願いを通して自分を知っていく

大人ミーティングで「結果を追い求めるのではなく結果から自分を知る」をシェアした時、
「願い」ということが話題になりました。

そこで話したのはこんな感じです。

願いから自由になることは願いがなくなることではありません。
その願いに囚われないということです。
願いが良いか悪いか現象が教えてくれるので、そこから学べばいいだけです。
なんにせよ、自分の願いではなく、大きな流れに沿って生きていくだけなのです。

そして今、願いについてこんなことを思っています。

願いに良し悪しがあるとしても、それは固定したものではなく、
心の成長や状態によって日々刻々と変化していくものだと思います。

願いと似たものとして食欲を例に取り上げます。

食欲自体は誰にでもあるもので、そこには良いも悪いもありません。
食欲の良し悪しを決めるのは心の状態なのです。

節度を持って食事をすれば、食欲は人にエネルギーを与えてくれます。
そして、食事を通して人との交流も生まれます。
すると、食欲は良いものとなっていくでしょう。

ですが、なんらかの理由で暴飲暴食をし、身体を壊してしまったとします。
こうなると食欲は悪いものとなっていきます。

食欲の良し悪しを決めるのは、その人の人格であり心の状態なのです。

生きていれば様々な願いや望みは自然と湧き上がるでしょう。
そして、その願いや望みを通して様々な現象に出会います。
その現象を通して、自分の心の状態を知り、自己認識を深めていく。
大切なのはただそれだけなのだと思います。

大人ミーティングでは、オバマ大統領の広島訪問に合わせて、
2009年4月5日に行われたプラハ演説をみんなで読みました。

オバマ大統領はこの演説で「核兵器のない世界」を目指すことを宣言したのですが、
アメリカは未だに包括的核実験禁止条約に批准していません。
そして、オバマ政権の核弾頭削減率は13%(2015年会計年度時点)で、
冷戦後の歴代政権の中で最も低い数字となっています。

