もうすぐ「まなこい」から3年



3年前(2014年)の5月、木の花ファミリーにて僕の「まなこい」が行われました。そして2年前(2015年)の4月、僕は「まなこいから11ヶ月」という文章を書きました。

「まなこい」とは何か?そこでどんなことが行われたのか?

以下、「まなこいから11ヶ月」の文章を引用することで説明します。

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「まなこい」とは何か?

それは「まな板の上の鯉」の略で、僕はまな板の上の鯉のように抵抗することなく、みんなに自分を晒し料理をしてもらいました。まず僕自身が自分の分析をして、それに基づいてみんなが僕についての分析をするのです。そうすることで、お互いの認識のギャップを埋めて、みんなで客観的な視点を身に着けていくことを目的にしていました。

この「まなこい」の場で僕は以下のようなことをみんなに伝えていました。

  • 自分は基本的に場を創りたくない人。
  • みんなの前で話をしようとするとただの事務連絡だけでも心臓がバクバクする。
  • この場をよくしていこうという提案に乗れない自分がいる。そのため「こんな自分はここにいてはいけないのではないか?」という考えが浮かんでくる。そして、実際に出ていくことをシミュレーションしてみる。「自分が出ていくならば、引継ぎとして最低でも1ヶ月は必要だよな~」とか「ここを出て行った場合、道義として同じような暮らしは出来ないよな~。そうすると、生きていくために適当な仕事を探して無気力で生きていくのかな~。」なんて考えて、「こんなことを考えても仕方がないので、ダメかもしれないけどやれるだけやろう」と言い聞かせて過ごしている。


そんな僕に対してみんなが見える視点を伝えてくれました。

  • こんなふうに言うことでなかのんは失敗した時のための予防線を張っている。
  • 本当は良くしていきたい気持ちがあるのに、それを推し進める力がない。ならば人に心を開いて頼ればよいのに、それもプライドが高いために出来ずにいる。
  • なかのんは無駄な思考、エネルギーを使っている。ここを出ていくことに良いイメージがないのに、そんな考えにエネルギーを使っている。湧いてきた無駄な想いを手放していくということをしているようだが、本当に高い視点を持って、その位置にい続けたら、そんな想いは湧いてくることがなくなる。そこまで自分を高めることが大切。


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当時(2014年5月)の僕がやる気を失っていたのは、特定のもの(結果)を求めてそれが手に入らなかったから。言ってしまえばただそれだけです。そして、僕はまなこいを機会にしてやる気を出そうと決意します。そして積極的に行動しましたが、「変わろう」と思って行動しても僕は変わりませんでした。2014年の終わり、そんな僕に転機が訪れました。以下、天の物語を生きる~1年の振り返りとして」から文章を引用します。

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僕はこれまでずっと自分の物語を生きて来ました。

それは「世界が僕を変える」や「世界と一緒に変化を楽しむ」に書いた英雄物語だったり、「僕といさどんと木の花ファミリー」に書いた「虐げられた状況から逆転する物語」だったりします。その自覚はずっとあって、それを意識的に変えようと努力を重ねてきました。ですが、それらの努力は功を奏しませんでした。僕は変わりませんでした。

そんな中、今年の9月24日、このBLOGを立ち上げました。タイトルは「木の花ファミリーの経済から世界を見る」。「世界を見る」とタイトルをつけたからには、そこに書かれるものは、世界を意識したものでなければならない。そんなふうに思いました。そして普段から世界で起きていることと木の花ファミリーの暮らしを繋げて考えるようになりました。そうすることで、この暮らしの意味をあらためて感じることになりました。そして、その意識を保つために一定のペースでこのBLOGを書き続けました。

すると大人ミーティングが今まで以上に面白い場となってきました。そこから世界が見えるのです。そんな大人ミーティングの場で、12月の初め不思議な体験をしました。その時、いさどんがみんなに向って語っていたのですが、僕は天から暖かいエネルギーが降り注ぐのを感じたのです。いさどんの話が天の扉を開き、そして、天からエネルギーが降り注いでいたのです。そのエネルギーはとても大きく暖かいものでした。僕はこの時、初めて天の存在を感じました。ずっとあることを知っていた天の存在をリアルに感じたのです。この日から僕は天に意識を向けるようになりました。

