「ここは何だろう・・・あれ?!」という世界

3ヶ月程前、いさどんはこんな言葉を語りました。

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昔、その不可思議な異次元空間が当たり前に身近にあるけれど、
あまりにも身近にありすぎて、
あることが気付かないようなところにあった。
そこに現れるその異次元空間が、新たな時代を創っていく。
それは潜象界のようだ。

「難しいことを与えておるゆえ、心してゆけ。」
ここまでそれがわかってくると、難しいことの意味がまったく違ってくる。
それは難しいだろう、それはわからないだろう、という話にもなる。
それは、「難しいからやっていくぞ!」というものではない。
ともこのように気合を入れて宣言してやるようなものではない。


僕はただ、
「ここは何だろう・・・あれ?!・・・ここはどこ?・・・」
という場を創りたいのだが、皆は何もわかっていない。

※潜象界とはカタカムナの用語です。
 カタカムナについて1ヶ月間の真学校「4日目カタカムナ」を参照して下さい。

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このとっても不思議でどこか魅力的な言葉を聴いて、
僕は以下のようにいさどんの心を感じ、表現してみました。

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※青字がいさどんの言葉、黒字がそれに対する僕が感じた表現です。

昔、その不可思議な異次元空間が当たり前に身近にあるけれど、
あまりにも身近にありすぎて、
あることが気付かないようなところにあった。

自我を持った人間は、自分の実態から離れ、
幻想の世界で暮らすようになりました。
自我は土台がなく孤立しています。
そのため他人からの承認や評価を必要とするのです。
評価を得て、承認をされることで自分の存在を維持しているのです。

そんな自我の奥には「自分の実態(実体)」が存在しています。

この世界に存在するものはすべて循環の仕組みの中で存在しています。
生き物が生き物を支えることで成り立つ生態系。
そこに存在するものはすべて一つなのです。
自我の奥に存在する「自分の実体(実態)」も
この世界の循環の中で存在しています。
つまり、それはすべての存在と繋がり、
宇宙の法則の下に存在しているのです。

全存在と繋がる「自分の実態(実体)」は、
自我の想像を超える体験をもたらします。
それは自我にとって不可思議な異次元空間のような存在です。
そして、常に自我の一番近いところに存在し続けています。
ですが、自我は幻想の世界に埋没しているため
その存在に気づくことがないのです。

そこに現れるその異次元空間が、新たな時代を創っていく。
それは潜象界のようだ。

人類は長いこと各々の自我の幻想の中で暮らしていました。
一人一人の幻想から共通項を抜き出し共通の幻想を創り上げ、
実態の存在を忘れてきました。
人類は実態を無視した幻想の中で一喜一憂し、毎日の糧を得ていました。
それは各々の欲望を際限なく追及する姿勢に繋がりました。
今、その暮らしが限界を迎えようとしています。
実態を無視し、際限なく己の欲を追求した自我の振る舞いは、
この世界を蝕んできたのです。

自然災害や環境破壊、テロリズムや紛争、貧困、経済格差など。

今起きている様々な問題は社会が生き詰まりを迎えているサインなのです。

今、一人ひとりが「自分の実態(実体)」に気づいていく必要があります。
その時、自我の想像を超えた異次元空間が開かれ、
新しい時代が創られていくのです。

今までの社会は物質循環のみで営まれ、天然循環はしていませんでした。
そのため物質のエネルギーは枯渇し、環境破壊が進んでいるのです。
一人ひとりが「自分の実態(実体)」に気づいた時、
天への扉が開かれ、エネルギーは潜象界に返り、天然循環が始まります。
天然循環する暮らしはこの世界に新鮮なエネルギーをもたらします。
そのエネルギーは想像を超えた出来事を人類にもたらし、
今ある問題はすべて解決されるでしょう。

「難しいことを与えておるゆえ、心してゆけ。」
ここまでそれがわかってくると、難しいことの意味がまったく違ってくる。
それは難しいだろう、それはわからないだろう、という話にもなる。

難しいにもいろいろな意味があります。
自分がこの道を貫くことの難しさ。
この道の大切さを世の中に伝えることの難しさ。
どちらも難しいです。
今、この道の大切さは僕の中では明確となり、他に道はありません。
今や、僕がこの道を貫くことは当然のことなのです。
ですが、分かれば分かるほど、
この道は今の社会の常識とは大きな隔たりがあります。
それを人々に伝えることを考えると、
それは難しいだろう、それは分からないだろう、
とそんなふうに思えてくるのです。

それは、「難しいからやっていくぞ!」というものではない。
ともこのように気合を入れて宣言してやるようなものではない。

先にも伝えた通り、僕にとってこの道は明確であり、
もう他には道がありません。
今や「もう他に道はない」という言葉すら必要がなくなっています。
「もう他に道がない」と表現することは、
他の道に対して、それは違うと否定する意味合いも含まれます。
そこには力も入ります。
ですが、もう自分の視野には一本の道しかないのです。
だから、わざわざ「他に道はない」と表明する必要はないのです。
ただ淡々と歩むことであり、気合は必要としないのです。

