経済を通して心を磨き、心を磨くことで新しい経済を生み出す

木の花ファミリーで開催中の1ヶ月間の真学校、昨日(2月24日)は経済の講座が行われ、僕はいさどんと共に講師を担当しました。

僕といさどんです。

一昨日(2月23日)の夜、池上彰緊急スペシャル!!「なぜ世界から戦争がなくならないのか!?」を観て、たくさんのお金が毎年軍需産業に使われ、それにより世界の経済が維持されていることを確認していました。

その映像を受けて講座の冒頭、いさどんは以下のように語りました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今の人間は自然の中にいたら生きていけないようになっています。
人間が作り上げた保護によって人間たちは生きているのであって、生命力が完全に衰えてしまっています。なので、宇宙の仕組みや自然の営みの中で生命力を保つことが困難となっています。例えば、電力が供給されないと人間は地球上から淘汰されるのではないでしょうか?それは本来の姿から考えたら異常なことです。過去の歴史から見ても文明は自然破壊から崩壊しています。文明が自然を無視して発展をするとみんな淘汰されています。そうすると今こそ人類はそのような状態にあると言えます。

過去6億年の間に生命が6回大量絶命したというデータがありますが、今こそアンバランスであり、人類は次の大量絶滅の原因になる引き金を引くかもしれません。それは人間の欲の心から起きています。その欲が自分の生命を維持する以上のものとなっています。これからの時代、自らの生命観の健全さということを考える時代が来ているのです。

人間は本来、考える生き物なのですが、今の人間は考えていません。本能的にお金が沢山ある方へ、自分が得する方へと選択しています。冷静に客観的に自分を捉えるということをなかなかしなくなっています。それは自分の都合のよい人工の環境を作り上げたことによります。もっと生きることが厳しい時代には生命観をみなぎらせ、生きることに真剣だったはずです。その時には人間は生きていく上で、他の生命とのバランスを取ることをしていました。他の生命にそれほど害を及ぼすことはありませんでした。ですが、現在の経済システムな他の生命に大きな害を及ぼしています。

経済は経世済民です。本来、世を経(おさ)め民を救うものです。ですが、今の経済は欲望を追求し、たくらむことで自分の心を汚しているのです。そこには人間の尊厳がなくなってきています。そこまで成り下がってしまったことを見つめると同時にそれを救うのは、豊かさを享受していると錯覚している一人一人の人間が目覚めることです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

いさどんの冒頭の言葉を柱とし、講座では、今の不健全なお金の流れを確認し、健全な生命観を取り戻す経済として木の花ファミリーの経済を紹介しました。僅かなお金でみんなが豊かに暮らせるその暮らしは、みんなで共有する心があって初めて成り立ちます。そして、僕らはその暮らしを通して共有する心を日々育んでいるのです。

木の花ファミリーのみんなの意識。お金は誰が持っていてもみんなのものなのです。

社会のルールに合わせたお金の流れです。多種多様な組織、人が集まっています。


講座の最後に、僕は、「環境と響き合って変化していく」で書いているいさどんの言葉を紹介しました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

問題が生じている時、問題のないところにいって、みんなで幸せになろうとする。
それは良いことに聴こえるかもしれませんが、とても薄っぺらな話しです。
みんなで幸せになろうとする時、
幸せになるべき人間性があって初めて幸せになるのではないでしょうか?

~ 中略 ~

問題がある時、ただ解決策だけを求める。
それは新しい発想だけ貰って楽になろうとしている姿勢です。
その姿勢が人々を現実から引き離し停滞を生み出しているのではないでしょうか?
そこからは結局新しい発想も生まれないのです。

新しい発想は自分を放棄した時初めて生まれるものです。

~ 中略 ~

木の花ファミリーの暮らしは未来に対して一つの回答を示しています。
ですが、それを解決策として知識として取り入れても意味はないのです。

人は常日頃当たり前のように思考を組み立てています。
その思考は自分の枠内にあります。
知識として取り入れたものはその枠を超えることはありません。
ですが、自分の思考の背後にはこの時代の意志や物語があり、
自分がここにいる意味があるのです。

