どんどん分からなくなってどんどん喜びに溢れていく

多くの人で暮らす木の花ファミリー。スリッパや靴も沢山あります。
そして、そのスリッパや靴が乱れている時もあるのです。

そんなスリッパの状態を見て、

「菩薩の里」を目指しているここがこれでいいのだろうか?

そんな憤りを感じる人もいて、昨晩の大人ミーティングではそんな気持ちがシェアされました。
その話の中でいさどんは以下のような話をしました。

☆彡 ☆彡 ☆彡


現象に出会って感情的になる人は自分の求める答えを欲しがっているのです。

人はこの世界に生かされています。
どこに自分で生きている要素があるのでしょうか?

自分の意志で呼吸をしていますか?
心臓を自分の意志で動かしていますか?

人間は生きているのではなく生かされているのです。

ですが多くの人にはそのことが見えず、生きていると思っています。
そして自分に権限があると思っています。
だから自分の思う通りの答えを欲しがっているのです。

思う通りにしたければ、この世界の流れに沿う必要があります。
流れに沿っていれば、自分の見通しに沿った出来事が起きていきます。
ですが、その時、それは自分の想いではなくなっているでしょう。

宇宙の流れに乗ってしまえば、その流れはどこにでも通用します。
それは毎日の生活で確認できることです。

「神は物理性」、この世界の現象の中に顕されているのです。

みんなはこういう生活をなんのためにしているのでしょうか?
日々、それを問い掛けてみて下さい。
その姿勢でいろいろなことに出会ったら脇道にそれずに進んでいけます。

今、国会では保育園の待機児童をなくすことに一生懸命になっています。
ですが、待機児童よりも外で働かなければ暮らせない経済の方が問題なのではないでしょうか?

本人が望むならば、外で働くのも良いでしょう。
ですが、母親が子どもと一緒に過ごせるのも良い暮らしです。

安倍首相は一億総活躍社会の実現を掲げています。

お母さんが家のことをきっちりやるのも活躍ではないでしょうか?
家にいても活躍は出来るのです。
それなのにお金を稼ぐことだけが大切になっていないでしょうか?

本当の大事、大本はどこにあるのでしょうか?

大本の話がなく、物理的な話をしても上滑りをするだけです。

スリッパのような細かいことに気がいくのは大きな心を持つ人の姿勢です。
ですがそこだけに気が行くと大きな心を失ってしまいます。

バランスが大切なのです。

昔、近所の公園の掃除をしている人がいました。
彼女はそれをしていることで「自分は出来ている」と思っていました。

自らの人間性を見詰めずに、トイレの掃除をしたら「出来ている人間」となっているのです。
そんな彼女に僕は伝えました。

~ ~ ~

あなたが掃除をしているのは公園のトイレが汚れているからです。
ではなぜ公園のトイレは汚れるのでしょうか?
多くの人は自分のトイレではないから汚く使うのです。
ですが、あなたがキレイにしてしまうとみんなそのことに気付きません。
みんなに汚い状態で使わせることが大切なのではないでしょうか?
あなたは人が気づくチャンスを奪って、「自分は出来ている」という頑なな姿勢をしているのです。

~ ~ ~

これはトイレの掃除を問題にしているのではありません。

その行為が何をもたらしているか?

常にそのことを考える姿勢が大切だと伝えたのです。

そして、その時は自らの感情をフリーにすることが大切です。
フリーの状態で考え、フリーの状態でみんなに語るのです。
その時、自らが語ることで起きる反応に開かれ、変化していくのです。

会話する際、相手に関心があるのではなく、
「自分が理解されたい」と思っている人が多いのではないでしょうか?

ですが、僕は自分を理解してもらおうとは思っていません。
関心は相手にあるのです。
相手の思考の動きに注意し、コミュニケーションを円滑にすることを考えています。
その時、その場に生み出さることは常に新しいことになるのです。

常に新しい見解を求めていく姿勢。

その姿勢があれば、自分の中から新しいものが沸いてくるのです。
そしてその時、起きる現象も変化していくでしょう。


☆彡  ☆彡 ☆彡

こんないさどんの話を受けて、みんなで以下のことを確認しました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

人の話しを聴いて、「分かった!」と思うことがあるが、実はその「分かった」も怪しいのです。
なぜなら、その「分かった!」が自分の範疇のこともあるので。
本当に分かった時、人は反省するものです。

分かっていないことは実は喜びです。
「分からない」と苦しんでいたとしたら、
そのこと自体、宇宙の仕組みを理解していないのです。
なぜなら、この宇宙のことはどこまで行っても分かることはないからです。
知れば知るほど、新たな疑問が生まれます。
どんどん分からなくなってどんどん喜びに溢れていくのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

