ただただすべてを委ねるだけです。

今を生きる」に書いている滞りは「嫌な予感に囚われて反応出来なくなる」というものでした。そんなことは今までにも何回もありましたが、今回は「許されないことをした」という感覚を強くもっています。こんなことは初めてです。なぜかな?と考えてみました。

それは何かをしてはいけないとか具体的な行動がどうこうではなくて、自分の感情に捕まらないということ。自分の感情に捕まること、囚われることを許してはいけない。そういうことなのだと気づきました。

なぜなら、僕は今までそれだけのことを話し書いてきているからです。これだけ悟ったようなことを書いていて、感情に捕まることを許すわけにはいかないのです。ということは書けば書くほどそれが許されなくなっていきます。だからこそ。だからこそ僕は文章を書いていきます。なぜなら、それが僕の進む道だからです。

今年の7月、僕はこんな文章を書きました。

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この道は言ってみれば、自己否定の旅だと思っています。それはもっと大きな自分、世界と一つになるための自己否定です。常に否定し続け、それが即、肯定へと変容し続けます。それは自分を手放すことが出来ることへの誇りであり、大いなるものへと自分を委ねる覚悟となります。

この道は山登りに例えられます。山のすそ野は広くどこからも登ることが出来ますが、頂上は一つ。登れば登る程、道は限られていきます。同じように、この道は究めれば究める程、道は狭くなり、今まで良かったことも駄目となり、自らの選択はどんどん限られていきます。

不自由の自由。

一見、不自由に見える心の道ですが、それを進むことが本当の自由への道です。

なんでもいいけど道は一つ。

そんな感じです。


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その行きつく先は天。僕はそこまで昇っていきます。

・・・・とここまで書いて。

「許されないことをした」という感覚も感情のようなものだから、それにも当然囚われるわけにはいかないわけで、結局なんでもいいんですけれどもね(^-^)

ただただすべてを委ねるだけです。

11月3日文化の日の朝日です。

未来は常に自分の手の中にある

無駄遣いが出来るということは、感謝の気持ちを忘れているからであり、日常生活では、どこか意識がぼけていて、安直に物事を進めてしまうことに繋がります。そんな時は人に対する態度も繊細さや優しさが欠けたものになりがちです。

今はそんな自分たちを振り返る機会となっています。その際、落ち込むのではなく、無駄を生かしていくことを心掛けるようにしています。先のことは誰にも分かりません。今の無駄が後になって生きることもあり得るのです。大いなる流れに心を委ねること。出来事の背後にある意思を感じること。そういう姿勢も大切になります。

地球は人類が生きていくのに十分な恵みを与えてくれています。ですが現状は、格差が広がり、貧困や飢餓が生じてしまっています。分かち合う心により、現状を変えて社会的共通資本を育むことが可能となります。そして、それは人々に安心感を与えてくれるでしょう。

その安心感は土台となり、人々を更なる成長へと導きます。安心に浸り感謝の気持ちを忘れてしまってはいけません。安心出来る暮らしを土台にして、日々の中で自分の振り返り心を磨いていくこと。それがみんなで出来るようになった時、理想の世界が実現していくのだと思います。僕たち木の花ファミリーはそんな世界を目指しています。



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上記は3年前の11月に書いた文章です。無駄をなくすことについて書いているのですが、それはただの節約貯金とは異なります。大切なのは、物事を有効に生かしていくことであり、この世界には貯めることで生かされないお金もたくさんあります。今年の秋分頃にいさどんはこんなふうに語っています。

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お金があるからと言ってお金を貯めていくと、それは拡大傾向の守りの姿なんだよ。縮小ではなく拡大傾向の結果、そうなる。持たない、手放すという意味からいったら、お金をどんどん使うと景気が良くなる。でも必要なものだけを購入するという意味では縮小になる。それが織り混ざっている。そこを仕分けていくということだろう。

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お金を使う場合も貯める場合も自らの欲得からその行動を行っていたら、お金の流れに影響し格差や貧困など様々な矛盾を生み出していきます。そうではなくニュートラルな姿勢でたんたんと必要なお金を使っていけば、それは世界へと循環していきます。大切なのは一つ一つの選択や行動に心を込めることです。心を込めることで、本当に必要なものが仕分けされていきます。そして、お金の循環に心が入り、それは豊かな繋がりの表現となっていくのです。