天に意識を向けると、自分の感情や枠を超えることが出来ます。自分から自由になって、天の温かさを感じることが出来ます。それがとても心地よく毎日がとても幸せなのです。そんなふうに過ごしていると、周りから「変わった」と言われるようになりました。

このBLOGを立ち上げた時、僕は別に「変わろう」とは思っていませんでした。ただ広い視点を持つことを心掛けて毎日を過ごしていました。その結果、僕はとても幸せになりみんなに変わったと言われます。一方、僕が意識的に変わろうと努力した時、僕は変われなかったし、あまり幸せにもなれませんでした。

その違いは何か?

僕が意識的に変わろうとした時、僕は自分の変わる姿をイメージしていました。評価される自分、出来る自分をイメージしていました。要は自分がかわいかったのです。そして、自分に囚われていました。その囚われが僕の変化を邪魔していたのでしょう。

今は自分に対するイメージは持っていません。「どうなりたい」という思いもありません。ただ、天を意識し感じ続けること。それが僕の一番の望みで、それだけ出来ればよいのです。だから僕はこれから何があってもずっと幸せだろうなと思います。

僕を変えて幸せにしてくれたのは世界であり、天です。
自分では幸せになれませんでした。
だから、これからは天の物語を生きていきます。
それは僕を幸せにし、そしてみんなを幸せにする物語になるのだろうなと思っています(^-^)

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2014年の終わり、「天の物語を生きる」と書いた僕ですが、その後も自分の物語、自分の想いを追求したい心を残していました。それは時々浮上してきては僕の人生に滞りを生み出してきました。だから今年の立春正月にひっくり返る必要があったのです。以下、「僕はひっくり返った」からの文章を引用します。

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1年前の僕には望みを追求したい心がありました。結果は委ねると言いながら、望みを追求していました。その態度は世界を望みの中に閉じ込めることになります。望みは世界を歪め出来事に一喜一憂する心を強めていきます。僕はひっくり返っていなかったのです。

それが分かっているから今は望みを追求しません。どんな望みが生まれようと気にしないようにしています。それは叶うこともあれば、叶わないこともある。どちらにしてもそのうち変化していきます。宇宙の本質は変化にあるのだから。


法則性を理解し、自分が・・・という心を超えていく。

その時展開される世界は自分の想像を超えていきます。想像を超えた流れを通して自分を見て、自分を知っていく。その時、広い世界の中に自分をしっかりと位置付けることが出来るのです。


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この道を歩く上で大切なのは、どれだけ自分を離れることが出来るかなのだと思っています。人はみんな自分の視点で世界を観て体験していきます。それがそれぞれの物語となり世界に彩りと多様性を与えていきます。ですが今、人々の物語はバラバラとなり分かり合えなくなっています。それは人々がすべての奥に流れる天の物語を忘れているからです。天の物語が糸(意図)となりすべての物語を束ねているのです。

自分の想い、望みを離れることで天の物語が見えてきます。そしてそこから世界を眺める時、自分を含めたすべての物語が繋がり分かり合えるのです。

イギリスのEU離脱の決定、アメリカでのトランプ大統領の誕生、そしてフランス大統領選挙でのルペン氏の台頭など。世界は今までの秩序が壊れる方向で動いています。分断が進む世界は一人ひとりが自分の想いを追求した結果であり、その姿勢が限界を迎えていることを教えてくれているのです。

それぞれが自分の都合を離れたら、そんな世界の姿が見え、その奥にあるメッセージを感じ取っていけるのです。

まなこいを経験し、オフィス障がい者の認定を受け、秋分にこのブログを立ち上げた2014年は特別な1年でした。「2+0+1+4=7」。「7」は「なる」。カタカムナでは質的転換を意味します。文字通り質的転換を遂げた僕は、2015年に飽和安定(8)し、2016年に転がり(9)出て、今年(2017年)統合(10)し新たに歩き始めています(1)。

