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本当の自分を生きる




この絵はボディマップと言って、2004年、ハワイ島の小田まゆみさんのところで描いたものです。大きな紙の上に寝て、自分の身体の輪郭をなぞってもらいます。それを見て、自由に絵を描きました。頭や顔の部分には星や月があり、境界がなく宇宙へと繋がっていて、そして身体に中は、心臓が太陽になっていて、そして同時に雨が降っていて、手足は土となり、その中には微生物がいて、木が生えています。自分自身が全宇宙、そして地球の表現となっていて、手には剣を持ち、執着を断ち切り、お尻からはしっぽが生えていて、孫悟空のように自由に飛び回ります。

7月4日、3年半ぶりに実家に帰った僕は、久しぶりにこの絵を眺めました。

この絵を見たまゆみさんは、僕に『プレアデスかく語りき』を読むように勧めて下さりました。

あなたは宇宙からのメッセージを感じるセンスがある。そんなにマニアックなものを読むことはないけれども、そういう方へ意識を持っていくといいと思う。

まゆみさんはそんなふうに語ってくれました。

自分自身が全宇宙であり、全世界。

そんな絵を描きましたが、当時の僕がそんなふうに生きたかというとそんなことはありません。自分ごとの世界の中に埋没していました。

自我は自分だけの納得を求め、そしてすべてを台無しにして来ました。

心の奥底から描いた本当の自分。それも自我から生まれる衝動や感情で壊されて行ったのです。

それは僕だけでなく、人類を見ても言えて、世界平和を求めながらも核を開発し続け、地球環境への警鐘が鳴らされる中、アメリカはパリ協定から離脱しました。自国の利益、自分の利益を求める姿勢が不合理な決断に繋がり、そして崇高な理念も壊していくのです。

今日は7月7日、七夕です。

2年前の今日、僕はいさどんと一緒に大町へ行き、以下の言葉を貰いました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

常に意識を全体性に持っていく必要があります。
あなたは今、個人的願望を抱えているわけだけれども、それをどう超えていくのか?
それが重要です。
個人的願望が全体性と共通していればいいのです。
例えば、個人的願望が宇宙の法に基づいていたら、それは理に適っていきます。
個人を高めるためというならば、それは全体性を持つことが個人を高めることであり、
全体性と個人は本来、共通していることなのです。
ですが、個人が抜きん出てしまうと、天が「それは違う」と滞りを与えてくれるのです。

心を磨いた結果出会うことがあります。願いが叶わない状態も自分を高める要素です。
「はい!分かりました」と叶うようなことなら、その願いは本当に自分を高めません。

だから何より心を磨き続けることです。

そして、自分を高める努力をしていると、その努力したことでエネルギーが消費され、他のものはいらなくなります。いらなくなった状態をさらに超えた世界。共通の世界で極めていく世界がその次にあるのです。個人で高める努力から「みんなで」とか「一つになる」というところで極める世界があるのです。

それは前人未踏の世界。我々は前人未踏の世界を創らなければならないのです。



☆彡 ☆彡 ☆彡

あれから2年。心を磨き続けた僕は全く違った立ち位置にいます。

個人的願望は自我から生まれるものであり、本来の自分を台無しにするものです。だから、それを追い求めることはありません。自我から生まれる個人的願望。それは浮かんでは消え、また浮かぶ波のようなもの。それに翻弄されていては本当の自分を生きることは出来ません。

7月4日、3年半ぶりに実家に帰り父母と会いました。

自分の自我は主に父母との交流を通して育まれたものです。だから父母は自我を刺激するものですが、僕の中には何ら特別な動きはありませんでした。ただただ人として尊重し愛を向ける。それだけです。

本当の自分。それは自分だけの納得ではなくみんなの納得を生み出します。なぜなら、僕は宇宙そのものであり、全世界と一つだから。

2004年にハワイ島で描いた本当の自分。

今、その自分を生きる時が来たのです(^-^)

七夕の今日、本当の自分を生きることをあらためて決意します。

まゆみさんの絵(白多羅仏)



自我をなくすと優れた自分に出会える

先日、久しぶりにいさどんとじっくり話しをする機会がありました。いろいろなことを話したのですが、その中で印象に残っているのが「今の人は頭を使わない」といういさどんの言葉です。「頭を使わない」とはどういうことか?いさどんは以下のように言います。

☆彡 ☆彡 ☆彡

現代人はすごい頭を使っているようで、頭を使っていない。損得勘定などそういう思考はいっぱい使っているけれども、自分をチェックする機能が全くない。学校教育で知識を得て、毎日マスコミからたくさんの情報を得ているけれども、それが本当に必要なものなのか?自分の役に立っているのか?そういう検証はなされていない。その状態で魅力的なものはいっぱい情報として与えられ、欲望だけが膨らんでいく。だけれども、その欲が自分に何をもたらして結果的にどのようになっていくのか?そういうことを全く考えず条件反射で情報に翻弄されている状態。時代が変わろうが立場が変わろうが、変わらない大事がある。それは自分を見つめることで初めて見えてくる。

