プロセスを楽しむ

いさどんのいただきます人生死の向こうまで伴える価値を積み上げていく」でも紹介されていますが、大町に出張した時、僕はいさどんと裁判についての話をしました。以下、その部分を引用しますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡

彼がまだメンバーだったとき、
交通事故を起こしたでしょ。

その裁判の際、
弁護士を相手にどういうふうに付き合っていくのか。

それから、
弁護士の精神状態だけではなく、
被害者の性質を読み解きながら、
どうやって裁判を進めていくのかという
アドバイスをしていたんだよ。

結論としては、
こちらにとって特別有利に話を進めようとは思っていなかったけれど、
向こうのわがままに乗ってはいけないからね。

そういった正義感も持ちながら、
弁護士がついたからといって向こうの思うままにならないという意味では、
弁護士の精神状態も読みながら話を進めていったんだよ。

最終的にどこに結論が行くのかについては
裁判所が決めることだけどね。

そして、
結果的に当初の話の5%をこちらが勝ち取ったのだけど、
そういったお金の話が一番大切なのではなく、
人と交渉するときの交渉術を大事な学びとして彼には教えてあげたんだよ。

でも、
そういった学びを生かすことなく、
彼はここを離れていった。

結局、
根本の大事を忘れず求めるこころがないとダメだね。

彼は母親に対して、
まったく自己主張ができないのだから。

もし、
学びを生かせていたとしたら、
ここを離れていったときの
あの傲慢な態度はないはずだよ。

結局、
彼からしたらあの裁判は、
単なる数字だけの話になっていたのだろう。

でも場合によってはね、
今ちょっとばかり良い思いをするよりも、
たとえば余分に払ったとしても
それが将来の価値に対する種まきになることもあるんだよ。

つまり、
そういった波動を未来にもたらしているのだからね。

大切なことは、
そこが読み解けるかどうかだよ。

正確に言うと、
読み解くのではなく、
本能みたいなものだよ。

そのときに、
あせってすぐに結論を出そうとすると、
冷静さに欠いているから、
情報を正しく精査できなくなる。

さらに
損得勘定から「損をしてはいけない!」という思惑が働きすぎると、
そういった直観は鈍ってしまうね。

だから、
何かプラスアルファか感じ取れる状態でいることが
大切なんだよ!


☆彡 ☆彡 ☆彡

この文章にはいさどんの生きる姿勢が現れていて、一つ一つの出来事に筋道を通しているのです。そして、それがこの道(未知)を歩み、世の為人の為に生きるいさどんの実践になっているのです。

例えば最近、いさどんは古い友人にお金を貸しました。その友人にはだらしがないところがあり、お金が返ってくる保障はありませんでした。それでもいさどんは敢えてお金を貸したのです。そして今、約束の期限を過ぎていますが、お金は返って来ていません。

お金を貸す時、いさどんはこう思ったそうです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

もしお金が返ってくるならば、友人はけじめをつけられるのだから、それはそれでいい。でも、お金が返ってこない場合、その友人の姿勢は正す必要がある。お金を貸している自分の話には耳を傾けるだろうから、友人に「大事」を伝える機会に出来る。

☆彡 ☆彡 ☆彡

そして今、いさどんは実際、その友人に大切な話を伝えているのです。

貸したお金が返ってこない。

それを表面的に捉えると悪いことが起きているように見えるかもしれません。
ですが、奥にある心を見るとこんなに暖かな世界が展開されるのです。

同じ結果でもそこに至るプロセスが違うとまったく違う世界が展開されます。
そして、今、結果に見えることも、現在を切り取って見るからそう見えるだけで、それもプロセスの一部なのです。いさどんの友人が今後どうなるかは誰にも分らないことでしょう。

結果ではなくプロセスを大切にする。

そんなふうに意識転換を出来ると、日々の生活がとても豊かになるのです。

そして、この時大切なのは天意に気持ちを向けることであり、それをいただく心です。

大町出張の際、いさどんは以下のような話もしてくれました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

人智ばかりでやっていると流れは創ってもらえない。

天を読みながら人智をやっていく。
そうすると天が喜び、流れが生み出されていく。

だから上(天)を見ながら考えていくことが大切で、僕も昔はそうやっていた。

でも今は、上を見なくても天意がところどころに挟まってくるようになった。

実は、「どうですか?」と天に伺うことにも「良くなって欲しい」という思惑が加わってしまう。
だからそれも手放す必要がある。

そもそも僕らは宇宙を生きている。だから人間の考えも宇宙の法則の中にある。
人間の考えが優先すると天の側から外れるから滞るけれども、それも天意。
そうやって宇宙は調整している。

