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円が縁を紡ぎ、宇宙の中心へと繋がっていく

自分がここにいる理由を考えていた時、「結局、縁なんだよな」という言葉が浮かんで来ました。そして、その言葉をきっかけにいさどんブログ「円が縁を紡ぐ~人間からヒトへ~」を思い出しました。そこにはこんなことが書かれています。

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トキは一方通行に、コッ、コッ、コッ、コッ、と確実に刻まれてゆく。それが昨日から今日、明日へと進むのを一直線に見ているのは、思考の幅が狭いからだ。単純な発想で見ていると左から右に動くように見えるが、ものが動くということは、そこに必ず中心となる一点がある。そして縁のあるものがその周りに集い、回転するという形になって初めて、ものが動くことが持続する。直線ではなく、円運動をしているのだ。
それは「縁」というもので紡がれる。「円運動」とは、「縁運動」でもあるのだ。縁とは、約束事。縁という見えない糸があり、それがバラバラであったものを約束のようにつないで、全体が回り、巻き込んでいく。それはあたかも銀河のようだ。
円の中心の一点は、止まっているかのように見える。しかしその一点も、さらに大きな役割のもとに何かの周りを回っている。中心が止まっている状態になったら、外の円運動も起きない。すべてが連動して動いているからこそ、個々の円も成り立つのだ。

~ 中略 ~

この世界の成り立ちは円運動から成り、それは秩序のもとに、約束通りに動いている。約束通り動くには、軸が必要だ。すべてのものの中心には軸があり、それがもう一つ大きな軸の周りを回っている。地軸があるから地球は自転し、振動し、歳差運動をしながら、太陽の軸のもとにその周りを回っている。そして太陽もまた同じように自転しながらセントラルサン(銀河の中心)の周りを回り、銀河も同じように、さらに大きなものの周りを回っている。単独で存在しているものは何ひとつない。すべてが無限に連鎖して、その関係の中で互いの存在を成り立たせている。ということは、世界がひとつだということだ。

~ 中略 ~


すべての現象は、円運動をしている。その円運動の関係の中で出会う現象に自らがどのような縁を持っているのか ――― 近いのか遠いのか――― それによってトコロが移り変わり、互いに対向発生をしながら円運動を続けていく。それが人生だ。
円(縁)は無限にあり、そのすべての中心をトキ軸が貫いている。つまり、この世界はいたるところがトキ軸だらけだ。我々の体はおよそ60兆個の細胞から成っているが、その細胞の一つひとつをトキ軸が貫いている。なんという宇宙ロマンだろうか。

~ 中略 ~

縁は、意図が働くことで生まれる。意図とは、糸だ。縁という見えない糸がバラバラのものをつなぎ、回転が起きて、現象(形)が生まれる。
人間には、自らが認識している自分と、認識できていない自分とがある。それはどういうことかと言うと、人間はある段階に至ると、それまで認識せずにいた新たな自分を発見する。しかしその自分とは、認識する以前からずっとあり続けたものだ。
現在の自分が成立する以前から、自分というものはある。過去の自分がつくったものが因となり、その結果として現象が現れる。それを因縁という。この世界は、因縁にふさわしく現象が起きる因果応報の仕組みで成り立っている。遠い過去からずっと続いてきた物語として現在があり、今この瞬間も紡いでいる縁が次の出来事につながり、そこからまた新たな縁が生まれて次の出来事へとつながって、物語は未来へと続いていく。因縁の始まりは宇宙の始まりであり、因縁の終わりは宇宙の終わりだ。それは永遠に続くということ。すべての存在は、宇宙の始まりから終わりまでをつないでいるひとコマだ。

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宇宙と自分は一つ。その中で過去から続く因縁によって今この場にいて、そして今の自分の言動が新たな縁を生み出していきます。それは円運動によって究極的には宇宙の中心と繋がっていきます。日々出会う出来事は、視点を高くすれば、無限なる宇宙の円運動のひとコマとして出会っているものであり、それは自らの生の結果でもあります。