自分が・・・という心を超えていく。

それは世界に向けて自分を解き放つということであり、一度達成したら終わりというものではなく常に心掛ける姿勢です。自我を持つ人間は常に「自分が・・・」という想いを浮上させます。その想いを感じながらも離れている。そしてすべてを世界に委ね行動していく。出来事を求めるのではなく出来事から自分を知っていく。今僕はそんなふうに生きています(^-^)


視点が変われば景色が変わる。

一昨日の夜、僕は「僕はこの世界について全然知らない」という記事を書いたのですが、その記事に対して以下のコメントをいただきました。

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安心感という言葉や抽象的な言葉を使い過ぎていてかえってその根底にある不安感や焦燥感が浮き彫りになってしまっていますよ。これだけブログで生活の中の安心感という言葉を使う人を初めて見ました。あなたは恐らく不安で空虚でなんとか生きようと未だもがいているのでしょう。もっと日常のありのままを書いてみてください。宇宙が天が視点がなど抽象的な言葉を使わず日常的なありのままを表現してください。このままではあなたは奴隷のままですよ。

☆彡 ☆彡 ☆彡

このコメントは公開せずに削除させていただいたのですが、せっかくだから思うところを書いてみようと思います。 

これだけブログで生活の中の安心感という言葉を使う人を初めて見ました」と書かれていますが、この記事には安心感という言葉を使っている場所は最後の一文だけです。それはこんな文章です。

☆彡 ☆彡 ☆彡

その先のあるのはきっと、とびっきり個性的で大いなる安心感の中で調和した予測不能な暮らしです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

正確には記憶していませんが、安心感という言葉を使っている記事はそれほど多くないのではないかと思います。それなのに安心感という言葉をたくさん見ているということは、この方は僕のブログをたくさん読んでくれているのではないかと思いました。そして僕を気遣ってアドバイスをして下さっています。的は外れていますが、有難いことです。

確かに天や宇宙という言葉は沢山使っていますが、これらは僕にとって抽象的な言葉ではなくとってもリアルな言葉です。「そんなの幻だー」という突っ込みが入りそうですが、人の感じていることなんてすべて幻ということだってできます。

この世界は自分の鏡。

よく言われることです。

僕が不安で空虚に見えるならば、それはあなたの姿なのかもしれないのです。

あくまで可能性の話ですが。

天との約束に基づき人との約束を創り上げていく」に対しては、

客観的にはカルト集団にしか見えてないよ、、、 

というコメントをいただきました。これも公開せずに削除しましたが。

客観とは何でしょうか?

客観が現代社会の価値観なのだとしたら、そこから僕らの暮らしを見たら確かにカルト集団に見えるのかもしれません。そんな記事を書いている方もいますし。

ではカルトとは何でしょうか?

もともとは正当な宗教に対する新しい宗教という言葉だったそうです。
新しいもの。そういう意味では僕らはカルトと言えると思います。

ただ反社会的という意味で用いるならば、僕らは別に社会に反してはいません。
天の法則を大切にしつつ、今の社会との対話も大切にしているのです。

僕らは新しい社会のモデルを創り上げている。だから簡単には理解されないと思っています。それでもこの暮らしが大事だと思うからそれ以外に道はないから歩み続けています。

それは僕の自負です。あくまで自負ですが。

視点が変われば景色が変わります。

僕の生き方が奴隷に見える視点もあるのでしょう。その視点を否定するつもりはありません。人生は選択で、自分の選択の責任は自分で取ります。僕はこの生き方を選びました。それが幸せだろうが不幸せだろうが、その責任は僕にあります。

