木の花ファミリーは、一人一人独立した個人が集まり一つの経済を生み出しています。その暮らしは、とてもユニークで優しく本質的な平等が実現しています。天然循環法による恵みをいただき宇宙を語る木の花ファミリー。お金を通して心を表現していきます。
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世界に向かって転がり出る

5月20日で木の花ファミリーに移住し、丸8年となり、今は9年目の日々を過ごしています。「9」という数字から思い出すのは、小学校6年生の時、校長先生が語っていた以下の言葉です。

苦(9)を超えなければ、充(10)の喜びは得られない。

当時の校長先生(服部先生)は、卒業式の時、色紙にこの言葉を書きみんな(160名ぐらい)に贈ってくれました。その色紙は今も実家の部屋に飾ってあります。

そしてこの言葉は、遠藤周作さんや河合隼雄さんが生前に語っていた「くるたのしい」という言葉に通じるのではないかと思い、ネットを検索すると以下の文章に出会いました。

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「くるたのしい」とは、苦しさと楽しさとが同居している様子をいうようですが、もう少し掘り下げて考えてみましょう。

作家が書いた小説というものは、その作家が頭で描いた構想を膨らませてできたものですから、作家が思うようにコントロールしてできたもののように思われますが、『ケアの本質』の著者であるメイヤロフ氏は、小説というものは作家が思いつくままに書いたものではなくて、小説を書くとは、自分が選んだある構想が自分の中で成長していくのを援助すること、あるいは、その構想が持つと考えられる本質的な特徴を発見し探索することであると言っています。

同時に、作家の関心は、自分にではなく、自分が取り組んでいる構想自体に向けられているとも言っています。

要するに、小説とは作家が構想を練ることによって出来上がるわけですが、その「練る」とは、作家が勝手にコントロールすることではなくて、その構想が自ら成長していくのを援助することが「練る」ことであって、創作活動の主体は構想の側にあって作家の側にはないということです。

メイヤロフ氏はこのように言っているわけですが、書く者としては、やはり自分が主体となって書こうとするでしょう。そうすると、行き詰って書けなくなり苦しくなるという事態に追い込まれるというわけです。

そこで、自分が主体になっていることに気づき、それを棚上げして構想の方に主体を移し、構想に耳を傾けることができるようになったとき、作家の筆はなめらかとなり、苦しみはいつの間にか楽しみに変わっているのではないかと想像します。

この辺のところを河合さんは、植物は太陽の熱と土とがあればゆっくりと成長していく、そのゆっくりとした成長に心を合わせてやると、植物の成長がとても楽しみに思えてくるが、植物の成長をこっちがコントロールしてやろうとすると、思いのままにならないことが出てきていやになってくるのではなかろうか、と言っておられます。



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「自分が・・・」という思いに基づき行動すると、思いもよらない出来事に出会いいらだち苦しくなります。ですが、「自分が・・・」という思いを手放す時、思いもよらない出来事を楽しむことが出来るようになるのです。世界を楽しむコツは自分を離れることにあるようです。

冒頭の、苦(9)を超えて、充(10)の喜びを得る。という言葉。

それは「自分が・・・」という心を超えて、天の法則、流れに身を委ねることなのだと思います。

視点を変えて、カタカムナでみると、「9」は「転がり出る」です。「7」で質的転換し、「8」で飽和安定した存在は、「9」で転がり出て、「10」で統合へと至ります。

転がり出る先は???

きっと世界です。魂は自らの感情や身体と出会い、様々な経験を通して自分を育んでいきます。世界から分かれた自分を育んでいく。その状態が飽和し安定した時、世界に向けて転がり出ることで、世界と一つとなり存在は完成していくのです。

「自分が・・・」という心を超えて、世界に転がり出ることで、天の法則の下、世界と一つとなり、充の喜びを得て統合へと至ります。

今年は木の花ファミリー9年目。世界に向けて転がり出ることで10年目、2018年での統合へと至りますが、2018年には平成の終了が予定されています。平成は「イワト(平=一八十)成る時代」。その終了と共、僕の木の花での1サイクル(ヒフミヨイムナヤコト)も終わるわけで、そんな時代の流れも意識して日々を送ろうと思っています。

そんな感じで世界に目を向けたら、「9」と言えば、憲法9条です。9条は前文と共に平和憲法の核となる部分ですが、今、改憲に向けた動きが加速しつつあります。

世界が平和でありますように。

そんな思いはきっとみんな共通しているのに世界は争いが絶えません。きっとそれはみんなが自分都合の平和を求めているからだと思います。自分「が」平穏でいたいから・・・だから平和であって欲しい。そんな動機から平和を求めていたら、他人の痛みや苦しみは目に入りません。そして、その態度は争いを生み出す原因ともなります。

争いを排除することで争いを引き起こす。

多くの人が自分都合の平和を求めているからそんな世界が展開するのだと思います。

憲法9条は平和を謳っています。ですが、改憲にしろ護憲にしろ、それを自分都合で求めていたら、生まれる世界は争い、いがみ合いの世界です。

自分都合、自分が・・・という心はこの世界に苦しみをもたらすのです。

だから大切なのは、思いもよらない出来事に心を開いていくことです。自分の都合、自分が・・・という心を手放し、ただ出会う出来事を楽しんでいく。みんながそんな姿勢で世界に転がり出る時、個性豊かな存在が繋がり合い、真の統合が生まれるのでしょう。

そんな未来に向けて、僕は世界に転がり出ます。

5月20日、木の花ファミリー蓮池の写真です。






大いなる力には大いなる責任が伴う

大いなる力には大いなる責任が伴う

これは映画『スパイダーマン』の中で主人公ピーター・パーカーの叔父さんがピーターに語りかけた言葉です。特別な力を得たピーターは最初その力を自分のためだけに使いました。そしてある日、一人の強盗が逃げるのを腹いせに見逃します。その後、自分が逃がした強盗が叔父さんを殺害したことを知ります。この出来事の後、ピーターは叔父さんの言葉を胸の人々のために戦うようになるのです。

