真の信頼(神頼)関係を生み出していく

農事組合法人やNPO法人、そして一人ひとりのメンバーと様々な存在によって構成されている木の花ファミリー。それぞれが独自にお金を管理していますが、意識の上ではみんなのお金と見なしています。どこにお金があっても一つの目的のために使われていくのです。「所有」という概念から自由となり世のため人のためにお金を循環させています。そのあり方を説明する時、「信託」という言葉が当てはまるのではないかと思いました。僕らはお金を信じて託されているのであって、所有しているわけではないのです。

僕は最近、信託という言葉をたまたま目にしたのですが、この言葉は面白いなと思いました。僕らの人生は神からの神託(信託)に基づいています。

神は人間を信じ、人間に自由を与え自らの計画を人間に託しました。

神託は信託。神は自らの計画を手放し人間に委ねているのです。そこに大きな愛を感じます。

そして、同時にパンドラの箱の神話についてもよく考えるようになっています。

「神々からのすべての贈り物」を意味するパンドラは、神々から「開けてはいけない」と言われた箱を持って人間界に現れます。そして、好奇心から箱を開けてしまいます。すると箱からは疫病や悲嘆、欠乏、妬み、憎しみなどあらゆる災いが飛び出しました。こうして世界には災厄が満ち、人々は苦しむことになるのですが、絶望に沈むパンドラに語りかける存在がありました。それが希望です。あらゆる災いが飛び出した後、箱の底には希望が残っていたのです。

パンドラの箱はこんな話ですが、好奇心から箱を開ける行為は、神の言いつけに背く行為です。それは神が人間に与えた自由から生まれる行為で、自我(エゴ)に基づくものです。自我(エゴ)に基づいて行動する時、人は人間の醜さに向き合うことになります。それは人間を知ることに繋がり、プロセスとしては大切なものかもしれませんが、いつか行き詰まりを迎えます。

最終的にトランプ氏が勝利したアメリカ大統領選挙では候補者はお互いに罵り合っていました。それが世界の最高峰のリーダー候補者の姿です。

イラクのモスルではISが民間人を人間の盾とし、多数の犠牲者を出しています。

そして、総人口2100万人の半数以上が難民となり、21世紀最大の人道危機と言われるシリア内線は未だに続いています。

今、世界では様々なニュースが流れていますが、それぞれ人間の醜さや悲惨さ、残酷さを表していて、人間社会の行き詰まりを表しています。まさに絶望的な状況と言えますが、絶望から希望が生まれるのです。絶望、自らの望みを絶つ時、人間の自我(エゴ)の動きが止まります。そこに出来事を受け入れる余地が生まれ、思いがけない出来事に出会うのです。それは神からの働きかけであり、希望へと繋がるものなのです。

希望、まれな望み。

それは自我(エゴ)を手放し、自らの思惑から離れた時、生まれます。

戦争、紛争、経済格差や飢餓、気候変動や環境破壊など。山積する問題に対して、様々な対策が練られていますが、多くが自我(エゴ)の思惑から生まれた自分都合のものなのではないでしょうか?自我(エゴ)からの行動は人間の醜さと出会います。このような対策が思うように進まないのはある意味当然と言えるのです。

神は人間を信じ、自らの計画を手放し人間に託されました。同じように人間も自らの思いを手放し、神に人生を託す必要があるのではないでしょうか?その時、真の信頼(神頼)関係が生まれます。そして、それが思いがけない出来事を生み出し、今ある様々な問題はすべて解決されることでしょう。

そんな未来に向けて、僕たちは神託(信託)関係を深めています。その具体的実践の説明として、「自分ごと」から全体性へと至る道 の文章を紹介します。すべての人の「自分ごと」が全体性(神)へと至った時、この世界の出来事はすべてみんなのものとなります。そこではすべての存在の個性が生かされ真の平和が実現していることでしょう。


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宇宙の法の下では、自他の区別を超えてすべてが繋がり生かしあっています。それから外れた「想い」や「行動」はすべて「自分ごと」なのです。世界のことを考えていても、社会貢献をしていても、「自分が」という想いに基づいていたら、それはやはり「自分ごと」となります。

そして、「自分ごと」の想いや行動は、たとえそれが実現したとしても、この世界に偏りを生み出し、いずれ対立や格差、喪失などの滞りとなって現れるのです。

だから「自分ごと」を超えていくことが大切です。

自我が与えられた人間は、当然のように「自分ごと」の願いや想いを持ちます。そして、それは意欲にも繋がるものです。だから、それらを追い求めることは大切なことではあるのです。ただ、その際、宇宙の法を意識する必要があるのです。

宇宙の法とは天の流れあり、それは時代が生み出しています。

自らの希望を追い求めながらも、天の流れを感じ、結果をいただき学んでいく。

そんな姿勢でいると、自分が高まり、自然と全体性へと至るのです。

それは自分と向き合う旅であり、その旅は果てしない冒険であり、新しい発見は尽きません。新しい発見により自分がどこまでも果てしなく広がっていくのです。

ということでまたここでいさどんの言葉を紹介しますね。

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常に意識を全体性に持っていく必要があります。あなたは今、個人的願望を抱えているわけだけれども、それをどう超えていくのか?それが重要です。個人的願望が全体性と共通していればいいのです。例えば、個人的願望が宇宙の法に基づいていたら、それは理に適っていきます。個人を高めるためというならば、それは全体性を持つことが個人を高めることであり、全体性と個人は本来、共通していることなのです。ですが、個人が抜きん出てしまうと、天が「それは違う」と滞りを与えてくれるのです。

心を磨いた結果出会うことがあります。願いが叶わない状態も自分を高める要素です。「はい!分かりました」と叶うようなことなら、その願いは本当に自分を高めません。

だから何より心を磨き続けることです。

そして、自分を高める努力をしていると、その努力したことでエネルギーが消費され、他のものはいらなくなります。いらなくなった状態をさらに超えた世界。共通の世界で極めていく世界がその次にあるのです。個人で高める努力から「みんなで」とか「一つになる」というところで極める世界があるのです。

それは前人未踏の世界。我々は前人未踏の世界を創らなければならないのです。



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いらなくなった状態をさらに超えた世界。
「みんなで」「ひとつになる」ことを極めた世界。

それはきっと「自分ごと」を超えて宇宙の法の下に生きる人々が、
自らの個性を最大限に発揮した豊かな世界。

バラバラな特徴を持つものが一つのハーモニーを表現する世界。

真の平和が実現しすべての存在が生かされ調和した世界。

言葉にすればこんな感じでしょう。

そんな世界へ向けて、日々の暮らしを大切にし、この道を極めていきます(^-^)




木の花ファミリーのみんな@日本平動物園



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