何かに出会った時、自分の中にはいろいろな反応が芽生えますが、それは今までの生の結果であり多様な因縁があるからこそ、多様な反応をしているということです。その中で何を選ぶかで解消される因縁もあれば強まる因縁もあります。そして、それは無限に連なる宇宙の中心へと繋がっているのです。

今年の3月21日、太陽が春分点を通過して最初の朝にカフェ&ショップ ロータスランドがオープンしました。そして、5月26日、蟹座新月の日に合同会社ロータスランドが設立されました。この新しい動きを受けて、木の花ファミリーの経理の質と量は変化し、自分にとってはチャレンジの時を迎えています。そして、自分の心の中には様々な感情が芽生えます。自分の今までの生、因縁によって芽生える様々な感情。その中で自分が選んだ感情が波動となって宇宙の中心へと繋がり、この世界の一翼を担っていく。それは本当に些細なものであっても自分一人分、この世界に対する責任です。

僕は毎朝散歩をしていますが、最近は空を羽ばたく鳥がよく目に止まります。鳥瞰図。鳥に視点で自分や周りを常に眺めていること、それは感情に囚われず、ただただ流れのままに展開を見届けいただくこと。それはきっと自分の中の因縁をきれいにしていくことになると思っています。

円が縁を紡ぎ出会った木の花ファミリーの仲間たち。みんなと一緒にたんたんと日々を過ごして、自分の因縁をきれいにして、その波動を宇宙の中心に伝えて、僕は生きていく。

それは宇宙の歴史のひとコマであり宇宙そのものなのだと思っています(^-^)

木の花ファミリーのみんな、玉ねぎの苗取りをしています。

カタカムナを生きる ~神話は更新される~

カタカムナを生きる ~トキのズレ~」に書いたように、先日、いさどんからメンバーに向けてカタカムナプレゼンがされましたが、楢崎皐月氏がカタカムナの解読をする時、日本の神々の名前が参考になったそうです。

アメノミナカヌシ、クニノトコタチ、イサナキ、イサナミ、アマテラス

これら日本の神々は、カタカムナの単音思念で読み解くと、この宇宙の物理性を表しているのです。その物理性から生まれた物語が神話となっています。そのため、神話を読み解くことはこの世界の法則、この世界の奥に流れている意志を読み解くヒントとなるのです。

先日、いさどんは隠された神さまと言われるセオリツヒメについて以下のように読み解いています。

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ヒメとは女性のことだろう?秘かなメ。メは芽が出る・これから始まるということ。ヒとメはどちらかというと陰を示していて、奥にあって現象化の始まり。セは狭い。オはひとまずおいておいて、リは分離、ツは集う・番う。だから、セオリツとヒメのふたつに分けるとすると、セオリツなのかセヲリツなのか。オなのか、ヲなのか?つまり、オは六方向に拡大・収縮という意味で拡大のこと。しかし、それがヲになると、奥に達して収まるという意味でそぎ落とすということになる。男性が拡散することに対して、どちらかというと女性はそれを仕分けて必要なものを収めるということだから、「セヲリツヒメ」ということになる。でも、ヲはなかなか使われないね。トータルしてみると、エネルギーが集中している狭い道、いわば探究の狭い道(セ)の真理の奥に達して収まり(ヲ)、分離して(リ)、集う(ツ)芽(メ)が秘かに出ている(ヒ)。つまり、奥のほうにあって真理の芽がそこで今構えている状態。だから、セヲリツヒメというのは、今はまだなかなか真理が出てこないけれど、それが準備して待っているということ。この世界にはなかなか出てこないのだけれど、いよいよ出てきたら極めて狭くて奥のほうにある真理が引き出されるということだ。

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セヲリツヒメはアマテラスの伴侶です。アマテラスは古事記では女神として描かれていますが、本来は男神だと言われています。そのことはアマテラスという言霊にも表れています。アマテラスをカタカムナの単音で読み解くと以下のようになります。

宇宙空間の(アマ)正と反が露わになった(テ)場所が(ラ)極限に達する(ス)

