客観性に基づく大いなる循環の中で祈りを捧げる

パリで同時多発テロが起きました。このニュースを見た時、多くの人が
今年の1月に起きたシャルリーエブド社襲撃事件を思い出したのではないでしょうか?

この当時、僕は「人生の意味をひも解いていく」という記事を書きました。
この中でも書いていますが、フランスとテロリスト、どちらも「正義」のために戦っているのです。
フランスは自由を守るために。そして、テロリストは虐げられた歴史に対抗するために。

ですが、お互いの正義が分かり合うことがありません。
その中で悲劇の連鎖が続いています。
それは人が自分の立場にいることの限界を表しているように思えます。

この世界には様々な国があり、様々な人種がいて、様々な立場があります。
お互いが自分の立場に固執していたら、分かり合うことが出来ません。
みんながすべてを包み込む客観的視点に立つことでお互いに対する理解が進むのです。

いさどんブログ「21世紀のいのちの捉え方」にはこんな言葉があります。

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死を迎えることは、人生の区切りをつけ、次のステージに行くことでもあるのですから、亡くなった人を見送る人たちは、死者に対して、「こうだったらよかった」「ああだったらよかった」と考えるだけでも、その人が次のステージに行くための後ろ髪を引くことになるのです。
生死の流れからすると、亡くなった人たちは必ず次へ行かなければいけないのです。ですから、そこでは未練を持つのではなく、その人との出会いから感情を入れずに学ぶことが大切なのです。学ぶことがその人の死を生かすことになるのです。

生きている者からすると、その人の生き様を見せてもらったのですから、「あの人はこう生きてこのような結果を迎えたのだから、自分はこのように生きていこう」と自らの生き方につなげ、学ぶことが、人の死を生かすことになるのです。どんな人の生き様であっても、それが殺人者であろうが、自殺した人でも、一つ一つの事例として残された人に見せてくれているのです。

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人の生死を客観的に捉え、そこから学ぶことが大切です。
今回の事件もそんなふうに生かされた時、
犠牲者も安穏なる気持ちで次のステージにいけるのだと思います。

僕は客観性に基づく祈りを捧げます。

そしてこの事件を未来に生かしていきたいと思います。

客観性の中で、すべての存在は大いなる循環の中で生かされていきます。
一人一人が自分の立場を離れて客観性を育んでいくことが大切です。
世界で起きることは常に自分自身への問い掛けとなるのです。

地球談話~真の平和を地球にもたらすためは」にはこう書かれています。

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真の平和を地球にもたらすために、今わたしたちにできることは何でしょうか。それは広い世界観を持ち、個々の自我を超越することです。人間が自我の狭い枠に囚われている時、他者との違いによって他者に違和感を持つようになります。それが対立や争いの始まりです。しかし、わたしたちが存在しているこの世界は無限に広大な世界であり、そこは多様ないのちのネットワークで成り立っています。その調和のネットワークは、個を存在させるために全体があり、全体を存在させるために個がある相似形の仕組みによって成り立っているのです。
この世界の真実は、全てが一つということです。ですから、全てのものと自分自身との区別はないのです。このように人々の世界観が広がれば、平和な世界を創り上げようとしなくても、地球上に平和は自ずと訪れるものです。

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広い世界観と持ち、個々の自我を超越していくこと。
それは一人一人が自分の正義、自分の立場を手放していくことです。

木の花ファミリーではみんなで共に暮らすことで日々その実践をしています。

さつまいも収穫の時、みんなで撮った写真です。


その実践が人類の精神革命となり新しい未来を創っていくと信じています。

そんな未来へ向けてのイベントが11月21日~23日に木の花ファミリーで開催されます。





客観性に基づいた新たな「クニ(地球)ツクリ宣言」をすること。
それは今までの人類の歩みを生かすことであり、
その中で、戦争やテロ事件も生かされていきます。

客観性に基づく大いなる循環の中で祈りを捧げること。

そんな気持ちで日々の暮らしを大切にしていきます。

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私はこの世界に起きるありとあらゆる出来事を自分自身の現れとして受け入れ、
自分を理解し、そして世界を理解し、愛と理解と調和の道を歩みます。
アーメン。合掌。

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