大いなる自分へ向けてのそぎ落とし

秋分の日を迎えて、いさどんは以下のように語りました。

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「木の花ファミリーでは2017年を『爆発の年』と呼んでいる。爆発というのは、究極の破壊だ。そうすると、破壊というのは、陰に入る入り口とも言える。今日、秋分の日を迎えるにあたり、これまでの拡大のサイクルからそぎ落としのサイクルに入る。だから、一人ひとりが不要なことはもうなしにして、必要なことだけを行っていく時が来たということだ。」
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そして、秋分の日の朝、いさどんとようこちゃんはこんな会話をしています。
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いさどん:
だから、恐れてはいけない。・・・そうか、残りの人生を生き切るぞ。幸か不幸か、世相はとてもダイナミックだ。今までのように、もう浮かれてはいられない。そのような時代に入った。だから、現状の危機迫る日々に対してしっかりと眼を向けて、その荒波を乗り越えないと、生きていることの限界が来る。生きていることを楽しめないどころか、限界を感じてしまう。
そのために、心強いのは、本当に心から通じ合った仲間がいること。そして、それが群れて、皆の能力がしっかりと発揮され、その難局を乗り越えていく――、ここまで来たら、もはやそれしかないだろう。
お釈迦様の話の中に、家に火がついたのに子どもたちが気付かないで庭で遊んでいるというたとえ話がある。だから、お釈迦様はそれを何とか助けようと思って、家に火がついていることを気付かせようとするのだが、子どもたちはまったく気付かないで朗らかに遊んでいる。それが、今の人間たちの生きる姿勢だ。
昨日、みちよちゃんがようこに「綺麗になったね」と言っていたね。やはり、そぎ落とすと、人は綺麗になる。
ようこ:
「自己否定の申し子」であるいさどんの姿から、毎日学んでいるからね。
いさどん:
僕は自己否定しながら、自らの歩むべき道を頑なに進んでいる。


 ~ 中略 ~


いさどん:
スイングバイは欠くことのできないとても有効な物理性ではあるけれど、それは精神性に対しても非常に重要な物理性なんだよ。
ようこ:
スイングバイとは、天体の重力を利用して宇宙探査機の軌道を変更する方法だから、わたしたちも節目ごとに軌道修正しながら不要な心をそぎ落としていける。さらに、スイングバイによって天体の公転運動を利用することで、宇宙探査機を加速させることもできるから、わたしたちも方向性を定めたら、進むべき道へどんどん加速しながら進んでいけるということだね。
いさどん:
軌道修正する方向に意識を向けていくと、その意識は加速しながらタイミングを計り、ベストなタイミングで進むべき方向へと放たれていく。小惑星探査機が地球の軌道から離れて目的地へ向かってスイングバイするためには、地球の公転速度である秒速30km に乗って、それ以上のスピードまで加速する必要がある。同じスピードでい続けたら、ただ地球のまわりをぐるぐる回っているだけになってしまうからね。
人間はそのような優れた叡智を解明し利用しているのだから、やはり魂にもそのような仕組みを取り入れていかないといけない。「物心両面」というからね。
ようこ:
そのためには、先程いさどんが語ったように、群れて、自らの姿をお互いにチェックし合うことが大切だね。
いさどん:
それでお互いを活かしあってね。
ようこ:
そうして精神性を高めていく。
いさどん:
目的がいがみあうことではなく、高まっていくことになければいけない。それも、ひとりの存在が高まるのではなく、皆の意識が高まっていったときに、世界に次のステージが現れる。これ以外の道がどこにありましょうか。
ようこ:
これ以上の突破口がどこにあるのだろうか。それは、無限の可能性の彼方にあるものだね。

いさどん:
それは無限の可能性であり、宇宙の意志だ。地球が宇宙に存在し、時代は宇宙の動きと共に刻まれているのだから、それが人が目覚めるべきところだ。我々は太陽と共に、土と共に、水と共に、空気と共に、風と共に、物心両面で宇宙を歩むものなのだ。
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この道は自己否定の道であり、そこに人類の未来があると思っています。かつて僕はこの道について以下のように書いています。
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この道は言ってみれば、自己否定の旅だと思っています。それはもっと大きな自分、世界と一つになるための自己否定です。常に否定し続け、それが即、肯定へと変容し続けます。それは自分を手放すことが出来ることへの誇りであり、大いなるものへと自分を委ねる覚悟となります。

この道は山登りに例えられます。山のすそ野は広くどこからも登ることが出来ますが、頂上は一つ。登れば登る程、道は限られていきます。同じように、この道は究めれば究める程、道は狭くなり、今まで良かったことも駄目となり、自らの選択はどんどん限られていきます。

不自由の自由。

一見、不自由に見える心の道ですが、それを進むことが本当の自由への道です。

なんでもいいけど道は一つ。

そんな感じです。


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我思う、故に、我あり。(コギト・エルゴ・スム)

自分が存在しているのは、自分が思考しているから。自分の存在基盤を思考に求めたデカルトのこの言葉は、自我による自然からの独立宣言で、自然や他者の存在なしで自分が存在出来るという幻想を人間にもたらしました。自我を与えられた人間は、その人独自の経験をし感情を育んでいきますが、デカルトによるこの宣言以降、それがどんどん独りよがりのものとなっていきました。その結果、人々は自らを主張することに一生懸命となりお互いに分かり合う経験を減らしていきました。トランプ大統領が誕生して以来特に話題となるアメリカ社会の分断と対立ですが、それは自然や他者から切り離された自我が生み出しているものであり、人類の危機を表しているのです。

