病をいただく。

1月31日、富士浅間木の花祭りでみんなと思い切り舞い踊り楽しんだ僕は、その2日後39℃を超える発熱をいただき、インフルエンザA型の診断を下され、病床に臥せっていました。今、熱は37℃まで下がっています。

木の花祭りの一場面:今年は金神さまが登場しました。

2月4日、満月の立春正月。神事を行いみんながこの生き方の意味を確認する中、病床に臥せり参加出来なかった僕は、以下のようなことをしたり考えたりして過ごしています。

※立春正月の際のいさどんの挨拶はいさどんブログ「2015年立春正月のいさどんの挨拶」に掲載されています。こちらも合わせてお読みください。




(1)井筒俊彦さん(1914-1993)の著書、「意識と本質」を読む

井筒俊彦さんは、アラビア語やギリシア語、ヘブライ語などを含め、20ヶ国以上の言語を使いこなし、洋の東西を問わず世界の様々な思想に精通した大天才で、特にイスラムの聖典「コーラン」の研究に関しては世界的な権威となっています。その井筒さんが自身の根を「東洋」と認め、「複雑に錯綜しつつ共存する複数の哲学系」を持つ東洋哲学を、自分の内面に引き受け構造化し、新しい哲学を生み出す試みをしました。それが「意識と本質」です。大学時代に読んでたくさんの学びを得たこの本を、時間が出来たのであらためて読むことにしました。

日本人は、学問の上でも生活習慣の上でも西洋の影響を多大に受けています。その日本人が大和言葉(日本語)によって東洋的なるものを考え直す時、東西思想の出逢いが生じます。井筒さんはそのような意図も持ってこの試みをしました。ここでは詳しくは書きませんが、「意識と本質」には様々な意識レベル(表層意識~深層意識)におけるこの世界の捉え方が概観されています。西洋と東洋が出会い互いに理解し合う。多種多様な価値観による衝突が起きている現在を思った時、井筒さんの試みは違いを超えて理解し合うためにとても大切な仕事になっていると思います。

不惑(40歳)を1か月後に控えた今、この本を読むことで自分の思考の基盤を整える機会としました。ここでの学びとカタカムナを照らし合わせると新しい世界が見える。そんな可能性を感じています。

ちなみに東洋と言えば、「東洋の叡智が花開く時代」という記事が木の花ファミリーブログにアップされています。木の花ファミリーの暮らしから見える「東洋の叡智」について伝えているこの文章。是非、合わせてお読みいただけたらと思います。


(2)イスラム国に想いを馳せる

イスラム国による邦人人質事件は、人質2人の死亡、そして、ヨルダン軍のパイロットもすでに死亡していたことが分かり、その報復としてリシャウィ死刑囚は他のイラク人囚人と合わせて処刑されました。加えて、ヨルダン軍は報復の空爆も開始したようです(Yahooニュース参照)。事件は最悪の結末を迎え、そして今、憎しみが憎しみを生む負の連鎖が生じつつあります。

イスラム国への空爆は以前から行われていることですが、「イスラム国への空爆」と聞いても、僕はずっと痛みを感じることはありませんでした。そのことにふと気がつきました。

自分たちの意識がイスラム国を生み出している。
世界の複雑な関係の中でイスラム国は生まれている。

僕は普段そう語りながら、先進国日本で暮らすありがたみを享受し、イスラム国を自分から切り離していたのです。そして、心の中ではこのままなくなって欲しいとも思っていたのです。ですが、もしイスラム国が攻撃によって壊滅したとしても、1人1人の意識が変わらなければ、新たな脅威は生まれ続けることでしょう。

私がイスラム国。

そう宣言し、自分を見つめる時、もっと違った世界が見えるのではないか?
その残虐性、その狡猾さ、そしてその歴史や背景。
それを自分自身のものとして追体験することは、とても難しいことだけれども、
真の平和を築いていくためには必要なことなのだと思います。

私がイスラム国。

そう宣言する時、確かに自分の中にその残虐性、狡猾さ、そして、その苦しみとそれに対する無感覚は存在するのです。そして、それは人間が共有している闇なのではないでしょうか?そこをしっかりと見つめていきたいと思っています。

注意していただきたいのは、僕はイスラム国を空爆するなと言っているわけではありません。現に脅威にさらされている人たちが多数いる中、それは必要な措置であり、命懸けで任務についている方々の安全をお祈りしています。ただ、それと同時に、自分たちを振り返ることで、今までとは違う未来が生み出せる。そんなふうに思うのです。

現代社会が生み出したイスラム国。それを自分の事として振り返る。そしてそれを未来に生かしていくことが大事なのだと思います。病床にて改めてそのことを思いました。

※イスラム国についてはファミリーメンバーのともちゃんもFacebookに記事を書いています。
そちらも合わせてお読みいただけたらと思います。


(3)病をいただいたことを振り返る

2月は農事組合法人木の花ファミリーの決算報告の時期であり、1年間で最も忙しい季節です。この時期に仕事が出来なくなっている現状を振り返ってみました。

経理を担当している僕は、「いなくなっては困る」と言われることがあります。これは必要とされているということで嬉しいことでもありますが、「縛り」でもあります。僕は出ていくことが出来ないからここにいるわけではなく、自由意志でここにいるのです。そして、ここを出ていくことはありませんが、いつ天からお迎えが来てもいい状態で暮らしていたいとは思っています。ならば、自分がいなくてもコミュニティが機能する必要があるのです。そのためには、もっと自分の仕事を削り落とす必要があります。今回のことは、その一つのきっかけと言えるのではないかと思いました。健康だったら、僕は自分で仕事をやり続けてしまうので・・・・



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こんなふうに天からいただいた病を振り返り満喫している今日この頃ですが、先にも書いた通り、今月は農事組合法人木の花ファミリーの決算報告&確定申告が控えています。木の花ファミリーの農業及びそれに付帯する事業(農家レストラン・農家民宿など)を数字で表す神聖な作業です。毎年、この時期は感極まって涙が出てくるのです。病が癒えたら、その作業に集中するので、このブログは、しばらく(1か月ぐらい?)お休みをします。いずれまた書き始めるので、その時はまたおつきあいいただけたらと思います。

どうもありがとうございました。

ちなみに、木の花祭りについてみんなで振り返っている時間、「大切なのは日常。毎日、真っ白で生きていられたら祭りをやっている状態。自我のない状態。そういう状態で生きていられたら、幸せでいられる」なんてことを話していました。

決算も祭りです。

みなさまも祭りのような毎日をお過ごし下さい。ではまた!


木の花祭りのワンシーン ~みんなで舞い踊っています~




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