今、多くの人は無条件に出てくる自分の癖性分のままに行動し、自然や社会は危機的状況を迎えている。でも人はそのことを忘れていく。苦しむのが嫌だから。理由をつけたり、もしくは本能的に避けて何もなかったことにしている。例えば地球温暖化。警鐘を鳴らしているけれども日常生活はそのままで意識しているようには思えない。そして日本の借金。2060年には8,000兆円となるという試算が公表されているけれども、日本の政治家はそのことに向き合っているようには思えない。本当はそのことが常に頭のどこかにあって、それを踏まえて政策を考えなければならない。

これからますます自然災害などが起き、頭を使うこと、自然やものの流れを感じる力が求められるようになっていく。そうなっていかなければならない。だけれども人々にはその危機感が感じられない。これは時代の流れでもあり、人の成長への追い風なんだけれどもね。

人は本来、宇宙と一つ。その中で人類の歴史はほんの最近のことで、今の人生はその中のごくごく一部。魂は永続でずっと続いていく。それなのに、今の人生の目の前のことだけ見ていたらあまりにも視野が狭すぎる。そんな狭い視野で感情のままに思惑を巡らしても自分の価値は高まらない。魂は、生きているところから死の向こうへいく。そこを繋げなければ、実体の半分しか見えていないことになる。死の向こうまで伴える価値を積み上げる。本来、大切なのはそういうことで、それには自分を離れ広い視野に立つ必要がある。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自我を持つ人間は自分の視点で世界を経験し、その中に閉じこもることが出来ます。それは文明社会を築き上げたことで自然のリズムを無視して生きる姿に重なります。そのような状態で自然環境は破壊され、人間社会も貧困や格差、分断や孤独など様々な問題が溢れ危機的状況を迎えています。ですが、人々は未だ自分視点で世界を眺め、情報の洪水の中、右往左往しているのです。

いかなる問題も、それをつくりだした時と同じ意識によって解決することはできない。

これはアインシュタインの言葉ですが、今の問題は人間の自我により生み出されたものです。それを自我により解決することは出来ないのです。今、多くの指導者が解決策を模索しても有効な手立てが生まれないのは、それが自我の延長から生まれていて、自分や人間の都合に基づくものだからです。

自我をなくすというのは、自分がなくなるということではなく、優れた自分と出会うこと。

いさどんはそんなふうに言います。

自らを分けると書く自分。自我は世界から自らを分けて際立たせ、そこで固定しようとします。そして、世界との繋がりを失っていきます。ですが、それは本来、波のようなもの。浮かんでは消えて、また浮かぶ。常に海全体の動きと連動し変化し続けるものなのです。

自我は波。自我をなくすとは波が海である自分に気づくということです。その時、大いなるものとの繋がりの中、安心して自分を表現することが出来ます。浮かんでは消える波の動きが海そのものの表現となるのです。

みんなが自我を超えた時に表現される世界。

それはすべての存在が繋がりの中で生かされる世界で、その中で、今ある問題はすべて解決されることでしょう。

いさどん@田楽祭田植え祭り



世界の心がみんなの心になるように

6月24日11時31分、蟹座の新月でした。蟹座の新月について天下泰平さんは以下のように書いています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

12星座には、それぞれの星座宮(サイン)に強い影響を与える「支配星」が必ずありますが、蟹座の支配星は、なんと「月」であります。

月を支配星とする蟹座の新月は、月のエネルギーが最大限に発揮されるタイミングです。

なお、蟹座の得意分野は「家庭生活」に関わること全般のようです。

将来家庭を持つパートナーとの出会いや関係性の発展、すでに家庭生活を営んでいるのであれば、妊娠や子育て、夫婦や親子の関係。

いずれにしても、家庭に関わるすべての要素に蟹座新月は効果的なようなので、新月の願いや祈りも家庭に関わることを完了形で書くと良いかもしれません。

~ 中略 ~

ところで、蟹座のマークは数字の「6」と「9」が重なったようなどこかで見たことのあるマークです。

これは一般的には蟹のハサミを象徴しているようですが、見る人がみたら69の陰陽マーク。

蟹座と陰陽は、決して無縁というわけではなく、そもそも占星術の世界では「太陽が蟹座に入る日が夏至」となっています。

夏至は1年でもっとも陽が長い日であり、陽が極まって陰に転じる節目であります。

陰陽切り替えを告げる、今回の夏至と蟹座新月」より


☆彡 ☆彡 ☆彡


そして、加藤由迦さんは以下のように書いています。


☆彡 ☆彡 ☆彡

夏至は最も日照時間が長くなる日。

太陽のパワーが強調される日でもあります。

太陽は「明るみになる」というエネルギーを持っていますので、
あらゆる精神的なものが現象を通して
明確化するようなことが起きていた気がします。

 明確化される主なものは、
「自分が本当に望んでいるもの」と、
「自分が無意識に我慢してきたこと」です。

目の前に起こる全ての出来事や現象は、
何らかの意味を持ちます。

 ~ 中略 ~

夏至のタイミングで明確化した、
最も望んでいるものはどんなものでしたか?

夏至のタイミングで露呈した、
我慢していたこと妥協していたことはどんなものでしたか?

