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自らの感情を天に委ねる

人生をファシリテートする


現在、木の花ファミリーで開催中の1ヶ月間の真学校、その様子が真学校ブログにて随時発信されています。今回はその中で3日目午後「ファシリテーション~人生をファシリテートする」で語られている言葉を引用したいと思います。

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自分自身の中に湧いてくる様々な思考を仕分け、取捨選択し、時代の流れや宇宙の法則に沿うように自分自身をファシリテートする能力が、これからの人類には必要とされます。『人類に』と言うと大きなことのように聞こえますが、『あなた自身の人生に必要とされている』と置き換えれば、身近な話になります。大きくても小さくても同じです。例えば自分の周りを小さく区切れば「家族」や「会社」という単位になりますが、それを大きくすれば地球になります。そういう中に、私たちは生きているのです。
私たち一人ひとりの体は、60兆個の細胞からなるひとつのコミュニティです。それをファシリテートしているのは、実はあなたではないんですよ。あなたは、その60兆個の細胞をファシリテートしている存在があることを知るべきなんです。あなたがいくら「これは自分の体だ」と言っても、それは何ものかにファシリテートされることによって健康に保たれているのです。
ところが、その健康に保たれているものをダメにするのは、あなた自身です。ということは、あなたと、あなたを含めた全体をファシリテートしているものとが連携していくことが、あなたの人生を健全にし、社会を健全にします。その全体をファシリテートしているものとは、時代や、天体の動きです。
そのことに目覚めると、自分を含めたすべてをファシリテートすることにつながっていきます。これまでの「ファシリテーション」とはただ会議を円滑に進めるための手法でしたが、これは人生のファシリテーションであり、人類の目覚めとなる重要な捉え方なのです。

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この発想はとても面白いと思いました。ファシリテーションの概念を会議の場から日常生活に広げ、しかも「ファシリテートしているのは自分ではない」と言い切っています。プレゼンには「時代が時代をファシリテートしている」という言葉が出て来ますが、僕ら一人ひとりの人生はその時代の中で営まれています。そのため常に時代の影響を受けているのです。

出会う感情を楽しむ


ところで、「波のように生きる」でも書きましたが、ニュースで流れている話題は同じパターンの繰り返しになっているように思えます。

〇〇は脅威だ。
○○に対抗するために○○に近づく。
○○は日本の景気にとって良いことだ。

事柄は違っていても、どの話題でも表面的な損得勘定に基づき状況を判断し反応しています。そして、そこには人々の感情の動きがあります。

湧いてくる感情。それは自然発生するように思えるかもしれませんが、そうではありません。僕たちは瞬間瞬間、自らの感情を生み出しているのです。そこには自らの意志が反映されています。ただそれは瞬間の出来事であり日常の中で繰り返され定着してしまっているので、自らの意志の働きが見えなくなっているだけなのです。

自らが生み出した感情は世界に反映されていきます。今の世界は人々の感情の表れであり、それは簡単に言ってしまえば、利己的なアピールの心と言えます。例えば選挙でも具体的な政策の善し悪しはあまり話題に上らず自らの存在を上手にアピールした議員が当選されていきます。上手にアピールした人が成功する。そのため人々の関心はいかに上手にアピールするかに向います。その結果、実質が伴わなくなり、社会は混乱していくのだと思います。

アピールは自分を他者(世界)から切り離しているから必要になります。アピールによって世界が動いているということはそれだけ人々がバラバラに切り離されているということです。それは2012年12月21日に銀河の冬至を迎えた時代の流れと呼応しています。2012年の冬至まで時代は闇、分断のピークに向って進んでいたのです。そして時代は今、銀河の夜明けを経て光、統合へと向かっています。なので、その時代の流れに身を委ねると自ずと健全になっていけるのです。

ですが現状を見ると、人々の心は分断の時代の名残が色濃く残っています。そのため社会は未だ混乱したままとなっていますが、このままだと人類は時代に淘汰されてしまいます。年々早まるアース・オーバーシュート・デーなどは人類に対する警告といえます。そうならないためには、分断から統合へ、自分から世界へと心を開いていく必要があるのです。そして、それは光への道であり、希望溢れることなのです。

日々湧いてくる感情。そこには分断の時代の名残がありアピールの心から大きな影響を受けています。そこに気づきそこから自由になることで新しい時代に向けて自らを開いていけます。自らの感情の出どころを見抜き自分を自由にしておく。そうすることで感情も自我の囚われから解放され自由に展開されていきます。僕は今、そんなふうに自分をファシリテートすることを心掛けています。そうすると湧きあがる感情は新鮮なものとなり予測不能なものとなっていきます。それは感情も本来、自然の法則に基づくものであり、自然は人間の理解を超えて変化変容を繰り返すものだからでしょう。

きっとこれから僕に湧き上がる感情はどんどん予測不能なものとなっていきます。だけれどもそれは天からもたらされたものであり、きっとすべての存在を繋げていきます。だからわくわくしながら出会う感情を楽しみます。それは一人の人間のささやかな実践ですが、きっと世界平和へと至る実践です。

