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奥に流れているものに目を向ける

カフェ&ショップ・ロータスランドでは今、土用の丑の日フェア!を開催しています。その初日の朝、準備に慌ただしくしているみんなを眺めながらいさどんはこんなふうに語りました。

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こうやって賑やかにしていると、人の目は表面に顕れる出来事にいきます。ですが、その奥に流れているものがあってそれは常に新しい流れを生み出し続けています。そこに目を向けていないと新しい動きには間に合わなくなっていくものです。

ロータスランドが始まり、私たちの暮らしは特に忙しくなりました。忙しい毎日を送っていると、給料を貰い生活をしている人々ならば、ストレスが溜まってきます。そのためストレスを解消するためにお金や余暇が必要となります。ですが、ここの人達は忙しい毎日を送っても疲れて眠くなるだけです。それはこの暮らしの安心感がもたらすものですが、その余裕、ゆとりのようなものを心磨きに向けていく必要があるのです。

忙しく賑やかな毎日を生み出している奥のもの、そこを緻密に見ることによって、プロセスから学び、それは自分の成長として積み上がっていきます。その成長が天の生み出す新しい流れと呼応していくのです。表面的な賑やかさにかまけて、安心感の中、ぼうっとしていると次の流れには間に合わなくなるのです。

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この話を聴きながら、僕は自分のことを振り返りました。

人と人、人と自然とが調和した木の花ファミリーの暮らしは、少ないお金、そして低い環境負荷で豊かな暮らしを実現しています。それは環境破壊やそれに伴う異常気象、経済格差や貧困、戦争や紛争、人々の分断や孤立など様々な問題が溢れている現代社会に対して一つの答えを提示しています。一般社会で暮らす中で様々な矛盾を感じて苦しんだ僕は木の花ファミリーで暮らすことを選びました。それは一つのゴールであり、僕は形の上では正解を選んだのですが、数年後には意欲をなくしている自分がいました。僕が選んだ答えは到達点であり、その暮らしをそのまま続けていればよく、当時の僕はそれ以上何かを変化させる必要を感じていませんでした。形ばかりに目を向けていた僕は、その奥から生まれる新しい流れに間に合わなくなり、次第に停滞し意欲をなくしていったのです。

木の花ファミリーの暮らしは自然界をモデルとしています。すべてのものが生かし合い支え合っている自然の姿を人間社会に顕すことを一つの目標としています。ということは自然の動きと連動している必要があるのです。

春夏秋冬。ただ繰り返しにも見える自然の動きですが、よく見ると、毎年新たな動きがあり、自然は常に新しいところへと向かっています。変化変容が自然の本質です。

それは木の花ファミリーの暮らしも同様です。自然界をモデルとし、天の流れが生み出したこの暮らしは変化変容し続けます。表面的には同じことの繰り返しに見えたとしても、その奥には常に新しい流れが生まれ続けているのです。そこに目を向け、自身も共に変化していかないと流れに置いていかれます。するとそこで起きていることが分からなくなり、意欲を失っていくのです。

このような状態になると、「変わろう」と思ってもなかなか変わることが出来ません。おそらくそれは自分の在り方が流れから外れてしまっているからです。流れに沿っていれば、変化は自ずから生じます。なぜなら、変化変容がこの世界の法則であり、自分もその一部だからです。2014年の終わり、僕は変化について以下のように書いています。

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このBLOGを立ち上げた時、僕は別に「変わろう」とは思っていませんでした。ただ広い視点を持つことを心掛けて毎日を過ごしていました。その結果、僕はとても幸せになりみんなに変わったと言われます。一方、僕が意識的に変わろうと努力した時、僕は変われなかったし、あまり幸せにもなれませんでした。

その違いは何か?

僕が意識的に変わろうとした時、僕は自分の変わる姿をイメージしていました。評価される自分、出来る自分をイメージしていました。要は自分がかわいかったのです。そして、自分に囚われていました。その囚われが僕の変化を邪魔していたのでしょう。




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変わろうと思っても、それが自我(エゴ)の思惑ならば、変化が生まれることはなかなかありません。大切なのは、変化変容を本質としている自然の流れに沿うことです。そのためには常に出来事の奥に目を向ける必要があります。今の形、自我が生み出す世界に安住していると人は流れから外れ停滞していきます。そして変化は遠ざかっていきます。ですが、その奥に流れるものに目を向け心を開く時、変化は自ずと生まれます。

天の流れが生み出す変化。それは自分の想像を超えた大いなるもので、何気ない日常も深い体験となりただ出会う出来事を楽しむことが出来るのです。

ただ出会う出来事を楽しんでいく

そのために奥に流れるものに目を向け続けていこうと思いました(^-^)



自分を守る心を手放す

2年前の今頃、衆院で安全保障関連法案が可決され話題になる中、いさどんは「自分が総理だったら・・・」という仮定でこんなふうに語っていました。

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私たちは非常に豊かな国であり、
技術大国であり、
世界の先頭を行く国のひとつですが、
そこであえて皆さんに提案したいと思います。

私たちは無駄で不必要な軍備を全て放棄します。

そのことによって、
私たちは日本の財政再建や
世界各国の貧困をなくすことにつなげたいと考えています。

そして、
新たな豊かさを構築していくのです。

そこで、
隣国からの侵略に対する脅威については、
たとえば隣の国が攻めてきたとしますよね。

そうしたら、
その国が日本を支配すればいいのです。

つまり、
私たちの国はそれを受け入れる国であり、
隣の国は支配した国になるのです。

支配した国というのは、
いつも攻撃的で貧しいこころを持っています。

そして、それを受け入れる国は、
常に調和的なこころを持っているのです。

そうすると、
たとえばキムジョンウンさんがこの国のリーダーになったとしても、
「キムジョンウンさん、
調和的な国を一緒につくりましょう!」と
共に国づくりをしていけばいいのです。

