ラベル 世界平和 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

戦争を生み出す心を超えていく

かなりの部分まで、20世紀の不平等を緩和したのは、経済的、政治的な衝撃を伴う戦争という大混乱だった。漸進的で、合意にもとづく、争いのない変化を通じて、平等の拡大へと至った例はひとつもなかった。20世紀において、過去を消し去り、社会がまっさらな状態で新たに始動できるようにしたものは、調和のとれた民主的合理性や経済合理性ではなく、戦争だったのである


HONZ「暴力と不平等の人類史:戦争・革命・崩壊・疫病」


☆彡 ☆彡 ☆彡


上記は、ウォルター・シャイデル著「暴力と不平等の人類史」に対するトマ・ピクティによる総括だそうです。耕作が始まり財を蓄積できるようになってから、平時においては貧富の差(不平等)が拡大し、何らかの理由で社会が崩壊することで貧富に差がチャラになる。人類はそんな歩みを繰り返してきたようです。貧富の差が拡大すれば、社会の中には不満が溜まります。それは戦争を生み出す土壌とも言えて、人類はその意識に相応しく、戦争という残酷な結果を頂き続けているのです。だからこそ、戦争という痛みを刻むことで、それを超える意識を育む必要があります。

8月15日。

日本にとって終戦記念日であるこの日は、戦争の痛みを刻む大切な日となっています。そんな日の大人ミーティングでジイジはこんなふうに語りました。


☆彡 ☆彡 ☆彡


21世紀に入って20年になるというのに、この生命の、奇跡の星ともいえる地球にいる人間という生き物は、本当に傲慢で自分たちの能力が高いと思っているけれども、これぐらい愚かしい生き物はないということが見えてきました。

メディアは日本の終戦を毎年振り返っていますが、犠牲者の立場になってしまっているのです。確かに犠牲的側面はありますが、その犠牲に至った過程を観ないで、ただ自分たちが受けている被害だけを言っていては、この戦争がなぜ起きたのかは分かりません。それからあまりにも酷すぎる犠牲が起きたので、いつまでもそれを忘れられないのだけれども、宇宙は常に未知なる未来に向かって進んでいるのだから、未来志向にならなければいけない時代が来ているのだとつくづく思います。

日々のニュースを見ていても、そのような、次の時代にいくという現象は見えませんが、宇宙的には明らかに未来に行くようになっています。だからそれを促すために新型コロナウィルスもあれば、50年に一度の特別警報が出るような雨が様々なところで降り、これから台風もやってきます。来年になれば、さらにひどくなるでしょう。そのうちに東南海地震や首都直下型地震が来たら経済は確実に崩壊します。それは生きていくための手段が奪われるということではなく、生き方を変えなさいというメッセージと受け取らないと、いくら反省して振り返ったところで姿勢は根本的には変わりません。今日、NHKで放映された「太陽の子」。若手物理学者たちが原子爆弾を作ろうとしていました。日本は原爆を落とされましたが、たまたまアメリカの方が開発が早かっただけです。先に日本が開発していたら、日本も確実に使っていたでしょう。そういう意味では被害者とは言えません。みんな加害者と言えます。それをしっかり振り返ってこの生活に反映させて次の時代の指針を示さなければいけません。人類は宇宙船地球号という同じ船に乗っています。生命システムは一つの流れなのにそこの中で人々は共有することが出来ないのです。多分、宇宙の法則は調和して生きることを人間に信託しているはずなのです。それをやらないからこのような大変なことが起きるのです。これは怪しい宗教の話ではなくて、物理性として神は人間にいい加減にしなさいというメッセージを与えているのです。もっと進化したヒトにならなければなりません。


☆彡 ☆彡 ☆彡


8月15日。


日本では戦争の痛みを刻む日となっていますが、それが被害者意識になりがちです。被害者意識は自分視点の表れと言えます。自分だけの視点で見ているから、自分が受けた被害が強調され、他のことが見えなくなります。それは日々の中で貧富の差を拡大させ、結果、戦争へと至る姿勢と同じものと言えます。だからもっと客観的な視点に立ち振り返る必要があります。日々の出来事は自らの心の顕れで、世界で起きる出来事は人類一人ひとりの心の顕れなのです。ということで最後にジイジが語った預言を紹介して終わりにしますね。


☆彡 ☆彡 ☆彡


「いつかこの国を司る人たちがここへ来て、こう問いかけます。『私たちはこれまで、この国を豊かな国、本当に人々が幸せな国にしようと一生懸命努力してきましたが、いくらやってもどうにもうまくいかないのです。どうしたらこの国を正しく導くことができるのでしょうか。』


それに対して、僕はこう答えます。『それは、仕組みや制度をつくることではありません。ここにある自然を見てください。そして、そこに生きる人々の心を見てください。このような心で人々が暮らせるようになった時、そこは本当に豊かな国となるでしょう。』」


木の花ファミリーの蓮池です。






大いなる意思と預言(運命)、そして人々の決意。

ハリーポッター』は魅力的な物語でいろいろな側面がありますが、そのうちの一つとして預言の物語と言えます。悪の帝王ヴォルデモートは自分を滅ぼす存在が生まれるという預言を聞き、赤子のうちにその存在(ハリー)を葬り去ろうとします。ですが、その行為により、自分を滅ぼす存在としてハリーを選ぶことになるのです。これは息子(エディプスに殺されるという預言を聞き息子を殺そうとして失敗したギリシア神話のライオス王の物語に通じるものがあります。

預言(運命)は絶対で避けることが出来ないのでしょうか?

