突破口は気づきにある(3)

実際に病気なのか違うのかそういうことがはっきりしないと人は都合のよいように病気になったり自己主張をしたりというところがあって、そうすると医療の対象になっていきます。あなたはある意味賢いから上手に人との付き合い方を自分流に巻き込んでいますが、そうやって過ごすことで自分の人生を刻み、自分の歴史を創っているのです。そうすると不遇で中途半端な人生となっていきます。それを自覚して欲しいと思っています。


結局あなたが今、自己主張することは本来いらないことです。それをなしにすることで次のステージに行けます。だから、自分と向き合って自分を越えていく作業が必要です。ケア(自然療法)を卒業する人たちは、最終的には自分に問題があったことを認識したからこそケアを卒業し、次のステージに行っているのです。自分と向き合うしかありません。そこが一番のポイントで、あなたが自己主張することが一般社会で適応できない原因となっているのです。


こちらはあなたに反論しているのではなく、あなたの大きな目標を達成するための提案をしているにすぎません。そこを勘違いすると、自分の考えと違うと敵対意識を持ちますからね、あなたは。お父さんもこちらもあなたを応援しているから、あなたに付き合っています。だから、問題事の原因はあなたの中の心の姿勢にあり、今の停滞をつくっているのはあなた自身であることに気付かないといけません。あなたは自己主張で武装していて、それがあなたの人生の障害になっているし、ここでケアを受ける原因になっていますが、それに気付いて、理屈ではなく素直に生きていくことが大切です。そうすると、皆からも好感が持たれるようになります。


あなたは自己正当化し続けていて、自分は正しいと思い込んでいると言いますが、それは客観的視点、相手目線がないからです。だからその主張が通ったとしても何もいいことは生みません。相手に「あなたは話を聴かない人だな」という印象を残し独りよがりの人生となっていきます。

今、日本は豊かだからこんな状態でも支援して貰えるけれども、戦時中だったり食うのに精一杯の時代だったらこんなことは言っていられません。そういう意味では近代の、ただ物理的な豊かさだけを人々が求めてきたことの産物、時代の申し子とも言えます。あなただけでなくそういう人はたくさんいますが、あなたたちはメッセンジャーとも言えます。それをメッセンジャーだからと言って、やり続けるのはどうかと思います。それでは自分の人生に価値がなくなります。

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上記はケア滞在者に対していさどん伝えた言葉ですが、一人の人の行き詰まりは社会の反映でもあり、その解決は社会へ向けてのメッセージともなります。先日、いさどんからロータスランドに掲げられた絵の説明をみんなにされる時間がありましたが、その時、お釈迦様による以下の話が紹介されました。

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お釈迦様の話の中に、家に火がついたのに子どもたちが気付かないで庭で遊んでいるというたとえ話がある。だから、お釈迦様はそれを何とか助けようと思って、家に火がついていることを気付かせようとするのだが、子どもたちはまったく気付かないで朗らかに遊んでいる。それが、今の人間たちの生きる姿勢だ。


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上記の話に出て来る家は長者の家であり、子どもたちは裕福な暮らしをしているそうです。それは地球環境に配慮せず物質的豊かさを享受しさらに追い求めようとしている人間の姿と言えるでしょう。気候変動、異常気象などを通して地球は人類に警告を与えていますが、多くの人々は未だに経済成長という都合の良い幻想を追い求めています。その姿は先に挙げたケア滞在者が病気という幻想を利用する姿と重なります。自分の都合で動いた結果、自分や世界に何がもたらされるか、そのことが見えていないのです。それは客観的視点の欠如と言えるでしょう。そして世界は行き詰まっていますが、その突破口は気づきにあるのです。

気づきとは客観的視点にたって、世界や自分の変遷を見ていくことから生まれる悟りです。今の状態は過去からの積み重ねであり、今この瞬間の心が未来を生み出していきます。その流れを見通すためには自分や世界と向き合う必要があるのです。気づきは自分と向き合うことから生まれます。

ところでロータスランドには3枚の絵が掲げられていますが、それぞれ、富士山麓の自然、地球の生態系、蓮の大輪というテーマを受けて描かれたものです。

蓮の花は法華、当然そこには仏様が入るべき、仏様が入ったら宇宙の光が降りてくる」

こんなふうに絵のイメージは膨らんでいったと言いますが、宇宙の光は気づきの源泉です。それは常にこの世界に降り注いでいるのですが、自我の生み出す幻想はそれを見えなくしています。そして、地球の生態系の中で僕らは生かされていますが、それは常に変化変容を繰り返し美しい豊かさを表現しています。ですが、多くの人は、自然と切り離された社会の中でその事実を忘れてしまっています。

自我は自分の都合の良い幻想の世界を生み出します。そして真実を見えなくし、人を客観的視点から遠ざけます。ケア滞在者、そして現代社会に生き詰まりはそんなふうにして生まれているのです。そこを超える方法はただ一つ。自分と世界と向き合うことです。その時、自分を超えた大きな生態系の中に降り注ぐ宇宙の光に気づきます。その光は僕らを、「ここは何だろう・・・あれ?!」という世界、桃源郷へと導きます。それが僕ら木の花ファミリーが表現しようとしている世界です。



蓮の花の絵です。

地球の生態系の絵です。

富士山麓の自然の絵です。


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