アメリカ、そしてオバマ大統領はこの現実を直視し、自らを知る必要があるでしょう。
それをしなければ、広島訪問もただのパフォーマンスに終わってしまいます。

平和への願いは言葉だけ聴けばよいものに思えます。
ですが、人類は平和を求めて対立してきた歴史があります。

例えば昨日まで開催されていたG7伊勢志摩サミットは、
世界の平和と繁栄のために集まったはずなのですが、
ロシアや中国はG7に対する反発を強めています。

これは各国が「自らの」平和を求めた結果であり、
そこから自分たちを知り正していく必要があるのです。

真の平和を実現するためには、一人一人が広い世界観を持ち、
個々の自我を超越していく必要があります。
最後にそれを端的に表現した文章、地球談話を紹介しますね。






「地球談話~真の平和を地球にもたらすには~」
2015.8.15

真の平和を地球にもたらすために、今わたしたちにできることは何でしょうか。それは広い世界観を持ち、個々の自我を超越することです。人間が自我の狭い枠に囚われている時、他者との違いによって他者に違和感を持つようになります。それが対立や争いの始まりです。しかし、わたしたちが存在しているこの世界は無限に広大な世界であり、そこは多様ないのちのネットワークで成り立っています。その調和のネットワークは、個を存在させるために全体があり、全体を存在させるために個がある相似形の仕組みによって成り立っているのです。
この世界の真実は、全てが一つということです。ですから、全てのものと自分自身との区別はないのです。このように人々の世界観が広がれば、平和な世界を創り上げようとしなくても、地球上に平和は自ずと訪れるものです。
日本の漢字に「働く」という文字があります。これは「労働」を意味します。しかし、真の意味は「傍(はた・他者)を楽(らく)」にすることです。働くことはある意味生きることですから、生きるとは自分を超えたネットワークの中で役割を果たし、他者のため、世の中のために生きることなのです。ですから、生きることは世界に平和をもたらすことになります。
ところが、今の世界は国なら国益、個人なら自身の利益を優先しているため、国家レベルの大きな戦争から個人レベルの小さな争いに至るまで、平和が保たれない状態になっているのです。それは人間の世界観が狭いことが原因です。対立や争いは、自我が優先された人間の姿勢から生まれてくるのです。
地球上の生命進化の歴史を観ると、過去6億年の間に6回大量絶滅が起きています。そしてその統計からすると、近い将来生命が絶滅する可能性があると言われています。過去から現在に至る地球生命の中で最も高い能力と大きな影響力を持つのが人間です。地球生命の頂点に立つ人間は、暴走することによって次の絶滅をもたらす可能性もあれば、絶滅の危機を超えてさらに進化した世界をもたらす可能性もあるのです。
21世紀に入り、わたしたちはいくつもの大いなる転換点を迎えています。太陽は天の川銀河を22600万年かけて1周し、その間に約9000回の螺旋を描きます。その1螺旋は25800年です。20121221日、25800年ぶりの銀河の冬至を迎え、宇宙的には闇と争いの時代から光と調和の時代に入りました。さらに、冥王星は太陽のまわりを248年かけて1周します。2008年、冥王星の1周期を経て、ヨーロッパ産業革命以降250年間続いた西洋物質文明は終焉を迎えました。そして今、東洋精神文明が開花していく時代が始まったのです。
宇宙的には、すでに一人ひとりが目覚める段階に入っています。それゆえ、多くの人々は今までの価値観に疑問を感じ始めるようになり、新たな時代に向けての価値観が求められているのです。人類一人ひとりの精神革命が国を変え、そして世界を変えます。あなた自身が変わることが世界を変えることの始まりです。それは宇宙の意志であり、時代のサイクルの表れです。したがって、個人レベル・国家レベルそして地球規模で起きる全ての出来事も宇宙の意志であり、時代の流れの中にあるのです。そのように時代を読む捉え方は、わたしたちの個人的エゴからの解放と広い世界観を持つことによって可能となるのです。人類は肉体という物理的には小さな器の中にいたとしても、最終的には宇宙全てが自分自身であるという意識に到達することもできるのです。
21世紀中に人類はその意識レベルに到達することでしょう。それはこれからの1000年間で、物質的豊かさを追求する時代から、わたしたちの内面にある未開発の能力を開花させる時代へ移行していくということです。それを司るのがまだ使われていない人間の脳の90%です。わたしたちの内面に眠る未開発の能力が開花すれば、宇宙の意志・時代の流れを感受する直観が働き、地球にいながらにして宇宙を理解することが可能になるのです。そこでは宇宙を探査するテクノロジーの可能性は大いに広がることでしょう。新たな時代を生きるわたしたちは、近代的テクノロジーと物質的豊かさに加え、高い精神性とともに進化していくことができるのです。

21世紀はわたしたちが地球人として、さらに宇宙人としての意識を持ち、この世界に貢献していく時代の始まりです。今わたしたちは、次の地球生命の絶滅のきっかけをもたらすものになるのか、それとも新たな時代をもたらす存在となるのかの転換点を迎えています。そして、人類が次の時代が示す精神性を地球上に表現した時に、平和はもたらされることでしょう。







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結果を追い求めるのではなく結果から自分を知る

5月20日の富士山からの日の出です。

5月20日は24節気で「小満(しょうまん)」。
そして、僕が木の花ファミリーに移住して7周年の記念日でした。
僕は今、木の花での8年目の日々を過ごしています。

6周年を迎えた昨年は、「願いから自由になるために生まれてきた」というブログを書きました。

この頃の僕には強い願いが湧いてきていました。
そして、それを振り払おうとしてこのブログを書きました。

ですが、この後、僕は「願い」に翻弄されることになります。
 ※詳細は以下のブログをお読みください。

 心を磨いた結果出会うこと。

 正しい自己認識が世界を変え、世界に平和をもたらす。

 相応しいものになっていく。

 空っぽへのあこがれ

「願い」に翻弄されることで、自分自身を知り、そして、その「願い」の奥を知りました。
結果、僕は願いから自由になりました。

「7」はカタカムナでは質的転換を表す数字です。
木の花ファミリー7年目の1年間で僕は質的転換を果たしました。
それは個人の願いではなく天の意志に基づいて生きるということです。

そして「8」はカタカムナでは飽和安定。
僕はこれからの1年で天の意志に基づく生き方をより強固なものにしていきます。

今、僕は体調を壊し、咳が止まらない状態となっています。
この咳は僕が意図したものではありません。
天とは何かを尋ねると・・・」にも書きましたが、
自分が意図していないものはすべて「天」なのです。
だから、この咳は天が与えて下さっています。

