カタカムナを生きるとは?

一昨年の11月、木の花ファミリーはカタカムナと出会いました。その後、昨年の4月から講師に芳賀さんを迎えてカタカムナを勉強し、学びを深めていきました。1月26日、27日の2日間。自分たちの学びの状況、そして、カタカムナを生活に取り入れ、生きていくとはどのようなことかを確認するため、芳賀さんも交えて話し合う時間を持ちました。

カタカムナを生きるとは?

このことを考えるためにはお互いについて深く理解し合う必要があります。芳賀さんに僕たちのことをより深く理解してもらうために、まず以下の文章を読みました。

2015年「船出の年」を迎えて (いさどんブログより)

東洋の叡智が花開く時代 ~雑誌「世界建築」より (木の花ファミリーブログより)

いさどんの心と鬼の面 (宇宙の秘密みかこのブログより)

僕といさどんと木の花ファミリー (このブログの記事です)

カタカムナから観た経済システム (このブログの記事です)

今 地球上に生きる全人類の皆さんへ (いさどんブログより)

そして、芳賀さんからも人生をカタカムナに掛けてきた想いが語られ、お互いをより深く理解し合う時間となりました。その中で確認し合ったことは以下のようなことです。

みんなで丸くなって話し合っていました。
大切なのはカタカムナを生きることであり、カタカムナの知識はあくまでそのためにあります。知識ばかりに目を奪われると、本来の目的、カタカムナを生きることから離れてしまう恐れがあります。カタカムナとは宇宙の法則です。つまりカタカムナを生きるとは、宇宙の法則を生きることであり、それが出来ていれば、カタカムナの知識は不要となります。宇宙の法則は、直観からもたらされます。直観を磨くこと。そのためのツールの一つとしてカタカムナはあるのです。
そして、今年2015年はどんなことが起こるか想像が出来ません。フランスでのテロ、イスラム国により邦人誘拐事件など年の初めから大きなうねりを感じさせます。世界の先は見えません。ですが、それは悪い意味ではないのです。時代が新しくなるということなのです。人類は大きく変化していく必要がありますが、未来は明るい。そんな予感は確かにあります。今、次の時代を担う新しい魂が沢山降りてきています。僕たちは未来に繋ぐために直観を磨き、宇宙の法則に沿って生きていくのです。

まとめてしまえば、上記のようになりますが、木の花のみんなの意識が纏まらない場面、お互いの意思疎通が行かない場面など、様々な場面があり、とても学びの多い時間となりました。

例えば、26日の夜に、こんな場面がありました。

芳賀さんは人生の危機をカタカムナに賭けることで乗り越えた経験を持っています。話し合いの中でその経験が語られた時、僕は以下のように伝えました。

芳賀さんが今、とても大切な話をして下さっているのは分かります。ですが、それは個人的な人生の話ですよね?カタカムナが何のためにあるかと考える時、今の社会を変えるためにあるのだと思うのです。世界と自分が一つだという事実。その事実に気づき、自分ごとを超えて、世のため人のために生きること。カタカムナはそのためにあると思うのです。カタカムナを生きるとはそういうことだと思っています。

それに対して芳賀さんは以下のように答えました。

幸せでない人は他の誰かを幸せにすることは出来ません。世界平和を願ったところで、自分が不幸ならば、その波動が人々に伝わります。だからまず、個人が幸せになる必要があるのです。幸せな個人の波動が世界に伝わっていくことで、世界は良くなっていきます。

芳賀さんの言葉を聴きながら、浮かんでくる想いはあったのですが、僕は言葉を飲み込み、その場では話しませんでした。それは上手く伝えられる自信がなく、芳賀さんと不毛な議論になることを怖れたからです。

その僕の判断を聞いたいさどんは以下のように話しました。

今回の話し合いは、お互いを理解し合うことが目的です。ならば、正直に本音を語り合うことが重要になります。なかのんは「上手に伝える自信がなかった」と言いますが、なぜ上手に伝える必要があるのでしょうか?それを必要と思うのは、なかのんが結果を所有しているからです。「分かり合う」とか「理解し合う」とかそういう状態を頭で思い描き、そちらの方に持っていこうとしているからです。ですが、それでは本当の意味でお互いに理解し合うことにはなりません。まずは正直に思ったことを伝えることが大切です。

結果を所有している。

木の花ファミリーメンバーの多くがその状態だったため、充分な話し合いとはならなかったのです。そして、僕が飲み込んだ言葉は翌日、みんなから様々な切り口で芳賀さんに伝えられました。

個人が幸せでなければ、人々を幸せにすることは出来ない。そのことは僕たちも充分承知しています。それでも僕たちは、自分ごとを超え、自分を手放して生きる道を選んでいます。それは、その時、他者の幸せが自分の幸せとなるからです。そんなふうに生きる時、どんな時も自分は幸せでいることが出来ます。なので、自分の幸せについては考える必要がなくなるのです。ただ天と共に生きることを心掛けていればよいのです。それが宇宙法則を生きることであり、カタカムナを生きることなのです。