こんな感じの大人ミーティング。とっても面白かったです(^-^)

木の花ファミリーのみんな@恵みいただきます


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暗闇の中に光の柱が立ち上がる

賢者は己の敵から多くのことを学ぶ

これは古代ギリシアの喜劇作家アリストファネスの言葉。
風呂場の日めくりカレンダーで目にしました。

この世界は自分の鏡と言います。

敵が目の前にいるということは自分が敵を生み出す心をしているということです。
敵と向き合うことは己と向き合うことになり、
そのためそこから多くの学びを得ることが出来るのでしょう。

人々がこんな姿勢になったら、世界で起きている戦争もなくなるのでしょうね。

3月19日トルコのイスタンブール、3月22日ベルギーのブリュッセルと大規模なテロが続いています。
テロが起きた時の対応は、テロリストを敵とみなし、それを排除しようとするのが一般的です。

自分とは全く別の存在と見なす。

そこには敵から学ぶ姿勢はなく、自分自身に対する認識も深まらず、
だから現状は変わらないのではないでしょうか?

そんなことを思いました。

日々の生活でいろいろな判断が自分の感情に彩られているのを感じます。
無自覚に自分視点の物語を生み出しているのです。

その自分視点の物語が時に敵を生み出していくのです。

この世界で起きることは良いも悪いもなくすべてお互いさまです。
それが一人一人、自分の視点に立つと自分が正しく感じるようになります。
自分自身の価値基準でこの世界を裁き評価します。
そして、悪を排除しようとして争いが生まれます。

それらはすべて自我(エゴ)の働きです。

1ヶ月間の真学校最終日、いさどんが語った挨拶「あなたのリセットはあなたに託されています」では、自我の囚われからの解放としてリセットという言葉が使われています。そのリセットは一人一人に託されているのです。

自我の囚われの中にいると、人は自らが記録する歴史の中で世界を経験し判断します。
ですが、リセットし、囚われから解放されると、無限に続く宇宙や生命の歴史が呼び覚まされていくのです。その時、自らの生命も無限となり、すべての存在と繋がっていくのでしょう。
そして、世界から争いがなくなる日が来るとしたら、人類がその意識に目覚めた時です。

3月20日は春分の日でした。
太陽が春分点を通過する春分の日は、天体上では1年の始まりと言えます。
宇宙の歴史の小さな節目であり、新たな始まりです。

その節目を機に、日々の生活の中で自らの意識を宇宙に繋げていくことを新たに誓います。

(^-^)

ちなみに春分の日、僕は子どもたちとサッカー観戦に行っていました。
1年の始まりに普段より多く子どもと接し、子どもたちを知り、自分を知る機会ともなりました。

一緒にサッカーを観に行った子どもたち


サッカー観戦の時、キッチンさんが作ってくれたお弁当

そして、宇宙と言えば、3月17日、夜中の1時頃。

僕は西の空に明るい光を観ました。赤く輝いていてとてもきれいで厳かな感じがしました。
その時、僕はカメラを持っていなかったのですが、取りに行って写真を撮りました。


暗闇の中に光の柱が立ち上がる。

そんなことを感じたのですが、この輝きに出会う直前、
僕は大人ミーティングにてみんなと子どもについて語り合っていました。

大人の姿勢が子どもに現れる。だから日々、自分たちの暮らしに柱を立てる必要がある。

そんなことを確認した直後に出会った輝きです。

今年は子どもが大きなテーマとなる。

そんなことを感じています。


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目標達成♪(^-^)♪

農事組合法人木の花ファミリーの法人税申告、そして、個人としての確定申告。
2月から3月に掛けてはこの2つの仕事を抱えて、毎年大きなプレッシャーを感じることになります。
昨年と一昨年は、足がむくんでゾウさんの足のようになり、その前の年は肺炎になりかけました。
こんなふうにこの時期は身体に異変が生じみんなに心配を掛けてきたのです。

それはなぜか?

