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思い通りにならないことに向き合うことで心が育まれる

思い通りにならないことは向き合うことで心を育んでくれます。そして心が育まれると思いもよらない出来事に出会い感動します。感動し嬉しくなると気が緩むものです。ですがこの時、気が緩んでしまうと思い通りにならないことに苛立ち心が貧しくなっていきます。そうするとせっかく積み上げたものが一気に崩れてしまいます。これでは元の木阿弥で人生は同じことの繰り返しとなっていきます。

思いもよらない出来事に出会うということはそれだけ価値のあるものになれというメッセージで、より責任が大きくなり心を引き締める必要があります。心を引き締めることで何が起きても心は育まれ続け価値を高めていけるのです。

クリスマスの日、木の花ファミリーでも12月のお誕生日会を兼ねてクリスマス会が行われ、みんなで楽しい時間を過ごしました。クリスマス会ではサンタさんから子どもたちにプレゼントが贈られますが、今年は僕にもプレゼントがありました。思いがけないことに胸が温かくなりましたが、翌日、子どもたちがプレゼントのおもちゃに使う電池を求めて僕のところに来て、数が足りなくなったけれども注文してある分がなかなか届かなくて何度も何度も確認に来る子どもたちがいたり、プレゼントのオーディオプレイヤーの使い方を調べて欲しいと言ってくる子の対応をしたりでペースが乱されました。

忙しいところ時間を取られてしまった。これはまずい!

という思いが浮かびましたが、冷静に観れば、多少仕事に遅れが出ただけのこと。大騒ぎをするようなことではありません。それでも、まずい!という思いが浮かんでくるのは自己主張で、その奥にはペースを乱されていることに対する負担感、もっとよく見れば苛立ちがあります。それを認識すれば、その感情を超えていくだけなのです。

子どもたちはただ喜んでいるだけだから、その喜びには気持ちよく応じたいものです。

仕事が進まない。まずい!

というのは責任感がある言葉のようにも聴こえますが、心の奥を観ればペースを乱されることに対する苛立ちがあり、それをきれいにカモフラージュしているだけです。

自らを分けると書く自分、そこから生まれる自我は自らを際立たせます。それは刺激に対する反応なようなもので、多くの場合、そこには冷静な判断は含まれていません。押されたら引きたくなるし、引かれると押したくなる。目的は自らを際立たせることあるから言うことがコロコロ変わるのです。人はそんな自我の動きをきれいごとでカモフラージュします。先に挙げた、仕事が進まない。まずい!というものもそんな心の動きの一つです。

自らの価値を高めることは自我から自由となることであり、だからこそ思い通りにならないことは向き合うことで価値を高めてくれます。思いもよらない出来事はそんな中与えられるご褒美のようなものですが、そこで自我が疼いたらまた元の木阿弥となるのです。

だから常に心を観察し続けることが大切です。

そんなことを思っていると、静岡新聞の社説が目に入りました。

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素手に棒を握り、はいつくばって砂浜をつついて進む。手応えがあると慎重に砂をのける。現れるのは円形の地雷。信管の抜き取りをわずかでも誤れば目の前で爆発。死と隣り合わせの作業に幼い面立ちのナチス・ドイツの敗残兵が当たる

ちょうど1年前に公開された映画「ヒトラーの忘れもの」。第2次大戦後のデンマークを舞台にナチスが海岸線に埋設した地雷の除去に駆り出された少年兵と、指揮するデンマーク軍の軍曹との葛藤を描いた。史実に基づくリアルな場面が胸に迫った

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ナチス・ドイツの敗残兵に地雷処理をさせる。それを命令する側には当然の報いという理屈があるのでしょうが、その奥にある心を見て超えていく必要があります。そうでないとお互いの正当性を主張しながらの悲劇が繰り返されていきます。先の記事はこんなふうに続きます。

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残念ながら、その悲劇は今も終わらない現実でもある。先日、非政府組織の連合体、地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)が発表した報告によると地雷や不発弾による2016年の死傷者は世界全体で8605人。うち8割は子どもを含む一般市民だった

地雷の中でも対人地雷は命でなくけがを狙って設計される。恐怖心をあおり救護に要するコストで敵を消耗させる。安価で大量に装備でき、いったん埋設されれば半永久的に作動し無差別に殺傷する。「悪魔の兵器」といわれるゆえんだ

廃絶を目指した対人地雷禁止条約(オタワ条約)ができて20年。130以上あった地雷保有国は半分以下まで減ったものの、なお地球上に残る地雷は数千万とも1億とも推計される


条約に米国、ロシア、中国などが背を向ける中、日本は地雷を廃棄し除去へ資金や技術的支援にも積極的に取り組む。道のりは長いが、まずは地雷全廃。そして核という非人道兵器も“人類の忘れ物”にしてはならない。



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人生は思い通りにならず人類は数々の悲劇を経験してきました。それに向き合う時、人類の心が育まれ、思いもよらない出来事、実現不能にも思える平和が訪れるのだと思います。地雷にしろ原爆にしろ自分の思い通りにしようとする心から生まれています。その思いにはそれぞれ正当性があるのでしょうが、軍拡競争となり歯止めが利かなくなっています。思い通りにしようとすると心が貧しくなっていきます。平和運動が対立に繋がるのも思い通りにしようとする心の表れです。だから自分の正当性の奥にある心を見て、それを超えていく必要があるのです。それはきっと日々の生活の中でみんながする必要がある実践で、その積み重ねが本当の平和へと繋がっていくのでしょう。

思い通りにならないことに向き合うことで思いもよらない出来事に出会い感動するのです(^-^)

12月お誕生日会&クリスマス会の様子です。


うれしたのしの世界を生み出す

木の花ファミリー通信2017冬至号が発行されました。今回のファミリー通信は世界情勢をテーマにしていて、時代を大きな流れで捉える視点を提供すると共に、環境、農・食、経済、社会、政治、教育などの分野の現状の分析をしています。その中で政治についてはトランプ大統領に触れています。以下、その内容を転載します。

