低迷が続き、そのままの流れで2020年までに現在の金融システムが破綻するかもしれないと。そして、2025年頃から新たな金融システムによって経済社会も復興を遂げるようです。

そうすると2020年から2025年までの過渡期の間、世界経済は窮地に立たされ、食糧危機などの様々な問題が起こるかもしれません。

一方で、やはり2020年頃までにエネルギー問題も大きく動きがあり、原発が世界各地でメルトダウンを続けて崩壊していくようで、その中で新たな代替エネルギーが台頭するとも予測しています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

ここでバシャールの語っていることは、破壊と再生であり、新しい世界への予感です。
それは銀河の夜明けを経て光の時代に入った太陽の螺旋運動とも一致しており、
未来への希望の物語となっているのです。

こんなふうに人は一時の困難を未来への希望に繋げることが出来ます。
そのために必要なのが自分を超え続けることであり、
変化に富んだ独自の物語を未来へと紡いでいくことなのです。


太陽。2012年12月21日銀河の冬至を経て、今は銀河を光の方向へと進んでいます。





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「苦集滅」を通して枠を広げ「道」となる。


24日夕方に見えた虹です。(ひとみちゃん撮影)

苦集滅道


上記は昨日出会ったお釈迦さまの言葉です。それは以下のように展開されます。

☆彡 ☆彡 ☆彡 


釈迦は「苦集滅道」という人生の原理を説きました。

「苦」とは、人生の中で連続して体験する試練や悩みごと。
「集」とは、人生が苦と感じる原因は、
物質的な価値観にこだわりそれを欲しがり過ぎるからであるという意味。
「滅」とは、苦の原因を滅した境地。

「道」には色々な解釈がありますが、私は「剣道」や「華道」という場合と同じように「人生の道」と解釈したいと思います。すなわち「苦集滅道」とは、苦・集・滅というプロセスを体験する人生の道のことをいいます。




☆彡 ☆彡 ☆彡

今まで悟りについて語る時、「苦集滅」の部分がクローズアップされていたと思うのです。
そして、その結果、例えば「無」のような一律の境地が語られてきました。
ですが「道」に焦点を当てた時、それはプロセスであり、一人ひとりオリジナルなものとなります。
そこを語り合うことがこれからの時代の悟りであり、それはこの世界に豊かさをもたらすのです。

一人ひとりオリジナルな道。

そんな話として最近の僕の話を一つ紹介します。

24日の夕方、僕は祈りを捧げながら1件のメールを出しました。
そしてその後、恵みいただきますの準備のため玄関の掃除をしていました。
その時、富士山の方角に大きな虹が見えたのです。
その虹はとてもきれいで、僕は「これは吉兆だな」と感じました。
ですが、メールを出した相手の反応を見るとぱっとしないものでした。
人生思惑通りにはいかないものです(-_-;)

そして僕は数日前に自分が書いた言葉を思い出しました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この世界は変化し続けています。
僕が納得しようとしまいと関係なく変化し続けています。
ならば、僕の納得なんてどうでもいいのです。
いやむしろ、納得できないことが自分の枠を広げ真実へと誘うのです。

この世界では狭い自分の枠からは納得出来ないことがたくさん生じます。
その時、納得を求めることが執着や不満、現実逃避に繋がり意欲を奪っていくのです。
だから常に自分の納得したい心を超え続けていくことが大切です。
そしてこの世界をただただ探究し、そしてただただ感じて味わっていくのです。
その先に真実が浮かび上がり、それは時と共に変化し続けます。

僕と世界は一つ。

時と共に変化し続けています。

宇宙と一緒に未知な道を旅しています。


自分の納得を超えてこの世界の実相へ」より

※1文字「き」を削除、削除した理由は「僕の未来、そして宇宙へ続く物語」参照

☆彡 ☆彡 ☆彡

ここ最近、ある人の行動は僕の理解を超えていました。
その行動に納得が出来ない僕はとりあえず1通のメールを出しました。
・・・が、その成果はなかったと言っていいと思います。

すっきりしない感情を抱えた僕は、天の視点に立って自分や状況を眺めてみました。
そして、こんなふうに思いました。

相手の特性を考えた時、今回の結果はある程度想定できることでした。
だからまずそのことに一喜一憂することは違うのです。
そして、僕が相手に伝えたこと、伝えた内容はそれでよいと思うのですが、
僕の中には自分の基準で相手のことを裁く心がありました。
それは余分な心であり、自分の思い通りにしたい心にも繋がっていくものです。
こういう心は手放していく必要があります。

理解を超える相手の行動が僕の中から裁く心を引き出しました。
そして、僕はそれを認識し、それを手放しました。
これからはただ淡々と見える景色を伝えるだけです。
そして、相手のことは天にお任せしておけばよいのです。

これは僕の「苦集滅」のプロセスであり、これを通して僕は枠を広げ変化しています。
その変化が僕の「道」となり未来へと続いていくのです。

縛られない自分になって初めて自分をコントロールできる。



上記は24日の大人ミーティングでのいさどんの言葉です。
その趣旨は以下のようになります。

☆彡 ☆彡 ☆彡

みんな自分に縛られているのです。自分の感情、欲求、カルマ・・・
でも縛られない自分がいて、その位置に立った時、
初めて自分をコントロールできるのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