侵略する国というのは、
持続不可能なのです。

調和する国というのは、
持続可能です。

そうすると、
侵略してきた人たちの中に
調和のヒビキが浸透していくのです。

もし、
武器を持たない中立的な国があるとしたら、
その国の存在は稀に見るものです。

そうすると、
隣国がその国を侵略しようとしたときに、
まわりにいる国が
「あの国にこの国を侵略させてはいけない!」と
この国を守るようになるのです。

それだけの優れた国であるならば、
ちゃんと守られるのです。

ですから、
自分を守ろうとすることを
放棄すればいいのです。

世界の国家と共に、
そういった宣言をできたらと願っています。

特にアメリカは世界のトップなのですから、
まずアメリカがその見本を示したら、
他の国々が追随すると思うのです。


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こういう話を聴くと、「そんな都合のよいように行くわけがない。」と反応する人もいるかと思います。ですが、その反応自体が自分を守る心です。自分を守ろうとする心を持ちながら、形だけ宣言をしても、そこには思惑が働き、その思惑に相応しい出来事が起きるものです。加えて、これは今まで実際にやったことがない話です。結果を所有しない覚悟を持って行動に移した時、どんな展開になるかは誰にも分からないことです。ですが、多くの人は今の自分の視点から未来を予測し、やらないことを選ぶのです。それもまた自分を守る心の反映といえます。

この話のポイントは、自分を守る心を手放せるかどうかにあるのだと思います。例えば、本当に日本が軍備を放棄した時、この通りに物事が進むかどうかは分かりません。ですが、それは新しい未来への一歩となり、覚悟があれば、人々はただ出会う出来事をいただき楽しむことが出来るでしょう。

自分を守る心を手放せれば・・・の話ですが。

この世界は響きが創っている。

それは確かな法則ですが、響きは自分の都合で生み出せるものではありません。日々の心掛け、実践がそのまま響きとなって顕れます。自分を守る心を手放す。人々がそれを完全に成し遂げた時、その場にどんな響きが生まれるか?それは前人未踏の世界なのではないでしょうか?血縁を超えてすべてのものを共有しようとする木の花ファミリーの暮らしはそんな響きを生み出す試みです。

楽しみに見ていて下さいね(^-^)

こちらは先日開催された大人サミットの写真です。





ただひたすら傍(はた)楽(ら)いていく

木の花ファミリーブログ「世界のお金がみんなのお金になるように」を読んだ友人からこんなメールを貰いました。

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記事読みました。

中野くんが木の花ファミリーに移住する前確かみんなで会ったよね。
その時を懐かしく思いました。

今はどの写真をみても、(中学校で)相談員をしていた頃よりずっと満ち足りた穏やかな表情をしているなと思います。中野くんの生きる場所を見つけたんだなと感じます。

私は今、軽度知的障害の生徒が社会的自立と就労を目指す高等部単独の特別支援学校で、3学年主任をしています。私たちがそれぞれの場所で充実した生活を送れることの幸せを感じます。お互い、一歩ずつ地面に足をつけて成長していきたいね(^-^)

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今の社会は一人ひとりの欲望を最大限に尊重することで発展してきました。テレビCMは人々の欲望を刺激し、ニュースや新聞は、経済発展を神のように祭り上げ人々の消費を促します。個の尊重、プライバシーという名の下、人々の自我(エゴ)は膨らみ続けて来ました。

そのような社会の中で、自我を手放し血縁を超えて生きる木の花ファミリーの暮らしは人々の理解を超えることもあるのでしょう。「不自由の自由、それが本当の自由」に書いているように、僕らは今まで多くの無理解に出会って来ました。ですが、僕らが生き生きと生きる姿は言葉を超えた説得力があります。そのためか、僕らは無理解と共に支援者とも出会って来ました。だから、この道を生き抜き幸せになっていくだけ。友人からのメールを読んであらためてそう思いました。

個人の幸せを追求する視点から僕らの生活を見てみます。

すると、給料がなく休みもなく、毎日朝早くから夜遅くまで働き続け好き勝手出来ない姿が浮かびあがります。そんな僕らの働きについて、いさどんは冗談で「ブラック企業を超えたブラックホール企業だ」と言ったりしています。それでも僕は友人から「満ち足りた穏やかな表情をしている」というフィードバックを貰っています。不思議ですよね?

それは僕らの「働く」が労働ではなく「傍楽(はたらく)」だからなのだと思います。経済は働くことによって生まれますが、僕らは働くことを通して傍(はた)を楽(らく)にし、自分を超えた大きなネットワークの中で役割を果たします。すると時代や宇宙といった大いなる存在の中に自分が位置づけられ、その中で自分の個性を最大限に発揮出来るのです。宇宙や時代の流れを感じて、その流れを共に推進する喜び。それが穏やかで満ち足りた表情となって表れているのでしょう。

個人の幸せ、自分だけの幸せを追求したとします。その時、多くの人にとって働くことは労働であり、賃金を得るための手段となります。するとどうしても労働に見合った賃金を求めるようになり、そこに固執することになります。思い通りにはならず不満を抱えたり、思い通りになったとしてもそれに執着し、それを失うことを恐れたりします。心が波立ち、自分の状況に左右され一喜一憂することになるのです。そうしていると時代や宇宙の流れから切り離され安定を失うことになります。結果、なかなか幸せになることが出来ないのではないかと思います。

自分のあぁしたい、こうしたいという気持ちを手放し、ただ出会う出来事をいただき楽しんでいく。ただひたすら傍(はた)楽(ら)いていく。そんな暮らしを楽しみどんどん幸せになっていこうと思っています(^-^)

※農事組合法人木の花ファミリーは組合員全員が個人事業主(経営者)のため、労働基準法や最低賃金の縛りを受けません。詳しくは、「農事組合法人木の花ファミリーと6次産業化」をお読みください。

※木の花ファミリーブログ「世界のお金がみんなのお金になるように」に対する感想は、木の花ファミリーこの話!にも掲載されています。こちらも合わせてお読みください。






毎日が瞑想である暮らし

昨晩、大人サミット開催中の大人ミーティングで、僕は「不自由の自由、それが本当の自由」をシェアしました。それを聴いたプラサンコム氏(タイの仏僧)は、仏の道について「飛行機の離陸のようなもの」と言い、以下のような話をしました。