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時代の申し子・トランプ米大統領の出現

時代は新たな価値観を求めている

アメリカの建国から約250年、ニューヨークに高層ビルが建てられるようになってから約130年。それは、46億年の地球の歴史からするとほんの少しの出来事ですが、素晴らしく発展したマンハッタンも、宇宙から観たら本来の自然の美しさが失われた皮膚癌の状態であり、それは地球の病巣とも言えるのです。

20121221日の「銀河の冬至」という大いなるターニングポイントを越えて光が差してきた今、そこで見えてきた本音が「アメリカファースト」です。その本家がイギリスであり、今、イギリスも「イギリスファースト」という姿勢を取っています。元々、アメリカという国家は度量の大きな他民族国家でした。ですから、アメリカは偉大な国だとされてきたのですが、その本音では自国の利益ばかりを求めていたのです。これまで公開されてこなかった過去の文書によると、アメリカは世界戦略として戦争をつくり、戦争によって繁栄してきた国だということが観えてきています。そして今や、アフリカやアジアといった貧しい国を搾取することによって栄えてきた国でもあるのですから、アメリカが世界の名士であるということは幻想にしか過ぎません。

自分たちが豊かになろうとする欲望の延長に、イギリスやアメリカが覇権主義で世界をリードし、その結果世界中の国々がそれに追随してきた時代が終焉を迎えている証として、トランプ大統領が誕生したとも言えるでしょう。時代が必要として産み出されたトランプ大統領には、既存の国家主義を壊すために大混乱を引き起こす重要な役割があるのです。そして、本来アメリカという国家は度量の大きな他民族国家なのですから、自分たちの欲を手放し、今まで抱えてきた富をこの世界に還元する時を迎えています。そのように、現代を生きる人々が地球レベルで世界のことを考え、人類の本来の目的に目覚めた時、地球に真の平和は訪れることでしょう。

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先日、国連総会の緊急会合が開かれ、トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定したことに対して、認定の撤回を求める決議案が圧倒的多数で採択されました。採択に先立ち、トランプ大統領は決議案に賛成する国への支援を停止すると警告していましたが、多くの国はそれでも賛成票を投じました。トランプ大統領によるエルサレム首都認定の動機については、中間選挙での人気巻き返し、ロシア疑惑の話題を反らすためなどと報じられており、「アメリカファースト」どころか「トランプファースト」とも言える姿勢となっています。国が自国の利益ばかりを求めているのは、国を構成している人々が自分の利益ばかりを求めているからであり、そのような国民に選ばれた指導者が自分のことばかり考えているのはある意味当然と言えます。トランプ大統領は繕うことなくその姿勢を打ち出すことで既存の国家主義を壊すための役割となっているのでしょう。トランプ大統領の姿勢は人々の鏡であり、その姿から人々が自分の姿勢を改めることで今の混乱を抜け出し希望ある未来を生み出すことが出来るのです。

冬至の夜、木の花ファミリーでは富士浅間木の花祭りについてのプレゼンが行われ、その意味を共有しました。木の花祭りは鬼が主役のお祭りです。鬼は人々に忌み嫌われていますが、鬼は本来、人びとに道理を説く存在なのです。鬼についてカタカムナの単音で調べると以下のような意味となります。

「オ」 6方(前後左右上下)へ限りなく拡散、または凝縮する思念。大きい 重い 奥の方・潜象の場  ※潜象界とはカタカムナでは「ない世界」のこと

「二」 定着する

この意味を発展させて「いさどんと鬼の面」では鬼について以下のように説明しています。

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「オニ」とはマクロにもミクロにも限りなく広がる現象界、および現象界の元になる潜象界をも含む、両方の世界の働き(仕組み)を定着させるものである。そして、「鬼が云う」と書いて「魂」となる。魂とはこの世界の仕組みのもとにある心で、鬼は人間に、この世界の道理を伝えるものなのである。

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「鬼が云う」で魂となります。ということは、鬼を忌み嫌っているということは自らの魂を忌み嫌っているのと同様なのです。自我を与えられ、この世界を自らと切り離して認識することが出来る人間は自分だけの世界を生み出します。それは宇宙と一体となった本来の自分(=魂)から離れた幻想の世界と言えます。多くの人が自我から世界を眺め世界と関わりますが、自分と世界を切り離しているため世界に認めてもらうためのアピールが必要となるのです。好き勝手に行動しているように思えるトランプ大統領ですが、中間選挙を意識し支持層にアピールをしています。それが本来の自分の望み、考えかどうかは関係がないのです。このトランプ大統領の姿は多くの人の日常の姿なのではないでしょうか?ここで2013年9月にいさどんと交わした会話を紹介します。


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なかのん:

質問があるんだけれども、自分らしく生きていることと自己主張をしていることの境界ってどこにあるのかな?

いさどん:

自己主張は主張でしょ?誰かに何かを主張している。分かって欲しいと求める対象がいる。自分らしく生きることには対象はない。ただただ淡々と生きているだけ。自分らしく生きている姿は美しく気持ちがいいけれども、自己主張は気持ちよくない。正直に生きていても、それが自己主張になってしまっている人がいる。それはアピールして人に分かって欲しいと求める気持があるため。そういう人は気持ちよくない。世界と自分、両方から離れて眺め、自己主張を超えていく必要がある。

なかのん:

何かを分かって欲しい気持ちがあるか?それが一つのチェックポイントになるんだろうね。僕は、自己主張はいろいろなところに入り込むって常々思っているんだ。例えば、一生懸命に働くことの中にも自己主張は入り込む余地がある。「俺はこれだけ仕事をしているんだぞー」みたいに。

いさどん:それは誰にアピールしているの?