この蟹座の新月は夏至に明確になったそれらを、
受け入れることを求められます。

気づいてしまったのだから、もうそれは自分にとっての変えようのない真実。

望んでいるものも、無理できないこともいけ入れる。

そんな新月となります。

~ 中略 ~


今回の新月のニュームーンデトックスは、
かなりディープな感情のテーマと向き合う流れになるかもしれません。

なぜなら人生を180度方向転換するような決め手となる、
感情的シグナルを受け取る必要があるからです。

感情は出来事や状況、人との関わりによって刺激されますが、
そういった外側の出来事に目を向けて居るうちは分析プロセスには入れません。

今一番感情を揺さぶられるようなことや出来事に対し、
その感情の海から何を拾い上げるのか?

海の底に沈んだ1つの宝物を拾い上げるために、
荒波を潜り進めるパワーが必要です。

今回の新月はそういった精神の奥底に

ダイブするパワーを与えてくれます。



☆彡 ☆彡 ☆彡


僕の最も望んでいることは、みんなが共有出来る視点や感覚と共にあること、そして他者のために自分を表現していくことです。自分を離れて他者のために自分を表現して世界と一つになっていきます。それは日々の感情の奥底にある望みで、だから僕は自分自身の感情を見通し、その奥へ行き、そしてそこから感情を表現し続けます。

蟹座が得意とするのは、家庭生活。家庭と言えば、僕にとっては木の花ファミリーで、木の花ファミリーは地球家族であり、宇宙家族です。だから僕にとっては世界中が家族で、みんなが一つの経済で支えあえたらいいなと思っています。

そんな想いを書いた文章がアメリカのコミュニティ向け専門誌「コミュニティズ」の2017年夏号に掲載されました。ここでその文章の一部を紹介しますね。




☆彡 ☆彡 ☆彡


経済は人が「はたらく」ことによって生まれます。木の花ファミリーでは、「はたらく」を傍楽と表現しています。それは「はたらく」ことの本来の意味が「傍(はた・他者)を楽(らく)にする」ことにあり、自分を超えたネットワークの中で役割を果たすことだからです。それは生産活動がそのまま宗教、芸術、倫理を生きることを意味した未開社会の人々の暮らしにも表れています。
人々がそのように「はたらく」時、お金も常に他者のため、全体のために使われるようになります。それが木の花ファミリーの経済であり、これからの社会のモデルになると思っています。すべての人がみんなのため、全体のためのお金を使う時、お金はどこにあっても同じとなります。どこにあっても誰が持っていてもみんなのお金となるのです。

環境破壊や経済格差などお金によって生み出される問題が山積みとなっている今、みんなで力を合わせて生きることが求められています。世界のお金がみんなのお金になって、みんなが世界のためにお金を使うようになった時、お金を巡る争いやトラブルはなくなります。そして、みんなで助け合って豊かに暮らす社会が実現し、今ある問題は解決していくでしょう。そのために大切なのは心磨きであり、それは、経済を通して自分を知り、そして自分を育み、結果、心豊かな経済を生み出す道なのです。
☆彡 ☆彡 ☆彡
すべての人がみんなのためにお金を使う時、世界中のお金がみんなのお金となります。同じように、すべての人がみんなのために自分の心を表現する時、世界中の人々の心がみんなの心となり、お互いに学び合い成長し合えます。そんな豊かな世界を実現したいです。そのためには自分の心を覆う壁を乗り越える必要があり、心磨きは自分だけではなくみんなのためにあるのです。
僕は心を磨き、その自分を表現し続けます。
新月の時、月は太陽と共にあります。太陽はすべてを明るみにします。明るみにしみんなと共有し楽しみ学ぶこと。それが他者のために自分を表現していくことです。
世界の心がみんなの心になるように。
他者のために自分を表現していく。
それが今年の夏至、そして蟹座新月を受けての僕の誓いです。

他者のために自分を表現していく

木の花ファミリーのメイン施設、おひさまハウスひまわりが改修工事に入り、オフィスの引越しをしました。その際、昔の書類がいろいろ出て来ましたが、そのうちの一つがいさどんとの面談記録です。僕といさどんと木の花ファミリーで紹介しているプロジェクターを巡るエピソードを受けてこの面談は行われました(2011年1月16日)。

面談では子どもの頃からの自分の人生を振り返り、それをいさどんに見てもらう機会となりました。例えば、僕は小学校1年生の頃、万引きをして店員さんに捕まりました。そしてその頃は常に嘘をつき続けていました。そんなエピソードに見ていさどんは以下のように話してくれました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

万引きする人ってね、ものを盗ることだけが目的ではないんだよね。そういう屈折した自己表現というのがここには出ているよね。なかのんはお母さんに対して寂しさを感じたと言っているけれども、寂しさを感じたら、その寂しさを子どもらしく表現すればいいんだよね。でも、そのような心を外に見せないで、母親に表現しないで終わる。こういうところが、今の大人になるまでの人間形成となっているんだよね。

「見栄を張る」とか「自分で嘘と分かっていることを話していた」とか、「取り繕う」、「やったことをやっていないと言ったりしたが人を騙そうとする意図はない」というのは、騙すんじゃなくて、自己表現。そういうふうに自己表現することがある意味では正当なことだったんだな。自分の心を納得させなければならないから。積極的に人を傷つけようとするものではないけれども、自分を守るための嘘ということ。自分を正当化するために頑固にやり続けていたということだね。やっぱり、自分を評価されたいとか、正当なものっていうふうに見る時、自分のコンプレックスなんかを言われると傷つくでしょ。だから自分を守る。それに対して、積極的で、明るくて、元気で、かわいいという、自分にないものに対して極端に憧れ、足りない部分を埋め合わせようとして自分だけの満足できる世界に走る。そんなところも今の人間性になって表れている。

