積極的に自分を探求するために夢を描く

1月2日スーパームーンと富士山(ちなっぴ撮影)です。

2018年の振り返って書く2018年の目標という記事を読みました。この記事では今年1年を通して引き寄せたい、現実化させたい未来の出来事を手帳に書くことを勧めています。以下、一部引用します。

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過去形で未来のことを書くことに違和感を感じる人もいるかもしれませんが、なかなか集中できない人へのオススメの書き方は、自分が未来にタイムスリップしていて、2018年の目標を書くなら、2019年のお正月に2018年の振り返り日記をつけている感覚で書くと良いかもしれません。

1年後の自分が、この1年間を振り返った状態。

1年後の自分はどんな自分となっているのか。

やりたかった、あの夢は叶っているのか。

どんな人が身の回りにいるのか。誰が一番近くにいるのか・・・。

「冬はこんなことがあったなぁ・・・」

「秋にはこんなことも始まって・・・」

2018年も半分が過ぎた頃には、予定通り目標も半分達成して・・・」

すべて、妄想で良いので、とにかく書くときだけでもいいから、意識を未来にタイムスリップし、過去を振り返りながら2018年に実現したいことを過去形で書きます。

自分の過去の経験上、何でもかんでも願望が実現するわけでもなく、それでも70%くらいは実現します。

実現しなかった目標は、ちょっと早すぎて、その翌年に実現したり、また頭で考えた願望は実現しにく、心がワクワクと踊る中でインスピレーションで降りてきた目標や数字は、現実化しやすいです。

だから、なるべく目標を書くときは、自分の心がリラックスしていて、頭ではなくハートに意識を持っていきながら、思いのまま浮かんだことを過去日記を書くようにすると良いと思います。

はたから見たらバカみたいなことですが、どれだけバカになって自分自身を信じれるか・・・信じるといえば綺麗ですが、自分を騙せるか、自分を洗脳できるかがポイントです。

潜在意識や脳は、一度設定したら、それを実現するために、フル回転で起きている時も眠っている時も稼働しています。

「そんなこと自分には無理」

いつも伝えていますが、自分に自信がない人、自分を否定する人は、一体どの自分を自分と思っているのでしょうか。

顕在意識、人間の脳、DNAにしても、使われているのは数%程度。

未知なる可能性が無限に近いほど誰にでも残されているのに、僅かに知っている自分をすべての自分と思い込み、自分で自分を制限してしまっています。

90%以上の、まだ見ぬ自分。


自分が知らない自分があることを認識するだけで、無限の可能性の扉が開かれます。

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この記事を読んで自分も実践してみることにしましたが、これは願いを叶えること、思い通りにすることが目的なのではなく、天との対話なのだと思いました。目標という形で想いを天に投げてみる。そしてそれがどのように展開するかによって自分を知っていくのです。

今、世界は様々な分野で行き詰まりを迎えていますが、それは人間が思い通りの世の中を生み出そうとしてきた結果です。自らを分けると書く自分。そこから生まれる自我は世界から自分を切り離し際立たせます。その動きが行き過ぎたものとなり人々に分断や対立が生まれているのです。

大切なのは、自我の動きを超えることです。目標や願いを書く時、自我の想いを叶えようとするならば、叶ったとしても、それは社会や自分の混乱を深めていくだけとなります。だから実現不能に思えるようなことを思い切り書くといいのだと思いました。その後はそれを手放し日常をただ真剣に送るのです。そしてそれがどのように展開するかで自分の心を知っていくのです。積極的に自分を探求する姿勢として夢を描き天に投げてみるのです。こんなふうにしてただ受け身で天からの意向を待つのではなく天を主役としながらも現実を共に創り上げていこうと思いました。それが個としての存在する人間の役割なのだと思っています。

銀河の夜明けを経て、今、時代は真の女性性が蘇り統合する時代へと向かっています。ここでその意味が明確に表現されている文章を引用します。

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 新たな時代への潮流の中で大切なことは、(それが一番良い方法だと信じて)全てを自分でやろうとするあり方(誤解)から自分自身を解き放つことだ。自分が望む結果よりも、遥かに偉大な結果へと天が導いてくれるということを信じて委ねられるか。それは、また宇宙時間への回帰の大切さを意味している。』

 ~ 中略 ~


宇宙には天が意図した「ひふみの法則」というものがあります。

無意識に統合の時代を生きていた時代(ひふみの「ひ」=源)から、我々は「個」の体験を重ねるという分離の時代(ひふみの「ふ」=分離)を過ごしてきました。そして、今、まさに私たちは「生」の本来の目的を想い出そうとしているのです。(ひふみの「み」=意識をもって統合の時代を生きていく)。


『全ての生命(いのち)が響きあう場所で天に導かれて愛を生きる。』


競争やエゴ、自分(たち)さえ良ければ、今さえ良ければ、という世界ではなく、皆がひとつの真実の方向に向かって響き合う、「大いなる循環」の中で自らの輝きを活かしていく時代の到来。


統合の時代へとシフトする今このとき、宇宙時間の中で、自分の輝きを、自分の中心で、真の女性性を取り戻しながら神の子として蘇る。天と自分の魂との約束を果たす時が今まさにやって来たのです。


自分自身を籠の中に閉じ込めているのは、「自分のやり方こそがベストだ」と信じ込んでいる自分自身なのです。その観念を一旦天へと戻して、認めたくない自分やもう二度と感じたくはない感情と再び出逢い、向き合い、その奥に在る、分離の時代には成しえなかった