なかのん:みんなかな・・・

いさどん:その時はみんなと自分を分けているんだよ。

なかのん:そうか・・・アピールするってことは分けているってことか・・・

いさどん:

そうだね。僕なんかそんな感じはまったくないよ。僕が淡々と仕事をすることは木の花全体の仕事を進めることで、全体に仕事が進むのは良いことだしね。

仕事に関しては、こんなことがあったんだ。今、家を建てているでしょ。その家の壁の漆喰塗りを進めようと思っていて、特に僕の部屋の部分は自分でしたいと思っていた。僕が一番丁寧に出来るし、これからずっと眺めるものだから。でも、普段から養蜂や面談などで忙しく、加えて、蜜蜂がスズメバチに襲われるなんていう突発的に事故が入ったりして、なかなか取り掛かることが出来なかった。そこでまっちゃんりょうちんが仕事を進めることになった。まあこれも流れかなと思っていた。これには良い面もあって、もし僕が漆喰塗りに取り掛かったら、僕が主となってやることになり、まっちゃんやりょうちんには従属する気持ちが生まれてしまう。でも、僕が取り掛かれなかったことで、2人とも主体性を持って伸び伸びと仕事に取り組んでいた。加えて、2人は僕の部屋の部分は後に取っておいてくれたので、時間が出来て僕が塗ることが出来た。僕は漆喰塗りを手放した。手放したらより良い形で僕がやる流れが来た。これは覚悟が出来ているから生まれる流れ。覚悟とは執着のない心。捕らわれない心。潔い心。覚悟が出来ていると、自分がやるべきことと手放すことの冷静な判断が出来て、結果良い流れを生み出す。

人間だから僕も人間的意識で物事を体験し捉える。と同時に上の意識でも物事を捉えている。日常生活の奥には現象を生み出すバイパスがあって、そこから物事を眺めているとすべての出来後が繋がってくる。この世界は一つだから現象の元を辿りバイパスに至ればすべての出来事が繋がっている。一人一人に相応しい現象が生まれるこの世界。生きてそれを味わい自分を知りあらためていく。それは一人一人オリジナルな体験で、いつでもどこでも出来る実践。お金も掛からなければ、誰かに頼る必要もない。日常の現象からただただ自分を知って改善していく。それは最も正攻法で手法もいらない、人生オール心磨きの実践と言える。

なかのん:

日常を眺める視点を頂いたように思える。背景に流れる意図を感じ、そこから眺める。そうすると一本の糸のようにすべての現象が繋がっていくように思えた。その視点を共有したい。

いさどん:

その視点をみんなで共有しようというのが、僕がずっと言ってきたこと。視点の位置は同じでも、みんなが僕の真似をするわけではない。それぞれの個性の応じた景色が見えてくる。独自の視点から流れを捉えることが出来る。それをみんなで共有することでこの場所はもっと豊かな場になっていく。これは現象を味わう身体を頂きながら、現象の作り手の位置へいこうとする道。人間でありながら、人間を超えていく道。


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アピールするということは自分と対象を分けているから。

それが自我を与えられた人間の日常の意識です。本来、自分らしく生きることに対象はないのに、分かって欲しいと対象を求めるようになります。そして本来の自分である魂を忘れていくのです。鬼が忌み嫌われている今の世の中は人々が本来の自分を失っていることの現れなのです。この状態では好きなように生きていても満たされることがありません。

日常の奥にある現象を生み出すバイパス。

それがこの世界の法則であり、天の意志であり、鬼が伝えてくれる道理です。そこに意識を向けることで、人は本来の自分、魂を取り戻せるのです。

鬼が主役の富士浅間木の花祭り。それは自我から生まれるアピールする心を忘れ、生まれ清まり舞い踊る、うれしたのしの地球のお祭りです。祭りの精神により本来の自分を取り戻すこと。それは自他の区別により分断が進んでいるこの世界に光を射しこみます。道理を大切にし本来の自分を取り戻すこと。それはどこでも誰でも出来る世直しであり、唯一の世直しの方法なのです。この世界で共に舞い踊りうれしたのしの世界を生み出しましょう(^-^)








みんなの中でよみがえり生きていく(3)

クリスマスを前にしたロータスランドの店内です。

今日、12月22日1時28分冬至です。冬至についてFacebook地球暦のページには以下のように書かれています。

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太陽と地球をつなぐ光の関係における1年の終着駅、夏至が山場とすれば冬至は谷間にあたります。これまで落ち込み続けてきたエネルギーもついに底を突き、完全に「落ち着いた」ポイントが冬至です。
 ~中略~

冬至は古くは生命の終わりを意味し、再生復活の時と考えていました。文化信仰を問わず炎を神聖視し、火を焚き上げる風習が残っています。火(日)の大切さを実感しつつ、これまでの厄払いや、禊や浄化、または大掃除などで清めることで、生活を簡素に一新することが生活のポイントです。

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そして25日はクリスマスですが、クリスマスと言えば、イエス・キリスト。イエスの物語も再生復活の物語であり、それは冬至の意味と重なります。以下、みんなの中でよみがえり生きていく」より文章を引用します。

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多くの人々に救いをもたらしたイエス・キリスト。イエスは処刑されますが、予言通り3日後に復活します。僕は常々、イエス・キリストの死と復活については、心の成長過程のモチーフになっていると思ってきました。

イエス・キリストはすべての人間の罪を背負って磔(はりつけ)にされ、命を落とします。人間の罪とはすなわち「自我(エゴ)」だと思うのです。自我の元、人間は自らの欲望を叶えようとし、世界に働きかけます。その結果が今の社会であり、環境問題、経済格差、人種差別、民族紛争など様々な問題を生み出しました。イエスの死は、問題を起こしてきた自我の死を意味します。自我の死とは自意識を捨てることであり、自分視点を離れることです。その体験は人に恐怖を与えるのかもしれません。執着の感情が湧き上がるのかもしれません。ですが、自我の死、自意識を手放すことは人間に新しい可能性をもたらします。