一方、映画「マトリックス」も預言の物語と言えます。主人公のネオは周りから救世主と期待され預言者の元を訪れますが、預言者からは「あなたは救世主ではない」と言われます。それは「トリニティの愛するものが救世主になる」という預言と矛盾するのですが、トリニティはそのことは言いません。周りが間違えていたと思ったネオですが、その後自分のうちから湧き上がる感覚を信じ行動することで救世主になっていくのです。

避けようとしても避けられない預言がある一方、信じることで初めて実現する預言(運命)もあります。

僕が思うのは、ライオス王やヴォルデモートは利己的な人間で、それに相応しい預言が与えられ、利己的に振る舞うことで、それを実現したのです。もし、潔く預言を受け入れたならば結果は違ったのかもしれませんが、利己的な2人にはそんな選択肢はないのです。この二人の関心は自分自身にだけありました。そんな2人に預言(運命)を変える力はないのです。

一方、マトリックスのネオに示された預言(運命)は、自分のことというより、この世界についてのものです。だから、その預言を実現するには、自分を超える決意、強い信念が必要になるのでしょう。それはヴォルデモートを滅ぼしたハリーにも言えることです。

みんなから恐れられる存在、ヴォルデモート。

ですが、ハリーポーターの物語はヴォルデモートなしでは成り立ちません。だからヴォルデモートはとっても大切な役割を演じているのです。ヴォルデモートの特徴は、生に対する常軌を逸した執着で、自分の生を邪魔するものはとことん排除しようとします。生に対する執着。それは現在の自分の感情、認識を失うことに対する恐れと言えて、現代人の多くが抱えているものなのではないでしょうか?多くの争いや混乱を生み出している現代人、その奥には自分に対する執着があります。ヴォルデモートはそんな現代人を象徴していると思っています。そのヴォルデモートを滅ぼし救ったのは、自らの死を受け入れたハリーの行動です。自らの死を受け入れる。それは現在の自分の感情や認識を手放すことでもあり、現代人に必要で、現代人を救う姿勢なのだと思います。

それで預言といえば、ホピ族の預言が有名です。以下のホピの預言について、天下泰平ブログ「アイソン彗星とホピの予言」から引用します。

☆彡 ☆彡 ☆彡

ホピの予言を語る前に、まずホピ族とは、古代マヤ文明の末裔とされ、約1000年前に神に導かれて北米の地にやって来た人々のことで、主にアメリカのアリゾナ州に住むネイティブ・アメリカンの部族のひとつです。

神々から様々な予言を伝承されたホピ族の予言には、まるで近代社会を予知するかのような内容のストーリーが数多く存在しており、それらは岩絵などにも刻まれた“ホピの予言”として現代でも広く知れ渡っています。

34

02
※“ロードプラン”と呼ばれる岩絵に描かれたホピの予言
この岩絵は、ホピの聖地オライビ近くの岩に描かれた有名な「ロードプラン」と呼ばれる絵です。左下の人物は、太霊マサウを表しているようで、右手にはたいまつ、左手には、数千年前、ホピが地上に出るのに通った「アシ」を握っています。

アシの右に見える円は“第四世界”という今の周期の文明を示しており、長方形は地上世界への脱出口「シパプ」で、そこから伸びる上の線は、多くの人が従う“物質的な道”を示すようです。

手を繋いでいるのは、彼らが物質的な生き方で結束していることを表し、波線の示す「混沌」がその結末となる戦争と破壊への道を表しています。

ホピが従うように命じられている道が、下線に示されており、それは“伝統派の歩む狭い道”で、トウモロコシ畑に立つ長老で終わっています。彼は伝統に忠実な者たちに約束されている平和と繁栄の象徴となっています。

この線沿いには、3つの円と縦線が見えますが、3つの円は予言された“世界大戦”で、最初の2つはすでに終わり、2013年の現在までは最後の1つ“ハルマゲドン”はまだ来ていません。

最初の2つの円に続いて、上下の線を結ぶ“縦線”がありますが、これは誘惑にはまって“進歩派(上の線を歩む人々)”になり、古来の信仰を捨てる人々の離反を予言しているようです。そういった人々が、3つ目の円(最終戦争)の前に出て来るようです。

この“ロードプラン”は、まさに今の二極化の世界、そして人類の進むべき道の岐路を見事に表現していると思います。

☆彡 ☆彡 ☆彡

もしホピの預言を利己的な心から軽視したり、恐怖から避けようとするならば、ヴォルデモートやライオス王のように滅びを引き寄せることになるのではないでしょうか?

ですが、ホピの預言を平和への預言と捉え、大いなる意思を感じそれに沿っていくならば、大いなる意思の存在を信じ自分を超える決意をするならば、この世界に平和と繁栄が実現するのだと思います。

預言を生み出し、預言を実現するのは一人ひとりの心なのだと思います。ということで最後に僕ら木の花ファミリーメンバーが信じている預言、ジイジの言葉を紹介してこの原稿は終わろうと思います。この世界を本当に豊かなものにするために。僕らは心を磨いていくのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

「いつかこの国を司る人たちがここへ来て、こう問いかけます。『私たちはこれまで、この国を豊かな国、本当に人々が幸せな国にしようと一生懸命努力してきましたが、いくらやってもどうにもうまくいかないのです。どうしたらこの国を正しく導くことができるのでしょうか。』

それに対して、僕はこう答えます。『それは、仕組みや制度をつくることではありません。ここにある自然を見てください。そして、そこに生きる人々の心を見てください。このような心で人々が暮らせるようになった時、そこは本当に豊かな国となるでしょう。』」




天の意思が轟く(とどろく)トキ

ちょっと前の富士山と太陽です(^-^)


【2019年12月のジイジの会話】

ジイジ  轟く(とどろく)とは、物理的にイメージすると、どのように表現できるか。雷の発生条件が整うと、その響きを天から地に向けて響かせること。いよいよ天の意思が地上を生きる人間たちに向かって、有無を言わさず轟く(地に響きわたる)。それは、災いをもたらすものではなく、意識の目覚めを促すもの。示す意志=天の轟き。

裕子  じゃあ人の意識がすごく変わるという事?

ジイジ  人の意識が変わるどころか、世の中の仕組みが変わる。時代の方向、流れが変わるのだから、この世界が存在する意味が変わる。人の意識は時代と共に変わるのだから、人の意識が変わるのではなく、時代が変わるから人の意識が変わる。

ゆうこ  そうか、意識は変えようと思っても変えられないということは、ただ受け取ればいいという事?