『自分の中にある本当の想いや愛と繋がりなおす。』


そういうチャレンジを体験することが、閉じ込めた籠の中から輝ける自分自身を解き放つことにつながっているのです。


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自我は波のようなものでその奥には海である自分がいます。海の表面に波があるように心の表面にも自我があり、そこでは常に感情の浮き沈みを繰り返しています。人はそこに目を奪われ感情の波に飲み込まれていきますが、真の自分、海であることに気づくためには波の奥へと潜っていく必要があります。

日々湧き上がる感情。その奥に潜っていくことで本当の想い、愛と繋がることが出来ます。それは毎日地道に続ける実践です。僕は思い切り夢を描き、感情を離れ日々の出来事をそのままいただいていきます。そして、それがどのように展開するかを楽しもうと思っています(^-^)





お金を通して心を育んでいく

昨年の6月、僕が木の花ファミリーの経済について書いた原稿がアメリカのコミュニティズマガジンに掲載されました。その原稿の中で僕はお年玉について触れています。以下、その部分を引用します。

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たっくん(5歳):なかのん、僕、これ(大袋のあられ)買いたい。

なかのん:それを買うにはお金が足りないね。たっくん、他のお菓子を買ってお金使っちゃったからね。

あやな(7歳):私のお金足してあげる。

なかのん:あやなは優しいね。

あやな:うん、みんなで食べたらいいもんね。


これは今年のお正月、子どもたちと交わした会話です。日本にはお年玉という習慣があり、お正月には大人から子どもたちに小遣いが渡されます。木の花ファミリーの子どもたちはそのお金を使って木の花ファミリーの商品を買っているのです。子どもたちは各自、自分の好きなお菓子を購入しますが、それをみんなで分け合っています。分け合うことでたくさんの種類のお菓子をみんなで楽しんでいるのです。それはとても微笑ましい光景です。通常、子どもたちはお金を使うことなくお菓子や必要なものを得られるのですが、このようにしてファミリーの子どもたちはお金を使うことを身近なところで体験しながら、共有することを学んでいます。

 ~ 中略 ~

冒頭で紹介した子どもたちとの交流もお金を通した学びです。子どもたちはお年玉をもらうことでお金を手にし、それを使うことを楽しんでいます。ファミリーの子どもたちのバックグラウンドは様々です。コミュニティ外部に祖父母がいてお年玉を貰ってくる子どももいれば、そういう存在が一切いない子どももいます。コミュニティ外部でお年玉を貰ってくる子どもたちは、そうではない子どもたちよりも多くのお金を手にすることになります。その時、子どもたちの中にそのお金を自分で持っていたいという気持ちが芽生えることがあります。ですが、私たちは基本的にそのお金はみんなのお金として預かることにしています。前述の通り、私たちの暮らしに必要なものは生活費によって過不足なく満たされます。子どもたちの必要も当然満たされています。そのような中、限られた子だけが自分のお金を多く持つことは、優越感や不平等感などを生み出し、それらの心は不調和に繋がります。そのことを丁寧に説明すると子どもたちは納得し、お金を手放していくのです。その姿はとても気持ちが良いものです。



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今年もファミリーの子どもたちはお年玉を手にし、お買い物を楽しんでいます。そしてコミュニティ外部からお年玉を貰ってくる子どももいて、子どもたちの中には様々な感情が芽生え学びの機会となっています。木の花ファミリーでは毎晩夕食後、子どもミーティングを行い子どもたちの話題を大人と子どもで共有していますが、昨晩の子どもミーティングで僕はお年玉の話題を出し、上記のようなことを伝えました。その話を受けて、子どもたちからは以下のような言葉が出ました。

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(1)例年はおじいちゃん、おばあちゃんのところに帰っていて、好きなものを買って貰っていたけども、今年は帰らないでここで貰ったお年玉だけで買い物をすることになった。そうすると買うものを選ぶ必要があっていつもとは違う気持ちで買い物をした。

(2)前にお正月に出掛けて5,000円ぐらいお年玉を貰ったことがあって好きなものを買ったんだけれども、今思うと無駄な買い物をしたなと思う。木の花のお金になって大切なことに使って貰った方が良かったなと思った。

(3)デパートに買い物に連れて行って貰ったんだけれども、電気を沢山使っているなと思った。

(4)自分は欲が深かったなと思った。

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一昨日の晩、サバイバルファミリーという映画を子どもたちも含めてみんなで観ました。この映画では地球全体で電気が全く使えなくなるのですが、そうすると都市機能が麻痺し、お金の価値もなくなります。そんな中、自給自足の価値がクローズアップされるのですが、上記の子どもの発言はその映画の影響も受けています。映画を観た後、いさどんは電気が使えなくなるという状況が非現実的ではないことを子どもたちに伝えていました。北朝鮮による電子パルス攻撃、大きな地震など実際に起きたら都市機能は麻痺することになるでしょう。そのような中、映画の中でクローズアップされた自給自足の生活がここでは実現していて、みんなで豊かに楽しく暮らしています。お金を超えて大切なことがあることをあらためて感じているのではないかと思っています。

6年連続で上昇し、26年ぶりの高値を記録した昨年末の東京株式市場の終値。その中で実体経済は1%にも満たないとも言われています。それは人々の心の表れで、多くの人が実体を離れ自分のイメージを膨らませているのです。そんな中、地球環境という実体は限界を迎えつつあります。そして人々の心も貧しくなっています。