それはお金の流れだけではなく、日々の行動にも言えることです。ニュートラルな心で日々を送り自分を表現していくと、それは人との繋がりの中で生かされていきます。ですが、そこに「自分が・・・」という「我」が入ると、何らかの滞りや軋轢となって表れるものです。とはいえ、滞りも無駄と同様で、自らの学びとした時に生かされていくものです。出会う出来事から学び自らをきれいにしていく。それこそ人間が生きる目的で、いさどんは以下のように表現しています。

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皆さんは地球で肉体を持って生き、自分が生きた結果、どういう行いをしたら、どういう人生が得られるかを学習する力を持っています。つまり生きることは学習なのです。そして、生きることの目的は、学習して自分が高い意識のものとなり、自我の汚れを取って、美しくなって、この世界がよい世界になることに貢献することです。それが、人生が終わった時に、よい人生だったなぁと気持ちよく旅立っていける、人生の完全燃焼です。



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生きることは学習です。そしてそれは常に過去から未来へと続くプロセスの中にあります。「今を生きる」に書いた咳ですが、今も続いています。それが「恐怖」という僕が抱えてきた汚れが生み出したものならば、咳を通して行っている浄化が未来を生み出していきます。今の状態に囚われず先を見て自分の判断や状態を確認していこうと思っています。

過去の積み重ねが今の自分を創っていて、そして今の自分が未来を生み出していきます。過去から学び、過去から自由となれば、今までとは違う未来を生み出していけます。だから常に未来は自分の手の中にあるのです。

今、世界の至るところに無駄や軋轢が溢れていますが、それは今までの人類の姿勢が生み出したものです。ですが、未来を生み出すのは今の姿勢です。自分一人分きれいにして美しい未来を生み出していこうと思っています。

木の花ファミリー10月お誕生日会の様子です。


「命には囚われない」という悟り(2)

昨晩は「クラウドアトラス」という映画を観ました。この映画は公式ホームページでは以下のように紹介されています。

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主人公は、6つの時代と場所で、6つの人生を生きる男。その人生は悪人で始まるが、様々な数奇な経験を経て、ついには世界を救うまでに魂が成長していく男の物語だ。

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そして、この映画を少し前に観たいさどんは以下のように語っています。

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あれは「猿の惑星」のようなストーリーで、人類が地球にとって、いわば悪の存在だ。最終的には人類を破滅させるようなストーリーで、だから他の星へ行って暮らしているという結末だった。あの映画ではそのような人類の悪説が語られていて、実際に今、アメリカの姿勢にしても、日本の姿勢にしても、北朝鮮の姿勢にしても、中国の姿勢にしても、ロシアの姿勢にしても、どこをとっても、地球にとって悪だ。それぞれが自己主張していて、地球に優しい波動を出すことがない。結局、アフリカでも自然が破壊され、自然に還ることを忘れている。

そこで今、必要なことは、地球に優しい生き方だ。エコビレッジなどといったものは、結局人間にとって都合のよい生き方だ。だから最終的に、人間には「命には囚われない」という悟りが必要だ。

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映画の中の未来。地球は汚染され住むことが出来なくなって主人公は宇宙に救難信号を発します。その結果、他の惑星で暮らしているのですが、公式ページでは、それを「世界を救う」と表現し、いさどんは「人類が地球にとって、悪の存在」と表現しています。立つ位置によって見える景色は異なっていきます。

この映画で印象に残った言葉として、「際限のない欲望が文明を滅ぼした」というニュアンスの言葉がありました。人類は自らの欲望を超えていく必要がある。そういうメッセージとして受け取りました。ですが、公式ホームページで、「世界を救うまでに魂が成長した男」と紹介されている主人公は、肉親を奪ったものへの憎しみという私情に負けてお告げを破りました。主人公は欲望を超えていません。だからこそ地球を救うことが出来ず他の星に行くことになったのではないかと思えます。同じ心が残っていたら、きっとその星でも同じことが繰り返されてしまいます。