大いなる力には大いなる責任が伴う

これは映画全体を覆うテーマでとても印象が深い言葉です。それで責任とは何かを考えると、英語では責任は "Responsibility" = Response(応答する)Ability(能力)と書きます。応答できること、対応できることにきちんと応えていくことが責任なのだと思います。なので、力が大きくなればなるほど、それが大きくなるのも当然です。また、これは逆の言い方も出来て責任を果たせば果たす程、それだけ力を得るとも言えます。

そして、力とは何かを考えた時、権力や腕力など目に見えるものもそうですが、それだけでなく人への影響力、包容力、信頼や信仰など目に見えないものも力と言えて、そのような力を育むことが大切なのだと思っています。

僕は心の道を歩むことを選びました。自分の選択には責任が伴っていて、それに応えていくことで目に見えない力を育んで行こうと思っています。

ところで、今日はさそり座の満月です。さそり座満月について天下泰平ブログには以下のように書かれています。

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511643分はさそり座満月です。

満月の中でも5月の満月は特別であり、世界中の聖地で「ウエサク(五月満月)祭」が開催されています。

太古の昔、5月の満月の日にヒマラヤにあるウエサク渓谷に強いエネルギーが降り注ぎ、そこでお釈迦様が悟りを開いたことにちなんで開催されるウエサク祭。

伝承地であるヒマラヤをはじめ、日本でも古来より京都の鞍馬寺でウエサク祭が催され、今ではアメリカの聖地シャスタでもウエサク祭をやっているようです。

地下世界「シャンバラ」とも関係の深い、ヒマラヤ、鞍馬寺、シャスタ。

この5月の満月の日は、目に見えない世界と目に見える世界を繋ぐゲートが開き、すべてのものの目覚めのエネルギーが天界から降り注ぐとも言われています。

~ 中略 ~


蠍座のキーワードは、何と言っても「死と再生」。

また蠍座の支配星は「冥王星」であり、この冥王星も「破壊と再生の星」と呼ばれ、蟹座満月は「根本からの変容」が起こる時とも言われています。


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心の道とは自我から自由となる道です。自我、自らの思いは浮かんでは消えるもので、執着や囚われなど余分な感情がなければ、常に「死と再生」を繰り返すものなのです。その奥には常に宇宙と共に変化変容し続ける大本の自分がいて、そこではすべての存在が繋がっています。そこに身を委ねる時、根本からの変容が起こり続けるのです。

浮かんでは消える、死と再生を繰り返す自我は自らを際立たせます。その表面だけを見ていると、他者との違いが際立ち分断が進んでいきます。フランスや韓国の大統領選挙では社会の分断が話題となりましたが、それは人々が自我に固執しその表面だけを見ているからです。その状態では社会を根本的に変える力を得ることは出来ません。

根本からの変容が起きるためには、自我から自由となる必要があります。それは絶え間なく続く終わりのない試みで人は常に出来事を通して試されているのです。それに応えることでこの世界の無限の深みへと至るのですが、そこではすべての自我が繋がり生かし合うことが可能となります。

僕は心の道を歩むことを選択しました。その責任に応えることで、この世界の無限の深みを知り、目に見えない力を育んでいきます。それがこの社会に何をもたらすかは、僕の思考を超えたことだから、ただただ先を見て行こうと思います。

2012年12月17日鞍馬寺にて撮影


自分の納得を超えて出会う出来事を「いただく」

今日、5月3日はいさどんの誕生日。昨年の5月3日は、ようこちゃんが533(いさみ)ナイトをプロデュースしました。その最後にいさどんは以下のように語っています。

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今日のこの場は、ようこちゃんがいさどんに誕生日プレゼントをあげたいと思い、そこで何をプレゼントしたらいさどんが一番喜ぶのだろう、ということで企画されました。ようこちゃん曰く、「いさどんにとっての一番のプレゼントは人類の目覚めだ。そのためにはまず、ここにいる人たちがさらに目覚めるよう、みんなでこの生き方を再確認する時間を持とう」ということでした。そのようこちゃんの想いはまさに今の僕の心にぴったりです。僕の中には人々が目覚め、宇宙の奇跡である星を本当にわたしたち人類が奇跡として実感し、すべての生命がその生命の尊さ・豊かさを謳歌する、というイメージがあります。そして、そのために生きることが僕の人生です。今、現実を観てみると、そういった社会にはまだまだ程遠い感じがします。そうであるならば、どこかにその雛形となる場所を創らないといけません。


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3月21日、太陽が春分点を通過した翌日にプレオープンし、立夏である5月5日にグランドオープンするカフェ&ショップ・ロータスランドはいさどんの言葉を実現する試みであり、それは自分たちの意志を超えたものに動かされています。

僕たちはよく「いただく」という言葉を使います。それは出会う出来事をそのまま自分に相応しい出来事として受け止め、そこから学び続ける姿勢です。この姿勢は世界と自分を一つにしていきます。

通常、僕らは自分の想いを持って世界と関わっていきます。すると、納得のいかない出来事に出会うことがあります。この時、納得のいかない想いを持ち続けていると世界と自分に距離が生まれていきます。そして世界を自分の視点で裁くようになります。

自分の納得を超えて出会う出来事を「いただく」時、世界はそのまま自分自身の表れです。それは価値判断を超えていて、ただそのようにあるということです。そこに理屈や納得はいりません。世界と一つとなり、宇宙の本質である変化に身を委ねるだけです。今、納得できなくても、その出来事を受け入れる時、世界はおのずと変化していくのです。

木の花ファミリーの暮らしはそんな姿勢から始まり、そしてそこからロータスランドが生まれました。それは銀河の夜明けを超えて、光へと向かう時代の動きと連動しています。

5月3日は憲法記念日でもあります。憲法施行70周年にあたる今年、安倍首相は改憲に意欲を見せています。改憲、護憲、どちらも人智であり、それを超えた流れの下に世界は動いていくことでしょう。大切なのは、制度に頼るのではなく平和な心を育むことです。
いさどんはよくこんなビジョンを語ってくれます。