どんなふうになろうと、ふっと心を緩めて「にこっ(^-^)っと」笑って生活するんだ。って思っています。

大いなる安心感と書いておきながら、僕は保証なんてないとも思っています。

そこに矛盾は感じません。

僕は大いなる矛盾の中で矛盾を感じずに矛盾を楽しみながら矛盾した生き方を真っ直ぐに生きていくのです。


最近の富士山です。


僕はこの世界について全然知らない

りょうちんが2つのブログ(「みんな一緒」と「みんな違う」感情は個性を磨く言動力)を書いて、みかちゃんが6年前に書いた絵をシェアしてくれました。

みかちゃんが書いたイラストです。

このイラストについてみかちゃんはこんなふうに書いています。

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6年前に描いていたイラストが今頃になって浮上してきて、あの当時も「宇宙図書館」で少しは話していたと思うのですが、一人一人が天にフィードバックを返すための宇宙探査機であることに目覚めれば、もっとわくわくする学びの日々になるはずだと思いました。それがまさに心の天然循環です。
物理的には、天然循環する世界に生かされていますが、一人一人の心はまだまだ天然循環していません。まずはそのことを認識しよう。そして、天然循環して、世界を美しくしよう、そのための場が木の花ファミリーなのだから。

~ 中略 ~

「自らが不十分の認識がない」ことを、絵を見ながら話しあいました。そして、地上のものが、連携して天に心を向けること、または一人一人が天を意識して地上で連携することが大切だということが、その場では理解できました。
天の心が元になってこの世界は作られているのだから、心を思い出しましょう。
心を亡くすと横に書けば「忙しい」縦に書けば「忘れる」です。

漢字ってうまくできてるね。ループする円循環ではなく、螺旋の天然循環の流れに乗ることを目指そう。

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調和の中で個性的であろうとするりょうちん。

心の天然循環をもたらそうとしているみかちゃん。

どちらも現状を突破しようとしていて、だからその響きを感じて何かを書いておこうと思いました。

りょうちんはブログで感情について書いていますが、それは6根の世界だからこそ生まれるものです。肉体を持った僕らは出会う出来事に一喜一憂して生きています。そしてそれを共有することでお互いに知り合っていきます。こんなふうに感情は世界に彩りを与えてくれているのですが、今、多くの人はそれに翻弄されている状態です。

欲しいものを欲しいと表現して手に入れる。

そこに喜びを見出し、それを追究することで人は感情に翻弄されるようになったのではないかと思っています。この時、自分の欲しいという感情がすべてとなり、そこに執着が生まれ羨望や失望、優越感に繋がっていくのです。

そこに現代社会の混乱の種があると思っています。

僕にとって感情とは自分を知るための材料であり満たすためのものではありません。

というか、今まで木の花ファミリーのみんなに対して語ってきたこと、そしてこのブログで語ってきたことを思えば、自分の感情を満たすために行動することなんて出来ません。その想いは立春正月の翌日に「僕はひっくり返った」を書いてから特に強くなっています。

ひっくり返りとはつまり立脚点の大転換。自分の側から世界を見るのではなく、世界の側から自分を見る。この時、僕はそう宣言したのです。

これは一見、自分を縛り付けているようにも見えるかもしれませんが、実は大いなる解放なのです。なぜなら自分の感情から自由になる試みだからです。

自分の感情から自由になればなるほど、見える世界、そして出会う出来事が変わってきます。それは未知の世界で、実は僕はこの世界について全然知らないのです。この世界を体験し視野を広げていく。それは物理的に旅をすることでも可能でしょうが、心を磨き、自分を知り、感情から自由になることでも可能なのです。それはこの世界の深みを知っていく旅路で、同じ場所にいて同じ経験をしていても心によってこの世界は全く別物へと変わっていくのです。それは驚きの連続でとっても楽しい旅路です。

この世界の無限なる深みへと。

僕は全然知らない世界を歩んでいくのです。

その先のあるのはきっと、とびっきり個性的で大いなる安心感の中で調和した予測不能な暮らしです。


天との約束に基づき人との約束を創り上げていく

先日、NHKスペシャル「シリーズ マネー・ワールド 資本主義の未来 ”トランプ経済”は世界を変えるのか!?」を観ました。この番組の紹介には以下のように書かれています。

