僕であって僕でないもの

先日、いさどんと以下のような会話をしました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

いさどん:

何か自分がアプローチして駄目だった場合、
それは諦めることなのか、再チャレンジすることなのか、
そこを見極める必要がある。
形としては、願いを叶えるという形でそれを達成するのではなくて、
それが自ずと叶う、願っていなくても叶う。
そこのところにいかないと本当ではない。

なかのん:

願いを叶えるという姿勢だと狭いところに入っていく感じがする。

いさどん:

願いを叶えるということになると目的を達成するために何かをしていることになる。
それは宇宙の法とも自然の流れとも違う。
それは個人の人間が自分の立ち位置で欲求を果たすということ。

なかのん:

でも多くの人は願いが叶うことを良しとしている。

いさどん:

願いを叶えることを良しとしているから今の世の中がある。
それは正義を貫く態度にも通じる。
一人ひとりがそれぞれの正義を貫くことで社会は混乱の極みに達している。
今、それぞれの正義を手放さなければいけない時が来ている。

そしてそれは理解するということも同様で、
大切なことは、分かろうとして分かるのではなく、自ずと分かっていく。

例えば、高い次元で語られた話に出会ったとする。
それを自分の自我の延長に、
自分の何かを満たすためにその話を聴いてはいけない。
極めてフラットな状態でそれを聴く必要がある。

それを聴いた時にどうするか?
自分とは関係のないことにしてしまったら価値がなくなる。
そこを目指す。ならばそれを理解する前に毎日心を磨けばいい。
するといつの間にか経験したことのない場所に出会うようになる。
そして、それがあの時聴いた話だと自ずと分かるようになる。

人は誰でも相応しい場所に出会っているのだから。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自分の感情から物事を観た時、願いが叶うことが良いことに思えます。
ですが、自らの価値という視点に立った時はそうとは限りません。

願いが叶うことで価値が上がることもあれば、下がることもあります。
反対に、諦めることで価値が上がることもあれば、下がることもあります。

そう考えると願いが叶うかどうかは大して重要ではありません。

出会った出来事に対して自分がどう向き合っていくか?

大切なのは自分と向き合う姿勢なのです。

自分と状況を外から眺めることで必要な姿勢は自ずと明らかになります。

だから常に自分の外に出るように心掛ける必要があります。

僕であって僕でないもの。

その立ち位置が自分を常に新しい世界へと導きます。

僕と世界は一つ。

僕の経験は世界に刻まれ、僕が変化することで出会う世界が変化します。
そしてそのことを通して僕はこの世界を知っていきます。

然るべきことが自ずと叶い、そして然るべきことが自ずと明らかになる。

そんな世界に今、生きています。







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