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いつかこの国を司る役割を持っている人たちがここを訪れて、僕に問いかけるのです。

『私たちはこの国を本当に豊かで人々が幸せになるように、一生懸命治めようとしてきましたが、これはと思うことをいくらやっても、どうにも上手くいきません。本当に国を正しく豊かに治めるためにはどうしたらいいのか、そのヒントを得るためにここに理想を生きる人々の暮らしがあるのを聞いて、訪ねてきました。どうしたら、良い国をつくることができるのでしょうか。』

それに対して、僕はこう答えるのです。

『それは制度や仕組みを創ることではありません。ここにある自然を見てください。そして、そこにいる人々の心を見てください。このような心や考え方で人々が暮らせるような国創りをすれば、本当に豊かな国になるでしょう。』


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今はまだ、多くの人が形に見えるものを大切にしています。

・憲法を守れば平和を維持できる。

・憲法を変えなければ現実に対処できない。

こんなふうに具体的な対応に心が奪われそれがすべてになっていきます。

ですが、世界は人々の心に相応しく動いています。すべてが心の反映であり、それは一人ひとりが心の奥を見つめることで明らかになることです。心の奥を見つめ、目の前の出来事から自由となり、心を育んでいく時、想像を超えた世界が展開し続けます。

世界は人々の思惑を超えて展開し続けます。そこに一喜一憂し自分の視点から裁いていては、変化は生まれず時代に取り残されてしまいます。自分の納得を超えて出会う出来事を「いただく」時、世界と一つとなり、きっと新しい時代が切り拓かれていきます。

ロータスランドはささやかな動きながら、新しい時代の顕れとなっていくことでしょう。

ロータスランドの壁画です。







自分の中心(太陽)に立ち返る

占星術(地球視点)では今、4つの惑星が逆行しているとんでもない時のようです。以下、天下泰平ブログ「牡牛座の新月と4つの惑星逆行」から文章を引用しますね。

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水星逆行は、54日まで続きますが、実は4月は水星逆行だけでなく、他の惑星も諸々逆行しているとんでもない時期であります。

水星逆行(2017411日~201754日)

木星逆行(201727日~201769日)

土星逆行(201747日~2017825日)

冥王星逆行(2017421日~2017929日)

もちろん、逆行自体がすべて悪いことだけでなく、また1つひとつの惑星の逆行も特徴が違うのですが、421日からは冥王星の逆行も始まり、ただいま4つの惑星が逆行していて、ややカオスとなっていると思います。

~ 中略 ~



惑星逆行は、見方によってはあらゆることにブレーキをかける負の一面もありますが、一方でそれは自分自身を見つめ直す最適な期間でもあり、特に54日の水星逆行が終わるまでは、4つも惑星逆行が重なるので、あともう少し、5月上旬までは自分自身の内面をじっくり観察するのに良い時期かもしれません。

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ちなみに今は土用の時期でもあります。春から夏への移行の時期で、5月5日の立夏にて夏を迎えます。地球暦を開発した杉山開知くんは土用について以下のように語っています。

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大きな決断や引っ越しなどには細心の注意を払うとされている土用は、選択が多く目標が散漫になりがちです。迷うと揺れやすい時だからこそ、ものごとを丁寧に運ぶことを心がけたいものです。自分の中心に立ち返ってみる土用の季節、一日(点)から一年(円)を見渡すように、地球暦を広げて大局を見てみてはいかがでしょう。


変化でリズムを崩しやすい土用の時期は、無理をせず力を抜き流れに身を任せることで、より大きな転機を自然に乗り切ることができます。受け身を学びながら、変化の力を借りるつもりで、まずは自分の足元、立ち位置をしっかりと確認しましょう。


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土用の時には自分の中心に立ち返ることが大切と書かれていますが、それは惑星逆行に対する態度も同様です。惑星逆行という現象は地球から太陽系を眺めているから生まれるもので、太陽を中心に眺める地球暦では惑星逆行という現象は生まれません。地球は自分を表す星です。自分視点で眺めていると、他の星(他者)は逆行という不思議な現象を起こすのですが、それは錯覚にすぎず、客観的な位置(太陽)から眺めるとすべては前へ前へ新しいところを進んでいるだけなのです。

目の前の出来事に心を奪われることなく自分の中心に立ち返ることで不動の視点へと至ります。それは自分を離れた客観視点であり太陽に繋がるものなのです。その位置に立って、すべてを委ね流れに身を任せることで、逆行から学ぶと共に逆行から自由となり、おのずから生じる変化と共に歩んでいこうと思っています。

水星の逆行が終わり立夏を迎える5月5日はカフェ&ショップ・ロータスランドのグランドオープンの日です。僕らがこの日をグランドオープンの日にしたのはたまたまであり、水星逆行について情報はあとから知りました。それはロータスランドが天の意志の下に生まれたものだからであり、時代の流れを表しているからです。ロータスランドについていさどんは以下のように語っています。

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わかったぞ!意識革命で世の中は変わる!しかし、金正恩でも、トランプさんでも、安倍さんでも、世界中のリーダーは皆、損得勘定ばかり考えている。それでは世の中はうまくいかない。これから台湾人から中国人からアメリカ人から、世界中の人々にこの意識を広めていく。それを会得した人々が創る場所、それが「ロータスランド」だ。
そこを訪れた人たちが「なぜこのお店の雰囲気はこんなにいいのだろうか?」と思ったときに、なぜならそれはそこにいる人たちがお金のために働いていないからだ。それで食うことに困らない。そういう世界を創っていく。
~ 中略 ~