だからこそ、自己否定が大切となります。独りよがりになりがちは自我を否定することにより他者との繋がりを取り戻し、大いなる自分、世界と一つになっていけるのです。

2012年12月21日に迎えた「銀河の冬至」、その前後7年の銀河の夜明けを超えて、今、宇宙は光の時代へと向かっています。それは独りよがりとなった自我という闇からの解放を意味します。そして、文明周期説は、これから物質文明が衰退し、精神文明が栄えることを示唆しています。人類は今まで物質的豊かさを追究すると共に自我を膨らましてきました。その結果、人々は自我の幻想に囚われ、社会に分断と対立が生まれ、精神的には貧しい時代を迎えています。これからは物質的豊かさと共に膨張した自我をそぎ落とすことで精神の豊かさを生み出していく必要があるのです。それを可能にするのが、人と人とが共に暮らす群れの暮らしであり、互いを生かし合うことで精神性は高まっていきます。

秋分は一つの節目であり、1年のサイクルで見ると、そぎ落としの始まりです。その機会に自らの姿勢を確認し、もっと大きな宇宙のサイクル、そぎ落とすことで精神的豊かさを生み出すサイクルを推進していこうと思っています。

先日、ロータスランドに新しく飾られたです。






宇宙を生きる

9月23日、秋分の日、改修中だったおひさまハウスひまわりのホールが使えるようになり、2ヶ月ぶりにみんなで一緒に夕食をしました。秋分は天体の節目。その動きに呼応し、みんなで心を合わせました。

食前、みんなで一緒にお祈りをしています。

その後、僕はいさどんによるケア滞在者との面談に同席しました。そのケア滞在者は理屈っぽいところのある人なのですが、彼に対して、いさどんは以下のように語りました。

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理屈っぽい人は理屈で先に結論を出す傾向がありますが、それは良くないことです。そうすると「あなたはなんでそんなふうに断定するの」となって人間関係が壊れていく原因にもなりえます。結果は常に現象をもって判断する必要があります。大事なのは常に努力していくことで結果はいただくものです。やってみること。試すことは必須です。理屈をこねる人は、結果を想定し、そこに持っていこうとするのだから、それは傲慢とも言えるのです。いただく姿勢が大事です。

人に対しては、相手の行動をあなたの理屈の中で分析しようとしています。分析してはいけません。相手には相手の好き嫌い、モードがあります。理屈なしで生きていきたい人もいるし、理屈抜きでやり取りをする必要がある場面もあります。それを無視すると、相手があなたを避けて通るという現象になって表れます。相手を感じて相手に合わせて接していく必要があります。そういうことは、相手の目線を意識するとだんだん分かるようになります。人にはそれぞれ生きてきた経緯があります。それを理解することです。これは無理に合わせるということではなく、人はそれぞれ違うということを理解し、それを踏まえて行動することが大切なのです。

あなたは「どうせ理屈で分かり合えないのだからいいや」と言いますが、そこに投げやりな姿勢を感じます。その状態だとお互いに嫌な感情を残します。どういう結論が出るにしてもその場の出来事を完熟させ、しこりのない状態にする必要があるのです。違いがあるならば、お互いの違いを認め合って終わりにする必要があります。

ところが、あなたの場合、自分の理屈を通そうとする結果、勝ち負けになる傾向があるのです。相手に理屈で勝とうとしています。それは、トランプ大統領と金正恩氏と一緒です。2人はお互いに、相手を否定して自分を立てようとしています。それをとことんしようとしてどんどんエスカレートしているのが今の状態です。今まで、アメリカの大統領はそれをしなかったから北朝鮮を育てたとも言えます。だから悪いことばかりではないのかもしれませんが、あまりにも過激になると取返しがつかないことにもなりかねません。そこで理性、人としても道が問われるのです。しこりがないように完熟させる必要があります。そのために相手を理解し、自分を手放す姿勢が必要となるのです。

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ケア面談の話題は最近の北朝鮮にも及びました。そして、その後の大人ミーティングでは、いさどんブログ「天の川銀河と対話して~北朝鮮を語るPARTⅡ」をみんなで読みました。以下、一部を引用します。

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今、北朝鮮は核兵器を持つことによってアメリカと対等になろうとしているが、そもそも地球上の今の核兵器バランスというものはどのような形で始まったのかといえば、核不拡散条約により、核兵器を持つのは良心的で優れた国とされているアメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国。この5ヶ国は核兵器を持ってもいいが、これらの国は平和のために持っている。しかし、他の国はならずもの国家で、核兵器を保有したら何をしだすかわからない。平和の脅威だ。だから、5ヶ国以外の国には持たせないという話なのだ。しかし、そもそもこのような核兵器はなしにするべきだったのに、自分たちだけが善良な国で、あとはならずものだから持たせないという話にしてしまった。

核兵器というものは、隣りが持っていると不安だからといって、アメリカが保有したらソ連も持ち、ソ連が持ったからイギリスやフランスも持ち、それで中国が保有したら対抗してインドも持った。それでインドが持ったら、今度はパキスタンが持ったんだよ。そうすると、中東諸国に囲まれているイスラエルは事実上核兵器を持つことになった。