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飛行機はとても重量があります。それが飛び立つためには長い助走、そしてエネルギーが必要となります。ですが、一度飛び立つと、それはスムーズにどんどん上昇していきます。私は、ガールフレンドや社会的地位、家や財産を手放し仏の道に進みましたが、初めの7年間は、ヴィパッサナー瞑想、特にウォーキングメディテーション(歩く瞑想)に集中して取り組みました。仏の道は自分の大切なものを手放し、より大きなもののために自分を捧げる道です。最初は辛い想いもしました。ですが今はとても軽やかになっています。それは一度離陸した飛行機が軽やかに飛び続けるようなものです。あなたもヴィパッサナー瞑想を取り入れるといいと思います。

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飛行機の例はとても分かりやすいと思いました。そして、瞑想。ヴィパッサナーは、「物事をあるがままに見る」という意味で、ヴィパッサナー瞑想はそのための実践法です。そこで実践ということで言えば、木の花ファミリーの暮らしは生活がそのままヴィパッサナー、物事をあるがままに見るための実践となっています。

例えば、きょうこちゃんが癌の治療で入院していた時、いさどんやそこにいた人達はこんな会話を交わしています。

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最後にこうちゃんは「なかなか病院で笑っている人たちはいないよ(笑)」と言い、きょうこちゃんは「ほんと、ほんと!死ぬかもわからないけれど、面白い人生をもらっているなと思ってね。だって、この間せっかく血が入ったのに、もう全部出ちゃったもの!」と言うと、みかちゃんが「木花咲耶姫様のモットーは潔く生きて潔く散るということだからね」と言い、いさどんは「その散り際の美しさが木花咲耶姫の個性だ」と言い、皆で病室の窓から雪の王冠をかぶった美しい富士山を見た。きょうこちゃんは「一言では言えないけれど、良い時間だった!どこまで覚悟ができているかはわからないけれど、もう何度もそういう場面が来ているから、ある意味覚悟はできているなと思う。そこまで腹をくくっちゃうと、面白いな。ありがたいとかいただくことの深みを日々学ばせてもらっているな」と言い、いさどんは「ありがたいも深みがあるんだよ。『いただきます』だから、いただき(頂き)・・・頂上まである」と言うと、みかちゃんは「頂き増す!どこまで行っても頂きが増していくんだよ」と言い、こうちゃんは「登山に終わりはないってことだ」と言い、皆で拍手して病院を後にした


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もっと生きたい。生きていてほしい。そういう自分たちの思惑を手放して、ただただ目の前の状況を真摯にいただいていく。僕たちは物事をあるがままに見るだけでなく、あるがままを受け入れていくのです。その結果、今の元気なきょうこちゃんがいます。

多くの人は、人生において自分の希望、想いを実現させようとします。そうすると自らの思惑が働き物事をあるがままに見ることが難しくなります。そこで自らの思惑から離れる瞑想がとても重要な実践となっていくのでしょう。

僕らは自らの思惑ではなく、天の流れに沿って生きることを決めています。そして、そのためにお互いに見える景色を伝えあっています。日常生活があるがままに見る実践であり、あるがままを受け入れていくのです。

だから僕らの日常生活は瞑想であり、毎日が瞑想なのです。

ただただ目の前の出来事をいただいていく。

その姿勢が生み出す出来事は想像を超えるもので、毎日、わくわくして暮らすことが出来るのです(^-^)

大人サミット1日目の写真(一番右がプラサンコン氏です)。



いつでもどこでも同じ心で

昨日、招待していただいた山元学校の第190回記念レセプション&山元雅信誕生会に参加して来ました。シリアの大使や衆議院議員の原田義昭氏をはじめとして角界で活躍する方とお会いできる貴重な機会となりました。日本シリア議員連盟の成立が1週間前に可決されたというビックニュースに始まり、歌や三味線、書の披露などが彩りを与えとても素晴らしい場となっていきました。

左から(山元さん、シリア大使、原田議員)


この会に参加するにあたって、僕は山元さんから以下のような言葉を貰っていました。

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二次会で自己紹介タイムがあるので、木の花ファミリーの話をして下さいね。木の花ファミリーは今の世の中で大家族の素晴らしい集団生活で学ぶべきところが沢山あります。

中野さんの役割は、木の花ファミリーが存在している事実を皆さんに知らしめることだと思います。まだ知らない人達がいるので、勿体ないです。

木の花ファミリーのチラシを100枚用意して下さいね。主だった人達と名刺交換して下さい。100枚は必要です。

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それで僕は、木の花ファミリーのことを知らせる思惑を持って参加したのですが、初対面の人ばかりが集まる場で、会自体は別の話題で進行しています。そんなに簡単には木の花の宣伝は出来ません。まぁ、それはそんなものだろうと思っていました。そして、それでいいのです。

この会は山元学校の発展、そして山元さんの誕生日を祝うために様々な人が集まっているのですが、それを実現しているのは山元さんの人柄、そのホスピタリティにあります。多くの人が集まる中、山元さんは全員のことを立てて、みんなに紹介しようと奮闘されていました。その姿は素晴らしいものでした。

人柄が場を生み出し創っていくのです。

それならば僕自身が表現すべきものは、木の花の情報よりむしろ、その生活の中で育んできた自分の人間性です。ならば思惑は手放して、その場を楽しみ、その場を創っていくことが大切なのです。そんなふうに思い、場を楽しみながら、少しずつ参加者と交流し木の花の話をしていきました。それはとても良い時間となりました。

そして、2次会。自己紹介の時間は1分~2分。
その中でどう木の花のことを印象づけるか?
それは僕にとっての真剣勝負です。

まず資料はそれぞれの席に配らせて貰いました。
そして、考えて以下のように話しました。

僕の年間生活費は、なんと! 25万円。
なんでそんな生活が出来ると思いますか?