人間はもはや次の段階へ行かなければいけない。お金があって、ものを食って、何不自由なく生きていて、それが幸せだという段階はもはや終わりを迎えたのだ。今、人類は新たなステージへと突入しようとしている。その証として、ロータスランドが現れた。
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損得勘定という自分都合の視点で眺めていると世界は歪み惑っていきます。北朝鮮はミサイルの実験をし、アメリカのカールビルソン率いる空母打撃群が沖縄東方を航行している現状は惑った世界の顕れと言えます。客観視点に立つことですべての存在が同じ景色を眺め共有することが出来ます。その時、威嚇や駆け引きなど余計な行動はいらなくなり、共に分かり合い助け合う世界が実現します。それを生み出すのは意識改革です。そんな世界に向けてのささやかながら大切な動きがロータスランドなのだと思っています。


ロータスランドでほぼ週替わりで提供しているおまかせセット(540円)です。




全体性とは「流れ」を意識すること

数日前、りょうちんと「個人の成長と全体性」について話すことがあって、その時、僕は「個人の成長とは全体性を持つことでこの2つは同じ」と話しました。そして、昨年の9月に書いた「自分ごと」から全体性へと至る道を紹介しました。

例えば、りょうちんはブログ「やゆよのあゆみ」にこんなエピソードを紹介しています。

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ここのところ書き続けている「個と全体の調和」や「個性と社会性の調和」についての話は、実はここ4.5年の、僕自身の心の課題なのです。

その課題とは、自分の特徴である、長所で言えば「探究心の強さ」、短所で言えば「こだわりの強さ」というものを、どうやってこのコミュニティの中で、社会の中で、調和的に発揮していくかというものです。

丁度、419日、僕の誕生日に、それに関わる出来事がありました。それは今、木の花ファミリーのアンテナショップになっているロータスランドに、第2駐車場の案内看板を作るための打ち合わせの時のことです。「510分で終わる話だと思ったけど、どうしてあんなに時間がかかったのかな」と打ち合わせの後で、相手のようこちゃんから伝えられました。

建築設計を大学で専攻していたため、見やすさと美しさが求められる案内表示、サインのデザインに対して面白みを感じていました。そのデザインに対する関心が、僕の中に「この方が良い」という強い発想が生まれ、結果として意見のすり合わせに時間がかかってしまいました。

特に美しさや分かり易さといった、個人の感覚や認識によって差が生じやすいデザインに関わるものは、意見の食い違いは起こりがちです。その分、自分の感覚と他者の感覚の違いが知れる良い機会でもあり、面白みもあります。


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りょうちんはこのエピソードをこだわりの強さが出た例として紹介していますが、なぜそうなったかというと流れに沿っていなかったからだと思うのです。

「流れ」というのは抽象的な言葉で目に見えないものですが、確かにこの世界には「流れ」というものがあり、みんな意識的もしくは無意識的にそれを感じて生きています。「流れ」に沿っていると気持ちよく過ごせますが、「流れ」が悪いとストレスを感じるものです。

「流れ」は様々なものから生み出されています。上記の例で言えば、みんなの意識や関心が流れを生み出していて、りょうちんの「強い想い」がそれとずれていたのでしょう。もしみんなもそこに強い関心を持っていたらりょうちんの特性は探求心の強さとして生かされていたはずです。個人が真の意味で生かされるのは流れの中であり、全体性は常に流れの中にあるのです。流れに沿っている時、人は全体性の中にあり、その時、人は自然と高まっていきます。そのことを僕は以前、以下のように書いています。

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宇宙の法の下では、自他の区別を超えてすべてが繋がり生かしあっています。
それから外れた「想い」や「行動」はすべて「自分ごと」なのです。
世界のことを考えていても、社会貢献をしていても、
「自分が」という想いに基づいていたら、それはやはり「自分ごと」となります。

そして、「自分ごと」の想いや行動は、たとえそれが実現したとしても、
この世界に偏りを生み出し、いずれ対立や格差、喪失などの滞りとなって現れるのです。

だから「自分ごと」を超えていくことが大切です。

自我が与えられた人間は、当然のように「自分ごと」の願いや想いを持ちます。
そして、それは意欲にも繋がるものです。
だから、それらを追い求めることは大切なことではあるのです。
ただ、その際、宇宙の法を意識する必要があるのです。

宇宙の法とは天の流れあり、それは時代が生み出しています。

自らの希望を追い求めながらも、天の流れを感じ、結果をいただき学んでいく。

そんな姿勢でいると、自分が高まり、自然と全体性へと至るのです。

それは自分と向き合う旅であり、その旅は果てしない冒険であり、新しい発見は尽きません。
新しい発見により自分がどこまでも果てしなく広がっていくのです。



「自分ごと」から全体性へと至る道より


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太陽と水、土と風、自然の法則の中で生命は育まれ、その中で人間も生きています。一人ひとりの人間も自分で生きているわけではなく法則に生かされているのです。だから本当の意味で生き生きと暮らすためには宇宙の法、天の流れに沿っている必要があります。
ここで「自分が高まる」と言っていますが、それは能力のことではなく、人間性のことを言っています。物事がおのずからなる。思えば叶う。そんな境地へと至ることです。

流れを意識する時、人は全体性と共にあり、流れに貢献していきます。その時、人はおのずと高まり個人としても成長していくのです。全体性とは流れのことであり、流れを意識することで世界と自分が一つになり共に成長していくのです。

そこで時代の流れに意識を向けると、銀河の夜明けを経て、今は本格的な光の時代へと進んでいます。混乱する世界情勢は闇に隠れていたものが明るみに出ているということです。それは大いなる浄化でありその流れを意識して生きることが何よりも大切です。そしてそれは表面的な出来事を観るのではなく、その奥を感じるということです。

そして今日は牡牛座の新月です。

新月は新しい始まり。

天体が生み出す流れも意識し日々の暮らしを楽しみます(^-^)


りょうちん@ロータスランド屋根



もうすぐ「まなこい」から3年



3年前(2014年)の5月、木の花ファミリーにて僕の「まなこい」が行われました。そして2年前(2015年)の4月、僕は「まなこいから11ヶ月」という文章を書きました。

「まなこい」とは何か?そこでどんなことが行われたのか?