つまりこの状態は、自分の主張が通ったものが善良で正しいという考え方だ。そうすると、北朝鮮のように核兵器だけを持っているのではなく、今は経済と軍事力の時代だから、経済も核兵器も両方持っているのは、アメリカだ。だから現状の世界は、アメリカが自らの尺度で「これはならずものだ」「これは善良だ」「仕方がないからこれは認めよう」と判断しているという姿になっている。

そのような世界に平和が訪れるわけがない。そうすると、北朝鮮の主張もわからないわけでもないという話にもなるだろう。

 ~ 中略 ~

人間は、自分の見える目線から判断し、認められるものを正しいとする。それが認められない、もしくは理解できなければ、間違っているとする。その徒党を組んだ極めつけが国家だ。

しかし、伝統的な暮らしも、動植物の個性も、地域による文化の違いもすべて多様性を認め合って初めて、平和がある。ところがグローバル化によって、人間の豊かさの価値観が単一化してしまった。そこで、お金があって欲しい物が手に入るアメリカ型豊かさだけが豊かさになっていると、それを阻害するものは悪で、そのようなものたちが築き上げてきた多数決の世界観が正義になっている。それが現代の問題を生んでいるのだ。そのような価値観はこれまで爆発的に広がってきたが、それは地球の多様性という生命世界からしたら、非常に貧しく単一的な世界だ。そのツケが今、世界中に現象化してきているのである。

そして、その単一化された価値観を阻害するような今までの動きも、実は宇宙からのメッセージであり、その矛盾を人類に示しているとも言える。「ひずみがあるとこうなるよ」と。逆に、ひずみを消すと悟りに向かっていくのだから、悟りに至ることはある意味味気ない世界とも言える。そういったことを宇宙が教えてくれている。


その宇宙の意志が観えるものになること――。それを今の時代に生きる人々に伝えたい。

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この日は秋分の日、その天体の配置が「最後の審判の始まり」を意味するとも言われています(「魂の本当の価値が試される時」参照)。僕は大人ミーティングでそんなことを紹介しました。その僕の言葉を受けて、いさどんは以下のように語ります。

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世の中には知識が豊かな人がいて、それが語られています。例えば、「最後の審判」の話です。こんなふうに語られてみんな分かりますか?天を見て判断出来ますか?僕はこういう話を聴くと「すごいな」と思います。ですが、それが人々の目覚めには繋がっていきません。僕自身はそういう知識はないけれども、9月になったら違うと感じ宣言をしました。そしてその節目が秋分でこれから現象化が進んでいきます。大切なのは、何も知らなくても宇宙のリズムときっちりと合っていくことです。

先に読まれたブログ、あれは銀河との対話が元になっています。翌朝、突然、渡り鳥をタモ(網)で捕らえる映像が現れ、そこから北朝鮮、世界平和の話へと繋がっていきます。これは最初からこういう話をしようとして組み立てられてものではありません。自分で意図した思考ではなく湧いてくるものです。

宇宙をひも解くことも、宇宙を科学することも大切ですが、一番の大事は宇宙を生きることです。それは天体の動きが日常の自分に繋がるということであり、優れた心が優れた現実を生み出し、愚かしい心、宇宙の法から外れた心は矛盾を発生させるのです。生活の中に宇宙を生きるということを表現する。それは自分を空にして「いただきます」ということであり、宇宙のスケールで生きることで現象化をスムーズにしていくのです。そこには難しい話はいりません。

その人の意識レベルで観たものがその人にとっての正解です。ですが、それをやっていたら狭い生き方です。自分の視点を超えたところに自分を持っていったら、新しい自分と出会えます。

僕は思考をしていません。僕の話はどっかから来て勝手に出て来るものです。自然にそれが湧き出してくる状態、囚われのないフリーな状態で宇宙を生きているのです。

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現代社会では、多くの人が自らの思考に囚われ理屈っぽくなることで数々の問題が発生しています。そこを超えるためには自らを離れ、他者を理解すること、多様性を認め合うことです。その姿勢で先に進み結果は現象をもって判断していく。そんなふうに生きていくことで未来は切り拓かれていくのだと思います。それが木の花ファミリーの生き方であり、その先には希望があります。


魂の本当の価値が試される時

今日、9月23日は秋分の日です。滝沢泰平さんによると今日の天体の配置は、「最後の審判が始まるタイミング」を表しているようです。以下、天下泰平ブログ「ピラミッドのカウントダウンとヨハネの黙示録」から引用します。

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ヨハネの黙示録の第12章には、最後の審判の前に出現する天のしるしについて記されています。

12の星の冠をかぶり、太陽をまとい、月を踏む1人の女性が天(宇宙)に出現すると。


そして、その女性は妊娠しており、やがて男の子供を産むとも書かれています。

この物語、実は聖書の書かれた当時における未来の宇宙天体図を予想しており、宇宙の天体で上記のような配置となったら、いよいよ最後の審判のタイミングとなることを意味しているようです。