別の場面でいさどんは、人間について「本来は永遠なるもの」と話しています。

縛られない自分と永遠なるもの

この2つは共通していて、本来の人間が立つ自由な位置です。

その位置に立って、縛られている自分を見る。
そして縛られている自分に修正を加え、解き放っていく。

苦集滅道はこんなふうにも表現できます。

僕は少しの間、自分の他者を裁く心に縛られていました。
そしてその心が僕を不自由にしていました。
そのことに気づき、僕は裁く心から自分を解き放ちました。

それは一つの変化です。

そして僕の変化は世界の変化であり、様々なことに微妙な影響を与えます。

こんなふうに進んでいくと虹はやはり吉兆だったことが分かります。
どんなふうになるかは分かりませんがこれから先が楽しみです(^-^)



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僕の未来、そして宇宙へと続く物語

一昨日の大人ミーティングで僕は「自分の納得を超えてこの世界の実相へ」をシェアしました。
その時、いさどんから最後の6行についてのフィードバックがありました。
それはこんな感じで展開します。

☆彡 ☆彡 ☆彡

だから常に自分の納得したい心を超え続けていくことが大切です。
そしてこの世界をただただ探究し、そしてただただ感じて味わっていくのです。
その先に真実が浮かび上がり、それは時と共に変化し続けます。

この文章は自分の意思であると同時に仕組みです。

僕と世界は一つ。

ここで僕が出てくるけれども、これは自分がどうこうすることが出来ない実態です。

時と共に変化し続けています。

これも自分はそこにいるけれども自分はそこでは何も出来ません。前の表現と一緒です。

宇宙と一緒に未知な道を旅していきます。

最後のところで、未知の道を旅して「いきます」となったところで自我が出てきています。
ここで「います」とするともうこれは完全に自らを手放した状態でただこの世界を見ています。

「き」という言葉はエネルギーが湧き出ていることを表しています。
ここではそれが自我となって現れています。
それを取ってリラックスした状態にして、「います」という状態になった時、6行が美しくなります。
「き」が入るだけでぶち壊しになるのです。
これは本当に微妙なところ。たった1個「き」という文字があるだけで境地が全然違うのです。

とはいえ、こういうことを語れる文章を書くようになったのは随分と・・・
昔、プロジェクターのスイッチにこだわっためんどうくさいなかのんがここまでなったのです。

今、僕は「き」はいらない。つまり自らの意思がいらないと言っていますが、
それはこの文章のレベルになっているからです。
低いレベルの時、口ばかりで実行が伴わない時は、「たい」ではなく「ます」
「やります」と意思を込めることが大切になります。
ですが、それが当たり前になってくると「やります」ではなく「あります」
「いきます」ではなく「います」となるのです。


※プロジェクターのエピソードは「僕といさどんと木の花ファミリー」をお読みください。

☆彡 ☆彡 ☆彡

宇宙と一緒に未知の道を旅する。

これはその前の文章と同様でこの世界の仕組みであり事実です。
そこに自らの意思は必要ではなくただ仕組みに「気付く」ことが大切なのです。
ここに意思が出てくるところに僕の気負いがあり自我が表れているのですが、
それをこんなふうに教えてくれる人がいて語り合えるのはとても幸せなことです。
いさどんのこの話を聴きながら僕の全細胞が喜びで沸き立っているのを感じました。
これは大きな発見であり、この気づきは僕のこれからの変化を加速させることでしょう。
そしてそれは宇宙の変化でもあるのです。

例えば、この9月について、天下泰平ブログ:すべてを許し、受け入れる「魚座の半影月食」には以下のような記述があります。

☆彡 ☆彡 ☆彡

先月の818日の水瓶座半影月食、830日からの水星逆行、91日の乙女座日蝕、99日の木星天秤座入宮、そして本日917日の魚座半影月食と922日の秋分を通して、宇宙の流れも人々の意識、文明の方向性も大きくシフトする大揺れの期間となり、そして101日の天秤座新月から、いよいよ変革の「2016年秋」に入っていくと思います。

☆彡 ☆彡 ☆彡

もっと長いスパンで見ると、2012年12月21日の「銀河の冬至」を挟んだ前後7年間の”銀河の夜明け”が今年の夏至、6月22日に終了し、本格的に光の時代へと踏み出しました。そして今日は、そこから地球が太陽の周りを90度動いた秋分です。これから光へ向っての動きがさらに加速されていくことでしょう。それは今まで見えなかったことが明らかになっていくということです。

僕は一昨日、「いきます」という言葉の中に自分の自我が隠れていることを知りました。
それと同じように、この世界に隠れている自我を明らかにしていくことが大切です。
自我を明らかにし、それを超えていくことが時代への動きと呼応し光へと向かっていくのです。

例えば、9月20日、オバマ大統領が国連総会で行った演説では、世界全体が進歩したことを賞賛する一方で、平和と繁栄を破壊しようとする危険な武力に対して警告を発し、以下のように述べています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