僕はそう信じています(^-^)

昨日(26日)の富士山と朝日です。23時58分が新月でした。






波のように生きる

ロシア軍が「クリル諸島」への師団配備を公表しました。このことに関して以下の記事を目にしました。

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「クリル諸島」への師団配備を公表

ロシア軍が新たに1個師団を「クリル諸島」に年内に配備するというニュースが大きな注目を集めている。222日にロシア議会の公聴会に臨んだショイグ国防相が明らかにしたものだが、クリル諸島といえば千島列島と北方領土を含むロシア側の名称であるため、これを「北方領土への」新師団配備と解釈する報道も多いようだ。
また、日本政府も「北方四島でロシア軍の軍備を強化するものであるならば」との条件付きでロシア側に遺憾の意を表明したことを明らかにした。
ただし、冒頭で述べたように、ロシア側が発表したのは(北方領土を範囲の一部に含む)「クリル諸島」への師団配備であり、我が国の北方領土に新たな部隊配備を行うと明言したわけではない。


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そして静岡新聞を手に取るとこんな記事が載っていました。

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【ウラジオストク共同】ロシアのショイグ国防相は22日、クリール諸島(北方領土と千島列島)に新たな師団を年内に配置する意向を示した。新設する4個師団のうち1個師団を配置するという。師団の詳細は不明だが、配置先は北方領土とみられ、4島の防衛力が強化される形となる。下院での発言をタス通信などが伝えた。

 昨年12月の日ロ首脳会談での合意を受け、日ロ政府は北方領土での共同経済活動の実現に向けた協議を進めているが、ショイグ氏の発言はそれとは関係なく北方領土の防衛強化を進める意思を表明した形。配備先が北方領土であることが確認されれば、日本政府が反発する可能性が高い。


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多少表現がぼやかしてありますが、この記事からは、ロシアが北方領土に新師団を配備しようとしていると読み取れ、最初の記事とはニュアンスが異なってきます。微妙な違いだけれども大きな違いのようにも感じました。そして、これらの記事を見ながら以下のようなことを思いました。

日々いろいろなニュースが流れていますが、題材が違うだけで、同じパターンになっています。〇〇が脅威だ。〇〇に対抗するために〇〇に近づく。〇〇は日本の利益に繋がる。〇〇のために大きな損害が生まれた。こんな感じの報道がなされていますが、それは今の人々の物事に対する反応パターンなのだと思います。

世界には脅威がある。そして、敵と味方がいる。そんな中で自分の得となるように、損をしないように行動していたい。

こんな視点で物事を見て、出来事に対して反応していて、それはロシアの師団配備についても同様で、その出来事を冷静に眺めるよりもパターンに基づいて反応しているのだと思います。そのため正確な表現は二の次となってしまっているのです。そして、その反応パターンは現実を強化していきます。

自らを分けると書く「自分」は、世界の中で自分を分けて際立たせる動きをします。それが世界に多様性と彩りを与えているのですが、どんな彩りを与えているかを見極める必要があります。今の人々は表面的な損得勘定に基づき、自分を際立たせています。その視点から見ると、世界は脅威であり敵と味方がいるのです。これは一つの視点に過ぎないのですが、多くの人が持つことで世界を覆ってしまっています。その結果が今の混乱した社会となって現れているのです。

この世界は本来一つです。敵味方なくすべての存在が大いなる流れの中で生かされています。誰も単独で存在することは出来ません。この大いなる繋がりの中で流れにそって自分を際立たせる。そんな動きを取ることが出来れば、調和の中で多様性と彩りが生まれていくのです。

それは海に生じる波のようなものです。様々な形となって現れる波ですが、次の瞬間には海と一体になっています。波は個の表現ですが、次の瞬間には全体と一体となり、そして次の瞬間には違う形となって現れます。こんなふうに個と全体とを行き来しながら自分を表現していく時、それは大いなる流れを促進するものとなり美しいハーモニーとなって現れていくのです。

木の花ファミリーの暮らしはそんな世界に向けての実験ですが、そこから今、一つの流れが生まれようとしています。それが3月21日オープンのカフェ&ショップ・ロータスランドで、昨日、看板も設置されました。




今、メニューも試作を重ねているところです。オープンの際は是非、遊びに来て下さいね。


こちらは日替わりランチの試作です。




ささやかな動きの中に宇宙を感じる

例えばどんな感情が沸いてきたとしてもその感情から距離を置いておくこと。落ち込んだり悲しんだりというネガティブな感情ばかりでなく、喜んだり楽しんだりというポジティブな感情からも距離をおいておく。すべてから自由になりただただ湧いてきた感情を冷静に眺め楽しむこと。そこの価値判断は必要なくて、ただ自由であること。