さて、奇しくも、この宇宙天体図は今現在の宇宙の配置とぴったり一致しており、あらゆる条件が一致するのは2017923日の秋分の日であると言われてます。

地球から見上げた宇宙には、乙女座の女性が横たわっており、彼女の頭に獅子座の9つの星と金星、火星、水星の3つの太陽系の惑星が加わって12の星の冠となります。

そして、肩から太陽をまとい、足の下にはがいます。

妊娠の象徴となる胎児の役割を持つのは木星。

この女性は、聖母マリアであり、木星であるイエス・キリスト、救世主を生み出すのですが、20161120日から木星は、恒星の乙女座の子宮に入ったのでした。

人間の妊娠の長さは42週間。

20161120日から42週間後、201799日に木星は乙女座の子宮から飛び出して出産されたのでした。


黙示録の解釈では99日から2週間後が大事なようで、923日は黙示録の解釈から「いよいよ最後の審判が始まるタイミング」と言われています。

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この他にも、今日を最後の審判の開始と考える記事を見かけました。

最後の審判の解釈には諸説ありますが、共通して「魂の本当の価値が試される時」と言えるのではないかと思います。真実が暴かれて、その真実に基づいてすべてのものが判断されるようになっていく。これからそんな「トキ」がやってくるということだと思っています。

そんな秋分を迎えて、アメリカのトランプ大統領の国連での演説が大きな波紋を広げています。トランプ氏は、金正恩氏を「ロケットマン」と呼び、やむをえない場合は北朝鮮を「完全に破壊」すると述べましたが、それに対して、北朝鮮側は、「史上最高の超強硬措置」として、太平洋上での水爆実験をちらつかせています。

加えて、トランプ氏はイランやシリア、ベネズエラなどを「ならずもの独裁国家」と名指し、イランとの核合意からの離脱を示唆し、それらの国々から反発を受けています。

アメリカ第一主義を掲げ言いたい放題のトランプ氏。その言葉は様々な軋轢を生み出していますが、それは今まで隠れていたものが浮上してきているだけとも言えます。例えば、フランスのマクロン大統領は国際的対話と多国間主義の必要性を訴えトランプ氏に異を唱えていますが、フランスの実体はそれほどきれいなものではありません。9月20日、核兵器禁止条約の署名式典が開かれ、51の国・地域が署名しましたが、アメリカ、フランスをはじめとする核の保有国、そして核の傘の守られている日本などは署名していません。フランスが本当に国際的対話、多国間主義を大切にするならば、今すぐにでも核兵器禁止条約に署名するべきでしょう。結局、マクロン氏の言葉はただのきれいごとであり、その奥には自国第一主義があるのです。国際社会は今までそんな言葉で彩られ、多く人々はその言葉によって現実から目を背けてきたのです。トランプ氏はそんな国際社会の真実を暴く役割をしているのでしょう。

そのような中、本当に大切になるのは魂の価値を積み上げることです。それが心磨きであり、僕はかつて以下のように表現しています。

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魂は生まれてきて自分に相応しい肉体と出会います。そして、両親に出会い、身内に出会い、友や仲間と出会って行きます。その中で感情が育まれていきます。すべては相応しく与えられる出会いであり、その出会いを通して魂は自分を知っていきます。

僕たちの本来の姿は魂です。肉体や感情は相応しく与えられるものであり、それを通して自分を知る材料であり、だからこそコントロールすることが出来、その変化を通して魂も変化していくのです。


この視点に気づいた時、魂はすべての出来事から離れ、自由となり∞(無限)の可能性へと開かれていきます。∞(無限)の世界の中で魂を成長させていく。それが心磨きです。

この視点は完全にニュートラル(中立・中庸)なものです。なぜなら魂の世界は人間社会の善悪や価値観を完全に超えた世界だからです。それらを超えた価値、あらゆる価値観を超えたニュートラルな価値があり、それを積み上げていく。それが魂の成長であり、心磨きです。

僕は今、こんなふうに感じています。

魂の成長。それはこの世界の本質に気付き、自由になっていくことであり、自らの思惑から解放されていくことです。それは今まで自分が身に着けてきた反応パターンのそぎ落としです。一つのパターンがそぎ落とされた時、自分自身の感情、そして出会う現実が変わっていきます。どんなふうに変わるかは変わってみなければ分かりません。だから、これは思惑を超えた世界であり、変化は自ずから起きるもの、変化を起こすのではなく、変化をいただく生き方なのです。




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2017年秋分。最後の審判の時を迎えて、いよいよ人の理ではなく、天の理のもと時代は動いていきます。だからこそ、人間の社会の善悪や価値観を超えた魂の価値を積み上げることで、そのダイナミックを楽しむことが出来ると思うのです。それを示すのが僕ら木の花ファミリーの暮らしです。これからの時代。ますます心を磨き、魂の価値を積み上げることが大切となります。

木の花ファミリーのみんな@2017年7月26日マヤの祭典です。






本当の意味で願いが叶っていくこと

再びミサイルを発射した北朝鮮。これはタイミングからして国連による制裁決議に対する抗議なのだと思います。この北朝鮮についていさどんはこんなふうに語っています。

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北朝鮮が今やロシア、中国、アメリカに匹敵する核武装をしています。それは水爆を核弾頭に搭載するということ。そういう世界の軍事力のトップクラスのところの技術を持っている可能性があるという話ですが、これ画期的なことです。何が画期的かと言ったら、覇権を握る国、世界を支配している国々が自分たちの覇権を維持するために核を持って世の中を支配してきました。だから他の国には持たせません。俺たちは持ってもいいと。ところがとんでもない国が持ったということはそのバランスが崩れるということです。覇権を持っている国々にとっては恐ろしいことです。ましてや、その傘の下にいる日本にとってはとんでもないことです。自分たちは核を持っていないけれども、その脅威がそばにあるのだから。だから、これはすごいことなのです。今までの流れをぶち壊すということでは画期的なことがおきています。今までと同じ、ただ抑えればいいということでは通用しません。それでも抑えていくと、もうどうでもいいわ、そこまでやって俺の国を潰そうとするならやれるだけのことをやって、それで潰れようじゃないかって開き直ったらえらいことがおきます。そういうことを冷静に考えたら、ちょっと待てよ、とロシアや中国がなるからアメリカの思うようにはなりません。

