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人類の可能性を切り拓く

昨晩、頭が痛く、身体も節々が痛いので、熱を測ってみたら、37度8分ありました。
本来ならゆっくり休むところですが、
「今日の大人ミーティングは出なければならない!」と感じて参加しました。
そうしたらとても面白い時間となりました。

ミーティング後、熱があるから寝ようと思って布団に入ったのですが、
なかなか眠ることが出来ませんでした。

書きたいことがある。

だからきっと眠れない。

そのため、それを書いてから寝ることにして、今、パソコンに向かっています。

ということで、これから書きたいことをつらつらと書いていきます。

バッシングサイトとキジの卵


いさどんブログ「真実を発信していく」で紹介されている8個のキジの卵のうち、3個が孵りました。「真実を発信していく」には以下のように書かれています。



☆彡 ☆彡 ☆彡

今、インターネット上に、真実を歪めて木の花ファミリーをバッシングしているサイトが横行している。ものすごいエネルギーを使ってここを貶め、封印しようとする力が働いていることに対して、そのエネルギーを逆に、真実を発信していくためのエネルギーに転化できると気付いた。
多くの人が興味を持っているからこそ、ああいったサイトを見る。そこで、彼らが見ているバッシングサイトの情報に対して、その情報の出所の元にある心がどのようなものであり、そこに表現されている現場の実態は実際にはどうだったのかということを提示してあげれば、彼らはバッシングサイトを見ていたのと同じエネルギーで、真実は何なのかということを感じ取ることになる。それは、バッシングサイトが描いて訴えようとしているイメージと実際は違うということや、それを見る自分自身の視点の偏りに気付くチャンスになる。
バッシングが始まって3年目となり、ある程度それが社会に浸透した今だからこそ、トキが来て、そこに表現されたエネルギーは一気に逆転する。うたた寝から目を覚ました僕は、養蜂の一段落と、バッシングが逆転へ転じるトキが同じタイミングで来たことを感じた。

そのタイミングを感じた時に、台所に8個のキジの卵が置いてあるのを見た。それは日中に草刈りをしていた畑隊が見つけて持ち帰って来たもので、ステンレスのボールに入れて流し台の上に置いてあった。巣の周りの草を刈るだけでも、人間の匂いが付いて親鳥は寄り付かなくなる。そこで畑隊が持ち帰って来たのだが、僕はそれを見た瞬間に、そこから生気が湧き出ているのを感じた。あんなにも生きようとするエネルギーがあふれ出しているものを、ステンレスのボールに入れて置いておくということがあるだろうか。


懐中電灯で卵を透かして見ると、幸いなことにまだ分裂を始めていなかった。今から温めてやればまだ間に合う。これは食べるものではなく、命として孵してやらなければいけないものだ。そういうことを感じられることが大切なのだ。

☆彡 ☆彡 ☆彡

木の花ファミリーへのバッシングサイトとステンレスのボールに入れてあるキジの卵。
一見関係ないように見えるこの2つには大きな類似点があります。

それは両方とも可能性を潰そうとしているということです。

木の花ファミリーの暮らしは一人一人が自らの自我を乗り越え、
全体と一つになって生きていく暮らしです。

それはある意味、未知なる取り組みであり、
7年間暮らしてきた僕自身、この暮らしの価値がどこまで分かっているかは疑問です。

知れば知れほど奥深く、自分が知らないことを痛感します。
ですが、この暮らしが人類の未来を切り拓くことは確信しています。

今、多くの人が個人の願いを叶えることが大切だと信じています。
その結果、今の世の中があるのですが、
それでも程度の問題と考えている人が多いのだと思います。

そんな中、自らの意思で自我を乗り越えていこうとする木の花の暮らしは、
多くの人の理解を超えているのだと思います。

理解を超えたものに接した時、人はそれを自らの理解の枠組みに収めようとします。
そこで、強制やマインドコントロールという物語が生み出されるのでしょう。

ですが、これはその人の心の反映であり、決して、木の花ファミリーの実態ではありません。
実態はインターネット上ではなく、現場にあり、僕たちの日々の暮らしの中にあります。

日々の暮らしの中で人類の未来の可能性を示していく。

それが木の花ファミリーの暮らしであり、それをバッシングすることは、
人類の可能性を潰すことに繋がります。

それはちょうど、生きようとしているキジの卵を食べようとするようなものなのです。

大人ミーティングの言葉から


昨晩の大人ミーティングでは、いさどんは医療について以下のように語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

医者は特定の研修を受けて、診療報酬の中で治療をしています。
医療は現代医療の枠組みの中で行われるものです。
それは対処療法で真の解決には至りません。
そして、そこに製薬会社の利害なども絡み、
病気という不幸が経済を支えるようにもなっています。

ですが、例えばガン。ガンとは本来、精神病で心から生まれています。
病気になることは、その症状に自らを誘導した精神状態を振り返り、理解する機会となります。
それをしながら、症状に対して対処療法をしていくのです。
姿勢から病気という結果が生まれます。
姿勢を改めると、病気を生み出す元がなくなり、
新陳代謝により病気の箇所が新しいものに変わっていきます。
心にメスを入れることが出来れば、治療はいらなくなるのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

これは医療における新しい可能性へ向けての言葉です。
そして、いさどんは今、実際にそんな実践をしています。

先に紹介した「真実を発信していく」にはこんな文章も掲載されています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今、僕ときょうこちゃんは、新たなプロジェクトに取り組んでいる。それは、新しいきょうこちゃんをつくること。僕は彼女にこう伝えた。「それはきょうこを壊すこと。自分を壊すことだぞ」と。自分を壊さなければ、奥に眠っているものは出てこない。
これまでのきょうこちゃんは自分のことばかり考えて生きてきて、その姿勢の結果ガンになった。彼女は命がかかっている。それは自分がつくってきたことであり、それをつくった自分自身を壊さなければ、命は取り戻せない。とても真剣なことだが、人間はその段階へ行く時が来たのだと僕は感じている。
このプロジェクトが始まって、最初は僕がきょうこちゃんにヒーリングをしていた。きょうこちゃんは毎日まじめにやって来るが、僕はだんだんきょうこちゃんにヒーリングをする気が起きなくなった。そうすると、逆にきょうこちゃんに、僕に対して何かしたいという気持ちが湧いてきた。きょうこちゃんが僕に癒しを提供することで、きょうこちゃんが癒されている。
僕は最初自分がやってあげるつもりでいたのにだんだんやる気が起きなくなって、この意識の変化は何だろうと思っていたが、そこで答えが出た。そうだ、人のためになるという心をきょうこちゃんに目覚めさせるということだ、と。自分のことばかり考えてガンを作った者が、人のために生きたら、ガンは消える。(「癌」は、品物を山のように抱えてなる欲深な病気と書く。)
何日か続けているうちに、お腹にあったしこりがやわらかくなって、確認できなくなってきた。病院での検査結果がどう出るかはわからないが、今、きょうこちゃんのお腹の中から、悪いものを発している波動を感じられなくなってきた。


僕がきょうこちゃんにやっていることは、単なる病気治しではない。人間の能力を引き出す実践をやっている。それはキジを孵すことと同じだ。

☆彡 ☆彡 ☆彡

こんなふうに日々の実践で未来の可能性を切り拓いているのが木の花ファミリーです。

そのために大切なのが、現象に囚われず、その奥を観ていく姿勢であり、
自らの思考の枠組みを超えていくことです。
そして奥を観たら、すべての出来事が一つであり、
大いなる流れの中で生み出されていることが観えてきます。

その大いなる流れが人類を新たな可能性へと導いていくのです。





どんどん分からなくなってどんどん喜びに溢れていく

多くの人で暮らす木の花ファミリー。スリッパや靴も沢山あります。
そして、そのスリッパや靴が乱れている時もあるのです。

そんなスリッパの状態を見て、

「菩薩の里」を目指しているここがこれでいいのだろうか?