これは、今日の我々の世界を明確に表すパラドックスだ。冷戦終了後の四半世紀、世界は、多くの手段によって、以前よりも暴力が減り、より豊かになった。しかし、我々の社会は、不安と対立に満ちている。制度上では非常に大きく進歩しているにも関わらず、統治はより困難になっている。国家間の緊張状態は、より早く顕在化するようになっている。したがって私は、この瞬間、我々全員が選択を迫られていると確信している。我々は、統合されたより良い世界へと前進するのか、大きく分断し、衝突する世界へと後退するのか、選択することができる


☆彡 ☆彡 ☆彡

この言葉は美しく平和を願っているように聴こえますが、その奥にはオバマ大統領の自我があります。なぜなら、そこで語られた内容は、イランとの核開発交渉やキューバとの国交回復、パリ協定への署名など自らの取り組みを成果として強調し、中国やロシア、トランプ氏など自らと対立する存在を非難するものだからです。

そもそも世界の暴力は減っているのでしょうか?制度上大きく進歩しているのでしょうか?

これはオバマ大統領にとって都合の良い視点から語られているように思えます。
そしてそこにはオバマ大統領の自我が隠れているのです。

近代科学が発展し物質的に繁栄した今の社会は人間が幸せを求めて努力をした結果です。
幸せを求めて努力した結果、大量消費や環境破壊、貧富の格差や飢餓を生み出しています。
それは人類一人ひとりの心に「自分が」という自我が働いていたからです。
「自分が」という気持ちが分断や対立、競争を生み出し、今に至っているのです。

だからいつも「自分が」という自我の働きを明らかにし超えていく必要があります。
その結果「みんなで」という心を育み、世界と一つになっていくのです。

だから常に自分の納得したい心を超え続けていくことが大切です。
そしてこの世界をただただ探究し、そしてただただ感じて味わっていくのです。
その先に真実が浮かび上がり、それは時と共に変化し続けます。

僕と世界は一つ。

時と共に変化し続けています。

宇宙と一緒に未知な道を旅しています。

ちなみにこのブログは2014年の秋分(9月23日)に立ち上がりました。
これで丸2年となります。
ここには僕の心磨きの物語が流れていて、それは未来へと続いています。
そしてそれは宇宙の物語でもあるのです(^-^)

いさどんと富士浅間木の花祭りに登場する金神さまです。


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自分の納得を超えてこの世界の実相へ

10日ほど前、僕はいさどんと以下のような会話をしました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

いさどん:

最近つくづく思うことだけれども、今年ももう9月、確実に着々と毎日が来ている。
これは実は凄いことで新鮮なことの繰り返しなんだよ。
宇宙的には瞬間瞬間全く未知なところに行っている。
この前お正月だったかと思ったらもう9月。すぐにも次の正月が来るよ。
そして人生はあっと言う間に終わっていく。

こんなふうに宇宙の時間から観ると人生はあっという間に終わる。
時代の流れに個人の人間が関与するのはほんの少しだけ。
ほんの少ししか関与しないけれども、
広く宇宙の端っこから端っこまで観るような思考を持たないと、
ほんの瞬間を見るだけでなにもならない状態で人間の人生は終わってしまう。

こういうことを考えるのだけれども、これは俺の思考回路からしたら当然のことなんだ。
だけれども、普通の人からすると「すごいこと考えているね」ということになる。

なかのん:

そうだね。大抵の人は目の前の暮らしをどう豊かにするかということで頭がいっぱいだから。

いさどん:

そして変わらない毎日を繰り返している。それはむなしくないのだろうか?

肉体を持っていることは不自由なことで限定したところに閉じ込められることになる。
そして、その視点に留まると毎日は単調な繰り返しとなる。
だけれども人間は本来もっと永遠なるものなんだよ。
それがたまたま現象の世界に降りてきたためにすごい閉じ込められている。
肉体を持つことで不自由だらけになっている。
不自由というのは、他の自由を求めているか知っているから不自由と感じる。
人間は本来、自由を知っていて永遠なる存在。
それを語りつくすのが自分の役割だと思っている。

ここまでのことを語るとそうそう共鳴する人はいない。
オバマ大統領にしろ習近平国家主席にしろ安倍首相にしろこういう道理は分からない。
いくら地位が高いと言っても目の前の現実しか見ていない。
それは仕方がなくて、そうするとお友達はほとんどいなくなる。
でも絶対に「そうだったよね」というところ、永遠なる視点がある。

この世界はすごい限定された世界。

人々がそのことに気づきその限定を解除した時に今の矛盾はなくなるはず。
もっとも宇宙的にはそれと同時に新たな矛盾に入るのだけれども。

なかのん:

それがどんな矛盾かは分からない。

いさどん:

それは今は語ってはいけない。これはスケールの問題。

特定の枠をもらい古い枠から新しい枠にいくと発展したように感じるが、
実は継続していくとそれも枠となる。
そしてまた枠を取っていくという作業になっていく。

なかのん:

その繰り返しがダイナミックになっていく。

いさどん:

それはダイナミックというけど、
今、人間が考えているようなジェットコースターに乗っているダイナミックとは違う。
それは多次元間のダイナミックと言える。

そういうことを語っている自分が毎日この肉体に付き合っているんだよね。
そこまで分かったらもういいのにね。

なかのん:

まだ役割があるから天が呼んでいない。

いさどん:

役割があるとしたらこの視点を発信し続けること。
もう今までの時代は終焉を迎えるのだから。
だから理解されようと理解されまいと関係なくこの視点は伝えなければならない。

☆彡 ☆彡 ☆彡

思い返すと僕は矛盾のない生き方を求めて木の花ファミリーのメンバーになりました。

環境破壊と経済格差、先進国で大量に廃棄される食料と途上国での飢餓と貧困。
平和のための軍隊から生み出されるテロと難民。
様々な矛盾に満ちたこの人間社会。
今の社会で何の考えずに生活しているとその動きに絡めとられていきます。
僕はそこから抜け出したかった。
そして矛盾のない木の花ファミリーの暮らしを選びました。

それは自分の納得のいく人生を求めた結果で、僕は納得の行く人生を手に入れました。
そして物理的には矛盾のない暮らしを続ける中で僕は意欲を失っていきました。
当時の僕にとってはただその暮らしを維持していればよく、
それ以上の向上は必要ありませんでした。
僕は自らが定めた到達地点に立っていたのです。
そんな中、大人ミーティングで場創りをするつもりはないと宣言をし、
心磨きをしない僕はオフィス障がい者の認定を受けるようになりました。
 ※詳しくは、「まなこい」から11ヶ月 をお読みください。

そんな僕が今ではいさどんと上記のような会話を楽しんでいます。
心の探求に意欲を持って日々を楽しみ暮らしているのですから人は変わるものです。

矛盾だらけのこの世界で、自分が矛盾のない生き方をすればそれでいいのか?

そんなことはありません。

もしそこに完全に矛盾がないのだとしたら、それは切り取られた世界で、
自分の納得を満たすためだけの思い込みの世界です。

この世界の矛盾は僕の矛盾であり僕は世界の矛盾を生き続けるのです。

この世界は変化し続けています。
僕が納得しようとしまいと関係なく変化し続けています。
ならば、僕の納得なんてどうでもいいのです。
いやむしろ、納得できないことが自分の枠を広げ真実へと誘うのです。

この世界では狭い自分の枠からは納得出来ないことがたくさん生じます。
その時、納得を求めることが執着や不満、現実逃避に繋がり意欲を奪っていくのです。
だから常に自分の納得したい心を超え続けていくことが大切です。
そしてこの世界をただただ探究し、そしてただただ感じて味わっていくのです。
その先に真実が浮かび上がり、それは時と共に変化し続けます。

僕と世界は一つ。

時と共に変化し続けています。

宇宙と一緒に未知な道を旅していきます。

朝の富士山です。その姿は毎日変化し続けています。








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予測不能な物語を紡いでいく

国連は、9月16日を「国際オゾン層保護デー」を定めているようです。
静岡新聞2016年9月16日【大自在】にはフロンガスについて以下のように書かれています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

化学分野で20世紀最大の発明とも言われたフロンガスについて、世界の見方が負へ転じたきっかけは1974年の米学者の論文。人類が排出したフロンが、有害紫外線から生態系を守るオゾン層を破壊しつつあるとの指摘だった。82年には、日本の南極観測隊が成層圏に生じたオゾン濃度が極端に低い「オゾンホール」を発見し異変を裏付けた

「まさに寝耳に水。フロンは物を冷やす機器に欠かせない冷媒で、電子部品洗浄やスプレーにも広く使われていた。万能物質がいきなり悪者になった」。浜松市で冷凍空調設備業を営む鳥波益男さん(76)は当時の衝撃を振り返る

オゾン層保護の国際的機運は高まり、87年にはフロン製造を規制する「モントリオール議定書」が採択された。ただ、冷媒として現に大量に使われるフロンの回収・処理の規定はなかった。「生業[なりわい]としている者が後始末の責任を果たさなければ」
全国に先駆けて94年、有志117社で「県フロン回収事業協会」を設立した。関連の法律も組織もない時代。全て手探りの中、横浜国大の研究者の協力で燃焼処理にも道筋をつけた

現在、鳥波さんが代表理事を務める協会の会員社は2倍に増えた。フロン排出抑制へ関心は高まり、法律も体制も以前に比べ格段に整いつつあるものの「まだ不十分」と自戒する

廃棄された機器からのフロン回収率は3割どまり、温室効果が高い代替フロンの規制や適正管理も急を要するという。事業協会の取り組みはさらに重みを増している。きょうは国連が定めた「国際オゾン層保護デー」。

☆彡 ☆彡 ☆彡

万能物質が悪者になる。

そういう事例は他にもあって、例えばアスベストなどはその一例です。

これは天の法則に基づく流れから生まれた出来事であり、
これらの物質は当時の人間の心を教えてくれています。

同じく9月16日、辺野古違法確認の判決が言い渡されました。
司法は翁長雄志知事による名護市辺野古埋め立て承認取り消しを違法としました。
これを受けて、沖縄では反発の声が上がり、翁長知事は最高裁へと上告します。