磔にされ肉体の死を迎えたイエス・キリストは、3日後に復活するのです。それはイエスの魂の復活であり、それ以後、イエスは人々の中で再生し、今も世界を見まもり続けています。人が自意識を捨てる時にも同じようなことが起こります。

自意識を捨てる時、人は今まで囚われていたものから解放されます。その時、人は、自分(自意識)が知らなかった自分と出会います。思いもよらない感情や能力が湧き上がってくるのです。そしてそれは波動となって世界に広がり、人々の心に伝わっていきます。自意識の元、自分の中だけに留まっていた心、感情が動き出し他の人々の心の中に入っていくのです。そして、その心は人々の心の中で生き続けます。自分の魂が肉体を超えてみんなの中で生きていく。自意識を超えた時、そんな生き方が可能となるのです。


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みんなの中でよみがえり生きていく

それがクリスマスのメッセージで、クリスマスは自分の願いや望みを手放す時なのです。手放した願いや望みの中で相応しいものをサンタクロースが叶えてくれるのです。その時、その願いや望みは祝福され自分のものではなくみんなのものとなっています。自分の望みがみんなの喜びとなる。そんな世界が生まれるのです。

みんなの中でよみがえり生きていく

艮の金神さまもそのような存在です。心の掟を厳しく問うため神々に疎まれ封印された艮の金神さまは国之常立神(クニノトコタチ)であり地球神、大地の神さまです。大地の恵みをいただくことで生命を維持している人間は本来金神さまの分け御魂と言えます。ですが、多くの人びとはそのことを忘れてしまっています。金神さまが封印されている間、人間は大地を好き勝手に開発し痛めつけて来ました。ですが、今、金神さまは復活しています。地震や津波などの天災は金神さまからの愛のメッセージと言えます。人々がそのことに気づき自らの内に存在する尊き存在、大地そのものの輝きと繋がることで、新しい世界うれしたのしの世が始まるのです。2018年1月27日(土)に開催される富士浅間木の花祭りではみんなでそんな世界を表現し、僕らは日常をそのように生きています。ここでお祭りの中に登場する金神さまと翁の問答を紹介したいと思います。

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艮の金神と翁の問答              

 
  
伊勢天照皇大神 熊野権現 富士浅間 ところは当初の氏大神。木の花の佐久夜の御庭におわします、金色(こんじき)の尊き姿の御身は、どなた様にてござりましょう。

金神  

この方(ほう)は、艮の金神と申す。
時いよいよ来たれり。この度は、地球(くに)最後の天意転換(たてなおし)。一度に清める神幽顕の三千世界(みちよかい)。 汝らの宇宙(うつ)、光一つ上ぐる仕組み。今の世は「我よし、力よし」の獣の世、蛇の「あやま知」支配する、穢れ(けがれ)逆巻く魔釣りの世。

      

艮の金神とはいかなるお方にてござりましょう

金神
この方(ほう)は、宇宙(うつ)を創りた元つ神。こ度の宇宙(うつ)の天意転換(たてなおし)、始原(はじまり)の、時より決まりてありた事。この方隠れている間、「我よし」「あやま知」逆巻いて、神が息の出来ぬほど、穢れ(けがれ)汚れたこの世界、最後の最後の大仕上げ。この方再び現れたなら、光に穢れ(けがれ)混じること、適わぬ(かなわぬ)世となるべきなり。古き仕組みに変わりたる、新たな仕組み始まれり。
縁ある御魂引き寄せて、掃除洗濯 済みしものより、神の使える器となりて、こ度の尊き天意転換(たてなおし)、汝らご用に使うてやる。


一度はお隠れなされた御身が、再び現れ出る(いでる)と申されるか

金神  

いかにも。この世は逆さまじゃ。どうにもならぬ者どもを、今から改心させるため、世の中ひっくりかえすぞよ。これからは、神人(かみびと)、天地が一体の「弥勒の世」が始まるぞ。
故に皆々様、御魂磨いて下されよ。御魂磨かずおられては、使えるものにはならぬぞよ。
神多くの人民の、御魂目覚めて欲しいのぞ。汝ら皆々大切な、地球(くに)の日月の神々じゃ。
一なる花を二の花へ、二なる花を三なる花へ、大和の御魂を呼び覚まし、腹にまことを据えるのじゃ。
この心、天教山より日の本の、隅々にまで広げるぞ。汝らその役、引き受けられい。

      

引き受けましょう。我らこれより「弥勒の世」、創らんがためありましょう。

金神  

一度は渡したその榊。天の元に供えられい

(金神は後ろを向く。翁が榊の枝を金神の腰に差して退場する。
金神、根付きの榊に持ち替えて、四方でへんべいを踏んだ後、神座に戻る)

皆々様、いよいよ金神動くぞよ。さすればこの世、嬉し嬉し、愉し愉しの世となりて、真(まこと)の世が花開く。皆々笑え、愛し合え。真(まこと)次々現れくるぞ。
あっぱれ、あっぱれ、富士は晴れたり、日本晴れ。
オー、オー、ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト オー。
真(まこと)の神が現れる。神人(かみびと)共に現れる。弥勒の世の幕開けじゃ。
真(まこと)の真釣り(まつり)始まるぞ。新たな時代へ、船出の時じゃ。幕開け祝い踊ろうぞ。




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みんなの中でよみがえり生きていく

それは自他の区別をなくしみんなでみんなを生かし合ううれしたのしの世の中です。

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ちなみに僕は今から18年前の1999年、箱庭でイエスの死と再生を表現していました。中央に池を掘りその中に磔にされたイエスを沈めたのです。そして、その後、四方に様々な世界を表現したのです。