☆彡 ☆彡 ☆彡

いさどんの言葉により、子どもの頃からの僕の「歪み」が明確になっていきます。その他にも様々な分析がなされた後、いさどんはこんなふうに語ってくれました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

あなたの中には、道を究めたいとか、正当でありたいとか、そういうことに対する考えも持っているし、それはある意味確立されているけれども、もう一つのところに、何か自分の捻じ曲がった表現の仕方とか、過去にずっと持ってきたようなものが処理しきれないで残っている部分があって。あなたは「見たことがない景色が見てみたい」と言う。それがあなたのこれからの生きていく一番の原動力であろうし、ここは一番正直に、一番エネルギーを使って、歩んでいくことが大切です。そのことにより悪気がないとしても伝承されてきた歪みの断ち切りとなっていく。

~ 中略 ~

自分というものがこんなに明快に分かるわけだ。親の歪みはとても分かりやすくて、それがそのまま自分に来ているわけだ。そしたら、どこが問題でどこが問題でないかとても明快。後は、自分の歪みをとって、ただひたすらに足りない部分を埋め合わせる。多い部分を取り去っていく。そういう作業をすれば、あなたの人生は光る。最後に自分の生に対して誇れたり、充分な満足を持って、未練のない形で旅立つことが出来る。


※親とのエピソートは「あなたの未熟もみんなに役立つ」をお読みください。

この振り返りをずっと見ていて、あぁ、いい歩みをしているな、という評価が出来る。すごく歪んでいる、歪みがあるからこそ、余計に、是正するところが明快にされている。こんなに分かりやすく示されている。たくさん痛い思いして、分かりやすい状態になっている。順調。それこそ、あと4,5年もいけば、あなたは結構、正当な哲学というか、そういうのを語っている人になっていると思うよ。

~ 中略 ~

なんかあなたを見ていると、お釈迦様の弟子の、最初はすごく不細工で、ぶきっちょうなんだけれど、がたんがたんしながら行って、最後は道を究めた人を思い浮かべる。

~ 中略 ~

だからあなたが自分の中で一人でワールドを作ってるっていう事は、あなたにとっては自分の中で悦に入っている事で心地いいのかもしれないけれども、それは周りに何ももたらさない。逆に言えば、あなたらしいつまらない人生というかな、そのことがあなたをあなたの中に閉じ込めて、狭い人にする。やっぱり心掛けるのは、自分の存在は他者のためにある。だから、自分を他者に共有して、あの変な捻じ曲がった駆け引きのために他者と接するのではなく、ただひたすらに、他者のために、もっとストレートに自分を表現していくっていうこと。

☆彡 ☆彡 ☆彡

これが6年前の僕。あれから僕は成長していて、このブログで道について語り続けています。これからもそんなふうに生きていくだけです。

歪んだ行動や感情は自我にしみ込んだ反応パターンです。その奥には常に本当の自分がいて、いつもそこに意識を向けていれば、自我から自由でいることが出来ます。自らを分けると書く自分、自我はそんなふうに振る舞いますが、自分を他者から分けて際立たせようとするから比較が生まれ、そこに優越感や不足感が生まれます。ですが本来、自分はこの世界そのものでこの世界と一つです。

自分自身が永遠の表れであるように

そんなふうに生きていくだけです。何かを願ったり、望んだり、そんな思惑からではなく、ただただ自分を他者のために表現していく。そんなふうに生きていくだけだなと、この文章を読んであらためてそう思いました。

そこで引っ越しの際に出てきた古い紙面をもう一つ紹介します。それは僕が公立中学校で相談員をしていた頃のもので、『兎の眼』と題する相談室便りです。

『兎の眼』は生徒の投書(無記名)を元に作成。全校生徒、保護者、教職員を前にした公開相談を紙面上で実施しました。一人の問題はみんなの問題。だから学校みんなで考える。そんな実践への試みでした。

『兎の眼』(表)平成12年11月8日発行

『兎の眼』(裏)平成12年11月8日発行

当時、『兎の眼』は話し合いのきっかけとして機能していて、例えば、いじめられている生徒がそのことを訴える投書を紹介したこともあるのですが、そこから友達同士の話し合いが生まれ、状況が改善したこともありました。普段は口にしなくても同じような気持ちを抱えていることが多く、そういう話に発展する機会を提供していたのです。またそこに書かれている子どもたちの率直な言葉に衝撃を受けたという親御さんや教員もいましたが、それも子どもへの理解に繋がるきっかけとなりました。

この『兎の眼』を作成するのはとても楽しかったです。生徒、保護者、教職員、それぞれの立場を意識し、みんなが「いいね」と思えるようなやり取りを紡いでいく。そのためにはみんなが共有出来る感覚へと自分の意識を持っていく必要がありました。それは自分にとってとても貴重なトレーニングの機会となっていました。