それを仕分けする位置に立ち、客観性を持って、情報としてそれを掴んでいく。
これが出来ると達人の領域だね。

※この会話と同じ内容が、いさどんのいただきます人生「ヒト(十)のヒビキ♪」でも紹介されています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この生き方は人間的価値を超えて、宇宙の本質を生きていく道です。
そのために自分を見てその自分を超えていくのです。

上記の話に続けて、いさどんは以下のように話します。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自分を見て、自分を分かれば分かるほど、精度高く見るようになっていく。
分からない人間は出来ていると思いがち。
分かれば分かるほど、人は「まだまだ」と思う。
そしてその「まだまだ」という心が人を創っていくんだよ。
分からない人はもう出来たと思うから、全然心を磨かず失敗を繰り返しドツボにはまっていく。

「まだまだ」と思いながら高いプライドを持つ。それを同時進行していくことが大切なんだよ。

☆彡 ☆彡 ☆彡

「まだまだ」という想いが成長への希望となっていきます。

希望を持って、僕はすべての出来事をプロセスとして楽しみ、そこに自分を表現していきます。
そしていさどんのように一つ一つの出来事に筋道を通せるように心がけます。


6月27日「恵みいただきます」の写真です。こんなみんなと毎日を楽しんでいます。



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そこにある違いを知る

先日、僕といさどんは所用で大町へ出掛けました。車中では様々なことを話しとても学びが多く楽しい時間となりました。『天に想いを返す』はこの車中での会話を元に作成したものです。
そして同じく車中会話を元に作成した文章が、ようこちゃんのブログ、いさどんのいただきます人生『死の向こうまで伴える価値を積み上げていく』として掲載されています。

この2つの文章は昨日の大人ミーティングでみんなにシェアされました。この2つの文章が同じ日にシェアされることで、その違いがとても明確になったと思っています。そこには大きな違いがあるのです。

長期滞在をしているきたじゅんは2週間ぐらい前からずっと日記をシェアしようとしていました。ですが、タイミングが合わずにいたのです。そこにはみんなにシェアすることに対する迷いもあったようです。昨日、そのきたじゅんが決心を固めて日記をシェアしたのです。

そこには「自らに勝利すること」の大切さが書かれており、きたじゅんの決心が現れていました。そのきたじゅんに対して、みんなから想いを伝え、とても良い場になっていきました。そして、最後にようこちゃんのブログが読まれてその時間が終わりました。

ようこちゃんが書いたブログは、人生の勝利者としての姿勢が描かれていて、それがきたじゅんのシェアとリンクし、その時間をまとめるものとなったのです。

それはこんな言葉で締めくくられています。


☆彡 ☆彡 ☆彡

死の向こうまで理解するものたちが生きているからこそ、
死の向こうまで伴える価値を積み上げていくことができる。

それが人生の勝利者であり、
道を目指すものにとって
一番大切なことだと思うんだよ。


☆彡 ☆彡 ☆彡


僕はこのブログを読んだ時、その内容にまず感動しました。このブログの内容はただテープ起こしをしただけでなく、ようこちゃんが上手にまとめることで生まれています。本当に上手にまとめてくれているなと思いました。そして、さらにこのブログが発表されたタイミングに感動しました。

きたじゅんの日記の内容も、それがシェアされることも知らないようこちゃんが、まるでそれに合わせたようにブログを作成し発表しているのです。そこに大きな流れを感じます。

一方で僕が書いたブログは、僕のブログを話題にしており、自分の成長が焦点になっていました。そして、それが発表されるタイミングも昨日である必要性は何もありませんでした。ただ、一つの学びをシェアしただけです。