昨晩も映画を観たいさどんは以下のようなことを語りました。

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人が健全を求める時、みんな自分の位置から健全を求めます。でも、その健全は他の位置から求める健全とは異なるものです。それぞれが自分の位置から健全を求める結果、分かり合えず対立や分断に繋がっていきます。自分を離れた時、すべてを理解する視点に立つことが出来ます。今、人類に求められていることはその位置に立つことです。

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映画の中では、6つの時代、どの時代でも戦っていて、観ていて痛々しかったです。主人公は、真実、真理を求めて行動しているのですが、争いの延長に平和が実現するとは思えません。人はヒーローを求めるものですが、ヒーローが生まれるためには必ず悪が必要となります。自分がいい側に立って世の中を良くしようとする。その心がそのまま世の中に悪を生み出していきます。ヒーローと悪は一対となり、争いを生み出していくのです。だから、自分の中にあるヒーローを求める心を超えていく必要があります。ヒーローも悪もなく、そのままでみんなが主役になる、そんな世界を生み出していくこと、それが平和への道だと思うのです。

僕ら木の花ファミリーは自然界をモデルにした暮らし心掛けています。自然界にはヒーローも悪もありません。個性豊かな生き物たちがそれぞれ生かし合いながら豊かな世界を表現しています。「個」としての感情や欲望、命に囚われず、「宇宙」としての自分に目覚め、繋がりの中で自分を生かしていく。みんながそんなふうに暮らした時、きっとこの世界に菩薩の里、ロータスランドが実現します。僕らはみんなでそんな世界を目指しているのです。




時の遊牧民から時代人へ


「時代の遊牧民」

遊牧民が季節の移り変わりによって適切な場所に移動していくように、
僕らは時代の流れを読んで、それを楽しんでいくのです。

すべては時代が生み出しています。

例えば、先に紹介したデカルトは、
自然から魂を抜き機械にように見なす冷たい思考を生み出しました。

この冷たい思考、実は熱い情熱から生まれています。

デカルトは夢で新しい学問を打ち立てる啓示をうけます。
その夢の内容は圧倒的で強烈な印象をデカルトに与えます。
そして、新しい学問の構築に情熱を捧げ、「我思う」の思想が生まれたのです。

時代がデカルトを通して近代科学の基礎を生み出した。
そんなふうに思えませんか?

そして今、時代は変化の時を迎えています。
それは星の動きや歴史の周期が教えてくれています。




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時の遊牧民、これは2年前の10月、モンゴルから来たムルンくんと交流する中でいさどんの中から湧いてきた言葉です。そして、僕はその言葉を聴いて上記の文章を書きました。この言葉はその1年後、時代人、時代主義という言葉に発展していきます。以下、いさどんブログ「わたしたちは時代人(じだいびと)です」からの言葉です。

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わたしたちは、「時代人」です。つまり、時間という共通した乗り物に乗って旅する旅人です。この時間という乗り物には地球も乗っています。この世界に存在するものはすべて、時間に乗って旅しています。そして物理的にも、地球は宇宙を旅しているのです。

なぜ、時間は進んでいくのでしょうか。それは、一秒、一分、一時間、一日、一年と人間が時間の基準をつくり、時間を認識しているからです。それは人間社会だけの話のようですが、実はこの世界はサイクルのもとに成り立っています。そのサイクルは、一秒、一分、一時間、一日、一年と人間が便宜上区切っただけではありません。一日は地球の一自転であり、一年は地球の一公転です。春・夏・秋・冬の四季のサイクルの中で植物は芽吹き、栄え、種を残し、しばらく冬眠した後、また春に芽吹いてきます。その繰り返しによって時間が刻まれていくのです。ですから、これは人間がつくったものではありません。そして、人間以外のそういった仕組みを認識しないものもすべて、そのサイクルの中にあるのです。

その大いなるサイクルの中で今、わたしたちは歴史的な転換期を迎えています。皆さんもそのような時代の移り変わりに気付き始めているからこそ、今、このメッセージに出会っているのでしょう。地球環境や世界情勢は今、混乱の極みを迎えています。しかし、時代は常に未来へ向かって進み続けていますから、この混乱もいずれ収まり、この延長線上に世界が進み続けていくことはないでしょう。それは、目先のことや自らの欲望におぼれず、ひとつの物語として時代を読み解いていくことができれば、今の延長にある流れがいずれ行き詰まることは明らかなことが観えてきます。その証として、今、世界中では人類史上稀に見る危機を迎え、わたしたちが自らの姿勢を転換する必要があることを時代が教えてくれています。