そんな憤りを感じる人もいて、昨晩の大人ミーティングではそんな気持ちがシェアされました。
その話の中でいさどんは以下のような話をしました。

☆彡 ☆彡 ☆彡


現象に出会って感情的になる人は自分の求める答えを欲しがっているのです。

人はこの世界に生かされています。
どこに自分で生きている要素があるのでしょうか?

自分の意志で呼吸をしていますか?
心臓を自分の意志で動かしていますか?

人間は生きているのではなく生かされているのです。

ですが多くの人にはそのことが見えず、生きていると思っています。
そして自分に権限があると思っています。
だから自分の思う通りの答えを欲しがっているのです。

思う通りにしたければ、この世界の流れに沿う必要があります。
流れに沿っていれば、自分の見通しに沿った出来事が起きていきます。
ですが、その時、それは自分の想いではなくなっているでしょう。

宇宙の流れに乗ってしまえば、その流れはどこにでも通用します。
それは毎日の生活で確認できることです。

「神は物理性」、この世界の現象の中に顕されているのです。

みんなはこういう生活をなんのためにしているのでしょうか?
日々、それを問い掛けてみて下さい。
その姿勢でいろいろなことに出会ったら脇道にそれずに進んでいけます。

今、国会では保育園の待機児童をなくすことに一生懸命になっています。
ですが、待機児童よりも外で働かなければ暮らせない経済の方が問題なのではないでしょうか?

本人が望むならば、外で働くのも良いでしょう。
ですが、母親が子どもと一緒に過ごせるのも良い暮らしです。

安倍首相は一億総活躍社会の実現を掲げています。

お母さんが家のことをきっちりやるのも活躍ではないでしょうか?
家にいても活躍は出来るのです。
それなのにお金を稼ぐことだけが大切になっていないでしょうか?

本当の大事、大本はどこにあるのでしょうか?

大本の話がなく、物理的な話をしても上滑りをするだけです。

スリッパのような細かいことに気がいくのは大きな心を持つ人の姿勢です。
ですがそこだけに気が行くと大きな心を失ってしまいます。

バランスが大切なのです。

昔、近所の公園の掃除をしている人がいました。
彼女はそれをしていることで「自分は出来ている」と思っていました。

自らの人間性を見詰めずに、トイレの掃除をしたら「出来ている人間」となっているのです。
そんな彼女に僕は伝えました。

~ ~ ~

あなたが掃除をしているのは公園のトイレが汚れているからです。
ではなぜ公園のトイレは汚れるのでしょうか?
多くの人は自分のトイレではないから汚く使うのです。
ですが、あなたがキレイにしてしまうとみんなそのことに気付きません。
みんなに汚い状態で使わせることが大切なのではないでしょうか?
あなたは人が気づくチャンスを奪って、「自分は出来ている」という頑なな姿勢をしているのです。

~ ~ ~

これはトイレの掃除を問題にしているのではありません。

その行為が何をもたらしているか?

常にそのことを考える姿勢が大切だと伝えたのです。

そして、その時は自らの感情をフリーにすることが大切です。
フリーの状態で考え、フリーの状態でみんなに語るのです。
その時、自らが語ることで起きる反応に開かれ、変化していくのです。

会話する際、相手に関心があるのではなく、
「自分が理解されたい」と思っている人が多いのではないでしょうか?

ですが、僕は自分を理解してもらおうとは思っていません。
関心は相手にあるのです。
相手の思考の動きに注意し、コミュニケーションを円滑にすることを考えています。
その時、その場に生み出さることは常に新しいことになるのです。

常に新しい見解を求めていく姿勢。

その姿勢があれば、自分の中から新しいものが沸いてくるのです。
そしてその時、起きる現象も変化していくでしょう。


☆彡  ☆彡 ☆彡

こんないさどんの話を受けて、みんなで以下のことを確認しました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

人の話しを聴いて、「分かった!」と思うことがあるが、実はその「分かった」も怪しいのです。
なぜなら、その「分かった!」が自分の範疇のこともあるので。
本当に分かった時、人は反省するものです。

分かっていないことは実は喜びです。
「分からない」と苦しんでいたとしたら、
そのこと自体、宇宙の仕組みを理解していないのです。
なぜなら、この宇宙のことはどこまで行っても分かることはないからです。
知れば知るほど、新たな疑問が生まれます。
どんどん分からなくなってどんどん喜びに溢れていくのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

こんな感じの大人ミーティング。とっても面白かったです(^-^)

木の花ファミリーのみんな@恵みいただきます


人間性が経済を生み出す

今日、2月24日(2月最後の水曜日)はピンクシャツデーと呼ばれているそうです。
 ※2月22日静岡新聞コラム【大自在】より

9年前、カナダの高校で、桃色のポロシャツを着て登校した男子生徒が「同性愛者」とからかわれ暴行を伴ういじめを受ける事件がありました。それを知った2人の高校生が桃色のTシャツを50枚買いこみ、みんなで着て登校しようと呼び掛けました。その翌朝、多くの生徒が桃色の服や小物と自ら身に着けて登校したようです。

いじめへの抗議と傍観者にならない意思を示す行動としてカナダ全土に共感を呼び、それが世界に広がり、ピンクシャツデーといういじめ反対運動に発展していったのです。

一つの行動が社会全体を動かす大きな動きに繋がっていく。
それは上記のエピソードが多くの人々の感情に訴える力を持っていたからでしょう。

最近、僕は行動経済学者ダン・アリエリーさんの記事や動画をいくつか見ました。

人の経済行動は感情の影響を大きく受けています。行動経済学はそれを様々なデータを通して示しています。たとえば「行動経済学から学ぶファンドレイジング」では、5つのトピックをピックアップしていました。以下、簡単にまとめてみますね。