こんなふうにしていると感情はすぐに変化していきます。どんな感情が沸いたとしても次の瞬間には別のものになっていくわけで、それほど気にすることはないのです。

感情はその瞬間の自分を表している。

ただそれだけです。

忙しい時に頼まれごとや電話が続き、自分の仕事に集中できない時、それは自分の心がそういう流れを生み出しているということ。

僕の心が仕事に集中する準備が整っていないのです。

心がすべてを創っている。

僕はそれを全面的に信じることに決めています。こんなことを書くと、自分の都合の良い現実を生み出せると勘違いをする人もいるかもしれませんが、これはそういうことではなく、起きる出来事をただただ自分の顕れとしていただくことなのです。そして、変化変容を本質として天の法則にすべてを委ねていきます。これは依存的な態度ではなく自らの意志を掛けた積極的な態度でもあります。

忙しい時に頼まれごとがあると焦る気持ちが生じてきます。でも焦る必要はありません。その頼まれごとは自分の心がまだ仕事に集中する準備が整っていないことを教えてくれているだけなのです。だからただ淡々と対応しながら自分の心を整えていきます。そうしていると仕事に集中する流れがやってきます。焦る気持ちはすぐに消えていきます。その感情は結局自分が生み出しているだけなのです。

別にこれはすべての頼まれごとに応じるのがよいというわけではありません。状況によっては断ります。ただその時、焦る気持ちはいらなくて、自分の感情を離れて状況を冷静に判断し決断すればよいのです。

自分自身を映画の中の主人公のように離れて眺める。映画の主人公の感情を追うように自分自身の感情を追っていく。そしてそれを楽しんでいます。ネガティブな感情もネガティブな状況も物語として捉えたら楽しいものです。そこから世界がどんなふうに展開するのかを眺めていればよいのです。

今年の立春正月を境にひっくり返った僕は、天の法則の下に生きています。それは失敗しないとか完璧とかいうことではなくて常に変化変容し続けるということです。

自分から世界を眺めて世界を変えようとしてもなかなか出来ませんが、世界から自分を眺めて自分を変えていくことは自分の意志で出来ることです。天の法則の側から自分を眺めて自分自身をその表現としていくこと。それは自分が変わった結果、起きる出来事はすべて天に委ねる生き方で、未来は常に分からないことなのです。

結末が分かった映画がつまらなくなるように人生も結果が分かるとつまらなくなります。面白さよりも自分の都合を優先すると先が知りたくなりますが、それは天の法則に対する信頼の欠如と言えます。

自分の存在はこの世界のありとあらゆるものにより生かされて存在しています。自分で生きているという錯覚を持つことが出来て、自分で人生を切り開くことも出来ますが、それは本当ではありません。その行動は天の手のひらの中で遊ばされている状態です。手のひらにいることに気づかず自分の想い、自分の想像という狭い範囲に世界を閉じ込めているのです。

天の存在に気付いたら、そして天にすべてを委ねたら、自分の人生は天そのものとなっていきます。その時、世界は自分の想像をはるかに超えるものとなり常に新鮮なものとなります。

どんなふうになるか全く予想が出来ない映画を楽しむように、宇宙の始まりから今に続く物語に参加しながら眺め楽しんでいます(^-^)

木の花ファミリーでは今、3月21日にオープンするカフェ&ショップ・ロータスランドの開店準備、そして開催中の1ヶ月間の真学校で賑やかな毎日を送っています。これは世界全体を物理的に眺めたら豆粒のような場所で起きているささやかな動きですが、大いなる流れが生み出したものだと感じています。

ささやかな動きの中に宇宙を感じる。

世界中の人々がそんな生き方をしたら、離れていても心は一つで共に一つの動きを生み出していけるのだと思います。そのためにはニュースで流れる情報を共有するように物理的な情報を共有する必要はなくて、ただただこの世界を生み出している一つの動きに意識を向けたらいいのです。

きっとそうだと思います。

だから天に意識を向けることは平和へ向けての一番の行動となるのです。

ロータスランドで提供予定の日替わりランチメニュー(500円)です。









淡々と清々しく生きる

農事組合法人木の花ファミリーの法人税申告期限は2月28日です。締め切り期限を目前にして忙しい毎日を送り疲れがピークに達しています。その影響からか思考が自分の大変さをアピールする方向に向かいがちになっています。

アピールする心は他人(世界)と自分を切り離すことで生まれます。関心が自分ばかりに向うことで世界との間に距離が生まれ、それを埋め合わすように他人(世界)に対してアピールをしたくなるのです。(「だからひっくり返ることが大切」参照)

今の社会ではテレビCMをはじめ様々なアピールで溢れかえっていますが、それは多くの人々の関心が自分ばかりに向いている証です。自分に関心が向いているので、人と接する時、繋がり合おうとするのではなく、自分を受け入れてもらおうとするのです。

今までみんなが自分をアピールし、より多くの人に支持される人が社会を動かして来ました。トランプ大統領はそんな社会の象徴で、そこには中身がなく世界は混乱の一途を辿っています。それはアピールし合う社会が終わりを迎えているということです。