思う通りにならないと思う通りにしたいという心が湧いてきます。思う通りにならないからいらいらするから思い通りにしたいと。だけれども、思う通りにしたら大変なことになるとは考えません。抵抗があると行きたくて仕方がなくなります。抵抗がなければまだ冷静に考えるチャンスがあるんだけれども。抵抗があると冷静に考えるチャンスを失います。今のアメリカはそんな状態にあります。

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今、核兵器を持っている国々も過去に核実験を繰り返してきました。そして、数々の被爆者、そして環境破壊をもたらし、それは負の遺産となって今でも残っています(「核実験」や「核実験の悲劇の地 南太平洋の体験」を参照)。今、核武装国が持っている優位は多くの犠牲の上に成り立っているのです。そんな国々が北朝鮮に対して偉そうなことを言えません。それぞれの国の利益を離れたら、そんなことは明白です。

だけれどもアメリカは北朝鮮を思い通りにしようとして経済制裁を強めています。そこには面子や自国の利益など様々な要素があるのでしょうが、それは鎧を着ている状態と言えます。どの国も鎧を着て、自分たちをの利益を守ろうとして対立に繋がり不安や恐怖に襲われているのが、今の世界の姿と言えます。

そしてそれは一人ひとりに人間についても言えます。

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本当の生きる道を見つけるためにはいろいろな鎧を着ているのを脱がなければならない。そうしないとこれが本当だと言う道には出会えない。

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これもいさどんの言葉ですが、今、多くの人が鎧を着て自分を守ろうとして、その結果、孤立や対立が生まれ、将来に対する不安や恐怖を感じているのではないでしょうか?一つ一つ鎧を脱いでいった時、全く違う世界が展開します。そんな世界についていさどんはこんなふうに表現しています。

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我々は常に宇宙を高速で旅していて、二度と再び来ることのない無限なる新たなる道を行っています。それは進化。常に進化しているのです。我々は命。命というものは常に新陳代謝を繰り返します。古いものを自然に還して新しいものをいただく。同じ状態ではいません。それが生命の法則であり、宇宙の法則です。意識も同じである必要があります。

宇宙の流れは、地球上どこでもその法則は流れています。それをキャッチして、それと意識を合わせて、意識を合わせるということは自分ごと(自分の利益や損得)に走らないということで、高次の意識でそれをいただきます。そんな世界を表現出来ることが大事なのです。

そうすると、普通に生きているだけで「豊か」がそこに発生します。日常の中にいい流れだねという話があって物語のように続いていきます。それは天の流れに沿っているからです。

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物語のように繋がるいい流れだねという話。そんな例がいさどんブログ「生きることの奥にある人生の原点に出会う」に描かれています。是非、読んでみて下さいね。

ちなみにここで紹介しているいさどんの話、別の意図でみんなを集めた時になされたものです。意図は別だったのですが、いさどんの周りにみんなが集まり豊かな時間となりました。思いがけずに出会ったもので、思い通りにならないことから生まれた豊かさです。そこにも自分たちに相応しい宇宙の流れを感じました。

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本当の意味での願いが叶っていくことは、自分が望んで獲得するのではなく、自然に与えられ、その流れに沿って生きていくことなのです。

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これは先に紹介したブログでいさどんが語っている言葉です。そんなふうに生きてみたいと思っている方にお勧めの講座が『1ヶ月間の真学校』です。共に学びを深めませんか?






無限の世界の中で魂を成長させていく

木の花ファミリーではNPO法人ぐりーんぐらすとの協力の元、自然療法プログラムを提供しています。自然療法プログラムでは、心身の病等の問題を抱えた方が、自然に沿った暮らしの中で健康を取り戻していきます。それを支えるのが、調和した心の元にみんなで助け合う木の花ファミリーの暮らしといさどんによる滞在者との面談です。面談では、数多くの事例に接してきたいさどんから客観的な視点が伝えられ、滞在者はそれを元にして自己認識を深め、自ら回復していくのです。先日、そんな面談の場でいさどんは健康について以下のように語りました。

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健康には肉体的健康と精神的健康があります。肉体的健康とは、太陽と月のリズムに沿った生活、つまり規則正しい生活を送ることであり、精神的健康とは考え方に無駄がないこと、理に適った思考をすることです。この2つはお互いに支え合っていて、肉体的健康が精神的健康を生み出し、精神的健康が肉体的健康を生み出します。

今、あなたは自分の症状が気になり、その改善を求めています。そして、その方法が思いつかないからとりあえず規則正しい生活を目標にするが、それで成果が出るかどうかは分からないと言います。そして意欲が落ち気味になっています。ですが、分からないから進んでいくのです。何でもやって見なければ分かりません。