心を開くことにより、そういうものを織り交ぜて生きていく状態に変わっていく。

それは人間として生きる姿勢の変化であり、この講座もみんなとそんな時間になるように心がけていました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

その僕の言葉を受けて、いさどんは以下のように語りました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今より良くなろうとする想いは今があるから湧いてきているものです。
その状況に出会っているということは今までの自分の対する答えとなっています。
その状況を継続させようが向上させようが落ちていこうが、一人一人の自由です。
そのことを世界は教えてくれています。

自分を教えてくれる材料として私たちは生きる中でいろいろな出会いを貰っています。
人はたくさんの要求を持ちます。こういうふうになりたいとかこれは不自由だとか。
それは一人一人、基準、尺度を持っているのです。
その物差しで計ったものを解決しようとすると、解決という道しかありません。
可能性を狭めていくのです。
みんな一人一人の基準によってこの場を裁いています。
その裁いている今の自分の姿が分かれば、人はその基準から解放されます。
だから自分を知る必要があるのです。そこに無限の世界が広がります。

経済ということで僕が言いたいのは、経済は心ということです。
すべてこの世界は心が創っているのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

木の花ファミリーの経済システムは意図して創られたものではありません。
一人一人が心を磨いていった結果生み出されたものです。
心磨きが土台となっています。
僕たちは経済を通して心を磨き、心を磨くことで新しい経済を生み出し続けているのです。

みんなで分かち合う。

お金だけではなく個人の能力も喜びや悲しみ、様々な心も分かち合います。

それは安心でとても幸せな暮らしです(^-^)



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人間性が経済を生み出す

今日、2月24日(2月最後の水曜日)はピンクシャツデーと呼ばれているそうです。
 ※2月22日静岡新聞コラム【大自在】より

9年前、カナダの高校で、桃色のポロシャツを着て登校した男子生徒が「同性愛者」とからかわれ暴行を伴ういじめを受ける事件がありました。それを知った2人の高校生が桃色のTシャツを50枚買いこみ、みんなで着て登校しようと呼び掛けました。その翌朝、多くの生徒が桃色の服や小物と自ら身に着けて登校したようです。

いじめへの抗議と傍観者にならない意思を示す行動としてカナダ全土に共感を呼び、それが世界に広がり、ピンクシャツデーといういじめ反対運動に発展していったのです。

一つの行動が社会全体を動かす大きな動きに繋がっていく。
それは上記のエピソードが多くの人々の感情に訴える力を持っていたからでしょう。

最近、僕は行動経済学者ダン・アリエリーさんの記事や動画をいくつか見ました。

人の経済行動は感情の影響を大きく受けています。行動経済学はそれを様々なデータを通して示しています。たとえば「行動経済学から学ぶファンドレイジング」では、5つのトピックをピックアップしていました。以下、簡単にまとめてみますね。