そのような中、ただ欲を膨らませるのではなく、実際の生活に即してお金について考えることはとても大切なことだと思います。この世界には欲を掻き立てるものが溢れていますが、それを通して自分を見つめ心を育んでいく時、数字のようなバーチャルなものではなく実際の豊かさを味わうことが出来ます。お金を通して欲を満たすのではなく、心を育んでいくのです。僕は今、木の花ファミリーのみんなとそんな世界を表現しています(^-^)

ちなみに今日の子どもミーティングでは、コミュニティ外部の人から貰ったお年玉について、少しぐらいの額だったらそれぞれの人が保有することを大人も子どもも認め合いました。みんなで・・・という気持ちを大切にしつつも自分で管理するという経験もしていくことになります。僕らは固定した答えに現実をあてはめるのではなくて、その時その時新鮮にみんなで考えることを大切にしています。

昨晩の夕食に出たパンです。とっても豊かな食事でした。





光と影が交錯し、そのことで光が増し影が生かされていく世界

元日の富士山(ちなっぴ撮影)です。

あけましておめでとうございます。2018年木の花ファミリーのテーマは『再スタート』です。2017年のテーマは『爆発』でした。僕らは心の水爆を爆発させ今までの自分をリセットし、今年新たな物語を生み出していきます。意識は物質よりも根源的。心がリセットすれば物理的なことは自ずと変化していくのです。

爆発のラストを飾る2017年大晦日の大人ミーティングでは21世紀に求められる神通力がシェアされました。そこでは、神通力、神に通じる力について以下のように語られています。それは願いを叶えるものでもなく特別なものでもないのです。

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我々は肉体を持っている。肉体というものは物質だから、そこに光が当たると同時に影ができる。魂が我々の本来の存在なのだが、その魂が設計図となり、魂の思いが響きとなって世界に発せられると、それが現象化を引き起こしていく。それが現象となった時点で、我々は自我を持ち、特定する自らの枠を決め、枠以外のものを他者だと区別する。そのことによって、影ができるのだ。

その影は、物理的な光では消すことはできない。霊的な光でなければ、その影は消せないのだ。そうすると、思いの力を持って影を消すことはできるのだが、その思いの内容によっては重くなって、逆に影が濃くなることもある。それは、自我に囚われることが原因でそうなるのだ。

そして、その影は、未解決事件の背景に流れるものだと思った。それは、この世界に黒い雲のように漂う魔だ。その魔が存在する限り、いくら人に正論を語っても、健全にはならないということだ。

 ~ 中略 ~ 

今のような人々が真実をはき違えた時代には、神通力が必要になるとも思えるのだ。神通力とは、神に通じる力。その霊的な光で照らさなければ、人間に真理という光を照らしても、人間は質量を持っているためにその光が奥の魂まで射さないのだ。光が射さないから、その影があることがわからない。神通力というのは、人間の道理ではなく、霊的な光のことだ。だから、物質的に汚染されてしまった人間の思考をその光で突き通す必要がある。我々が肉体を返上し魂だけになった時に自らの実態があからさまにわかるのと同様に、そういった物事の本質を掴み取る知恵を人々が得るためには、立ち込めた魔を払い、真実の光を照らす必要があるのだ。現代の人間世界にはあまりにもたくさんの影が発生し、そこに漂う黒い雲が世界に蔓延し、多くの矛盾を発生させている今、人々にいくら正しいを語っても、人々は目覚めない状態になっている。

 ~ 中略 ~

今、世の中の現状を観てみれば、高い意識レベルの神通力は必要であることが観える。お釈迦様は「ガンジスの川の砂のごとく、衆生はおる。そのすべての衆生に仏性あり」と言われた。それはお釈迦様の意志として仏教に伝えられている。ところが、そこでお釈迦様は発していない言葉がある。その後にお釈迦様が伝えられたのは、「ただし、その道を歩んだものにだけ」ということ。つまり、いくら仏性があって、ブッダへの道があったとしても、それに目覚めて歩まないものにはない、ということだ。それで、そういった道を忘れ、歩まない現状の人間世界がある。

 ~ 中略 ~

それで、今年のはじめに、なぜ神通力というビジョンが降りてきたのか。そして、今年の暮れまで来た。今こそ、神通力が本当に必要な時が来ている。つまり、世界の仕組みを理解したものたちが、自らの高い意識を持って、この世の中の雲を払拭していかなければ、本来ヒトとして悟れる素質があるものも、その価値を見出すことはできない。そして、さらに現状の世界が続くだけのことになる。

この世界に漂っている暗雲を払拭しなければならない。神通力をもって払拭する。僕一人の力では世の中すべての暗雲を払拭することはできないし、今はそういった一人の力に頼る時代でもない。この悟りを人々に伝え、自らを価値あるものとして腹に落とし、歩んでいくものたちが現れてくる時が来ている。その歩みが2018年にスタートする。

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魂としてのヒトはこの世界と一体です。ですが、自我を持つ人間は、自らを世界から分けて際立たせます。そして、その動きにより自分だけの世界、影を生み出します。影は本来、光を認識するためにあり、それが悟りへの道となります。ですが、その道を歩まなければ、人間は自分だけの世界、影をすべてとし、その結果、世界に暗雲を広がっていくのです。今の社会の混乱はその表れで、いさどんはそれを払拭していく決意をしています。

そして僕は、大晦日に「変遷として見ていく」をシェアしました。この記事は2017年の振り返りとなっていますが、その学びは以下の言葉に集約されます。

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僕の中には好き嫌いや善悪の価値判断がありますが、それらは僕が出会った縁の中で育んだものであり絶対的なものではありません。世界には様々な好みや価値基準があります。多種多様な好み、価値判断のどれが正しいかと考えることにはあまり意味がなくて、それらの奥には天の流れがあり、すべては役割としてあるのです。そのことが見えると、分断や対立の奥に流れる大いなる意志を感じ、お互いを理解し合うことが出来るのです。