みんなで一緒に生活して自給自足をしているからです。

そんな僕の言葉に山元さんが絡んでくれ、引き立ててくれました。
ありがたいことです。

とりあえず会場の注目を集めることは出来ました。
そして、そんな僕の話を聴いて、以下のように言ってくれた人がいます。

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あなたのスピーチは素晴らしかった。
お金とかそういうものではない満ち足りた幸せが伝わってきた。

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こういう言葉は嬉しいものです。

木の花にいても、他の場所に行っても、その場で調和的な空気を生み出し場創りをしていく。その姿勢が何より大切なのだと思います。木の花のことを伝えたいという思惑を手放しながらも、大事は大事、それを忘れずにチャンスの時にはすべてを掛ける。その姿勢がまた場創りになっていきます。

調和した空気が広がっていくように。

ホスピタリティのある山元さんが人々を繋げていくように、僕自身も日々、自分の人間性を高めていきます(^-^)






自我をなくすと優れた自分に出会える

先日、久しぶりにいさどんとじっくり話しをする機会がありました。いろいろなことを話したのですが、その中で印象に残っているのが「今の人は頭を使わない」といういさどんの言葉です。「頭を使わない」とはどういうことか?いさどんは以下のように言います。

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現代人はすごい頭を使っているようで、頭を使っていない。損得勘定などそういう思考はいっぱい使っているけれども、自分をチェックする機能が全くない。学校教育で知識を得て、毎日マスコミからたくさんの情報を得ているけれども、それが本当に必要なものなのか?自分の役に立っているのか?そういう検証はなされていない。その状態で魅力的なものはいっぱい情報として与えられ、欲望だけが膨らんでいく。だけれども、その欲が自分に何をもたらして結果的にどのようになっていくのか?そういうことを全く考えず条件反射で情報に翻弄されている状態。時代が変わろうが立場が変わろうが、変わらない大事がある。それは自分を見つめることで初めて見えてくる。

今、多くの人は無条件に出てくる自分の癖性分のままに行動し、自然や社会は危機的状況を迎えている。でも人はそのことを忘れていく。苦しむのが嫌だから。理由をつけたり、もしくは本能的に避けて何もなかったことにしている。例えば地球温暖化。警鐘を鳴らしているけれども日常生活はそのままで意識しているようには思えない。そして日本の借金。2060年には8,000兆円となるという試算が公表されているけれども、日本の政治家はそのことに向き合っているようには思えない。本当はそのことが常に頭のどこかにあって、それを踏まえて政策を考えなければならない。

これからますます自然災害などが起き、頭を使うこと、自然やものの流れを感じる力が求められるようになっていく。そうなっていかなければならない。だけれども人々にはその危機感が感じられない。これは時代の流れでもあり、人の成長への追い風なんだけれどもね。

人は本来、宇宙と一つ。その中で人類の歴史はほんの最近のことで、今の人生はその中のごくごく一部。魂は永続でずっと続いていく。それなのに、今の人生の目の前のことだけ見ていたらあまりにも視野が狭すぎる。そんな狭い視野で感情のままに思惑を巡らしても自分の価値は高まらない。魂は、生きているところから死の向こうへいく。そこを繋げなければ、実体の半分しか見えていないことになる。死の向こうまで伴える価値を積み上げる。本来、大切なのはそういうことで、それには自分を離れ広い視野に立つ必要がある。

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自我を持つ人間は自分の視点で世界を経験し、その中に閉じこもることが出来ます。それは文明社会を築き上げたことで自然のリズムを無視して生きる姿に重なります。そのような状態で自然環境は破壊され、人間社会も貧困や格差、分断や孤独など様々な問題が溢れ危機的状況を迎えています。ですが、人々は未だ自分視点で世界を眺め、情報の洪水の中、右往左往しているのです。

いかなる問題も、それをつくりだした時と同じ意識によって解決することはできない。

これはアインシュタインの言葉ですが、今の問題は人間の自我により生み出されたものです。それを自我により解決することは出来ないのです。今、多くの指導者が解決策を模索しても有効な手立てが生まれないのは、それが自我の延長から生まれていて、自分や人間の都合に基づくものだからです。

自我をなくすというのは、自分がなくなるということではなく、優れた自分と出会うこと。

いさどんはそんなふうに言います。

自らを分けると書く自分。自我は世界から自らを分けて際立たせ、そこで固定しようとします。そして、世界との繋がりを失っていきます。ですが、それは本来、波のようなもの。浮かんでは消えて、また浮かぶ。常に海全体の動きと連動し変化し続けるものなのです。

自我は波。自我をなくすとは波が海である自分に気づくということです。その時、大いなるものとの繋がりの中、安心して自分を表現することが出来ます。浮かんでは消える波の動きが海そのものの表現となるのです。

みんなが自我を超えた時に表現される世界。

それはすべての存在が繋がりの中で生かされる世界で、その中で、今ある問題はすべて解決されることでしょう。

いさどん@田楽祭田植え祭り



今の社会は自分の未熟を表している

以下、2年前の大人ミーティングでのいさどんの言葉です。

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物事の捉え方はたくさんあってね。

善意で捉えようと思ったら、
この世界にある全てのことは、
善意になるんだよ。

ただ、
人にはそれを善意で捉える力がないだけなんだよ。

宇宙は全て善意でできている。


なぜかというと、
宇宙は調和でできているから。

調和は、
悪意では保てない。

調和は、
善意によってしか、
成り立たない。

だから、
物事を善意で捉えられないときには、
自分が未熟だと思わないといけない。

そこを悪意で捉えるということは、
自分を観ないで、
悪意は相手から来ると思っているのだけど、
悪意は、
自らの未熟さから生まれるものなんだよ。

だから、
自分が言っていることは全て、
自分自身を表しているんだよ。

そこに気付かないと、
自らを改めることはできないね。

人間というものは、
必ず自分の都合の良いように
答えを求めようとするんだよ。

だから、
自分の本心があっても、
そういった人たちは「けど」「でも」と言って、
本心と違う行動を取るんだよ。

そのカラクリをわかって、
自分自身に修正の目を向けられるようになったら、
人は成長できる!