1、人は決定の際に「デフォルト(何もしないでいい初期の設定)」を選ぶ。

(例)ピザの注文

① 生地にのせるトッピングをリストから選ぶ

② 全部のっている前提のピザから、いらないものをクリックして取り除く

→②の方がトッピングの多いピザが注文される。※デフォルトでトッピングされているため。


2、人は周囲に同調する

(例)ホテルの宿泊客にタオルの再利用を促す時、以下の札をおいた場合の実験結果。

① 環境保護のためにタオルを再利用して下さい。 → あまり効果なし

② このホテルの75%の人がタオルを再利用しています。 → 再利用率 20%アップ。

③ この部屋に泊まったお客様の75%が・・・ → 再利用率 35%アップ。



3、行動を決定するのは感情


1)問題が大きく長期化すると関心が小さくなる

(例)ハリケーン・カトリーナや911テロの寄付の方が、エイズやマラリアに対する寄付より多い。


2)物事を統計的にとらえると感情のスイッチが切れる

(例)貧困に対する募金

① アフリカのロキアという名前の子どもの生活が困窮している話をする

② アフリカの貧困問題(統計資料)の話をする

→①の方が、寄付金額が2倍となる。

→①と②両方の話をすると、寄付金額は②よりは多くなるが、①には及ばない。


4、心の中にはいくつか「財布」がある

人の心には「心の会計」と呼べるような、用途ごとに別々の財布がある。

(例)① ローンを抱えている人は貯金が貯まってもなかなかローンの返済には回さない。

(例)② いきつけのカフェが出来ると毎日悩まずにコーヒーを買い続ける。


5、「無料」の魔力

無料が1ドルになった時の不愉快さは、5ドルが6ドルになる時より大きい。


こんなふうに事例を並べると、なるほどと感心させられます。

今、木の花ファミリーでは1ヶ月間の真学校が開催中です。そして僕は、その中で経済の講座を担当することになって、それはピンクシャツデーの今日行われます。その場で行動経済学について話すことを検討しましたが、とりあえず保留にしています。その理由について書いてみようと思います。

感情に訴えかけると一つのムーブメントを生み出すことが出来ます。
そしてそれはピンクシャツデーのように社会を動かす力ともなります。
行動経済学の知識はこんな動きを生み出そうとする時、参考になることでしょう。

ですが、ムーブメントは人間性を変えることはありません。
そして、社会も本質的には変わらないのではないかと思っています。

感動的なエピソードに心が動き行動していく。そんな人々が社会を変えていく。

それはそれで社会に対する大切な働きかけなのだと思います。
ですが、感動した動いた人々はいつまでその心を持続させていられるのでしょうか?
彼らは自分の日常生活に戻った時、その生活はどのようなものなのでしょうか?
必ずしも調和したものではなく、だからこそ世界は変わらないのではないでしょうか?

例えば、キング牧師を中心にした公民権運動は、公民権法の制定に繋がり、アメリカには法の下では人種差別はなくなっています。それは確かに黒人の権利を向上させたのだと思います。ですが、現在でも人種差別的感情を元にした暴力事件や冤罪事件は数多く起きています。

一時の感動に基づいて行動を起こす。

それは感情に支配されている状態とも言えて、別の場面ではその感情が社会に混乱をもたらしているのです。ムーブメントは法律などを生み出しことは出来ますが、それは人々の人間性を変えません。そして、差別や対立などの問題は続いていくのだと思います。

結局は一人一人の人間性が今の社会を生み出しているのです。
なので、真の変化を求めるならば、人間性を向上させる必要があるのです。
それは自らの感情を超えていく取り組みです。

天然循環経済学の誕生!に書いているように、木の花ファミリーの暮らしは天然循環法に基づいて営まれています。天然循環という視点で生活のすべてを貫くことにより、実践から学び、学びをそのまま実践に繋げていきます。それはこの世界の本質である変化をもたらし続けるのです。

経済も同様です。

生活の中から理論を生み出し、理論を生活に繋げていく。
その繰り返しの中で、世界が変化し、自分が変化していくのです。

木の花ファミリーの経済はそんな経済です。

その営みは自分を知り、自分を手放していく心磨きを基本とします。

ここで環境と響き合って変化していくの中で1ヶ月の真学校についていさどんが語っている言葉を引用します。

☆彡 ☆彡 ☆彡

問題が生じている時、問題のないところにいって、みんなで幸せになろうとする。
それは良いことに聴こえるかもしれませんが、とても薄っぺらな話しです。
みんなで幸せになろうとする時、
幸せになるべき人間性があって初めて幸せになるのではないでしょうか?
人間性が高まらない状態で幸せを求めることが社会に何をもたらすのか?
そのことに想いを巡らせてみて下さい。

問題がある時、ただ解決策だけを求める。
それは新しい発想だけ貰って楽になろうとしている姿勢です。
その姿勢が人々を現実から引き離し停滞を生み出しているのではないでしょうか?
そこからは結局新しい発想も生まれないのです。

新しい発想は自分を放棄した時初めて生まれるものです。

- 中略 -

人は常日頃当たり前のように思考を組み立てています。
その思考は自分の枠内にあります。
知識として取り入れたものはその枠を超えることはありません。
ですが、自分の思考の背後にはこの時代の意志や物語があり、
自分がここにいる意味があるのです。

心を開くことにより、そういうものを織り交ぜて生きていく状態に変わっていく。

それは人間として生きる姿勢の変化であり、真学校の目指すところなのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

真学校は正解や解決策となる知識を提供する場ではありません。
そこで提供する知識は世界や自分を見るための題材であり、
それを通して自分を知り変化していくことが目的となります。

そしてそれは僕自身にとっても同様で、経済という話題を通して、
その場の展開に心を開くことで自分を知り変化していくだけなのです。

講師を共に担当するいさどん、そして他のメンバーや受講生。
みんなに心を開いていく。
経済の話題を通してみんなと響きあって変化していく。

その姿勢がみんなと一緒にみんなの経済を生み出し続けるのだと思います。

さて、どんな時間になるか?

