木の花ファミリーは、一人一人独立した個人が集まり一つの経済を生み出しています。その暮らしは、とてもユニークで優しく本質的な平等が実現しています。天然循環法による恵みをいただき宇宙を語る木の花ファミリー。お金を通して心を表現していきます。

闇からの卒業、そして時代人として

闇からの卒業にあたって


卒業式にあたって、自分の歩む道の方向性をつけるのに、どのような心構えをしたらいいでしょうか、という質問があったので答えます。まず、自分が歩む方向についてですが、自分が思う方向に進めばいいと思います。もし、思う方向が定まらなければ、自分に近い人が教えてくれる方向に進めばいいと思います。その自分が進む方向が決まったら、今度は、それがより健全で正しい道を選ぶことです。この世界にある物事はすべて、必ず善と悪に仕分けることができます。それを比べたときに、必ず片一方が少し劣っており、もう一方が少し優れているというように仕分けられます。それがあまりにも同じようでわからないときには、それを細かく捉えていって観れば、必ずそこでは優劣があるものです。そうしたら、ほんの少しでもいいから優れている方向へ進めばいいわけです。そして、選んでいった結果、最後に残ったところ、それが自分の進むべき道です。

これは「闇からの卒業」であり、「愚かからの卒業」であり、「神様へ進む道」です。

次に、この道を歩む縁をもらったものは、その道には道にふさわしい色々な困難があるものです。そして、それを歩む人には人にふさわしい迷いがあるものですが、この道を歩むものはまず、この道に縁があったことを歓びとして感じていくことが大切です。善いとか悪いとか、そういう判断をするのではなく、この道を歩めることを最大の歓びにすれば、どんなことがあっても、この道を歩むことから外れることはありません。そして、その選び方は、消去法でほんの少しでも光のほうへ、ほんの少しでも善意のほうへ、ほんの少しでも愛のほうへ、ほんの少しでも調和のほうへ、ほんの少しの違いがあってもより尊きほうへ道を歩めば、必ずその道は最後には人の行くべき最終到達地点につながっていることでしょう。

道は、人の目には観えないものですが、心の眼があるものには、その眼が愚かしいを避けて、正しいほうへ導いてくれるでしょう。心の眼を開けるためには、自らの内側にある本当の想いが天のほうへ眼を向けて、天のほうへ向かっていく。まっすぐに向かっていく道を意識したときに、眼はより良く観えるようになります。誰の中にもあるその眼は、全く揺るがないものであるのです。その眼が自らの中にあることを信じ、歩んでいけば、迷うことは全くなくなるのです。そして、過去に自らが迷ったことを思い出して、その迷いの愚かしさ、辛さを思えば、なおさらその真理への道を歩むエネルギーと追い風になってくれるはずです。


迷っているときは、あなたの我が自らをたったひとりにして、まわりのものから遠ざけてしまうものですが、真理への道は必ずまわりのものをしっかりと見出し、助け合い、調和し、歩むように眼を開いてくれます。それは、楽しく希望ある豊かなものになるでしょう。

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今年最後の文章はやっぱりこれを取り上げたいです。この文章は「必死」とは「必ず死ぬ」と書く ~きょうこちゃんの「どこまでもいただきます」物語からの引用ですが、この文章を聴いたきょうこちゃんは以下のように話します。

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ようこちゃんたちが来るちょっと前に夢を見ていてね。そうしたらお釈迦様の手が上から現れてね。『さあ、立ちなさい』と言って、立たせてくれたの。顔は見えないのよ。『おまえはな、肉の眼は見えるかもしれないが、心の眼は盲目であったな』と言われて、『心の眼が見えるにはどうしたらいいのですか?』と聞いたときに眼が覚めたんだけど、すごいね。この話がすぐに出てくるとはね。ついさっきだよ。


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夢の中での質問の答えが現実となって現れる。きょうこちゃんは本当に深い体験をしていたのだなと思います。深いところでは本当にすべては繋がっているのですね。

ところで、この文章のタイトルは「闇からの卒業にあたって」となっています。それで闇とは何か?を考えた時、僕の中には「自我(エゴ)が生み出す世界」という答えが浮かんできました。

人は目の前の出来事に一喜一憂します。それは自らの感情が揺れ動くからです。そして、多くの人はその感情に基づき判断し、行動していきますが、自分を振り返ることはありません。そして、目の前の出来事に埋没していくのです。

仮に反省することがあったとしても、出来事と感情が基準になり、「どうしてこうなったのか?」「どうすれば良かったのか?」と自らの都合の良い現実を求めていくのです。これは物事を客観的に観ていく姿勢とは違うのです。

このような時、人は時代(縦軸)と世界(横軸)を貫いている意志、この世界を動かしている意志、つまりは天に心を向けていません。自我(エゴ)から生まれる感情、その感情に左右され右往左往しているのです。この状態を闇と言うのだと思います。