これも天の法則に基づく流れから生まれた出来事であり、
沖縄県民の反発は政府(本土)の沖縄への心がどんなものであったかを教えてくれています。

自分の視点だけで利益を求めることは様々な弊害を生み出します。
上記2点の事例は僕らにそんなことを教えてくれています。

自分の視点を離れ、「流れ」を見ていくが大切です。
その「流れ」についていさどんは以下のように語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡


「わからない」と言ったり、逆に「これだー!」と言ってテンションが上がり過ぎたりするのではなく、高くもなく低くもなく観ていく。その冷静な目で観れるところで展開されるものが、意欲につながるんだよ。そこで安定していられる。


何を持って良しとするか。物理的な結果を一つひとつ追って、それを見て良しとするのではなく、それすらもすべて流れの中にあるのだから、流れを観て良しとしなければいけない。常に流れを観て、次から次へといろいろなことが起きる、そのいろいろなことを紡いで物語として、人生を生きていく。その物語を自分らしく表現していくというところで、良しとしなければいけないんだよ。

☆彡 ☆彡 ☆彡

目の前の出来事に一喜一憂せず、様々な出来事を繋げて流れとして見ていく。
そして、その流れの良し悪しを判断し行動していくと一つの物語が出来上がります。
それが人生に深みを与えてくれるのです。

ただその物語にしても紡いでいく視点によりいかようにも変化していきます。

高度成長時代、人々は物質文明による栄華を夢見ました。
そして、フロンガスやアスベストの存在はその夢を後押ししたのです。
これも一つの「流れ」です。
ですが、物質文明は様々な弊害をもたらすようになりました。
それは一つのメッセージであり、新しい「流れ」の合図となります。
ですが、人類は未だに物質文明による栄華をという夢物語を捨て切れていません。
その延長に新しい技術による環境問題の解決という夢物語を描いていくのです。
この物語は人類の都合から生み出されたもので、そこには現状に対する執着があります。

それは沖縄での米軍基地の辺野古移設も同様です。
沖縄の人がどれだけ反発をしても、政府は「辺野古移設」を貫きます。
そこには「反発という困難を乗り越えて移設を実現する」という物語が感じられます。
奥にある心を見ていくことが大切です。
沖縄に対する想い。アメリカからの圧力。近隣の情勢。政府の都合。
様々な視点がある中、自分の都合で動いているからこそ現状があるのだと思います。

次から次へと起こることを物語として紡いでいく。

そこに自分の都合や感情をのせると、現実はそのように見えるようになります。
そして、自分都合の物語が生まれ、それが「流れ」だと感じるようになるのです。
ですが、その結果は必ず滞りとなって現れます。
その滞りを謙虚に受け止めることが大切です。

「流れ」を見るためには以下2つの姿勢が大切になるのだと思います。

 1、自らの立場や感情を離れて、ニュートラルな姿勢を保つこと。

 2、変化を受け入れること。一つの立場に固定しないこと。

そして、「流れ」の良し悪しを見ていく視点としては以下2つのことが大切になります。
 
 1、すべての出来事を生かすこと。生かして繋がり紡いでいくこと。
 
 2、対立や停滞をメッセージと捉え、それらを超えていくこと。

このような姿勢と視点で自らと世界を捉え、すべての出来事を繋いでいくこと。

そこから生み出される物語が天の物語であり、それは天と人との共同作業です。
人類は天と共にこの世界を創っているのです。
その事実を人類が思い出し天の物語を生きた時、
この世界の動きはダイナミックですべての出来事を生かしたものとなるでしょう。

そして、それは一人ひとりの物語も同様です。
天の物語を生きた時、
個人の物語も世界と同様ダイナミックですべての出来事を生かしたものとなっていきます。
そしてそれは自らの都合を離れた予測不能でオリジナルな物語です。
それを楽しめる心が育まれた時、世界は幸せな心で包まれていくことでしょう。

そんな世界に向けて木の花ファミリーではみんなで心を育んでいます。

国際オゾン層保護デーであり、辺野古違法確認の判決が言い渡された9月16日。
木の花ファミリーでは月に一度の誕生日会が行われ、みんなで楽しみました。
そこではみんなの個性が生き生きと発揮され、みんなで調和した心を育んでいます。
最後にその様子を写真で紹介しますね。













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木の花ファミリーの暮らしとは・・・・

木の花ファミリーでは9月10日に稲刈り神事が行われ、13日に新米をみんなで食しました。人は自然の恵み、お米という命をいただき自分の命を次へと繋げていきます。それは自然の大いなるサイクルの一部となることであり、そこに意識を向けることで自分の心は大いなる循環へと開かれ自然と一つになっていくのです。

人は自然や他者に生かされているのです。

木の花ファミリーではそのような心を大切に育んでいます。
それではそのメンバーになるとはどういうことでしょうか?