1、人は決定の際に「デフォルト(何もしないでいい初期の設定)」を選ぶ。

(例)ピザの注文

① 生地にのせるトッピングをリストから選ぶ

② 全部のっている前提のピザから、いらないものをクリックして取り除く

→②の方がトッピングの多いピザが注文される。※デフォルトでトッピングされているため。


2、人は周囲に同調する

(例)ホテルの宿泊客にタオルの再利用を促す時、以下の札をおいた場合の実験結果。

① 環境保護のためにタオルを再利用して下さい。 → あまり効果なし

② このホテルの75%の人がタオルを再利用しています。 → 再利用率 20%アップ。

③ この部屋に泊まったお客様の75%が・・・ → 再利用率 35%アップ。



3、行動を決定するのは感情


1)問題が大きく長期化すると関心が小さくなる

(例)ハリケーン・カトリーナや911テロの寄付の方が、エイズやマラリアに対する寄付より多い。


2)物事を統計的にとらえると感情のスイッチが切れる

(例)貧困に対する募金

① アフリカのロキアという名前の子どもの生活が困窮している話をする

② アフリカの貧困問題(統計資料)の話をする

→①の方が、寄付金額が2倍となる。

→①と②両方の話をすると、寄付金額は②よりは多くなるが、①には及ばない。


4、心の中にはいくつか「財布」がある

人の心には「心の会計」と呼べるような、用途ごとに別々の財布がある。

(例)① ローンを抱えている人は貯金が貯まってもなかなかローンの返済には回さない。

(例)② いきつけのカフェが出来ると毎日悩まずにコーヒーを買い続ける。


5、「無料」の魔力

無料が1ドルになった時の不愉快さは、5ドルが6ドルになる時より大きい。


こんなふうに事例を並べると、なるほどと感心させられます。

今、木の花ファミリーでは1ヶ月間の真学校が開催中です。そして僕は、その中で経済の講座を担当することになって、それはピンクシャツデーの今日行われます。その場で行動経済学について話すことを検討しましたが、とりあえず保留にしています。その理由について書いてみようと思います。

感情に訴えかけると一つのムーブメントを生み出すことが出来ます。
そしてそれはピンクシャツデーのように社会を動かす力ともなります。
行動経済学の知識はこんな動きを生み出そうとする時、参考になることでしょう。

ですが、ムーブメントは人間性を変えることはありません。
そして、社会も本質的には変わらないのではないかと思っています。

感動的なエピソードに心が動き行動していく。そんな人々が社会を変えていく。

それはそれで社会に対する大切な働きかけなのだと思います。
ですが、感動した動いた人々はいつまでその心を持続させていられるのでしょうか?
彼らは自分の日常生活に戻った時、その生活はどのようなものなのでしょうか?
必ずしも調和したものではなく、だからこそ世界は変わらないのではないでしょうか?

例えば、キング牧師を中心にした公民権運動は、公民権法の制定に繋がり、アメリカには法の下では人種差別はなくなっています。それは確かに黒人の権利を向上させたのだと思います。ですが、現在でも人種差別的感情を元にした暴力事件や冤罪事件は数多く起きています。

一時の感動に基づいて行動を起こす。

それは感情に支配されている状態とも言えて、別の場面ではその感情が社会に混乱をもたらしているのです。ムーブメントは法律などを生み出しことは出来ますが、それは人々の人間性を変えません。そして、差別や対立などの問題は続いていくのだと思います。

結局は一人一人の人間性が今の社会を生み出しているのです。
なので、真の変化を求めるならば、人間性を向上させる必要があるのです。
それは自らの感情を超えていく取り組みです。

天然循環経済学の誕生!に書いているように、木の花ファミリーの暮らしは天然循環法に基づいて営まれています。天然循環という視点で生活のすべてを貫くことにより、実践から学び、学びをそのまま実践に繋げていきます。それはこの世界の本質である変化をもたらし続けるのです。

経済も同様です。

生活の中から理論を生み出し、理論を生活に繋げていく。
その繰り返しの中で、世界が変化し、自分が変化していくのです。

木の花ファミリーの経済はそんな経済です。

その営みは自分を知り、自分を手放していく心磨きを基本とします。

ここで環境と響き合って変化していくの中で1ヶ月の真学校についていさどんが語っている言葉を引用します。

☆彡 ☆彡 ☆彡

問題が生じている時、問題のないところにいって、みんなで幸せになろうとする。
それは良いことに聴こえるかもしれませんが、とても薄っぺらな話しです。
みんなで幸せになろうとする時、
幸せになるべき人間性があって初めて幸せになるのではないでしょうか?
人間性が高まらない状態で幸せを求めることが社会に何をもたらすのか?
そのことに想いを巡らせてみて下さい。

問題がある時、ただ解決策だけを求める。
それは新しい発想だけ貰って楽になろうとしている姿勢です。
その姿勢が人々を現実から引き離し停滞を生み出しているのではないでしょうか?
そこからは結局新しい発想も生まれないのです。

新しい発想は自分を放棄した時初めて生まれるものです。

- 中略 -

人は常日頃当たり前のように思考を組み立てています。
その思考は自分の枠内にあります。
知識として取り入れたものはその枠を超えることはありません。
ですが、自分の思考の背後にはこの時代の意志や物語があり、
自分がここにいる意味があるのです。

心を開くことにより、そういうものを織り交ぜて生きていく状態に変わっていく。

それは人間として生きる姿勢の変化であり、真学校の目指すところなのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

真学校は正解や解決策となる知識を提供する場ではありません。
そこで提供する知識は世界や自分を見るための題材であり、
それを通して自分を知り変化していくことが目的となります。

そしてそれは僕自身にとっても同様で、経済という話題を通して、
その場の展開に心を開くことで自分を知り変化していくだけなのです。

講師を共に担当するいさどん、そして他のメンバーや受講生。
みんなに心を開いていく。
経済の話題を通してみんなと響きあって変化していく。

その姿勢がみんなと一緒にみんなの経済を生み出し続けるのだと思います。

さて、どんな時間になるか?

とっても楽しみです(^-^)


1ヶ月の真学校受講生のみんなです。




鬼は内、すると心がきれいになって福が来る。

昨日は節分。木の花ファミリーでは、『富士浅間木の花祭り』で使ったお飾りやご聖水をお返しする火の御用・水の御用を行いました。

鬼の心を育む や みんなの真ん中で生きていく で書いているように、鬼は人に道理を伝えてくれる存在であり、鬼が怒っているのは、相手の心が汚れているからなのです。木の花祭りでは、そんな鬼が主役となっています。

昨晩、いさどんと小学校1年生のれいくんとなりくんは以下のような会話をしました。


木の花祭りでのれいくん。

☆彡 ☆彡 ☆彡


いさどん:(木の花祭りで鬼を演じたれいくんに向って)おい、鬼。鬼。鬼は外。おかしいだろ?この言葉。

れいくん:おかしい。

いさどん:何がおかしい?

れいくん:鬼は神さまなのに追い出しちゃう。

いさどん:おかしいだろ?でもみんなそういうことを言う。ということはみんな変なんだよ。そうだろ?

子どもたち:うん。

いさどん:鬼がどうして恐いかと言ったら、人間が悪いことをするから、「こらー」って言うんだよ。みんなも悪いことをすると「こらー」と言ってもらう。そう言って貰わないと間違えちゃう。それを自分が悪いことをしているのに「こらー」と言ってくる鬼を悪いやつだと言って追い出すってことは、わがままばかりしようとしているんだよ、みんな。

なりくん:鬼は内、福も内だよね。

なりくん
れいくん:鬼は内。福は外。

いさどん:福は外???違うよ() 鬼は内として、そうするとみんな心がきれいになって、福が来る。そうだろ?学校でみんなに話してやったか?


なりくん:うん、僕とひみちゃんで友達みんなに話していったよ。

☆彡 ☆彡 ☆彡

鬼は外、福は内。

これはご利益を求める気持ちから出る言葉で、人々は自分に都合の良い福を求めます。
ですが、福を求めても大抵は叶いません。それは自分を顧みることがないからです。
それでも都合の良い福を求め続けることが、
この世界に混乱をもたらしているのではないでしょうか?