そのためには、
自らの想いをどんどん外に出していって、
まわりからフィードバックをもらい、
客観的な視点を育てていくことが大切だね。




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国連人権理事会の「表現の自由」に関する特別報告者、デービット・ケイ氏が日本政府を問題視する演説が報道されている中、安倍政権は共謀罪の法務委員会での採決を省略し、参院本会議で中間報告のみで採択を行いました。共謀罪に関しては、凶暴な新テロ法案と報じている海外メディアもあり、採択の進め方も含めて民主主義の危機と捉える人々もいます。

実際にそうだとしても、その動きを生み出しているのは一人ひとりの日本人で、これは日本人、つまりは自分の未熟を表しているのです。

森友学園や加計学園、そして共謀罪の強硬採択と安倍政権は批判されるべきところは多々ありますが、安倍政権を批判すると同時に上記のような視点も持つ必要があります。

例えば、安倍政権の辞任を求める運動をしたとして、それが成功したとしても、一人ひとりの人間性が向上することがなければ、次に同じような政権が生まれるだけです。

おかしな出来事と出会うということは、自分自身がおかしな響きを発しているということです。
だから出来事の改善を通して、自分自身も改善していく必要があるのです。

話しは変わって。

先日、木の花ファミリーにCo-Reキャラバンが訪れ、鯉谷さんと工藤さんと共に語り合いました。Co-Reコレは仲間みんなが家族と思えるような「1万人の村づくり」を目指して活動しているのですが、お二人は木の花ファミリーの姿に触れ感動したといいます。その時、お二人と共有したのは、世界平和や調和した社会を目指した時、行きつくところは結局「自分」だということです。

初めは熱い理想に燃えて動き出しても、いつか必ず現実とぶつかります。その時、自分の人間性と向き合うことになり、今の自分という枠を超え続けていく必要があるのです。木の花ファミリーは老若男女100名近くが共に暮らす中で、その取り組みを大切にし続けています。だから人を感動させる力があり、そしてそれは未来に対する希望ともなるのです。

今の社会を創っているのは自らの未熟です。だから自分が成長すれば、世界は少しずつ平和になっていきます。それは希望ですよね(^-^)


(左から)鯉谷ヨシヒロさん工藤真工さん、木の花ファミリーです。



そぎ落としにより発展する

6月9日は射手座満月でした。射手座満月について天下泰平さんは以下のように述べています。

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今晩、2210分より満月となります。

201769日の満月は「射手座満月」。


  ~ 中略 ~

その射手座満月のポイントは、ずばり「和合・調和」のようです。

まず、数秘術の世界でも69日」というのは“6”“9”の陰陽和合を意味する特別な日であり、それに加えて今回の射手座満月の星の配列は、太陽と月、そしてラッキースターである木星が直角三角形を形成していることに大きなポイントがあるようです。

射手座の支配星である木星、そして太陽と月という陰陽の調和。

この射手座満月は「和解」などが大きなテーマとなるようです。

さらに、今年26日から「逆行」に入っていた木星が、なんとこの満月の1時間後には4ヶ月ぶりに「順行」に戻ります。

ラッキースター木星は、今は地球や地球人個人にとってとても強く影響を及ぼす重要な惑星。

この4ヶ月間、滞っていた物事がスムーズに行き始めたり、今晩を境に明日からは心機一転新たな流れが始まると思います。


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6月9日、陰陽和合を意味する日にロータスランドはちょうど営業69日目となりました。3月21日、太陽が春分点を通過した最初の朝にプレオープンし、水星逆行が終了し立夏を迎えた5月5日にグランドオープンしたロータスランド。その動きは常に宇宙の運行と共にあることを感じさせます。

同じく6月9日、天皇退位の特例法が成立しました。ライオンズゲートの日であり、アース・オーバーシュート・デー」(1年分の資源を使い果たす日)でもあった昨年の8月8日、天皇陛下は退位についてのお気持ちを表明しました。そして退位のための法案が陰陽和合を意味する日に成立するのも宇宙の流れの中にあることだと思われます。

※ちなみに6月9日のロータスランド来店者数は88名でした。

静ちゃんプロデュースの中国人お客様ツアー(5月30日~6月1日)@ロータスランド

その6月9日の22時10分。僕はどうしていたかというと風邪をひいて寝込んでいました。そして、次の日も寝込み、何も食べずに過ごしました。発展や拡張を意味する木星が順行になるタイミングで寝込み断食する自分。自分の思惑とは大違いの出来事に出会いましたが、これは僕にとっての発展や拡張が「そぎ落とし」によって成り立つことを意味しているのだと思いました。

自らを分けると書く自分。天の流れに沿って生きていこうとしている僕にとって、自分から生まれる想いや願いや不要なものです。例えば、いさどんは以下のように語っています。

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僕が常に皆に伝えていることは、そういった「~したい」「~になりたい」という願望を消しなさいということです。そして与えられるがままに存在しなさい、ということです。すべてを受け入れれば、己から解放されます。僕はそのことが伝えたいだけなのです。

今の姿のあなたがすべてではないのですから、いくらでも変化・変容・変態を繰り返すことが可能です。そして、それが宇宙の実相なのです。


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上記のいさどんの言葉にあるように「~したい」「~になりたい」という願望を消し、己から解放されれば、ただ出会う出来事を楽しんでいくことが出来ます。それは「流れ」という全体性と一体になり、この宇宙そのものを楽しむ道です。そこにこそ、僕の発展や拡張があり、そのために日々、自らに湧き上がる想いや願いをそぎ落としていく必要があるのです。自らの想いをそぎ落とすことで大いなる流れと和解し調和する。風邪という都合の悪い出来事はそんなふうに生きていくことの再確認の機会となりました。

今もまだ残る頭痛。それは思考を超えよう!!!というメッセージと受け止めています。

常日頃から「頭で考えるのではなく、信じて歩んでいくと、後からその意味が示され解る」と語るいさどん。以下の絵はそんないさどんの話を聴いたジョイさんからいさどんに手渡された本の表紙です。



泥のようにも感じる自分の都合の悪い出来事。それは自分の段取りや思考を超えるきっかけを与えてくれます。段取りや思考を超えて信じて歩いていく。その先に美しい蓮の花が咲くのでしょう。

泥の中で自分の都合をそぎ落とし美しい花を咲かせますね(^-^)

余裕がほとばしり出るような徳の積み方(2017)

大いなる力には大いなる責任が伴う」に書いたように、僕には心の道を歩む責任があると思っています。とは言っても、人には結果をコントロールすることは出来ません。未来がどうなるかはいつも未知であり、未知だからこそ道と言えます。だからただいつも目の前の出来事に丁寧に向き合うだけであり、結果やそれに伴う評価については完全に手放すことになります。