木の花ファミリーメンバーになるということは自我(エゴ)を超える道を歩むことです。今、多くの人は自我の赴くままに暮らしているので、自我を意識することはあまりありません。ですが自我を「超える」と決めることにより、その人の自我は浮き彫りになります。浮き彫りになることで自分と向き合うことになるのです。

行動基準~死の向こうまで伴える価値を積み上げていく」に描かれているように、過去には木の花ファミリーを離れていくメンバーがいましたが、彼らはその時点では自我のままに生きることを選び、自分と向き合うことを止めました。

自我を超えることを選び、浮き彫りになった自我に苦しみ、そしてそこから離れていく。

そこには一人の人間の物語があり、彼らを知ることは人間の業の深さを知ることに繋がります。そして今、社会には様々な問題が起きていますが、そこにも人間の業の深さが現れています。これらの出来事から浮かびあがる人間性、その業の深さ。その奥に時代の流れを感じます。今の時代、人間の自我は以下のような状態にあるのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

我思う、故に、我あり。(コギト・エルゴ・スム)

私が存在するのは、私が思考しているから。

自分の存在基盤を自分の思考に求めたこのデカルトの言葉は、自我による自然からの独立宣言で、
他者の存在なしでも自分は存在出来るという幻想を生み出しました。

自然から独立した自我は、自然をただの物質と捉え、切り刻み利用していきます。それは自我による可能性や欲の追求で、その結果、物質文明は発展しますが、自然環境は限界を迎え、人々は離れ離れとなり、自我は孤独になっていきました。

孤独となった自我は、不足感を持ち、それを埋め合わせよう努力します。不安から必要以上に求めるようにもなります。それは自然から離れた自我の生み出す矛盾です。矛盾した努力は天の法から外れ、人が努力すればするほど社会は混乱していったのです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

近代以降、人間の自我は好き勝手に振る舞ってきました。そんな行動を積み重ねることで人間は業を深め、自我は混乱の極みにあります。今、自我の選択は多くの場合、自らを不幸にしていくのです。

例えば、それは依存症や引きこもりなどの社会不適応として現れています。
そして、世界に目を向けてもそのような事例は多々あります。

例えば、北朝鮮はミサイルの開発や核実験を重ねていますが、それは国の自我、国家エゴに基づいた行動です。国家エゴに基づいた行動が国際社会で北朝鮮を孤立させていきます。

そして、経済発展。今、人々のエゴは経済成長を求めていますが、それが経済格差や環境破壊をもたらし、人々そして自然との分断を広げています。

思い通りに行動することが自分や社会、自然に不幸をもたらしているのです。
人間は今、そのような状態にあるのですが、そこに歯止めが掛かりません。

そんな中、本当の幸せや平和を求めるならば、混乱した自我を超えるしかないのです。木の花ファミリーに出会い、その道の大切さに触れながら、そこを離れていく。それも混乱した自我の振る舞いと言えるでしょう。

それぞれの自我はそれぞれの幻想(都合のよい世界)の中で暮らしています。
70億人の人間が70億の幻想を持ち、世界が営まれています。

自我を超えることとはつまり自分や世界の実態に向き合い、真実を探求することです。実態に向き合いそれを知り、宇宙の法の下に自分や社会を位置付けていきます。そうすることで世界と自分が一つとなり、自分が無限の可能性に開かれていくのです。それは一人一人の自我に応じたオリジナルで個性豊かな道であり、何かを獲得していく人生ではなく、自分に相応しい出来事を頂き変化していく人生となります。

血縁を超えて人々が共に暮らす木の花ファミリーの暮らしは人間の実態を浮き彫りにします。人と人が深く関わることで、それぞれの人間性が浮き彫りとなり、向き合うことになるのです。自我の幻想の中で暮らしてきた人間にとって、その過程は確かに苦しみを伴います。思い通りにはならない経験をし、自らが抱える幻想が壊れていくからです。ですが、その苦しみを超えた時に真の喜びに出会えます。それは一人ひとりの本質が光り輝き、真の調和が実現した暮らしへと繋がります。

これからの時代、群れで暮らすことには大きな可能性があるのです。
そのことについていさどんは以下のように語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

昔は、生きていくために群れの形態をとることは必須だった。そうしなければ存続することができないから、やむを得ずそうしていた。しかし今の社会は、生きることはそれほど難しくなくなった。だからこれからの時代は、個人が群れの中に暮らすのは生きるためではなく、目覚めるためだ。
群れの生活形態が個人を目覚めさせる。全体性を学び、エゴを洗い流し、世界の構造を理解するために、群れの暮らしが必要になる。群れて生きた結果、個人はそれぞれの歩みや個性にふさわしく目覚めていく。そしてそれぞれの事情を生かしながら、全体を創っていく。

これまでの時代は、人々は自由で個性的に生きているかのようで、実際は一律な欲求に翻弄され、惑わされて、極めて個性のない人生を生きてきた。しかしこれからの時代は、群れの中で生きる者は個人としての意識がより確立されるようになる。それは、本来別々の個性を持つ人々が一律な価値観のもとに既製品化されてきたこれまでの世の中の流れとは、逆の方向に進むということだ。