ようこちゃんのブログと僕のブログ。ここにはとても大きな違いがあります。

ようこちゃんのブログの中で僕は以下のように語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

人はなかなかそこ(学びの位置)に行かないですよね。

ついつい、
結果を求める発想になってしまい、
結果がこうだから良かった・悪かったとなってしまうのです。

そのプロセスをしっかりと観ていって、
そこを味わっていき、
そしてそこから学んでいくことが大切ですよね。

当たり前の日常の中に、
たくさんの学びが詰まっているんですよね


☆彡 ☆彡 ☆彡

当たり前の日常の中にたくさん詰まっている学び。

僕とようこちゃんのブログの違いがまさにそうだなと思いました。

自分の学びをシェアしている僕と、全体にとって必要な学びを提供しているようこちゃん。

それはお互いの立ち位置の違いによって生じているのだと思えました。
ようこちゃんは僕より高い位置にいて、だから自然と流れを掴み、流れに沿うことが出来るのです。

すごい!と思った。

僕のブログはそのまま僕自身を表していて、それがようこちゃんのブログのお蔭で鮮明になっているのです。まだまだ足りない自分を知り、同時に目標も示されているのです。

そして今、目標に掲げたようこちゃんも歩みの途上にあるわけで、目標は結果として固定されたものではなく、すべてはプロセスの中にあるのです。

この世界は本当に深い!

この道(未知)を歩むことはその深みを極めていくこと。

だから僕は歩み続けます。


出張した日の大町での昼食。こんな日常の奥に豊かで深い世界が溢れています。




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天に想いを返す

「僕は望み、願い、求め、喜び、苦しみ、怒り、痛み、考え生きていく」を読んだいさどんと以下のような会話をしました。



☆彡 ☆彡 ☆彡

宇宙おじさん(いさどん)
いさどん

 あの文章は評価を期待して書いたように思える。自分の体験からそのままするっと流れるように出てきた文章ではなくて、評価されようとして自分の持っている知識を組み立てた文章。でも、その評価から生まれるものは、逆にそんなものを評価してやるものかというものも生み出す。なるほど、と思う人もいるかもしれないが、そんなに大事にするものでもない。作っているものと自然に湧いてきたものの違い。あの文章はただの知識で生きたものではない。例えば、さちよ郷子ちゃん和子ちゃんの文章は、人の変化が現れていて、本当に生きた文章と言える。なかのんの文章は、まったく変化していないなかのんがただ一つのきっかけを利用して組み立てただけ。

なかのん

 自分としてはああいうふうに生きていこうという決心でもあったんだけれども・・・・

いさどん

 僕はこういうつもりだったと言うなら、それはそれでいいが、例えば、今、自分がこういう状態で生きている。その状態を突破したいと思っているならば、自分を突破する必要がある。その時に、自分はこう思うということを優先するのか?自分には見えないけれども人から見えるものを優先するのか?もし自分を突破したいならば後者だよ。

なかのん

 その通りだと思う。要は、僕は変わっていないということだよね。

いさどん

 いや、変わっているとか変わらないとかではなく、ただ癖が現れている。なかのんの文章には癖が出ていない時もある。

なかのん

 だから、心の状態が現れているということだね。

いさどん

 そういうのを自分で嗅ぐわけることが大切。

なかのん

 いや、僕の中ではあの文章は良く書けたなと思ったんですよね。その感覚が・・・曲者だなと。

いさどん

 そう、その書けたなというところに自我で出ていたんだよ。それが曲者。
要は自分のことでも人のことのように見える客観性と冷静さがあることが大切。
良いと思うことが曲者。その良いというのがどういう意味で良いのかを吟味する必要がある。

☆彡 ☆彡 ☆彡


思い返すと、「僕は望み・・・」を書いた時、僕は自分の成長の姿を思い描き、そしてそのレールの元に成長していこうとしていました。こういう時は、僕の自我(エゴ)は強くなっているのです。今までもそういうことはあったのですが、チェック出来ていなかったのですね。

想いは持ち続けるものではなくて、想いが湧いたら天に返していく。
それで想いがなくなるなら、それでいいし、大切な想いならば、湧き続けてくるでしょう。

それが基本姿勢で想いに執着していてはいけないのです。

そんな中、現象から自分を知り、学んでいく。

ただそれだけなのですよね。

僕はそんな毎日を楽しんでいます。



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僕は望み、願い、求め、喜び、苦しみ、怒り、痛み、考え生きていく。

「ブラックバイトで学生生活が破たん」というニュース記事を観ました。

低賃金で正規労働者並みの義務やノルマが課せられる。
異常な長時間労働を強いられる。

そんな状態にあるにも関わらず、辞めることが出来ず学業に支障をきたしている学生がいて、それが社会問題になっているようです。そして、『ブラック企業経営者の本音』(扶桑社新書)の書評を見ると経営者は意図的に学生をはじめとする従業員をそのような状態に陥れているようです。