ところで僕は2年前の6月、いさどんからこんな言葉を貰っています。

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なかのんは真面目で一生懸命やっているが、もう少しそこに余裕があると、あの人は本当に徳を積んでいるねということなんだけど、一生懸命「この道だぁぁぁ」とやっていると、そこに余裕がないと、何とか一生懸命気合いを入れてそこを保っているという状態。

余裕がほとばしり出るような徳の積み方というものがある。



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2年前に比べると今の自分には大分、余裕があります。その余裕がどこから来るかと言ったら、結果や形に囚われない姿勢から生まれているのだと思っています。

結果や形に囚われない。

言葉では当時も同じことを語っています。ですが、これは頭の理解ではなく体験を通して育まれていく姿勢です。自らを分けると書く「自分」は、この世界を切り取り固定することを求めます。そして自らが切り取った世界に対する評価や承認を求めます。その「自分」、自我の動きから自由となり、そこから「自分」を眺め、「自分」を育んでいくのです。これは終わりのない旅であり、僕はこれからさらに自由となり、余裕を育んでいくことでしょう。

多くの人は自らの思惑で状況を変化させようとします。そして努力をするのですが、その努力は現実とぶつかりなかなか思うようには進まないものです。自分と相いれない他者の思惑に出会い、苛立ち苦しむことになります。フランスや韓国の大統領選挙、そしてアメリカによるパリ協定離脱宣言と社会の分断を表すニュースが続いていますが、それらは多くの人々が自らの思惑に基づき努力をした結果です。今、人智による努力は社会を混乱させています。

ですが、結果や形から自由となり余裕を育んでいくと出会う出来事が変化していきます。そして、その変化を楽しむことが出来ます。それは自らの想像を超えた世界で、様々な立場の人を繋げていきます。人智を超えた大いなる流れ。人々がそれを意識し委ねた時、世界はきっと新しい扉を開くのだと思います。

そんな心を育むための集まりが2017年7月15日(土)~17日(月)まで開催される第11回大人サミット~私たちはこれから何を目指すのか〜」です。以下、案内文を引用しますね。

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人は、見えないと「どうなるかわからない」と不安になり、未知なるものを恐怖に感じて何とか現状を維持しようとします。ところが地球は、広大な宇宙空間を実に秒速30kmというスピードで、らせんを描きながら常に未知なるところへ未知なるところへと進み続けています。どんなに今いる場所を絶対だと思っても、次の瞬間にはもう、私たちはまったく違った新しい場所にいるのです。変化変容し続けるのが地球の、そして宇宙の実体であり、そのエネルギーは我々人間の力など到底及ばない、とてつもなく大きなものなのです。

宇宙探査機が目的地に向かう時に、「スイングバイ」という方法を使うことがあります。探査機のエネルギーだけで遥か彼方の目的地に行こうとすれば、莫大なエネルギーが必要になります。そこでどうするのかというと、天体のエネルギーを利用するのです。とてつもないエネルギーで宇宙を移動し続ける天体の引力を利用し、その公転軌道に乗ることで探査機の推進力を上げ、しかるべきタイミングで軌道を離れて目的地に向かえば、少ない燃料で効率よく到達することができます。探査機だけの力では行けなくとも、天体の推進力に乗ればいいのです。

今、最も力強い推進力は、20121221日の「銀河の冬至」から始まった新たな時代の流れです。地球が一年に一度冬至を越えて光を増していくように、太陽系もまた25800年ぶりの冬至を越えて、闇の時代から光の時代へと切り替わる大転換期が始まりました。今こそ、私たち人類は出口の見えない混乱を抜け出し、この壮大なる時代の流れにスイングバイする時がやってきたのです。その先には必ず、今はまだ見ぬ新たな世界があります。もしも今あなたが生き辛さを抱えているとしたら、それはきっと「そろそろ新たなルートへ進みなさい」という天からのメッセージであり、あなたへの追い風なのです。

さあ、準備は整いました。個々が幸せを求めて一生懸命エネルギーを費やしてきた結果が今の社会ならば、個々の囚われを手放し、大いなる時代の流れに乗る時がやってきたのです。これから世界には、大変革の時が訪れます。人々が恐れようと理解できなかろうと、確実に時代はその方向へ進んでいます。その時代の流れを感じ、そこに乗って新たな世界へと踏み出した時、私たち人類はこの世界に生きる真の意味に目覚め、時代と共に希望溢れる未来を創造していくことができるようになるのです。そして、世界に二つとないあなただけの人生の花が美しく花開くことになるでしょう。


どうぞ共に時代に乗って、新たな世界へスイングバイしませんか。

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自らの思惑を叶えるのではなく、ただ出会う出来事を楽しんでいく。その結果、人と人が繋がり幸せになっていく。そんな心を育みたい方。是非、大人サミットにご参加下さい。共に未知の未来を楽しみましょう(^-^)


2016年7月に開催された第10回大人サミットの様子です。

みんなの人生を生きる

昨年の9月、僕は自我について以下のように書いています。

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近代以降、人間の自我は好き勝手に振る舞ってきました。
そんな行動を積み重ねることで人間は業を深め、自我は混乱の極みにあります。
今、自我の選択は多くの場合、自らを不幸にしていくのです。

例えば、それは依存症や引きこもりなどの社会不適応として現れています。
そして、世界に目を向けてもそのような事例は多々あります。

例えば、北朝鮮はミサイルの開発や核実験を重ねていますが、
それは国の自我、国家エゴに基づいた行動です。
国家エゴに基づいた行動が国際社会で北朝鮮を孤立させていきます。

そして、経済発展。今、人々のエゴは経済成長を求めていますが、
それが経済格差や環境破壊をもたらし、人々そして自然との分断を広げています。

思い通りに行動することが自分や社会、自然に不幸をもたらしているのです。
人間は今、そのような状態にあるのですが、そこに歯止めが掛かりません。

そんな中、本当の幸せや平和を求めるならば、混乱した自我を超えるしかないのです。
木の花ファミリーに出会い、その道の大切さに触れながら、そこを離れていく。
それも混乱した自我の振る舞いと言えるでしょう。


