新しい価値を生み出していく。

23日のお昼の時間、テレビを見ていたら、沖縄県糸満市で行われた「沖縄全戦没者追悼式(慰霊の日)」の式典が生中継されていました。翁長知事安倍首相のスピーチを聴きながら、双方の隔たりの大きさをあらためて感じました。

太平洋戦争で戦地となり20万人の犠牲者を出した沖縄。
その後も基地の負担など戦争を身近に感じて続けている沖縄と本土の認識は大きく異なります。
それは原爆の被害と受けた広島、長崎と他の地域との差についても言えるでしょう。

日本という一つの国となっていますが、その中には様々な違いがあり、
それが人々の対立となり続けている現状があります。

そして24日。イギリスが国民投票によってEUからの離脱を決定しました。

6月21日の夏至を過ぎて、宇宙的には統合の時代が本格的にスタートしたと言われています。
 ※「よあけて であえて」第1話『宇宙時間』参照
ですが、現状の人々は対立を続け、そして、イギリスはEUからの離脱を決定しました。
それは宇宙の流れと反対の動きのようにも見えますが、そうではないのだと思います。

日本やEU、今まで一つに見えていたものは表面的なものであり、
中身はバラバラであり、それが今、噴出しているのだと思います。
それはそれぞれの実態に向き合う機会となり、それぞれが実態を超えることで、
これから真の統合が生まれていくのでしょう。

イギリスのEU離脱を受けて、株価の下落や円高など様々な経済的影響が出ています。
そして、イギリスとEUとの間では離脱交渉を巡り対立が生まれています。

日本のマスコミはそれらの出来事を「自国の利益」という観点から報道します。
そして、多くの人々の視点もそれに染まっています。

国と国が繋がる時、それはお互いの国益に適うからであり、友愛からではありません。
ですから、利益に反すると判断される時、国と国は離れていきます。

繋がったり離れたり。

その繰り返しで、繋がっている時も、離れている時もお互い自国の利益を考えています。
その本質に変化はなく、そこから真の平和に至ることはありません。

日本での沖縄と政府の対立。そして、イギリスのEU離脱。
その他にもこの世界には今、様々な対立や困難が渦巻いています。
それらの困難は人間の実態を浮き彫りにしてくれます。
そして、それは人間に変化を促しているのです。

人は自分の実態を知り、それと向き合うことで変化していきます。
今、人類全体がそのチャンスを頂いているのです。

だからこそ、それぞれの人が日々の生活で自分自身の実態に向き合い、
新しい価値を生み出していくことが大切です。

それは得ようとする態度からではなくいただく姿勢から生まれます。

木の花ファミリーのみんなとの暮らしの中で、僕はそんなふうに生きていきます。

その先に平和な社会が実現することを信じて(^-^)


6月27日ジャガイモ収穫の写真です。

☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡


木の花ファミリーから新しいサイトが生まれました。
その名も、木の花ファミリーで起きたことを検証する です。
副題は、「人類の可能性に挑戦する、大いなる実験場」
宇宙や人類の本質を明らかにし、新しい未来を描き出します。


☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 

2016年7月16日~18日 第10回大人サミット 地球会議 in 木の花ファミリー

人は自分の実態を知り、それと向き合うことで変化していきます。
そして、一人一人の変化が世界を変えていきます。
そんな変化を生み出すための3日間です。是非、ご参加下さい。






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「木の花ファミリーで起きたことを検証する」の誕生!



昨日、2016年6月21日は夏至の日。北半球では1年で一番昼間が長い日であり光のピークです。
この日、新しいホームページが誕生しました。

題して、「木の花ファミリーで起きたことを検証する」です。
このサイトには、以下のような説明が書かれています。


☆彡 ☆彡 ☆彡

本サイトは、2016年の光のピークである621日の夏至の日にオープンしました。サイトのアドレスである “unveil” には、「ベールを外す」「明らかにする」という意味があります。右記の「コミュニティの課題と可能性を考える会」のサイトに代表されるような、歪んだ情報による木の花ファミリーへの誤った認識を正し、真実を明らかにしていきます。 今後、各項目ごとに内容を順次公開してまいりますので、皆さま、どうぞお見逃しなく!