以下、「まなこいから11ヶ月」の文章を引用することで説明します。

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「まなこい」とは何か?

それは「まな板の上の鯉」の略で、僕はまな板の上の鯉のように抵抗することなく、みんなに自分を晒し料理をしてもらいました。まず僕自身が自分の分析をして、それに基づいてみんなが僕についての分析をするのです。そうすることで、お互いの認識のギャップを埋めて、みんなで客観的な視点を身に着けていくことを目的にしていました。

この「まなこい」の場で僕は以下のようなことをみんなに伝えていました。

  • 自分は基本的に場を創りたくない人。
  • みんなの前で話をしようとするとただの事務連絡だけでも心臓がバクバクする。
  • この場をよくしていこうという提案に乗れない自分がいる。そのため「こんな自分はここにいてはいけないのではないか?」という考えが浮かんでくる。そして、実際に出ていくことをシミュレーションしてみる。「自分が出ていくならば、引継ぎとして最低でも1ヶ月は必要だよな~」とか「ここを出て行った場合、道義として同じような暮らしは出来ないよな~。そうすると、生きていくために適当な仕事を探して無気力で生きていくのかな~。」なんて考えて、「こんなことを考えても仕方がないので、ダメかもしれないけどやれるだけやろう」と言い聞かせて過ごしている。


そんな僕に対してみんなが見える視点を伝えてくれました。

  • こんなふうに言うことでなかのんは失敗した時のための予防線を張っている。
  • 本当は良くしていきたい気持ちがあるのに、それを推し進める力がない。ならば人に心を開いて頼ればよいのに、それもプライドが高いために出来ずにいる。
  • なかのんは無駄な思考、エネルギーを使っている。ここを出ていくことに良いイメージがないのに、そんな考えにエネルギーを使っている。湧いてきた無駄な想いを手放していくということをしているようだが、本当に高い視点を持って、その位置にい続けたら、そんな想いは湧いてくることがなくなる。そこまで自分を高めることが大切。


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当時(2014年5月)の僕がやる気を失っていたのは、特定のもの(結果)を求めてそれが手に入らなかったから。言ってしまえばただそれだけです。そして、僕はまなこいを機会にしてやる気を出そうと決意します。そして積極的に行動しましたが、「変わろう」と思って行動しても僕は変わりませんでした。2014年の終わり、そんな僕に転機が訪れました。以下、天の物語を生きる~1年の振り返りとして」から文章を引用します。

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僕はこれまでずっと自分の物語を生きて来ました。

それは「世界が僕を変える」や「世界と一緒に変化を楽しむ」に書いた英雄物語だったり、「僕といさどんと木の花ファミリー」に書いた「虐げられた状況から逆転する物語」だったりします。その自覚はずっとあって、それを意識的に変えようと努力を重ねてきました。ですが、それらの努力は功を奏しませんでした。僕は変わりませんでした。

そんな中、今年の9月24日、このBLOGを立ち上げました。タイトルは「木の花ファミリーの経済から世界を見る」。「世界を見る」とタイトルをつけたからには、そこに書かれるものは、世界を意識したものでなければならない。そんなふうに思いました。そして普段から世界で起きていることと木の花ファミリーの暮らしを繋げて考えるようになりました。そうすることで、この暮らしの意味をあらためて感じることになりました。そして、その意識を保つために一定のペースでこのBLOGを書き続けました。

すると大人ミーティングが今まで以上に面白い場となってきました。そこから世界が見えるのです。そんな大人ミーティングの場で、12月の初め不思議な体験をしました。その時、いさどんがみんなに向って語っていたのですが、僕は天から暖かいエネルギーが降り注ぐのを感じたのです。いさどんの話が天の扉を開き、そして、天からエネルギーが降り注いでいたのです。そのエネルギーはとても大きく暖かいものでした。僕はこの時、初めて天の存在を感じました。ずっとあることを知っていた天の存在をリアルに感じたのです。この日から僕は天に意識を向けるようになりました。

天に意識を向けると、自分の感情や枠を超えることが出来ます。自分から自由になって、天の温かさを感じることが出来ます。それがとても心地よく毎日がとても幸せなのです。そんなふうに過ごしていると、周りから「変わった」と言われるようになりました。

このBLOGを立ち上げた時、僕は別に「変わろう」とは思っていませんでした。ただ広い視点を持つことを心掛けて毎日を過ごしていました。その結果、僕はとても幸せになりみんなに変わったと言われます。一方、僕が意識的に変わろうと努力した時、僕は変われなかったし、あまり幸せにもなれませんでした。

その違いは何か?

僕が意識的に変わろうとした時、僕は自分の変わる姿をイメージしていました。評価される自分、出来る自分をイメージしていました。要は自分がかわいかったのです。そして、自分に囚われていました。その囚われが僕の変化を邪魔していたのでしょう。

今は自分に対するイメージは持っていません。「どうなりたい」という思いもありません。ただ、天を意識し感じ続けること。それが僕の一番の望みで、それだけ出来ればよいのです。だから僕はこれから何があってもずっと幸せだろうなと思います。

僕を変えて幸せにしてくれたのは世界であり、天です。
自分では幸せになれませんでした。
だから、これからは天の物語を生きていきます。
それは僕を幸せにし、そしてみんなを幸せにする物語になるのだろうなと思っています(^-^)

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2014年の終わり、「天の物語を生きる」と書いた僕ですが、その後も自分の物語、自分の想いを追求したい心を残していました。それは時々浮上してきては僕の人生に滞りを生み出してきました。だから今年の立春正月にひっくり返る必要があったのです。以下、「僕はひっくり返った」からの文章を引用します。

