願いから自由になるために生まれてきた。

5月20日で僕の木の花ファミリーでの暮らしは丸6年となりました。
今、7年目を過ごしています。

「7」はカタカムナでは「なる」、質的転換を表す数字。
人生の質を変えていく年。
ということでつらつらと思い浮かんだことを書いてみました。


☆彡 ☆彡 ☆彡

この豊かな世界では様々な願いごとが生まれる。
誰かを好きになったり、美味しいものが食べたくなったり、旅をしてみたくなったり。
願いが叶うことは嬉しいことだが、それは一時的なものですぐに次に願いが生まれる。
願いが叶って喜んだり、叶わずに苦しんだり悲しんだり。
それはそれで楽しく豊かな人生なのかもしれない。
でもそれは刺激と反応の繰り返し。
その奥に更なる幸せがあることを僕は知っている。

願いを叶えるために生まれたのではなく、願いから自由になるために生まれてきた。

願いから自由になって、個人的視点から離れる。
そしてこの世界の真実を知り、それと一体になる。
僕はそのために生まれてきた。

それは宇宙や地球と一緒に学び幸せを味わう生活。

そこに至るためにこの暮らしがあり日々心を磨いている。


☆彡 ☆彡 ☆彡


いさどんブログ『とんとんとんと超えていく』ではこの暮らし、この道を川の流れにたとえています。
流れに任せて、その時その時の風景を味わいながら、留まることなく流れ続け、最後に大海に至ります。大海に出たら、その一部となり、太陽の力(宇宙の循環システム)によって蒸発し、また宇宙を生きる種として再生し、地球に降り注ぎ再び川になっていきます。

大いなる循環の中で常に変化して生きていこうと思っています。


僕は川を流れていくと同時に山を登っていきます。

またこの道は山登りにたとえられることもあります。
頂上に至るまでにはいろいろなルートがあるけれども、必ず最後は一つの場所にいきつきます。

頂上をみんなと共有し、僕は僕の道(未知)を歩んでいきます。

登り続けて流れ続ける。

この相矛盾するように思える行動に矛盾がない世界。

それがこの世界。

僕は僕の道(未知)を登り続けて流れ続けていきます。

そして最後は大海の一部となり山の頂上から世界を見渡します。

いさどんブログ『いつか死を迎える時に』には以下のような記述があります。

☆彡 ☆彡 ☆彡

人が生きて、終末を迎えたときに問われるのは、「濁り」なのです。人生の内容のことは何も問われません。そこでは心の濁りだけが浮き彫りになり、自らの生きた結果として問われることになるのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自分が大海へ至った時に、自分の濁りで大海を汚さないように。
本当の意味でそこに融け合うことが出来るように。

僕は自分の願いから自由になります。


0 コメント:

Your left Slidebar content. -->