そんな僕たちの生き方についてあらためて芳賀さんに共有しました。そして、さらにお互いを理解し合うことが出来たのです。学びの多い時間を過ごすことが出来ました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

思惑を持って結果を所有する。

その姿勢は時に視点を歪め、真実が見えなくなります。そして、その結果思わぬ影響を及ぼすことがあります。例えば、後藤健二さんの安全が気になるイスラム国による邦人人質事件ですが、識者と言われる人の中には、「安倍政権の積極的平和政策が中東諸国の対日不信感を深めていたところに、今回の安倍総理の中東歴訪が、この不信感を呼び覚ました」と論じている人がいるようです(野口雅昭さん「邦人人質事件に関する「識者」の論調」より)。これなどは明らかに安倍政権に対して批判的な人が、その視点から論じているように思えます。なぜなら、中東諸国に目立った対日不信感などはないようなのです。加えて、この意見は、イスラム国と中東諸国を同一視してしまっているのです。残忍なテロ組織であるイスラム国と中東諸国を同一視するこの発想は、中東諸国に対する偏見に繋がるのではないでしょうか?偏見は差別、そして時には争いに繋がります。そんな可能性に識者と言われる人たちは気づいているのでしょうか?

そして、僕はイスラム国について残忍なテロ組織と書きました。ですが、そのイスラム国は僕らが生み出したとも言えるのです。見つからなかった大量破壊兵器を口実にイラクを攻撃したアメリカ。その攻撃がイスラム国の台頭を生み出しています。日本はその戦争を支持しています。日本はイスラム国の誕生にしっかりと繋がっているのです(イスラム国による人質事件。の巻 -雨宮処凛より)。この時、アメリカ政府や日本政府は、自分たちに都合のよい別の未来を思い描いていたことでしょう。思惑通りにはいかず、大きな不幸を生み出している。この現実に目を向ける必要があるでしょう。

それぞれの国が、自分の立場から過去を眺め、思惑を持って結果(未来)を所有しようとしています。それが現代の混乱や苦しみを生み出しているのではないでしょうか?そして、それは個人個人の人生にも言えるのではないでしょうか?

先に紹介した「今 地球上に生きる全人類の皆さんへ 」を読んでみて下さい。そこでは、そんな人々に新たな視点を提供しています。この文章についていさどんは大人ミーティングで以下のように語りました。

この世界が因果応報によって動いているのは確かです。ですが、因(過去)にとらわれる必要はないのです。現象に反応して、それに合わせて次に現象を生み出していく。それは因果に翻弄されている状態です。経験にとらわれていてはいけません。太陽はこの宇宙を未知なる空間へ螺旋を描きながら回っています。まだ一度に行ったことのない空間、未知の空間です。人生も同じです。常に新しい未知の世界へと進んでいるのです。そこでは、「今までこうだったからこうなる」という約束はありません。常に新しいがあります。だから、それをただいただくだけなのです。

過去も未来も所有しない姿勢となり、ただ今を頂いて生きていく時、人は自由になります。宇宙法則に基づいて生きることになり、カタカムナを生きることになります。そして、その視点から世界を見た時に多くのことに気づくはずです。

正しいを考えることは、悪も生み出します。今までたくさんの主義主張が、この世界に正邪をもたらし、それが争いに繋がりました。それらすべてを融合し、超えていくことで未来を顕していくことが出来ます。そのためにはただ心の目を開けるだけでいいのです。

上記の文章でいさどんは以下のように述べています。

今地球上に生きる人類の皆さん、なぜ一つの生命である地球上で人類は他の生命の存在を無視するのでしょうか。なぜ地球上で一つの種である人間が、違いによって戦う必要があるのでしょうか。あなたも私も同じ一つの体の一部です。それは互いを生かし合う美しい無限な生命の調和とつながりの連鎖です。たったそれだけのことに気付くだけです。これまで生命が時と共に変化してきたように、地球の歴史の中では大陸が移動したりと変化はありましたが、陸地同士が主張し合い戦ったことは一度もありません。今の時代に限って、地球上に存在している細胞(人間)が、癌化しているだけなのです。今、それを私たちは気付き、その習性を改めればいいだけです。

すべての存在はみんな一つ。みんなで共に未来を描いていきましょう。


0 コメント:

自分を離れ真剣に世界を追究する

1月24日、木の花ファミリーでは月に一度の自然食レストラン「恵みいただきます」が開催され、150名を超えるお客さんに食事を楽しんでいただきました。今回のテーマは、「鬼の清め 花福ご膳と手打ち宝うどん」でした。以下の料理や会場の様子を紹介しますね。


お客さまに提供したお料理です。


盛り付け準備をしています。
うどん茹でチームのみんなです。
会場の様子。飾りつけは木の花祭りの湯葢や切り草です。
外ではずっと木の花祭りの舞が行われていました。
最後にみんなで集合写真を撮りました。