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1年前の僕には望みを追求したい心がありました。結果は委ねると言いながら、望みを追求していました。その態度は世界を望みの中に閉じ込めることになります。望みは世界を歪め出来事に一喜一憂する心を強めていきます。僕はひっくり返っていなかったのです。

それが分かっているから今は望みを追求しません。どんな望みが生まれようと気にしないようにしています。それは叶うこともあれば、叶わないこともある。どちらにしてもそのうち変化していきます。宇宙の本質は変化にあるのだから。


法則性を理解し、自分が・・・という心を超えていく。

その時展開される世界は自分の想像を超えていきます。想像を超えた流れを通して自分を見て、自分を知っていく。その時、広い世界の中に自分をしっかりと位置付けることが出来るのです。


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この道を歩く上で大切なのは、どれだけ自分を離れることが出来るかなのだと思っています。人はみんな自分の視点で世界を観て体験していきます。それがそれぞれの物語となり世界に彩りと多様性を与えていきます。ですが今、人々の物語はバラバラとなり分かり合えなくなっています。それは人々がすべての奥に流れる天の物語を忘れているからです。天の物語が糸(意図)となりすべての物語を束ねているのです。

自分の想い、望みを離れることで天の物語が見えてきます。そしてそこから世界を眺める時、自分を含めたすべての物語が繋がり分かり合えるのです。

イギリスのEU離脱の決定、アメリカでのトランプ大統領の誕生、そしてフランス大統領選挙でのルペン氏の台頭など。世界は今までの秩序が壊れる方向で動いています。分断が進む世界は一人ひとりが自分の想いを追求した結果であり、その姿勢が限界を迎えていることを教えてくれているのです。

それぞれが自分の都合を離れたら、そんな世界の姿が見え、その奥にあるメッセージを感じ取っていけるのです。

まなこいを経験し、オフィス障がい者の認定を受け、秋分にこのブログを立ち上げた2014年は特別な1年でした。「2+0+1+4=7」。「7」は「なる」。カタカムナでは質的転換を意味します。文字通り質的転換を遂げた僕は、2015年に飽和安定(8)し、2016年に転がり(9)出て、今年(2017年)統合(10)し新たに歩き始めています(1)。

自分が・・・という心を超えていく。

それは世界に向けて自分を解き放つということであり、一度達成したら終わりというものではなく常に心掛ける姿勢です。自我を持つ人間は常に「自分が・・・」という想いを浮上させます。その想いを感じながらも離れている。そしてすべてを世界に委ね行動していく。出来事を求めるのではなく出来事から自分を知っていく。今僕はそんなふうに生きています(^-^)


現実と共に歩む、そして時空を超えていく

誕生日と春分の日、そしてカフェ&ショップ・ロータスランドオープンがあった3月が終わりました。この1ヶ月は今までの人生で一番働いた1ヶ月なのではないかと思います。働くとは傍(はた)を楽(らく)にすること。それは生きることそのものであり、生きるとは自分を超えたネットワークの中で役割を果たし、他者のため、世の中のために生きること。木の花ファミリーでは常にそんなことを語り合っています。

立春正月にひっくり返った僕は、自分の側から世界を見るのではなく、世界の側から自分を見るように心がけています。だから傍(はたらく)ことが出来たのだと思います。そうでなければ忙しさの中で心を失い自分の感情に押しつぶされていたことでしょう。

押しつぶされそうな自分を見て微笑む。そして自分を取り戻す。

そんなふうに過ごしましたが、最後の最後でいっぱいになり月末に半日休みを取りました。それもまあ自分自身の現状ということで良いと思っています。

世界の側から自分を見る。

それは別に自分を万能にするわけではなく至らない自分はそのまま存在しています。ただその至らない自分をコントロールする力を得ただけです。自分のエネルギーには限界がありそこに達すれば休む必要があるのは当然です。だから一度休んで英気を養いました。

この1ヶ月間、流れが良く進むこともあれば、流れが滞ることもありました。流れが良く進むことは良いことです。とても気持ちが良く過ごせます。ですが、流れが良いことは都合の良いことです。そのため流れが良い状態が続くと都合の良いことを喜ぶ心が僕の中には育まれていきます。そしてそれを求めるようになるのです。

自分の都合の良いことを喜び求めるようになる。

その状態はニュートラルではなく心を育むことはありません。そんな時、滞りに出会うと痛みを感じますが、その痛みは謙虚な心を育み、いただく心を育ててくれるのです。滞りはまさに天からの祝福と言えます。

忙しい1ヶ月を何事もなく乗り越えていたら、僕の中には万能感が育まれていたことでしょう。それは不調和な心であり人を真実から遠ざけます。最後の最後でいっぱいになり休んだことで僕は自分の現状を知ることが出来ました。有難いことです。

少し前から自分のやっている役割は自分の理解を超えるようになっています。自分では出来るとは思えないことをやっているのです。出来ないという判断は自分の思考の枠でそれを超え続けているからこのような状態となっているのですが、それでも当然なんでも出来るというわけではなく現実が限界を示してくれています。思考の枠を外し、ただその現実をいただくことで自分を知り、そしてそれを踏まえて進み続けていくのだと思っています。その先、どこに行くかは分かりませんが、ただ現実と共に歩むだけなのです。

ところで。

人々は平和を願ってきました。平和を願うからには平和な心を育む必要があります。そして、それは都合の良い現実からではなく滞りをいただくことで育まれるのではないかと思っています。世界中で起きているテロや戦争を目にすると無慈悲とも思われますが、それは人間の現状を表していて、その現実をいただき学ぶことで平和な心は育まれていくのだと思います。

すべてはプロセスの中にあり、僕らは時空を超える旅路の中にあります。

その奥には常に天からの祝福があるのです(^-^)