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アダム・スミスが世界を自由貿易に駆り立てて以降、拡大を続けてきたグローバル市場経済が、今、トランプ大統領の登場で新たな局面を迎えている。アメリカ発の保護主義が、世界経済の血流を大きく変えるのではないかと懸念の声が高まっているのだ。多国間貿易の流れに逆行するかのような国境税の検討。「ドル高」に繋がる減税やインフラ投資を掲げる一方、「ドル安」を目指すかのような通貨安国家への批判など、かつてない“矛盾”を抱えた未知の経済が動き出そうとしている。「実行すれば世界経済は未曽有の不確実性を抱える」という経済学者がいる一方、「グローバル資本主義はもはや限界。トランプの経済は世界にとってプラスだ」という説もあり、その効果をめぐって論争も勃発。果たしてトランプ経済は、行き詰った世界経済の救世主となるのか?それとも、さらなる混迷と停滞を引き起こすのか? 世界や日本への影響について考えていく。

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こんな内容の番組ですが、観て思ったのは、トランプ経済はたた目先の利益をそのまま追究しているだけではないかということです。従来なら大きな政府論によって行われていた公共事業への投資と小さな政府論によって行われていた減税とを同時に行うことで矛盾を抱えていると紹介されていましたが、それはただ闇雲に目先の利益を確保しようとしているだけに見えるのです。

天との約束と人との約束」にも書いているように、経済活動は法律に基づいて行われており、それは人との約束と言えます。人との約束であるため、自分たちの都合の追求に繋がる恐れがあるのですが、トランプ経済はその最たるものと言えます。今、多くの人々が目先の利益に目を奪われ日常の中でそれを追求しているからこそトランプ大統領が生まれたと言えるのです。そこには物事を俯瞰する視点が欠如しています。

法律に基づいて行われる経済活動ですが、それは天との約束、自然の法則を土台としてします。大地の恵みがあるからこそ人々の生命は紡がれ、そこから様々な社会活動が生まれているのです。ですが、今の経済活動は自分の都合の追求に終始しています。トランプ経済はその究極の姿であり、それは人類の姿勢の過ちを教えてくれているのです。

陰極まれば陽となる。
(この場合、陽極まれば陰となるかな?)

トランプ経済は、一つの態度が極まり転換するタイミングを示してくれているのです。

世界がそのような状態にある中、3月21日、太陽が春分点を超えた最初の朝にカフェ&ショップ・ロータスランドはオープンしました。春分は宇宙の元旦です。そのことについて天下泰平ブログ「宇宙元旦の春分と宇宙の理の時代」では以下のように書かれています。

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12星座の始まり(1)」である牡羊座に太陽が入る春分は、占星術の世界では元旦を意味しており、宇宙元旦として2017年の本格的な始まりであると言われています。

  ~ 中略 ~

通常の春分とは違い、数千年ぶり、数万年ぶりの大きな節目と言われる今回の2017年春分。

確かにここが大きな分岐点であり、これまでに整理されるものは整理され、手放すものは手放し、そして明日の春分以降、必要なものはまた新たな形で融合され、再スタートしていく感覚を受けます。

明日の春分以降、より本格的に「地球(地)の理」から「宇宙(天)の理」へと、地球の周波数も大きく転換されることになると思います。

人間のエゴ、頭の世界で考えたルール、価値観によって生み出された世界から宇宙の法則、流れに即した世界へ。

ますます頭で考えて動くよりもハートで感じて動かされる時代となり、自分と宇宙を信じて委ねることが重要になってくると思います。

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ロータスランドを生み出した木の花ファミリーの経済は、天との約束、宇宙の理によって成り立っています。そのことをいさどんは以下のように表現しています。


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今の社会では、みんな収入を得るために必死に仕事をしています。お店ならば、お客を獲得するために一生懸命、商品開発や営業活動を行っています。お客の増減はお店にとっては死活問題なのです。ですが、木の花ファミリーの活動はそれとは違います。私たちは天の恵みである作物をいただき、それを基盤として生活を営んでいます。収益を得ることが死活問題とはなっていません。ですから、私たちの商売は一般とは違うものなのです。同じ基準で考えてはいけません。天の恵みによって暮らす私たちは、心に余裕やゆとりがあります。そして、その余裕を心磨きに向けることが天との約束です。商売もその延長にあります。天の恵みの恩恵を世の中に広げていく。それが私たちにとっての商売で、心を伝えること、幸せを循環させることがその本質にあるのです。