☆彡 ☆彡 ☆彡

目覚めとは実態に気づくことです。
群れの暮らしが自我の幻想を壊し、人間を実態へと導きます。
そして、人間の実態は宇宙と一つであり、宇宙の法の下に存在しているのです。
それは変化変容を基本とし、調和の中で常の新しいところへと向かっています。
そんな宇宙の法が自我を導き一人ひとりの個性を目覚めさせるのです。

群れで暮らす中で全体性を学び世界と一つになっていくこと。

これは混乱の極みにある自我、そして人間社会が取りうる希望への道です。
そしてそれは時代の流れと共にある道です(^-^)

銀河の夜明けが過ぎた今、時代がその後押しをしてくれているのです。


木の花ファミリーのみんな@稲刈り神事





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行動基準~死の向こうまで伴える価値を積み上げていく

ふっと気を抜いた瞬間に今までの疲れがどっと出て、身体が重くなる。

僕は時々にこういう経験をして来ましたが、昨日からもそんな感じになっていました。
そして今朝、ともちゃんと会話をしている時、身体が重くなることで、
思考が弱気になっていることに気づきました。

そしていさどんの言葉を思い出しました。
先月、僕が滞りを経験し立ち直った時、いさどんは以下のように語ったのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自分というものを内からだけ見ていてはいけません。

外から見える自分と内から見える自分というものが、
自由自在に行ったり来たり出来る状態になることが大切です。
ブログを読んでそれが少し出来るようになってきたことを感じました。


☆彡 ☆彡 ☆彡

内から見える自分、それは自分の感情や感覚に基づいて物事を経験し、判断していくことです。
気を抜いたことで、自分がそちらに引きずられ外からの視点を失っていたのです。

弱気な思考は身体をさらに重くしていました。
そのことに気づいた時、疲れは残っているけれども身体が少しずつ軽くなるのを感じました。

身体の重さ → 弱気な思考 → 身体の重さ ・・・・

今まで自分が時々生み出してきた余計なサイクルを見通すことが出来ました。
身体が重くなったとしても心まで重くなる必要はないのです。
だから次に疲れが出た時はこれまでとは違う展開にしていけます。

癖は内から見える自分に留まることによって繰り返されます。
ですがそこから一歩外に出れば、それを見通し変化していくことが出来るのです。
僕は今、そんなふうに生きています。
だから癖の発見は常に変化へ向けての喜びとなるのです(^-^)

そして、外からの視線にもいろいろなものがあります。

僕は最近、昨年の6月にいさどんと交わした会話を思い出していますが、
その会話には重要な視点が示されています。以下、その内容を紹介しますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡

いさどんのいただきます人生「死の向こうまで伴える価値を積み上げていく」より転載。

いさどんがなかのんと一緒に出張したとき、
以前ここを離れた元メンバーのことが話題になった。

彼について
いさどんはこう語った。

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

彼がまだメンバーだったとき、
交通事故を起こしたでしょ。

その裁判の際、
弁護士を相手にどういうふうに付き合っていくのか。

それから、
弁護士の精神状態だけではなく、
被害者の性質を読み解きながら、
どうやって裁判を進めていくのかという
アドバイスをしていたんだよ。

結論としては、
こちらにとって特別有利に話を進めようとは思っていなかったけれど、
向こうのわがままに乗ってはいけないからね。

そういった正義感も持ちながら、
弁護士がついたからといって向こうの思うままにならないという意味では、
弁護士の精神状態も読みながら話を進めていったんだよ。

最終的にどこに結論が行くのかについては
裁判所が決めることだけどね。

そして、
結果的に当初の話の5%をこちらが勝ち取ったのだけど、
そういったお金の話が一番大切なのではなく、
人と交渉するときの交渉術を大事な学びとして彼には教えてあげたんだよ。

でも、
そういった学びを生かすことなく、
彼はここを離れていった。

結局、
根本の大事を忘れず求めるこころがないとダメだね。

彼は母親に対して、
まったく自己主張ができないのだから。

もし、
学びを生かせていたとしたら、
ここを離れていったときの
あの傲慢な態度はないはずだよ。

結局、
彼からしたらあの裁判は、
単なる数字だけの話になっていたのだろう。

でも場合によってはね、
今ちょっとばかり良い思いをするよりも、
たとえば余分に払ったとしても
それが将来の価値に対する種まきになることもあるんだよ。

つまり、
そういった波動を未来にもたらしているのだからね。

大切なことは、
そこが読み解けるかどうかだよ。

正確に言うと、
読み解くのではなく、
本能みたいなものだよ。

そのときに、
あせってすぐに結論を出そうとすると、
冷静さに欠いているから、
情報を正しく精査できなくなる。

さらに
損得勘定から「損をしてはいけない!」という思惑が働きすぎると、
そういった直観は鈍ってしまうね。

だから、
何かプラスアルファか感じ取れる状態でいることが
大切なんだよ!