みんなが共有出来る視点、感覚が生まれる場所あるのです。自分を離れることで人は誰でもそこへ至ることが出来ます。そして世界と自分をそこから見ることで、自分をこの宇宙の大いなる物語の一部として位置付けることが出来ます。それは祝福であり喜びです。

その地点に立つと、囚われなくただ出会う出来事を楽しんでいくことが出来ます。

ですが、自我の反応パターンに飲み込まれるとすべてが台無しとなり、自分だけの狭い世界が作られていきます。そこは優越感や劣等感、不足感や無力感、そして傲慢さなどが溢れる場所で、人は自分で自分を苦しめていくのです。貧困や格差、戦争やテロなど悲しいニュースはそんな人々の姿勢の反映とも言えます。

だから常に自分を離れる力を育むことが大切です。自分から離れた場所で、他者のために自分を表現していく。みんながそんな姿勢を育んだ時、すべてを共有し共感できる美しい世界が生まれます。

木の花ファミリーの暮らしを通して僕はそんな世界を表現していきます。

木の花ファミリーのみんな@田楽祭田植え祭り

宇宙時間を生きる

6月21日13時24分、夏至です。銀河の夜明け(2009年夏至から2016年夏至)から1年が経過したことになります。銀河の夜明けが持つ意味については、以下の天下泰平ブログ・第1話「宇宙時間」に明確に示されています。まずはその中に書かれている先住民の長老の話を引用します。

☆彡 ☆彡 ☆彡

新たな時代への潮流の中で大切なことは、(それが一番良い方法だと信じて)全てを自分でやろうとするあり方(誤解)から自分自身を解き放つことだ。自分が望む結果よりも、遥かに偉大な結果へと天が導いてくれるということを信じて委ねられるか。それは、また宇宙時間への回帰の大切さを意味している。』


☆彡 ☆彡 ☆彡

自らを分けると書く自分。自我を持つ人間は、自らを他者から分けて際立たせます。それは海の表面の波のようなもので、本当の自分は海そのものなのです。

自我は波。海から見たらほんの一部ですが、自我はそれがすべてと誤解します。そして、そこから感情が動き、何かを望み、何かを願います。

昨年の夏至、僕は一つの決断をしましたが、それは自分の望みに基づくものでした。僕は波と同化し、そこから生まれる望みを追究しましたが、それは砕け散りました。自我の望みは波のように浮かんでは消え、また浮かびます。だから繰り返されます。

昨年の夏至、僕が追い求めようと決断した望みは長年の望みでとても強い望みです。だけれども、それは浮かんでは消える自我の望みで僕を海から遠ざけるものです。

そう、昨年の夏至、僕は間違えた決断をしたのです。上記の文章を読み宇宙の流れを意識しているつもりで宇宙の流れに反する動きをしました。それぐらい僕は自らの望みに翻弄されていたということです。それでも真剣だったから、そこから学んだことはあり、それは今の自分に生きていますが、こういう学びはもう終わりです。

自らの望みはすべて手放す。

それは絶対の基準で、それにより天は、自分が望む結果よりも遥かに偉大な結果へと導いてくれるのです。だから、ただ出会う出来事を楽しんでいく日々の生活の中でそんな心を育み自我の望みを超え続けています。それは宇宙時間を生きる試みです。

宇宙時間への回帰のために泰平さんは「真の女性性をよみがえらせる」ことが大切だと書いています。以下、再び泰平さんの文章を引用します。

☆彡 ☆彡 ☆彡


真の女性性とは

『天の愛を受けとる在り方であり、天に導かれながら生きていくということ。』

かつて、「死」さえも天が統治して導いてくれているということを感謝と共に受け入れていた時代がありました。身体を持った「生」の時間と、身体から離れた「死」という時間を、行ったり来たりすることは、"悠久の宇宙時間"の中に在る魂にとっては何も怖いことではなかったのです。

しかし、「生」にあった時、「出逢った大切な人・時間と共にいつまでも在りたい」という当たり前の欲求によって、"宇宙時間"から自分達のための"人間(物質)時間"への執着が生まれたといいます。

やがて"人間時間"の中でのサバイバルを目的とした「男性性」が暴走を始めます。自分たちのやり方で、競争・支配(コントロール)の価値観に基づき、自分たちのルールと科学に傾倒していくうちに、いつしか私たちは天(宇宙に委ねていく在り方)から離れました。

『天から離れたということは、内宇宙と外宇宙が分離し共振性が損なわれたということ。』

私たちの身体の中に存在する内宇宙。それは微生物たちも含めた世界であり各々の心の周波数が創り出す世界です。その内宇宙と、地球と同期する外の微生物たちが創り出す世界(外宇宙)は、本来は統合していて共に響き合っていました。

宇宙には天が意図した「ひふみの法則」というものがあります。

無意識に統合の時代を生きていた時代(ひふみの「ひ」=源)から、我々は「個」の体験を重ねるという分離の時代(ひふみの「ふ」=分離)を過ごしてきました。そして、今、まさに私たちは「生」の本来の目的を想い出そうとしているのです。(ひふみの「み」=意識をもって統合の時代を生きていく)。