これは拡散し分離して行く動きと言え、男性性と言えます。女神であるセヲリツヒメが隠され、そして男神であるアマテラスが女神とされている。それは本来、女性の領域であるところにも男性が浸食していることを表していて、男性が支配的となり分断が極みに達している現代社会の状況を表しています。

セヲリツヒメの復活。それは今生まれつつある神話であり、宇宙の物理性、そして時代の表現です。

話しは変わって。

世界の神話の中にはドラゴンスレイヤーに分類される話が多数存在すると言われています。それはどういうものかというと、財宝を守る龍が存在し、人間がその龍を倒し財宝を持ち帰るというものです。僕はこの神話は「現在の人間の特徴」を表しているのではないと思っています。

今、多くの人は自分の外に障害や悪を見出し、それを克服しようとしています。その姿は神話に登場する龍を退治する人間の姿に重なります。今の人間は、英雄になることに憧れ求めていますが、英雄になるためには克服すべき課題や悪を必要とします。そのため世界に課題や悪はなくならず存在し続けます。加えて、彼が英雄となった結果得るものは財宝という自分の望みとなっています。龍は神聖な生き物です。自分の望みを追い求める結果、神聖なものを失っていく。ドラゴンスレイヤーの神話はそのことも示唆しており、それは人々が自分の望みを追い求めた結果、人との繋がりが希薄となり、地球環境が悪化し続ける今の社会となって表れています。これは時代が生み出した人間の形であり、だからこそ世界各地にドラゴンスレイヤーの神話があったのです。

ですが今、新たな神話が生まれ、それは新たな人間の姿を示唆しています。例えば、「虹の戦士」の話。

地球が病んで動物たちが姿を消しはじめるときまさにそのときみんなを救う虹の戦士たちがあらわれる・・・。

そんなふうにアメリカ・インディアンが信じつづけてきた、最後の再生への物語。これは何かを倒すためではなく救うために立ち上がる人間の姿を示しています。そして望みは自分の幸せではなくみんなの幸せです。

そして日本では、艮の金神、国之常立神(クニノトコタチ)の復活です。地の大神様、地球神である国之常立神は、八百万の神々に対して心の掟を厳しく説いていましたが、そのため神々に煙たがられ、艮の方角に封印されました。その際、天の大神様は国之常立神に以下のように伝えたと言います。


「すまないが、一度この世の表から退いてくだされ。しかし、いつか必ず世が立ち行かなくなる時が来る。その時再び現れ、この世界を立て直してくだされ。」

その国之常立神が復活する神話が今、生まれています。富士浅間木の花祭りはそのことを表現するお祭りであり、それは「艮の金神と翁の問答」に表されています。

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艮の金神と翁の問答              

 
  
伊勢天照皇大神 熊野権現 富士浅間 ところは当初の氏大神。木の花の佐久夜の御庭におわします、金色(こんじき)の尊き姿の御身は、どなた様にてござりましょう。

金神  

この方(ほう)は、艮の金神と申す。
時いよいよ来たれり。この度は、地球(くに)最後の天意転換(たてなおし)。一度に清める神幽顕の三千世界(みちよかい)。 汝らの宇宙(うつ)、光一つ上ぐる仕組み。今の世は「我よし、力よし」の獣の世、蛇の「あやま知」支配する、穢れ(けがれ)逆巻く魔釣りの世。

      

艮の金神とはいかなるお方にてござりましょう

金神
この方(ほう)は、宇宙(うつ)を創りた元つ神。こ度の宇宙(うつ)の天意転換(たてなおし)、始原(はじまり)の、時より決まりてありた事。この方隠れている間、「我よし」「あやま知」逆巻いて、神が息の出来ぬほど、穢れ(けがれ)汚れたこの世界、最後の最後の大仕上げ。この方再び現れたなら、光に穢れ(けがれ)混じること、適わぬ(かなわぬ)世となるべきなり。古き仕組みに変わりたる、新たな仕組み始まれり。
縁ある御魂引き寄せて、掃除洗濯 済みしものより、神の使える器となりて、こ度の尊き天意転換(たてなおし)、汝らご用に使うてやる。