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自我は浮かんでは消える波のようなもの。本当の自分は海そのものですべての存在と繋がっています。だけれども多くの人は波がすべてと思って、それに固執し自我の波に飲み込まれ右往左往して暮らしています。

どんな大きな波が来ても、自分が海だということを覚えていれば、飲み込まれることはありません。そして、すべての波(自我)が繋がっていることが理解出来ます。そんな心を育むことが自我を超えることであり、木の花ファミリーの暮らしです。

もうすぐ「まなこい」から3年に書いたように、3年前、僕は「場創りをしたくない」と宣言しました。そんな僕が今、足りないところは多々ありますが、場創りを楽しんでいます。人は変わるもので、そんな僕を見て、「目標だ」と言ってくれる人がいます。僕を見て「目標だ」と感じる人がいる。ならば、そうあり続ける責任(Responsibility)が僕にはあって、そうすると僕の人生は僕だけのものではないと思うのです。

木の花ファミリーの暮らしは「みんなで自我を超える」実験の場です。それは僕たちの趣味ではなく人類の未来へ向けた実験です。ならば、僕の人生は人類の未来のものです。

僕は海。そして浮かんでは消える波として人生を送ります。

波としての自分に焦点を当てれば、それは自分の人生と感じるかもしれませんが、僕は本来、海そのものなのです。だから、波(自我)としての自分は他のすべての波(自我)と同様で、世界の彩りの一つに過ぎず、それはみんなのものなのです。

僕は自分を通してみんなの人生を生きる。

それは僕の人生が僕だけのものではなくみんなのものでもあるということです。

ところで今日はふたご座の新月です。

ふたご座の新月は「選択」がテーマとなると「双子座新月はベストチョイスが出来る時」には書かれています。そして、その時大切になるのが、自分自身のハートで選択するということです。このタイミングで僕は、自分の人生ではなくみんなの人生を生きることを心の底から選択します。

それは自分の満足を求めるのではなく、みんなの満足、この世界の道理に基づき生きるということ。山の裾野は広くとも、頂上は一つ。この道は進めば進む程狭くなっていきますが、それは窮屈になるということではなく、より明快になるということで、高みに行けば視界は開け、心はクリアになっていきます。心がクリアになればなるほど、自分の人生が自分だけのものではなくみんなのものであるということが見えてくるのです。

そして今日、この新月のタイミングで合同会社ロータスランドが生まれます。

特に新月を意識していたわけではないのですが、たまたまこのタイミングで準備が整いました。この会社は、まずはカフェ&ショップ・ロータスランドのショップ部門に担うことから始まりますが、これから木の花ファミリー、そして社会に新しいお金の流れを生み出していきます。これは僕らの選択から生まれる新しい流れで、これからお金を通して、この世界に幸せの循環を生み出していくことでしょう(^-^)

午前4時44分。毎朝、僕が起きる時間に月はふたご座で新月となりました。

僕は月の後押しを受けて目覚め、みんなの人生を生きていきます(^-^)





自分の納得を超えて出会う出来事を「いただく」

今日、5月3日はいさどんの誕生日。昨年の5月3日は、ようこちゃんが533(いさみ)ナイトをプロデュースしました。その最後にいさどんは以下のように語っています。

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今日のこの場は、ようこちゃんがいさどんに誕生日プレゼントをあげたいと思い、そこで何をプレゼントしたらいさどんが一番喜ぶのだろう、ということで企画されました。ようこちゃん曰く、「いさどんにとっての一番のプレゼントは人類の目覚めだ。そのためにはまず、ここにいる人たちがさらに目覚めるよう、みんなでこの生き方を再確認する時間を持とう」ということでした。そのようこちゃんの想いはまさに今の僕の心にぴったりです。僕の中には人々が目覚め、宇宙の奇跡である星を本当にわたしたち人類が奇跡として実感し、すべての生命がその生命の尊さ・豊かさを謳歌する、というイメージがあります。そして、そのために生きることが僕の人生です。今、現実を観てみると、そういった社会にはまだまだ程遠い感じがします。そうであるならば、どこかにその雛形となる場所を創らないといけません。


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3月21日、太陽が春分点を通過した翌日にプレオープンし、立夏である5月5日にグランドオープンするカフェ&ショップ・ロータスランドはいさどんの言葉を実現する試みであり、それは自分たちの意志を超えたものに動かされています。

僕たちはよく「いただく」という言葉を使います。それは出会う出来事をそのまま自分に相応しい出来事として受け止め、そこから学び続ける姿勢です。この姿勢は世界と自分を一つにしていきます。

通常、僕らは自分の想いを持って世界と関わっていきます。すると、納得のいかない出来事に出会うことがあります。この時、納得のいかない想いを持ち続けていると世界と自分に距離が生まれていきます。そして世界を自分の視点で裁くようになります。

自分の納得を超えて出会う出来事を「いただく」時、世界はそのまま自分自身の表れです。それは価値判断を超えていて、ただそのようにあるということです。そこに理屈や納得はいりません。世界と一つとなり、宇宙の本質である変化に身を委ねるだけです。今、納得できなくても、その出来事を受け入れる時、世界はおのずと変化していくのです。

木の花ファミリーの暮らしはそんな姿勢から始まり、そしてそこからロータスランドが生まれました。それは銀河の夜明けを超えて、光へと向かう時代の動きと連動しています。

5月3日は憲法記念日でもあります。憲法施行70周年にあたる今年、安倍首相は改憲に意欲を見せています。改憲、護憲、どちらも人智であり、それを超えた流れの下に世界は動いていくことでしょう。大切なのは、制度に頼るのではなく平和な心を育むことです。
いさどんはよくこんなビジョンを語ってくれます。

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いつかこの国を司る役割を持っている人たちがここを訪れて、僕に問いかけるのです。

『私たちはこの国を本当に豊かで人々が幸せになるように、一生懸命治めようとしてきましたが、これはと思うことをいくらやっても、どうにも上手くいきません。本当に国を正しく豊かに治めるためにはどうしたらいいのか、そのヒントを得るためにここに理想を生きる人々の暮らしがあるのを聞いて、訪ねてきました。どうしたら、良い国をつくることができるのでしょうか。』