こんなニュースを観ると、「怒りで世界を平和にする方法」でのカイラシュさんの言葉、

ノーベル平和賞受賞者として奨励します。皆さん怒ってください。一番怒っている人が、その怒りをアイデア・そして行動へと変貌させられる人なのです。

がより力強いメッセージとして感じられるようになります。

「余裕がほとばしり出るような徳に積み方(後編)」で、僕はカイラシュさんのスピーチに触発されて、余裕から生まれる思いやりが怒りを偉大なパワーに変貌させると書きました。あわちゃんは、「余裕」というブログ記事の中で、「余裕」とは「客観性」であり、「世界観を広げながら自らを壊していくことから生まれる」と書いています。

そして、今日、お風呂の中で、あわちゃんと話している時、余裕とは覚悟なのだと確認しました。

何があっても受け入れる。
どんな自分も受け入れる。
何があってもこの道(未知)を歩んでいく。

そんな覚悟があれば、どんなことがあっても平静さを保っていることが出来ます。
そして周りの反応を気にせずに沸いてきたものを表現することが出来るでしょう。

僕は今日、一つ失敗に気づきました。

自動車の任意保険(フリート契約)からすでに廃車されている自動車を抜き忘れていたのです。
およそ24,000円無駄なお金を支払っていたことになります。
木の花ファミリーの暮らしでは、24,000円は大人1人1ヶ月分の生活費です。
それはとても大きな金額です。 

気づいた瞬間受け入れがたい気持ちが生じました。
でも、こんな失敗をするのが僕なのです。

今後の対策などいろいろアイデアはありますが、
何より大切なのは、この失敗が僕に痛みを与えてくれたことでしょう。

この痛みを感じながら、覚悟を深めていく。それが余裕に繋がるのだと思っています。

自分を離れ、広い世界観に立った時、怒りがアイデア、そして行動へ変貌していくように、痛みもアイデア、そして行動へと変貌させることが出来るのです。

冒頭で紹介した学生たちは、怒りや痛みが麻痺してしまっているのでしょうか?
なぜそんな状態になってしまっているのでしょうか?

みかちゃんの最新ブログ「あなたは、どんな地球を作りますか?」には以下のような記述があります。

影の権力機構、というものがあるようで、
長い歴史の中で、人間を馬鹿にしていく仕組みを作った。
つまり、人々をコントロールしやすいように
自分で考えないように、脳みそをつるつるにしておく事で
地球を支配しようという企み。

私たちは長い間、考えないように、自己責任をとらないように
洗脳されてきている。

メデイアは、この影の権力機構の支配下にあり、情報は操作され
洗脳の手段となって来た。
「娯楽、セックス、スポーツ、食」に興味が行くよう
人間の欲望を刺激し続け
私たちは、大切な事を考えないように仕向けられ、
人間たちは、見事にその企みに、はまっていった。

実際あの手この手で、心身共に弱体化していくよう、
念入りに仕組まれている。
みんな見事にコマーシャルに洗脳され
消費している。

お金も、食も、性も、みんなその支配下にある。

ブラックバイトの事例をみると、まさに上記のような現実が見えてくるように感じました。
今、一人一人が自らの意志が考え行動していくことが大切なのです。
そして、心の中にある「支配するー支配される」関係を超えて、みんなが独立した世界を創っていくのです。今、時代はそんな時代になっています。

「願いから自由になるために生まれてきた」僕は、ずっと望んでいたことがあったのですが、心を麻痺させることで、その願いから目を背けていたことに気づきました。普段、意識していなくても、その願いはあり続けて、僕は自由ではなかったのです。

だから僕は、その願いをとことん追求することにしました。今の自分はまだまだ囚われているのだから、だからその囚われを、そのまま表現し、学びを深めていくことにしました。

この世界にあるきれいごと。

それが心を麻痺させて、そして、脳みそをつるんつるんにしておくこともあるのではないのでしょうか?