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天の恵みを循環させる木の花ファミリーの経済にロータスランドという新たなお店が加わりました。それは僕らが意図したというよりも天が生み出したものですが、その活動は法律という人との約束の中で展開されます。そこに天と人との対話が生まれます。

天との約束の下、ロータスランドが加わり新たな段階に入った木の花ファミリーの経済。それを社会という人との約束の中でどう表現し、どう貢献していくのか。それは社会の中での基盤づくりであり、天の法則を社会にもたらし、天の恵みを循環させる取り組みです。

天との約束に基づき人との約束を創り上げていく。

それがこの社会の中での木の花ファミリーの役割であり、その取り組みはきっと人類の未来に希望の光をもたらすでしょう。

以下、ロータスランドにて今まで提供してきたおまかせセット(540円)の写真です。








際立ち分かち合う

昨日、4月11日は天秤座の満月で、占星術ではパートナーシップに恵まれる周期のピークと言われています(天下泰平ブログ「今後のパートナーシップのあり方」天秤座満月参照)。パートナーシップという言葉を聴いて、最大のパートナーは自分自身でそれは世界そのものという言葉が浮かんできました。

昨晩、満月の夜、僕は夢の中で「なかのんは完全に仕上がっている。ただ自分という表現を使い過ぎている」というメッセージを受け取りました(あくまで夢の中での話です)。それで自分というものに意識が向かいました。

自らを分けると書く自分。

このブログで何度か書いているように自我を持つ人間は世界から自分を分けて自らを際立たせます。それが人々の個性となりこの世界に彩りを与えているのです。

自らを分けると書く自分。

それは自らを分かち合うということでもあって、際立った自分を世界と分かち合うのです。

世界から際立って自分となり、その自分を世界と分かち合って自分となるのです。その時、自分は世界そのものです。

自らを際立たせる自分。その奥には世界と繋がっている自分がいて、それは世界そのもの。その自分が最大のパートナーで、そこを通して僕は世界と繋がり世界を知ります。

自分、自分、自分。

それは、

世界、世界、世界。

と同義語。

この世界で自分を際立たせ個性を輝かせるのはすべて、その自分を世界と分かち合うためです。自分は常に世界から離れ世界と一つ。世界を通して自分を知り、自分を通して世界を知る。それは常に変化変容をし続けます。

個人の欲望を追い求めた現代社会は一人ひとりの違いを際立たせてきましたが、その際立たせたものを分かち合うということをしてきませんでした。トランプ大統領の存在が象徴するように国も人も自国、自分の利益を追求するだけです。それでは片手落ちで国も人も本来の姿を見失っているのです。際立たせたものを分かち合う。その時、本当の自分となり、その姿はこの世界そのものとなるのです。

満月の夜、夢やパートナーシップという言葉からこんなことを思いました。

2015年9月28日のスーパームーンです。





後ろを向いて歩く

明日から水星が逆行するようです。以下、天下泰平ブログ「明日から水星逆行の始まり」の文章を転記します。

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明後日は天秤座満月となりますが、その前日の410日より、今年2度目の「水星逆行」が始まります。
水星逆行とは、太陽系の中で一番太陽にも近い水星が地球から見て逆方向に進むように見える目の錯覚の天体現象であり、1年に3回〜4回ほどの頻度で1度に3週間ほど続きます。
西洋占星術の考え方で水星が象徴しているのは、コミュニケーション・通信・連絡 ・知識や知性 ・技術、テクノロジー ・旅行 ・輸送などであり、これらの分野やキーワードが水星逆行中は、大きく乱れたり、上手くいかなかったりする現象が起こりやすいと言われています。