☆彡 ☆彡 ☆彡

昨日の大人ミーティングでは、「はじめに」の文章をみんなで共有しました。
そして、それを受けていさどんは以下のように語りました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この暮らしの本質は自我を超えていくことにあります。
自我はなくてはならないものですが、行き過ぎると混乱の原因にもなります。

今、テレビでどのニュース番組を見ても、アナウンサーが微笑ましい語り口で経済効果について語っています。お金の話ばかりです。それは闇雲に人々の欲を駆り立てます。そこには地球や他者に対する配慮は全く感じられません。これこそ世の中を混乱に導くマインドコントロールと言えます。このような現状認識を続けているようでは次の時代を読み解くことは出来ません。

そのような社会の中、木の花ファミリーの暮らしは時代を先取りしたものです。
理解できないものにとっては、それは嫉妬の対象にもなれば、攻撃の対象にもなります。
そのためバッシングサイトのような無自覚な非難が存在しています。
ですが、ここには、時代の流れを受けて「世のためになる」という指針があります。
時代が後ろに控えているので、どんな困難にも立ち向かえるのです
リラックスし天に心を向ければ、いつでも時代の力強い後ろ盾を認識することが出来ます。
ですから、どんなに細い道であってもスムーズに通っていける道が必ず用意されるのです。
それが天と共にあるということです。

無自覚な非難があってもここが揺らぐことはありません。
そんな姿勢の中にここでの暮らしの心があります。

今日、読んだ文章はとても美しく力強いものです。
この文章に触れる時、人の魂に響き、真実を知ってみようという気持ちになることでしょう。

僕は気張ってこの道をいこうとは思っていません
この暮らしにはみんなの力が必要です。
みんなで力を合わせて創り上げる。
その姿が世の中に示せるモデルです。
一人一人が木の花ファミリーの看板です。
あらためて新しい気持ちでみんなで一緒にやっていきましょう。

☆彡 ☆彡 ☆彡

新しいホームページでは、宇宙の中で極めてユニークな存在である人間の本質を読み解いていきます。是非是非、お楽しみ下さいませ。


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自らの表現でみんなの世界を豊かにしていく。

自らの経験から


☆彡 ☆彡 ☆彡

常に意識を全体性に持っていく必要があります。
あなたは今、個人的願望を抱えているわけだけれども、それをどう超えていくのか?
それが重要です。
個人的願望が全体性と共通していればいいのです。
例えば、個人的願望が宇宙の法に基づいていたら、それは理に適っていきます。
個人を高めるためというならば、それは全体性を持つことが個人を高めることであり、
全体性と個人は本来、共通していることなのです。
ですが、個人が抜きん出てしまうと、天が「それは違う」と滞りを与えてくれるのです。

心を磨いた結果出会うことがあります。願いが叶わない状態も自分を高める要素です。
「はい!分かりました」と叶うようなことなら、その願いは本当に自分を高めません。

だから何より心を磨き続けることです。

そして、自分を高める努力をしていると、その努力したことでエネルギーが消費され、他のものはいらなくなります。いらなくなった状態をさらに超えた世界。共通の世界で極めていく世界がその次にあるのです。個人で高める努力から「みんなで」とか「一つになる」というところで極める世界があるのです。

それは前人未踏の世界。我々は前人未踏の世界を創らなければならないのです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

上記は昨年の7月、いさどんが僕に話してくれた言葉です。

最近、想いや願いについては、それを実現しようとすることが大切なのではないと思っています。
大切なのは、それを価値ある形で表現していくことなのだと思います。

想いが生じた時、ただそれを表現するだけでは、想いのままに生きているだけとなります。
ですが、それを超えた状態で表現する時、想いは必要に迫られたものではなくなります。