そういった学びの位置に立てることすら、
なかなかできないからね。

まずその位置に立って、
その価値を思考することが人にはできないんだよ。

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

いさどんの話を聞いていたなかのんは、
「本当にそう思います。

人はなかなかそこに行かないですよね。

ついつい、
結果を求める発想になってしまい、
結果がこうだから良かった・悪かったとなってしまうのです。

そのプロセスをしっかりと観ていって、
そこを味わっていき、
そしてそこから学んでいくことが大切ですよね。

当たり前の日常の中に、
たくさんの学びが詰まっているんですよね」と伝えた。

それを受けて、
いさどんはこう続けた。

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

そこがわかると、
すごくダイナミックだよ!

ほんのちょっとのことが、
すごくダイナミックなんだよ!!

世界はね、
とてつもなく深いんだよ♪

そこまで心が通じる人は、
なかなかいないね。

だから、
僕はこの道を歩み始めてから、
ずっと孤独だった。

僕はね、
彼が母親と一緒に来てここを離れるときに、
「彼は今、今まで積み上げてきたものを全て崩して、
彼にとって一番大事なものを失おうとしている。
今までのことは彼にとって一体何だったのだろう?」
と思ったんだよ。

彼は、
「僕の人生の目的は悟ることです!」と言っていたのに、
最後、離れるとなったら、
もともと納得してここで暮らしていたはずなのに、
自分たちの主張だけを通して、
そのときに約束したことすら守らなかった。

彼のこころはぐらぐらしながら、
母親に対してさえ、
「お母さん、僕の話なのだからやめてくれよ」と
伝えることもできなかった。

なかのんは、
経理担当として
あのとき立ち会っていたけれど、
こちらの側にいて、
その柱のない人の姿を見せてもらう立場にいた。

この違いは大きいんだよ!

僕は最後に彼に言ったんだよ。

「よく観ているんだよ。
必ず、この目的は達成するからね。」

そしてこころの中で、

「あなたはその船を降りたんだよ。
そのことがよくわかっているか」と想い、
無言の意志を伝えたんだよ。

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆


「本当にそうですよね!
こちらの側にいて本当に良かったと思います!」となかのん。

そんななかのんに対し、
いさどんはこう伝えた。


゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

そんなあなたを観ていると、
うらやましいと思うよ♪

うらやましいと言ったら変かもしれないし、
一番誇り高い自覚を持っているのは
自分だと思うけどね。

そこに出会っているなかのんは、
普通の人からしたら
『よくぞ、そこに立てたね!』ということでしょ。

だからね、
そろそろ人々は、
そういった個人的なことを優先して生きることをやめるトキが来ている。

結局、
人間が個人的なことを優先し、
それが70億人集まって、
今のような世界を創っているのだから。

それと、
人間の世界の中で
どんなに優劣を競ったところで
たかだか知れているよ。

そのたかだか知れているところで生きても、
いつか自分が霊的な存在になるときに、
自らの価値を突きつけられることになるんだよ。

これから大切なのは、
つないで、
時代を創っていくことなんだよ。

死の向こうまで理解するものたちが生きているからこそ、
死の向こうまで伴える価値を積み上げていくことができる。

それが人生の勝利者であり、
道を目指すものにとって

一番大切なことだと思うんだよ。

☆彡 ☆彡 ☆彡

死の向こうまで伴える価値を積み上げる。

外からの視点で最も重要なのはその視点です。
それは宇宙の始まりから今に至る時代の流れを感じることであり、
自らの魂の向上であり、社会的評価や利益を超えたものです。

それを一番の大事として生きていきます。

自我が与えられ、それに基づいて生きていく以上、内からの視点は常に存在します。
僕らは内からの視点に基づきこの世界を経験していくのです。
ですが内からの視点は固定したものではありません。
一歩外に出ることにより、内からの視点は自由自在に変化していくのです。

その変化を味わうことは喜びです。
そこからこの世界の無限の可能性へと心が開いていくからです。
僕は今、そのほんの一端を味わっているだけですが、
そこに大きな可能性を感じています。

ところで今、日本の隣国、北朝鮮や中国は軍事行動により世界を騒がしています。

北朝鮮はG20開催中にミサイルを発射し、その後、核実験を強行しました。
そして中国は常設仲裁裁判所の判定を無視し南シナ海の軍事拠点化を進めています。

どちらの行動も外からの視点はなく、内からの視点、自分たちの想いに基づいたものです。
そして、それに対する日本やアメリカの対応も内からの視点、自分達の想いからとなっています。
どの国も自分の視点から外に出ようとすることはありません。
そのためそこには変化が生まれることがないのです。
この状況は多くの人の生きる姿勢の現れなのだと思います。

自らの想いを叶えることを重視し、そこから外に出ようとはしない。

そんな態度で生きていると、癖が繰り返され滞りとなり、人生に本質的な変化は生まれません。
そしてそんな姿勢の人が多いからこそ、その集合体である国々も同じ姿勢となり、
変化は生まれず対立が続くのだと思います。

一人一人が自らの姿勢を変えることは世界の動きへと繋がります。
自らの視点から一歩外に出て、世界に対して開かれること。
そんな姿勢が人々を繋げ、世界を平和へと導きます。
僕は世界の動きも見据えてそんなふうに日常を生きていきます。


人参の間引き。木の花ファミリーの日常の様子です。


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