そこで、わたしたちはこれからの時代をどのように生きていくべきなのでしょうか。

「時代が生命であり、時代が意志を持って、時代を紡いでいる。」

21世紀は「時代主義」の始まりです。「時代主義」を生きる人々は、自らの願望に翻弄されることなく、世界を自由自在に生きることができる宇宙の旅人(時代人)です。

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地球や宇宙が常に変化変容し進化し続けるように、真理も常に進化し続けます。真理は固定したものではなく実践の中で集い語り合う中からその都度生み出されていくものです。昨晩いさどんは、以下のように言葉を語りました。

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今、世界は混乱の極みにありますが、それは人々の日常から生み出されたものです。だから何よりもまず自らの日常を正していくことが大切なのです。

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多くの人が現状に問題を感じています。それは自らの外に問題を見出している状態です。そして一部の人は、世界をなんとかしようと外に働きかけますが、それが有効な動きへと繋がることはなかなかありません。それは問題を生み出している大本、自らの日常の暮らしにメスが入っていないためなのだと思います。だからそのことを心掛けることが何よりも大切です。加えて、問題ごとの奥には現状に問題を感じながらも何もしない大勢の人々がいます。

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先日、衆議院選挙がありましたが、投票率は53.6%でした。約半数の人は投票していません。安倍政権の支持率は40%前後、そして自民党の支持率は30%台、単独で過半数を取るような数字ではありません。それでも自民党が過半数を大きく上回るのは、支持しない人々が選挙にいかないからです。それらの人々は現状に問題を感じています。ですが、自らの想いを託す政党が見つからず何もしないことを選んでいます。その結果、自らが望まない現状を肯定していくのです。

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いさどんはこんなふうに語りましたが、多くの人が肯定することが出来ない政治をそのまま許しています。そんな人々はきっと自らの日常も誇りを持って肯定することが出来ないのではないでしょうか。自らの日常、人生を誇りを持って肯定出来るものにしていくこと。その延長に政治に対する姿勢も生まれていきます。それは自分の欲得のままに動くことでは得ることのできない誇りです。自分を離れて客観的視点に立ってその時その場で相応しい行動を常に選ぶことによって初めて生まれる誇りです。まずは自分一人分、そんな誇りを持って日常を送っていこうと思っています。

真理は常に実践の中で進化し続けます。つまりそこから常に新しい真理が生まれるような日常を送ることが大切なのです。それは宇宙の流れ、時代と共に生きる生き方です。最後にまたいさどんブログ「わたしたちは時代人(じだいびと)です」からの言葉を引用して終わりますね。

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この世界は一体です。すべてのものが時代と共に一体となって動いています。それが宇宙の実相です。そのような意識レベルを有した者が地球上に現れたならば、その響きがこの世界に放たれ、それに共鳴した者たちの行動が少しずつこの世界を変えていきます。そしてさらにそれに共鳴した者が行動することによって、その響きがこの世界に放たれていく――、その連鎖が時代を動かしていきます。その響きがこの世界の混乱を鎮め、人類の営みによって傷つけられてきた地球を包み込み、地球を本来の美しい星へといざなっていくのです。

一人ひとりの目覚めがウエーブとなって連鎖し、地球上を巡っていきます。そこには、音もなく、力もいりません。それは、時が刻まれていくときに、時の音がわたしたちの耳には聞こえないのと同じです。地球が自転し公転するときに、その音が聞こえないのと同じことなのです。ですから、時代が動くときに、その音はわたしたちには聞こえないのです。耳をすませてその音を感じてみてください。そのような人類の目覚めの動きが今、地球上に始まっているのです。

今こそ、わたしたちは自らを自我の枠から解き放ち、この無限なる宇宙の中で自由自在に生きる時が来たのです。わたしたちの中から願望や野心が消えた時、宇宙の真理が湧いてくるようになります。そして、人類が誕生した目的にのっとった最もふさわしいポジションにわたしたちは立てるのです。そういった真理に目覚め悟った者は、時代を読み、流れを感じ、今を生きる「時代人」となるのです。