いらないを超えた世界。

そこに至った時、想いに翻弄されることなく、
世界を豊かにするために想いを表現していくことが出来るようになります。

自らの表現でみんなの世界を豊かにしていく。

そんなふうに生きていくために自らの価値を高めていこうと思っています。

人は想いを実現しようとすると、それに囚われて視野が狭くなっていきます。
その結果、未来を狭め、人は可能性を失っていくのだと思います。

昨年の僕は、願いを実現しようとし、視野を狭め、停滞していきました。
停滞しているということは、心磨きをさぼっているということです。
なぜなら、宇宙や自然は常に変化し続けていて、
その変化に身を委ねることが心磨きの本質だからです。

当時の僕には、それが分からず、自らの感情に囚われ、ますます停滞していきました。
そして、そのまま出口が見えない状態になり、限界に達する中でみんなに助けて貰いました。
※詳しくは「相応しいものになっていく」を参照して下さい。

あれから8ヵ月。そのころの教訓は今の自分の中で生きています。


憲法改正の話題から


安倍首相は19日、ネット討論で、憲法改正の意向について語りました。
安倍首相「次の国会から改憲議論」(東京新聞2016年6月20日) 

改憲の必要性を訴える安倍首相は、中国や北朝鮮など周辺国の脅威を感じているのですが、
平和のために軍備を増やす方向で視野が固定してしまっています。
安倍首相が描く未来は一つの可能性に過ぎないのですが、他の可能性を受け入れません。
そのため違う立場の人たちと分かり合うことがなかなかありません。

安倍首相は日本の平和のために未来を思い描き、軍備を拡張しようとしています。
そして、それに反対する動きが活発になり対立軸が生まれています。
そこには想いを実現しようとして囚われ、視野を狭めていく人間の姿が浮かんできます。

対立が生まれるこの延長線上には希望がありません。

平和を求めるならば、世界に平和をもたらす表現が必要です。
そして、そのためには平和な人格を育む必要があります。

天に変化を委ねる


人間は一人一人多種多様な視点を持ちますが、その視点は個人の知識に限定されます。
今まで多くの人々が、自分で何かを成し遂げようとして来ましたが、
その時、人は自らの限定された視点から行動することになります。
そしてその結果、この世界に矛盾や対立が生まれてきました。

自分で何かを成し遂げようとしても、これからの未来を切り拓くことは出来ません。
これから大切になるのは、天に意識を向け、委ねることです。

天に意識を向けることで人は全世界と繋がります。
その時、想いもよらない流れが生まれ、人々を繋ぎ合わせていきます。
天が人や世界を変化させていくのです。

今日は夏至。

2012年12月21日の銀河の冬至から3年半が経ちました。
それは大きな節目の時です。

これからどんどん世界に光が増していくことでしょう。
その光の中で、これから自らの表現で世界をどんどん豊かにしていきます(^-^)

6月18日(夏至3日前)のお昼の太陽です。







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自己主張としての絶望感にメスを入れる

今年の夏至の意味と僕の体調


4日前に37度8分あった体温は、一時、38度3分まで上がりましたが、
昨日から36度9分まで下がっています。
その間、日中に寝込むということはなく、ほぼ通常通りに過ごしていました。

もうすぐ夏至です。

先住民族の伝承によると、今年の夏至は特別なようで、
銀河の冬至でもあった2012年の冬至から今年の夏至までは「夜明けの晩」にあたるようです。
 ※「よあけて であえて」第1話『宇宙時間』参照

2016年6月20日の満月、そして6月21日の夏至を間近に控えた今は、
鶴と亀がすべる(統べる)夜明けの晩の最後の仕上げの時です。

分離の時代が終わり、統合の時代が本格的にスタートすると言われる今、
熱をいただいたのは、最後の禊ぎであり、そぎ落としという意味があったのだと思います。

自己主張としての絶望感にメスを入れる。


ここ数日で僕の体重は4kg減り、49.5kgとなりました。(身長は172cmです)。
そして昨日、最近では全く感じることがなかった古傷のような感情が疼きました。

それは、どんなに一生懸命になっても、なにをやっても理解して貰えないという絶望感。
それが急に疼いて心がかき乱されました。

かき乱される中で、僕は自分自身の思考に突っ込みを入れていきました。

どんなに一生懸命になっても・・・と言うけれども、
その一生懸命さは本当に的を射たものだったのだろうか?
それが本当に純粋なものだったならば、
理解をいう見返りを求める必要はないはずだ。

そもそもなぜ理解を求める必要があるのだろうか?
今、僕がここに存在しているのは、
生きとし生けるものの存在の中で生かされているからであり、大いなる恵みの中にある。
その中で、理解してもらう必要がある「自分の考えや気持ち」なんてあるのだろうか?
「理解されない」ということは、その考えや気持ちは必要ないということではないのか?