みんなの中でよみがえり生きていく

僕が心掛ける生き方です。

1999年に僕が創った箱庭です。


変遷として見ていく

私たちは自らが美しい響きを響かせ、美しい響きのものを生産し、そして健全に生きていく。それを社会に還元し、社会を健全にしていくのが私たちの生きる本当の目的です。

美しい生産物は、霊的な美しい心によってもたらされます。ならば、収穫感謝とは、物理的に生産をして、それが良い収穫であったかどうかということの前に、それに携わる私たちの心が美しいものであったかどうかを振り返ることです。畑や田んぼ、その他の様々な活動を通じて、この1年間、自らの心が美しい響きを発するものであったかどうか。1年を通して何が自分自身に定着したかということも、収穫なのです。そこを考えなければ、本当の収穫としての意味がないのではないかと思うのです。


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上記は12月16日に行われた収穫感謝祭にていさどんが語った言葉です。この1年で自分自身に何が定着したかということも収穫。そんなことを考えていたら、昨晩、いさどんから木の花ファミリーメンバーに向けてファシリテーションのプレゼンが行われました。これは1ヶ月間の真学校の中で行われる講座であり、今回は内容のチェックを兼ねて行うことになったのです。僕はこのプレゼンを聴くのは初めてですが、今年の2月、真学校ブログに掲載されたものは読んでいました。その時、その内容を受けて僕は以下の文章を書いています。

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湧いてくる感情。それは自然発生するように思えるかもしれませんが、そうではありません。僕たちは瞬間瞬間、自らの感情を生み出しているのです。そこには自らの意志が反映されています。ただそれは瞬間の出来事であり日常の中で繰り返され定着してしまっているので、自らの意志の働きが見えなくなっているだけなのです。

自らが生み出した感情は世界に反映されていきます。今の世界は人々の感情の表れであり、それは簡単に言ってしまえば、利己的なアピールの心と言えます。例えば選挙でも具体的な政策の善し悪しはあまり話題に上らず自らの存在を上手にアピールした議員が当選されていきます。上手にアピールした人が成功する。そのため人々の関心はいかに上手にアピールするかに向います。その結果、実質が伴わなくなり、社会は混乱していくのだと思います。

アピールは自分を他者(世界)から切り離しているから必要になります。アピールによって世界が動いているということはそれだけ人々がバラバラに切り離されているということです。それは2012年12月21日に銀河の冬至を迎えた時代の流れと呼応しています。2012年の冬至まで時代は闇、分断のピークに向って進んでいたのです。そして時代は今、銀河の夜明けを経て光、統合へと向かっています。なので、その時代の流れに身を委ねると自ずと健全になっていけるのです。

 ~ 中略 ~

日々湧いてくる感情。そこには分断の時代の名残がありアピールの心から大きな影響を受けています。そこに気づきそこから自由になることで新しい時代に向けて自らを開いていけます。自らの感情の出どころを見抜き自分を自由にしておく。そうすることで感情も自我の囚われから解放され自由に展開されていきます。僕は今、そんなふうに自分をファシリテートすることを心掛けています。そうすると湧きあがる感情は新鮮なものとなり予測不能なものとなっていきます。それは感情も本来、自然の法則に基づくものであり、自然は人間の理解を超えて変化変容を繰り返すものだからでしょう。


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僕はこの1年間、感情の出どころを観察して来ました。その姿勢は定着してきたのではないかと思っています。そして、観察力を磨き、物事を変遷として見ていくことが出来るようになってきました。それを可能にしたのは、「立脚点のひっくり返し」です。

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世界を自分の狭い想いに閉じ込めるのではなく、自分を世界に対して開いていく。
自分の想いから世界を体験するのではなく、世界の法則から自分を体験していく。

立脚点を僕から世界へと転換させる。僕はひっくり返りました。


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上記は今年の立春正月に書いた文章です。この時から、自分の想いは叶えるものではなく観察の対象となりました。そして想いを離れて変遷として物事を見ることで、自分の想いが変化していくことを知りました。この観察力が今年の僕の収穫です。

僕の中には好き嫌いや善悪の価値判断がありますが、それらは僕が出会った縁の中で育んだものであり絶対的なものではありません。世界には様々な好みや価値基準があります。多種多様な好み、価値判断のどれが正しいかと考えることにはあまり意味がなくて、それらの奥には天の流れがあり、すべては役割としてあるのです。そのことが見えると、分断や対立の奥に流れる大いなる意志を感じ、お互いを理解し合うことが出来るのです。

僕はこの1年間そういう視点を育んできました。だから僕はその視点から自分と世界に働き掛けます。それが僕のファシリテーションです。

ちなみに僕は収穫感謝祭の際、乾杯の音頭を頼まれ、以下のように話しました。天の響きを感受する時、今の世界の対立や分断、争いすら美しい響きとなって昇華し、世界は愛と慈悲で満たされることでしょう。

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いさどんが語った通り、収穫を通して僕たちがしていくことは、この世界をきれいにしていくことだということが確認されました。そのために、美しい響きを発していく。それを日々心がけていく。
美しい響きって何かな、と思うと、やはり天の響きだと思うのです。天の響きが、それぞれが持つ良さを存分に活かし、天の響きを感受していくことで、美しい響きを収穫物を通して世の中に広げていくことができるのだと思います。
天の響きを感受するには、心が空っぽになっていくことが大切です。皆で「乾杯」し、「杯」を「乾」(あ)かすことによって、皆の心も空っぽにして、これからもずっと皆で一緒に、美しい響きを世の中に広げていきたいと思います。

───────── 乾杯!