『全ての生命(いのち)が響きあう場所で天に導かれて愛を生きる。』

競争やエゴ、自分(たち)さえ良ければ、今さえ良ければ、という世界ではなく、皆がひとつの真実の方向に向かって響き合う、「大いなる循環」の中で自らの輝きを活かしていく時代の到来。

統合の時代へとシフトする今このとき、宇宙時間の中で、自分の輝きを、自分の中心で、真の女性性を取り戻しながら神の子として蘇る。天と自分の魂との約束を果たす時が今まさにやって来たのです。

自分自身を籠の中に閉じ込めているのは、「自分のやり方こそがベストだ」と信じ込んでいる自分自身なのです。その観念を一旦天へと戻して、認めたくない自分やもう二度と感じたくはない感情と再び出逢い、向き合い、その奥に在る、分離の時代には成しえなかった

『自分の中にある本当の想いや愛と繋がりなおす。』

そういうチャレンジを体験することが、閉じ込めた籠の中から輝ける自分自身を解き放つことにつながっているのです。



☆彡 ☆彡 ☆彡

昨年の夏至、僕はこの文章を読みながら間違えた決断をしました。それは望みを追求することが自分を解き放つことになると思ったからですが、これは大きな勘違いでした。真の解放は、自らの望みの奥にあり、すべてを見通すことにあります。

「自分の中にある本当の想いや愛」

それは特定のものや瞬間に向かうものではなく、永遠で無限なるもの、まさに宇宙そのものです。自分の中にあるすべての想いと向き合いそれらを超えることで、本当の想いや愛に至ることが出来ます。意識をそこに合わせる時、人は宇宙時間を生きることになるのです。

北朝鮮やシリアなどで緊迫した状況が続き、アメリカはパリ協定から離脱しました。日々のニュースに触れると人類は悪化の一途を辿っているようにも見えます。ですが、その奥には光の時代へと向かう宇宙の流れがあり、今は闇に隠れていたものがあぶり出されているのです。大切なのは個々の出来事の奥を見通すことであり、それには自らの想いや感情を超えていく必要があります。

世界の指導者もテロリストもそれぞれの視点の正義があり、それぞれの平和を求めています。その結果が今の混沌とした世の中で、自我の求める平和は世界に分断をもたらしてきました。自我は自らを世界と分けて際立たせます。その自我の求める平和が分断をもたらすのはある意味当然であり、今、世界はその極みにあります。

どんなに美しい理想でも、自我が思い描くものは世界に分断をもたらします。

今の社会はそのことを見せてくれているのであり、それが光の時代へと向かう宇宙からのメッセージと言えます。だから今必要なのは、自我の想いを超え、宇宙そのものとなり宇宙時間を生きることです。そんなことは不可能と思えるかもしれませんが、時代はその後押しをしてくれています。今まで不可能だったこともこれからは可能になってくるのです。

自らの想いを表現しながらその奥を見ていく。
想いを表現すると同時に想いから離れる。
すべての想いを手放し自由になっていく。

そうすることで僕は宇宙時間を生きていきます(^-^)


6月19日 夏至2日前の富士山と太陽です。





今の社会は自分の未熟を表している

以下、2年前の大人ミーティングでのいさどんの言葉です。

☆彡 ☆彡 ☆彡

物事の捉え方はたくさんあってね。

善意で捉えようと思ったら、
この世界にある全てのことは、
善意になるんだよ。

ただ、
人にはそれを善意で捉える力がないだけなんだよ。

宇宙は全て善意でできている。


なぜかというと、
宇宙は調和でできているから。

調和は、
悪意では保てない。

調和は、
善意によってしか、
成り立たない。

だから、
物事を善意で捉えられないときには、
自分が未熟だと思わないといけない。

そこを悪意で捉えるということは、
自分を観ないで、
悪意は相手から来ると思っているのだけど、
悪意は、
自らの未熟さから生まれるものなんだよ。

だから、
自分が言っていることは全て、
自分自身を表しているんだよ。

そこに気付かないと、
自らを改めることはできないね。

人間というものは、
必ず自分の都合の良いように
答えを求めようとするんだよ。

だから、
自分の本心があっても、
そういった人たちは「けど」「でも」と言って、
本心と違う行動を取るんだよ。

そのカラクリをわかって、
自分自身に修正の目を向けられるようになったら、
人は成長できる!

そのためには、
自らの想いをどんどん外に出していって、
まわりからフィードバックをもらい、
客観的な視点を育てていくことが大切だね。




☆彡 ☆彡 ☆彡

国連人権理事会の「表現の自由」に関する特別報告者、デービット・ケイ氏が日本政府を問題視する演説が報道されている中、安倍政権は共謀罪の法務委員会での採決を省略し、参院本会議で中間報告のみで採択を行いました。共謀罪に関しては、凶暴な新テロ法案と報じている海外メディアもあり、採択の進め方も含めて民主主義の危機と捉える人々もいます。