絶望感というけれども、その絶望感は、結局は自己主張に過ぎない。
自我が自分の存在を主張するためにしている自己主張で極めて不合理なものだ。

要するに、自己主張によって勝手に絶望し自ら可能性を閉ざしていくのだ。
それは変化に対する恐怖から来ている。

理解して貰いたいと言いながら、理解されない状況を生み出し絶望感に甘んじる。
そして辛さを訴え自己主張する。

自分では変化するつもりになっている。
だから気持ちが落ち着いたら、一生懸命になる。

でも、その一生懸命は見返りを求めるもので、的外れ。
無理を重ね負担が生じ、そしてまたいつか絶望し、辛いと訴え自己主張する。

その後、気持ちが落ち着いたら・・・・

くだらないループ。

それが僕を長年苦しめていたものの答え。

最近は、ふっと意識をフリーにして、天に心を向けるようにしているから、
こんなループに嵌まることはほとんどなかったのですが、急に疼いてびっくりしました。

ですが今、疼いてくれたお蔭で、あらためて見つめる機会となり、超える機会となりました。

夏至を前に、余分なループのそぎ落としです。

宇宙の本質のままに生きる


まわりてめくる

宇宙の星々は円ではなく螺旋を描いて移動しています。
ぐるっと回って同じ位置に戻るように見えても、
少しずつ位置(トキ軸とトコロ軸)がずれているのです。
春は毎年新しい春としてやってきます。

瞬間瞬間新しい出会い。

それが宇宙や自然の姿です。

同じことを繰り返すループ。

それは自然や宇宙の本質から外れたものであり、本来の姿とは言えません。

余分なループをそぎ落とした僕は、これから毎日を新しい出会いとして受け取っていきます。



富士山と朝日です。(ほぼ1ヶ月前のものですが・・・)








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人類の可能性を切り拓く

昨晩、頭が痛く、身体も節々が痛いので、熱を測ってみたら、37度8分ありました。
本来ならゆっくり休むところですが、
「今日の大人ミーティングは出なければならない!」と感じて参加しました。
そうしたらとても面白い時間となりました。

ミーティング後、熱があるから寝ようと思って布団に入ったのですが、
なかなか眠ることが出来ませんでした。

書きたいことがある。

だからきっと眠れない。

そのため、それを書いてから寝ることにして、今、パソコンに向かっています。

ということで、これから書きたいことをつらつらと書いていきます。

バッシングサイトとキジの卵


いさどんブログ「真実を発信していく」で紹介されている8個のキジの卵のうち、3個が孵りました。「真実を発信していく」には以下のように書かれています。



☆彡 ☆彡 ☆彡

今、インターネット上に、真実を歪めて木の花ファミリーをバッシングしているサイトが横行している。ものすごいエネルギーを使ってここを貶め、封印しようとする力が働いていることに対して、そのエネルギーを逆に、真実を発信していくためのエネルギーに転化できると気付いた。
多くの人が興味を持っているからこそ、ああいったサイトを見る。そこで、彼らが見ているバッシングサイトの情報に対して、その情報の出所の元にある心がどのようなものであり、そこに表現されている現場の実態は実際にはどうだったのかということを提示してあげれば、彼らはバッシングサイトを見ていたのと同じエネルギーで、真実は何なのかということを感じ取ることになる。それは、バッシングサイトが描いて訴えようとしているイメージと実際は違うということや、それを見る自分自身の視点の偏りに気付くチャンスになる。
バッシングが始まって3年目となり、ある程度それが社会に浸透した今だからこそ、トキが来て、そこに表現されたエネルギーは一気に逆転する。うたた寝から目を覚ました僕は、養蜂の一段落と、バッシングが逆転へ転じるトキが同じタイミングで来たことを感じた。