昨日、プロ野球選手の清原和博が覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕されました。
清原は昨年3月、NHKの取材に対して以下のように語っていたようです。(NHKニュースより)

☆彡 ☆彡 ☆彡

「引退したあと、自分の気持ちをコントロールするのがすごく難しかった。9歳から30年以上ずっと野球のことばかり考えてきて、野球選手としての清原和博が終わった時に、俺はどうしたらいいのかと思うようになった。最後は膝の故障で納得して辞めたが、引退後は1日をどう過ごしていいのかが分からなくなった。野球選手としては悔いがなかったが、引退後は心に穴が開いた感じだった」

「僕自身は弱い人間です。高校1年の時に、野球を見るとおなかがいたくなったりとか、小さい時は人見知りが激しくてお母さんの後ろに隠れたりしているような感じだった。それなのに、岸和田の清原が甲子園でいきなり全国区の清原になり戸惑いがあった。世間が清原を見るのは常に拳を振り上げているイメージ。だけど本当は、怖く見せてバリアを張るのに必死だった」

「現役時代は、どんなにファンやマスコミから悪く言われようとホームランを1発打てばすべてが挽回できた。バット一振りでなんでもできる世界だったから。ただ、引退してしまうと、いろんなことでネガティブに見られても、それを挽回する方法がない。清原和博という名前を恨んだこともあった。この名前がずっとついて回ってきて、何をやっても何か言われる。この名前を背負っていくことが嫌だった」

「野球というものがなくなり何も戦うことがなくなって、大量にお酒を飲んでしまったり、家族に会う時間もないほど荒れていた。今は、離婚して子どもともあまり会えなくなり、野球の仕事がなくなって、何もすることがない。この部屋にいて天井を見ているだけです」

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多くの人々があこがれる野球のスター選手だった清原。
それは求める福が叶った状態とも言えます。
ですが、内面は苦しみを抱えていたことが伺えます。

そして、スター選手の陰には多くの挫折した人々の存在があるのです。

人間性の伴わない幸運。それが人々や社会に何をもたらすのか?
スターを求める人々の心理が清原の状態を生み出したとも言えるのです。
清原の存在はまさに時代を象徴しているように思えました。

鬼を内にいれて、自らを正し、その結果、福が来る。

そんなふうに生きる時、ずっと幸せに過ごすこと出来るのです。

鬼は外、福は内。

それは大切なものが逆さまになった言葉です。

だから苦しみが生まれ続ける。

今、世の中がひっくり返る時が来ています。


艮の金神さまです。








一人一人の正解を創っていく。

1月10日、今年初めての新月の日。
木の花ファミリーではどんと焼を行い、お正月飾りや子どもたちの絵などを天に返しました。



新月は浄化の時であり、新しいスタートの時。
そこでいさどんは以下のように語りました。
(以下、「人類が宇宙視点に立つスタートの年が始まりました!」より抜粋)

☆彡 ☆彡 ☆彡

2016年が明けまして、今日は10日目です。正月を迎え、このどんと焼きの日を迎えることは、粛々と地球が宇宙を旅しながら、毎日自転を繰り返し、2017年に向かって歩んでいるのです。それは、時を刻んでいるだけではなく、実際に物理的にも宇宙を移動しているのです。そろそろ、地球にいる人類もその仕組みの中で生きていることに気付かないといけません。わたしたち人類がそういった宇宙的な視点のもとに生きていかなければ、これ以上人類が栄え、地球に生きている真の意味を表現することはできないのです。

~ 中略 ~

2016年に入り、人類が宇宙視点に立つためのスタートの年が始まりました。そして、それにふさわしい役割をこの小さな集団から地球全体に示していくのです。この世界は魂の世界ですから、世界が動いているのもその魂が存在し、わたしたちはその延長に生きているのです。そして、その世界の仕組みの中で、わたしたちは魂を最優先にして連携していく時代に入ったのです。そういった意味で、天と地、そして世界中の霊的ネットワークがこれからますます広がっていくことを願い、2016110日どんと焼きの日にあたって、皆で乾杯したいと思います。

それでは皆さん、乾杯!!
おめでとうございます!!!

☆彡 ☆彡 ☆彡

新月は宇宙の運行の現れ。それはスタートの時で何かを宣言するのに相応しい時。
そんな時に、ファミリーのみんなと宇宙視点に立つことを確認しました。

そして昨晩(1月13日)の大人ミーティングでは、クローズアップ現代の「"未来の紙"が世界を変える!?~日本発・新素材の可能性~」を観て、セルロースナノファイバーの持つ可能性を共有しました。

植物という豊富な資源から生まれ強度は鉄の5倍で軽い素材。
加えて、生体に害がなく(生体親和性)、環境にも負荷が掛からない。

それは夢の素材と言えて、自動車のボディやスマートフォン、
包装材や運動靴など様々な用途への活用が可能になります。

豊富な資源をみんなで分かち合う。

人々の心次第では、そんな経済を生み出す可能性も秘めています。

確かに時代が新しい流れを生み出している。

そのことをみんなで確認をしました。

そんな時代に相応しくあるために、一人一人がしっかりと自分と向き合う必要があります。
その際、肩に力を入れる必要はなく、立派に振る舞おうとする必要もないのでしょう。

数日前いさどんは語りました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

心に浮かんだことを話していく。
そのことがその人らしい正解を作っていくのです。
立派な言葉を語ることが正解ではありません。


立派な言葉を語っていても精神がついていっていない人は多くいます。

☆彡 ☆彡 ☆彡

立派なことを語ることで自らが見えなくなることもあります。
世界の多くの指導者がそんな状態にあると言えるではないでしょうか?

民主主義では選挙で当選するためには人々に選ばれる必要があります。
そして選挙にはお金が必要になります。
そのため人々に受けが良い言葉を語るようになり実態は二の次になっていきます。
指導者はそんなふうにして自分を失っていくのです。

指導者の姿は民意の表れです。
多くの人が世間の受けを気にして、自分を失っているのではないでしょうか?

世間の評価を気にする。
それは世間の評価に自分を奪われている状態です。
世間の評価に動かされ、欲望し、欲望に翻弄されることで、混乱を生み出していくのです。

宇宙視点に立つとは、元に仕組みに気づくことであり、本来の自分を取り戻すことです。
そのために心に浮かんだことを一つ一つ大切にして自分を積み上げていくのです。

大切なのは自分に向き合うこと。
自分を積み上げると同時に余分なものをそぎ落としていく。

ただそれだけです。

自分を取り戻し、自分を積み上げていけば、あとは世界が自分を生かしてくれるのです。
そして、そんなふうに生きる人が増えた時、世界は自然と整っていくのです。

だから僕はそんなふうに生きていきます。

この文章に共感した方。自分を取り戻し、自分を積み上げていきたい方。
2月14日から始まる一ヵ月の真学校はまさにそんな機会となるはずです。
是非、ご参加ください(^ー^)

どんと焼の日、みんなで撮った写真です。

正しいとされていることの奥を観ると・・・

今朝の静岡新聞の1面コラム【大自在】には、怪獣について以下の記述がありました。

宇宙開発や南極探索、戦争の爪痕。科学の発展、
人間の愚かな欲望追究の陰で起こる自然破壊や社会矛盾に光を当てる存在として、
怪獣は姿を現した。

そうだったのかと思いました。
それならば、その怪獣を倒すウルトラマンはどんな存在なのでしょう?