すごく簡単に書いてしまっていますが、大まかな流れとしては間違いないと思います。
そんなわけでアピールしたくなる心はその都度手放しています。

話しを法人税申告に戻して。

確認作業や入力作業が沢山あり、毎年法人税の申告は間に合うかどうかギリギリになります。それは今年も同様でプレッシャーに襲われることになるのです。今年はそんなプレッシャーに襲われながらも敢えてブログを書き続けています。この投稿は2月に入って10個目、2~3日に1個の頻度で更新していることになります。

これは僕にとって一つの実験であり、チャレンジです。

やることが沢山あると、そのことばかりに意識が向くようになりますが、それは自分にばかり意識が向くのと同様で健全ではありません。なので天に意識を向けて、そこから自分を眺める時間を大切にしています。そして、湧いてきたことをそのままブログに書いています。もちろんしっかりと結果を残すことは大切で、そこに向けて努力をしていきますが、それ以上に自分の心をコントロールすることが大切なのです。僕は今までこのブログでそういうことを沢山書いてきています。忙しいからと言ってその忙しさに没頭してしまったら僕は嘘を書いてきたことになります。今まで250個の記事を発信してきた責任を想うとそんなわけにはいかないのです。

出来事や結果は求めるものではなくいただくもの、大切なのはこの世界の法則に対しての信頼を深めていくことなのです。

そんなわけで意識を自分から広げると、木の花ファミリーでは今、1ヶ月間の真学校が開催されています。ここであらためて1ヶ月間の真学校について語ったいさどんの言葉を紹介しますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡

みんな自分が世直しを託されているとは思っていません。
だけれども、みんな間違えなくこの宇宙の法則の中で生きていて、
人類の70億分の1、この世界を託されているのです。

人は育っていく過程で欲求し、欲求を満たしながら成長していきます。
健全な秩序の中で欲求を満たしていく人もいれば、
秩序なく際限なく欲求を満たし求め続ける人もいます。
そういう経験の中で自分という人間性が出来てきます。

その中で、それぞれが自分の成り立ちを振り返って見ると、
それが宇宙の歴史や地球の成り立ちと一緒だということが見えてきます。
この世界は全部相似形なのです。

小さなところの集合が大きなところを創りだし、
大きなところの法則が小さなところに指針を与えています。

13,000年前のカタカムナの時代。
厳しい自然の中、人類は天然の法則を感知してすり抜けてきました。
ですが、その感覚は時代と共に失われてきました。
その叡智が天とつながることで現代に蘇るのです。

カタカムナの生き方を現代に表現していく。
それは、科学が発展したところに天然の精神を加えることです。
これはまさに新しい時代の生き方で、
木の花ファミリーはそれを表現していくのです。

2012年12月21日。太陽系は銀河の冬至を迎えました。
これからは少しずつ明るくなっていきます。
宇宙的には明るくなる現象が起きて、人間を後押しするのです。

健康に生きることは素晴らしいことです。
ですが、ただ健康になりたいだけで終わってしまったら人生は深まりません。
生きている過程でいただく病気や滞り。
その奥にあるメッセージを理解していくことが大切です。
そこを理解した時に現代人も天然の意識で生きていくことが出来ます。

この世界は心と肉体(物質)で出来ています。
まずは心、魂を磨くことが大切です。物質のことは考えなくてもいいのです。
今の世の中はまだ物質的豊かさを求めていますが、そういう世の中はひっくり返ります。

そのようなターニングポイントを今、迎えているのです。

人間の欲が戦争を生み出し、第二次世界大戦で大きな犠牲を出しました。
これは世の中の欲の心が壊れて一度リセットされた状態です。
ですが、戦後の復興は、もう一度、欲の心でなされました
そして、現代の混乱に至っています。

自分の健全、健康を求める心の奥にメッセージがあり、
それを通して自分がどう生きるべきかが見えてきます。
大切なのは、自分が健康に生きることだけではないのです。
自分のことばかり考えることで人間は不健康になっていったのです。
そのからくりを見通すこと。その先に世の中作りがあるのです。

世の中を良くするとみんなが良くなっていくのです。
自分が・・・と考えると住みにくい世の中になっていきます。
自分が・・・という心を超えていく。
それが天と共に生きることです。

真学校ではそういうことを伝えていきます。

真学校の受講生はこの場で変化していきます。
その変化に触れることでこの場も変化していくのです。

ここで健全な場を創り出すことが時代の流れをあらわすことになります。
世界のことを思い、自分を超えていく。
そのことが宇宙の中に光をさすことになるのです。

それを本当に信じて取り組むことです。

時代も神も目には見えません。人間の理解を超えています。
ですが、この世界にはそういう秩序が確実にあるのです。
そこに一人一人の人間が理解を示すことが大切です。

宗教はご利益を求める人により発展しましたが、
本来はそういうものではありません。

信仰とは宇宙の法則性の理解です。

法則性を理解し、自分が・・・という心を超えていく。

そのような本当の信仰心の下、天と共に生きていくのです。
それが世直しであり、この世界に平和をもたらします。


☆彡 ☆彡 ☆彡

あらためて。

大切なのは結果を求めることではなく、この世界の法則に対する信頼を深め日々を淡々と清々しく生きることです。そうすることで自分自身の人生を宇宙の法則の表現としていくのです。結果はいつも相応しく与えられます。だからただその結果をいただき学んでいくだけなのです。