そのタイミングを感じた時に、台所に8個のキジの卵が置いてあるのを見た。それは日中に草刈りをしていた畑隊が見つけて持ち帰って来たもので、ステンレスのボールに入れて流し台の上に置いてあった。巣の周りの草を刈るだけでも、人間の匂いが付いて親鳥は寄り付かなくなる。そこで畑隊が持ち帰って来たのだが、僕はそれを見た瞬間に、そこから生気が湧き出ているのを感じた。あんなにも生きようとするエネルギーがあふれ出しているものを、ステンレスのボールに入れて置いておくということがあるだろうか。


懐中電灯で卵を透かして見ると、幸いなことにまだ分裂を始めていなかった。今から温めてやればまだ間に合う。これは食べるものではなく、命として孵してやらなければいけないものだ。そういうことを感じられることが大切なのだ。

☆彡 ☆彡 ☆彡

木の花ファミリーへのバッシングサイトとステンレスのボールに入れてあるキジの卵。
一見関係ないように見えるこの2つには大きな類似点があります。

それは両方とも可能性を潰そうとしているということです。

木の花ファミリーの暮らしは一人一人が自らの自我を乗り越え、
全体と一つになって生きていく暮らしです。

それはある意味、未知なる取り組みであり、
7年間暮らしてきた僕自身、この暮らしの価値がどこまで分かっているかは疑問です。

知れば知れほど奥深く、自分が知らないことを痛感します。
ですが、この暮らしが人類の未来を切り拓くことは確信しています。

今、多くの人が個人の願いを叶えることが大切だと信じています。
その結果、今の世の中があるのですが、
それでも程度の問題と考えている人が多いのだと思います。

そんな中、自らの意思で自我を乗り越えていこうとする木の花の暮らしは、
多くの人の理解を超えているのだと思います。

理解を超えたものに接した時、人はそれを自らの理解の枠組みに収めようとします。
そこで、強制やマインドコントロールという物語が生み出されるのでしょう。

ですが、これはその人の心の反映であり、決して、木の花ファミリーの実態ではありません。
実態はインターネット上ではなく、現場にあり、僕たちの日々の暮らしの中にあります。

日々の暮らしの中で人類の未来の可能性を示していく。

それが木の花ファミリーの暮らしであり、それをバッシングすることは、
人類の可能性を潰すことに繋がります。

それはちょうど、生きようとしているキジの卵を食べようとするようなものなのです。

大人ミーティングの言葉から


昨晩の大人ミーティングでは、いさどんは医療について以下のように語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

医者は特定の研修を受けて、診療報酬の中で治療をしています。
医療は現代医療の枠組みの中で行われるものです。
それは対処療法で真の解決には至りません。
そして、そこに製薬会社の利害なども絡み、
病気という不幸が経済を支えるようにもなっています。

ですが、例えばガン。ガンとは本来、精神病で心から生まれています。
病気になることは、その症状に自らを誘導した精神状態を振り返り、理解する機会となります。
それをしながら、症状に対して対処療法をしていくのです。
姿勢から病気という結果が生まれます。
姿勢を改めると、病気を生み出す元がなくなり、
新陳代謝により病気の箇所が新しいものに変わっていきます。
心にメスを入れることが出来れば、治療はいらなくなるのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