ウルトラマンが怪獣を倒すことによって、世界は元の平和を取り戻します。
ですが、人々の心や生活は以前と変わらないままです。
経済成長を求めて開発を続け、地球環境は悪化の一途を辿ります。

僕はずっとウルトラマンはヒーローだと思ってきました。
ですが、ウルトラマンは問題を教えてくれる怪獣を倒してしまうのです。
それをヒーローと呼べるのでしょうか?

大切なのは、人類が自ら生み出した怪獣に向き合い、自分たちを改めることでしょう。

こんなふうに見ると、ウルトラマンも違ったように見えてきます。

同じく静岡新聞の一面。

静岡県内主要企業への景気動向アンケート結果が掲載さえ、
当たり前のように個人消費回復の必要性が述べられていました。
消費が多くなるということは、それだけ環境に負荷をかけることです。
昨年末、COP21にてパリ協定が採択されたように、
人類は温室効果ガスの排出をなくしていく必要があります。
そんな時、個人消費が拡大していくことは良いことなのでしょうか?

安倍首相の年頭所感もそうですが、経済を拡大させることが無条件に良しとされています。
ですが、それは本当にそうなのでしょうか?

GDPには、医療費も含まれていて、医療費は病気になる人が増えれば増えるほど増大します。
大きくなることが必ずしもいいことではないのです。

医者と言えば、昨晩は木の花ファミリーのみんなと、
風に立つライオン」という映画を観て、感想を話し合いました。

主人公は医者としてケニアに赴任し、スーダンの内線で傷ついた人々の治療に当たります。
映画では少年兵の問題など様々な問題が描かれていました。

シリアスな状況にある現地に赴き活動することは英雄的、
人々に感動を与えるかもしれません。
ですが、それが本当の解決に繋がるかと言ったら疑問になりませんか?

主人公に傷を癒された人々はまた戦地に赴くことになるのです。

戦争はいつ終わるのでしょうか?

今の社会では、医者はエリートです。医者になった人は社会でもてはやされます。
そして、その背後には沢山の「医者になれなかった人たち」が存在します。

一部の成功者と多くの失敗者。

そんな構造の下に生み出される医者を目指すことは社会にとって良いことなのでしょうか?

その奥にどんな心があるか?
その行為がどんな心を育むか?

そこが見えなければ、良いとも悪いとも言えないのではないでしょうか?

今の世界は一人一人の心が生み出しています。
一つ一つの出来事の奥にはそれを生み出す物語が働いているのです。

出来事の奥を見通すことで、
それがどんなふうに生まれているかを知ることが出来ます。
そして、それを知った時、人は世界を根本的に変化させていけるのです。

気候変動や貧困や格差、今の時代は、様々な問題にあふれています。
それは人々が「自分の」望みを叶えようとしてきた結果なのではないでしょうか?
「自分の」という意識が他人との違いを生み出しました。
そして、一人一人が所有することで、より多くの「モノ」が必要な社会となりました。

一人一人の心が「みんなで」となった時、この状況は一変します。
みんなを自分と同じように捉え、「モノ」をみんなで共有出来ます。
その時、一人一人の違いから生まれる格差はなくなり、
少ない「モノ」で、みんなで豊かに暮らし、地球とも調和するようになっていくでしょう。

木の花ファミリーでは、先駆けとして日々そんな実践を心掛けているのです。
※いさどんブログ「みんなで」を読んでみて下さいね。

木の花ファミリーのみんな@宮ノ下広場(元旦)


是非是非遊びに来てこの暮らしに触れてみて下さいね。








4(混沌)から5(位置)へ。それは世界に広がりをもたらす。

今日(10月24日)は霜降(そうこう)。そして、21日から土用に入っています(地球暦のサイト参照)。
土用は季節の移り変わり目。地球は今、秋を終わらせ、冬を迎えようとしています。

先の地球暦のサイトには「霜降」について以下のように書いてあります。

☆彡 ☆彡 ☆彡

一年を一日にたとえたら、「霜降」は夜8時くらい。家族団欒で食卓を囲み、一日の出来事を回想しているような頃合いです。今年の収穫を感謝し、来たる冬を迎えるための心づもりをするときです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

そう、霜降の日は、今の自らの行いを振り返るのに良い時期と言えるのではないでしょうか?

意図していないことに自分が現れている。
最近、よくそう思います。

例えば、何かをしようとしている時、別の用事を頼まれる。
その時、自分の中にどんな感情が沸き起こるか、どんな反応をするか?
そういうところに自分の人間性が現れると思うのです。

もっと言えば、その意図していない出来事を招いているのは自分自身です。
自分の中の自覚していない部分がその出来事を引き起こしている。
そんなふうにも言えるのです。

なので、意図していないことに開かれることで、
自分を知り、学びを深めていけると思うのです。

意図していないこととは無意識。
だから僕は秋分の日に、


と宣言をしました。

秋分から30度経過した今、その宣言を新たに意識していこうと思います。

社会に目を移せば、フォルクスワーゲンによる排ガス不正問題や旭化成のマンション傾斜問題、東洋ゴムによる免振ゴム及び防振ゴムでのデータ改ざんなど大手企業によるデータ改ざんが話題になっています。

これらはそれぞれの企業にとって意図していないことしょうが、データを誤魔化していた普段の姿勢が表に現れたものです。まさにそれぞれの企業の実態を表していると言っていいでしょう。

その背景には、過度に経済成長を求める現代社会の歪みがあるように思えますが、なんにせよ、それぞれの企業は問題を通して自分たちを知り、改善をすることが出来るのです。
そして、もしその背後に社会の歪みがあるならば、企業の改善は社会の歪みの改善にも繋がっていくのでしょう。

そう考えるとそれは天からの恵みとも言えるのではないでしょうか?

時代は今、闇のピークを越え、光の時代へと向かっているのです。
 ※2012年12月21日 太陽系は約25800年振りに銀河の冬至を迎えました。

僕は?
 空っぽへのあこがれ

これらの記事に描かれている僕の滞りは意図していないものでした。
ですが、そこに自分の現状、「よごれ」「よどみ」が現れているのです。

 ☆彡 

話しは少し変わって、僕は毎朝、富士山を眺めて「お祈り」をしています。
 ※「お祈り」については「あわりーぬ」のブログを参照して下さい。


10月24日(霜降)富士宮からの富士山です。※AM6時頃


今日は、山中湖にお弁当配達に行った時も「お祈り」をしたので、
富士山を挟んで南西と北東で「お祈り」を捧げたことになります。


10月24日(霜降)山中湖からの富士山です。※お昼ごろ


湖で「お祈り」を捧げていると、波の音や風の音が
「お祈り」に合わせて変化する感じが心地よかったです。

ところで、このお祈りはカタカムナを取り入れているのですが、
僕の名前、よしふみ「よ()」は「4」であり混沌を表す思念です。

「よ」(4)は、「い」(5)の方に進めば、「よい」となるのですが、
「み」(3)の方に戻ると、「よみ(黄泉)」となり、死の世界に入っていきます。
「よ」はどちらにも転がりえる、混沌の中にあります。