誕生日の日に作ってもらったおにぎり🍙です。


ただ想いを響かせる

形に目を奪われると、人は結果を求めるようになります。

こうであって欲しい、あーであって欲しい。
あーでなくては嫌だ、こうでなくては嫌だ。

すると、それは願望になっていって、執着となり、思い通りにならないと苦しんだり争いに発展したりします。

ですが、カタカムナで言われているようにこの世界は響き(ひびき)で出来ています。響き(ひびき)そのものを感じて、それを大切にしていたら、人は形や結果に囚われなくなります。形や結果は響き(ひびき)の表れであり、それを通して自分の響き(ひびき)を知っていくのです。

形や結果を追い求めていると人はそのような響き(ひびき)を発するようになります。その響き(ひびき)が思い通りにならない現実を生み出しているのです。

自らの中に湧き上がる想い。

ただそれを響かせ出会うことをいただいていくと「想うと叶う」世界が生まれていきます。結果に囚われなれば、すべてが響き(ひびき)の表れであり、それは想いが叶い実現した姿と言えるのです。

その姿を通して自分を知り、自分と世界を楽しむことが出来ます。

結果に囚われなければ・・・ですね。

ここで昨年の9月に書いた自分ごとから全体性へと至る道より以下の文章を引用します。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この道を極めることが大切です。
そこに向けて真っ直ぐに行くと人の価値が上がります。
そして価値が上がると自然にみんなから支持されるようになるのです。
その位置で願いが叶っていくことが大切です。
想うと叶うというのはそういうことです。

ところがあなたの場合、叶わない現状にありながら、
願いを叶えたいという願望や欲望になっているものだから、
宇宙の法から外れてしまったのです。
だからそれは「自分のこと」であり、我欲となっていくのです。
宇宙は「もっと叶えたい。あなたの望みは全部叶えたい。」と願っています。
その代わり宇宙の法に沿って願えということです。


₋ - -

僕は最近なんどもこのいさどんの言葉を引用していますが、
この言葉は僕の思考を整理してくれました。

僕らはよく「自分ごとではなく全体のこと考える」と話していますが、
このいさどんの言葉により「自分ごと」とは何かが明確になったのです。

僕はずっと意識の関心が自分に向いていることが「自分ごと」だと思っていましたが、
この認識は正確ではありませんでした。

この世界で自分を最大限に生かすために、自分を正確に知っていく。

そんなふうに自分に関心を向けるならば、それは「自分ごと」ではなく、
世界のことであり全体性へと至る行動となるのです。

その一方、途上国の支援など社会貢献と言われる活動をしていたとしても、
それが自分都合になってしまっていたら、その活動は「自分ごと」なのです。

活動の動機をしっかりと観ることが大切です。

 ~ 中略 ~

宇宙の法の下では、自他の区別を超えてすべてが繋がり生かしあっています。
それから外れた「想い」や「行動」はすべて「自分ごと」なのです。
世界のことを考えていても、社会貢献をしていても、
「自分が」という想いに基づいていたら、それはやはり「自分ごと」となります。

そして、「自分ごと」の想いや行動は、たとえそれが実現したとしても、
この世界に偏りを生み出し、いずれ対立や格差、喪失などの滞りとなって現れるのです。

だから「自分ごと」を超えていくことが大切です。

自我が与えられた人間は、当然のように「自分ごと」の願いや想いを持ちます。
そして、それは意欲にも繋がるものです。
だから、それらを追い求めることは大切なことではあるのです。
ただ、その際、宇宙の法を意識する必要があるのです。

宇宙の法とは天の流れあり、それは時代が生み出しています。

自らの希望を追い求めながらも、天の流れを感じ、結果をいただき学んでいく。

そんな姿勢でいると、自分が高まり、自然と全体性へと至るのです。


それは自分と向き合う旅であり、その旅は果てしない冒険であり、新しい発見は尽きません。
新しい発見により自分がどこまでも果てしなく広がっていくのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

当時の僕は、

自らの希望を追い求めながらも、天の流れを感じ、結果をいただき学んでいく。

と書いていますが、「希望を追い求める」姿勢の奥には結果に対する執着があります。やはり僕はひっくり返っていなかったのです(※「僕はひっくり返った」参照)。

自分ごとは結果や感情に執着する姿勢から生まれます。結果や感情に囚われなれば、すべての想いは全体の響き(ひびき)の中で生かされていきます。それは思惑を超えた世界で予測不能の世界ですが、全ての存在を繋げていきます。

ただ想いを響かせる。そして出会う出来事をいただいていく。

世界平和は人々がそんな姿勢に転換した時、自ずと実現していきます。

きっと。

僕はそう思っています(^-^)

~ ~ ~

3月21日にオープンするカフェ&ショップ ロータスランドは木の花ファミリーの響き(ひびき)の表れです。是非、遊びに来て下さいね。


ロータスランドで製作中の壁画です。



自分自身が永遠の表れであるように。




誕生日(3月7日)の前日、友人の川崎くんから以下のメッセージを貰いました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

誕生日明日かな。ちょっと早いけれどお祝いの言葉をお送りします。

Happy Birthday!! Whatever is beautiful, whatever meaningful, whatever gives you happiness.May all that be yours, today, tomorrow & forever .

(誕生日おめでとう!! すべて美しく、すべて意味があり、すべてがあなたに幸福をもたらします。今日と明日、そして永遠にそれらがあなたのものでありますように。)

☆彡 ☆彡 ☆彡

それに対して、僕は以下のように返信をしました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

どうもありがとう。自分自身が永遠の表れであるように。この瞬間のすべてに感謝し生きていきます。またいつか会おうね。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今年の誕生日は、立春正月にひっくり返った後、最初に迎えた誕生日。だからとても大きな節目として意識してきました。ひっくり返りとは立脚点の大転換。今までの僕は、自分の側から世界を眺め反応していましたが、今年の立春正月以後、僕は世界の側から自分を見て自分を楽しんでいるのです。僕は今、人生で一番の変化を経験していて新しい自分が誕生しているのです。