これは医療における新しい可能性へ向けての言葉です。
そして、いさどんは今、実際にそんな実践をしています。

先に紹介した「真実を発信していく」にはこんな文章も掲載されています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今、僕ときょうこちゃんは、新たなプロジェクトに取り組んでいる。それは、新しいきょうこちゃんをつくること。僕は彼女にこう伝えた。「それはきょうこを壊すこと。自分を壊すことだぞ」と。自分を壊さなければ、奥に眠っているものは出てこない。
これまでのきょうこちゃんは自分のことばかり考えて生きてきて、その姿勢の結果ガンになった。彼女は命がかかっている。それは自分がつくってきたことであり、それをつくった自分自身を壊さなければ、命は取り戻せない。とても真剣なことだが、人間はその段階へ行く時が来たのだと僕は感じている。
このプロジェクトが始まって、最初は僕がきょうこちゃんにヒーリングをしていた。きょうこちゃんは毎日まじめにやって来るが、僕はだんだんきょうこちゃんにヒーリングをする気が起きなくなった。そうすると、逆にきょうこちゃんに、僕に対して何かしたいという気持ちが湧いてきた。きょうこちゃんが僕に癒しを提供することで、きょうこちゃんが癒されている。
僕は最初自分がやってあげるつもりでいたのにだんだんやる気が起きなくなって、この意識の変化は何だろうと思っていたが、そこで答えが出た。そうだ、人のためになるという心をきょうこちゃんに目覚めさせるということだ、と。自分のことばかり考えてガンを作った者が、人のために生きたら、ガンは消える。(「癌」は、品物を山のように抱えてなる欲深な病気と書く。)
何日か続けているうちに、お腹にあったしこりがやわらかくなって、確認できなくなってきた。病院での検査結果がどう出るかはわからないが、今、きょうこちゃんのお腹の中から、悪いものを発している波動を感じられなくなってきた。


僕がきょうこちゃんにやっていることは、単なる病気治しではない。人間の能力を引き出す実践をやっている。それはキジを孵すことと同じだ。

☆彡 ☆彡 ☆彡

こんなふうに日々の実践で未来の可能性を切り拓いているのが木の花ファミリーです。

そのために大切なのが、現象に囚われず、その奥を観ていく姿勢であり、
自らの思考の枠組みを超えていくことです。
そして奥を観たら、すべての出来事が一つであり、
大いなる流れの中で生み出されていることが観えてきます。

その大いなる流れが人類を新たな可能性へと導いていくのです。





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真剣さとは真実を追究する姿勢。

いさどんと僕を比べた時、この世界に対する真剣さが圧倒的に違います。
僕はいさどんに遠く及びません。
日々、違いを見せつけられています。

とはいえ、それで落ち込んでも仕方がありません。
ただ事実を淡々と受け止めるだけです。

数日前、いさどんは、「真剣さとは真実を追求する姿勢」だと話していました。

「真剣」

言葉通りに取れば、本物の剣となります。
そして剣とは武士にとっての魂であり、
本物の魂に触れることで、真実を知っていくのです。

ようこちゃんは昨晩、「地球が危機感を訴えて振るえている」ヴィジョンを見たと言いました。
そして、そこにいさどんの姿が重なったそうです。

危機感を訴えて震える地球。

そんな真実を知るからこそ危機を感じ、より真剣になっていくのです。

真実を追求することにより、より多くのことを知るようになります。
そして、知れば知るほど、さらなる真実を求めて真剣になっていくのです。

だから僕に出来ることはただ真実を追求することだけです。

実は今、僕はとても嬉しい気持ちでいっぱいなのです。

圧倒的な違いを見せつけてくれる存在。

それはこの先にある可能性を示してくれているのです。

僕といさどんは違うから、いさどんと同じようになるということではありません。
未来がどうなるかなんて分からないし、分かる必要もありません。
僕には僕の道があり、それはみんなの中で変化する予測不能の一本道です。
そこを歩んでいることに変わりはありません。

だから圧倒的な違いがあることを認識しつつ、
遠く及ばない存在であることを認識しつつ、
僕は敢えて宣言するのです。

いさどんに負けない!と。

いさどんの中に全宇宙があるように、僕の中にも全宇宙があります。

あなたはわたし、わたしはあなた。

全宇宙の中にすべての存在があり、すべての存在の中に全宇宙があります。
その地点に立った時、すべての存在は対等となります。

今、どんなに未熟だろうと、
今、どれだけ足りない存在だとしても、
心の道を極める決意だけは絶対です。

だから僕は、すべての人と対等であり、
全宇宙と対等であり、誰にも負けることはないのです。

みんなの中で、宇宙の中で、この道を極め、本物の魂に触れ、知っていきます。

いさどんと金神さま(国之常立神)です。





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揺らぎの中で未来を新しい出来事として受け取っていく

2015年9月28日満月(スーパームーン)