一度はお隠れなされた御身が、再び現れ出る(いでる)と申されるか

金神  

いかにも。この世は逆さまじゃ。どうにもならぬ者どもを、今から改心させるため、世の中ひっくりかえすぞよ。これからは、神人(かみびと)、天地が一体の「弥勒の世」が始まるぞ。
故に皆々様、御魂磨いて下されよ。御魂磨かずおられては、使えるものにはならぬぞよ。
神多くの人民の、御魂目覚めて欲しいのぞ。汝ら皆々大切な、地球(くに)の日月の神々じゃ。
一なる花を二の花へ、二なる花を三なる花へ、大和の御魂を呼び覚まし、腹にまことを据えるのじゃ。
この心、天教山より日の本の、隅々にまで広げるぞ。汝らその役、引き受けられい。

      

引き受けましょう。我らこれより「弥勒の世」、創らんがためありましょう。

金神  

一度は渡したその榊。天の元に供えられい

(金神は後ろを向く。翁が榊の枝を金神の腰に差して退場する。
金神、根付きの榊に持ち替えて、四方でへんべいを踏んだ後、神座に戻る)

皆々様、いよいよ金神動くぞよ。さすればこの世、嬉し嬉し、愉し愉しの世となりて、真(まこと)の世が花開く。皆々笑え、愛し合え。真(まこと)次々現れくるぞ。
あっぱれ、あっぱれ、富士は晴れたり、日本晴れ。
オー、オー、ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト オー。
真(まこと)の神が現れる。神人(かみびと)共に現れる。弥勒の世の幕開けじゃ。
真(まこと)の真釣り(まつり)始まるぞ。新たな時代へ、船出の時じゃ。幕開け祝い踊ろうぞ。



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虹の戦士も艮の金神の復活も世のため人のために生きる人の姿を示しています。これらは時代が今、生み出している神話であり、この世界の奥にある意志の顕れです。これらの神話が世に広がり、それを生きるものが増えて行った時、世界は自ずから変化していきます。僕ら木の花ファミリーはその先駆けとしてみんなで助け合い学び合う暮らしをしています。それは新たな神話という時代の意志を受けた世直しであり、生きることがそのまま世直しになる暮らしです。





宇宙を生きる(2)

いさどんブログ「21世紀のいのちの捉え方」にはこんな言葉があります。

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死を迎えることは、人生の区切りをつけ、次のステージに行くことでもあるのですから、亡くなった人を見送る人たちは、死者に対して、「こうだったらよかった」「ああだったらよかった」と考えるだけでも、その人が次のステージに行くための後ろ髪を引くことになるのです。

生死の流れからすると、亡くなった人たちは必ず次へ行かなければいけないのです。ですから、そこでは未練を持つのではなく、その人との出会いから感情を入れずに学ぶことが大切なのです。学ぶことがその人の死を生かすことになるのです。

生きている者からすると、その人の生き様を見せてもらったのですから、「あの人はこう生きてこのような結果を迎えたのだから、自分はこのように生きていこう」と自らの生き方につなげ、学ぶことが、人の死を生かすことになるのです。どんな人の生き様であっても、それが殺人者であろうが、自殺した人でも、一つ一つの事例として残された人に見せてくれているのです。

よくある話として、余命3ヶ月と宣告されると、「どのようにその期間を過ごしたらいいのでしょうか?」という質問をご家族から受けることがあります。その時に僕が答えるのは、その人が亡くなっても、その人の生き様(人生経験)は残った人たちの中に生かせるということです。ですから、生きている間にその人を観察し、なぜ今のような状態になっているのかを理解した時に、その人の人生を自分も生きたと捉えることができるのです。
わたしたちは自分ひとり分の人生を歩んでいますが、縁の近い人の生き様は身近で赤裸々に見せてもらっているのですから、それを自分も経験したと同じように捉えることができるのです。ですから、そこから学び、自分のこれからの人生に生かすと、死は世代を超えて生き続けることになるのです。