ジイジ  そんなことはない。自分の中にある強い自我の意識、その自我を自分の中で回すのではなく、自我を天に向ける段階で、自我は天との共有の意志となり、その自我に天の、つまり時代の意志が下りてくる。そうしたら、その者自体は時代の申し子であり、世の中のために生きることになる。しかし、どの方向に向かうかという意思は自分の中で決めなければいけない。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この会話でジイジは、「いよいよ天の意思が地上を生きる人間たちに向かって、有無を言わさず轟く(地に響き渡る)」と言っていますが、今年に入り世界中で広がっている新型コロナウィルスはまさにそのような存在と言えます。だからこそジイジは今年の3月、コロナウィルスについて以下のように語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡


新型コロナウィルスの登場は、劇に例えるなら、物語のクライマックスとなる役者の登場のように感じます。それは、その劇を観ている観客達や、劇を演じている登場人物達が待ち望んでいたものですが、皆それまで劇に浸りすぎていたので、それが待ち望んでいた人物の登場であることを忘れてしまっていたのです。
これは、新たな劇の進行の予言のようなものです。そこで私たちは、なぜそれが登場したのかを理解し、その登場したものに対して敬意を表すると同時に、今までその存在を忘れて敬意を表さずにいたことを振り返る必要があります。忘れていたことに対する振り返りをしなければ、敬意を表することはできないのです。

 ~ 中略 ~

本来、人類が存在すること、生命が生きることは、私たちの手の内にはありません。そのことを理解するために今回の出来事が起きていることに気付いたら、この出来事は、私たちが生きていることは、この世界を創造する大いなる存在との連携の元にあるのだという、生命としての本来の立ち位置へ、人間をいざなってくれることでしょう。そのように捉えれば、私たち人間は今、このささやかな投げかけを厳粛に受け止めていく姿勢が必要なのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

僕たちが忘れていたことを思い出させるために新型コロナウィルスは広がっています。何を忘れていたかというと、「生命が生きることは、自らの手の内にはない」ということです。木の花ファミリー通信2020年夏至号「コロナウィルスはメッセージ~世界は人類の思い通りになるか」ではそのことを以下のように表現しています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

私たちは、地上に光を注いだり、雨を降らせることができるでしょうか。毎日朝が来ることを、四季が巡ることを、地球が回ることをコントロールすることができるでしょうか。

産業革命以降、人間はまるで自分たちの力で世界を動かしているかのように振舞ってきました。しかしよく見てみれば、世界は人間の力で動いてはいません。毎日が来るのは私たちがカレンダーをめくりスケジュールをこなしていくからではなく、地球が回っているからです。地球も月も太陽も、他のあらゆる星々も、私たちの日常をはるかに超越したスケールで宇宙を巡り、それによって世界が動き、その中で私たちは生かされています。

その巨大な世界に秩序をもたらしているのが、時です。宇宙の万物はこの絶対の柱に沿い、過去から未来へと進み続けます。もしも時をさかのぼって地球が逆回りをしたり、死者が生き返るようなことがあれば、世界は秩序を失うでしょう。決して例外なく万物が絶対の約束のもとにあるからこそ、秩序が保たれているのです。

そもそも、この世界を生きることに、自由などないのです。誰も地球をコントロールできない。では自分のものだからと心臓をコントロールできるかと言えば、それもできない。眠ることを、呼吸することを、歳を取ることを、誰が思い通りにできるでしょう。私たちは決して抗うことのできない絶対の法則の中で命を与えられ、生かされているのであり、生きることで自らの手の内にあるものは何もないのです。それなのに、人間はすべてを自らの思い通りにしようとし、他者の思い通りになることは否定するのです。その結果、他者との共通点を見出すことのできない人々は、自らの創り出したものに支配されていくことになるです。

生命とは、生態系の循環の中でそれぞれの個性にふさわしい位置を与えられ役割を果たすものであり、本来自由でもなければ、平等でもありません。しかし人間社会は、民主主義という見せかけの自由・平等の世界を創り、自我から生まれる願望を一人ひとりが際限なく自己主張することが権利であり、進歩した世界であると思い込み、それが麻薬のように広まって、生命の本質からどんどん外れていきました。本来、生きることには優先順位があり、第一優先事項を第一番目として、二番目や三番目を一番に持ってきてはいけないのです。現代の人々は、自我の欲望から生まれる五番目や六番目を第一として生きています。だから世の中が狂うのです。新型コロナウィルスは、その狂った世の中の実態を暴き出し始めたのです。

そのメッセージに気付かず、人間がこのまま進み続ければ、世界はより過激な第二、第三の刺客を送り込んでくることでしょう。人々はコロナウィルスを、抑えても抑えても増殖して自分たちの生活を脅かす脅威と捉えています。しかし地球の側の視点から見れば、人間こそ、抑えても抑えても増殖し、地球の資源を貪り、他の生命を傷付け、生態系を破壊していく極めて有害な存在であると言えるのです。その人間の在り方に対し時代がNOを出し始めた今、私たち人間は、欲望のままに生きる自我の側から、その自我をはるかに超越し、私たちを生かし続ける世界の側へと視点を転換させ、自らの生き方を根底からひっくり返す必要があるのです。
☆彡 ☆彡 ☆彡

自らの想い通りにしようとし、際限なく欲望を広げた人類は、自ら生み出した欲望に支配されるようになっています。例えば、お金。交換をスムーズにするために生まれたお金は今、欲望の対象となり、人々はお金を求め、お金がなければ生きていけなくなっています。それは生命の本質から外れた世界であり、狂った世界と言えます。そんな世界に対して、これからは「天の意思が地上を生きる人間たちに有無を言わさず轟く」のです。それは新型コロナウィルスだけの話ではなく、これからずっと続くことです。それが2012年12月21日、銀河の冬至を超えたトキの流れであり、時代からのメッセージなのです。


2億2600万年掛けて銀河系を1周する太陽系。それは螺旋を描きながら公転していて、その1螺旋が2万5800年。人類はその太陽系の螺旋と共に長らく闇へ闇へと進んでいました。そのピークが2012年12月21日であり、それを境に天体は光へと進んでいます。だからこそ人類もその天体の意思に沿う必要があります。

闇へと進む間、人類は見せかけの良さ、見せかけの美しさの中で物事を曖昧にし、たくさんの矛盾を生み出してきました。曖昧にし、表面を取り繕う中で、他に生かされていることを忘れ、自らの欲望を許し際限なく追い求めることで見えない闇を広げてきました。その見えない闇がコロナウィルスなどの明快な問題ごとを生み出しているのです。それは一人ひとりの何気ない行動が生み出していることで、そのことをジイジは以下のように表現しています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