それが、21世紀初頭にあたり、時代がわたしたち人類に伝えているメッセージです。

10月18日の富士山、こんな雲を見るとムルンくんを思い出します。




今を生きる

自分の中には恐怖がある。

恐怖がどこから生まれるかと言ったらまず第一に「欲」が挙げられます。「こうなって欲しい」という願望があるからこそ、そうならないことを恐れるのです。本人が自覚していようがいまいが、これは事実です。

未来がどうなるかは分かりません。だからただ委ねて、結果をいただいていけばいい。

僕は常日頃からそんなふうに考えているので、恐怖のコントロールをしています。「恐怖」を脇に置いておいて、そして起きる出来事を見ていくのです。そうすると思いもよらない出来事に出会い、日々を楽しんでいくことが出来ます。

北朝鮮の脅威。世界で多発するテロ。異常気象や地球温暖化。日本の財政問題や少子高齢化。

ニュースを耳にすると不安や恐怖が湧いてくるかもしれませんが、その感情のままに生きると、世界に不安や恐怖の響きを広げていきます。そしてその延長線で思考しても、明るい未来へとは繋がっていかないものです。今の政治や経済は、人々の不安や恐怖を代弁しています。そのため未来へと突破口を開くことが出来ないです。

まずは恐怖や不安をコントロールすることが大切です。

ですが、コントロールすればそれでいいかと言ったらそんなことはありません。恐怖をコントロールして生きてきた僕が、先日一つの滞りに出会いました。今思うと、その時、僕は「恐怖」に捕まり思考と身体が固まっていました。そして、そのことをあまり認識していませんでした。コントロールはあくまでコントロールです。「恐怖」がなくなったわけではありません。ちょっと油断をすれば気づかぬうちにそれに飲み込まれ思考や行動に影響していくのです。そんなことを実感した出来事でした。

「恐怖」は世界や天に対する不信であり、汚れと言えます。

過去から未来へと続く天の物語。僕はその中で役割をいただいているに過ぎません。そして、天の意向を果たすために必要な能力はすべて与えられているのです。だからただ今を生きていればいいのです。出来ないことも天の意向だから、どうしようなんて思い煩う必要もありません。ただ今を生きて結果をいただき、そこから学びを深めていくだけなのです。

今を生きる。そのことについてりゅうしろうくんはこんなふうに書いています。

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「今を生きる」、それは過去からのプロセス、未来への眺望を含んだ立体的な捉え方です。その人がやるべき役割、その人が取り組むべきテーマ、その人の今の実態、その人に宇宙が与えているもの、それら全ては目の前に現れている。だから、目の前にあることを積極的に次々こなしていくことが、宇宙の大輪に乗っていくこと、勢いよく生きていくことになります。



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今を生きる。そこに恐怖は必要ありません。

自分の中には恐怖がありました。それは僕の汚れです。ここ数日、咳が止まらず苦しいのですが、それは浄化のプロセスだと思っています。

咳が止まらなくとも、苦しくともなんでもいいのです。

これから物心共に厳しい時代が来る。

いさどんは先日、そんなことを言っていました。物資的な厳しさは大型台風をはじめとする異常気象にその兆候は表れています。そして、心。心に関して言えば、AI(人工知能)の開発を挙げていました。人は今まで便利になればなるほど能力が退化し心を貧しくさせてきました。例えば、マザーテレサは、1981年、豊かな国、日本に来て以下の言葉を残したそうです。

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日本に来てその繁栄ぶりに驚きました。日本人は物質的に本当に豊かな国です。
しかし、町を歩いて気がついたのは、日本の多くの人は弱い人、貧しい人に無関心です。
物質的に貧しい人は他の貧しい人を助けます。精神的には大変豊かな人たちです。
物質的に豊かな多くの人は他人に無関心です。精神的に貧しい人たちです。
愛の反対は憎しみとおもうかもしれませんが、実は無関心なのです。

憎む対象にすらならない無関心なのです。


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ですが、多くの人は未だに物質的豊かさ、便利さを求めています。それが人々の心にどんなものをもたらすのか?その行きつく先にみんな気づいていません。ですが、これも天の意向の顕れです。だから、ただただ見ていって、みんなでその先をいただいていけばいいのです。