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この言葉は身近な人の死について語っていますが、日々ニュースから流れる死についても同じことが言えると思います。2年前の今日、パリで同時多発テロが起きました。当時の僕はこのニュースに大きな衝撃を受け上記の文章を踏まえ以下のように書きました。

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人の生死を客観的に捉え、そこから学ぶことが大切です。今回の事件もそんなふうに生かされた時、犠牲者も安穏なる気持ちで次のステージにいけるのだと思います。

僕は客観性に基づく祈りを捧げます。

そしてこの事件を未来に生かしていきたいと思います。

客観性の中で、すべての存在は大いなる循環の中で生かされていきます。一人一人が自分の立場を離れて客観性を育んでいくことが大切です。世界で起きることは常に自分自身への問い掛けとなるのです。


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あれから2年。テロがなくなることはなく今年もパキスタンやソマリア、スペインなど様々な地域でテロが起き続けています。それは人類がテロという悲しい出来事を学びとして生かせていないからだと思います。学びとして生かすためには、それぞれの立場を離れ、過去から未来へと続く流れの中で出来事を捉えていく必要があります。そんな取り組みとして歴史的視点、そして貧困や格差、宗教の違いなど構造的分析がなされていますが、その奥にある一人ひとりの心にメスが入っていないのです。

たとえば「命には囚われない悟り(2)」で取り上げているクラウドアトラスの主人公は、公式ホームページで「世界を救うまでに魂が成長した男」と紹介されています。ですが彼のした行為は、肉親への愛着や執着に基づくもので、敵対するものを悪とし殺害するというものです。映画では全く触れられていませんが、敵対し殺害された人たちにも家族がいて、そこには同じように肉親への愛着や執着が存在するはずなのです。悪とされ排除された側には憎しみが生まれ、その憎しみは人をテロリストへと導く可能性を秘めています。

肉親や身近なものへの愛情から敵対するものを排除する。

もし多くの人がこんな物語を英雄物語として受け入れているとしたら、その心が世界にテロリズムを生み出し続けているのかもしれません。

一人ひとりの心の総和が世界の出来事を生み出しています。だから世界で起きていることを自らの心の反映として一人ひとりがしっかりと向き合うことが大切なのです。そんなふうに生きる時、現象の奥に流れる天の心が見え、この世界の奥深さに気づきます。

その時、人は宇宙と一体、宇宙を生きるようになり、真の調和が実現するのだと思います。

いさどんさつまいも収穫





ドキドキからワクワクへ

瞬間瞬間の選択の連続によって「道」ができる人生ですが、その選択が「愛(ワクワク)の選択」「怖れ(ドキドキ)の選択」によって、進む方向性、待ち受ける結果は180度変わってきます。

何事に対してもできない理由を考えるよりも先にできる方法を考える人は、人生の選択においても愛の選択をする人。

自分はもちろん、誰かや全体もすべてが調和する選択であり、その根底には「自己愛」が満たされており、自分のことよりも全体をバランス良く見れる視点があります。

逆にできる方法を考えるよりも先にできない理由を考える人は、どちらかといえば怖れの選択をする人。

常に「うまくいくはずがない」「失敗するのではないか?」という不安や恐怖の感情にとらわれており、自分自身にも自信がなく、深い部分で自己愛にも欠けている部分があったりもします。

自分に方向性が向いている限りは、自分以外との調和を図ろうにも、潜在意識は常に自分の欲、不足している愛を満たそうと動き、やることなすことすべてが自分のため、エゴの選択へと進むこともあります。


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これは今年の3月に読んだ記事からの引用ですが、「愛の選択=ワクワク」「恐れの選択=ドキドキ」という言葉がとても印象に残っていました。僕は新しい行動をする時、ドキドキすることの方が多かったのですそのドキドキが恐れの選択と表現されているのを見て、自分自身の振り返りをしていました。それで確かに僕の中には「恐れ」の感情があったのですただそれは「うまくいかない」とか「失敗する」とかそういう思考から来る恐れではなく、変化を促されることに対する抵抗のようなものでした。そして、それがどこから来ていたかと言ったら、立脚点の違いから来ていたのだと気づきました。