甘えたい気持ちがアピールしたい気持ちに発展し滞りを生み出す。

僕は今、当時の自分をそんなふうに分析しています。

大変な状況にある時、心と身体にストレスが掛かり甘えたくなります。
ですが、僕は普段から甘えるのは下手なので、その気持ちを素直に外に出すことはありません。
その時、その大変な状況に没頭していくことで周りにアピールをするようになるのです(無自覚に)。
そして、没頭することにより負荷が余計にかかり、いっぱいいっぱいになっていきます。
それが体調不良などの滞りに繋がっていったのです。

今年はみっちゃんが全面的にサポートに入ってくれて、大分助けられたのですが、
それでも法人税申告&確定申告は大変な仕事です。
そこに他の仕事が重なったことで大きなプレッシャーを感じることになりました。
そして恐怖からなんども自分の仕事に没頭したい気持ちに襲われました。
ですが、恐怖は自分が創り出しています。
恐怖心は大変な状況をアピールしたい気持ちには好都合なのです。

今年は恐怖心と向き合いコントロールすることが出来ました。
そして日々を淡々と過ごしました(^-^)

昨年の2月、法人決算でいっぱいいっぱいになっている僕にいさどんはこう言いました。

もしあんたが一生懸命にやって法人税の申告が間に合わなかったとしても、
それはここ全体の実力として受け入れるだけ。

そして、その言葉にみんなも同意しました。

「こうでなければならない」というように縛られることはないのです。
とはいえ、「出来なくても気にしない」というわけでもないのですが。

一生懸命にやりつつも結果は求めずすべてを受け入れる。
すべてを受け入れつつも、結果を大切にする。

矛盾するような「ゆらぎ」。

お餅つき大会の様子です。
今年はこんな姿勢で、子どもと一緒に散歩を楽しんだり、誕生日会お餅つきなど、
日々のイベントを楽しんだりと、出来るだけみんなと過ごすことを大切にしました。

特に甘えずアピールもせず。

ただ淡々とみんなと過ごすことでみんなからエネルギーを貰っていました。

みんなの真ん中で生きていく」に書いたように僕はみんなの中に溶けて生きていくのです。

真ん中で際立つのではなく溶けていくのです。

目立つ必要はないのです。

目立たないこと。

誕生日会の様子です。
それを目標にし仕事を淡々とこなしていました。

そして今日これから。とうとう仕事を終わらせ確定申告に行ってきます。

今年は身体に何の異変も起きていません。

とりあえず目標達成です(^-^)








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今、出会うことが常に答え。

3月7日で41歳となりました。

40歳は不惑。「惑わず」です。それ以降の人生に迷いはないということ。
41歳を迎えた今もこれからもこの道を惑わずに進んでいこうと思います。

人は常に自分自身という答えを与えられています。
その答えに向き合うことで人生は変化していきます。
それは無限の可能性を持ったこの世界を体験していくということです。

自分を知ることで世界を知り、自分が変わることで世界が変わります。

そこに自分の意図は必要ありません。
出会いに開かれていく。
そして、現状を踏まえて考え抜くだけです。

この世界が1本の大木だとしたら、僕は1枚の葉っぱ。
太陽の光や雨を浴び、枝から栄養をいただくことで生きています。
そして、他の葉っぱと共に大木に彩りを与えます。
僕は葉っぱであると共に大木でもあるのです。
葉っぱの視点は限られています。
自らの限られた視点に囚われている必要があるのでしょうか?
葉っぱの意図なんてどうでもよくてただ太陽や幹に導かれ生きていくのです。
そして日々変化し世界を味わっていきます。

そんなふうに過ごす中で、いつの日か枝から離れていきます。
ふわふわと宙に浮かび、舞い降りて土に還っていく。
そして大木の肥やしとなっていくことでしょう。

すべては巡り巡ります。その中で常に新しいことが生まれ続けています。
出会うことに向き合うことで、僕は変化と一つとなり世界と一つになっていきます。
惑わずに。そんなふうに生きていきます(^-^)


夕食の時間。防災デーのため蝋燭の明かりの中、みんなが誕生日を祝ってくれました。

キッチンさんが特別に用意をしてくれたプレートです。

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気分転換 - みんなで(^-^)

農事組合法人木の花ファミリーの法人税申告が終わり、今、個人個人の確定申告の準備に入っています。法人税の申告にエネルギーを使い、集中がちょっと途切れている感じがするので、気分転換にブログを書くことにしました。(法人税申告日のことはFacebook投稿に書いています)

文章を書くと不思議と身体が軽くなり楽になるのです(^-^)