※当日の様子についてより詳細が知りたい方はこちら(Facebookアルバム)をご覧ください。

今回の「恵みいただきます」のテーマは、1月31日(土)に開催される富士浅間木の花祭りに因んだものです。宇宙の秘密みかこのブログ「いさどんと鬼の面」に表現されているように、僕たちはこのお祭りをとても大切にしています。そして、今、みんなで祭りに向けて様々な準備をしています。



まっちゃんの書です。
先日は、まっちゃんがのぼり作成のための書を書きました。なかなか思うような作品を書けなかったまっちゃんですが、最後の書は、みんなが見ている前で書きました。その時、木の花祭り笛隊のあやちゃんが音楽を奏で、皆が掛け声と共に踊り出す中、書き始めたといいます。半分意識があちらの世界に行っているような不思議な感覚で書いたという書はとても見事なものとなりました。

自分という我から抜けて、みんなと共に書かせて頂くという気持ちで書いた時、書に魂が入った。

まっちゃんはこの時のことをそう話しています。
※詳細は、天然循環ボケまっちゃんの天然生活in木の花ファミリー「書と通しての学び」をお読みください。

そして、循環と変化によって成り立つ「ひとつらなりのいのち」にも書いているように、りょうちんは、金神さまの面を作成しました。封印が解かれ乱れた世を立て直す艮の金神(=国常立大神)の物語は、僕たちがずっと大切にしているものであり、金神さまと共に神人、天地が一体の「弥勒の世」を生み出すために僕らは心磨きをしています。今年から金神の舞が演目に加わることで、その精神を表現し、生きていく場となりました。



金神さまの面(作成途中です)
こんなふうに準備が着々と整う中、みんなで練習を重ねています。そんな中、花祭りの舞について、いさどんは以下のように語りました。

舞というのは流れるように舞うものです。木の花祭りは、愛知県奥三河地方東栄町の花祭りに由来していますが、地元には言い伝えがあり、積み重ねてきたものがあります。それは、言葉を超えたものなので、もし、教えてもらった通りに舞ったとしても、本場の舞を実現することは出来ないのです。舞の奥には、その舞や所作が生まれた意味が隠されていて、それが個性となっています。追究していく姿勢が大切なのです。追究していく姿勢から「溜め」が生まれます。それは1%の違いですが、大きな違いをもたらすのです。

これは日常生活の姿勢についても言えることです。言われた通りにする。自分の役割を果たす。それで「良し」とするのではなく、世界を観察し、他者と繋がりもう一つ大きな世界を創っていくことが大切なのです。



ケア滞在者の日記をチェックするいさどん。
首のマフラーは6歳のなおが編んでプレゼントしたものです。
木の花ファミリーでは、NPO法人ぐりーんぐらすと共に、心身の病や偏った生活習慣などの問題を抱えた方へ自然療法プログラム(通称:ケア滞在)を提供しています。ケア滞在では、自然に沿った暮らしの中で滞在者が健康を取り戻すお手伝いしています。先日の大人ミーティングにて、そのケア滞在をしている方が自分の書いた日記を発表しました。その日記に内容は、自分や身の回りの出来事を緻密に見ていて、本人の変化や成長を表すものでした。彼の発表を聴いて、いろいろな人が、その成長を賞賛するコメントをしました。その後、いさどんから以下の問い掛けがありました。



彼が今日、日記を発表したのは、僕の勧めを受けてです。僕が彼に発表するように伝えた意図はどんなところにあると思いますか?

その後、僕を含めた数名が発言をしますが、正解探しのような単発の発言になってしまい、場が締まりませんでした。そんな中、いさどんが再び話し始めました。

この場で、ホリスティックにまとめていく視点を提供出来る人が現れないか様子を見ていていましたが、出ませんでしたね。その原因を考えたのですが、6割~7割の人たちはこの話を聴いていませんでした。自分の発言する場ではないと決めて、もちきびの選別などの作業に集中していました。これだけの人数がいるので全員が発言するわけにはいきませんが、それでも、話題をみんなにとって大切な話として聴いていることが大切です。もしみんながこの話題を大切にしていたら、この場は自然と締まったはずなのです。発言をしない人も場を創っています。一人一人が見えないところでどういう姿勢をもっているか?それが「溜め」を生み出し、場を創っているのです。
彼は、確かに緻密に自分のことを観ていて大きな成長を遂げています。ですが、皆で真剣に場を創っていった時、多様な視点が生かされ、もっと豊かな成長に繋がっていくのです。

一人一人の生きる姿勢が、場の空気を創り、それがその場にいるすべての人に影響します。今まで多くのケア滞在者が場の力により癒され、成長し社会へ復帰していっています。ですが、まだまだ上記のような空気を創ってしまう現状が木の花ファミリーにはあります。一人一人が、自らの人生の意味、そして、この世界、宇宙の仕組みを真剣に追究し、一瞬一瞬を大切にしていくことで、より豊かな場へとこの場は発展していくことでしょう。