とっても楽しみです(^-^)


1ヶ月の真学校受講生のみんなです。




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予測不能の一本道を進む

とうとう一ヵ月間の真学校がスタートしました(^-^)
初日の昨日は、スタッフや講師と参加者で自己紹介の時間を持ちました。
僕は経済の講師としてこの時間に参加しました。

自己紹介は以下の4つの質問に答える形でしました。

1、ニックネーム

  なかのん

2、好きな食べ物

  かぼちゃ。
  
  子どもの頃、一番嫌いだった食べ物が今は一番好きになっています。
  人は変化するということ。

3、自分を一言で表すと・・・

  金庫。

  僕は木の花ファミリーに移住した時、
  ただ顔が四角いから・・・という理由だけで金庫番(経理担当)となりました。
  
4、真学校に期待すること

  ありのまま。

  今、社会では様々な混乱が起きていますが、
  それらは人々が別の人間になろうとして起きているように思えます。
  そして、いつの間にか本当の自分が分からなくなっていきます。
  ありのままの自分でいたら、天が自分を生かしてくれます。
  だから、ただ自分を知り、自分を認めて生きていけばいいのです。
  真学校を通して、そんな自己認識を深めていこうと思っています。

僕の自己紹介はこんな感じです。

ちなみにいさどんは「自分を一言で表すと・・・」という質問に対して、

予測不能の一本道を進む人

というようなことを言っていました。

そうだよなと思いました。

心の道は一本道。

だけれども、それは頭で考えることではなく、天からいただくもの。
自分の想像をはるかに超えるものなのです。

一人一人にオリジナルの一本道がある。

そしてそれは予測不能。

真学校を通して、みんなと一緒にそれぞれの一本道を楽しめたらいいなと思いました。

  
1ヶ月の真学校初日。みんなで撮った写真です。

※真学校に臨む心構えについては以下の2つのブログに書いています。
 良かったら読んでみて下さいね。

  環境と響き合って変化していく

  宇宙に光をさしていく。

そして、以下のサイトではこれから日々のレポートが発信されていきます。
是非是非、毎日チェックしてみて下さいね。

一ヵ月間の真学校@木の花ファミリー












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鬼は内、すると心がきれいになって福が来る。

昨日は節分。木の花ファミリーでは、『富士浅間木の花祭り』で使ったお飾りやご聖水をお返しする火の御用・水の御用を行いました。

鬼の心を育む や みんなの真ん中で生きていく で書いているように、鬼は人に道理を伝えてくれる存在であり、鬼が怒っているのは、相手の心が汚れているからなのです。木の花祭りでは、そんな鬼が主役となっています。

昨晩、いさどんと小学校1年生のれいくんとなりくんは以下のような会話をしました。


木の花祭りでのれいくん。

☆彡 ☆彡 ☆彡


いさどん:(木の花祭りで鬼を演じたれいくんに向って)おい、鬼。鬼。鬼は外。おかしいだろ?この言葉。

れいくん:おかしい。

いさどん:何がおかしい?

れいくん:鬼は神さまなのに追い出しちゃう。

いさどん:おかしいだろ?でもみんなそういうことを言う。ということはみんな変なんだよ。そうだろ?

子どもたち:うん。

いさどん:鬼がどうして恐いかと言ったら、人間が悪いことをするから、「こらー」って言うんだよ。みんなも悪いことをすると「こらー」と言ってもらう。そう言って貰わないと間違えちゃう。それを自分が悪いことをしているのに「こらー」と言ってくる鬼を悪いやつだと言って追い出すってことは、わがままばかりしようとしているんだよ、みんな。

なりくん:鬼は内、福も内だよね。

なりくん
れいくん:鬼は内。福は外。

いさどん:福は外???違うよ() 鬼は内として、そうするとみんな心がきれいになって、福が来る。そうだろ?学校でみんなに話してやったか?