それでも気づいたものとしての役割があると思っています。天からのメッセージは常に自分を手放すことだから、そしてその先に繋がり合う豊かさがあるのだから、だからただただそんなふうに生きていくだけなのです。

ロータスランドに飾られている絵です。


「命には囚われない」という悟り

今年のノーベル経済学賞は、行動経済学の研究を進めた米シカゴ大学のリチャード・セイラ―教授に授与されました。行動経済学は、経済学に心理学の理論や分析を応用した学問ですが、人間の非合理な側面を解析し、経済理論を構築していきます。行動経済学の研究は、2002年、2013年のノーベル経済学賞の対象になっていて今回で3回目。近年、注目を集めているようです(今年のノーベル経済学賞『行動経済学』は何が凄いのか参照)。僕自身、昨年の2月、「人間性が経済を生み出す」で行動経済学を紹介していますが、これは人間の反応パターンを知るという意味ではとても有益な学問だと思っています。

例えば、行動経済学の知見の一つにプロスペクト理論というものがあるそうです。それによると人は、同じ変化の大きさであれば、「プラスに触れる」ことよりも「マイナスに触れる」ことに、より敏感に反応します。

「50%の確立で5,000円が当たります。同時に50%の確立でハズレが出て、その場合、2,000円支払う必要があります。」

上記は経済的には”お得”な賭けなのですが、多くの人はこの賭けを避けると言います。それは2,000円を失うことを恐れる気持が、5,000円を得る期待を上回るからです(人は失う恐怖に弱い参照)。

失う恐怖から行動を避ける。行動の結果、何かを得られる場合でも。

それは経済的活動だけでなく人生の様々な場面で人間に起きる反応なのだと思います。そして、それはこの世界に停滞を生み出す一因となっています。

話しは変わって。

台風21号が猛威を振るっていますが、その台風について、ようこちゃんといさどんは以下のような会話をしました。

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ようこ:

昨日の夜、台風21号に思いを馳せていたら、突然地球の悲しみや痛みがわたしにうつってきて、涙が止めどなくあふれた。そのときに、「台風の勢力を沈めようとするよりも、私たち一人ひとりの心を正常にするしかない」ということを改めて感じた。そうしたら、今も急に地球の悲しみがわたしにうつってきて、涙が出てくる。

いさどん:

文ちゃんが勧めた映画を昨日観たけれど、あれは「猿の惑星」のようなストーリーで、人類が地球にとって、いわば悪の存在だ。最終的には人類を破滅させるようなストーリーで、だから他の星へ行って暮らしているという結末だった。あの映画ではそのような人類の悪説が語られていて、実際に今、アメリカの姿勢にしても、日本の姿勢にしても、北朝鮮の姿勢にしても、中国の姿勢にしても、ロシアの姿勢にしても、どこをとっても、地球にとって悪だ。それぞれが自己主張していて、地球に優しい波動を出すことがない。結局、アフリカでも自然が破壊され、自然に還ることを忘れている。

そこで今、必要なことは、地球に優しい生き方だ。エコビレッジなどといったものは、結局人間にとって都合のよい生き方だ。だから最終的に、人間には「命には囚われない」という悟りが必要だ。


☆彡 ☆彡 ☆彡

そして、いさどんとようこちゃんは、カタカムナ5首6首を奏上し地球を想い、地球に優しい響きを響かせました。それを受けて、僕らみんなもそれぞれの場所でカタカムナ5首6首を奏上しました。物理的対策をしっかりとすると共に地球の心を向けることを大切にしました。そして、昨晩、みんなでひまわりホールに集まり、先日、大鹿窪遺跡で奏上されたカタカムナの映像を観ました。そこで、欲の心に囚われず、ただただ自らをきれいにすることを誓いました。

今、地球環境を見ても世界情勢を見ても大変な時代を迎えていますが、それは人間の心、自我が生み出したものです。そのため自我の元に状況を改善しようとしても、それは自分都合となり、物事を悪化させていくのです。

昨日、衆議院選挙がありました。どの党も世の中を良くするためのことを語っています。ですが、お互いにいがみ合っています。良くするためのことを語りながらお互いにいがみ合っているのです。それが自我の生み出す響きでありこの世界を創っていきます。