きれいごとなんていらないのです。

降りてくる言葉と湧いてくるエネルギー。

僕は望み、願い、求め、喜び、苦しみ、怒り、痛み、考え生きていく。

このちっぽけな自分で、僕はすべての出来事を天の意志として受け入れ生きていきます。




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余裕がほとばしり出るような徳の積み方(後編)

余裕がほとばしり出るような徳の積み方(前編)』の話に続けていさどんは僕に以下のように語りました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

なかのんは真面目で一生懸命やっているが、もう少しそこに余裕があると、あの人は本当に徳を積んでいるねということなんだけど、一生懸命「この道だぁぁぁ」とやっていると、そこに余裕がないと、何とか一生懸命気合いを入れてそこを保っているという状態。

余裕がほとばしり出るような徳の積み方というものがある。

☆彡 ☆彡 ☆彡

余裕がほとばしり出るような徳の積み方。

徳を積んでいく時に「余裕」というものがとても大切になるようです。

そんなことを思っている時、ACE白木さんのFacebookページでノーベル平和賞受賞者カイラシュ・サティヤルティさんのスピーチ「怒りで世界に平和をもたらす方法」を見つけました。(ACEと僕との関係は、「不寛容な心と向き合う」をお読みください。)

カイラシュさんは、経済的理由で学校を去らなければならない友人、売春宿に売り飛ばされる奴隷の娘、カースト最下層の不可触民に対する差別や政治家の欺瞞などに触れて憤りを感じて来ました。そして、その怒りからアイデアを生み出し行動に繋げていったのです。そのカイラシュさんは、スピーチの中で以下のように語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

エゴと利己心が渦巻く小さな殻の中に閉じこもっていると、怒りは憎しみ、暴力、復習、破壊に変わっていきます。でもその悪循環を断ち切ることが出来れば、その怒りを偉大なパワーに変貌させることが出来るのです。誰もが持つ思いやりで、この循環を断ち切れば この世界をよくするため思いやりを持って世界と繋がることが出来るのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

思いやりが怒りを偉大なパワーに変貌させます。
そして、その思いやりは余裕から生まれるのではないかと思いました。

ところで、いさどんは冒頭の言葉に続けて、周りにいる人たちのオデコをペンと軽く叩きました。
そして、僕にこう語りました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

例えば、なかのんが同じ行動をしたら、どうなるか?
なかのんは狂ったと思うかもしれない。
それは日頃の行動で創っているものを変えていくということ。
別にこれをしろとは言わないけれども、新しい行動で常に自分壊しをしていくことだよ。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この話を聴いていたあきちゃんは、僕の人格を変化させることは良いと思う。僕に気になるところがあると言いました。あきちゃんが電話をして僕にお願いごとをすると、すごく低姿勢で「はい」を3回は言うそうです。

そんな僕に対して、周りにいた人たちが電話応答のアイデアを出します。


 そんなもの出来る時にしか出来ねぇよ。

 わかったよ。やっとくよ。じゃあな。

 なにくれる?


色々な言葉の後、結局、真似することなくなかのん流の変化をしていくことが大切とアドバイスをされました。


そして、その翌日、さっそくあきちゃんから電話があったのですが、僕は「はい」と応じていました。まずはそんな自分に気づきました。そして、次に電話が来たら、「遊ぼう!」と思いました。
そんなふうに思っていると、またあきちゃんから電話がありました。

・・・が、またまた「はい」と応答している自分がいました。そんな自分がおかしくなり笑ってしまいましたが、もう一歩進める必要があるなぁと思いました。

そして、その日の大人ミーティング

理屈ばかりの言葉が続き、停滞している感じになっている時、

手を叩いて、 今、天からメッセージが降りて来ました。

と突然語りだそうと思ったのですが、自分を超えられずに結局出来ませんでした。

まだまだですね(-_-)ノシ・・・ハァ・・・


これは自分を離れ自分で遊ぶことだと思うのです。
そんな余裕が大切なのだと思います。
そんな余裕があると、怒りが生じた時も、それに翻弄されずに偉大なパワーに変わっていくでしょう。

日頃の遊び心が世界平和に繋がっていくのしょう。

もっともっと遊びたいと思います。

滑り台で遊ぶ木の花の子ともたち。同じ気持ちで人生を楽しもうと思います。










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希望の光となるように。

19世紀、転換性障害(転換性ヒステリー)を患う女性の症例が多く観られました。それが20世紀に入って、女性が社会進出をするに伴って減少したという話を聴いたことがあります。

これは多くの女性が時代の流れを受けて、そのメッセージを身体で現わしていたと言えます。

今、ニートや引きこもり、鬱などが社会問題となっていますが、これらも時代のメッセージを現わしているのではないのでしょうか?