規則正しい生活をし、肉体的健康と精神的健康を生み出すことはすべての土台となります。それが出来ることはあなたの中で手ごたえとなり、それは症状の改善にも繋がっていくはずです。他に案がないのだから、今出来ることを努力してやるだけです。

さらに言えば、健康には霊的健康というものもあります。

昨日あなたは倉庫でおばあちゃんに会ったでしょう。彼女は養蜂の手伝いに来てくれていたのですが、あなたに会ったのは初めてです。彼女は後であなたについて「あの人は怖いね。ああいう人をあずかるのだからここは大変だね」と語りました。それは一般の人があなたを見てぱっと感じる印象です。何もせずにそこにいるだけであなたはそういう印象を与えるということです。それが霊的な健康で、それは人の一番奥にある生命エネルギー、人柄の元です。それについては理屈で分析しても解決には繋がりません。自分と正直に向き合い日々の生活を整える、1日1日を規則正しく穏やかな気持ちで暮らすことで自然と改善していくことなのです。それはとても地道な努力を要することです。

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さどんの言葉を聴いた滞在者は出来たらそのおばあちゃんと仲良くなって、自分のどういうところがそのような印象を与えているのかを知りたい」と前向きな言葉を語り地道な努力を続けています。

ところで僕は霊的な健康という言葉を聴いて、死の向こうまで伴える価値を積み上げるという言葉が浮かんで来ました。いさどんはかつて僕にこんなふうに語ってくれたことがあります。

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そろそろ人々は、
そういった個人的なことを優先して生きることをやめるトキが来ている。

結局、
人間が個人的なことを優先し、
それが70億人集まって、
今のような世界を創っているのだから。

それと、
人間の世界の中で
どんなに優劣を競ったところで
たかだか知れているよ。

そのたかだか知れているところで生きても、
いつか自分が霊的な存在になるときに、
自らの価値を突きつけられることになるんだよ。

これから大切なのは、
つないで、
時代を創っていくことなんだよ。

死の向こうまで理解するものたちが生きているからこそ、
死の向こうまで伴える価値を積み上げていくことができる。

それが人生の勝利者であり、
道を目指すものにとって

一番大切なことだと思うんだよ。


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霊的なこと、魂の健康や成長は今生で終わるものではなく、ずっと続いていくものです。死の向こうまで伴える価値を積み上げる。それが僕たちの心磨きでかつて僕は以下のように書いています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

魂は生まれてきて自分に相応しい肉体と出会います。そして、両親に出会い、身内に出会い、友や仲間と出会って行きます。その中で感情が育まれていきます。すべては相応しく与えられる出会いであり、その出会いを通して魂は自分を知っていきます。

僕たちの本来の姿は魂です。肉体や感情は相応しく与えられるものであり、それを通して自分を知る材料であり、だからこそコントロールすることが出来、その変化を通して魂も変化していくのです。


この視点に気づいた時、魂はすべての出来事から離れ、自由となり∞(無限)の可能性へと開かれていきます。∞(無限)の世界の中で魂を成長させていく。それが心磨きです。

この視点は完全にニュートラル(中立・中庸)なものです。なぜなら魂の世界は人間社会の善悪や価値観を完全に超えた世界だからです。それらを超えた価値、あらゆる価値観を超えたニュートラルな価値があり、それを積み上げていく。それが魂の成長であり、心磨きです。

僕は今、こんなふうに感じています。

魂の成長。それはこの世界の本質に気付き、自由になっていくことであり、自らの思惑から解放されていくことです。それは今まで自分が身に着けてきた反応パターンのそぎ落としです。一つのパターンがそぎ落とされた時、自分自身の感情、そして出会う現実が変わっていきます。どんなふうに変わるかは変わってみなければ分かりません。だから、これは思惑を超えた世界であり、変化は自ずから起きるもの、変化を起こすのではなく、変化をいただく生き方なのです。




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霊的な健康や魂の成長。そこに価値を見出す木の花ファミリーの暮らしは無限の可能性を持ちます。10次産業を実現している場所で書いているように木の花ファミリーでは、生産(1次)と加工(2次)とサービス(3次)、それに医療や福祉、教育(4次)を含めて生活まるごと面倒をみることが出来ています。ところが・・・といさどんは語ります。

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15次産業というものがあるんだよ。1+2+3+4は10、それに5次産業が加わるんだよ。それで15。ここは生きることの面倒を見る(10次)だけでなく、魂をきれいにして社会を美しくする(5次)どころか、その生きていることのニーズ、冥途の土産まで渡すんだよ。そして、5次産業の奥には6次産業があって30世紀までの時代のニーズをこの世界に見本として表していく。1+2+3+4+5+6で21次産業、僕らはそれを目指しているんだよ。

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木の花ファミリーの暮らしは今生を超えたところ、宇宙の流れや天の意志に究極の価値を見出し、それに合わせて一人ひとり心を磨き、魂の価値を積み上げています。いさどんの言葉はその暮らしが持つ無限の可能性を表現しているのです。

木の花ファミリーのみんな@稲刈り神事


ただ天のみが頭上に広がる

1年前の9月6日、僕は「自分ごと」から全体性へと至る道を書きました。この投稿は、自分の衝動に翻弄され続け、そしてそれに向き合い続けた僕にとって一つの到達点です。以下、その一部を引用します。