実際にそうだとしても、その動きを生み出しているのは一人ひとりの日本人で、これは日本人、つまりは自分の未熟を表しているのです。

森友学園や加計学園、そして共謀罪の強硬採択と安倍政権は批判されるべきところは多々ありますが、安倍政権を批判すると同時に上記のような視点も持つ必要があります。

例えば、安倍政権の辞任を求める運動をしたとして、それが成功したとしても、一人ひとりの人間性が向上することがなければ、次に同じような政権が生まれるだけです。

おかしな出来事と出会うということは、自分自身がおかしな響きを発しているということです。
だから出来事の改善を通して、自分自身も改善していく必要があるのです。

話しは変わって。

先日、木の花ファミリーにCo-Reキャラバンが訪れ、鯉谷さんと工藤さんと共に語り合いました。Co-Reコレは仲間みんなが家族と思えるような「1万人の村づくり」を目指して活動しているのですが、お二人は木の花ファミリーの姿に触れ感動したといいます。その時、お二人と共有したのは、世界平和や調和した社会を目指した時、行きつくところは結局「自分」だということです。

初めは熱い理想に燃えて動き出しても、いつか必ず現実とぶつかります。その時、自分の人間性と向き合うことになり、今の自分という枠を超え続けていく必要があるのです。木の花ファミリーは老若男女100名近くが共に暮らす中で、その取り組みを大切にし続けています。だから人を感動させる力があり、そしてそれは未来に対する希望ともなるのです。

今の社会を創っているのは自らの未熟です。だから自分が成長すれば、世界は少しずつ平和になっていきます。それは希望ですよね(^-^)


(左から)鯉谷ヨシヒロさん工藤真工さん、木の花ファミリーです。



世界に向かって転がり出る

5月20日で木の花ファミリーに移住し、丸8年となり、今は9年目の日々を過ごしています。「9」という数字から思い出すのは、小学校6年生の時、校長先生が語っていた以下の言葉です。

苦(9)を超えなければ、充(10)の喜びは得られない。

当時の校長先生(服部先生)は、卒業式の時、色紙にこの言葉を書きみんな(160名ぐらい)に贈ってくれました。その色紙は今も実家の部屋に飾ってあります。

そしてこの言葉は、遠藤周作さんや河合隼雄さんが生前に語っていた「くるたのしい」という言葉に通じるのではないかと思い、ネットを検索すると以下の文章に出会いました。

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「くるたのしい」とは、苦しさと楽しさとが同居している様子をいうようですが、もう少し掘り下げて考えてみましょう。

作家が書いた小説というものは、その作家が頭で描いた構想を膨らませてできたものですから、作家が思うようにコントロールしてできたもののように思われますが、『ケアの本質』の著者であるメイヤロフ氏は、小説というものは作家が思いつくままに書いたものではなくて、小説を書くとは、自分が選んだある構想が自分の中で成長していくのを援助すること、あるいは、その構想が持つと考えられる本質的な特徴を発見し探索することであると言っています。

同時に、作家の関心は、自分にではなく、自分が取り組んでいる構想自体に向けられているとも言っています。

要するに、小説とは作家が構想を練ることによって出来上がるわけですが、その「練る」とは、作家が勝手にコントロールすることではなくて、その構想が自ら成長していくのを援助することが「練る」ことであって、創作活動の主体は構想の側にあって作家の側にはないということです。

メイヤロフ氏はこのように言っているわけですが、書く者としては、やはり自分が主体となって書こうとするでしょう。そうすると、行き詰って書けなくなり苦しくなるという事態に追い込まれるというわけです。

そこで、自分が主体になっていることに気づき、それを棚上げして構想の方に主体を移し、構想に耳を傾けることができるようになったとき、作家の筆はなめらかとなり、苦しみはいつの間にか楽しみに変わっているのではないかと想像します。

この辺のところを河合さんは、植物は太陽の熱と土とがあればゆっくりと成長していく、そのゆっくりとした成長に心を合わせてやると、植物の成長がとても楽しみに思えてくるが、植物の成長をこっちがコントロールしてやろうとすると、思いのままにならないことが出てきていやになってくるのではなかろうか、と言っておられます。



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「自分が・・・」という思いに基づき行動すると、思いもよらない出来事に出会いいらだち苦しくなります。ですが、「自分が・・・」という思いを手放す時、思いもよらない出来事を楽しむことが出来るようになるのです。世界を楽しむコツは自分を離れることにあるようです。

冒頭の、苦(9)を超えて、充(10)の喜びを得る。という言葉。

それは「自分が・・・」という心を超えて、天の法則、流れに身を委ねることなのだと思います。

視点を変えて、カタカムナでみると、「9」は「転がり出る」です。「7」で質的転換し、「8」で飽和安定した存在は、「9」で転がり出て、「10」で統合へと至ります。

転がり出る先は???