法人税申告まであともう少し。
淡々とやるべきことをこなし結果をいただきます(^-^)


真学校1日目ウェルカムコンサートの様子



納得がいらない世界を創る

3年前の11月に書いた「僕といさどんと木の花ファミリー」で紹介しているエピソードは、自分の納得を超えることを受けとる体験でした。それまで自分の納得の元に生きてきた僕にとってそれは大きな出来事となりました。その体験について僕はこんなふうに振り返っています。

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もし僕が自分の正当性を主張したら、
(世間の)多くの人は僕の言葉に耳を傾けたのではないかと思います。
なぜなら表面で起きている出来事だけを見ていたら、僕は被害者にも見えるので。
そして、僕はみんなに正しいと認めて貰います。
でも、その先に何があるのでしょうか?
優越感に伴う自己主張の心が育ち、
それは新たなる対立を生み出すのではないでしょうか?

虐げられた状態から逆転し見返す。

僕の無意識はこんな物語を好んでいました。
そのため僕は虐げられる状況を自ら創り上げてきました。
自分で自分を苦しめることになります。
僕の正当性が認められた時、僕は喜びます。
ですが、それはその不調和な心を強化していくのです。

これは僕だけの問題ではありません。
この僕の不調和な心が世界で起きているテロリズムに波動として繋がっていきます。
そして、悲しみの連鎖が続いていくのです。

いさどんはそんな僕の心にメスをいれてくれたのです。

表面的に見たら僕の方が正しいように見える。
そんな状況だったかと思います。
そして、僕は反発をしていました。
それでもそんな僕に対して大事を伝えてくれたのです。
その心労はとても大きかったかと思います。
それに気づいた時、受けた恩の大きさを感じました。



※具体的な内容については「僕といさどんと木の花ファミリー」をお読みください。

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人間の自我は納得を求めますが、納得は自我を強化します。もしあの時、僕の正当性が認められ、僕が納得のいく結果となったら、僕の中で自我が強化されていたでしょう。そしてその視点で世界に眺め、世界を自分の色に染め、世界を狭くしていったと思います。

人は納得を求めて時に自己主張をします。ですが、自己主張は人との距離を生み出し人を孤独にしていきます。だから納得がいく結果になったとしてもどこか寂しさを感じることになるのです。そのため更なるアピールが必要となりますが、アピールのために自己主張をしても人との距離は広がる一方です。一見多くの人の希望を満たしたように見える現代社会で、孤独死などの問題が生じるのも納得を求め自己主張をしてきたことによる弊害なのではないでしょうか。納得を求めての自己主張、それは人を幸せにはしないのです。

子どもから大人に成長する過程では納得を求めることも重要になります。それは自分を確立する過程だからであり、健全な子どもは自己主張ではなく自己開示をしていきます。そしてそこから生まれる対話の中で納得し、自分を変化させていくのです。それは確立することを通しての成長です。

ですが、大人の自己認識は固まっています。そのような中、納得を求めることは今の自分を貫くことになり、その結果、変化を拒むことにもなるのです。

納得を超えたものに出会い、それを受け取る時、人の器が一つ大きくなります。それが人を成長させます。そして、納得を超え続けていると、いつの間にか納得がいらなくなるのです。ただその時の流れを感じて行動するようになります。そうなると、人の器は常に広がり続け、変化し続けることになります。それは世界と一つになる方向への変化です。

納得を超えるということは自我を超えることです。流れの中で世界と一つになっていく。そんな人々が集まった暮らしについていさどんはこんなふうに語っています。

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ロータスランドのオープンに向けて、今、みんなで一丸となってひとつのことをやっている。一丸となってひとつのことを越えていくというのは、たくさんの心がそこに共鳴しあって、人に希望を与えることだ。


その中で、誰か一人でも自我にまみれていては、そのような場はできない。自我を忘れて、みんなが渦になる。カタカムナで言えば、「マワリテメクル」ということ。それは地球の動きだ。地球は自転し、公転し、歳差運動をし、微振動をしながら進んでいる。これは、古くから日本人の中にある、「マツリ」の精神だ。

 ~ 中略 ~

宇宙は、動いている。我々は毎日を認識し、時が過ぎていくが、これは巨大なエネルギーがうねっている「マワリテメクル」の世界だ。その中の一環としてこの仕組みがあるということを理解すると、すべてのところにその法則が遍満していることが観えてくる。それを意識しながら生きていくことが大切だ。