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それぞれの人がそれぞれの出会いの中で好みや価値判断を育みますが、多くの人がそれを絶対視しているのが今の世界です。そのことが影となり分断や対立が生まれています。アメリカ、中国、ロシア、北朝鮮、イスラエル、パレスチナ、日本。それぞれの国が自分の立場からの正しさを主張し対立しています。それは国内を見ても同じです。自分の立場から見える安全や利益を求めて改憲、護憲などの対立が生まれています。

自分の側から世界を見て正しさを追い求める。それは影からの視点であり、常に偏り分断や対立に繋がっていきます。無明。自らが影の中にいることを理解していないのです。

今、必要なのは、世界の側から自分を見ることです。その視点が霊的な光となり自我の枠を溶かし目覚めへと繋がっていきます。自分自身を世界の中に位置づけその役割に気づくことが出来るのです。

世界の側から自分を見る。するとこんな世界が見えてきます。

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宇宙と自分は一つ。その中で過去から続く因縁によって今この場にいて、そして今の自分の言動が新たな縁を生み出していきます。それは円運動によって究極的には宇宙の中心と繋がっていきます。日々出会う出来事は、視点を高くすれば、無限なる宇宙の円運動のひとコマとして出会っているものであり、それは自らの生の結果でもあります。

何かに出会った時、自分の中にはいろいろな反応が芽生えますが、それは今までの生の結果であり多様な因縁があるからこそ、多様な反応をしているということです。その中で何を選ぶかで解消される因縁もあれば強まる因縁もあります。そして、それは無限に連なる宇宙の中心へと繋がっているのです。

 ~ 中略 ~

自分の今までの生、因縁によって芽生える様々な感情。その中で自分が選んだ感情が波動となって宇宙の中心へと繋がり、この世界の一翼を担っていく。それは本当に些細なものであっても自分一人分、この世界に対する責任です。


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目覚めの波動を宇宙の中心へと伝えていく。そんな人たちが増えていくとこの世界の暗雲が晴れていき、道理の道を歩む人が増えていきます。今年がそんな年になるよう自分一人分責任を果たしていこうと思っています。

世界の側から自分を見る。その世界とは本来の自分のことです。なぜなら、宇宙と自分は一つだからです。自我が生み出す影は、光を認識するためのものであり、それは本来、光の一部であり光の中の役割なのです。

光と影が交錯し、そのことで光が増し影が生かされていく世界。

それが目覚めたものが生み出す世界であり、喜びと希望に満ちた世界です。そんな世界を木の花ファミリーのみんなと表現していこうと思っています。最後に元日のファミリーの様子を紹介して終わりにしようと思います。今年もどうぞよろしくお願い致します。

みんなで初日の出を見ました。

集合写真です。

昼食の様子です。

昼食です。

夕食の様子です。

夕食です。

夜は子どもたち企画のゲームをして遊びました。すもうをしています。
卓球をする人たちもいます。


道理に基づくうれしたのしの世の到来

株価が上がって喜ぶ人は一部の人で、汗水流して働く人々はその恩恵は受けません。でも、こんなニュースが流れると、株で儲けたいと思う人が多くなります。すると、汗水流して働く人が減っていきます。それは健全な社会の姿でしょうか?汗水流すことで得る僅かな収入で暮らし大人は、子どもには勉強をさせて将来、楽をさせたいと願います。そして、そんな子どもたちの中には、貧しい人たちを助けたいと医者を志すもので出てきます。ですが、医者は病人がいて初めて成り立つ仕事です。病に依存しています。加えて、生活を成り立たせるために収入におわれ、最初の理想も失っていく可能性が大きくなります。現実の中で何かが狂っていくのです。

加えて、そんな子どもたちが医者になれる可能性はとても低い現状があります。東大生の親の年収ですが、57%は950万円以上というデータがあります(年収ガイド参照)。子どもが東大に入るためには莫大な投資を必要とするのです。教育基本法3条では教育の機会均等が謳われていますが、現実は経済格差が教育格差に繋がっているのです。結果、東大には今、受験勉強が出来る、記憶力が優秀な人ばかりが入学しています。それは本当の意味で「頭が良い」とは言えません。「頭が良い」人とは直観力が働く人です。そんな本当の力を持つ人たちが出て来れない世の中になっているです。

そして、スポーツの世界に目を向けても、そこには歪みが見えます。トップを夢見ること。そこへ向けて人間の可能性を追求することは素晴らしいことですが、反面多くの落ちこぼれを生んでいます。プラス思考ばかりを追求すると、これも歪みに繋がります。例えば、フィギュアスケートのジュニアたち。彼らが表舞台に立つために親はどれだけ多くのお金を投資しているのでしょうか?その背後に親の涙ぐましい努力があります。それは子どもへの欲の心から生まれているのではないでしょうか?その姿は美しいものでしょうか?