世界を良くしようと思っていても、自我が生み出す反応パターンに飲み込まれていると
それは自分都合のものとなり、結果、不調和な響きを発することになるのです。そこで冒頭に挙げた行動経済学のプロスペクト理論ですが、これも自我が生み出す反応パターンで自分都合のものと言えます。そういう反応パターンをすべて自覚し超えていくこと。究極はいさどんの言う、「命には囚われない」という悟り。そこに達した時、個人の人生という囚われから解放され、時代の流れ、宇宙と一体となって生きていけるのだと思います。

その地点はきっと究極の喜び。

そこへ向けて日々心を磨こう!!!と思いました(^-^)

大鹿窪遺跡でカタカムナを奏上したみんな



善なる愛なる調和を表現する

心学堂ツアーの皆さまを迎えたウェルカムコンサートです。

今、木の花ファミリーでは1ヶ月間の真学校卒業生の文ちゃんが企画した心学堂ツアーの皆さまを台湾からお迎えしています。心を学ぶツアー、その中で経済プレゼンの時間も持たれました。それに合わせて、木の花ファミリーのお金の動きの図を以下のように作り直しました。


今年の春分点を通過した翌朝(3月21日)にオープンしたカフェ&ショップ・ロータスランド、そして5月26日、新月の日に設立された合同会社ロータスランドを図に加えました。ロータスランドで行っていることは商売ですが、私たちの商売の特徴は、いさどんによる以下の言葉に表されています。

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今の社会では、みんな収入を得るために必死に仕事をしています。お店ならば、お客を獲得するために一生懸命、商品開発や営業活動を行っています。お客の増減はお店にとっては死活問題なのです。ですが、木の花ファミリーの活動はそれとは違います。私たちは天の恵みである作物をいただき、それを基盤として生活を営んでいます。収益を得ることが死活問題とはなっていません。ですから、私たちの商売は一般とは違うものなのです。同じ基準で考えてはいけません。天の恵みによって暮らす私たちは、心に余裕やゆとりがあります。そして、その余裕を心磨きに向けることが天との約束です。商売もその延長にあります。天の恵みの恩恵を世の中に広げていく。それが私たちにとっての商売で、心を伝えること、幸せを循環させることがその本質にあるのです。


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お金は社会の血液と言われています。血液は身体の中を循環することで、栄養や酸素を身体に行き渡らせます。同じように、お金も本来、世界中を循環することで、天の恵みを社会に行き渡らせるものです。ですが、今の社会ではそれが機能していません。現代社会では、生活と仕事は切り離され、人々はお金のために働くようになっています。そしてお金が人の欲の心や不安の心を刺激し、その結果、お金の動きに偏りが生じ、貧困や飢餓が発生しているのです。

これはすべて心が生み出していることです。木の花ファミリーでは心を磨くことで、自らの欲得や思惑から自由になっていきます。その心でお金を循環させることできれいなお金が世界に行き渡るようになるのです。カフェ&ショップ・ロータスランドではいろいろな人の夢を叶えながらその流れを大きくしています。最近、70代の元気なバァ二人がデザインから製作まで手がける手作りブランド「BAARS(バァズ)」が誕生し、2人は生き生きと働いています。

自分たちで作成したスカーフを身に着けているバァ2人です。

木の花ファミリーの暮らしには給料がありません。バァ2人もお金のことは考えずただ自分たちの作品を作りお客様に提供することを楽しんでいます。その暮らしについては、木の花ファミリー憲章「生活・仕事(役割分担)」に端的に書かれています。

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現代社会の多くの人にとって仕事は対価を得るための手段であり、生活から切り離されているものです。しかし、私たちにとって仕事とは共に支え合って生活するための必要を満たす手段であり、すべてのメンバーは共同体に対してそれぞれの個性に応じた役割を担っています。

自然界ではすべてのいのちがつながりあい、それぞれの働きによって他のいのちを存在させています。私たちもまた、全体のために働くことを通してそれぞれの個性と能力を開花させ、互いに生かし合っています。

自然界をモデルにした利他の精神のもとに立って、私たちは日常の小さな仕事も地球の営みと共にあることを認識し、心を尽くして働きます。私たちにとって仕事とは、自らが地球と共に生きることの表現のひとつなのです。