発音が曖昧ということは、言葉が曖昧ということです。言葉が曖昧ということは、意味が曖昧ということです。意味が曖昧ということは、コミュニケーションが曖昧だということです。そうすると、自分の思うことも相手に伝わらず、相手の言うこともわからないまま適当に解釈することになって、曖昧な人間関係をつくることになっていくのです。そのように意識しないうちにすべてのことを曖昧にしていくと、やっていいことと悪いことも曖昧になります。そして、自分の行動に矛盾が発生してもそれをいいとも悪いともはっきりさせないまま、ただ都合のいい豊かさだけを追い求めていくからその豊かさも曖昧になります。そういった一人ひとりの小さな行いを曖昧にしていった結果、地球上にたくさんの矛盾が積み重なっていったのです。そして今、明快な災害が起きるようになりました。


☆彡 ☆彡 ☆彡

そんな現代の人々に必要な取り組みについてジイジは以下のように述べています。
☆彡 ☆彡 ☆彡
僕が今、考えているのは、人というのは自分を良いものだというふうに見せてカモフラージュしている。だから、正直でないことが染み付いていると、わからないことはこういうふうにしていこう、と見せたいものなのだ。自分の許容範囲の中に収めていきたいものなのだ。ところが、実際の人間というものは、日常親しく付き合っていればボロが出てくる。しかし、いちいちそこで問わない人間関係であれば、そんなことは誰も問わない。穏便にいけばいいから。お互いに自分の許す印象が維持されていれば、それでいいわけだから、それに言及しない。

ところが、それでは生きているという意味からしたら、人間は生きることによってただこの世界に役割を果たしているのではなく、自らのカルマというものを浄化するために生きている。だから、人間の生きる目的からは外れている。それをノーチェックでいって、そこに矛盾やエネルギーがたまっていけば、ぶつかったり、悩んだり、中にはうつ病になるものも出てくる。

そこに対して、その行動を理解して果敢に挑戦する気が自分にあるかどうか。そこをごまかして、自分に挑戦しないで、逃げている。それを自分だけの問題だと思っているのだが、それが世界の空気をつくっていく。

ここで難しいのは、自分の癖・性分というものは捨てるものではないということ。癖・性分というものは直すとか捨てるとか、そういうものではない。癖・性分というものは、有効に生かすというところで、初めて変化をもたらすことができる。そうすると、人は癖・性分を有効活用するというところになかなか行かないものだ。だから、同じことを繰り返す。

そこで、癖・性分を有効活用するにはどうしたらいいのか。まずは出来事を癖・性分で受け取っているのだから、出来事を客観的情報として冷静に分析する力を身につけないといけない。しかし、自分から離れて事象を観ることは難しい。それに一喜一憂している自分に対して、自分から離れて、それを観る。しかし、それは簡単にできるわけがない。一生の問題だから。

そのときに、それが可能になるのは真剣に取り組んでいく姿勢。真剣でも、方向が間違っていたら、同じような滞りが繰り返し起き、そのうちに嫌になって、やる気がなくなり、ダメになるというものも出てくる。一生懸命だったって、ただ一生懸命やっていると、ダメになる一生懸命もある。

☆彡 ☆彡 ☆彡
物事を曖昧にし、表面を取り繕いながら一生懸命に努力しても改善にはつながりません。これから轟き続ける天の意思は真実の光の下にそんな姿勢を暴いていくのです。だから、本質に向き合わず対処療法を続けていても問題ごとが治まることはありません。思惑を手放し真実に向き合う勇気が必要になります。そして自らがこの世界に生かされていることを思い出し、自らの意思を天に沿わせたトキ、真実の光の下に一人ひとりの癖・性分が生かされ、この世界に調和の響きが広がっていくことでしょう。

今、天の意思が地上に轟くトキを迎えています。

毎日の生活を美しく生きていく

時代が令和を迎えた今年の5月、ジイジはこんなふうに語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡


これからの時代がどれほど困難であるのかは、行ってみなければわかりません。平成は、その困難な時代の予告編だったのかもしれません。令和になり、いよいよ本番です。ではなぜその本番を与えられたのかというと、その先があるからです。
過去6億年の間に6回大量絶滅を繰り返してきた地球の生命の歴史に照らし合わせてみれば、現代を生きる人類は、次の生命大量絶滅の引き金となるかもしれません。人々は、何かが壊れる前はそれを守ろうとします。そして壊れれば、それを惜しみます。しかし、壊れるからこそ新しいものをそこに表現できるのです。それは、大量絶滅をするたびに進化してきた生命の歴史と同じです。
ですからやはり、壊れなければなりません。そこで、積極的に壊れていくことを喜べる生き方とは、どのようなものでしょうか。それは、使えるものを壊していくということではなく、価値観を変えていくということです。出会ったことをポジティブに捉え、変化することを喜ぶ。その時の変化は、進化になります。
変化は積極的に喜びを持って受け入れるものですが、現状の自分を守ろうとすると、出会ったものを拒絶したくなります。さらに、その自分に執着すると、変化は苦痛になります。それは、地上にいて地獄を生きることとなるです。しかし、それが喜びとなった時、尊いものへと向かう目覚めが始まるのです。

火山が噴火する、地震が起きる、台風もたくさん来る。そういう日本にいて、それが喜びになる。大変なことがあるから、大調和になるのです。それが大和という国であり、その証として、令和という時代がいよいよ始まったのです。

令和は、平成よりも物理的にはさらに厳しい時代となるでしょう。それを、大調和を持って乗り越えなさいということです。その厳しさは、ただ乗り越えるためではなく、大調和することを呼び覚ますためにあるのです。これから、今までに人類が積み上げてきたものがどんどん壊れていく時代が始まります。それを乗り越えるために必要なことは、力を合わせること。そして、壊れた先には、これまでに出会ったことのない新しい世界が待っているのです。そのことを、令和という時代は、私たちに示してくれているのです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

そしてトキは進み、天皇陛下即位の礼が行われた今年の10月、木の花ファミリーで毎月行われる誕生日会では、「いのちの歌」の合唱が歌われ、感動的な時間が生まれましたが、そこでジイジは以下のように語りました。

