客観性はすべての出来事を生かしていく。

今、太陽系で木星と海王星が太陽を挟んで180度に位置を運行しています。
これは約13年に一度の天体イベントとなります。
(11月5日が最大) ※地球暦「木星と海王星の開き」参照。

コミュニティや「みんなで」ということを表す木星と、
精神性やユーモアを表す海王星の開きは、
みんなで精神性を深めていく、
そしてその深めた精神性が社会に広がっていくことを表しているのではないでしょうか?

そんな中、木の花ファミリーでは11月3日の晩、
今年の8月に放送されたNHKスペシャル「女たちの太平洋戦争」をみんなで観ました。

アジア太平洋戦争に「従軍看護婦」として派遣された女性たち。
その証言を元に作成されたこの番組は、戦争の悲惨さを描いています。

このように戦場の様子が赤裸々に語られるようになったこと自体、
時代の流れを感じさせますが、この番組を観て、いさどんは以下のように語りました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

我々は今までも戦争の映像を観て、人間についての認識を深めています。
それは悲惨な世界を描いていますが、あの時、世界大戦があってよかったとも言えるのです。
もし世界大戦がなく、そのまま科学技術を発展させたら、
もっと早く地球環境に限界が来たのではないでしょうか?
加えて、痛みを知らない人類は、
もっと軍備を発展させた状態で世界大戦を起こした可能性もあるのです。
そう思うとあの段階で痛みを与えてもらって良かったとも言えるのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この言葉を聞いて「そうだよな」と思いました。

安心感を育んでいく」にも書きましたが、
今、多くの国々は損得勘定で繋がったり離れたりしています。
第二次世界大戦での「痛み」は人類に戦争は「損」として刻み込みました。
それは確実に戦争に対する抑止力になっているでしょう。

それでも小さな戦争はなくならない現状があるのですが・・・・

それは人々の心が本当に意味では変化していないからでしょう。
それを表すように地球環境からは厳しいメッセージが伝えられています。

今年の12月にパリで開催されるCOP21(国連気候変動枠組条約第21回締約国会議)に向けて
各国は温室効果ガスの削減目標を出しています。
ですが、それぞれの国が出している目標を達成したとしても、
気温上昇を2度未満に抑制することが出来ないと言われています。
 ※「COP21が求めるもの 低酸素でレジリアントな社会」参照

今、人類はその生活を根本的に見直す必要があるのですが、
まだ間に合うのは先の世界大戦の「痛み」のお蔭とも言えるのでしょう。

時は相応しく刻まれているのです。そして今があります。

続いて、11月4日、5日の大人ミーティングでは、
21世紀のいのちの捉え方」をみんなで読みました。

人は必ず死にます。それは客観的な事実です。
なので情を挟まずに、死から客観的に学んでいくことが大切なのです。

「21世紀のいのちの捉え方」には以下のように書かれています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

生死の流れからすると、亡くなった人たちは必ず次へ行かなければいけないのです。
ですから、そこでは未練を持つのではなく、
その人との出会いから感情を入れずに学ぶことが大切なのです。
学ぶことがその人の死を生かすことになるのです。

生きている者からすると、その人の生き様を見せてもらったのですから、
「あの人はこう生きてこのような結果を迎えたのだから、
自分はこのように生きていこう」と自らの生き方につなげ、
学ぶことが、人の死を生かすことになるのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

客観的な位置に立つことにより、人の死を生かしていく。
それは先に話題に挙げた戦争についても言えるのだと思います。

多くの命が奪われた戦争。
その悲惨さを直視し、感情的になるのではなく、
冷静に客観的に見ることで人間について学んでいく。

今、生きている人々がこのような態度になった時、
戦争で亡くなった命が本当の意味で生かされていくのでしょう。

客観性はすべての出来事を生かしていくのです。

それは個人個人の人生にも言えて、
一人一人いろいろな癖を持ち、人生で滞りを経験しますが、
客観的な位置に立ち、出来事から学ぶ時、滞りも生かされていくのです。

そして、「21世紀のいのちの捉え方」はカタカムナを踏まえて、こんなふうに言います。

☆彡 ☆彡 ☆彡



死を迎え、肉体の衣服を脱いだ先は、見えない世界で魂として存在しています。
ただ、それでも「ある世界」にいるので、
見える世界と見えない世界を行ったり来たりしています。
それを繰り返しながら、学びを積み重ね、「ある世界」の仕組みを悟ると、
今度は「ある世界」と「ない世界」を行ったり来たりすることができるようになるのです。
神は「ない世界」に存在します。
そして、「ない世界」へ行くためには、一切の情がなくならないといけません。
ですから、人間もいずれ「ない世界」へ行き、この世界の単なる原料に還っていくのです。

そこでの「ない世界」というのは、ないけど、「ある」を包含しているのです。
そこには何があるのかというと、現象界を創るための響きがあるのです。
聖書でも、「はじめに言葉ありき」と表現され、
想いだけがあり、それは響きなのです。

響きという音の思念があるだけですから、
潜象界にはたとえば「ア」という音と「イ」という音がそれぞれ存在しているのです。
音には全て意味があるのですが、それはこの世界を創る素材であって、
それがこの現象界に現れてきて、「ア」と「イ」が縁があってつながると、「
アイ」になるのです。
それは、一人ひとりの人間の魂についても同じことです。
たとえば「アイ」という魂をバラバラにして潜象界に送ると、
「ア」と「イ」の響きだけになって、それは「ない世界」の状態です。
そして、そこに縁が生じ、現象界に現れると「アイ」という魂になり、
「アイ」という人生(現象)が表現されるのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

僕たちは「ある世界(現象界)」に暮らしていますが、
みんな、「ない世界(潜象界)」から生まれています。

潜象界には48音の響きのみが存在し、すべての存在がそこで「一つ」となります。
僕たちは、48音の響きの元、すべて解体され、すべて繋がり一つとなります。
その響きは、客観性であり、すべての存在を生かしていくのです。

それは「宇宙の心」と呼べるように思えました。

僕たちは「宇宙の心」の元、個性豊かな存在として生み出され、
それぞれの方法で「宇宙の心」を奏で、育んでいくのです。

なかのよしふみ(なかのよしふみ

これが僕の与えられた響き。

この響きがいろいろな響きと出会い、音を奏で、心を育んでいく。
育む心は「僕の」心でなく「宇宙の」心。

「僕の・・・」という意識は幻だから。

主観性。「僕の・・・」という幻の世界。

それは自分を他から切り取ることで生まれる幻の世界であり、
宇宙の心が与えてくれたプレゼントであり自由な世界。

でもその自由は狭く、僕を苦しめます。

苦(9)を超える(9)ことで、宇宙と一体となり統合(10)されます。
充分(10)な幸せを味わえます。

その時、僕は「僕の」心ではなく「宇宙の」心を生きていることでしょう。
それはすべての存在を生かす客観性に基づく心です(^-^)



さてさて、この文章を読んで「カタカムナって何?」と興味を持った方。
11月9日、10日で木の花ファミリーにて「日本古代の叡智に学ぶカタカムナ研究会」が開催されます。
とても充実した学びになること間違えなし!是非、ご参加下さい。

そして、こんなふうに客観的視点に立って未来のヴィジョンを描いていきたい方。
以下のイベントをお勧めします。きっとわくわくする未来を描けるはずですよ。









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