完全にあなたを変化させる準備ができていますか?
あなたは自分の考え、理想、価値、興味、意見を捨てるでしょう。
全ては新しいものとして学ぶべきことです。
もしあなたがこうした全てに準備ができていたら、飛び込んで。
さもなければ、それには踏み込もうとしないことです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

上記は2015年10月2日の大人ミーティングで読まれたオーロビルのマザーの言葉です。
この言葉を受けていさどんは以下のように僕に語りました。

☆彡 ☆彡 ☆彡


僕があなたに伝えていることは、決してあなたに不愉快を与えるものではありません。
どれ程の想いを込めて、そして願って、あなたの追い風になろうとしているか。
そういうことが分かったら、今の状態でいる自分が、
いかに恥ずかしいことで申し訳ないことであるかに気づくでしょう。

あなたは自分の考え、理想、価値、興味、意見を捨てるでしょう。」というマザーの言葉。
それは自我を捨てて、天のままに生きるということです。

僕は昔、それを天のマリオネットと表現しました。
でも、その考えは今は変わっています。

昔、夜、外に出て上を見て、月が出ていれば月、星が出ていれば星、
曇っていたら、その上に星や月を想像して語っていました。

「神さま、私はあなたの意志に沿うものです。」

そうすると、そういうことを語っていた時、その間違いに気付きました。
「あなたの意志に沿うものです」ということは、
あなたという意志があって、そして、それを受けている自分がいるということです。
でもよく考えてみたら、あなたという意志はわたしに表れています。
だから、本当のそれが通じた時に、私の意志はあなたそのものなのです。

あなたはわたし、わたしはあなた。

その時、「神さま」とそこに気持ちを向けたり、
「あなたの意志」というようにそこに特定を持った時に、
すでに自分、自我を成立させているのだと気づいたのです。

まわりてめくる。

すべては新しい出来事として学ぶべきことです。
常に新鮮で新しい毎日が来るわけですから。


より詳しくは「相応しいものになっていく」をお読みください。

☆彡 ☆彡 ☆彡

そして、いさどんブログ「真実を発信していく」の中には、こんな語りがあります。

☆彡 ☆彡 ☆彡

何か現象に出会うということは、自分自身を知ることであり、
自分との出会いだということが、人間はわかっていない。
出会うとは、自分という現実に出会うこと。
自分がない人は自由自在に変化していく。
しかしいつまでも古い自分がとれないと、痛い目をして学ぶことになる。
ひどいのは、痛い目をしてもわからずに同じことを繰り返す。
それが今、人類に問われている。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自我はたいてい未来を予測することを求めています。
どうなるか分からないことに出会うと様々な想像が浮かびますが、
それは自我が未来を自分の予想の中に収めようとする努力です。

よい想像をして浮かれたり、悪い想像をして不安になったり・・・
どちらもまだ現実になっていないことであり、無駄なエネルギーと言えます。

そして、想像に基づいて行動することで人は未来を狭い枠に閉じ込めてしまいます。

環境問題や紛争や戦争、経済格差。人類の未来は今、狭い枠の中で行き詰まっています。
どうなるか分からない。そんな揺らぎの中で未来を新しい出来事として受け取り学んでいく。
日々の生活の中でそんな姿勢を育むことが大切です。
そうすることで未来が無限の可能性へと開かれ、様々な問題が解決されていくのでしょう。

だから僕は、自分の考え、理想、価値、興味、意見を捨て、世界と一つになっていきます。

現象に出会う時、それは世界の顕れであると同時に自分自身の顕れです。
自分という現実に出会い、そこと向き合うことで自分と世界を変えていけるのです。

2015年10月2日から今日まで僕は自分という現実に向き合い変化して来ました。
だから今、未来は無限の可能性に開かれています(^-^)

昨年の僕は、「一つの結果」に囚われることで自分を見失っていきました。

この世界では常の心の姿勢を試されています。

生きていれば、何か素晴らしいものに出会ったり、
望ましい結果の出会ったりすることがあります。
その時、そのものに囚われてしまうと自分を狭い枠に閉じ込め、
その結果、世界に軋轢や対立などを生み出してしまうのです。