☆彡 ☆彡 ☆彡


この歌は感動的ですよね。こういう歌が堂々と日常の生活の中にあることを素直に歌って、それがこういう歌に繫がらないといけないと思うのですが、実際に今、世界は汚れてしまっています。それが悲しいとかそういうことをジイジは言っているのではなくて、だからこそ世界を美しくしなければいけないのです。誰が世界を美しくするのですか?うっかりしていると自分も汚す側になりますよ。もう既に汚す側になっているかもしれません。テレビなどいろいろなところで感動的な場面に出会ったとしても、実際のこの世界が汚れていたら、偽物ですよね。それを本物にするために、それを誰がするかといったら、それに気づいた人たちが「これではいけない」と自分の一歩を、きれいにするための一歩を歩まないといけないのではないかと思っています。

ジイジ、爺さんですし、こんなセンチメンタルな話をするのは似合わないかもしれませんが、この爺さん、心は誰よりも美しいつもりです。だからとても真面目に世の中をきれいにしようと思って生きていますが、ただ表面的に感動しているだけではなくて、実際にそういう世界を創るための毎日をみんなが生きないと、みんな偽物になってしまいます。

千葉県はこないだ凄い洪水があったのに、そこにまたたくさんの雨が降りました。今日だけで10月一か月分の雨が降ったと言います。どうしてそんなことになるのでしょう。それは天気が悪いのでしょうか?何かしら人間の在り方が間違えているのだと思うのです。だからこういう歌を歌って、感動したりきれいな場所を創るのもいいのだけれども、大事なのは毎日の生活を美しく生きることです。ここはそういう場所になるのに相応しい、もしかしたら、世界でたった一つの場所かもしれません。爺さんなのに、こんなコメントして恥ずかしいのですが、本当にそんなふうに思っています。

今、世の中のいろいろを想うと、気が変になりそうです。人間たちは変でしょう?だから気づいた人が良い生活をしてその見本を示さなければなりません。みんなにそういうことをお願いして、そしてジイジは絶対にやります。

☆彡 ☆彡 ☆彡

毎日の生活を美しく生きること。それこそ令和の時代に求められる大調和の精神です。そして、それは4年前の10月2日、大人ミーティングで紹介されたオーロビルのマザーの言葉、そしてそれを受けたジイジ(当時はいさどん)の言葉に通じるものがあります。以下、まずはマザーの言葉から紹介しますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡

The Mantras of Bliss and Transformation !

Are you ready to change yourself completely?
You will have to throw off your ideas,ideals,values,interests,and opinions.
Everything will have to be learnt anew.
If you are ready for all this,then take aplunge;
otherwise don't try to step in.


至福と変容のマントラ

完全にあなたを変化させる準備ができていますか?
あなたは自分の考え、理想、価値、興味、意見を捨てるでしょう。
全ては新しいものとして学ぶべきことです。
もしあなたがこうした全てに準備ができていたら、飛び込んで。
さもなければ、それには踏み込もうとしないことです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

そして、この言葉を受けてジイジは以下のように語ります。

☆彡 ☆彡 ☆彡

あなたは自分の考え、理想、価値、興味、意見を捨てるでしょう。」というマザーの言葉。それは自我を捨てて、天のままに生きるということです。

僕は昔、それを天のマリオネットと表現しました。
でも、その考えは今は変わっています。

昔、夜、外に出て上を見て、月が出ていれば月、星が出ていれば星、
曇っていたら、その上に星や月を想像して語っていました。

「神さま、私はあなたの意志に沿うものです。」

そうすると、そういうことを語っていた時、その間違いに気付きました。
「あなたの意志に沿うものです」ということは、
あなたという意志があって、そして、それを受けている自分がいるということです。
でもよく考えてみたら、あなたという意志はわたしに表れています。
だから、本当のそれが通じた時に、私の意志はあなたそのものなのです。

あなたはわたし、わたしはあなた。

その時、「神さま」とそこに気持ちを向けたり、
「あなたの意志」というようにそこに特定を持った時に、
すでに自分、自我を成立させているのだと気づいたのです。

まわりてめくる。

すべては新しい出来事として学ぶべきことです。
常に新鮮で新しい毎日が来るわけですから。

これを世間の価値観で生きる人たちはなんだろう?と思うかもしれませんが、
すべての人が行きつく先はそこなのです。
まだ社会がそこまで熟していない時に、我々が先駆けとしてこれをやっています。
その構造が分かるならば、本当にそのことの貴重さ、尊さ、有難さを思って、
あっさり一目散にそこに向かうでしょう。

~ 中略 ~

我々は何をするかというと、僕と同じような話をみんなにしろって言っているのではないのです。「みんなで」という気持ちで暮らし、それを人々に見てもらいたいのです。こんな素晴らしい世界がいっぱいに広がって欲しいから、人々に見て欲しいのですよ。たったそれだけです。

それは日常、みんなが気持ちよく「さーと」心が通っていって、
「ああこれだったんだね。これがやりたかったんだね。」
そういうことを言葉ではなく空気を感じて、
「神さまの目的はこういう世界だったんだ」と理解することです。

これはとても身近にあって、アカデミックでもなんでもありません。
哲学とか立派な話でもなんでもありません。

「あぁ、いい空気だね。」
「こういうところに生涯身を置きたいね。」
「こういう生き方を自信を持って、安心の場所でやりたいね。」

そう感じたら誰だって出来るんですよ。

僕はこういう話をしばらく避けてきましたが、
みんなが僕の気持ちに共鳴するならば、
僕からどんどん発信されて、「そうだね、そうだったね。」となるんだったら、
いくらでも話す価値があるなと思うのです。

でも待ちの姿勢で話を聴いて、良い話だったねとなって後で忘れていくならば、
僕もジレンマを感じてしまいます。

みんなで良い響きを生み出していく。そんなふうでありたいです。

なので、お願いだから、人の心を調整するような時間をこの場に持ち込まないで下さい。
自分の心は自分で調整して下さい。もうそういう段階です。

それでも、残念ながら、充分に果たせなかった時に、それを投げやりにならないで、表に出して、みんなにそれを正す方法を請うて下さい。自分に実力がないのですから。

そして、みんなに助けてもらって、心から「ありがとうございます」と言って進んで下さい。そうしたら、あなたの未熟も「良い場創りに役だったね。」ということになります。

みんなが他者のことを思い合う。
そういう心の表現に繋がるのですから。

だから未熟でもいいのです。
本当にみんなに託していく。そういう場創りが大切です。
そしてそういう場はいつでも表現出来るのです。
道を難しい道だと思わないでください。