この理論が体得できるようになると、自我は消え、この世界を構成するものとして、大いなる生命としての役割を果たしながら、宇宙の実体のままに生きていくことになる。現代の人々は大いなるものから離れ、自我にまみれていがみ合っているが、そういったことがすべて帳消しになってしまう世界が、いがみ合いの奥にいつでもちゃんと控えているのだ。

それを語っていくことは、物理的な現状の地球を見ていると不可能なように思えるかもしれないが、ここではその存在を知って、語り出した。いずれ必ず、人間たちがそれを理解する時が来る。既に扉は開き、その動きは始まっているのだと思うと、やはりテンションは上がる。それこそ病魔に侵されて死にかかった者が生きることの本当の意味を知って「死んでなんかいられない」となるように、僕も、夜中だけど寝てなんかいられないよというテンションになった。まあ、語ったらまた寝るけどね()。しかし何か、この今のときめきを語っておかなければいけない、と思った。

 ~ 中略 ~

「祭」という字は「サイ」とも読む。「何々祭」というと、それは日常の生活から離れた儀式の場で使う用語になる。そこには天と地があり、地が天を崇めて祭典をするという「サ」=差のある状態だ。「サイ」は「マツリ」とは違い、まだマツリに至らない段階の儀式に用いられる。

それが「マツリ」になると、「マ」は宇宙空間であり、生命が躍動する特定の場、宇宙の法則が表現される場所のことであり、「ツ」は集い、「リ」は離れるということ。自我から離れた者たちが集い、宇宙の法則のままに生命が躍動する。それがマツリだ。そのような無我の境地で、美しく、日々を舞い踊るように生きたいものだ。



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先日、トランプ大統領は初の単独記者会見をしましたが、それは自己主張に溢れていました。その自己主張は人との距離を生み出し、アメリカ社会は分断が進んでいます。それは一人ひとりの意識の表れで、日頃、多くの人が納得を求め自己主張をしているのではないかと思います。そのような時だからこそ、自我を離れた人々が集い、流れの中で一つになり大きなうねりを生み出していきたいと思っています。

明日から1ヶ月間の真学校が始まり、3月21日には異次元空間カフェ&ショップロータスランドがオープンします。盛りだくさんの毎日、毎日が「マツリ」です。


ロータスランド完成イメージ図です。


以下、ロータスランドオープンに向けて開発中のメニュー写真を紹介しますね。


日替わりランチ。500円(税抜き)です。


富士山ひまつぶしです。
鉄板ナポリタンです。
スコーンです。
豆乳クリームとトマトソースのパスタです。

シナモントーストです。
ほうじ茶ラテです。
抹茶パフェです。
ヒマラヤ焼きカレーです。
富士山ひまつぶし御膳です。



結果を手放すことで心は変化する

心が変わればすべてが変わる


心が変わればすべてが変わる。

木の花ファミリーではよくそんな言葉が使われています。農業革命、医療革命経済革命と様々な革命を発信していますが、それらはすべて精神革命であり心が変わることの大切さを伝えています。

ところで現代科学の世界では「心が物質を生み出している」という推察も生まれています。例えば、「自らの意志で時代を表現する」でも紹介している記事では以下のような記述があります。

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量子論の世界では、最も基本的な思考原理である矛盾律(AがB、かつ非Bであることはない)が通用しない状態である「量子の重ね合わせ」が長らく世界中の科学者を悩ませてきた。「二重スリット実験」では、2つのスリット(細長い穴)を通った電子が壁に衝突して作る痕跡をもとに電子が波なのか粒子なのか確定されるはずだったが、観察者がいない場合、電子は“波”の性質に見られる干渉縞を作り、観察者がいる場合、“粒子”に見られる痕跡を残すという “非科学的な”事態が生じたことで大問題となる。

つまり、電子は「波であり、波じゃない」、「粒子であり、粒子じゃない」という矛盾する性質を抱えていることが判明したのだ。

ここで問題となるのは何より「観察者」の存在だ。物理的世界に直接の影響力を持ちそうもない「観察」という“意識的な”行為が、どういうわけか量子レベルでは大きな影響力を持ってしまっているのである。このことを量子論の生みの親であるマックス・プランクは、「意識は物質よりも根源的で、物質は意識の派生物に過ぎない」と驚きを持って受け入れ、ノーベル物理学者を受賞した理論物理学者ユージン・ウィグナーも「意識に言及することなしに、量子論の法則を定式化することは不可能だった」と語っている。


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観察者の意識(心)が量子レベルで影響を及ぼしていることが分かってきました。それは心が現実世界に対して持つ影響力の大きさを示唆しています。そして、その動きは人間の理解を超えたものであり、人間の思考では矛盾したものにも映るのです。


真の変化は人間の意図を超えたもの


心が変わればすべてが変わる。

この言葉は多くの人に希望を与えますが、その言葉にご利益や救いを求めるようだと結局変わらないことになります。例えば、病気を治すために心を変える。今の状況が嫌だから心を変える。そんなふうに思ったとします。ですが、もしそこに自分都合の現実を求める心があれば、その心に相応しい出来事が起こり続けます。