そして、この時大切になるのが、「のぼりの書を書いたまっちゃん」のように、自分という我から抜けることです。別の場面でいさどんは以下のように語っています。

人はすぐに忘れるものです。僕もテレビを観ていて、「これはいい情報だ」とその時は思うのですが、多くの情報は忘れていきます。人は五感を通して経験します。それは肉体に制限されていて、この世界の広さからすれば、ほんのわずかな経験です。僕たちは海の底にはいけません。マグマの中にも入れません。そして、空には、無限な宇宙が広がっていますが、僕たちはこの場から眺めるだけです。僕たちはほとんど何も知らないのです。ですが人間は、五感を通して感じたものを絶対だと思ってしまいます。そして、自分が最も自分を幸せに出来るという勘違いが生まれます。五感は僕たちが生きていく基盤であり大切ですが、それに囚われてはいけません。多くの人が、五感の刺激に囚われ、「自分が・・・」という気持ちに縛られ、自分から幸せを奪っているのです。五感から離れ、自分と向き合い、細かく見ていく。そんなふうに自分から離れられると、宇宙の知恵が入ってきます。「いただく」という心が育ち、宇宙の流れに沿って幸せに生きていくことが出来るのです。

みんなが自分を離れ、全体性を考えて真剣に場を創っていく。僕たちみんなが心掛けていることです。「恵みいただきます」もそんな日々の心掛けの中から生まれているイベントです。その豊かさをこれからも多くの方に味わっていただけたらと思っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

そして世界に目を向けると今、日本人2人がイスラム国によって誘拐され、日本政府に身代金の要求がされました。その後、湯川遥菜さんは既に殺害されたとの情報が流れ、イスラム国からの要求もヨルダンに収監中のサジダ・アルリシャウィ死刑囚の釈放に変化しているようです(Yahooニュースより)。残る後藤健二さんが無事に解放されるように具体的な対策を取っていく必要がありますが、それと共に、イスラム国がこの世界に存在する現実にも向き合う必要もあるのではないでしょうか?なぜなら一人一人の心が世界を創り、その世界がイスラム国を生み出しているからです。この現実を真剣に追究していくことにより、イスラム国が生まれない世界を創っていくことが大切なのです。

イスラム国が生まれる背景について、吉崎達彦さんの記事「テロと格差の2015年を考える」には、以下のように書かれています。


大きな戦争がなく、成長率も低い時代においては、経済的な格差が固定化しやすくなる。これにグローバル化が重なると移民人口が増え、宗教的対立から「文明の衝突」が起きやすくなる。結果としてテロ事件が発生したり、過激な「イスラム国」が勢力を伸ばしたりする……。


これが2015年の大問題であるとしたら、事態を解決するために大規模な戦争を起こそう、というのはもちろん論外なので、世界経済の健全性を保つためにどうやって社会の流動性を高めるかという視点が重要になってくる。

社会の流動性を高め世界経済を健全に保つことがテロやイスラム国をなくすことに繋がる。それはその通りなのだと思いましたが、この記事では、そのための解決策として、経済成長を掲げています。ですが、現在の環境問題を考慮した時、これ以上の経済成長を求めるのは、不可能と言えます(IPCC第5次評価報告書を参照)。ならばどうすればよいのでしょうか?

社会構造が経済格差を生み出している。それはその通りなのですが、その社会構造は一人一人の心が生み出しているものです。「人と自分を区別し、自分を優先する心」がより多くの富を求めるのではないでしょうか?ならば、「自他の区別をなくし分かち合っていく心」に育っていくことで経済格差はなくなっていくのではないでしょうか?「分かち合いの心」を育てるために必要なのが、自分を離れ、自分と向き合い、細かく見ていく姿勢です。

木の花祭りで表現される金神さまの世直しは、一人一人に上記のような姿勢を求めます。その姿勢が神人和合の弥勒の世を生み出します。今、多くの人々がこの世界の仕組みについて話し合っています。どんな仕組みにすれば、物事がうまくいくかを考えています。ですが、人々の心が「自分を優先」していたら、どんな仕組みも対立を生み出すことでしょう。心が変わらなければ、現実は今の延長で続いていきます。大切なのは仕組みを変えることではなく、人々の意識を転換することです。

「自分が・・・」という心から「いただく」心へ。
自分優先の心から分かち合いの心へ。

それは世界の幸せが自分の幸せになる生き方です。

世界で起きていることに目を向けながら、それが日々の営みと繋がっていることを意識し、自分と向き合い、一日一日を大切に暮らしているのです。そんな暮らしに興味がある方。2月15日(日)から3月14日(土)まで開催される「1ヶ月間の真学校」に是非、ご参加下さい。大きな気づきが得られること間違いなしです。





0 コメント:

循環と変化によって成り立つ「ひとつらなりのいのち」

木の花ファミリーでは、月に一度、誕生日会が開催されます。誕生日会では、みんなでその月に生まれた人達を祝い、ケーキを食べて、歌や踊りなどを楽しみます。

赤ちゃんはどこから生まれてきたの 神様の光の響きから来たの
宇宙の命の奥から来たの 天と地が結ばれて生まれて来たの

今月2歳になる結宇光くんです。
これは誕生日会の時にいつも歌う「おたんじょうびのうた」の歌詞です。僕たちはみんな太陽の光から生命力をいただいています。そして、いのちはお互いの存在を必要とし合い、なくなることはありません。例えば、シマウマに食べられた草は、シマウマへと変化し、シマウマはライオンに食べられライオンへと変化します。そして、シマウマやライオンの死骸や排泄物は微生物たちが土に返し、それを養分にして草が育っていくのです。生命は、いのちといのちの織物の中、他の生命へと変化し、受け継がれていきます。そして、魂は次元を超えた存在であり、個体が消滅する時、この世界の本質(宇宙の命の奥)に戻り微細になります。そして再び旅立つことで肉体を得て新たな人生を歩んでいくのです。この世界に死は存在しません。誕生とは、変化であり肉体を得ることであり、この世界への魂の再生と言えるでしょう。

循環と変化によって成り立つ「ひとつらなりのいのち」

日和がみんなに作ったケーキです。
誕生日会ではその尊さを祝い、みんなで楽しい時間過ごします。今月の誕生日会は、17日(土)の夜に行われました。今月は、31日(土)に開催される富士浅間木の花祭りに向けて、いさどんみかちゃんから子どもたちへ木の花祭りのプレゼンテーションが行われました。そして、花の舞(矢剣・やち)、三つ舞(扇)、湯囃子(ゆばやし)などの舞が披露されました。以下、その様子を写真でご覧ください。




花の舞(矢剣)を舞う、はるとあっくん、なり(左から)です。


三ツ舞(扇)を踊るゆうゆ(右)ときよ(左)

同じく三つ舞(扇)を踊るみのり

湯囃子(ゆばやし)の舞です。

白光真宏会の方々が久しぶりに訪れてくれていました。


富士浅間木の花祭りについては、みかちゃんが「いさどんと鬼の面」でとても詳しく書いてくれています。ここで書かれている内容は僕たちにとってとても大切な内容であり、これからの人間社会に必要とされるメッセージがたくさん含まれています。ここで少し内容を引用しますが、是非、原文を読んでいただけたらと思います。

富士浅間木の花祭りでは、鬼が主役となります。その鬼についてカタカムナの単音で調べると以下のような意味となります。

「オ」 6方(前後左右上下)へ限りなく拡散、または凝縮する思念
    大きい 重い 奥の方・潜象の場  ※潜象界とはカタカムナでは「ない世界」のこと
「二」 定着する

この意味を発展させて「いさどんと鬼の面」では鬼について以下のように説明しています。

「オニ」とはマクロにもミクロにも限りなく広がる現象界、および現象界の元になる潜象界をも含む、両方の世界の働き(仕組み)を定着させるものである。そして、「鬼が云う」と書いて「魂」となる。魂とはこの世界の仕組みのもとにある心で、鬼は人間に、この世界の道理を伝えるものなのである。

怖い顔をして怒っている鬼。その怒りは人間への愛であり、今の人間がそれだけ道理から外れているということです。それは世界で起きている様々な出来事を見れば明らかでしょう。

フランスで起きた出版社襲撃事件は、更なる争いをもたらそうとしています。シャルリー・エブドは再びムハンマドの風刺画を掲載し、パキスタンではデモが暴徒化しました(「シャルリー・エブド」の漫画家を「すぐに絞首刑に」パキスタンでデモが暴徒化)。

ナイジェリアでは、イスラム武装組織ボコ・ハラムとナイジェリア政府軍、双方に住民は苦しめられています(ボコ・ハラム:日本メディアが報じない「ナイジェリア政府軍」の蛮行)。

そして、気候変動も深刻で、昨年11月に公表されたIPCC第5次報告書では、厳しい温暖化対策が必要なことが提示され、それを裏付けるように、2014年の世界の平均気温は1880年以降で最も高い数字となりました(朝日新聞より)。そんな中、日本人の多くは経済成長を求めているのです(3人に1人は「GDP成長のジレンマ」(必要だが不可能)を感じているー経済成長についての世論調査よりー)。

この世界で起きている争いや不条理はまだまだ上げればきりがありません。鬼はそんな人間に対して、やさしさを秘めながら怒ってくれているのです。やさしくあたたかい存在です。

木の花祭りはそんな鬼たちを主役にして開催されます。その鬼たちの中でも特に重要なのが榊鬼(さかきおに)で、鬼の総大将になっています。僕たちは榊鬼を地球神である「国常立大神(くにのとこたちのおおがみ)」・「艮(うしとら)の金神」と捉えています。国常立大神は、地獄では閻魔(えんま)様となり人々に喝を入れますが、弥勒菩薩となり幸福な未来へと人々を導く存在でもあります。

榊鬼は、木の花祭りの中で、斧を振るって、「反閇(へんべい)」と呼ばれる大地を力強く踏みしめる所作を繰り返し、大地を祓い(はらい)清め、真冬になって地中に沈み込んだ精霊たちを、呼び覚まし復活させます。新しい生命が次々と鼓舞されて出てくるのです。