6月10日から木の花ファミリーでは、あわちゃん主催の希望の光プロジェクトが開催されています。

このイベントは、ニート・引きこもりも鬱も希望の光と銘打って開催されました。上記のように時代のメッセージを受けているニートや引きこもり、鬱の人々ですが、多くは時代の流れに無自覚に翻弄されている状態です。そのため苦しむことになるのです。

ですが、彼らが時代の流れを自覚した時、症状は改善され、喜びに満ちた人生を生きることが出来るのです。その生き方は新しい時代に求められるものであり、多くの人々の希望となるものなのです。

木の花ファミリーの暮らしは、現代社会の価値観からはかけ離れた暮らしです。
それは新しい時代に向けた希望の光となる暮らしです。
ここで暮らし人々がそのことをより自覚することで更なる光をもたらすことが出来るのでしょう。

一人一人が個性を発揮して希望の光となれるように。

みんなで話し合いながら、

『天から柱を立てる』ことの大切さ。

疑問を持ち追究し続けると同時に分からないものを信じることの大切さ。

などを確認しています。

今日はこのイベントの最終日です。

ユーストリームで配信をしているので、良かったら覗いてみて下さいね。



希望の光プロジェクト 第3日目(612日) 9:0012:00
 
上記時間帯に、下記URLにアクセスしてください。
(最初は真っ黒な画面が出ますが、少し時間を置くと表示されます)
 ↓

http://www.ustream.tv/channel/kibou-no-hikari





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余裕がほとばしり出るような徳の積み方(前編)

『願いから自由になるために生まれてきた』僕ですが、つい最近、性欲が強くなってしまうことがありました。強すぎる望みは、こだわりとなり、僕から自由を奪います。困ったものです。

そこでとりあえずいさどんと話してみることにしました。以下、いさどんの言葉を紹介しますね。


☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡

まずは普段から素直に自分の気持ちを出していることが大切です。
性欲があるならばあるで正直に表明して、ただ心磨きをしていればいいだけの話。
なかのんは普段、性欲があることを隠しているでしょう。
隠すことにより、その想いが解放されずに囚われやこだわりに繋がっているのです。

ここは完全に自由の場で、みんなが自由に振る舞うことが出来ます。
性に対する気持ちも当然、自由に表現できます。

とはいえ、当然秩序は求められます。だから僕はいつも秩序の話をしています。
性によって、その後、執着や所有、嫉妬が生まれるようならば、ここの人間関係が乱れてしまいます。そんなふうになってしまったらこの暮らしをいている意味はなくなってしまうでしょう。

だから心磨きが大切になります。心磨きをすることにより、余分な心をそぎ落としていく必要があるのです。

男も女も自分を磨き、見る目を持つ。

それが大切です。

男が男を磨いて「どうだぁぁぁ」とアピールをする。
それに対して、女が「まだまだだね」と応じる。
そんなふうにせめぎあってお互いを磨いていく。
そんな中、ここまで「磨いたならいいか」とみんなが認めた時、天が尊い魂を降ろす。

それが性の本来の姿なのです。
それが出来た時、ここに微笑ましい関係がそこかしこで生まれるはずです。
ここは本来、そういう世界を表現する場のはずです。

ただ、こんなふうに言うと、性欲を満たすために心磨きをするように捉えられてしまうが、それは本末転倒で、原点を思い出すことが大切なのです。

ただひたすらにこの道を歩む。それが原点で、そのために心磨きをしているのです。
性のことは他の多くのことと同様に、その過程で相応しく与えられるものです。

性欲など未熟があることは仕方がないことです。ただ未熟がある時にはいつも原点に帰ればいいのです。原点に帰れば、性欲を含めた自分の欲望などどうでもよくなるはずです。

☆彡 ☆彡 ☆彡


いさどんの話を聴いて、僕はとてもすっきりしました。

一番大切なことはこの道を歩み続けること。そのために心を磨き、精神性を高めています。

精神性を高める。

それは僕にとって一番の望みで一番の喜びです。ただただ心を磨き続けます。

そして性欲は他の望みと同様に素直に表明して叶うか叶わないかは流れに委ねていればいいのです。

例えば、僕が「どうだぁぁぁ」と言ってアピールした時、女性に「まだまだだね」と断られたとします。
それは更なる心磨きへと僕を導くエールとなります。それは僕にとって喜びです。

例えば、僕が「どうだぁぁぁ」と言ってアピールした時、「ここまで磨いたならいいか」と認められたとします。それも僕にとって喜びとなります。

どちらにしても喜びにしか繋がらないです。
だから僕はわくわくドキドキしながら心磨きをしていればいいのです。
とても単純な話ですよね(^-^)


木の花ファミリーのみんなです。






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