~ 中略 ~

明日からは親しい間柄でも「メールが返ってこない」「意見の食い違い」が起こったり、仕事でも「思わぬ失敗」をしたり、会議もはかどらなかったり、大事な決断や契約もうまくいかない場合もあるようです。
また交通機関の乱れが起こりやすく、仕事や約束に遅れないように余裕を持った行動や遠方への旅行も時間だけでなく安全にも十分に気をつけながら行動されることをオススメします。
とにかくコミュニケーションミスが起こらないように、相手にも慎重に確認しながら物事を進め、いつも以上に細かい点も気にするように対応していけば、大きなトラブルもなく、水星逆行期間も充実して、逆行明けにアクセル全開で飛躍することができると思います。
逆行という意味では、旧友との再会や繋がりも水星逆行の1つの特徴であり、しばらく連絡を取っていなかった友人とばったり遭遇したり、急に連絡が入ったり、そんな過去の繋がりが再びこのタイミングに戻る可能性もあります。
今回の水星逆行の期間は「2017410日午前814分から54日の午前132分」まで。明日からの25日間は、少し慎重に日々を過ごす方が良いかもしれません。
多少調整が可能であれば、大きな決めごとやプロジェクトのスタートは、GW明けにすると良いかもしれませんね。また、GW期間中の移動も十分にご注意くださいませ。

☆彡 ☆彡 ☆彡

もう一つ「Keiko的占星術な日々・水星逆行中の幸運アクション」より引用します。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今回の水星逆行が意味するものは決してそればかりではなく。
もっと深い意味も、もちろんあるのです。

牡牛座4度で逆行して牡羊座24度まで戻るということは、

 「 急ぎ過ぎて
   テキトーにやり過ごしてしまったことを
   もう一回、丁寧にやり直しなさい 」

ということ。

~ 中略 ~

最後に、いちばん大事なこと。

 今年になってから
「ヒラメイタけど とくに行動はしなかった」
 というようなことはなかったかしら?

 ピンときたんだけど 忙しかったからそのままにしていた。
 ヒラメイタことがあったんだけど 行動には移してない・・・・・

もしそんなことがあるならこの水星逆行中にぜひ、行動に移してみて。

 水星が牡羊座に戻るということは
 昔ひらめいたことを形にしなさい
 という 宇宙からのメッセージですので。


☆彡 ☆彡 ☆彡

3月21日、地球が春分点を通過した翌日の朝プレオープンしたカフェ&ショップ・ロータスランドは水星逆行が終了する翌日(5月5日)にグランドオープンします。プレオープンから忙しい日々が続いて来ましたが、明日からの水星逆行期間に丁寧に振り返ることでグランドオープンでの飛躍に繋がっていくことでしょう。

逆行という言葉とは少し意味が違うのかもしれませんが、この言葉から「後ろを向いて歩く」という言葉が浮かんできました。後ろを向くことで過去の行いをしっかりと見つめることが出来ます。今の状況に至る流れが見えてきます。そして、前を見ないことにより余計な思考を巡らすことがなくなります。前(未来)を見る時、人は様々な思惑を持って眺めるものです。その思惑が出会う出来事をそのまま受け取ることを邪魔し、人を現実から切り離していきます。だから後ろを向いて歩くといいと思っています。

変化は自然の法則だから自然の法則に従って生きていると自ずと変化していきます。それを邪魔するのは自我の思惑です。思惑を手放して出来事をただいただく時に起きる変化を見て楽しんでいく。それは自分で人生を構築するのではなく世界に人生を構築してもらう生き方です。

後ろ(過去)を眺めると、そこに天や自然の法則が見えてきます。
前(未来)を眺めるとそこに思惑を挟みたくなります。

僕は思惑ではなく天の法則と共に生きるから、だから後ろを向いて歩いていくのです(^-^)

ロータスランドで先週提供していたおまかせセット「春のお花見弁当」です。



明日はお釈迦様の誕生日(^-^)