とりあえずいさどんの言葉を2つ紹介します。


まず一つ目。池上彰緊急スペシャル!!「なぜ世界から戦争がなくならないのか!?」を観た後のいさどんの言葉です。

☆彡 ☆彡 ☆彡

人間社会では、魅力的な意見が正しい意見として出てくるのです。第二次世界大戦後、戦勝国と敗戦国に分かれました。そして戦勝国にはアメリカとソビエト(現在のロシア)、2つの勢力が出来ました。戦勝国それぞれの考えが人々を魅了したのです。人々を惹きつけて対立軸となっていったのです。
今、当時の戦勝国となった考え方がある意味、敗戦を迎えようとしています。価値観が壊れつつあります。あの番組では、敗戦を経験せず戦争を続けたアメリカの価値観を悪いものとして、敗戦からの反省が大切だったと説明しています。今までの価値観に対抗する価値観を正しいと言っているわけです。これは物事に善と悪に分けて、自分が善の側に来て意見をかざす姿勢で、今までのアメリカの姿勢と変わりません。そういう時代は今、終わろうとしているのです。
確かに敗戦国のドイツや日本は戦争をしてきませんでしたが、NATOや日米安保を通して、戦争をしてきているのです。そして、貧富の差やいじめ問題など様々な社会問題を抱えています。果たしてこの状況が正義の延長にあると言えるのでしょうか?
番組の合間に流れるコマーシャル。そこから伝わるメッセージは健全なものと言えるのでしょうか?どこに私たちを誘導しようとしているのでしょうか?
今、私たちは長い歴史を通して物事を見ることが出来る位置にいます。それをところどころで区切ってこれが正義、これが悪と言うことが出来るのでしょうか?人類がこの世界に誕生し、人類が終わるまでが一つの生命です。人間のやっていることはすべての人間の責任です。誰もそれらを切り離すことは出来ません。今、私たちはそういうことを学ぶ時期に来ているのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡


次の言葉は、「人間の欲はどこに来るのか?」という一ヶ月の真学校生エリちゃんの質問に対する答えです。これは「菩薩の里の経済」の時間に話されました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

僕の見解では、欲は人間の向上心なのです。向上心はいいことですよね?厳しい環境を楽なものにしようとしたり。それは努力して勝ち取るものです。そういう能力を与えられているのは地球上の生命では、多分人間だけです。人間は向上心を与えられたことにより沢山の可能性を持ちこの世界を進化させるための役割を担っています。ですが、その使い方によっては暴走するわけです。だから、暴走することをコントロールする能力も与えられています。そうすると最終的にどの地点に立ってコントロールするかというところに行くわけです。人間は最終的に宇宙の実態を掴める能力を持っています。それは神さまと同一のところに行けるということです。ですが逆に言うと、神の存在から最も遠いところに位置することも出来ます。人間であるということはものすごく広い可能性を体験できるということです。端っこから端っこまでを体験できるすごいものとしてこの世界に存在しています。希望がありますよね?おバカちゃんであることも希望なのです。この世界で生きるということは神さまの代理で生きていて、生きることは直会といいますよね?そういう意味でいうと神さまが味わえないものを人間が味わって神さまにフィードバックしているのです。世界を行ったり来たりするエネルギー源が欲なのです。全体像を知らないで欲に翻弄されていると不幸な状態となります。ですが仕組みの中の全体像に気づくとすごいダイナミックな存在として経験されるのです。それが目覚めているか目覚めていないかの違いです。

このいさどんの言葉を聴いてエリちゃんは話します。

りがとうございます。とても助けになりました。霧が晴れたようです。なぜ神がこんなふうに世界をデザインしたのか?いろいろな選択肢が自分たちの中にあるということを忘れていました。それに対する責任があることも。私は良いとか悪いとか善悪で判断する傾向に陥っていました。

そしてそれに対するいさどんの言葉です。


すばらしい。そこの理解まで行くと人は常に神と共にあり、そして常に自由でいられます。今、世界は混沌としていますが、これも神さまのヴィジョンからすると単なるプロセスに過ぎないのです。この段階の情報にしか過ぎません。だけれども、人間がそのことを分かってしまうと冷めてしまいます。分かっていないのも愚かだし、分かり過ぎても冷めてしまいます。だからほどほどに深刻にほどほどに楽しんで生きろということですね。

☆彡 ☆彡 ☆彡

法人税の申告を済まし、個人の確定申告を控えている僕は、ほどほどに深刻になりほどほどに楽しんでいます(^-^)

さて人間の欲から経済が発展し、その経済から争いが生まれ、暴走し戦争に至っているのが現代ではないでしょうか?それは神さまから遠ざかる道のりで、その道のりはみんなは歩んでいたのです。あくまでみんなで歩んでいたのに、善い悪いという視点に囚われるとそのことが見えなくなるのですね。人間は自由な存在です。一瞬で神さまの方に近づくことも出来るはずです。

みんなで。

きっと大切なのはその心なのです。


2月28日「恵みいただきます」の写真です。


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