自我(エゴ)だけから世界を見ているとその世界は自分だけの世界となっていきます。自我から生まれる感情が大きくなればなるほど、他人からの共感は得られなくなります。それは闇の中で盲目に暮らしているのと同様です。そしてそれは正義感など通常良い感情と言われているものにも当てはまります。

以下は、2年前、「PEACE BED アメリカVSジョン・レノン」の予告編を観た後に書いた文章です。

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僕には、反戦のムーブメントを生み出したジョン・レノンの姿がかっこよく見えました。そして、胸に熱いものがこみ上げるのも感じました。

ですが、この映画を観たことがあるという晃ちゃんやいさどんはこの映画をあまり評価していませんでした。

これはムーブメントを描いた映画であってとても浅いもの。ジョン・レノンは反戦を掲げることにより、権力の側に対して戦争を仕掛けているようなもの。一方の役割をしているに過ぎない。

それが二人の見解で、これはまさにその通りなのです。

正義を掲げ、その正義を貫くことに熱くなる。

予告編を観た時、僕の中に湧き上がった感情はそういう種類の感情です。それは麻薬のように僕を気持ちよくさせます。きっとジョン・レノンもそんな感情に突き動かされていたのではないかと思います。そして、それが人々に伝わり大きな動きを生み出したのでしょう。

それは悪いことなの?平和を求める心は良いことだから、それでいいのではないの?

こんなふうに思う人もいるかもしれません。もし、人類が今のまま変化せずに暮らし続けるのならば、それでよいのかもしれません。ですが、真の平和を求めるのならば、この手の感情は手放す必要があるのだと思います。

視点を変えてみて下さい。今、イラクやシリアで大きな勢力となっているイスラム国。彼らにも彼らの正義があります。そして、その正義を貫くことに熱くなり冷静さを失っているからこそ、過激な行動に及んでいるのでしょう。残忍な集団に見える彼らですが、戦乱の先に平和を夢見ているのではないでしょうか?そして、ジョン・レノンが批判したアメリカ政府にも正義があります。正義に基づき戦争をしています。そして、その先には平和がある想定しています。

それぞれの立場にそれぞれの正義があるのです。そして、その正義は平行線です。ですから正義に基づいて平和を求めても、それは有効に働かないのです。

正義を掲げ貫くことは英雄的で気持ちが高揚します。ですが、正義を貫くためには悪が必要となります。そして、そこに対立が生じます。こんなふうにして今の戦争は生まれ、維持されているのではないでしょうか?



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ジョン・レノンの行動は多くの人々の共感を生みました。ですが、それは一つの価値観からの共感であり、世界をその色だけに染めていこうとしたのではないでしょうか?反戦や英雄的な行動には権力という悪が必要になるのです。そのからくりがどこまで意識出来ていたか?意識出来ていなければ、それは盲目的な行動であり、闇の中にある行動と言えるのです。

ほんの少しでも光のほうへ、ほんの少しでも善意のほうへ、ほんの少しでも愛のほうへ、ほんの少しでも調和のほうへ、ほんの少しの違いがあってもより尊きほうへ

そんな視点からすべての行動をみていくと真理が見えてきます。


太陽は教えてくれている


12月23日天皇誕生日の太陽です。


闇から卒業するためには自我が生み出す闇の中に光を射していく必要があります。それは例えば、太陽の視点に立って世界や自分を眺めることを意味します。太陽はみんなに同じように光を与えてくれているのです。木の花ファミリー通信Vol.87にはこんな文章が掲載されています。

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今、世界中で様々な問題が起きています。例えばどこか遠い国で起こるテロは、自分とは関係のないものだと思うでしょうか。地震や台風のような天変地異は、人間にはどうすることもできない自然の驚異だと思うでしょうか。

私たちの生きる地球は、太陽の導きの元にあります。太陽は常にその心を送り続け、人間がそこから外れれば、それにふさわしい現象を地球上に起こし、「気付きなさい」とメッセージを送っています。今世界で起きていることの現実を知り、自分のしていることがそこにどのような影響を及ぼしているのかということが観えた時に初めて、人は変化の道を歩み始めます。

 ~ 中略 ~

この世界には、流れがあります。出来事の表面ではなく、その奥に心の目を向ける時、全ての出来事の背後を常に変わることなく流れ続ける、大きな流れがあることが観えてきます。自らの立ち位置を離れ、その流れに乗って生きると、不思議なほど色々なことが連鎖し、とんとん拍子に物事が進み、自力で何かを成し遂げようとしていた時には想像もできなかったような世界が現れるのです。その流れの中では、余分なものは自然とそぎ落とされ、人々の中に眠る無限の可能性が花開いて、様々な個性が響き合いつながり合い、美しく循環していくことでしょう。それは個人の満足をはるかに超える、ダイナミックな生命の喜びにあふれた世界なのです。