明日(4月8日)はお釈迦様の誕生日。そう思った時、昨年の4月8日、いさどんのところにお釈迦様の言葉が降りてきたのを思い出しました。その言葉は、いさどんブログ「一瞬一瞬新たな自分に生まれ変わる~4月8日お釈迦様の誕生日にて」に掲載されています。このブログはこんな言葉で終わります。

☆彡 ☆彡 ☆彡


今日お釈迦様の誕生日を祝い、あきちゃんとゆう君が誕生日にあたってコメントをしたので、今、僕はお釈迦様に代わってコメントしました。
そしてお釈迦様は、己とこの世界(宇宙)はどういう関係なのか、「私は宇宙、宇宙は私。」そうすると、区別はどこにあるのか、「あなたは私、私はあなた」という意味、そして私の存在、私の伝えたこと、私の悟り・意志とは何なのかを語って伝えてくだされ、と言われたので、お釈迦様に代わって代弁させてもらいました。

己と宇宙は区別することのできないもの。


これは大それたことでしょう。今日を誕生日とすることは、一年を区切ることであって、振り返ってみれば、わたしたちは皆、何年何月何日の何時何分何秒に生まれてきたのです。実は、毎日誕生日が来るのです。誕生日だけではなく誕生秒がきて、誕生分、誕生時、誕生月がくるのに、なぜ一年にたった一日だけを祝うのか、と言われました。


ゆう君:
いさどんの話を聞いていて今、思いついたことは、全員死神に迎えに来てもらうといいなということです。それは、「今までの自分が死んで、新たな自分が生まれる」という意味です。

いさどん:
それが誕生日の意味です。今までの区切りなのですから、どのような区切りでも、今までの自分が死んで、そして新たな自分が生まれるのです。極端に言えば、一秒一秒今までの自分が死んで、新たな自分に生まれ変わることができるのです。

ある意味、死ぬことは「絶対救済」「完全救済」です。死とは生きることの終着地点ですからね。生きる目的の全ては死(四)へ向かっているのですから、五、六、七、八、九、十はないのですよ(笑)♪

☆彡 ☆彡 ☆彡

自分の誕生日(3月7日)からちょうど1ヶ月が経ちました。


これが誕生日の日に浮かんだ言葉で僕はそんなタイトルのブログを書きました。永遠とは宇宙そのもの。「私は宇宙、宇宙は私」と同じことを言っていると思っています。

ですが自我を持つ人間は常に自分を際立たせ、自分の解釈でこの世界を経験していくのです。だから常に死ぬことが大切となります。自分が生まれるとその瞬間に自我が際立ち自分の解釈が生まれます。すると宇宙との間に差が生まれます。その差を取って悟るために生まれては死ぬことを繰り返すのです。そんなふうに生きていく時、自分は世界と混じり世界そのものとなっていくのです。

死ぬとはつまり自分を離れることであり、それが生きる上での目標なのです。

それは思惑を手放すことであり未知への旅路です。

あーしたい、こーしたい。

そんな想いを叶えていく。それは確かに嬉しいことですが、世界を自らの想像の中に閉じ込めようとする試みです。無限なる世界を自らの想像の中に閉じ込めることは出来ません。だからその試みはいつか行き詰まることになります。

現代社会はある意味人間の想いを叶えてきた結果とも言えます。人間は世界を自分の想像の中に閉じ込めようとしてきました。だから今、社会は行き詰まりを迎えているのです。

それは今の自分を貫こうとする姿勢の結果です。

瞬間瞬間死んで自分を離れたら、自分は宇宙に溶けていきます。それは永遠、無限の中に溶け込むことで、その中で人は変化をし続けるのです。そしてその変化は人間の思惑や想像を超えて展開し続けます。

社会の行き詰まりは人間が今の自分を貫いてきた結果です。その行き詰まりを打破するために必要なことは「分からない」を受け入れることです。未来を自分の想像の中に閉じ込めようとするのではなく、未知の未来に自分を開いていくのです。

それがつまり死ぬということであり自分を離れるということであり生きる目的なのです。

明日はお釈迦様の誕生日です(^-^)






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