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宇宙の法の下では、自他の区別を超えてすべてが繋がり生かしあっています。それから外れた「想い」や「行動」はすべて「自分ごと」なのです。世界のことを考えていても、社会貢献をしていても、「自分が」という想いに基づいていたら、それはやはり「自分ごと」となります。

そして、「自分ごと」の想いや行動は、たとえそれが実現したとしても、この世界に偏りを生み出し、いずれ対立や格差、喪失などの滞りとなって現れるのです。

だから「自分ごと」を超えていくことが大切です。

自我が与えられた人間は、当然のように「自分ごと」の願いや想いを持ちます。そして、それは意欲にも繋がるものです。だから、それらを追い求めることは大切なことではあるのです。ただ、その際、宇宙の法を意識する必要があるのです。

宇宙の法とは天の流れあり、それは時代が生み出しています。

自らの希望を追い求めながらも、天の流れを感じ、結果をいただき学んでいく。

そんな姿勢でいると、自分が高まり、自然と全体性へと至るのです。

それは自分と向き合う旅であり、その旅は果てしない冒険であり、新しい発見は尽きません。新しい発見により自分がどこまでも果てしなく広がっていくのです。


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これは叶わない「自分ごと」の望みを追い求めた末に至った一つの答えです。追い求め苦しむ過程。それは全体性へと至る道でした。今の僕にとって「自分ごと」は幻であり、全体性という客観視点のみが存在しています。

「自分ごと」は幻。それでも人はそれを追い求めたいものです。そして目の前の出来事に一喜一憂し振り回されていくのです。それは宇宙の法の中で人間の自我に許された戯れ。宇宙からの大いなる愛とも言えますが、人がそれに気づくのは「自分ごと」を超えた時だけです。「自分ごと」を超えた時、人は大いなる愛に包まれます。

今、僕の心にはいさどんの以下の言葉が響いています。

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なかのんの言うことは難しいね。彼は哲学者だからね。
だけど、なかのん流の表現をするものだから、ちょっと難しいときもある。
それを、相手の状況に応じて、いさどんのように通訳すればいいのだけどね。
なかのんの悟りのレベルは、自分が求めていく悟りだからね。
スピーカーになりきればいいんだよ。
スピーカーになると、勝手に降りてきて出てくる。
そこには一切私情ははさまない。自分のためもない。

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自分が求めていく悟り。そのレベルを超える時が来ているのではないかと思っています。そこで浮かんでくるのが二宮尊徳の言葉です。

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仏者も釈迦が有難く思われ、儒者も孔子が尊く見ゆる内は能く修行すべし、その地位に至る時は国家を利益し、世を救うの外に道なく、阻の中に益ある事を勤るの外に道なし。譬えば山に登るが如し、山の高く見ゆる内は勤めて登るべし、登り詰れば外に高き山なく、四方共に眼下なるが如し、此場に至て、仰ぎて弥々高きは只天のみなり。


新しき村2017年8月号「二宮尊徳に就いて」より

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山を登り切れば、天のみが頭上に広がります。この地点に立てば、世を救う以外に道はないのです。そこには「自分が求める」要素はありません。今年の7月、僕は以下のような文章を書いています。

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この道は言ってみれば、自己否定の旅だと思っています。それはもっと大きな自分、世界と一つになるための自己否定です。常に否定し続け、それが即、肯定へと変容し続けます。それは自分を手放すことが出来ることへの誇りであり、大いなるものへと自分を委ねる覚悟となります。

この道は山登りに例えられます。山のすそ野は広くどこからも登ることが出来ますが、頂上は一つ。登れば登る程、道は限られていきます。同じように、この道は究めれば究める程、道は狭くなり、今まで良かったことも駄目となり、自らの選択はどんどん限られていきます。

不自由の自由。

一見、不自由に見える心の道ですが、それを進むことが本当の自由への道です。

なんでもいいけど道は一つ。

そんな感じです。

多くの人は自分の想いのままに行動することが自由だと思っています。ですが、思い通りにことが運ぶことはほとんどありません。結果、自らの想いに翻弄され、現実の中で右往左往するのです。平和を求めて争ったり、平和のために核武装したり。人々は自らの想いに翻弄され、それが矛盾に満ちた社会を生み出しているのです。




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山を登る過程。それは自分が求め究める道です。僕はそこを歩んでいました。そこには否定する必要がある自分が存在していたのです。ですが今、僕はそこを卒業しようとしています。「自分ごと」は幻です。消えてなくなれば否定する必要もなくなります。

「自分ごと」を超えた時、人は大いなる愛に包まれます。そしてそこには全体性という客観視点のみが存在します。それは過去から未来へと宇宙を貫く柱であり流れ。ただただそれに基づいて生きていく。ただそれだけなのです(^-^)



集い語り合う中から生まれる真理

北朝鮮が核実験を実施し母なる大地を震わせた9月3日、木の花ファミリーでは稲刈り神事が行われ、大地からの収穫に感謝を捧げていました。自分たちの利害や損得で勝手気ままに振る舞い続けている人間ですが、大地は恵みを与え続けてくれています。

太陽や自然は見返りを求めることがありません。ただ与え続ける利他の精神の見本となっていますが、それがずっと続く保障はどこにもありません。実際に今、各地で異常気象が起こっています。