きっと世界です。魂は自らの感情や身体と出会い、様々な経験を通して自分を育んでいきます。世界から分かれた自分を育んでいく。その状態が飽和し安定した時、世界に向けて転がり出ることで、世界と一つとなり存在は完成していくのです。

「自分が・・・」という心を超えて、世界に転がり出ることで、天の法則の下、世界と一つとなり、充の喜びを得て統合へと至ります。

今年は木の花ファミリー9年目。世界に向けて転がり出ることで10年目、2018年での統合へと至りますが、2018年には平成の終了が予定されています。平成は「イワト(平=一八十)成る時代」。その終了と共、僕の木の花での1サイクル(ヒフミヨイムナヤコト)も終わるわけで、そんな時代の流れも意識して日々を送ろうと思っています。

そんな感じで世界に目を向けたら、「9」と言えば、憲法9条です。9条は前文と共に平和憲法の核となる部分ですが、今、改憲に向けた動きが加速しつつあります。

世界が平和でありますように。

そんな思いはきっとみんな共通しているのに世界は争いが絶えません。きっとそれはみんなが自分都合の平和を求めているからだと思います。自分「が」平穏でいたいから・・・だから平和であって欲しい。そんな動機から平和を求めていたら、他人の痛みや苦しみは目に入りません。そして、その態度は争いを生み出す原因ともなります。

争いを排除することで争いを引き起こす。

多くの人が自分都合の平和を求めているからそんな世界が展開するのだと思います。

憲法9条は平和を謳っています。ですが、改憲にしろ護憲にしろ、それを自分都合で求めていたら、生まれる世界は争い、いがみ合いの世界です。

自分都合、自分が・・・という心はこの世界に苦しみをもたらすのです。

だから大切なのは、思いもよらない出来事に心を開いていくことです。自分の都合、自分が・・・という心を手放し、ただ出会う出来事を楽しんでいく。みんながそんな姿勢で世界に転がり出る時、個性豊かな存在が繋がり合い、真の統合が生まれるのでしょう。

そんな未来に向けて、僕は世界に転がり出ます。

5月20日、木の花ファミリー蓮池の写真です。






大いなる力には大いなる責任が伴う

大いなる力には大いなる責任が伴う

これは映画『スパイダーマン』の中で主人公ピーター・パーカーの叔父さんがピーターに語りかけた言葉です。特別な力を得たピーターは最初その力を自分のためだけに使いました。そしてある日、一人の強盗が逃げるのを腹いせに見逃します。その後、自分が逃がした強盗が叔父さんを殺害したことを知ります。この出来事の後、ピーターは叔父さんの言葉を胸の人々のために戦うようになるのです。

大いなる力には大いなる責任が伴う

これは映画全体を覆うテーマでとても印象が深い言葉です。それで責任とは何かを考えると、英語では責任は "Responsibility" = Response(応答する)Ability(能力)と書きます。応答できること、対応できることにきちんと応えていくことが責任なのだと思います。なので、力が大きくなればなるほど、それが大きくなるのも当然です。また、これは逆の言い方も出来て責任を果たせば果たす程、それだけ力を得るとも言えます。

そして、力とは何かを考えた時、権力や腕力など目に見えるものもそうですが、それだけでなく人への影響力、包容力、信頼や信仰など目に見えないものも力と言えて、そのような力を育むことが大切なのだと思っています。

僕は心の道を歩むことを選びました。自分の選択には責任が伴っていて、それに応えていくことで目に見えない力を育んで行こうと思っています。

ところで、今日はさそり座の満月です。さそり座満月について天下泰平ブログには以下のように書かれています。

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511643分はさそり座満月です。

満月の中でも5月の満月は特別であり、世界中の聖地で「ウエサク(五月満月)祭」が開催されています。

太古の昔、5月の満月の日にヒマラヤにあるウエサク渓谷に強いエネルギーが降り注ぎ、そこでお釈迦様が悟りを開いたことにちなんで開催されるウエサク祭。

伝承地であるヒマラヤをはじめ、日本でも古来より京都の鞍馬寺でウエサク祭が催され、今ではアメリカの聖地シャスタでもウエサク祭をやっているようです。

地下世界「シャンバラ」とも関係の深い、ヒマラヤ、鞍馬寺、シャスタ。

この5月の満月の日は、目に見えない世界と目に見える世界を繋ぐゲートが開き、すべてのものの目覚めのエネルギーが天界から降り注ぐとも言われています。

~ 中略 ~


蠍座のキーワードは、何と言っても「死と再生」。

また蠍座の支配星は「冥王星」であり、この冥王星も「破壊と再生の星」と呼ばれ、蟹座満月は「根本からの変容」が起こる時とも言われています。


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心の道とは自我から自由となる道です。自我、自らの思いは浮かんでは消えるもので、執着や囚われなど余分な感情がなければ、常に「死と再生」を繰り返すものなのです。その奥には常に宇宙と共に変化変容し続ける大本の自分がいて、そこではすべての存在が繋がっています。そこに身を委ねる時、根本からの変容が起こり続けるのです。

浮かんでは消える、死と再生を繰り返す自我は自らを際立たせます。その表面だけを見ていると、他者との違いが際立ち分断が進んでいきます。フランスや韓国の大統領選挙では社会の分断が話題となりましたが、それは人々が自我に固執しその表面だけを見ているからです。その状態では社会を根本的に変える力を得ることは出来ません。

根本からの変容が起きるためには、自我から自由となる必要があります。それは絶え間なく続く終わりのない試みで人は常に出来事を通して試されているのです。それに応えることでこの世界の無限の深みへと至るのですが、そこではすべての自我が繋がり生かし合うことが可能となります。

僕は心の道を歩むことを選択しました。その責任に応えることで、この世界の無限の深みを知り、目に見えない力を育んでいきます。それがこの社会に何をもたらすかは、僕の思考を超えたことだから、ただただ先を見て行こうと思います。

2012年12月17日鞍馬寺にて撮影


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