僕はただ、
「ここは何だろう・・・あれ?!・・・ここはどこ?・・・」
という場を創りたいのだが、皆は何もわかっていない。

みんなが「自分の実態(実体)」に向き合うと、
異次元空間への扉がここかしこに開かれます。
もうそれは自我からしたらわけの分からない世界であり、
大いなる存在へと繋がる世界です。
そんな世界をここに表現した時、訪問者の自我は弱まり
「ここは何だろう・・・あれ?!・・・ここはどこ?・・・」
という体験をします。
この空間自体が訪問者へ
「実態(実体)=異次元空間」への旅を促すようになるのです。

僕はそんな場を創りたいのです。

だけれども、みんなは相変わらず自我に翻弄され続けています。
みんな、自我の下、自分の想定内の毎日を送っています。
そんな暮らしは面白味がありません。
僕はそんな生活には1日だって耐えることは出来ません。
ですが、みんなは平気な顔でそんな毎日を送っています。
それはこの暮らしの価値が分かっていないということなのです。

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まず自分の幸せがあり、その後に他人のことを考える。
それが今の世界の価値観なのではないでしょうか?
多くの人が自我の願望を満たすことを考えていて、
それと現実との間に矛盾が生じた時に調整を加えていきます。
あくまで自我を基準に世界を見て体験しているわけですが、
自我の奥には「思い通りにしたい」心があるのです。

今年のノーベル平和賞にはコロンビアのサントス大統領が選ばれました。
この話題が昨日のNHKニュース深読みに取り上げられ、
番組紹介には以下のように書かれています。

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今年のノーベル平和賞に、南米・コロンビアのサントス大統領が選ばれました。
半世紀にわたり反政府ゲリラ組織との内戦が続き
20万以上の命が失われたコロンビアで、
粘り強く“対話”を続け、
先月和平案の合意にこぎつけたことが評価されました。
この“対話による解決”は、
世界で続く紛争やテロを終結するヒントになると期待されています。
世界の平和を築くためにいま必要なことはなにか?
ノーベル平和賞をきっかけに考えます。

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そして昨年のノーベル平和賞はチュニジア国民対話カルテットであり、
そこでも対話の重要性が強調されました。

※国民対話カルテットについては、六辻さんのブログ
 「チュニジア「国民対話カルテット」のノーベル賞受賞-その軌跡と意味
 がとても参考になりますが、そこにはこんな表現があります。

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選挙や民主主義は、国民の要望を取りまとめるという「統合」の側面があります。
しかし、その一方で、個人や各勢力が自らの意見や利益を表面化し、
競合することにより、そこには宿命的に「分裂」の側面もあります。
民主政で名高い古代ギリシャで、市民権が拡大するにつれ、
富者と貧者の間の階級間闘争が激化し、
最終的に専制君主国家のマケドニアがギリシャ世界を併呑したことは、
民主主義がもたらす社会の分裂の危うさを現代に伝えるものです。

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各自の意見や利益が表面化することで「分裂」していく。
それは現代の民主主義が直面している課題です。
それをいかに「統合」の方へと進めていくか?
そのために対話が重要となるのですが、
それが功を奏するにはそれぞれが自分の立場を超える必要があります。

チュニジアが問題を抱えつつも民主化に成功しているのは、
平和という大きな目的のために、
それぞれの団体が自分の立場を超える努力をし続けているからでしょう。

その一方で、コロンビアの和平案は国民投票により否決されました。
和平案の成立を阻んだのは、それぞれの立場のこだわりなのではないでしょうか?

多様性が分断ではなく統合に進むためには、
一人ひとりが大いなる流れに従う必要があります。

一人ひとり多様な個性を持つ人間ですが、
みんな宇宙、そして太陽や地球に生かされて存在しています。
そのことは共通していて、そこには一つの大いなる流れが存在しています。

自我を離れ、その流れに意識を向けた時、
自分の想像を超えた世界が展開し、流れが人々を一つに繋げていきます。

それが「ここは何だろう・・・あれ?!」という世界であり、
僕らは未熟ながらも日々そこへと意識を向けています。

昨日、開催された恵みいただきます&ロータスカフェは、
そんな僕らの日々の実践から生まれたもので、
「ここは何だろう・・・あれ?!」という世界の一つです。

その様子を写真でお伝えしますね。

お客様に提供した料理です。内容は下の絵を参照して下さい。




会場は様々なで彩られていました。



売店で元気に活躍するえいこばあちゃんです。

当日のスタッフの写真です。全員ではありませんが・・・

まずは大いなる流れを意識して対話をする。
その先には対話もいらない阿吽(あうん)の世界が開かれます。
そんな暮らしを実現し、その幸せが世界に広がるように。
一人ひとりが自らの自我を乗り越えていく。

木の花ファミリーの暮らしはそんな暮らしです(^-^)

現在の価値観の中、それを人々に伝えるのは難しいのかもしれませんが・・・
大切なことはきっと伝わっていきます。
伝えるではなく、伝わる。
そういう気持ちで日々を大切に生きています。


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