「よ」がつく言葉を見ると、喜び、良い、淀み、汚れなど両義的なのはその表れでしょう。

自分の中には混沌がある。

それは確かで、その混沌が「相応しいものになっていく」や「空っぽへのあこがれ」で
描かれているような滞りを時々僕にもたらしてきました。

それは「いやなもの」に感じます。

ですが、思いは満ちた(3)後、混沌(4)の中で広がり、
意志(5)の元、この世界に位置(5)を得るのです。

混沌はこの世界に広がりをもたらすもので、必要なものでもあるのです。

「よ」を名前にいただいた僕は、自らの持つ混沌としっかり向き合い、
この世界に広がりと豊かさをもたらす役割をいただいているのです。

だから僕は混沌を愛する。

そう宣言し、混沌「よ」(4)の中に天の意志「い」(5)を見出し、
それらが描く未来を楽しんでいこうと思います。

そんなふうにわくわくする未来のビジョンを描きたい方!
以下の2つのイベントがお勧めです。是非、ご参加下さい(^ー^)

☆彡 ☆彡 ☆彡

10月31日・11月1日 古代日本と遊牧民族の叡智が融合し、未来を創造する~モンゴルの草原から来た青年の吹きおこす風 ~第1章「大地」



最近、永世中立国を目指すことが伝えられたモンゴル(高知新聞「小社会」参照)。
中国、ロシアと大国に挟まれたモンゴルのエルベグドルジ大統領は
永世中立を旗印にアジアの紛争防止に力を尽くそうとしています。
そこからは国の理性が感じられます。

そのモンゴル出身の若者ムルンくんと木の花ファミリーは、今年の8月に出会いました。
ムルンくんは木の花ファミリーに「天の故郷」を感じ、このイベントは企画しました。
(※出会いの様子は「あわちゃんのウルルン木の花滞在記『お祈り』」をお読みください)

今回のテーマは「大地」。
ムルンくんといさどん、そして参加者が大地をテーマに語り合うことで、
未来社会のあるべき姿を描き、行き詰まった現代社会の突破口を示します。
 ※9月10日に行われた2人の対談は「地球談話を実践する人々」をお読みください。
是非、共に語り合い、希望ある次世代の生き方を地球上に実現しましょう!






真の平和を地球にもたらすために今わたしたちにできることは、
一人一人が広い世界観を持ち、個々の自我を超越することです。

それは精神革命と言えるでしょう。

第9回の大人サミットとなる「地球会議in木の花ファミリー」は、
精神革命が引き起こす次世代の「クニツクリ」の場となっていくでしょう。

是非、共に語り合い、これからの未来を本気で創り上げていきましょう!




やっぱり天の物語を生きる ~オウム真理教の事件から~


オウム真理教の教祖である松本智津夫死刑囚。その三女である松本麗華さんの手記「止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチェリーの手記」〔講談社)が出版され話題になっているようです。

僕はこの話題をきっかけに、松本麗華氏へのインタビューなどいくつかの記事を読み、動画を見ました。そのうちの一つ、池本孝慈さんのブログ記事、『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチェリーの手記』松本麗華〔講談社)はとても良質なもので共感出来ました。


☆彡 ☆彡 ☆彡 ちなみに動画に関しては以下の4つのものを観ました。☆彡 ☆彡 ☆彡

【地下鉄サリン事件から20年】麻原彰晃の三女・アーチェリーが語る (聞き手:田原総一郎)

麻原彰晃の三女「アーチェリー」が本名・松本麗華としてニュースzeroに顔出し出演

麻原彰晃の三女”アーチェリー”の告白『オウム・父麻原・事件』ウェークアップぷらす

地下鉄サリン事件20年 松本死刑囚の四女に話しを聞きました。(FNNNewsCH)

☆彡 ☆彡 ☆彡            ☆彡 ☆彡 ☆彡            ☆彡 ☆彡 ☆彡

松本麗華さんは、オウム真理教が起こした一連の事件について、教団が行ったことは認めながら、父親が指示を出したことについては、判断を留保し、「分からない」と述べています。松本智津夫死刑囚の四女、聡香さん(仮名)は、この麗華さんの態度に対して疑問を呈し、麗華さんが語っていることに関してデタラメだと批判しています。これはどちらかが嘘をついているというわけではなくて、同じ場所にいて二人はまったく違う現実を経験したのだと思います。

一つの出来事に対して受け止め方が人によって違うのはよくあることです。その時のその人の立場、心の状態、性格。それによって一つの出来事も全く違って表現されることはよくあります。当時、11歳の麗華さんと、5歳の聡香さんが全く違った体験をしていたとしても不思議なことではありません。

たとえば、僕たちは豊かな日本で暮らしています。ですが、感じるものは人それぞれで、物質的豊さを享受し楽しむ人もいれば、そこに虚しさを感じ生きる意味を探求する人もいます。自分を知り心穏やかに暮らす人もいれば、道を踏み外し見失う人もいます。そんな日本社会の中でオウム真理教も生まれています。

僕は麗華さんも聡香さんも自分がリアルに感じたことを語っているのだと思っています。そこには父親に対する愛情もしくは憎しみというバイアスが掛かっているとは思います。ですが、そこには嘘はないと思います。そして、経験者が持つそのバイアスがそのまま表現されることで、そこで何が起きたのか、オウムとは何だったのかをより深く知ることが出来るのではないかと感じました。

今の麗華さんの態度について、色々な識者が麗華さんを批判していました。道徳観念からしたら、父親の事件への関与を保留にし、遺族に謝罪をしていない麗華さんの態度は非難されるものなのかもしれません。ですが、立派な道徳観念通りに行動できる人間がどれだけいるのでしょうか?その道徳観念は人間の本質を掴みきれているのでしょうか?

日本社会が生み出したオウム真理教。その存在は、アレフとなって今も続いています。何がそれを生み出しているのか?それを突き詰めることは大切な取り組みです。松本智津夫死刑囚の娘であることを受け入れ、実名を公表し、表に出て語り続ける麗華さん。これからもオウム真理教や地下鉄サリン事件、そしてその被害者や遺族の方々に向き合い続け続けることになります。それはとても重く厳しい道のりでしょうが、今後の麗華さんの人生により、オウムを生み出した日本の闇に光が当たり、人々がそれを乗り越えていく。そんな可能性も感じます。

麗華さんは、「オウム真理教と一般社会にそれほど違いはない。そんな中でなぜ事件が起きたのかを考える必要がある」と述べています。そして、田原総一郎さんは、地下鉄サリン事件と太平洋戦争とを重ね、かつて日本全体で同じような状況が起きたと話しています。

おかしいと思いながら、誰も反対出来ずに間違えた方向に進んでしまう。

集団や社会はそのような特徴を持つことがあるようです。例えば今、地球環境の悪化が叫ばれる中、多くの国の政策で経済成長が大切にされています。大きな視点で見れば、これも同じような現象と言えるのではないでしょうか?この状態を超えるにはどうしたらいいのでしょうか?