榊鬼の面に手を入れているいさどんとりょうちん
今年、この榊鬼の面を新しく購入しました。ですが、その面は威厳に掛けていました。そこで怒っている表情を出すために、いさどんの想いを受けて、りょうちんが手を入れました。怒った表情になった面は削って真っ白になっていました。新しく色を決めることになり、みんなで「金色」に決めました。

榊鬼の面の色が金色になった時、ひろっちの中に、「金神」様という言葉が浮かびました。
榊鬼である「艮の金神」は、厳しいことを言う神様だったので、それを疎ましく思う八百万の神に艮の方角(北東)に封印されました。今、道理が通らず乱れた世の中になっているのはそのためと言われています。ですが、世の乱れを正すために艮の金神の封印は解かれる時が来るのです(『大本神諭(おおもとしんゆ』を参照)。


三千世界一度に開く梅の花、
艮(うしとら)の金神(こんじん)の世に成りたぞよ。
梅で開いて松で治める、
神国の世になりたぞよ。・・・・
今日(いま)は獣類(けもの)の世、
強いもの勝ちの、
悪魔ばかりの世であるぞよ。・・・
是(これ)では、世は立ちていかれんから、
神が表に現れて、
三千世界の立替え立直しを致すぞよ。
用意をなされよ。
この世はさっぱり、
新(さら)つの世に替えて了(しま)ふぞよ。
三千世界の大洗濯(おおせんたく)、大掃除を致して
天下泰平(てんかたいへい)に世を治めて、
万古(ばんこ)末代(まつだい)続く神国の世に致すぞよ。・・・
天理、金光(こんこう)、黒住(くろずみ)、妙霊(みょうれい)、 先走り、
とどめに艮(うしとら)の金神が現れて、

世の立替えを致すぞよ。
                   (天下泰平「日月神示と艮の金神」より引用)


この「艮の金神」の復活を、木の花祭りの演目に入れることにしたのです。木の花祭りはこれにより、さらに広がりを持つようになりました。そして、これは木の花ファミリーの生き方そのものです。

1月17日、国会議事堂前を、戦争に反対する人々が取り囲んだようです(女たちが国会包囲「子どもを戦争に行かせない」)。彼女たちは平和のための活動をしています。ですが記事を読む限り、その動機は自分や自分の家族の安全を守るためのようです。それぞれの人が、他人の立場や全体性を考慮せず、自分の都合を推し進めることによって争いや戦争は生まれています。そこを見詰めずに行う反戦デモは、それ自体が争いの種になってしまうのではないでしょうか?

多くの人が平和を求めています。でも、それは実現していません。それは人々が自分の都合を手放すことがないからではないでしょうか?自分の都合を手放した時、人と人とは繋がりあい、平和が実現します。そのために必要なのが心磨きであり、艮の金神をはじめとする鬼が示してくれる道理に従うことなのです。

11月、いさどんはインド最大のコミュニティ「オーロビル」で「シュリ・オーロビンド(1950年没)」の魂に出会い、艮の金神だと感じたようです。その特徴は以下の通りです。(いさどんブログ「天教山から地教山に向かって」より)

植物があり、その葉っぱがあるとか、大理石の柱があるとか、壁のペンキの傷だとか、それを僕が指差すと、「そこに私はいる」、「そこにも私はいる」、「どこにでも私はいる」と言葉が降りてくる。それで、その存在はすべてに遍満している存在なのだと直感したら、「すべてに遍満しているということは無である」と降りてきた。つまり、すべてに遍満しているということは、その存在は特定の位置に立たないから、すべてが自らであり、自ら(自我の特定)はないことになる。

無という境地は深いものであり、仏教で伝えられている奥にある存在なのだ。そして、もしかしてこの魂は地球の魂なのではないかと直感した。

 (※いさどんブログ「チベット人女性、カルサンとの対話」にもこのエピソードは出てきます。)

艮の金神、国常立大神は地球神であり、その存在は世界に遍満しています。そして、それは「ひとつらなりのいのち」として続いてきたものです。その封印が解かれることはエネルギーの解放であり、新たな誕生を意味します。僕たちは木の花祭りでそれを表現し、その精神を生きていくのです。

木の花祭りは愛知県奥三河の天竜水系にある東栄町の「花祭」に由来しています。東栄町でいさどんはある太鼓集団と一緒に活動をしていました。そして、そこから派生したグループは今、世界で多くの人々を魅了しています。そのグループの映像を観ていさどんは以下のように語りました。


この映像は、人間は極めるとここまで出来るということを示しています。
その技術で世界中の多くの人々を魅了しています。
僕たちも木の花祭りを極めることでこれから多くの人々を魅了していくことでしょう。
でも私たちが極めるのは技術ではなく「心」です。
日々の暮らしの中で自分に真剣に向き合い、自分を手放していくこと。
その姿勢が舞に顕れます。そして、それが多くの人々に感動をもたらすでしょう。