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このような暮らしから木の花ファミリーの経済は生まれています。それは共有し分かち合う経済です。心学堂ツアーの経済プレゼンでは、いさどんは宇宙の成り立ちから話しを始め、人類の歴史を辿り、その中に登場した木の花ファミリーの経済について語っていきました。そして、その最後は以下のように締めくくられます。

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宇宙の存在は善なる愛なる調和です。今、その真実を分かる時代がやって来たのです。そのために宇宙はその反対の世界を経験させてきました。多くの経済学者や人類学者は今の時代が問題だということは分かっています。そして警笛はいっぱい鳴らしています。ですが次の時代をどうすればいいかという解決策は誰も語っていません。これからの時代は、優れた研究者ではなく私たち一人ひとりが行動を通して答えを出していかなければならないのです。世界観を広げることが大切です。中には今日一日、自分のことしか考えていない人もいます。家族も忘れて、そうすると家族は崩壊していきます。また自分のことも考えられなくて、自分の身体を壊してしまう人もいます。食べ物や考え方で自分自身を行き詰まらせていくのです。人類は物質的に恵まれたグローバル社会の中で情報をいっぱい得るようになりました。ですが、意識は狭くなっています。それは自我にまみれて、自分のことだけを考えているからです。ですが実際は、太陽はいつも平等に光を注いでくれています。生きるために食べ物は買うけれど太陽に料金を振り込んでいる人はいません。水は雨となり平等にみんなに生きる潤いを与えてくれます。そして、大地はみんなに恵みの種を芽吹かせてくれます。風があるのも私たちを鍛えてくれています。人生の風も自然の風も一緒です。逞しい私たちを創ってくれます。何よりも空間、空気、これは生命力の元であり、プラーナという生命力を吸って、私たちに健康を与えてくれているのです。自分が世界からいっぱい与えられているのですが、生かされているということを忘れると、私たちは自分が生きていると思うようになります。そして世界観が狭いと先の見通しが立たないので、不安となり希望がなくなり、その人一人分社会を暗くします。自分を明るい人生に導かないのも自分ですが、世の中を暗くしているのも自分です。みんながそのことに気づき意識を広げ、自分が自分に何をもたらしているのか、自分が世界に何をもたらしているのか、そのことに気づいたら、その人の人生の歩みは変わるでしょう。世界観を広げ意識が変われば、経済や時代の捉え方、人生の捉え方も変わります。それはすべての好循環の始まりです。それはあなた一人の行動から始まります。

このツアーでは、皆さんに優れた知識を提供するわけではありません。皆さんは地球で肉体を持って生き、自分が生きた結果、どういう行いをしたら、どういう人生が得られるかを学習する力を持っています。つまり生きることは学習なのです。そして、生きることの目的は、学習して自分が高い意識のものとなり、自我の汚れを取って、美しくなって、この世界がよい世界になることに貢献することです。それが、人生が終わった時に、よい人生だったなぁと気持ちよく旅立っていける、人生の完全燃焼です。あなたは生まれてくる前に宇宙と約束してきているのです。「時代の役割をお前に与えるから果たしてこい」と。そして自分一人分、人類に進化を与え、世の中を美しくして帰ったら、「ご苦労さん、よくやってくれた、合格」と迎え入れられる。それが生きることの目的だと思います。お金やモノをかき集めても死の向こうには持ってはいけません。持っていけるのはあなたの心の価値だけです。心の価値を積み上げていく人が増えたら、21世紀、これからの世の中はよい世の中になっていくでしょう。それはあなたの一人の行動から始まります。

皆さんがこのような価値観に出会うことは目覚めるということです。目覚めれば、私たちは真実の生き方が出来ます。幻や闇の中で生きていてはよい人生は生きられません。真実に生きると、普通の人が困難に思うことも乗り越えられる力が湧いてきます。そして逞しく生きられます。皆さんは今、目覚めに繋がる価値観と出会いました。素晴らしい地球のためにこの目覚めのネットワークを広げていきましょう。

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経済も一人ひとりの心の反映です。世界観を広くし、自我の汚れを落とした時、共有し分かち合う暮らしが生まれます。それは宇宙法則の表現であり、自然生態系の表現となります。善なる愛なる調和。そんな暮らしを広げていきましょうね(^-^)



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