☆彡 ☆彡 ☆彡

本当にみんなに託していく。そういう場創りをすることで、一人ひとりの未熟がみんなの中で生かされていきます。毎日の生活をそういう美しいものにしていくことで、これからの厳しい時代を恵み多いものに出来ます。それが僕ら木の花ファミリーが表現していく暮らしです。


ジイジ(真ん中)と木の花ファミリーのみんなです。


牡牛座満月です(2019年11月12日20時20分頃撮影)


軌道修正 ~糊(のり)を使って目覚めていく~

ただそこにはええかっこしいのみがあった。

人々は理想を語る。そして平和を目指し人のためになろうとする。
だけれども、その動機はええかっこしいだけだったから、
行動に魂が入ることは滅多にありませんでした。
そして思うように進まないことで、落ち込んだり怒ったり不貞腐れたり。
そんな心が、対立や争い、混乱を生み出していきました。

そうやって人々は嘘つきになっていくのです。
けれども、人々には嘘をついている自覚がありません。
ええかっこしたいという気持ちは本当だから、
自分は人のためになろうとしていると信じ込んでいるのです。
思うように物事が進まないのは、周りが悪いから。
自分は全く悪くない。自分はよい人間。
そう信じ込んでいるから、全く嘘をついている自覚がないのです。

そうやってよい人間だと思い込んでいる人たちが集まって、
世界に対立と混乱は広がっていきました。

そしてトキは進み・・・・

政治や経済は混乱を極め、気候変動による天災が多発するようになる中、
そんな世界の状態に疑問を持つ人々が表れました。
そして世界をありのままに眺めることで、彼らは気づいたのです。

実態は語る言葉ではなく、出会う現象に中にあることに。

ええかっこしたいならば、まずは自分の実態を把握し、
日々の生活を大切に丁寧に整えていく必要があります。
そうすることで初めて人のため、世界にために生きることが出来るのです。

その事実に気づき彼らは軌道修正をしたのです。


そうして世界は少しずつ変わっていきました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

2019年、木の花ファミリーのテーマは「軌道修正」です。そのテーマはジイジのこんな言葉から始まりました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

2019年のテーマは、「軌道修正」と出た。それは、人類の歩みの方向転換である。そこで何を軌道修正するのか。それは、人間たちの歩んできた一時見た夢が幻であることに気付き、その夢から覚めて、この実相世界の真実に目覚めること。それは、視点を拡大し、世界観が広がらなければ観えないものである。何びとも、この世界に生きるということは、実相世界の時代の波に翻弄されるが、人間以外のものは翻弄されずにその波のままに存在しているだけである。人間たちも、いよいよそのサイクルに戻る時が来ている。今、時代と共に軌道修正の波が来ているにもかかわらず、今までの幻影を追いかけて歩んでいては、時代の波に乗り遅れる。だから、来年のテーマは「軌道修正」と出た。

そして、これからいよいよ群れの時代が始まる。今まで社会は個のパフォーマンスを表現する時代だったが、いよいよ群れの時代の幕開けだ。群れで生きていかなければ、これから生きられない時代が来る。今までの社会は、個人がテーマだったから無駄が多かった。それが群れになって繋がると、無駄はなくなる。これからは無駄をなくさないとこの時代の変わり目に、今までの無駄のツケは乗り越えられない。そういった時代のうねりを敏感に感じる人であることが求められる。つまり、時代のパフォーマンスを感じ取れるセンサーを人間一人ひとりが持たなければ、この変わり目において見当違いな方向にまた進んでしまうことになる。それを正しく見極めなければ、生きることの矛盾や自らの人間性の狭さ・小ささ・低さの実態が明らかになるだろう。だから、広い世界観がいよいよ必要な時代になってくる。


☆彡 ☆彡 ☆彡

そしてトキは進み、2019年10月5日、大人ミーティングではこんな文章がシェアされました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

あの不良品たちがうちにいるだろう。あれを何とかしてください、と言ったら、あれは糊であると天は言うんだよ。我々と何か(道)をくっつける糊であると。それで、糊というものは、そのもの自体は必要としない。しかし、それがあることによって、あるものとあるものがくっついて新しい役割が果たせるものができる。だからとても必要なもの。糊は使ってしまえばその存在は不要になり、存在すら忘れられる。しかし、そのものの働きは、糊によって維持されるわけだよ。だからとても重要なものでもある。
例えば、問題ごとが起き行き詰った状態をどう捉えるかということも、それが問題だと思えばそこからレベルアップするためのきっかけになる。しかし、その現象を通り越してしまえば、問題事があったことすら忘れてしまう。なぜその繰り返しの位置にいるのかといえば、振り返れば、繰り返しの問題ごとがあったからといって、その者はその位置にその性質をもってあり続けている。これはわかりやすい分析で、もっと多彩なメッセージがそこに隠れていると解釈すれば、不要なものは何もないという解釈の延長にある。


☆彡 ☆彡 ☆彡

この文章を受けて、ジイジは以下のように語りました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

どんなものでもこの世界は対向発生、2極で出来ています。そうすると自然界、人間以外のものは、そのどちらかに偏ってものを解釈するということをしません。対象のものがあって自分が存在しているだけであって、自分の存在が対象のものを育てているし、逆に対象のものがあるから自分が発展していっています。そうすると、物事の捉え方、価値判断の位置によって、善い悪いと判断することはありません。ですが人間は、自我に囚われて、囚われている自分の位置に固定することで、有害なものになってしまうのです。つまり対向発生の世界でありながら、そうではない解釈のもとに生きることで、生きることが無効となり繫がりを失っていきます。だけれども、対向発生の位置に立って、自我がそれを認識するというところにいけば、どちらの側にも立たないで、全体を認識することが出来きます。その認識に至ると、どんなに間違えに思えることであっても間違えではなくなります。なぜなら、間違えが生まれるのは正しいという認識があるからであり、もしもこれが正しいという認識をなくしたら、間違えもなくなります。それで間違えという認識をなくしたら、正しいも正しいとは言えなくなります。事実はただそこにあるだけです。