☆彡 ☆彡 ☆彡

木の花ファミリーの暮らしは、この質問の答えになっています。
ここから少し僕や木の花ファミリーのことを書いてみようと思います。

今年の正月。「やっぱり天の物語を生きる~新年の挨拶として~」を書いた僕ですが、日々の忙しさの中で、天を感じるゆとりをなくし、「困難を克服する」「すごい人になる」という自分の物語を生きるようになっていました(「世界のお金がみんなのお金になるように。」を参照)。3月16日、確定申告書類を税務署に提出し一息ついた僕は、さっそく滞りを頂きました(「世界のお金がみんなのお金になるように。PART.2」を参照)。わかりやすいなと思いました。

木の花ファミリーブログ「宇宙を生きる子供達へ」にも書かれていますが、天とは宇宙のことです。宇宙の運行が季節をもたらし、時代の流れをもたらします。そこに心を開き、流れをいただくことで物事はスムーズに進んでいくのです。

自分の願いが叶う。それは嬉しいことかもしれませんが、自分の想像の枠を超えません。ですが、天の物語を生きる時、何が起きるか想像をすることが出来ません。自分の想像をはるかに超えたわくわくする出来事に出会えるのです。

物事がスムーズに進み、しかもわくわくする。

そんな天の物語を生きるためには自分を手放す必要があります。自分の物語を生きるようになってしまっていた僕は、それを手放し、天に心を向けて、その感覚を少しずつ取り戻しています。

そして、僕と同じテーマが木の花ファミリー全体にも言えるのです。一人一人のメンバーが、自分の感覚や感情に捕らわれて全体視点を失っているとその場は停滞します(その様子は、木の花ファミリーブログ「真夜中の女子会」に描かれています)。みんなが心から「それでいいね」という状態にならずになんとなく物事を進めていく。そういう状態に陥ることもあります。この延長に「おかしいと思いながら、誰も反対せずに間違えた方向に進む」ということが生まれるのだと思います。

一人一人が天に心を向けることで、全体でこの状態を超えていくことが出来ます。はっきりと意志を示し、みんなで一つの方向に進んでいくことが出来ます。僕たちは何度かその一体感から生まれる喜びを味わっています。今のところすぐに忘れてしまうのですが・・・

僕たちはみんなで自分を超えられることを知っています。まだまだ未熟ですが、そこを目指し続けています。そんな僕たち木の花ファミリーの暮らしは、これからの時代の希望となり、多くの人々を幸せにしていく。そう確信しています。


木の花ファミリーのみんな




正しく世界を見る。それが人間関係を豊かにしていく。

いさどんとひとみちゃん(2014年8月7日川遊びにて)
いさどんひとみちゃんは毎日、昼間に散歩をすることにしたそうです。散歩をする時、いさどんは、先に行ってしまったり、「あっちに行くから」と言って違う方向に歩くそうです。いさどんはそんなふうにして散歩を楽しんでいるのです。ひとみちゃんはそんないさどんにへっちゃらな顔でついてくるそうです。いさどんはゼイゼイ言っているのに・・・。

ひとみちゃんを疲れさせたい! アップアップさせたい!

そう意気込むいさどんは運動靴を買うことにしました。そんなふうに二人は散歩を楽しんでいます。表面的行動だけ取り上げたら、いさどんの行動はただの意地悪になってしまうのでしょうが、いさどんの心の奥には愛があり、ひとみちゃんとの間には信頼関係があります。だから、そのやり取りは微笑ましいものとなっているのです(^ー^)


ところで、日本の高齢者人口は3,000万人を突破し、そのうち600万人は一人暮らしをしているといいます(NHKスペシャル『老人漂流社会‟老後破産”の現実より)。貧しい人間関係の中で暮らすお年寄りが増えているのです。そんなお年寄りをいかにケアしていくかは今の社会が抱えている課題と言えるでしょう。

木の花ファミリーでは月に一度、「恵みいただきます」という食事会が開催されます。恵みいただきますには毎回、多くのお年寄りが参加しています。そして、食事や買い物、人との交流を楽しんでいかれます。地域にお年寄りを元気にする場となっているのです。
※当日の様子や詳しい情報は以下の記事をお読みいただけたらと思います。

「恵みいただきます」と、僕たちが目指す世界 - HIROッチDairy in 木の花ファミリーより

恵みいただきます/経済的効率より大切なもの - このBLOGの記事です。

みんなの中でよみがえり生きていく - このBLOGの記事です。

こんなふうに僕たちは、お年寄りのケアに貢献しています。それに加え、木の花ファミリーの協力団体、NPO法人ぐりーんぐらすでは、地域社会に繋がりを生み出す事業として便利屋を行っています。便利屋も、お年寄りの人間関係を豊かにすることが出来る事業であり、まっちゃんが主担当を務めています。


便利屋を担当しているまっちゃんです。
まっちゃんは最近、苦手な相手から便利屋の依頼を受けて悩んでいました。「またお願いします」と言われていましたが、その仕事に意味を感じることが出来ず、今度頼んできたら断ることを検討していました。というのは、家の中に牛糞の匂いがするため、シルバーシートを貼って防いで欲しいと言われていましたが、牛糞の匂いはしないし、仮に匂いがするとしてもシルバーシートで匂いを防ぐことは出来ないと判断していたのです。効果がないことをお願いして来ていて、しかも細かい要求もしてくるということでした。

結局、まっちゃんはこの依頼を断るのですが、その時の電話の対応に嫌悪感がにじみ出ていたようです。そんなまっちゃんに対して、いさどんは以下のように伝えました。

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今の社会では、人間関係が貧しい人たちが沢山います。そんな人たちの人間関係を豊かにするのが便利屋です。それは相手の意向に沿って進める仕事で、自分の好き嫌いでやる仕事ではないのです。様々な仕事を引き受ける便利屋は大きく広がる可能性を持っています。それは曖昧な仕事とも言えますが、曖昧なところを明確にすることで進めていくことが大切です。それはお客さんを緻密に見るということです。今回のお客さんのように人間関係が希薄になっている人は、その人自身にその原因があります。なので、要望にすべて付き合うのがよいというわけではありません。ですが、最初の印象が悪くとも、仕事を引き受けて、当たり前のことを当たり前にこなすことで信頼関係を築いていけます。そして親しくなった時にお客さんの状態について伝えていくことが可能かもしれません。その見極めを慎重に明確に進めていくのです。相手に対する理解は愛です。愛を持って緻密に見ていく。それは世の中の心の貧しさを埋めていく取り組みとなるのです。
ところが、まっちゃんの姿勢はパートタイマーの姿勢です。いやな仕事を引き受けている。そんな気持ちでいます。その心は相手に伝わり、相手は細かいことを気にするようになるのです。そうするとどんどんいやになる悪循環が生まれます。楽しくない状況は自分で生み出しているのです。発想の転換をし、本来の便利屋の使命に基づいて行動すれば、お客さんとの関係も豊かになり、どんどん楽しくなっていくのです。

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これを聴いたまっちゃんは心を切り替えてやる気になっています。まっちゃんの姿勢が気になったので、僕やオフィスチームの人たちもそのことを伝えていましたが、僕たちにはまっちゃんの心を開くことは出来ませんでした。その違いは愛の深さにあり、僕らにはそれが足りなかったです。

では愛とは何か?ティク・ナット・ハンは「愛とは理解に基づくもの。理解がなければ愛することは出来ない」と言っていますが、いさどんも同じことを言いました。そして、そこから深い世界観を展開しました。

