天然循環する暮らし(こころ編)

天然循環の暮らし(経済)」で紹介したエントロピーの法則。

閉ざされたシステム内ではエントロピーは増え続け、エネルギーは均質になり特徴を失っていきます。ですが、外部に解放されているシステムでは、エントロピーの縮小が可能になり、エネルギーは個性を持ち強調的に振る舞いようになるのです。生命はそのようにして自らの存在を維持しています。ということは外部に無限に開かれていることが理想で、それを実現してくれるのが天の存在、無限の「ない」世界なのです。

こんな話をあわちゃん(あわりーぬ)としていると、「それは心にも当てはまるよね」というフィードバックをもらいました。そうなのです。きっと心も同じで、心を閉ざしていると、エントロピーが増大して人は無気力になっていきます。心を開いていると、外部にエントロピーは散逸させることで縮小し、人は活力に満ちていくのです。

そんなことを思っていたら、昔の文章を思い出しました。

木の花ファミリーに移住して1年が過ぎた頃、様々な滞りが続く中、自分の中に閉じこもっていく時期がありました(2010年の夏~冬)。その頃、僕のエントロピーは増大し続けていたのではないかと思います。「僕といさどんと木の花ファミリー」で書いたエピソードもその頃のものです。自分の心を開かずに閉じこもっていく。以下の文章はその頃の僕が書いたものです(2010年12月7日)。

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メッキがはがれたのだと思う。困難からは逃げて、自分の都合の良いように解釈し、嘘をつき、びくびくして、いつも自分をみんなが忘れてほしいと願う。自分は生きる資格のない人間で、本来なら死ななければならないけれど、死ぬことも許されない。だからもがき続けるだけ。そんなふうに思って生きてきた自分。
でも、ここ数年そんな思いは忘れていた。でも時々「しくしく泣いちゃう感じ」として出てきた。絶望感と無力感。僕はやり過ごしていた。
自分に別の人格を作り上げることで、最低人間の自分を超えようとしてきた。そして、超えたと思っていた。でも、今、自分が噴き出してくる。結局、僕が今までしてきたことはメッキを塗っていただけ。剥がれてくれば、最低の自分が噴き上がる。
あの苦しみはもう味わいたくない。もうこのままぼーとして無気力に生きていたい。そんな気持ちが湧き上がる。そうしたい。
でもそれはできない。僕はもうあまりにも木の花のみんなと関わりすぎた。僕の心はもうすでに僕だけのものではない。はじめからそうか。世界と僕は一つなんだから。ここでの暮らしはその事実を分かりやすくみせてくれているだけ。

僕はこの地球に対して自分ひとり分の責任を負っている。だから投げ出さない。

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心を閉ざすことで無気力になっていく。まさにそんな状態でした。

毎日嘘をつき、テストではカンニングをし、万引きをして捕まったこともある小学校時代。いつも何かに怯えていてびくびくしていました。中学校に入学する時、このままでは自分の人生はダメになると思って、「変わろう!」と決意したのをよく覚えています。嘘をつかないようにし、カンニングは止めて、万引きも当然しなくなって・・・。それからずっと「変わろう。変わろう。」と言い聞かせ、生きてきました。でも、それは本来の自分ではない別の自分を創り上げる取り組みになっていたのです。

学校の勉強には答えがあります。その答えを導きだすように思考を創り上げ組み立てていきます。同じように僕は「どんな自分であるべきか」という答えを設定し、そこに至るように思考し行動してきました。その時、本当にその時その時自分が感じていることが抜け落ちてしまっていたのです。立派に振る舞おうとしても心の奥にある絶望感や無力感が僕に影響を与え続けていました。そして、それが滞りを生み、その滞りを認めることが出来ない僕は心を閉ざしていったのです。

あれから4年以上が経過している現在。僕の中に絶望感や無力感はありません。「しくしく泣いちゃう感じ」という言葉を見て、そんな時期が確かにあったなと懐かしく感じます。

なぜ、絶望し、無力感に陥るのかと言ったら、自分の中に「あるべき自分」のイメージがあってそれと現実の自分とにギャップがあるからだと思うのです。そういう意味では絶望感や無力感は自分で創り上げているのです。でも自己イメージの延長には本当の自分はいないのです。なぜなら、本当の自分は自分の想像をはるかに超えた存在だから、そこに閉じ込めることは出来ないのです。それは価値判断(善い⇔悪い、凄い⇔ダメ、美しい⇔汚い)を超えた自由自在の存在なのです。

今の僕には「あるべき自分」のイメージはありません。ただ心を開いていればいいのだと思います。心を開いていれば、エントロピーは天に散逸し減少していきます。そして、心は活性化し僕の個性は勝手に花開いていくのです。それがどんなものかは天にお任せ。今はそんなふうに思っています。

天にエントロピーを散逸させる天然循環の暮らし。そこではすべての存在は繋がり互いに生かし合っていきます。心はみんなの中を巡り巡ります。その時、自分の心は自分だけのものではなくなり、みんなのものになっていきます。木の花ファミリーの暮らしはそんな暮らしで、その暮らしが僕を支えてくれています。心を閉ざし自分を消耗させすべてを投げ出したくなった時も、その暮らしが僕を支え、僕は踏ん張りました。そしてとても幸せな毎日を暮らしている今の自分があります。木の花ファミリーはこんな場所でこんな場所だから様々な奇跡が起きているのです。

その代表例が自然療法プログラムです。


自然療法プログラム卒業生の誕生日。みんなでお祝いをしています。


9年間原因不明の頭痛に悩み、どんな治療でも治らなかった人が、1ヶ月の滞在で頭痛が消える

統合失調症で日常のコミュニケーションもままならなかった人が、精神保健福祉士として人のために働くようになる

本気で自殺をしようと考えていた人が1時間の面談で元気になって帰って行く

上記は木の花ファミリーの自然療法プログラムの成果の一例です。千葉県船橋市で開催される出張木の花塾ではこの自然療法プログラムがテーマになっています。お近くの方は是非参加してみて下さい。そして、天然循環の暮らしが持つ力を感じてみてください。

※出張木の花塾の詳細についてはこちらをご覧ください → 5月17日出張木の花塾@船橋

ところで、ニュースではネパールでの地震が報じられています。4月の初めにはフィリピンを襲った異例のスーパー台風4号が話題になりました。昨年11月に出された国連気候変動に関する政府間パネル(IPPC)第5次報告書では温暖化について警鐘を鳴らし、温室効果ガス排出量の抜本的かつ持続的な削減が必要と報告されています。これからも様々な天変地異が起こることが想定されます。そんな中、循環型社会への取り組みや温室効果ガス排出量の削減など様々な対策が検討されています。ですが、議論は物質循環に留まっています。物質循環だけではエントロピーは増大していきます。現在の問題の解決には至らないのではないでしょうか?

必要なのは、天然循環の暮らしです。物質循環の奥にある心が天に開かれている時、それが成り立ちます。すべてを天に委ねる。その姿勢が人々に出来た時、エントロピーは縮小し想像を超える出来事が起こるのではないでしょうか?きっとこれは今、僕らが思い描く環境問題の解決を超える出来事です。それがどんなものなのか?これからの未来が楽しみです(^-^)


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