だから太陽は、私たちに心を送り続けています。


あなたたちが美しく健康であるように

互いを想いみんなでつながって生きるように

そして世界が豊かになるように

いつも私の方を向いていなさい  ──────────



そう呼びかけているのです。

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太陽の呼び掛けに耳を澄ませる。太陽の光に想いを馳せる。それは自分を離れることに繋がります。自分を離れることで、内から観た自分と外から観た自分、心の中で感じていることと外で起きていること、これらの差をなくしていくことが大切です。そして、この取り組みは固定したものではなく常にダイナミックに揺れ動き交じり合いながら一つになっていくプロセスであり、その動きが人を悟り(差取り)へと導くのです。そのことをいさどんはこんなふうに語っています。

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自分がある限り、その自分の内側から外を認識する目線はあるのだから、それはそれでいいのだが、同時に、自我のフィルターを抜きにした外側から同じように自分を観る目線が必要なのだ。それは、自らと他者との距離がなくなるということ。他者の目線が自らの目線であり、自らの目線が他者の目線になる。そこは何の境もない、「あなたは私、私はあなた」という世界だ。そのあなたと私の差を取ることが、差取り=悟りにつながる。



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自分の視点、自分の感情を超えていくことで、みんなと共通の視点、想いへと至る。それが悟り(差取り)への道であり、太陽からの呼び掛けなのです。

12月24日クリスマスイブの太陽です。

今年は自分の感情というものが大きなテーマとなっていました。感情を切り離し世界を見ている状態、そして感情に飲み込まれて世界を見ている状態。今までの僕はこの2つの状態を行ったり来たりしていました。どちらの状態も自分の感情を適正に扱えていないため僕は定期的に爆発をしていました。

ですが今年は、喜怒哀楽を思い切り感じながらもそれを超えて自分や世界を見ていく。そんな歩みを確かに始めた年となりました。それは感情と共にありながら感情を超えていく道であり、「自分ごと」から全体性へと至る道となるのです。そしてこれは闇から卒業を意味します。

「自分ごと」から全体性へと至る道、流れをいただくことで、すべての自分ごとは全体性へと繋がっていきます。なぜなら、自分と世界は本来一つであり、一つの流れの下、生かされているからです。大切なのはすべての出来事をいただく姿勢で、いただくことで頂きが増していく、そして、あなたの未熟もみんなに役立っていくのです。だから僕はこれからもそんなふうに生きていきます(^-^)

12月25日クリスマスの太陽です。僕は太陽にイエス様を感じていました。

時代人(Eran People)として


ところで、今日12月29日は新月で、新しいサイクルの始まりです。だからこの文章は1年間のまとめであると同時に新しい始まりでもあるのです。僕は今、今まで歩みをまとめると同時に新たな道を歩み始めているのです。それは太陽、そして永遠へと続く道であり、流れに沿って生きる時代人としての歩みです。最後にいさどんブログ「わたしたちは時代人(じだいびと)です」からの文章を引用してこの文章を締めくくりますね。


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なぜ宇宙は存在するのか。なぜ地球は存在するのか。なぜ生命は存在するのか。なぜ人類は存在するのか。そして、なぜあなたは存在するのか。

これからは地球自体、人類自体が目覚める時代です。人類が皆、この宇宙船地球号に乗っている意味を理解し、宇宙に創られたオアシスであり、奇跡の理想郷・地球に時代の意志を表現していく時代の始まりです。

時代は生きています。時代は意志を持っています。わたしたち人類はその時代の変化を感知し、時代に寄り添っていく立場にあるのであって、時代を創ろうとする必要はないのです。

そのように考えていくならば、この世界は一体です。すべてのものが時代と共に一体となって動いています。それが宇宙の実相です。そのような意識レベルを有した者が地球上に現れたならば、その響きがこの世界に放たれ、それに共鳴した者たちの行動が少しずつこの世界を変えていきます。そしてさらにそれに共鳴した者が行動することによって、その響きがこの世界に放たれていく――、その連鎖が時代を動かしていきます。その響きがこの世界の混乱を鎮め、人類の営みによって傷つけられてきた地球を包み込み、地球を本来の美しい星へといざなっていくのです。

一人ひとりの目覚めがウエーブとなって連鎖し、地球上を巡っていきます。そこには、音もなく、力もいりません。それは、時が刻まれていくときに、時の音がわたしたちの耳には聞こえないのと同じです。地球が自転し公転するときに、その音が聞こえないのと同じことなのです。ですから、時代が動くときに、その音はわたしたちには聞こえないのです。耳をすませてその音を感じてみてください。そのような人類の目覚めの動きが今、地球上に始まっているのです。

今こそ、わたしたちは自らを自我の枠から解き放ち、この無限なる宇宙の中で自由自在に生きる時が来たのです。わたしたちの中から願望や野心が消えた時、宇宙の真理が湧いてくるようになります。そして、人類が誕生した目的にのっとった最もふさわしいポジションにわたしたちは立てるのです。そういった真理に目覚め悟った者は、時代を読み、流れを感じ、今を生きる「時代人」となるのです。

それが、21世紀初頭にあたり、時代がわたしたち人類に伝えているメッセージです。



新月(12月29日15時53分)の2時間前の太陽です。




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