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愛とは正しく見ることです。すべての現象は、この宇宙の法則に基づいて起きています。そこに対する信頼が愛です。この信頼があるからこそ、安心して心磨きをすることが出来るのです。愛はすべての場所に遍満しています。それはこの世界の実態、心の実態を忠実に表すもの、仕組みと言うことも出来ます。この仕組みの中に我を持つ自分がいます。陰と陽。相反するものが向かい合うことで新たなものを生み出すのがこの世界です。一つの世界(愛)から分かたれた自分(我)は、世界に向かうことで新たなもの、より大きな調和を生み出します。人間は、生きることで現象を貰い自分の位置を知ることが出来ます。滞りも痛みを持って導こうとして下さる愛の顕れです。すべては鏡(かがみ)であり、「我(が)」を取ると神となります。神とは愛です。心磨きをすることで「が」がなくなり神が顕れ神と一体となり愛そのものになります。みんな幸せになりたいと思っていて、自分に対する愛を持っています。ならば、自分が広がり世界と一体になれば、世界に対する愛を持ち愛そのものになっていきます。この世界に愛は遍満しているのです。

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思いやり、相手への愛、世界への愛が大切であり、それは自分と世界を知ることで深まっていくのでしょう。そして、愛とは神のことでもあります。続けていさどんは語ります。

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神は世界に遍満しています。それを人間が知って喜びを表現することが大切です。神は最も謙虚な存在です。「神はいない」と人々が言っても、何も言わずに人々を見守り続けます。そして、宇宙の法則に基づいて愛を注ぎ続けています。分からないようにしているけれども、気が付くとどこにでもいるのです。

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宇宙に遍満している愛。どこにでもいる神。それに気づけば何でもないふつうの日常が特別なものとなります。冒頭のいさどんとひとみちゃんの話しはそんな特別な日常の一コマです。楽しそうですよね。この豊かな関係は、愛に基づき精密に見ていくことで生まれているのです。







世界が僕を変える

一昨日の大人ミーティングの一場面。こんなやり取りがありました。

直観の大切さを確認し、一人一人の想いを繋いで場を創っていこうと言いながらも、いまいち盛り上がらない中、いさどんはこんな風に言いました。

みんなの話しを聴いていてもわくわくしないんだよね。湧き上がる想いが感じられない。想いを繋ぐことも大切だけれども、それ以前に一人一人の湧き上がる想いの方が重要。もっと一人一人から想いが湧き出て来て語りだすとこの場はどんどん活性化していく。

そして昨日は、カタカムナ勉強会の一日目でした。

その中で講師の芳賀さんは、東京大学先端科学技術センター日本財団が企画した「異才発掘プロジェクト」を話題にしました。このプロジェクトは、特定の分野で突き抜けた才能を持ちながら、人付き合いが苦手などの理由で不登校になりがちな小中学生を支援し、その才能を開花させるのが目的です。この異才発掘プロジェクトの第1期生の開講式が10日に行われたのです。(YOMIURI ONLINE参照)

日本の教育システムは、戦後、オールマイティであること、協調性を育てることを大切にして来ましたが、革新的な発想を生み出す環境は作れていません。そんな日本の教育について、芳賀さんは以下のように言います。(僕の理解で書いているので、正確でない部分もあるかもしれません)

教育は読み書きそろばんだけ教えればよいのです。なぜならば、カタカムナ文献が示す通り、日本語には宇宙物理が反映されているからです。日本語を唱えることは、宇宙の響きを生きることであり、宇宙のすべてが分かるのです。子どもたちは、日本語を覚え、あとは好きなことをすればよいのです。神社仏閣と同じように寺小屋はイヤシロチ(癒され気分の良い土地)に建てられていました。イヤシロチのエネルギーの中で、直感を磨き、湧き上がる興味の元に学んでいくのです。そうすることで、これからの社会を生き抜く知恵が生まれてきます。異才発掘プロジェクトもそんな動きの一つでしょう。

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一昨日のいさどんの言葉も昨日の芳賀さんの言葉も、人と合わせるよりも、一人一人が湧き上がるものを思い切り表現することの大切さを伝えています。湧き上がる想いを交流させること。その先に活発で調和した空間を創り上げていく。そんな世界を実現させることで、時代はさらに動いていくのでしょう。

ところで、14日に行われた衆議院選挙は与党(自民党と公明党)が326議席(3分の2超)を獲得する形で終わりました。投票率は52.66%で戦後最低でした。選挙期間中、人々に選挙に行くように促す記事や動きがありました。例えば、イトウセイコウさん記事の「一羽の鳥について(あらゆる選挙に寄せて)」や「自由と民主主義のための学生緊急行動(FKA SASPL)」のサイトです。どちらのサイトも「選挙に行くことで世界を変えよう!」と訴えていましたが、投票率は上がりませんでした。

多くの国民が衆議院選挙を迎えても湧き上がる想いがない。

それがこの投票率となって現れているのでしょう。

僕はどうか?

僕も特別湧き上がるものはありませんでした。投票はしましたが、そこに特別な思いはありません。その理由は、「みんなでみんなの人生を生きる」に書いた通りです。でもきっと少し前なら、僕はイトウセイコウさんの記事やFKA SASPLのサイトを観ることで、熱い想いが浮かんできただろうと思います。そして、投票率を上げなくては・・・と思い、上記のサイトをFacebookなどでシェアし、拡散したでしょう。そして今回の結果にがっかりし、現状に危機感を持ったことでしょう。でも、今の僕にはそんな想いはなく、危機感もありません。

僕の何が変化したか?

世界観が広がり、見ている世界が変わった。

だから僕の心は安らいでいます。

昔の僕に湧き上がった想いは、「自分の行動が世界を変える。自分が世界を変えられる。」というものでした。そこには前提として「変えなければならない現実」があります。悲惨な現実があり、でも勇気を出して行動することでその現実を変えることが出来る。その物語に僕の心は刺激されていました。困難なことに打ち勝っていく。ある種の英雄物語と言ってもいいでしょう。そんな物語に惹かれていたのです。でも、考えてみて下さい。英雄物語を成就するためには、必ず困難な現実が必要となります。ということは英雄物語を求める心が困難な現実を創り出しているとも言えるのではないでしょうか?

無意識のうちに困難な現実を求め創り出し苦しむ。そしてそこを克服して喜ぶ。
もしくは克服出来ずに向き合い続けていることに満足する。

僕の中にはそういう心があり、それが僕の見ている世界でした。
ですが、今はまったく違う世界を見ています。


空は世界中に繋がり、宇宙へと繋がっています。
その空を見上げると、大いなる存在がいつも微笑んでいます。
その圧倒的な存在感と暖かさ。
それを感じると涙が溢れそうになります。

空は僕に何も語ることはありません。
命令することもなければ、教えてくれることもありません。
ただただ微笑んでいます。

僕はいつもそこに想いを馳せています。

僕が世界を変えるのではなくて、世界が僕を変えるのです。

今、世界で起きていることは、大いなる意思の元に起きています。
そこから自分を見て学んでいく。
それをただ淡々と続けることが大切なのだと思います。

今回の選挙の結果も、それが今の人々の意識を現わしていて、それを受けて、世界を知り学びを深め変化していけばいいのです。


冒頭で、いさどんも芳賀さんも湧き上がるものが大切だと述べています。
もちろんそうでしょうが、どこから湧き上がってきているかも重要な要素だと思います。

地球、そして宇宙から湧き上がっている想いが確かにあります。
それは変化し続け、一人一人の個性に合わせて、人を通して現れます。
一人一人がそれを感じ、自らの意志で表現していく時、地上天国が実現するのでしょう。

すべては順調なのです◎(^-^)◎




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