それが道の途上にあるものならば必ず実現する

なかのんはブログで立派なことを書いています。
今の状態でそれを書くことは、偽物を書いて罪を犯しているような話で、
それは自分の価値をどんどん落としているのです。
でも、だからブログを書くなということではないのです。
ブログに相応しいものになるとしたら、そんな状態でいるはずはないのです。

そこは僕のためではなく、あなたの価値を上げるということと、
世の中の為にあなたに目覚めて欲しいと僕は願っています。

そして価値あるものとしてあなたのいろいろな思いが
表現されていく世界を実現しなければなりません。
愚かしいところで、目覚めない状態で自分の願いを叶えるということは、
自分にとっても世界にとっても何もいいことはありません。
そこを分かるということだと思います。


☆彡 ☆彡 ☆彡

これは2015年10月2日の大人ミーティングでいさどんが僕に対して語った言葉です。

結果を追い求めるのではなく結果から自分を知る」をみんなにシェアして以来、
僕の中では「願い」というものがテーマになっています。
そして、昨年のことを思い出しています。

昨年、2~3ヶ月間、感情に翻弄され続けた僕にとって、
10月2日の大人ミーティングは大きなターニングポイントになっています。

あれから8ヵ月。僕はずっとブログを書き続けています。
それはブログに相応しいものであり続けているということです。

僕は15年ぐらい前に、数十人の暴走族が走っているところに、
一人で立ち向かおうとして失敗する夢を観ました。
その頃の僕は、自らの衝動に翻弄されて、
自分で自分の人生を台無しにしていました。

僕にとって自らの衝動をコントロールすることは、暴走族に向き合うぐらいに難しい。

当時そんなことを感じると共に無気力になっていきました。

それ以来何度も出会っている人生を台無しにする衝動。
積み上げてきたものを一瞬で壊してしまう衝動。

それは僕の中の駄々っ子。
自己主張と依存心と甘えの現れ。

その衝動を今は超えているということですy(^^)yピース!

僕は子どもの頃、誘拐される夢を沢山見ました。
それらの夢はとっても怖かったです(-_-;)。

ある日の夢では、僕は両親と妹と自動車に乗っていました。
その時、かぼちゃの顔をした「かぼちゃマン」が走って僕らの車を追いかけてきたのです。
かぼちゃマンはとっても早くて僕らの車に逃げ切ることが出来ません。
そして、かぼちゃマンは高らかに笑っています。
かぼちゃは当時の僕が最も嫌いだった食べ物。
そのかぼちゃが迫ってくるのが本当に怖かったのです。

プロセスワークでは、子どもの頃の夢を「人生の神話」として捉えています。
それは人の人生を貫く大きなテーマとなるのです。

僕は子どもの頃の夢での中で何度も何度も誘拐されました。
それは、血縁の家族や個人的な繋がりではなく、
もっと大いなるものに導かれて生きていくということです。

大いなるものとはこの世界のすべて。
世界は僕で、僕は世界。
この世界が僕を生み出し、僕がこの世界を生み出している。

だからこの世界に起きることすべてに僕は一人分の責任を持ちます。

それで再び「願い」について思います。
そして、以下のような結論に達しました。

それが道の途上にあるものならば必ず実現する。
なぜなら僕は心の道を極めるから。

それは手に入れようとするものではなく、自然となるもの。

これから価値あるものとして僕のいろいろな思いが表現されていきます。

それが天との約束だから。

ちなみにかぼちゃは今、僕の最も好きな食べ物となっています。
かぼちゃはきっと僕にとって天からの使者なのです(^-^)


木の花ファミリーのみんな@5月29日恵みいただきます

これは昨年の誕生日プレート。大好きなかぼちゃ丸ごと1個にチャーハンが詰まっています(^-^)


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