新しいことを始めようとする時には想いが湧いてくるのですが、その想いの側に立つと「湧く湧く(ワクワク)」した気持ちとなります。そうではなく、思考(今の自分)の位置に立つとその想いは自分の変化を促すものとなり、自分は変化を促される対象、受け身となっていくのです。そんな時、僕はドキドキし、その奥には確かに変化に対する恐怖があったのです。僕は恐怖をコントロールしてきたので、そんな時も行動し結果を楽しんできたのですが、エネルギー的には自分に大きな負担を掛けてきました。そして、「今を生きる」で紹介した状態へと至ったわけです。

自分自身の立ち位置によって湧いてくる想いがワクワクにもなりドキドキにもなるのです。ということは、ワクワク、ドキドキをきっかけに自分自身の立ち位置のチェックが出来ます。そんなふうに自分を見ていきます。そして、僕は今、ドキドキからワクワクへとどんどん移行しているのです。それは新しい体験に常に開かれていくということですね。

そして大切なのは、想いを実現させることではなく想いに心を開くことです。湧いてくる想いから行動する時、いつも思い通りになるわけではありません。予期せぬ出来事に出会うこともあります。そのような時、出会う出来事に心を開いていれば、当初の想いは変化していくものです。当初の想いが自分をどこに導くかは先に行ってみなければ分からないものです。湧いてくる想いの奥には天からのメッセージがあります。それを探り感じることが人生に奥行を与え豊かにしてくれるのです。そんな生き方についていさどんはこんなふうに語っています。

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3次元世界に暮らしながらも人間は物事を2元的に観ている。それは、出会うこととそれに対する自分の反応で物事を見ているから。それで平面的になっていく。だけれども、その奥にはこの世界を動かしている意志がある。出会うこととそれに対する自分の反応、そしてその奥にある意志。それらすべてを意識した時、この世界を立体的に観ることが出来る。

出会うことに反応することで人は一喜一憂する。それが人間で一喜一憂しなければ生きている意味がない。一喜一憂しながらも、出来事の奥にある意志を感じて、一喜一憂している自分を離れて観る。そして流れをいただいていく。それが生きていることの醍醐味で、人生に翻弄されずに楽しむことが出来るようになる。
☆彡 ☆彡 ☆彡

現象の奥に流れている意味を感じ探ること。それが人生を立体的にし、この世界の本質探求にも繋がります。そして、それはそのまま自分自身に対する理解ともなっていきます。ここでまたいさどんの言葉を紹介しますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡

みんな自分が世直しを託されているとは思っていません。
だけれども、みんな間違えなくこの宇宙の法則の中で生きていて、
人類の70億分の1、この世界を託されているのです。

人は育っていく過程で欲求し、欲求を満たしながら成長していきます。
健全な秩序の中で欲求を満たしていく人もいれば、
秩序なく際限なく欲求を満たし求め続ける人もいます。
そういう経験の中で自分という人間性が出来てきます。

その中で、それぞれが自分の成り立ちを振り返って見ると、
それが宇宙の歴史や地球の成り立ちと一緒だということが見えてきます。
この世界は全部相似形なのです。

小さなところの集合が大きなところを創りだし、
大きなところの法則が小さなところに指針を与えています。

13,000年前のカタカムナの時代。
厳しい自然の中、人類は天然の法則を感知してすり抜けてきました。
ですが、その感覚は時代と共に失われてきました。
その叡智が天とつながることで現代に蘇るのです。

カタカムナの生き方を現代に表現していく。
それは、科学が発展したところに天然の精神を加えることです。
これはまさに新しい時代の生き方で、
木の花ファミリーはそれを表現していくのです。