・・・という解釈をして、それでも最終的にはある特定のところにいくのです。それは、大いなる存在である「あなた」のところ。「あなた」という存在は何者なのかと言ったら、世界は対向発生で出来ているのに、「あなた」という存在は、もともと対向発生を超越したところにいたのです。それで自分だけだったから、その状態が限りなく永遠と続いたから、「私は存在しているが、私は何者なのか。私が私だけである限り、私は私の存在が分からない。」という状態でした。それで興味を持ち、そのために自分を割いて遠くへ投げました。そして、遠く離れた向こうからこちらに還ってくる「道」を創りましたが、自らを遠く投げた時点で空間が生まれて、還ってくるという「道」を創ったことで時が生まれて、時空が発生したのです。これが宇宙の始まりです。

だから、不良品という話をここでしていますが、「あなた」自身が元々、不良品だったのです。すべての存在は、「あなた」の生き写し、人間は神の分け御霊だから、不良品なところも分け御霊なのです。ですがヒトには「あなた」へと還る道があります。

もうそろそろ不良品たちは、糊として生きるのではなくて、糊が生み出す次の状態のものとして生きることが求められています。それが宇宙のプロセスです。糊では面白くありませんよね。糊でくっつけて出来上がったものが目的で、糊自体は目的ではありません。モノがくっついていないうちは、糊は重要ですが、くっついてしまえば、糊は忘れられます。だから糊ではなく目的のものにならなければならないのです。あれでは駄目だよな~ということを引き起こして、そこから学習しなければ、そのものは他者が学ぶための糊に過ぎません。ですが自分の行いでも、アホなことをした時、それを見て、次のプロセスに行くネタにしたら、自分を糊として、次の段階のものとして生きることが出来ます。同じ失敗を繰り返す必要はないのです。

たとえば、ライオンがシマウマを食べることは殺戮とも言えます。ある視点からはイメージが悪いことですが、その行為があることでライオンは生かされ、シマウマも数が調整され生かされています。そうするとその行為は循環のための糊と言えます。そしてシマウマはなくなりライオンへと完全に形を変えていきます。同じようにすべての出来事は循環、進化のための糊となり、次の目的のものを生み出していきます。

だから、今、目の前のあることをしっかりとやる。余計な心を持たない。そして、しっかりと稼ぐ(笑)。ここが充実するということは、この精神が世の中に広がるということです。ここが経済的に安定しているということは、ああいうふうに生きると、争わず競争せずに安定して生きられることを示すことになります。不安がない、そういう本来のヒトの在り方、必要とする糊をいっぱい使って目覚めていくプロセスを示すのです。そうやって糊を活かして、目覚めの道を歩んでいくと、ああいう結論になって、世界の根本まで理解できる悟る(差取る)という世界にいくということを示すのです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

気候変動や異常気象、戦争や紛争など。

今、世界では様々な問題が発生していますが、それらは人間の愚かしさの顕れです。その
愚かしさから道の尊さを実感すると、愚かしさは人間と道をくっつける糊となりますが、愚かしさに価値があるわけではありません。

個がテーマの時代は、自我を思い切り表現することで、自我の愚かしさを表現してきました。そのことを見通すことで、その認識を糊とし、群れとして繋がって生きる。そういう軌道修正が今、必要なのです。その先にある世界は、一人ひとりがヒトとして目覚め、人間を含めた地球生態系を一つの群れとして仕上げた世界です。それがどれほど尊いものかは、今の僕の想像を超えています。ただ、そこに至るように。今、目の前にあることをしっかりとやるのです。

木の花ファミリーのみんな@稲刈り神事です。

希望は思考の奥から湧いてくる

どんなに希望を見出そうとしても思考からは希望は生まれない。希望は思考の奥から湧いてくる。それは自分を生かしているこの世界の法則であり大いなる意思の力。そこから希望は湧いてくる。その力なしでは思考は空虚な空想となっていく。だから、思考は、大いなる意思に沿って展開するといい。そうするときっと、思考は希望の顕れとなり、人生は、人智を超えて無限の可能性に開かれていく。

☆彡 ☆彡 ☆彡

上記の言葉が僕に湧いてきたのは、ある日の大人ミーティングでジイジの話を聴いてから。その話はこんな感じの話でした。

☆彡 ☆彡 ☆彡

第二次世界大戦。当時の日本人は、全然違う情報を貰って、多少足並みの乱れはあったものの、国中が一丸となって、正しいと信じて、国策として戦争に突入し、その結果、日本中が焼け野原となりました。そしていよいよアメリカ軍が上陸してくるという時、人々はみんな竹やりを作って戦う準備をしていましたが、終戦を迎えて日本は負けました。その後、だんだん分かってきたのは、自分たちが聞いていた情報はまったく嘘だったということです。勝利どころか惨敗で、初めから勝てるわけがなかったのです。それで負けたのだと意気消沈していたところに米兵が上陸してきますが、そうすると日本人は、「男は全部、強制的に去勢される、日本人の種を無くすために。女は、米兵を見たら振り返ってはいけない。振り返ったらOKですよと言っているようなもの。笑うなんて絶対に駄目。もしも米兵が来て自分に近づいてきたら、自分は生理だと言いなさい。」ということがまことしやかに広がったといいます。
実際に米兵が来たらそんなことはなかったのですが、ではその発想はどこから湧いたのかと言ったら、日本人がそういう発想をしていたということです。何も情報がないのにそういう発想が出るということは、自分たちが、米兵が憎くて、「あいつらが来たらこうしてやろう、ああしてやろう」と思っていたからです。自分たちの心がそのような発想を生み出したのです。だから自分が発したことは自分の中にあることです。それを「ああだったから、こうだったから」と理由を話しだしたら、自分と向き合うことにはなりません。

そして、満州からは日本人の引き上げがありましたが、関東軍はソ連兵が満州に侵攻すると、何も言わずに逃げてしまって、残された満蒙開拓団の民間人は、なんか変だと思っていたら、ソ連兵による攻撃を受けて逃げ惑い、中国人は自分たちの田畑を奪いに来るのです。もともと日本人が中国人の田畑を取り上げて開拓に入っていたのだから、奪いに来るのは当然です。それでも中国人は意外に穏やかだったといいますが、ソ連兵は残虐でした。ソ連の精鋭部隊はヨーロッパ戦線に使われていました。そのためシベリアなど東方に向ける軍人が不足し、囚人を使うようになりました。囚人だから秩序が全くありません。もともと犯罪者なのだから、略奪や破壊、殺人、強姦を繰り広げます。満州の日本人はその中を逃げてきました。