突破口は気づきにある(4)

叶わぬ願いは自我(エゴ)から生まれていました。自我(エゴ)は自他を分けることで不足感を生み出し、欲しい心を育みますが、それは表面的なもので、僕の奥には宇宙の法則が流れています。そこから生まれるものが僕の本当の望みであり、それはきっとこれからすべて叶っていきます。というのは、そこには決まった形はなくただ探求があるだけだからです。

「こうなって欲しい」とか「ああなって欲しい」とかそういう望みではなく、ただ湧いてきた想いに基づき行動し、その結果から自分を知っていく。そう、それはただの探求なのです。特定の願いを叶えるのではなくただただ探究していくだけ。それが望みだからすべて望みは叶うのです(^-^)


それは法則と共に生きて法則から学ぶ人生です。その法則は宇宙の法則だから、僕は宇宙と共に生きているのです。





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上記は1年前のこの時期に書いた文章です。ただ探求していく。僕はあれから1年探求を続けたことになりますが、探求したものは次の瞬間過去のものとなり、そして経験として蓄積されます。蓄積された経験は生きる力となっていきますが、同時に囚われを生み出すこともあります。人間は経験に基づいて思考しますが、それが「分かった」という思い込みに繋がると世界を狭くしていくのです。いさどんはそのことについて以下のように語ります。

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人間以外に経験をもとにした思考で生きているものはいない。人間以外のものは、その瞬間瞬間を生きているだけなんだよ。それは思考をめぐらさない状態なんだよ。しかし、人間はそこに思考をめぐらすから、思考の上で結論を出そうとし、常にわかるものでありたいと思うんだよ。この世界に存在する人間を含めたすべてのものは、わからない未来に向かって進んでいる。これからの時代を生きる人々にはその謙虚さが必要なんだよ。

今、時代は新しいものを必要としている。古い形骸化したものの中にあり続けるとしたならば、それは自らに真実をもたらすことを拒む自我の汚れのようなもの。ただいつの時代もどんな教えも、今までの教えをすべて壊し、新たな価値観を生み出してきたのだから、今という時はその新しいものが生まれるチャンスなんだよ。

物事の真実を観る眼を育てないといけない。観る眼がないものがどんなに真実だと言っても、それはその目に見えるものの位置でしかない。だからこそ常に最先端を語るものは、その目に見えるものが常に変わり続けなきゃいけないということなんだよ。みえない流れがこの世界の奥に流れている。その流れを感じ取り、それと共に生きていく。それを常に感じて生きていく姿勢が必要なんだよ。それが、これから30世紀に向けて人類が歩む進化の姿だよ。

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変化変容がこの世界の本質であり自分も世界も変化し続けます。ですが、経験を積むことで「分かった」気になると、思考が固定し自分や世界を固定します。それが停滞へと繋がっていくのです。だから常に探求し続けることが大切です。

今、自分が真実だと思っていることは今の自分の位置から見える真実です。評価は視点が変わればいくらでも変化していきます。世界を脅威にさらしている北朝鮮の核・ミサイル実験は、北朝鮮からしたら「帝国主義を叩き潰す正義の核の宝剣」となり国威発揚に使われます。だから評価を求めることにはあまり意味がありません。大切なのは事実に即して考えることで、北朝鮮の核・ミサイル実験で言ったら、それが世界を脅威にさらしていて、歴史を辿れば、それは北朝鮮だけの責任ではなくアメリカや日本、韓国、中国、ロシア、関係する国々みんなで生み出しているということです。善悪という評価を超えて事実に即して考えていけば、出来事の奥を探求していくことが出来ます。そしてそこには時代が生み出す流れがあるのです。それが何かを探求し続けることが突破口となっていきます。

突破口は気づきにある

気づきとは変遷を見ていく姿勢から生まれるものであり、それには自分の立場を離れる必要があります。変化変容が世界の本質だから、出来事も常に変化し続けます。その変遷を見ていき、その奥の流れを感じてそこから表現していく。そうすることでそれぞれの立場を超えて未来に繋がる真実を語ることが出来ます。それは固定した回答を出すことではなくて、未来へ繋がる変化を生み出す探求なのです。

突破口は気づきにある

だから僕はその突破口に向けて探求し続けます。




心の水爆を爆発させ水爆をなくす

先日、「意識とは量子フィールドである」という記事を読みました。とても興味深かったので、ここに全文を引用します。

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ここでいう意識とは、思考や感情のことではありません。
前回書いた、思考や感情に気づいている、観察している側の、本質的な意識のことです。

この意識は、私個人のものでも、あなた個人のものでもありません。

人類のものでもなく、地球上の生命の全てというだけもでなく、文字通り「全て」に共通している意識のことです。

「量子フィールド」は量子物理学の用語。
量子論の父と呼ばれるマックス・プランクは「量子フィールドとは意識のことである」と言っていたそうです。

「全ての存在は”フィールド”、つまり場で互いにでつながり合っている」

と説明されますが、私は

「全ての存在はフィールドそのものである」

と思っています。

つまり、意識とは「全て」そのもの。


「私の意識」とか「あなたの意識」ではなくて、みんなで共有しているのですね。

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このマックス・プランク氏は「意識は物質よりも根源的で、物質は意識の派生物に過ぎない」という言葉も残しています。僕は、「全て」そのものである意識が自らを認識するためにこの現象世界が生み出されたのだと思っています。自らの思考や感情もこの認識の対象であり、思考や感情の奥に本当の自分がいて、その自分は全宇宙と一体でありヒビキあっているのです。そこに気づくことが悟りであり、「大町道中記④ ~どこまでも無限に続く道」でいさどんが語っていることはそのような状態の表れでしょう。以下、文章を引用します。

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銀河は、円になっている。人間が世界観を広げ、スケールの大きな意識で語るとね、その円の中心が「ざわざわざわー」っとするんだよ。つまり、こちらの悟りに、銀河が反応するんだよ。人間が悟るということは、宇宙に対してそのくらい刺激を与える。人間とは、それだけの存在なんだよ。

そのくらいのスケールで生きたいものだと思う。事実、人間は銀河の物理的作用に対して影響力がある。本当に、銀河がふわふわ~っと、波打つんだよ。「銀河が波打つ」と言うと、人間のスケールからしたらものすごく巨大なことでしょう?