この生き方はこれからますます大切になります。
みんな覚悟を持って生きていきましょう。


僕たちはこんな気持ちで富士浅間木の花祭りに向けて準備をしています。
祭り当日、多くの方と感動を共有出来たらと思っています。
心が動いた方は是非、富士浅間木の花祭りにご参加下さい。お待ちしています。
(参加申し込み及び詳細はこちらまで → 第3回「富士浅間木の花祭り




0 コメント:

個人の幸せは人類の幸せであり地球の幸せであり宇宙の幸せである。

フランスの出版社襲撃事件から1週間後の14日、「シャルリー・エブド」の最新号が発売されました。表紙には、「私はシャルリー」と書かれた紙を持ち涙を流すイスラム教開祖ムハンマドが描かれ、「なんでも許される」と記載されています。この雑誌の発行数は普段6万部なのですが、300万部発行され、多くの人が買い求めているようです。11日には、フランス全土でテロに反対する行進や集会が行われ、フランスのオランド大統領やイスラエルのネタニヤフ首相、パレスティナのアッバス議長をはじめ各国首脳が参加し、370万人の規模に達したといいます。テロとの対決姿勢はより鮮明となり、フランスは「イスラム国」への空爆作戦に、主力空母を参加させる意向を表明しました(Yahooニュース参照)。今、とても大きなうねりが起きようとしています。

この事件についてはいろいろな論調の記事がありますが、まず大切なのは、テロリストとイスラム教徒を同一視しないことでしょう。その点に関して、パリ在住のアシフ・アリフさんが書いた記事「我々イスラム教徒は「シャルリー・エブド」を支持する」はとても示唆に富んだ内容となっています。
この記事によると、ムハンマドは、「一人の殺人は全人類を殺すに相当する」と説いていて、コーランには「宗教に暴力はない」と記されているそうです。そして、以下のように述べています。

ジャーナリストを冷徹に虐殺することで、彼らは全人類を傷付け、深い傷を残し、そして激怒させた。イスラム教徒として、私は風刺を容認しないし、彼らのユーモアが面白いとは思わないが、「一人の殺人は全人類を殺すに相当する」というイスラム教の教えから、「シャルリー・エブド」を支持する。ご遺族のもとに、祈りが届きますように。

イスラム教は今、あまりにも誤解されていると思います。こういう記事からその誤解が少しでも解けることを願います。そして、テロリストに対してです。彼らの行動が許されないものであることは確かです。そこには毅然とした態度が必要です。ですが、同時に、テロリストを生み出す背景について思いを馳せる必要もあるのではないでしょうか?その点に関しては、稲葉剛さんの記事「共生が憎しみ合いに転じるのを許さないために立ち上げる~フランスからの報告」が参考になるかと思います。そこでは、失業や貧困に直面する人々が増加している現状と、彼らが差別によりさらに困難に陥っている現状が報告されています。そして、将来に希望の持てない彼らは宗教に救いを求め、無知なため原理主義者に利用されていくのです。ならば、テロリズムは社会が生み出しているとも言えるのではないでしょうか?


日本に目を移します。13日、NHKクローズアップ現代にて「ヘイトスピーチを問う ~戦後70年 いま何が~」という番組が放映されていました。特定の人種や宗教、性別に対して偏見や差別に基づいて嫌悪(ヘイト)の感情を表現するヘイトスピーチですが、日本では在日朝鮮人や在日韓国人に対して、過剰なヘイトスピーチが目立つようになっています。彼らは事実や根拠のないことで批判していて、意味があまりない乱暴な言葉を使い続けているようです。これらの言葉が暴力や殺人に繋がる可能性があり、ナチスドイツによるホロコーストや関東大震災後の朝鮮人虐殺はその例となっています。(時論公論「ヘイトスピーチ」にどう向き合うかのページも参考になります)

その一方で、韓国でも反日デモが起こっています。

韓国では昨年の12月29日、日韓外務次官級の協議のため韓国外交部に入ろうとした外務省の斉木昭隆外務次官らが乗った車両に、反日的な市民団体約25名がこれを阻止しようと立ちふさがる騒動が起きたようです(JCASTニュース参照)。その他、韓国から出国禁止措置を受けている前産経新聞ソウル支局長の加藤達也さんを巡る反日デモも昨年起きています(livedoorニュース参照)。加藤達也さんは、昨年8月、韓国フェリー転覆事故が起きた当日の朴槿恵(パク・クネ)大統領の行動について、男にあっていたという噂を報道したのです。(「産経新聞・前ソウル支局長在宅起訴を考える」にはその経緯と背景についてバランスよく書かれています。)

日本と韓国で起きているヘイトスピーチ。これもテロリズムと同様、社会が生み出しているのではないでしょうか?失業や貧困に直面し、将来に希望を持てない人の数は日本や韓国でも増加していると思われます。僕たちはなぜこのような社会を生み出しているのでしょうか?