2012年12月21日。太陽系は銀河の冬至を迎えました。
これからは少しずつ明るくなっていきます。
宇宙的には明るくなる現象が起きて、人間を後押しするのです。

健康に生きることは素晴らしいことです。
ですが、ただ健康になりたいだけで終わってしまったら
人生は深まりません。
生きている過程でいただく病気や滞り。
その奥にあるメッセージを理解していくことが大切です。
そこを理解した時に現代人も天然の意識で生きていくことが出来ます。

この世界は心と肉体(物質)で出来ています。
まずは心、魂を磨くことが大切です。
物質のことは考えなくてもいいのです。
今の世の中はまだ物質的豊かさを求めていますが、
そういう世の中はひっくり返ります。

そのようなターニングポイントを今、迎えているのです。

人間の欲が戦争を生み出し、第二次世界大戦で大きな犠牲を出しました。
これは世の中の欲の心が壊れて一度リセットされた状態です。
ですが、戦後の復興は、もう一度、欲の心でなされました
そして、現代の混乱に至っています。

自分の健全、健康を求める心の奥にメッセージがあり、
それを通して自分がどう生きるべきかが見えてきます。
大切なのは、自分が健康に生きることだけではないのです。
自分のことばかり考えることで人間は不健康になっていったのです。
そのからくりを見通すこと。その先に世の中作りがあるのです。

世の中を良くするとみんなが良くなっていくのです。
自分が・・・と考えると住みにくい世の中になっていきます。
自分が・・・という心を超えていく。
それが天と共に生きることです。

 ~ 中略 ~

ここで健全な場を創り出すことが時代の流れをあらわすことになります。
世界のことを思い、自分を超えていく。
そのことが宇宙の中に光をさすことになるのです。

それを本当に信じて取り組むことです。

時代も神も目には見えません。人間の理解を超えています。
ですが、この世界にはそういう秩序が確実にあるのです。
そこに一人一人の人間が理解を示すことが大切です。

宗教はご利益を求める人により発展しましたが、
本来はそういうものではありません。

信仰とは宇宙の法則性の理解です。

法則性を理解し、自分が・・・という心を超えていく。

そのような本当の信仰心の下、天と共に生きていくのです。
それが世直しであり、この世界に平和をもたらします。


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現象の奥に流れているメッセージから自分がどう生きるべきかが見えてきます。そして、そのような心で生きることがそのまま世直しへと繋がります。そんな世直しに向けて。今、僕はワクワクしています(^-^)

木の花ファミリーの子どもたち(なんとなくこの写真を使いたくなりました)





世界のみんなと悟りを共有する

宇宙創成のプロセスは、「ヒ・フ・ミ・ヨ・イ・ム・ナ・ヤ・コ・ト」という数理で表すことができる。その始まりである「ヒ」から最終の「ト」までのプロセスを理解し、それらを統合して成り立つ存在が、ヒトだ。それが時代人(じだいびと)であり、時代主義(Eraism=エライズム)を生きる存在だよ。

~ 中略 ~


ヒトというのは、人間という地球上で物理的に進化してきたもののことではないんだよ。それは、物理的に進化してきたものが最終的に到達する目的地点であり、宇宙にはもともとヒトという意識レベルの存在があったはずだ。なぜなら、ヒトとは宇宙の仕組みをマスターした存在を言うのだから。
ついつい人間たちは、ヒトのことを人間と勘違いする。人間とヒトでは、定義が違う。ヒトは形ではない。宇宙の法を理解し、マスターした存在をヒトと言うのであり、それは目覚めということでもある。


~ 中略 ~


宇宙は奇跡の連続だ。なぜなら、もともと人間の思考のキャパを超えたところで成り立っているのだから。だから宇宙を生きるという意識レベルを考えるのならば、科学や理屈を超えたところでものごとを受け取る器を持つことが必要だ。そうでなければ、真実は観えてこない。それには、人間壊しをすることだ。人間を壊して、ヒトとして存在する。それがヒトイズムだ。




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上記のように語るいさどんですが、人間については、「ヒト」の間(アイダ)の存在とも語ります。「ヒ」から「ト」へと至っていないということです。そして人間は、紙と文字の発明によって二元的思考(平面的思考)をするようになったと語り、平面的思考についてはこんなふうに説明しています。