42歳。6×7。蒸して(6)成る(7)。まさにそんな感じです。

そんな誕生日の朝は、曇り空でした。曇り空を眺め、雲は人間の心だなと思いました。太陽というこの世界を生かしている法則があって、その前を浮かんでいる雲は光の反射によって様々な彩りを生み出します。それがこの世界の人間の心で日々変化しこの世界に様々な彩りを与えています。

空に彩りを与える雲(2016年10月撮影)
雲がいっぱいになると太陽は見えなくなりますが、それは人々が自分ごとで心をいっぱいにしていると法則が見えなくなるのと重なります。ですが、雲の向こうにはいつも太陽があり光を注いでいます。人々が自分ごとでいっぱいになっている時でも、その奥には必ず法則があって、それが人々を生かしてくれているのです。

そんな法則の一つが人は必ず死ぬということ。誕生日。この世に生を受けた記念日に死生観について触れることで、法則を生きていこうと思います。というわけでまずは昨年の11月に書いた「出会うことをいただいていく。」より以下の文章を引用します。

☆彡 ☆彡 ☆彡

私たちが「生きている状態」とは、肉体と魂が一体となって生命世界において循環している状態です。それに対して、「死ぬ」ということは、肉体と魂が分かれ、肉体は生態系の構成要素として3次元宇宙の中に、魂はそれぞれに相応しい異次元宇宙に還っていくことです。

このように捉えると、肉体は死を境に消滅してしまうわけではありません。人間や動物、植物といった、ひとつの生命としての一時的な姿が終わるに過ぎないのです。常に変わり続けるもの、それが3次元生命の姿です。

これに対して、3次元生命を生命として束ねているものが魂・霊性です。私たちは魂と肉体の分離を死と呼びますが、それは終わりであると同時に始まりでもあるのです。死によって肉体は生命としての循環の仕組みから解き放たれ、原子の単位となってこの世界へ散らばっていきます。一方、魂は新たな次元において次の旅の準備を始めるのです。

「死生観」という表現は、死を生の側からの視点だけで捉えた言葉であると言えます。しかし、生死を超えた視点から死を捉えると、死生観というように、生の奥に生を支える魂の世界が連綿と続いていることになります。つまり私たちの本来の姿は魂、霊性であり、いわゆる「死後の世界」こそが本来の居場所であることになるのです。つまり、私たちは生死を繰り返すことによって学び、本来のあるべき立ち位置に目覚めていくのです。ですから死とは、その学びの大切な節目なのです。



- - -

魂は生まれてきて自分に相応しい肉体と出会います。そして、両親に出会い、身内に出会い、友や仲間と出会って行きます。その中で感情が育まれていきます。すべては相応しく与えられる出会いであり、その出会いを通して魂は自分を知っていきます。

僕たちの本来の姿は魂です。肉体や感情は相応しく与えられるものであり、それを通して自分を知る材料であり、だからこそコントロールすることが出来、その変化を通して魂も変化していくのです。


この視点に気づいた時、魂はすべての出来事から離れ、自由となり∞(無限)の可能性へと開かれていきます。∞(無限)の世界の中で魂を成長させていく。それが心磨きです。


この視点は完全にニュートラル(中立・中庸)なものです。なぜなら魂の世界は人間社会の善悪や価値観を完全に超えた世界だからです。それらを超えた価値、あらゆる価値観を超えたニュートラルな価値があり、それを積み上げていく。それが魂の成長であり、心磨きです。


僕は今、こんなふうに感じています。


魂の成長。それはこの世界に本質に気付き、自由になっていくことであり、自らの思惑から解放されていくことです。それは今まで自分が身に着けてきた反応パターンのそぎ落としです。一つのパターンがそぎ落とされた時、自分自身の感情、そして出会う現実が変わっていきます。どんなふうに変わるかは変わってみなければ分かりません。だから、これは思惑を超えた世界であり、変化は自ずから起きるもの、変化を起こすのではなく、変化をいただく生き方なのです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

ここで書いているように感情は出会いを通して育まれたものです。そして、それは思考も同様です。自らを分けると書く「自分」は、自らを世界から際立たせ、この世界に反応しますが、感情や思考はこの動きに沿って生まれています。この動きが世界に多様性という彩りを与えているのですが、動きが大き過ぎたり固定したりすると対立や孤独、分断となって表れます。それが現代社会の姿と言えます。

だからこの思考や感情の動きを見抜くことが大切で、それが出来た時、人は魂の位置に立ち自らを眺めることが出来ます。そしてその時、変化は自ずから生じ、すべての存在を繋いでいきます。これは世界の側に立つということです。なぜなら魂の世界は時空を超えて永遠無限にすべての存在を繋げているからです。

僕は魂の地点に立って、自らの思考と感情を見抜き、そして法則のままに生きてこの世界の豊かさを表現していきます。そんなふうに思った僕は、キッチンさんに木の花の暮らしの豊かさを表現する誕生日プレートをリクエストしました。そして出てきたのがこんなプレートです。

















とっても素敵な料理を作ってもらって胸がいっぱいになりました。そして、みんなで僕を囲んで写真を撮ってくれたのですが、「なかのん、誕生日おめでとう!!!」という声と共にみんなが拍手をしてくれました。それも思いがけなくて胸がいっぱいになりました。デザートはほとんど子どもにあげてしまったのですが、こうやって共有出来ることがただただ幸せでそのことも僕の胸をいっぱいにしました。僕は感動で満たされました。

変化変容を繰り返すこの世界の法則はみんなを幸せに繋いでいきます。それを邪魔するのは「自分が・・・」と際立つ心だけです。僕は魂の地点に立って、自分の思考や感情から自由となり法則のままに生きていきます。そしてみんなとその豊かさを表現して発信していきます。その時きっと自分自身が永遠の表れとなっていることでしょう。

そう、僕は永遠に続く宇宙です(^-^)

いや、「僕は・・・」ではなく「僕も・・・」ですね。
気付けばみんな永遠に続く宇宙、共に未知の道を旅しているのです。


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