それに対して、僕はこう答えるのです。

『それは制度や仕組みを創ることではありません。ここにある自然を見てください。そして、そこにいる人々の心を見てください。このような心や考え方で人々が暮らせるような国創りをすれば、本当に豊かな国になるでしょう。』


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今はまだ、多くの人が形に見えるものを大切にしています。

・憲法を守れば平和を維持できる。

・憲法を変えなければ現実に対処できない。

こんなふうに具体的な対応に心が奪われそれがすべてになっていきます。

ですが、世界は人々の心に相応しく動いています。すべてが心の反映であり、それは一人ひとりが心の奥を見つめることで明らかになることです。心の奥を見つめ、目の前の出来事から自由となり、心を育んでいく時、想像を超えた世界が展開し続けます。

世界は人々の思惑を超えて展開し続けます。そこに一喜一憂し自分の視点から裁いていては、変化は生まれず時代に取り残されてしまいます。自分の納得を超えて出会う出来事を「いただく」時、世界と一つとなり、きっと新しい時代が切り拓かれていきます。

ロータスランドはささやかな動きながら、新しい時代の顕れとなっていくことでしょう。

ロータスランドの壁画です。







全体性とは「流れ」を意識すること

数日前、りょうちんと「個人の成長と全体性」について話すことがあって、その時、僕は「個人の成長とは全体性を持つことでこの2つは同じ」と話しました。そして、昨年の9月に書いた「自分ごと」から全体性へと至る道を紹介しました。

例えば、りょうちんはブログ「やゆよのあゆみ」にこんなエピソードを紹介しています。

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ここのところ書き続けている「個と全体の調和」や「個性と社会性の調和」についての話は、実はここ4.5年の、僕自身の心の課題なのです。

その課題とは、自分の特徴である、長所で言えば「探究心の強さ」、短所で言えば「こだわりの強さ」というものを、どうやってこのコミュニティの中で、社会の中で、調和的に発揮していくかというものです。

丁度、419日、僕の誕生日に、それに関わる出来事がありました。それは今、木の花ファミリーのアンテナショップになっているロータスランドに、第2駐車場の案内看板を作るための打ち合わせの時のことです。「510分で終わる話だと思ったけど、どうしてあんなに時間がかかったのかな」と打ち合わせの後で、相手のようこちゃんから伝えられました。

建築設計を大学で専攻していたため、見やすさと美しさが求められる案内表示、サインのデザインに対して面白みを感じていました。そのデザインに対する関心が、僕の中に「この方が良い」という強い発想が生まれ、結果として意見のすり合わせに時間がかかってしまいました。

特に美しさや分かり易さといった、個人の感覚や認識によって差が生じやすいデザインに関わるものは、意見の食い違いは起こりがちです。その分、自分の感覚と他者の感覚の違いが知れる良い機会でもあり、面白みもあります。


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りょうちんはこのエピソードをこだわりの強さが出た例として紹介していますが、なぜそうなったかというと流れに沿っていなかったからだと思うのです。

「流れ」というのは抽象的な言葉で目に見えないものですが、確かにこの世界には「流れ」というものがあり、みんな意識的もしくは無意識的にそれを感じて生きています。「流れ」に沿っていると気持ちよく過ごせますが、「流れ」が悪いとストレスを感じるものです。

「流れ」は様々なものから生み出されています。上記の例で言えば、みんなの意識や関心が流れを生み出していて、りょうちんの「強い想い」がそれとずれていたのでしょう。もしみんなもそこに強い関心を持っていたらりょうちんの特性は探求心の強さとして生かされていたはずです。個人が真の意味で生かされるのは流れの中であり、全体性は常に流れの中にあるのです。流れに沿っている時、人は全体性の中にあり、その時、人は自然と高まっていきます。そのことを僕は以前、以下のように書いています。

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宇宙の法の下では、自他の区別を超えてすべてが繋がり生かしあっています。
それから外れた「想い」や「行動」はすべて「自分ごと」なのです。
世界のことを考えていても、社会貢献をしていても、
「自分が」という想いに基づいていたら、それはやはり「自分ごと」となります。

そして、「自分ごと」の想いや行動は、たとえそれが実現したとしても、
この世界に偏りを生み出し、いずれ対立や格差、喪失などの滞りとなって現れるのです。

だから「自分ごと」を超えていくことが大切です。

自我が与えられた人間は、当然のように「自分ごと」の願いや想いを持ちます。
そして、それは意欲にも繋がるものです。
だから、それらを追い求めることは大切なことではあるのです。
ただ、その際、宇宙の法を意識する必要があるのです。

宇宙の法とは天の流れあり、それは時代が生み出しています。

自らの希望を追い求めながらも、天の流れを感じ、結果をいただき学んでいく。

そんな姿勢でいると、自分が高まり、自然と全体性へと至るのです。

それは自分と向き合う旅であり、その旅は果てしない冒険であり、新しい発見は尽きません。
新しい発見により自分がどこまでも果てしなく広がっていくのです。



「自分ごと」から全体性へと至る道より


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太陽と水、土と風、自然の法則の中で生命は育まれ、その中で人間も生きています。一人ひとりの人間も自分で生きているわけではなく法則に生かされているのです。だから本当の意味で生き生きと暮らすためには宇宙の法、天の流れに沿っている必要があります。
ここで「自分が高まる」と言っていますが、それは能力のことではなく、人間性のことを言っています。物事がおのずからなる。思えば叶う。そんな境地へと至ることです。

流れを意識する時、人は全体性と共にあり、流れに貢献していきます。その時、人はおのずと高まり個人としても成長していくのです。全体性とは流れのことであり、流れを意識することで世界と自分が一つになり共に成長していくのです。

そこで時代の流れに意識を向けると、銀河の夜明けを経て、今は本格的な光の時代へと進んでいます。混乱する世界情勢は闇に隠れていたものが明るみに出ているということです。それは大いなる浄化でありその流れを意識して生きることが何よりも大切です。そしてそれは表面的な出来事を観るのではなく、その奥を感じるということです。

そして今日は牡牛座の新月です。

新月は新しい始まり。

天体が生み出す流れも意識し日々の暮らしを楽しみます(^-^)


りょうちん@ロータスランド屋根



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