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上記は2014年の年末、東京株式市場大納会のニュースを見て語ったいさどんの言葉です。今年の年末終値は6年年続で上昇し、26年ぶりの高値となりました。それはここで語られている状況がさらに悪化しているということです。

今の世の中は評判や評価を得る人が得をするようになって、お金や評価を得ることが生きる手段となっています。スポーツにしても、スポーツを純粋に楽しむことよりも、それにより評価やお金を得ることが目的となっていきます。選挙に勝つ人は、優れた政策を立案し実行する人というわけではなく上手にアピールし人気を得た人となります。

本来、はたらくことは生きることそのものであり、生きることを通して傍(はた)を楽(らく)にすることであり、自分を超えた大いなるネットワークの中で役割を果たしていくことです。自分が大いなる存在の一部であり、その中で役割をこなしていること。そのことが人に安心感やゆとりをもたらし、生きることを楽しむことに繋がります。

ですが今の世の中は、はたらくことがお金や評価を得る手段となり、自分のために自分をアピールする手段となってしまっています。自らを分けて際立たせた結果、自他の区別が大きくなり、他者に対して自分をアピールする必要が生まれていますが、それは健全な姿とは言えません。この姿勢が過剰になると、評価を得ることが目的となり、本来の自分の姿を見失うことになります。

人は自らに都合の良い世界を創ろうとしてきましたが、その時、切り捨てられるものも本来は自分であり、都合の良い世界を求めれば求めるほど本来の自分を失っていきます。人々の心が混乱し社会が混乱するのはそのためです。

先日、「光と影のやさしいお話 - この世のすべての悪を担った大天使ルシエル それはいまひとつの神の姿であった」という本の紹介を目にしました。そこにはこんなふうに書かれています。

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私達が悪魔と呼ぶサタン、ベルゼブルこそが、身の毛もよだつような分の悪い役割を自ら担い、人間の心に生ずるありとあらゆる悪の部分は、すべて彼のものとして位置づけし、彼の仕業であるということで、人々は自分自身を救ってきたのです。

 ~ 中略 ~ 

「ねえお母さん、天国の扉の鍵はルシエルが持ってるんだって。私たち人間が、この世にはびこる悪というものを本当によくわかるようになるまで天の国の扉は開かずに、みんなその前でウロウロしているらしいよ」

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堕天使ルシエルは地獄でサタンとなりますが、それは分断の時代における役割を演じていたのであり、統合の時代においてその役割を終えようとしているのだと思います。人々が自分の都合の良いもの(善)だけを求めることで世界に分断が広がっていきました。これから都合の悪いもの(悪)も見てそれも生きることで世界に統合が生まれていきます。

今、善と呼ばれているものは自分に都合の良いものであり、人々は自分の側から世界を見て善を求めて分断や対立を広げてきました。ですが、自分が生きているのは生かされているからであり、本来は世界の側から自分を見る必要があるのです。だから今、立脚点がひっくり返る必要があります。富士浅間木の花祭りで描く艮(うしとら)の金神の復活もそんな世界を描いています。

ルシエル、艮の金神、瀬織津姫 (セオリツヒメ)。今、封印された神々が蘇る神話が語られ始めていますが、それはこの世界の統合、道理に基づくうれしたのしの世の到来を表しています。

そこで今年最後の言葉として艮の金神と翁の問答を紹介したいと思います。もうすぐ2018年となりますが、新しい年が新たな時代の幕開けとなるよう、自分一人分心を磨き続けようと思っています。今年一年ブログを読んで下さりありがとうございます。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

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艮の金神と翁の問答              

 
  
伊勢天照皇大神 熊野権現 富士浅間 ところは当初の氏大神。木の花の佐久夜の御庭におわします、金色(こんじき)の尊き姿の御身は、どなた様にてござりましょう。

金神  

この方(ほう)は、艮の金神と申す。
時いよいよ来たれり。この度は、地球(くに)最後の天意転換(たてなおし)。一度に清める神幽顕の三千世界(みちよかい)。 汝らの宇宙(うつ)、光一つ上ぐる仕組み。今の世は「我よし、力よし」の獣の世、蛇の「あやま知」支配する、穢れ(けがれ)逆巻く魔釣りの世。

      

艮の金神とはいかなるお方にてござりましょう

金神
この方(ほう)は、宇宙(うつ)を創りた元つ神。こ度の宇宙(うつ)の天意転換(たてなおし)、始原(はじまり)の、時より決まりてありた事。この方隠れている間、「我よし」「あやま知」逆巻いて、神が息の出来ぬほど、穢れ(けがれ)汚れたこの世界、最後の最後の大仕上げ。この方再び現れたなら、光に穢れ(けがれ)混じること、適わぬ(かなわぬ)世となるべきなり。古き仕組みに変わりたる、新たな仕組み始まれり。
縁ある御魂引き寄せて、掃除洗濯 済みしものより、神の使える器となりて、こ度の尊き天意転換(たてなおし)、汝らご用に使うてやる。


一度はお隠れなされた御身が、再び現れ出る(いでる)と申されるか

金神  

いかにも。この世は逆さまじゃ。どうにもならぬ者どもを、今から改心させるため、世の中ひっくりかえすぞよ。これからは、神人(かみびと)、天地が一体の「弥勒の世」が始まるぞ。
故に皆々様、御魂磨いて下されよ。御魂磨かずおられては、使えるものにはならぬぞよ。
神多くの人民の、御魂目覚めて欲しいのぞ。汝ら皆々大切な、地球(くに)の日月の神々じゃ。
一なる花を二の花へ、二なる花を三なる花へ、大和の御魂を呼び覚まし、腹にまことを据えるのじゃ。
この心、天教山より日の本の、隅々にまで広げるぞ。汝らその役、引き受けられい。

      

引き受けましょう。我らこれより「弥勒の世」、創らんがためありましょう。

金神  

一度は渡したその榊。天の元に供えられい

(金神は後ろを向く。翁が榊の枝を金神の腰に差して退場する。
金神、根付きの榊に持ち替えて、四方でへんべいを踏んだ後、神座に戻る)