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自分は全宇宙と一体で不滅の存在。そんな視点に立つ時、目の前の出来事に右往左往せずに、物事の変遷を見ていくことが出来ます。今、核兵器は人類の脅威となっていますが、核兵器についてもそのような視点から捉えていたいと思っています。先日、ノーベル平和賞の授賞式がありましたが、そこで被爆者であるサーロ節子さんは以下のような言葉を述べています。

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今年七月七日、世界の大多数の国々が核兵器禁止条約の採択に賛成した時、私は喜びでいっぱいになりました。私はかつて人類の最悪な側面を目撃しましたが、その日は最良の側面を目撃したのです。私たち被爆者は七十二年の間(核兵器が)禁止されることを待ち続けてきました。これを核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。

~ 中略 ~

私は十三歳の時、くすぶるがれきの中に閉じ込められても、頑張り続けました。光に向かって進み続けました。そして生き残りました。いま私たちにとって、核禁止条約が光です。この会場にいる皆さんに、世界中で聞いている皆さんに、広島の倒壊した建物の中で耳にした呼び掛けの言葉を繰り返します。「諦めるな。頑張れ。光が見えるか。それに向かってはっていくんだ」

今夜、燃え立つたいまつを持ってオスロの通りを行進し、核の恐怖という暗い夜から抜け出しましょう。どんな障害に直面しようとも、私たちは進み続け、頑張り、他の人たちとこの光を分かち合い続けます。この光は、かけがえのない世界を存続させるために私たちが傾ける情熱であり、誓いなのです。 


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核保有国が「安全保障環境の現実を無視している」と核兵器禁止条約を批判し、ノーベル平和賞授賞式への大使の出席を見送る中、サーロ節子さんは力強く核兵器廃絶の必要性について語りました。核兵器禁止条約や今回のノーベル平和賞は、世界をリードしてきた国々の自国優先の本音を浮き彫りにしています。そして現実は、北朝鮮の核開発やトランプ大統領のよるイスラエルの首都エルサレム認定で核の脅威は増大しています。その奥には様々な国や民族の利害関係が複雑に絡み合っていて解決は困難を極めています。ですが、サーロさんは光があると言っています。そして僕も同じように思っています。

今年、木の花ファミリーでは爆発の年と銘打っています。そして、今年の9月、いさどんに心の水爆という言葉が浮かび以下のように語っています。

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それはプロセスも何もいらないんだよ。だってそうじゃん。人間の思考回路を見てごらんよ。すべてにプロセスがあり、こういう原因があってこういう経緯でこの結果になって、というのが連続して、ずーっと物語を刻んでいるんだよ。それは宇宙の法であり、何かと言ったら因果の法則を立証しているわけだ。原因があってそれにふさわしい結果が起きて世界はこのようになってるんですよ、と。
ということは、現状が良くないものであるとしたら、そこから抜け出るにはどうしたらいいか。こうするとこうなるからああしてこうして・・・などと頭を回しても、それは今の結果を作ってきたのと同じ思考回路だから、結局同じ結果になるんだよ。そうではなく、この思考回路の物語をここで爆発させて、終わらせるということだ。

「わかったぞ!だからこうしよう」なんてことを繰り返していても、結局は同じことなんだよ。そこで爆発させると、物語が終焉を迎える。だから、これは言わば小型の水爆。霊的水爆だよ。


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今、世界の情勢を見ると、それぞれの民族、宗教、国家の利害関係が複雑に絡み合っていて解きほぐすことが不可能のようにも思えます。そして地球環境を見ると、大量のマイクロプラスティックのよる海洋汚染、化石燃料による大気汚染が広がり気候が大きく変動しています。今の世界を創って来た物語、そのプロセスの延長に解決策があるようには思えません。生命は何度か大量絶滅を経験して来ていますが、それはそれまでのプロセスをリセットし、新たな物語をスタートするために起きたことなのではないかと思います。そして、時代はそのような段階に来ていて、核兵器はその象徴として生まれたのはないかと思うのです。ならば、人類は絶滅を迎えるのかと言ったら、必ずしもそうではないと思っています。心を爆発させてリセットすればいいのです。そして新しい物語を始めればいいのです。意識は物質よりも根源的。心がリセットしたら、物質のリセットは必要なくなり、物質は自ずから変化していきます。だから心の水爆、霊的水爆が突破口となるのです。それは今までの大量絶滅を超える瞬間でもあります。

身体を持って、何かを感じ思考している自分。それが自分だと思っていたら、心の爆発は恐怖となります。爆発して何もかもなくなってしまうことを恐れます。ですが、本当の自分は思考や感情の奥にいて、全宇宙とヒビキあって進化し続けているのです。その地点に立てば、水爆が爆発しても消えることはありません。それはリセットというプロセスの一つであり、そこから新しい物語が生まれていくのです。

感情を持ち思考している自分。その自分を離れて変遷を見ていく時、変化変容を続けるこの宇宙の物語が見えてくるのです。日々、そこに意識を向けることが今の現実を突破する光となる。僕はそう信じて生きていきます。






いつでもどこでも出来る世直し

トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認めたことを受け、アラブ諸国でデモが起き、欧州諸国をはじめ各国から非難の声が出ています。この状態をどう見たらいいのだろうと思っていた時、今年の2月に書いた以下の文章を目にしました。

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今、トランプ大統領によるアメリカの移民・難民入国制限が話題となっています。アメリカ各地で賛成派と反対派が衝突し人々の分断が明らかとなってきています。大きな混乱を迎え、事態は悪化しているようにも見えますが、アメリカ社会の分断は今に始まったことではありません。多くのメディアが、分断が潜在的に存在していたからこそトランプ大統領が誕生したと報じています。つまり分断をそのままにして過ごしていたのです。

トランプ大統領の行動は人々の分断を浮き彫りにしていっています。それはそこと向き合うチャンスとなります。つまりは真の変化へと至る可能性を秘めているのです。

そう考えると今のアメリカの動きは希望ともなります。


 ~中略~


未来のことは分からない。

それが真実なのだと思います。ですが人は通常、今の思考の延長上に未来を思い描きます。それが枠となり現実が見えなくなっていくのです。すると変化は遠ざかり同じことが繰り返されます。ニュートラルな心でただ現実と向き合う時、変化は自ずと起こります。なぜなら変化は生命の本質だからです。そして、本質に基づき生きる時、人はすべての存在と繋がり、満ち足りていくのです。