なりくん:うん、僕とひみちゃんで友達みんなに話していったよ。

☆彡 ☆彡 ☆彡

鬼は外、福は内。

これはご利益を求める気持ちから出る言葉で、人々は自分に都合の良い福を求めます。
ですが、福を求めても大抵は叶いません。それは自分を顧みることがないからです。
それでも都合の良い福を求め続けることが、
この世界に混乱をもたらしているのではないでしょうか?

昨日、プロ野球選手の清原和博が覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕されました。
清原は昨年3月、NHKの取材に対して以下のように語っていたようです。(NHKニュースより)

☆彡 ☆彡 ☆彡

「引退したあと、自分の気持ちをコントロールするのがすごく難しかった。9歳から30年以上ずっと野球のことばかり考えてきて、野球選手としての清原和博が終わった時に、俺はどうしたらいいのかと思うようになった。最後は膝の故障で納得して辞めたが、引退後は1日をどう過ごしていいのかが分からなくなった。野球選手としては悔いがなかったが、引退後は心に穴が開いた感じだった」

「僕自身は弱い人間です。高校1年の時に、野球を見るとおなかがいたくなったりとか、小さい時は人見知りが激しくてお母さんの後ろに隠れたりしているような感じだった。それなのに、岸和田の清原が甲子園でいきなり全国区の清原になり戸惑いがあった。世間が清原を見るのは常に拳を振り上げているイメージ。だけど本当は、怖く見せてバリアを張るのに必死だった」

「現役時代は、どんなにファンやマスコミから悪く言われようとホームランを1発打てばすべてが挽回できた。バット一振りでなんでもできる世界だったから。ただ、引退してしまうと、いろんなことでネガティブに見られても、それを挽回する方法がない。清原和博という名前を恨んだこともあった。この名前がずっとついて回ってきて、何をやっても何か言われる。この名前を背負っていくことが嫌だった」

「野球というものがなくなり何も戦うことがなくなって、大量にお酒を飲んでしまったり、家族に会う時間もないほど荒れていた。今は、離婚して子どもともあまり会えなくなり、野球の仕事がなくなって、何もすることがない。この部屋にいて天井を見ているだけです」

☆彡 ☆彡 ☆彡

多くの人々があこがれる野球のスター選手だった清原。
それは求める福が叶った状態とも言えます。
ですが、内面は苦しみを抱えていたことが伺えます。

そして、スター選手の陰には多くの挫折した人々の存在があるのです。

人間性の伴わない幸運。それが人々や社会に何をもたらすのか?
スターを求める人々の心理が清原の状態を生み出したとも言えるのです。
清原の存在はまさに時代を象徴しているように思えました。

鬼を内にいれて、自らを正し、その結果、福が来る。

そんなふうに生きる時、ずっと幸せに過ごすこと出来るのです。

鬼は外、福は内。

それは大切なものが逆さまになった言葉です。

だから苦しみが生まれ続ける。

今、世の中がひっくり返る時が来ています。


艮の金神さまです。








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みんなの真ん中で生きていく

1月30日は富士浅間木の花祭りが行われました。今年で4回目の開催です。

昨年の木の花祭りでは、思い切り踊った後疲れ果て、
その2日後インフルエンザに掛かってしまったのですが(「病をいただく」を参照)、
今年はそれほど疲れを残さず翌日も普通に起きていつものように仕事をしました。

昨年の10月からほぼ毎日、坂道を30分ぐらい散歩して、
カタカムナの5首6首を取り入れた「クニツクリ奏上」をしていました。
事前の練習も重ねていたので、心も身体も準備が出来ていたのだろなと思います。

鬼の心を育む」に書いているように、木の花祭りで僕は鬼の役割をいただいています。

「金神の舞」です。
鬼はこの世界の道理を伝える存在であり、木の花祭りでは主役となっています。
鬼が怒っているのは、相手の心が汚れているからであり、鬼はそれを教えてくれているのです。
日々の生活の中で湧き上がる自分優先の心や気持ち、余計な感情。
自らが鬼になることによりそれらと向き合い当日を迎えました。