皆々様、いよいよ金神動くぞよ。さすればこの世、嬉し嬉し、愉し愉しの世となりて、真(まこと)の世が花開く。皆々笑え、愛し合え。真(まこと)次々現れくるぞ。
あっぱれ、あっぱれ、富士は晴れたり、日本晴れ。
オー、オー、ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト オー。
真(まこと)の神が現れる。神人(かみびと)共に現れる。弥勒の世の幕開けじゃ。
真(まこと)の真釣り(まつり)始まるぞ。新たな時代へ、船出の時じゃ。幕開け祝い踊ろうぞ。


前回の富士浅間木の花祭りの様子です。

思い通りにならないことに向き合うことで心が育まれる

思い通りにならないことは向き合うことで心を育んでくれます。そして心が育まれると思いもよらない出来事に出会い感動します。感動し嬉しくなると気が緩むものです。ですがこの時、気が緩んでしまうと思い通りにならないことに苛立ち心が貧しくなっていきます。そうするとせっかく積み上げたものが一気に崩れてしまいます。これでは元の木阿弥で人生は同じことの繰り返しとなっていきます。

思いもよらない出来事に出会うということはそれだけ価値のあるものになれというメッセージで、より責任が大きくなり心を引き締める必要があります。心を引き締めることで何が起きても心は育まれ続け価値を高めていけるのです。

クリスマスの日、木の花ファミリーでも12月のお誕生日会を兼ねてクリスマス会が行われ、みんなで楽しい時間を過ごしました。クリスマス会ではサンタさんから子どもたちにプレゼントが贈られますが、今年は僕にもプレゼントがありました。思いがけないことに胸が温かくなりましたが、翌日、子どもたちがプレゼントのおもちゃに使う電池を求めて僕のところに来て、数が足りなくなったけれども注文してある分がなかなか届かなくて何度も何度も確認に来る子どもたちがいたり、プレゼントのオーディオプレイヤーの使い方を調べて欲しいと言ってくる子の対応をしたりでペースが乱されました。

忙しいところ時間を取られてしまった。これはまずい!

という思いが浮かびましたが、冷静に観れば、多少仕事に遅れが出ただけのこと。大騒ぎをするようなことではありません。それでも、まずい!という思いが浮かんでくるのは自己主張で、その奥にはペースを乱されていることに対する負担感、もっとよく見れば苛立ちがあります。それを認識すれば、その感情を超えていくだけなのです。

子どもたちはただ喜んでいるだけだから、その喜びには気持ちよく応じたいものです。

仕事が進まない。まずい!

というのは責任感がある言葉のようにも聴こえますが、心の奥を観ればペースを乱されることに対する苛立ちがあり、それをきれいにカモフラージュしているだけです。

自らを分けると書く自分、そこから生まれる自我は自らを際立たせます。それは刺激に対する反応なようなもので、多くの場合、そこには冷静な判断は含まれていません。押されたら引きたくなるし、引かれると押したくなる。目的は自らを際立たせることあるから言うことがコロコロ変わるのです。人はそんな自我の動きをきれいごとでカモフラージュします。先に挙げた、仕事が進まない。まずい!というものもそんな心の動きの一つです。

自らの価値を高めることは自我から自由となることであり、だからこそ思い通りにならないことは向き合うことで価値を高めてくれます。思いもよらない出来事はそんな中与えられるご褒美のようなものですが、そこで自我が疼いたらまた元の木阿弥となるのです。

だから常に心を観察し続けることが大切です。

そんなことを思っていると、静岡新聞の社説が目に入りました。

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素手に棒を握り、はいつくばって砂浜をつついて進む。手応えがあると慎重に砂をのける。現れるのは円形の地雷。信管の抜き取りをわずかでも誤れば目の前で爆発。死と隣り合わせの作業に幼い面立ちのナチス・ドイツの敗残兵が当たる

ちょうど1年前に公開された映画「ヒトラーの忘れもの」。第2次大戦後のデンマークを舞台にナチスが海岸線に埋設した地雷の除去に駆り出された少年兵と、指揮するデンマーク軍の軍曹との葛藤を描いた。史実に基づくリアルな場面が胸に迫った

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ナチス・ドイツの敗残兵に地雷処理をさせる。それを命令する側には当然の報いという理屈があるのでしょうが、その奥にある心を見て超えていく必要があります。そうでないとお互いの正当性を主張しながらの悲劇が繰り返されていきます。先の記事はこんなふうに続きます。

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残念ながら、その悲劇は今も終わらない現実でもある。先日、非政府組織の連合体、地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)が発表した報告によると地雷や不発弾による2016年の死傷者は世界全体で8605人。うち8割は子どもを含む一般市民だった

地雷の中でも対人地雷は命でなくけがを狙って設計される。恐怖心をあおり救護に要するコストで敵を消耗させる。安価で大量に装備でき、いったん埋設されれば半永久的に作動し無差別に殺傷する。「悪魔の兵器」といわれるゆえんだ

廃絶を目指した対人地雷禁止条約(オタワ条約)ができて20年。130以上あった地雷保有国は半分以下まで減ったものの、なお地球上に残る地雷は数千万とも1億とも推計される


条約に米国、ロシア、中国などが背を向ける中、日本は地雷を廃棄し除去へ資金や技術的支援にも積極的に取り組む。道のりは長いが、まずは地雷全廃。そして核という非人道兵器も“人類の忘れ物”にしてはならない。