 ~中略~


何が起こるか分からない。

それが真実ですが、一つだけ言えることがあって、出会う出来事は自分の人間性の表れだということです。だから人間性を向上させることが幸せへと繋がっていくのです。そして、人間性は出会う出来事に向き合い学ぶことで向上していきます。

トランプ大統領がもたらす混乱は今の人々の人間性の表れです。そこと向き合い学ぶことで人々の人間性は向上し、幸せへと繋がっていくことでしょう。





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この文章は移民・難民入国制限を巡るアメリカ社会の分断について書いていますが、このことはイスラエル・パレスチナ問題についても言えると思います。イスラエルとパレスチナをはじめとする中東諸国はずっと対立をしてきていて、今回のトランプ大統領の首都認定はその対立を浮き彫りにしているだけとも言えるのです。問題が表面に浮上する時、一見大変なことが起きたようにも思えますが、それは元々潜在していたものです。ならば大局から見たら状況に変化はなく、ただ問題と向き合う機会となっているだけなのです。

突破口は気づきにある

これは今年の9月にいさどんが語った言葉ですが、それは客観的視点に立って変遷を見ていく姿勢であり、大局から物事を見ていく姿勢です。人類の歴史が今のイスラエル・パレスチナ問題を生み出していて、そしてその奥には一人ひとりの人間の人間性があるのです。日本で暮らす僕らには、この歴史に直接介入することは出来ませんが、その奥にある人間性にメスを入れていくことは出来ます。そしてそれこそ天が一人ひとりの人間に託している世直しなのです。ここで昨年の1月にいさどんが語った言葉を紹介します。


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みんな自分が世直しを託されているとは思っていません。だけれども、みんな間違えなくこの宇宙の法則の中で生きていて、人類の70億分の1、この世界を託されているのです。

人は育っていく過程で欲求し、欲求を満たしながら成長していきます。健全な秩序の中で欲求を満たしていく人もいれば、秩序なく際限なく欲求を満たし求め続ける人もいます。そういう経験の中で自分という人間性が出来てきます。

その中で、それぞれが自分の成り立ちを振り返って見ると、それが宇宙の歴史や地球の成り立ちと一緒だということが見えてきます。この世界は全部相似形なのです。

小さなところの集合が大きなところを創りだし、大きなところの法則が小さなところに指針を与えています。

13,000年前のカタカムナの時代。厳しい自然の中、人類は天然の法則を感知してすり抜けてきました。ですが、その感覚は時代と共に失われてきました。その叡智が天とつながることで現代に蘇るのです。

カタカムナの生き方を現代に表現していく。それは、科学が発展したところに天然の精神を加えることです。これはまさに新しい時代の生き方で、木の花ファミリーはそれを表現していくのです。

2012年12月21日。太陽系は銀河の冬至を迎えました。これからは少しずつ明るくなっていきます。宇宙的には明るくなる現象が起きて、人間を後押しするのです。

健康に生きることは素晴らしいことです。ですが、ただ健康になりたいだけで終わってしまったら人生は深まりません。生きている過程でいただく病気や滞り。その奥にあるメッセージを理解していくことが大切です。そこを理解した時に現代人も天然の意識で生きていくことが出来ます。

この世界は心と肉体(物質)で出来ています。まずは心、魂を磨くことが大切です。物質のことは考えなくてもいいのです。今の世の中はまだ物質的豊かさを求めていますが、そういう世の中はひっくり返ります。そのようなターニングポイントを今、迎えているのです。

人間の欲が戦争を生み出し、第二次世界大戦で大きな犠牲を出しました。これは世の中の欲の心が壊れて一度リセットされた状態です。ですが、戦後の復興は、もう一度、欲の心でなされました。そして、現代の混乱に至っています。

自分の健全、健康を求める心の奥にメッセージがあり、それを通して自分がどう生きるべきかが見えてきます。大切なのは、自分が健康に生きることだけではないのです。自分のことばかり考えることで人間は不健康になっていったのです。そのからくりを見通すこと。その先に世の中作りがあるのです。

世の中を良くするとみんなが良くなっていくのです。自分が・・・と考えると住みにくい世の中になっていきます。自分が・・・という心を超えていく。それが天と共に生きることです。

 ~ 中略 ~

ここで健全な場を創り出すことが時代の流れをあらわすことになります。世界のことを思い、自分を超えていく。そのことが宇宙の中に光をさすことになるのです。それを本当に信じて取り組むことです。

時代も神も目には見えません。人間の理解を超えています。ですが、この世界にはそういう秩序が確実にあるのです。そこに一人一人の人間が理解を示すことが大切です。

宗教はご利益を求める人により発展しましたが、本来はそういうものではありません。


信仰とは宇宙の法則性の理解です。

法則性を理解し、自分が・・・という心を超えていく。そのような本当の信仰心の下、天と共に生きていくのです。それが世直しであり、この世界に平和をもたらします。



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イスラエル・パレスチナ、北朝鮮、イエメン、シリア、南スーダンなど。

今、世界には様々な紛争や対立があり、その歴史的背景を見ると様々な民族が複雑に絡み合っていて解決は困難なように思えます。ですが、それを生み出している根本は一人ひとりの人間の人間性です。多くの人々が自分の欲を追い求めてきた結果、住みにくい世界を生み出してきました。戦争や紛争のない日本社会を見ても、人々の間に対立や分断、孤立が生まれ、それが自殺や精神疾患、貧困問題として表れています。だから自分の欲を超えてみんなのためにみんなと一緒に生きていく。そんな心を育むことが大切で、それが世界を変える力となるのです。

それはいつでもどこにいても出来る世直しです。

だから希望を持って、僕は自分と向き合い木の花のみんなと共に健全な場を生み出していくのです。


木の花ファミリーのみんな@日本平動物園


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