人の生き方、死に方にはいろいろありますが、そういうふうに民族全体が狂っていた頃がありました。でもそれは団結することで正義になってきたのです。だから本当に真面目に振り返らなければなりません。戦争で、人類は正義を旗印にどれだけ残虐なことをしてきたか、そういうことを本当の学びとしていくにはどう分析しどう解釈したらいいのか、そういうことをしっかりとやっていかないと、命を懸けて狂った過去の犠牲を蔑ろにすることになります。

中国が建国70周年の式典で、その豊かさと繁栄を祝いましたが、それを誇るのが兵器、軍事力となっています。軍事力をもって何を誇り、祝うというのでしょうか。ですが、それが今の人間の実態です。日本では憲法9条改正の議論がされています。攻撃は最大の防御と言いますが、その奇妙な恐怖から人間が人間を信頼できなくなり、兵器を持って平和が保たれています。これは本当におかしな状態と言えます。

それで最近気づいたことがあるのです。あることに思考を巡らしている時に、思考と思考の隙間に出会います。あることに思考を巡らして一段落した時、次の思考に行く前に思考の隙間があるのです。その時にぱっと湧いてくるものがあります。それは思考ではありません。思考ではないもの。「だからもう一回、一からやり直そう」という想いです。生きていればいろいろなことに出会います。ドジをすることもあります。だからそれを良く振り返ってしっかり腹に落として次に生かすのだと。そういう想いが湧いてくるようになっています。それが生きているという証です。

そこで何回も同じことを繰り返すということは、生きているということに相応しくない思考をしているということです。生きているということは現象に出会うということ、現象に出会うとは、自分の言葉が具現化するということ、そして自分の行動が具現化し、自分自身が具現化します。具現化したことに対して、それを分析し、「だからこう生きるのだ」と学ぶことでヒトは成長していくのです。その繰り返しの中で、いろいろ振り返って、「だから満足だ、だからいい人生だ」と思えた時に逝く。それが人生を全うすることになるのです。

私たちは生きているのが当たり前になっているから、思考しているということは知っていますが、その思考と思考のつなぎ目の空間に生きていることの意味や癖があるということを知らずにいるのです。僕は最近そのことを発見しました。生きるということはそういうことなのです。生きるということは、一つの出来事が終わって死んで。次の出来事に出会い、誕生する。そして成就して終わって死ぬ。瞬間瞬間、生きる死ぬの繰り返しです。人の一生も魂の輪廻もそれと同じことでサイクルが少しずつ長くなっているだけです。つまりは枠の違いです。そして魂という大きな枠で捉える時、死に方の大切さが分かります。死に方を考えるということは、もっと身近な生き方を考えるということで、そしてもっと身近な瞬間瞬間を考えないといけません。この大事な想いは思考では生まれてきません。思考と思考の隙間の気づきによって生まれてくるのです。

魂の輪廻転生の仕組み:木の花ファミリー通信「ある世界とない世界」より


☆彡 ☆彡 ☆彡

思考と思考のつなぎ目の空間にある生きていることの意味や癖

そこに意識を向けることで、僕らは思考を自我から取り戻し健全にしていけるのだと思います。そしてそのことが、大型台風をはじめとする数々の災害に見舞われる現代社会の希望となっていくことでしょう。ということでそんな希望を語っている木の花ファミリー通信第99号「カタカムナ」からの文章を紹介してこの原稿は終わろうと思います。

☆彡 ☆彡 ☆彡




全身全霊とは、全身を構成する数十兆の細胞がパラボラアンテナとなり、脳の思考ではなく全身で響きを感受し、その響きを自らの命に染みわたらせ、言葉や姿勢を通して表現することを言います。私たち生命は、この世界を単独で生きているのではありません。まず大宇宙があり、その中に銀河があり、太陽系があり、地球生態系があり、人類がいて、私たち一人ひとりが存在しているという生命の序列のもとに生きているのであり、すべての生命は一番の大本である宇宙の根本原理に基づいて存在しているのです。自然界の動物や植物は自我による汚染がないため、細胞のDNAが純粋に宇宙と呼応しています。ですからその生命活動は、教わらずとも宇宙の仕組みを反映し、美しい表現となるのです。それに対し人間は、進化の過程において唯一、思考を持つ生きものとなりました。そしてその思考を自我によって実現する能力を与えられたことで、自らの欲望を満たす快感の虜となり、自我を肥大させ、自らが宇宙と呼応する存在であることを忘れてしまったのです。そして宇宙の根本原理から外れることで、現代人は今、生命世界を汚染し、破壊する存在にまでなっているのです。
人間が再び宇宙と呼応する存在となるために、私たちはもう一度、思考を自我から取り戻す必要があります。自我に翻弄されるのではなく自我をコントロールする立場に立つことで、思考を宇宙と呼応させるのです。その時に宇宙と対話するアンテナの役割となるのが、全身の細胞の中にあるDNAです。私たちが生命として生きる時、全身の細胞は既にその生命原理を持ち合わせ、女は女のように、男は男のように命を表現し、人生を全うします。それと同じように、宇宙生命の一部である私たちのDNAには、宇宙の始まりから終わりまでの情報が眠っているのです。そこには未来への設計図があり、私たちは生命として生きることで、それを体験という形で、次の時代への英知としてさらにDNAに刻んでいくのです。
その自らを自我の囚われから解放した時、私たちは本当の自由を生きることになります。「クニ」という思念をカタカムナでひも解くと、それは国境で区切られた領土のことではなく、自由「ク」が定着した場「ニ」を示しています。それが、クニ(地球)を生きることの真の意味です。自らを解放し、全身全霊をもって宇宙に語りかけ、全身全霊をもって宇宙からのメッセージを受け取るのです。
その時に、宇宙根源の純粋で美しい響きがあなた自身から発せられ、この世界に響き渡ることでしょう。その響きは、世界の歪みを解き、生命に活力を与え、壊れたものは自ずと修復され、正常に戻っていくことでしょう。それが天然循環の世界であり、カタカムナを生きるということなのです。


Your left Slidebar content. -->