なぜ、天は僕に咳を与えて下さるのか?
最近の自分に思いを馳せます。
すると結果を求めて無理をしていた自分自身の姿が見えてきます。
この咳は結果を求めて無理をしたことに対する答えです。

結果は求めるものではなくいただくものです。
過去から未来へと繋がるこの世界においてはすべての瞬間が今まで生の結果です。
人は常に結果をいただいているのです。
そして、その結果から自分を知ることが出来るのです。

とはいえ、今とは違う結果を求める時もあるものです。
ですが、それを無理に引き寄せる態度は世界に歪みを生み出します。
沢山の人々が今とは違う結果を求めて、
そして沢山の歪みが生じて今の世界は出来ています。
このような中、結果を無理に求めても世界に新たな歪みが生まれるだけです。

結果を求めるならば、その結果に相応しい自分になることです。
その時大切になるのは日常の地道な積み重ねであり、
プロスポーツ選手ならば普段から身体作りをし、コンディションを整えています。

僕たちは心の道を探求するスペシャリスト。
ならば、日々の心の動きを緻密にチェックし、常に客観的な位置に立ち続けることです。

大切なのはそれだけで、その姿勢からずれていたから咳を与えてもらいました。

それに気づいたらリセットしニュートラルになるだけです。

最近僕は、木の花ファミリーのみんなと塚本晋也監督の映画「野火」を観ました。

太平洋戦争末期のフィリピン戦線を舞台に極限状態に追い込まれていく主人公の姿。
人間の醜さと自然の美しさが対照的に描かれています。

こういう映画は戦争の悲惨さを再確認する機会となります。
そして、多くの人が二度と戦争を起こしてはいけないと思うのではないでしょうか?
ですが、なぜか世界から戦争がなくならない現状があります。

昨年の夏、日本では安全保障関連法案を巡り大きなうねりが生まれました。
賛成派も反対派も平和を求めているのに、結果、対立しているのです。
それはそれぞれの立場の人が求める結果に固執しているからではないでしょうか?

今週、アメリカのオバマ大統領が被爆地・広島を初めて訪問します。
それは歴史的な出来事で、大きな流れを感じます。
核廃絶、そして人類の平和へ向けての大きな一歩ともなりえます。

ですが、本当に大切なのはきっと出来事や形ではないのです。

共和党の大統領候補となることが確実なドナルド・トランプ氏は、
以前に日本の核武装を容認する発言をしています。
そして最近、北朝鮮の金正恩労働党委員長との会談に前向きな発言をしました。
それは北朝鮮に核開発を放棄させるためです。

相矛盾するようにも思える発言ですが、どちらも選挙を意識したパフォーマンスなのでしょう。
そんなトランプ氏の支持率が民主党のヒラリー・クリントン氏の支持率を上回りました。
トランプ氏が次期大統領になる可能性が大きくなったということです。

それがアメリカ国民の意識だとしたら、
オバマ大統領の広島訪問もパフォーマンス以上の意味を持たない可能性もあります。
それでは真の平和に繋がることはないでしょう。

表面の出来事や形に目を奪われ、それを求めても、人々は望みに翻弄され続けるだけです。

オバマ大統領がアメリカの大統領として初めて広島を訪問します。
その出来事を通して、人類が歴史を客観的に振り返り、人間についての学びを深めていく。
そして、全ての出来事に対する慈しみの心を育んでいくこと。
それが出来た時、この訪問が本当の意味で生かされていくのでしょう。

結果を追い求めるのではなく、結果から自分を知ること。
表面の出来事ではなく、その奥に流れている心に思いを馳せること。
そして、調和に向けて自分の人間性を高めていくこと。

真の平和が実現するために必要なのはそういうことなのです。

僕はそう確信しています(^-^)










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生きることが事務

栁澤さんは学校事務職員時代の仲間ですが、今年の3月毎日新聞で紹介されました。
そして、今回、本(『本当の学校事務の話をしよう』)も出版するようです。  

当時、僕は栁澤さんからたくさんの刺激を受けていました。

彼と学校事務の話をするのはとても楽しくて、夢が広がって、
いろいろなアイデアが沸いてきました。
そして、そのアイデアを実践に移し、そのいくつかを実現してきました。

