木の花ファミリーは、一人一人独立した個人が集まり一つの経済を生み出しています。その暮らしは、とてもユニークで優しく本質的な平等が実現しています。天然循環法による恵みをいただき宇宙を語る木の花ファミリー。お金を通して心を表現していきます。

視点が変われば景色が変わる。

一昨日の夜、僕は「僕はこの世界について全然知らない」という記事を書いたのですが、その記事に対して以下のコメントをいただきました。

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安心感という言葉や抽象的な言葉を使い過ぎていてかえってその根底にある不安感や焦燥感が浮き彫りになってしまっていますよ。これだけブログで生活の中の安心感という言葉を使う人を初めて見ました。あなたは恐らく不安で空虚でなんとか生きようと未だもがいているのでしょう。もっと日常のありのままを書いてみてください。宇宙が天が視点がなど抽象的な言葉を使わず日常的なありのままを表現してください。このままではあなたは奴隷のままですよ。

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このコメントは公開せずに削除させていただいたのですが、せっかくだから思うところを書いてみようと思います。 

これだけブログで生活の中の安心感という言葉を使う人を初めて見ました」と書かれていますが、この記事には安心感という言葉を使っている場所は最後の一文だけです。それはこんな文章です。

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その先のあるのはきっと、とびっきり個性的で大いなる安心感の中で調和した予測不能な暮らしです。

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正確には記憶していませんが、安心感という言葉を使っている記事はそれほど多くないのではないかと思います。それなのに安心感という言葉をたくさん見ているということは、この方は僕のブログをたくさん読んでくれているのではないかと思いました。そして僕を気遣ってアドバイスをして下さっています。的は外れていますが、有難いことです。

確かに天や宇宙という言葉は沢山使っていますが、これらは僕にとって抽象的な言葉ではなくとってもリアルな言葉です。「そんなの幻だー」という突っ込みが入りそうですが、人の感じていることなんてすべて幻ということだってできます。

この世界は自分の鏡。

よく言われることです。

僕が不安で空虚に見えるならば、それはあなたの姿なのかもしれないのです。

あくまで可能性の話ですが。

天との約束に基づき人との約束を創り上げていく」に対しては、

客観的にはカルト集団にしか見えてないよ、、、 

というコメントをいただきました。これも公開せずに削除しましたが。

客観とは何でしょうか?

客観が現代社会の価値観なのだとしたら、そこから僕らの暮らしを見たら確かにカルト集団に見えるのかもしれません。そんな記事を書いている方もいますし。

ではカルトとは何でしょうか?

もともとは正当な宗教に対する新しい宗教という言葉だったそうです。
新しいもの。そういう意味では僕らはカルトと言えると思います。

ただ反社会的という意味で用いるならば、僕らは別に社会に反してはいません。
天の法則を大切にしつつ、今の社会との対話も大切にしているのです。

僕らは新しい社会のモデルを創り上げている。だから簡単には理解されないと思っています。それでもこの暮らしが大事だと思うからそれ以外に道はないから歩み続けています。

それは僕の自負です。あくまで自負ですが。

視点が変われば景色が変わります。

僕の生き方が奴隷に見える視点もあるのでしょう。その視点を否定するつもりはありません。人生は選択で、自分の選択の責任は自分で取ります。僕はこの生き方を選びました。それが幸せだろうが不幸せだろうが、その責任は僕にあります。

どんなふうになろうと、ふっと心を緩めて「にこっ(^-^)っと」笑って生活するんだ。って思っています。

大いなる安心感と書いておきながら、僕は保証なんてないとも思っています。

そこに矛盾は感じません。

僕は大いなる矛盾の中で矛盾を感じずに矛盾を楽しみながら矛盾した生き方を真っ直ぐに生きていくのです。


最近の富士山です。


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