例えば、世界平和は素晴らしい理念ですが、
人々がそれに囚われることで争いが続いてきました。

どうなるか分からない。
そんな揺らぎの中で未来を新しい出来事として受け取り学んでいく。

大切なのは、その姿勢を育むことで、すべての人々がその姿勢になった時、
平和に調和した暮らしがこの世界にもたらされることでしょう。




2016年6月4日の朝日と富士山です。




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それが道の途上にあるものならば必ず実現する

なかのんはブログで立派なことを書いています。
今の状態でそれを書くことは、偽物を書いて罪を犯しているような話で、
それは自分の価値をどんどん落としているのです。
でも、だからブログを書くなということではないのです。
ブログに相応しいものになるとしたら、そんな状態でいるはずはないのです。

そこは僕のためではなく、あなたの価値を上げるということと、
世の中の為にあなたに目覚めて欲しいと僕は願っています。

そして価値あるものとしてあなたのいろいろな思いが
表現されていく世界を実現しなければなりません。
愚かしいところで、目覚めない状態で自分の願いを叶えるということは、
自分にとっても世界にとっても何もいいことはありません。
そこを分かるということだと思います。


☆彡 ☆彡 ☆彡

これは2015年10月2日の大人ミーティングでいさどんが僕に対して語った言葉です。

結果を追い求めるのではなく結果から自分を知る」をみんなにシェアして以来、
僕の中では「願い」というものがテーマになっています。
そして、昨年のことを思い出しています。

昨年、2~3ヶ月間、感情に翻弄され続けた僕にとって、
10月2日の大人ミーティングは大きなターニングポイントになっています。

あれから8ヵ月。僕はずっとブログを書き続けています。
それはブログに相応しいものであり続けているということです。

僕は15年ぐらい前に、数十人の暴走族が走っているところに、
一人で立ち向かおうとして失敗する夢を観ました。
その頃の僕は、自らの衝動に翻弄されて、
自分で自分の人生を台無しにしていました。

僕にとって自らの衝動をコントロールすることは、暴走族に向き合うぐらいに難しい。

当時そんなことを感じると共に無気力になっていきました。

それ以来何度も出会っている人生を台無しにする衝動。
積み上げてきたものを一瞬で壊してしまう衝動。

それは僕の中の駄々っ子。
自己主張と依存心と甘えの現れ。

その衝動を今は超えているということですy(^^)yピース!

僕は子どもの頃、誘拐される夢を沢山見ました。
それらの夢はとっても怖かったです(-_-;)。

ある日の夢では、僕は両親と妹と自動車に乗っていました。
その時、かぼちゃの顔をした「かぼちゃマン」が走って僕らの車を追いかけてきたのです。
かぼちゃマンはとっても早くて僕らの車に逃げ切ることが出来ません。
そして、かぼちゃマンは高らかに笑っています。
かぼちゃは当時の僕が最も嫌いだった食べ物。
そのかぼちゃが迫ってくるのが本当に怖かったのです。

プロセスワークでは、子どもの頃の夢を「人生の神話」として捉えています。
それは人の人生を貫く大きなテーマとなるのです。

僕は子どもの頃の夢での中で何度も何度も誘拐されました。
それは、血縁の家族や個人的な繋がりではなく、
もっと大いなるものに導かれて生きていくということです。

大いなるものとはこの世界のすべて。
世界は僕で、僕は世界。
この世界が僕を生み出し、僕がこの世界を生み出している。

だからこの世界に起きることすべてに僕は一人分の責任を持ちます。

それで再び「願い」について思います。
そして、以下のような結論に達しました。

それが道の途上にあるものならば必ず実現する。
なぜなら僕は心の道を極めるから。

それは手に入れようとするものではなく、自然となるもの。

これから価値あるものとして僕のいろいろな思いが表現されていきます。

それが天との約束だから。

ちなみにかぼちゃは今、僕の最も好きな食べ物となっています。
かぼちゃはきっと僕にとって天からの使者なのです(^-^)


木の花ファミリーのみんな@5月29日恵みいただきます

これは昨年の誕生日プレート。大好きなかぼちゃ丸ごと1個にチャーハンが詰まっています(^-^)


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