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人生は思い通りにならず人類は数々の悲劇を経験してきました。それに向き合う時、人類の心が育まれ、思いもよらない出来事、実現不能にも思える平和が訪れるのだと思います。地雷にしろ原爆にしろ自分の思い通りにしようとする心から生まれています。その思いにはそれぞれ正当性があるのでしょうが、軍拡競争となり歯止めが利かなくなっています。思い通りにしようとすると心が貧しくなっていきます。平和運動が対立に繋がるのも思い通りにしようとする心の表れです。だから自分の正当性の奥にある心を見て、それを超えていく必要があるのです。それはきっと日々の生活の中でみんながする必要がある実践で、その積み重ねが本当の平和へと繋がっていくのでしょう。

思い通りにならないことに向き合うことで思いもよらない出来事に出会い感動するのです(^-^)

12月お誕生日会&クリスマス会の様子です。


うれしたのしの世界を生み出す

木の花ファミリー通信2017冬至号が発行されました。今回のファミリー通信は世界情勢をテーマにしていて、時代を大きな流れで捉える視点を提供すると共に、環境、農・食、経済、社会、政治、教育などの分野の現状の分析をしています。その中で政治についてはトランプ大統領に触れています。以下、その内容を転載します。

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時代の申し子・トランプ米大統領の出現

時代は新たな価値観を求めている

アメリカの建国から約250年、ニューヨークに高層ビルが建てられるようになってから約130年。それは、46億年の地球の歴史からするとほんの少しの出来事ですが、素晴らしく発展したマンハッタンも、宇宙から観たら本来の自然の美しさが失われた皮膚癌の状態であり、それは地球の病巣とも言えるのです。

20121221日の「銀河の冬至」という大いなるターニングポイントを越えて光が差してきた今、そこで見えてきた本音が「アメリカファースト」です。その本家がイギリスであり、今、イギリスも「イギリスファースト」という姿勢を取っています。元々、アメリカという国家は度量の大きな他民族国家でした。ですから、アメリカは偉大な国だとされてきたのですが、その本音では自国の利益ばかりを求めていたのです。これまで公開されてこなかった過去の文書によると、アメリカは世界戦略として戦争をつくり、戦争によって繁栄してきた国だということが観えてきています。そして今や、アフリカやアジアといった貧しい国を搾取することによって栄えてきた国でもあるのですから、アメリカが世界の名士であるということは幻想にしか過ぎません。

自分たちが豊かになろうとする欲望の延長に、イギリスやアメリカが覇権主義で世界をリードし、その結果世界中の国々がそれに追随してきた時代が終焉を迎えている証として、トランプ大統領が誕生したとも言えるでしょう。時代が必要として産み出されたトランプ大統領には、既存の国家主義を壊すために大混乱を引き起こす重要な役割があるのです。そして、本来アメリカという国家は度量の大きな他民族国家なのですから、自分たちの欲を手放し、今まで抱えてきた富をこの世界に還元する時を迎えています。そのように、現代を生きる人々が地球レベルで世界のことを考え、人類の本来の目的に目覚めた時、地球に真の平和は訪れることでしょう。

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先日、国連総会の緊急会合が開かれ、トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定したことに対して、認定の撤回を求める決議案が圧倒的多数で採択されました。採択に先立ち、トランプ大統領は決議案に賛成する国への支援を停止すると警告していましたが、多くの国はそれでも賛成票を投じました。トランプ大統領によるエルサレム首都認定の動機については、中間選挙での人気巻き返し、ロシア疑惑の話題を反らすためなどと報じられており、「アメリカファースト」どころか「トランプファースト」とも言える姿勢となっています。国が自国の利益ばかりを求めているのは、国を構成している人々が自分の利益ばかりを求めているからであり、そのような国民に選ばれた指導者が自分のことばかり考えているのはある意味当然と言えます。トランプ大統領は繕うことなくその姿勢を打ち出すことで既存の国家主義を壊すための役割となっているのでしょう。トランプ大統領の姿勢は人々の鏡であり、その姿から人々が自分の姿勢を改めることで今の混乱を抜け出し希望ある未来を生み出すことが出来るのです。

冬至の夜、木の花ファミリーでは富士浅間木の花祭りについてのプレゼンが行われ、その意味を共有しました。木の花祭りは鬼が主役のお祭りです。鬼は人々に忌み嫌われていますが、鬼は本来、人びとに道理を説く存在なのです。鬼についてカタカムナの単音で調べると以下のような意味となります。

「オ」 6方(前後左右上下)へ限りなく拡散、または凝縮する思念。大きい 重い 奥の方・潜象の場  ※潜象界とはカタカムナでは「ない世界」のこと

「二」 定着する

この意味を発展させて「いさどんと鬼の面」では鬼について以下のように説明しています。

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「オニ」とはマクロにもミクロにも限りなく広がる現象界、および現象界の元になる潜象界をも含む、両方の世界の働き(仕組み)を定着させるものである。そして、「鬼が云う」と書いて「魂」となる。魂とはこの世界の仕組みのもとにある心で、鬼は人間に、この世界の道理を伝えるものなのである。

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「鬼が云う」で魂となります。ということは、鬼を忌み嫌っているということは自らの魂を忌み嫌っているのと同様なのです。自我を与えられ、この世界を自らと切り離して認識することが出来る人間は自分だけの世界を生み出します。それは宇宙と一体となった本来の自分(=魂)から離れた幻想の世界と言えます。多くの人が自我から世界を眺め世界と関わりますが、自分と世界を切り離しているため世界に認めてもらうためのアピールが必要となるのです。好き勝手に行動しているように思えるトランプ大統領ですが、中間選挙を意識し支持層にアピールをしています。それが本来の自分の望み、考えかどうかは関係がないのです。このトランプ大統領の姿は多くの人の日常の姿なのではないでしょうか?ここで2013年9月にいさどんと交わした会話を紹介します。


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なかのん:

質問があるんだけれども、自分らしく生きていることと自己主張をしていることの境界ってどこにあるのかな?