例えば、教材費の集金方法を決めるのに保護者アンケートを提案し実施したのですが、
それは学校での意思決定の在り方に一石を投じたのではないかと思っています。

学校事務時代、僕は栁澤さんを含め多くの仲間に恵まれました。
仲間と共に学ぶことで、僕は「事務」についての考えを深めていきました。

事務とは全体を効率よく運営すること。

これが仲間との交流の中で育まれた考えです。

お金の計算も、書類の作成もすべて全体を効率よく運営するためにあります。
効率よくするために情報の共有や発信が重要になります。
情報の共有や発信を通して、日々の地道な作業が「みんなで創る学校」へと繋がっていくのです。

僕が栁澤さんと共に過ごしたのはもう7年も前になりますが、
当時から栁澤さんは、教職員や保護者向けに事務だよりを発行し、
みんなの視点を広げ、みんなの学校創りに大きく貢献していました。

きっと今はもっともっと成長しています。

新聞や本の出版を通してそんな彼の活躍を知るととても刺激になります。

今、僕は木の花ファミリーにて、経理や管理事務をしています。
場所は違うけれども、事務をしている僕にとって、
栁澤さんは目標でもあり最大のライバルです(と僕は思っています)。

そう、僕は木の花ファミリーで事務をしているのです。
ここで暮らしてもうすぐ丸7年になります。
この7年で僕も当然成長をしています。

どんなふうに????

どんなふうに僕は成長しているのでしょう????

昨晩の大人ミーティングでは、以下のようなことが話されました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

日常のなんでもないようなことの奥に、この宇宙の意志が隠されている。

人それぞれ日々の暮らしで出会うことは、その人オリジナルな体験であり、
それを読み解くことにより、人生の目的、宇宙の意志が明らかになる。

☆彡 ☆彡 ☆彡

日々の暮らしの奥には宇宙の意志が隠されています。
それは日々、僕が行っている事務も同様です。

学校事務職員時代、僕は意図をもって事務を行い、
その意図を通そうとしていました。

僕は頭で考え、意図し、それを実現するために行動していました。

目標が思い描いたものに固定していたのです。

それは宇宙の意志ではなく、僕の意志でした。

それでは今は?

今はどうかというと、僕は何かを実現することを目的にはしません。
出会うことを通して、自分を知り、世界を知ることを目的にしています。

日々の事務作業を通して、宇宙の意志を感じ顕かにしていくのです。

この世界を運営している宇宙の意志。
それを顕かにすることは全体の効率に繋がっていきます。

全体の運営を宇宙の意志に委ねる。
そして、それに沿って最大限の努力をしていく。

それが今、僕にとっての事務です。

生きることが事務。

そうとも言えるかもしれません(^-^)

木の花ファミリーのみんな@恵みいただきます。みんなと共に生きることが僕にとっての事務です。








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意図を手放し超えていく。

非暴力と言えば、ガンジーによるインド独立運動が有名ですが、「いさどんの七夜物語-第七夜「太陽の導き」」の中にそのガンジーについての言葉があり、とても印象に残りました。以下、その言葉を紹介します。

☆彡 ☆彡 ☆彡

そして、ガンジー。平和を訴え、非暴力・不服従をうたいました。その時の映像をよく観てみると、暴力をふるうイギリス兵に対して、非暴力を掲げて果敢に挑戦する、非暴力の暴力をふるっている人たちがいるのです。
それを非暴力と言うのでしょうか。その結果どうなったかと言うと、最後には非暴力が「勝った」と言うのです。暴力がないところに、勝ったも負けたもないはずです。そこでは、ただ銃を使わなかったとか相手を殴らなかったというだけで、精神はイギリス兵と同じなのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

非暴力とは何か?

この文章を読んで以来ずっと僕の中にはその問いがありました。

非暴力って何だろう????