自分都合で思惑を持って変わろうとした時、表面的な行動の変化を起こすことは出来ます。それは日常に何らかの違いをもたらすのかもしれません。ですが、その違いが変化に繋がり長続きすることはあまりありません。なぜなら、自分都合で現実を求める心が変わらずあり続けるからです。奥の心がその人の本質で、天はその人の本質に相応しい出来事を与え続けます。

変化変容がこの世界の法則ですべてのものは変化し続けます。ですが、天は人に自我を与え、自我は天の法則から離れる自由を与えられました。自我は自分だけの想像の世界を生み出し、それを持ち続けることが出来るのです。そこから自分都合の思惑が生まれるのですが、それは法則と離れたところにあり、物事の流れが滞ることになるのです。多くの問題ごとは人が持つ自分都合の思惑から発生しています。

この世界の法則は変化変容にあります。地球や太陽系は宇宙空間を常に新しいところへと動き続け、それに合わせて自然は変化し続けています。自然界の存在としての人間は同じ法則の元、変化し続けています。赤ちゃんとして生まれた人間は必ず老い死を迎えるのです。本来、心も同じように変わり続けるものなのです。そして、それに合わせて出会う出来事も変化し続けるのです。それはこの宇宙の大いなる法則と共にあるということです。

ですが今、多くの人が自分都合の思惑を持ち、その思惑が自然に生まれる心の変化を阻害し、対立や分離へと至っています。そして、その状況に対して思惑を持って改善しようとしています。ですが思惑に思惑が積み重なり、心は変わらず、状況が改善することはありません。今、多くの人の心は真の変化を拒んでいるのです。

天の法則に基づく変化変容。それは人間の意図や想像を超えたもので、未来は常に分からないものです。思惑を持ち、なんらかの結果を求める人たちはその事実に不安となるものです。そして目の前の出来事に囚われいきます。結果に執着することで心が固まり滞りが続いていく、つまり特定の結果を求めることで変化を拒むことになるのです。

今、多くの人が思惑を持つことで変化を拒んでいます。ですが、時代は人間の意図を超えて変化し続けます。イギリスのEU離脱やアメリカのトランプ大統領誕生は人々の思惑を超えた出来事です。どんなに拒んでも時代は人々に変化を求め続けます。それが今、様々なところに表れてきています。

時代は今、変化の波を起こしています。その波を楽しむのも溺れるのもその人次第です。

何が起こるか分からない。

その事実は時に人を臆病にしますが、銀河の夜明けを経て時代は光の方へと進んでいます。思惑を超えて流れに委ねていけば日常からダイナミックな人生を楽しむことが出来るのです。2月19日から開催される一ヶ月間の真学校は受講生をそんな生き方へと導きます。興味がある方は2017年開催概要をご覧ください。木の花ファミリーで会いましょう。


2016年1ヶ月間の真学校の様子です。





だからひっくり返ることが大切!!!

調べものをするために昔のメールを探していたら、2013年9月にいさどんと交わした会話に出会いました。面白い内容だったので、ここに掲載しますね。

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いさどん:

人は思考をめぐらすでしょ。思考を巡らして答えを得ようとする。僕は思考を上から持ってくる。目の前の相手に合わせて思考が下りてくるんだよね。例えば精神性を求めている相手には、そういう話が下りてくるし、あんたと話していると哲学的な話になってくる。それは前もって学んだものを話すという感じではなくて、常にその場その場に下りてくる。知恵を上から持ってきて、僕もそれを一緒に聴いていて、なるほどな~と思っている。

なかのん:

質問があるんだけれども、自分らしく生きていることと自己主張をしていることの境界ってどこにあるのかな?

いさどん:

自己主張は主張でしょ?誰かに何かを主張している。分かって欲しいと求める対象がいる。自分らしく生きることには対象はない。ただただ淡々と生きているだけ。自分らしく生きている姿は美しく気持ちがいいけれども、自己主張は気持ちよくない。正直に生きていても、それが自己主張になってしまっている人がいる。それはアピールして人に分かって欲しいと求める気持があるため。そういう人は気持ちよくない。世界と自分、両方から離れて眺め、自己主張を超えていく必要がある。

なかのん:

何かを分かって欲しい気持ちがあるか?それが一つのチェックポイントになるんだろうね。僕は、自己主張はいろいろなところに入り込むって常々思っているんだ。例えば、一生懸命に働くことの中にも自己主張は入り込む余地がある。「俺はこれだけ仕事をしているんだぞー」みたいに。

いさどん:それは誰にアピールしているの?