いさどん:

自己主張は主張でしょ?誰かに何かを主張している。分かって欲しいと求める対象がいる。自分らしく生きることには対象はない。ただただ淡々と生きているだけ。自分らしく生きている姿は美しく気持ちがいいけれども、自己主張は気持ちよくない。正直に生きていても、それが自己主張になってしまっている人がいる。それはアピールして人に分かって欲しいと求める気持があるため。そういう人は気持ちよくない。世界と自分、両方から離れて眺め、自己主張を超えていく必要がある。

なかのん:

何かを分かって欲しい気持ちがあるか?それが一つのチェックポイントになるんだろうね。僕は、自己主張はいろいろなところに入り込むって常々思っているんだ。例えば、一生懸命に働くことの中にも自己主張は入り込む余地がある。「俺はこれだけ仕事をしているんだぞー」みたいに。

いさどん:それは誰にアピールしているの?

なかのん:みんなかな・・・

いさどん:その時はみんなと自分を分けているんだよ。

なかのん:そうか・・・アピールするってことは分けているってことか・・・

いさどん:

そうだね。僕なんかそんな感じはまったくないよ。僕が淡々と仕事をすることは木の花全体の仕事を進めることで、全体に仕事が進むのは良いことだしね。

仕事に関しては、こんなことがあったんだ。今、家を建てているでしょ。その家の壁の漆喰塗りを進めようと思っていて、特に僕の部屋の部分は自分でしたいと思っていた。僕が一番丁寧に出来るし、これからずっと眺めるものだから。でも、普段から養蜂や面談などで忙しく、加えて、蜜蜂がスズメバチに襲われるなんていう突発的に事故が入ったりして、なかなか取り掛かることが出来なかった。そこでまっちゃんりょうちんが仕事を進めることになった。まあこれも流れかなと思っていた。これには良い面もあって、もし僕が漆喰塗りに取り掛かったら、僕が主となってやることになり、まっちゃんやりょうちんには従属する気持ちが生まれてしまう。でも、僕が取り掛かれなかったことで、2人とも主体性を持って伸び伸びと仕事に取り組んでいた。加えて、2人は僕の部屋の部分は後に取っておいてくれたので、時間が出来て僕が塗ることが出来た。僕は漆喰塗りを手放した。手放したらより良い形で僕がやる流れが来た。これは覚悟が出来ているから生まれる流れ。覚悟とは執着のない心。捕らわれない心。潔い心。覚悟が出来ていると、自分がやるべきことと手放すことの冷静な判断が出来て、結果良い流れを生み出す。

人間だから僕も人間的意識で物事を体験し捉える。と同時に上の意識でも物事を捉えている。日常生活の奥には現象を生み出すバイパスがあって、そこから物事を眺めているとすべての出来後が繋がってくる。この世界は一つだから現象の元を辿りバイパスに至ればすべての出来事が繋がっている。一人一人に相応しい現象が生まれるこの世界。生きてそれを味わい自分を知りあらためていく。それは一人一人オリジナルな体験で、いつでもどこでも出来る実践。お金も掛からなければ、誰かに頼る必要もない。日常の現象からただただ自分を知って改善していく。それは最も正攻法で手法もいらない、人生オール心磨きの実践と言える。

なかのん:

日常を眺める視点を頂いたように思える。背景に流れる意図を感じ、そこから眺める。そうすると一本の糸のようにすべての現象が繋がっていくように思えた。その視点を共有したい。

いさどん:

その視点をみんなで共有しようというのが、僕がずっと言ってきたこと。視点の位置は同じでも、みんなが僕の真似をするわけではない。それぞれの個性の応じた景色が見えてくる。独自の視点から流れを捉えることが出来る。それをみんなで共有することでこの場所はもっと豊かな場になっていく。これは現象を味わう身体を頂きながら、現象の作り手の位置へいこうとする道。人間でありながら、人間を超えていく道。


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アピールするということは自分と対象を分けているから。

それが自我を与えられた人間の日常の意識です。本来、自分らしく生きることに対象はないのに、分かって欲しいと対象を求めるようになります。そして本来の自分である魂を忘れていくのです。鬼が忌み嫌われている今の世の中は人々が本来の自分を失っていることの現れなのです。この状態では好きなように生きていても満たされることがありません。

日常の奥にある現象を生み出すバイパス。

それがこの世界の法則であり、天の意志であり、鬼が伝えてくれる道理です。そこに意識を向けることで、人は本来の自分、魂を取り戻せるのです。

鬼が主役の富士浅間木の花祭り。それは自我から生まれるアピールする心を忘れ、生まれ清まり舞い踊る、うれしたのしの地球のお祭りです。祭りの精神により本来の自分を取り戻すこと。それは自他の区別により分断が進んでいるこの世界に光を射しこみます。道理を大切にし本来の自分を取り戻すこと。それはどこでも誰でも出来る世直しであり、唯一の世直しの方法なのです。この世界で共に舞い踊りうれしたのしの世界を生み出しましょう(^-^)








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