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3次元世界に暮らしながらも人間は物事を2元的に観ている。それは、出会うこととそれに対する自分の反応で物事を見ているから。それで平面的になっていく。だけれども、その奥にはこの世界を動かしている意志がある。出会うこととそれに対する自分の反応、そしてその奥にある意志。それらすべてを意識した時、この世界を立体的に観ることが出来る。

出会うことに反応することで人は一喜一憂する。それが人間で一喜一憂しなければ生きている意味がない。一喜一憂しながらも、出来事の奥にある意志を感じて、一喜一憂している自分を離れて観る。そして流れをいただいていく。それが生きていることの醍醐味で、人生に翻弄されずに楽しむことが出来るようになる。
☆彡 ☆彡 ☆彡

出会う出来事に平面的に反応する人間。そんな人間の特徴を受けて、今年の1月、僕は以下のように書きました。

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出会うことに反応する人間。その時、人は出会う出来事を固定して捉えています。

紙や文字が発明されることにより人は記録を取ることが出来るようになりました。一つの形にして残しておく。書かれた言葉は変化せずに残り続けます。それは変化を本質とするこの宇宙の法則からしたら異質なことなのだと思います。

固定された記録。それが人に囚われをもたらし、一喜一憂することになります。ですが、この世界で出会うことはすべてプロセスの中にあり、本来、固定はされずに流れ続けていくのです。出来事の奥にある意志を感じた時、その流れが見え、自分を固定から解放することが出来ます。

出会う出来事の奥を探求する」より


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物事の表面だけを見ていると、出来事は現在だけに固定され、そして違いが際立ちます。例えば、「ヒト」と人間についてのいさどんの言葉ですが、「定義が違う」と語ったり、「ヒトの間が人間」と語ったりしています。表面だけ見ているとそこに違いを感じるかもしれませんが、その奥を見ていくと、同じこと、共通した想い、「ヒト」へと至る大切さを語っていることが見えてきます。

今、この瞬間の出来事の奥には、過去から未来へと続く宇宙の流れが存在しています。「ヒト」となり宇宙の法を理解し、物事を立体的に捉えるようになった時、すべての出来事が一つの流れに集約されていくのです。そこでは善悪の違いや他者との対立はすべて解消されていきます。

善の中に悪があり、悪の中に善があります。善悪は自我(エゴ)の生み出す偏りであり、行き過ぎたエゴが善と悪という一対を生み出し対立していくことになります。

ミサイル発射、核実験などで国際的に非難されている北朝鮮ですが、北朝鮮からすれば、それは自衛の手段であり、アメリカをはじめとする核保有国の脅威を感じていることでしょう。テロリストであるISは様々な残虐行為を行っていますが、それを生み出したのはアメリカによるイラク進攻であり、もっと遡ればイギリスによる中東への侵略へと至ります。

各国のエゴが自国の利益を追求し、それが善悪という一対を生み出し争いへと発展しているのが現代社会であり、物事の奥を見れば、すべての人間に共通するエゴが見えてくるのです。だからこそ、今大切なのは、人間一人ひとりがエゴを超え、「ヒト」へと目覚めていくことなのです。それが宇宙の流れが示すメッセージであり、僕は心を磨き、木の花ファミリーのみんなとそんな暮らしを生み出していきます。

文字は世界に固定を生み出し、そして平面的思考へと誘います。それでも書き続けるのは、文字には広がっていく力もあるからです。そして、人は文字という固定したものをきっかけに、その奥を感じることも出来ます。行間に心を込め、そしてそれを感じあって、また新たな言葉を生み出していく。すべてをプロセスの中で立体的に捕らえていけば、文字だって「ヒト」へと至るにきっかけとなるのです。

世界のみんなと悟りを共有する。

そんなことを夢見て、僕は書き続けていこうと思っています(^-^)

富士浅間木の花祭りに登場する榊鬼、心磨きの象徴とも言えます。


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