人間は自分の意志で生きていると思いがちです。そしてその心が傲慢な行動へと繋がりますが、この世界に存在するものは皆、自然や他者に生かされ存在しているのです。

お米をはじめとする作物はそんなことを教えてくれます。



ところで北朝鮮は核実験の前にミサイル発射を繰り返していましたが、それについては、以下のような説もあるようです。

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ワイドショーやニュースは北朝鮮からミサイルが飛んできたと大騒ぎしますが、大企業の経営者や銀行の幹部達は全然あわてていません。

なぜなら、北朝鮮という国がアメリカやニホンから何兆円もの援助金をもらっていると知っているからです。

そして北朝鮮はその御礼として定期的にミサイルを発射し、これによって国は「危険な状態ですから防衛予算を引き上げましょう」と国民を説得し、アメリカはニホンに武器を売ることができるわけです。

このように各国の支配者が連携して国民をだます嘘の劇を「ドラマトゥルギー」と言います。


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この話が本当かどうかは分かりませんが、仮に本当だとしても人間が地球上で勝手気ままに振る舞い地球を痛めつけていることは事実です。そして、一つボタンを掛け違えたら戦争に発展しないとも言えません。今、人間は自らの愚かな振る舞いによって自らを滅ぼす可能性すら持っているのです。

例えば、上記の話を信じる時、その奥にはどんな心があるかを見てみるといいと思います。もし騙されていたとしても攻撃されることはないことになります。そこからほっとする気持ちが生まれるかもしれません。もしくは、今の世界の酷い状況を一部の支配者に擦り付ける気持が生まれるかもしれません。どちらにしても今の世界の状況に対して責任を負わないことになりますが、その姿勢が今の世界を生み出しているとも言えるのです。

9月3日の夜、僕たちはみんなでいさどんブログ「八人目の聖者~道は一つ、心は一つ」を共有しました。以下、その一部分を引用します。

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尊きものを見つけ、そこに行き、
救われることよりも、自らが尊きものとなって、
他を救えるようなものになれ。
これからは、ひとりびとりがイエスやブッダであるぞ

 ~ 中略 ~

お釈迦様が、
「ガンジスの川の砂のごとく衆生はおる。
そのすべてに仏性あり」と言われた。
「どんな人間の中にも、仏になる種が入っておるぞ」
というふうに言われた。
それはよくあるお釈迦様の言葉として、
世の中にもそれを知っている人は沢山いると思う。
しかし、僕にお釈迦様は、そのあとの言葉を言われた。
「ただし、その道を歩んだものにだけな」と。
「すべてのものの中に真実の種があり、
すべてのものに悟りへ行く道があるんだけれど、
その道を歩まないものにはないぞ」と言われた。

そして、
「これからは、ひとりびとりがイエスやブッダであるぞ」
ひとりびとりが自分の中にある、
宇宙の中心からくる神性、真理の種を開花させて、
自分の中から光を外にほとばしらせる。
そして、人に救われることばかりのもの、
亡者として生きるのではなく、
自分の中から光を出して他を救えるようなものになる。
自分で自分を救えるもの。
それが連鎖していけば、誰も救われる必要がない。
ひとりひとりが目覚めて、
キリストとしてブッダとして人々があったならば、
この世界は救うものも救われるものもなく、
それこそが理想の世界。地上天国になる。

 ~ 中略 ~

ベトナムの僧侶、ティク・ナット・ハンが言った言葉、
「次のブッダは人間の姿で現れることはないだろう。
次のブッダはコミュニティの姿で現れるだろう。
それは他者を理解しようと努め、
互いを慈しむ優しさを持ち、
大事なことを常に意識しながら、
人々が暮らすコミュニティである。
これこそ地球の命をつなぐために私たちにできる、
最も大切なことではないだろうか」
という言葉にもつながる。

僕は、瞑想の時代にお釈迦様に問うた。
「こうやって私もいつか人々の心の問題に答えながら、
人々が集まり、組織ができ、
新興宗教の教祖のようになるのでしょうか。」
そうしたら、お釈迦さまが言葉を返されて、
「これからの時代、組織をつくるのではないぞ。
人々が集え。集い語り合え。
語り合う中から真理が生まれる時代である。
そういった中から世は開かれる」と言われた。
「そのひとりひとりはすべて今の仲間、
そして地球にいる仲間たち」、

そこに気づくことができた。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今まで多くの人が他者に救いを求めてきました。宗教に救いを求めたり、政治や経済に救いを求めたり、環境の変化により自分が救われることを求めてきました。そして、今の状況に責任を負わず、自我の赴くままに行動して来ました。その結果が今の世界の姿です。

自我の赴くままに。人は自我から生まれる欲望に翻弄され続けてきました。

これからは一人ひとりが目覚め、自らに柱を通し、自らを救っていく必要があります。柱とは自我から離れた視点、この世界の法則、循環の中で支え合い生かし合う暮らしです。その暮らしの中で自我は溶かされ世界へと流れていきます。それが集い語り合う中から生まれる真理であり、その真理は固定したものではなく次から次へと新しく生み出されていくものです。それが、木の花ファミリーが表現しようとしている世界であり、世界を真理の光で照らしていくのです。

北朝鮮の暴挙。これは金正恩氏が自我の赴くままに行動し、自我に翻弄された姿です。

その自我は、人々(国々)が繋がりを取り戻した時、大いなる循環の中に溶かされていくことでしょう。



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