なかのん:みんなかな・・・

いさどん:その時はみんなと自分を分けているんだよ。

なかのん:そうか・・・アピールするってことは分けているってことか・・・

いさどん:

そうだね。僕なんかそんな感じはまったくないよ。僕が淡々と仕事をすることは木の花全体の仕事を進めることで、全体に仕事が進むのは良いことだしね。

仕事に関しては、こんなことがあったんだ。今、家を建てているでしょ。その家の壁の漆喰塗りを進めようと思っていて、特に僕の部屋の部分は自分でしたいと思っていた。僕が一番丁寧に出来るし、これからずっと眺めるものだから。でも、普段から養蜂や面談などで忙しく、加えて、蜜蜂がスズメバチに襲われるなんていう突発的に事故が入ったりして、なかなか取り掛かることが出来なかった。そこでまっちゃんりょうちんが仕事を進めることになった。まあこれも流れかなと思っていた。これには良い面もあって、もし僕が漆喰塗りに取り掛かったら、僕が主となってやることになり、まっちゃんやりょうちんには従属する気持ちが生まれてしまう。でも、僕が取り掛かれなかったことで、2人とも主体性を持って伸び伸びと仕事に取り組んでいた。加えて、2人は僕の部屋の部分は後に取っておいてくれたので、時間が出来て僕が塗ることが出来た。僕は漆喰塗りを手放した。手放したらより良い形で僕がやる流れが来た。これは覚悟が出来ているから生まれる流れ。覚悟とは執着のない心。捕らわれない心。潔い心。覚悟が出来ていると、自分がやるべきことと手放すことの冷静な判断が出来て、結果良い流れを生み出す。

人間だから僕も人間的意識で物事を体験し捉える。と同時に上の意識でも物事を捉えている。日常生活の奥には現象を生み出すバイパスがあって、そこから物事を眺めているとすべての出来後が繋がってくる。この世界は一つだから現象の元を辿りバイパスに至ればすべての出来事が繋がっている。一人一人に相応しい現象が生まれるこの世界。生きてそれを味わい自分を知りあらためていく。それは一人一人オリジナルな体験で、いつでもどこでも出来る実践。お金も掛からなければ、誰かに頼る必要もない。日常の現象からただただ自分を知って改善していく。それは最も正攻法で手法もいらない、人生オール心磨きの実践と言える。

なかのん:

日常を眺める視点を頂いたように思える。背景に流れる意図を感じ、そこから眺める。そうすると一本の糸のようにすべての現象が繋がっていくように思えた。その視点を共有したい。

いさどん:


その視点をみんなで共有しようというのが、僕がずっと言ってきたこと。視点の位置は同じでも、みんなが僕の真似をするわけではない。それぞれの個性の応じた景色が見えてくる。独自の視点から流れを捉えることが出来る。それをみんなで共有することでこの場所はもっと豊かな場になっていく。これは現象を味わう身体を頂きながら、現象の作り手の位置へいこうとする道。人間でありながら、人間を超えていく道。

☆彡 ☆彡 ☆彡

アピールするということは自分とその対象を分けているというのはまさにその通りだなと思いました。元を辿ればこの世界と自分は一つ。ならば、出会うことはすべて自分自身です。それなのに、人は現象を選り好みし、特定のものを強く求めたり、拒絶したりしています。それは自分自身を選り好みしている状態で、その状態では本当の自分を生きることが出来ません。出会うことをそのままいただいていく。そしてそれを学びにしていく。その姿勢が人を本当の自分にしていくのです。そこにアピールは必要ありません。

僕はこの会話で「日常生活の奥に流れる一本の糸(意図)」という視点を貰いました。ですが、その後の自分を思い返すと目の前の現象に右往左往している状態でした。それは当時の僕が自分の感情に囚われ、自分の思惑で生きていたからで、結局、自分の感情や視点を超えられなければ、知識でそれを知っても奥に流れる意図に至ることはないのです。

当時の僕は自分の視点で世界や日常を眺めていました。そして世界を改善しようと思っていました。これは良いことをしているようでも、やっていることは広い世界を自分の狭い枠に閉じ込めていただけなのです。違う視点を持つ人にとっては、世界は全く違うものとなります。だからその先にあるのは対立や分断、今の世界の現状です。自分の視点なんでそんなものなのです。

今の僕は世界や日常から自分を眺めています。そして、自分を知り、自分をあらためています。それは常に変化し続けるということであり、自分が変われば、出会う世界が変わります。その変化は自分の意図や思惑を超えたもので、意図して世界を変えるのではなく世界はおのずと変わっていくのです。こんなふうに生きていると日常の奥に流れる意図が感じられます。世界と自分が一つだと実感出来るのです。

僕から世界を眺める視点から世界から僕を眺める視点へ。立脚点のひっくり返しです。

これからきっとひっくり返しによって世界は一つになっていきます。そんな世界の流れを感じ楽しく生きていこうと思っている人にお勧めの講座が2月19日(日)から3月18日(土)に掛けて開催される1ヶ月間の真学校です。昨日、木の花ファミリーブログ100人でお財布ひとつの暮らし~心でつながる「経済革命」がアップされましたが、こんな学びが目白押しです。

分離と競争の社会から「分かち合い」の社会へ



2016年1ヶ月間の真学校受講生です。



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