話しは変わって。

最近、僕は、「豊かな人間性を育み、結果、世界を豊かにしていく」の中で日本国憲法について書きました。そこでは、「一人一人が平和な人間性を育み、結果、平和憲法に顕されることが大切で、人間性が育まれることなく、憲法で平和を謳っても意味がない」と書いています。そして、このブログをFacebookでシェアしたのですが、それによりいろいろなフィードバックをいただきました。以下、いくつか紹介しますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自分の身は自分で守らなければならない。平和を守るためには警察官が必要。

家族や大切な仲間がやられたら理性を保つのは難しい。

チベットやモンゴル、ウイグル、ブータンなどのおぞましい現状を知ると、非暴力主義が通るとは思えない。

☆彡 ☆彡 ☆彡

これらのフィードバックを読みながら、僕の中に非暴力のついての言葉が沸いてきました。
それはこんな感じです。


チベットやモンゴル、ウイグル、ブータンなどでおぞましい状況にあり、自分が被害者の立場だったら・・・と想像し胸を痛め、非暴力の難しさを感じる。それと同時に自分が加害者でもあることを理解する必要があると思うのです。多くの人が人間の残虐性を一部の虐殺者に押し付けて自分を見ていないのではないでしょうか?

非暴力主義は自身の「汚れ・残虐性」を深く認識し、それを乗り越える作業と共にあるべきものだと思うのです。現状の非暴力主義は抑圧された側の抵抗としてクローズアップされることが多いように感じますが、非暴力主義は本来、被害、加害を包含し、それらを超えた立場へと精神性を高める取り組みなのだと思います。

そしてこれが達成された時、被害、加害という枠組みがなくなり、真の平和へと至るのだと思います。

ガンジーはインド独立をもたらした英雄です。尊敬されて然るべき存在です。
ですが、その後、インドからパキスタンが生まれ、両者に争いが生じました。

平和はいまだ実現していません。

ガンジーは抑圧されたものが抵抗する手段して非暴力・非服従を掲げました。
それはあの時代、あの状況では誇り高い取り組みだったのだと思います。
ですが、それは対立軸を超えてはいませんでした。

僕は今、真の非暴力とは意図を手放すことだと思っています。

天とは何かを尋ねると・・・」でも書いたように、すべてが一つのこの世界で、人間はそれぞれ意図を持ち、この世界に違いと彩りをもたらします。それらは世界を豊かにするのですが、こだわりが強くなると、違いが際立ち、対立、そして争いへと発展していきます。それが今の社会の姿です。

意図は浮かんでは消えて、また浮かびます。

その過程で天やみんなと混じり合い、変化が生まれ世界は発展していくのです。

それが自然な姿です。

ですが、人は自らの意図を所有し、それに囚われ、こだわることがあります。
そうなると、自然な流れは滞り、他者に苦しみを与えるようになります。

この状態こそが暴力なのだと感じています。

だから浮かんでは消える意図を手放し、自然な変化に身を委ねていこうと思っています。

またまた話は変わって。

昨晩の大人ミーティングでは、「ストッパーを外す」ということが話題となりました。

フィギアスケートの羽生結弦くんや体操の白井健三くんは新しい記録や技を生み出しています。
それは今までの常識を超える行動で、二人は常識というストッパーを外しているのです。

今までの常識の延長に未来があるわけではありません。

アメリカのオバマ大統領は広島訪問を決めました。
これはアメリカ大統領による初の被爆地訪問で、今までにはないものです。

北朝鮮の金正恩は「責任ある核保有国」として現在の核保有を正当化した上で、
「主権が侵害されない限り核兵器を使うことはない。」
「世界の非核化を実現するために努力する」とも述べています。
この発言を非難しているメディアが多いようですが、
今までの金正恩の発言と比べると理性が感じられるものなのではないでしょうか?
ここにも僅かですが、変化を感じます。

何かが動いているのは確かです。

人は自らの枠組みの中で何かを意図します。
その意図を手放し超えていく。

そんなふうに。

僕は分からない未来を自由に生きていきます(^-^)

木の花ファミリーのみんな@田楽祭。昨晩の大人ミーティングでは田楽祭でのいさどんの話もシェアされました。




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豊かな人間性を育み、結果、世界を豊かにしていく。

少し前の話ですが、3月8日、木の花ファミリーメンバー&真学校生30名ぐらいが長野県の皆神山に行きました。僕は現地には行っていませんが、それが特別な体験であったことは帰ってきたみんなの話や様子から伝わってきました。
※皆神山については天下泰平ブログ世界最大のピラミット「皆神山」を参照して下さい。