鬼の舞ではアップテンポで舞い踊るシーンがあるのですが、
頭を空っぽにして身体の力を抜いて、太鼓や笛の音、
みんなの掛け声に身を委ねると楽に動くことが出来ます。
それがただただ心地よいのです。

ずっと動き続けることが出来る。

そんなふうに思えました。

ところで、僕は昨日、ある人から以下のメッセージをいただきました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この世界に降りてくる前に、神さまはあなたに3つの名前を用意していました。
3つの中で真ん中にあったものが「善文」であなたはそれを選んできたのです。
それは正解でした。

善悪の善。善が先に来ます。だけれども少し間違えると悪にもなります。
そのことを心に留めておくことです。

そして、あなたは「中野」の性を選んで両親のところに来ました。
真ん中の「中」。そして野原の「野」。山ではなく広く広がる野原なのです。

みんなの中の「なかのん」

みんなの真ん中でしっかりと固めていくのです。

中(なか)を守るのです。

でも目立つ必要はないのです。
目立つのではなく深く深く沈みこんでいく。
奥で自分を広げて固めていくのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

僕はずっとどちらかというと端っこにいることを好んで来ました。
あんまり自分が真ん中にいるという意識を持ったことはありません。
その意識を転換させる時が来ているのだなと感じています。

真善美を兼ね備えた人間になっていく。
その誓いとして真ん中の字をとって「善(よし)」と付け、
そして卯年の守り本尊である文殊菩薩から字をいただき「文(ふみ)」と付ける。
※僕は卯年生まれです。

これは僕が勝手に創っていた名前の由来ですが、
「善」は真善美の真ん中の字となっているのです。

僕はみんなの真ん中を生きる。

でもそれは目立つことでも際立つことでもなく、みんなの中に溶けていくことなのだと思います。
目立とうとすると、きっとすぐに偽悪醜の方へと転げ落ちていくことでしょう。

鬼の舞にて、太鼓や笛、みんなの掛け声と溶け合っていったように、
日々、みんなの心の中で溶け合っていくことが大切なのだと思います。

溶けていく。その中で天と繋がり柱も立てていく。

これからそんなふうに変化していきます。

木の花祭りでは茂吉鬼も演じ、
湯葢(ゆぶた)にある”お宝”が詰まった「蜂の巣」を払い落しましたが、
子どもたちに囲まれて、真ん中でみんなと溶け合っていくことが出来ました。
みんなが茂吉鬼を演じる僕を活かしてくれたのです。

そしてそのことが僕を変化させます。

「茂吉鬼」です。老眼のため眼鏡を貸して貰いました。


こちらも「茂吉鬼」。もう少しで蜂の巣が落とせそうです。


カタカムナの6首には「ユエヌオヲ」という節があります。

「ゆ」れて、「え」み割れて、「ぬ」れていく。

その結果、「お」=この世界全体に広がり、「を」=不必要なものをそぎ落としていく。

それはまさに木の花祭りを表しています。

みんなで舞い踊り、揺(ゆ)れ動き、みんなが微笑(え)んでいく。
そんな中、神仏が宿る湯釜の蒸気が会場を濡(ぬ)らしていきます。

それは人々の心を宇宙のへりまで広げ(=「お」)、余分なものをそぎ落としていくのです(=「を」)。

そして、それが日常へと繋がり毎日が祭りとなっていきます。

みんなの真ん中で常に揺れ動き、微笑み、濡れていく。

そして変わっていく。何も固定させずに。

頭を空っぽにして。

ただただこの道を歩みます(^-^)

そして、それは木の花祭りも同様です。

この世界の真ん中で揺れ動き、笑みを提供し、濡らしていく。
それが宇宙のへりまで広がり、余分なものをそぎ落としていく。

その繰り返しの中で世界を反映しながら変化していくのです。

うれし たのし のよろこびをもたらしながら。

頭を空っぽにして。

世界と溶け合って。

祭りのクライマックス「湯ばやし」の様子です。








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