その皆神山にて、ようこちゃんといさどんは以下の会話を交わしたそうです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

ようこちゃん

皆が神としての自分に気付く山。でも本来、神社はそういうものなのだろうね。神殿に向かって神様に何かをお願いするのではなく、人間は神社という場に行くと、「実はわたしたちはこちらの神の側にいるのだった!」と気付くことが本来の神社の目的なんだよ。

いさどん

神社には「鏡」があるからね。己が鏡に映ったら、実は神殿側から人間界を観ていることになる。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自分の外に特別なものを見出し、そこから何かをもらおうとするのではなく、
自分自身の特別さに気づき、そして自分自身を磨いていくことが大切になる。

そんなことを思っている時、二人の会話を聴いてとても印象に残りました。

自分の外に特別なものを見出し、そこから何かを貰おうとしたり、そこに依存したり・・・

人物や場所を含め、その対象にはいろいろなものがなりえます。

5月3日に施行から69年を迎えた日本国憲法もその一つなのではないでしょうか?

7月に参議院選挙を控え、憲法改正が話題になる中、
NHKのクローズアップ現代+でも憲法について取り上げていました。
 ※「密着ルポ わたしたちと憲法

番組では改憲派、護憲派、それぞれの立場の人たちを交互に紹介していました。

(改憲派)
北朝鮮や中国など周辺の状況が緊迫しているので、9条を変えていく必要がある。

(護憲派)
9条が抑止力になって日本は戦争に巻き込まれずに済んだ。9条は守る必要がある。

などなど。

それぞれの立場の人には言い分があり、それは真剣に考えた結果なのだと思います。
ただその思考はそれぞれの立場(視点)に固定しているように感じました。

憲法を変えたら(憲法を維持すれば)日本を守れる。

というように先に憲法が来てしまっているのではないでしょうか?

ですが、大切なのは平和であり、そのために憲法議論があるはずなのです。

憲法は確かに大切なものなのですが、
それを特化し、それに依存する態度は違うと思います。
それでは一人一人の人間性は育つことがありません。

一人一人が平和な人間性を育み、それが平和憲法に顕されていく。

それが本来あるべき姿であり、そうでなければ、憲法で平和を謳っても意味がありません。

今、世界は平和と言えるでしょうか?

そして未来はどうなるかは誰にも分かりません。

ですが、番組に登場する人々は自分の思考の延長に未来を見ています。

(改憲派)
軍隊を持たなければ、これから日本を守ることは出来ない。

(護憲派)
軍隊を持ったならば、日本は世界の紛争に巻き込まれ危険になる。

などなど。

それぞれの立場から別々の未来を見て交じり合うことがありません。
不確定な未来に固執し分かり合えない状態です。
その先に平和な世界が生まれるのでしょうか?

改憲、護憲。

どちらかの立場に立つのではなく、自由な立場で世界や平和について考えていく。
その時、本当に相応しい憲法の形が見えてくるのではないでしょうか?
世界が平和になるならば、憲法はどのような形になっても良いはずです。

シリアを初め、今、世界各地で内戦や紛争が起きています。
そして、昨年末からフランスやベルギー、トルコなど様々な場所で大きなテロが起きています。
これら世界で起きていることは一人一人の人間の心の顕れです。

この世界は「鏡」であり、みんなが映しあって創られていくのです。
ですから一人一人がそこから自分を知り、自分を改めることで世界は変わっていきます。

結果ばかり求めても、求める結果は生まれません。
結果を求めるのではなく、結果から自分を知り調和に向けて自分を変えていくのです。

一人一人がその姿勢になった時、この世界に真の平和が訪れるのだと思います。

憲法記念日の5月3日。

木の花ファミリーでは田楽祭田植え祭りが行われました。

田楽祭は豊作を祈る行事ではありますが、これも豊作という結果を貰おうとするのではなく、
その結果に至るような人間性を育み、日々を送ることが大切なのだと思います。

豊かな人間性を育み、結果、世界を豊かなにしていこうと思っています(^-^)

最後に、田楽祭当日の写真を紹介しますね。



















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