これらのニュースに触れて一人一人が自らの心を振り返ることが大切なのだと思います。



郷子ちゃんの誕生日をみんなで祝っています。
ところで同じ頃、木の花ファミリーでは大人サミット(1月10日~12日)が開催され、みんなで地球の未来について語り合い、誕生日を迎えた郷子ちゃんのお祝いをしました(1月13日)。大人サミットの最終日には、木の花ファミリーで生まれ育った子どもたちが参加し、将来の夢を語り、今悔いなく生きていることを自分の言葉でしっかりと語りました。自給自足の暮らしをしている木の花ファミリーの生活費は年間一人30万円以下ですが、その暮らしぶりはとても豊かです。そして、そこで育った子どもたちが未来に希望を持っています。それは人々が助け合い共に暮らす安心感の中で育まれるものです。心を共有し助け合うことで少ない費用でも豊かな暮らしを実現することは可能です。そして、その安心感の中で人々は幸せを感じることが出来るのです。



大人サミットに参加したファミリーの子どもたちとえいこばーちゃん
大人ミーティングの時間には、1月31日(土)に開催される第三回富士浅間木の花祭りに向けて、一人一人が自分の役割をしっかりと果たしていく大切さ、みんなが「自分ごと」を超えて、天と共に生きていくことを再確認しました。

富士浅間木の花祭りは、愛知県奥三河地方の東栄町で700年以上の歴史を持つ国の重要無形民俗文化財「花祭り」に」由来し、その最大の特色は、人と神仏との共演による「生まれ清まり」にあります。花祭りでは、観客は歌ぐらを歌い、掛け声を掛け舞手と共に舞い踊ります。神仏は舞手たちに降臨し、舞手と共に舞うことで、人々の穢れは清め祓われ、新たな生命力を授かるのです。花祭りの奥深くに流れる精神を理解し、引き継いでいくこと。そのために日常生活から自分自身を整えていくのです。



昨年の富士浅間木の花祭りでの鬼の舞
ちなみに富士浅間木の花祭りで僕は「伴鬼(ともおに)」という役をいただいています。昨年からこの役をいただいているのですが、昨年の映像を観たら、自分の動作がとてもぎこちなかったです。リズム感がないのですよね。その自覚はずっとあって、音楽を聴く時、身体に入って来ないのです。自分の身体が音楽を跳ね返している。そんな感覚になる時があります。身体に音楽を入れる。そして音楽と一体になる。まずはそれが大切なのだろうなと思っています。そして、これは心の顕れでもあり、僕の中に人と溶け込まずに跳ね返す「硬さ」があるのです。だから、そこを見詰め、柔らかくしていくことも同時に行っていくのです。日々、心を開き、変化していくことを意識しています。

そして、1月14日の大人ミーティングでは、中国の雑誌『世界建築』への原稿として陽子ちゃんが書いた文章が読まれました。中国でも、2012年に日本が尖閣諸島を国有化した後に各都市でデモが行われ、参加者が暴徒化し大規模な破壊・略奪行為に発展している様子が報道されました(2012年尖閣諸島抗議デモ)。昨年の11月、2年半ぶりに日中首脳会談が実現し、関係改善に向けて動き出しているとはいえ、まだまだ難しい状況にあります(日テレNEWS参照)。そんな中、昨年の12月には、中国でグリーンビルディングに取り組んでいる25名の人々が木の花ファミリーを訪れ交流の機会を持ちました(この様子はみかちゃんBLOG「中国グリーンビルディング視察団の方々との交流」を参照して下さい)。そして、雑誌『世界建築』への執筆です。木の花ファミリーの暮らしが今、中国に伝わろうとしています。

雑誌『世界建築』の原稿にはこんなことが書かれています。

私たちは宇宙を旅する地球という星の上に生きています。そして、私たちは一つの太陽・一つの大地・一つの水・一つの空気・一つの風のもとに生きています。なによりも私たちは時代を共有して生きています。つまり、私たちは一つのいのちの兄弟であり、天然循環の中で地球という一つのいのちの一部を担っているのです。このように、私たちは人智をはるかに超えた大いなる宇宙の仕組みの元に生かされています。

みんな宇宙という大きな物語の中で生きています。それは本来、みんなで共有している物語です。ですが、「個」という幻想に惑わされている現代人は、自分だけの物語を生きようとします。他人と自分を別々の存在と捉え区別し比較しています。そして、優越感や劣等感、嫉妬や自惚れの感情を育てています。そのような感情は自分自身を苦しめることになります。差別や偏見、ヘイトスピーチはそんな苦しみから人々が目を反らすことで生まれているのではないでしょうか?悪者を生み出し、それを責めることで、自分から目を背ける。そんな心が抑圧される人々を生み出し、それがテロリズムに繋がっていくのではないでしょうか?個人の幸せの追求は、現代社会では当然の権利とされています。ですが、個々人がバラバラの幸せを追求することにより、争いが生じ、結果、みんなが苦しみを味わうことになっているのではないでしょうか?

雑誌『世界建築』の原稿にはこんなことも書かれています。

真の意味で、個人の幸せは家族の幸せ、国家の幸せ、人類の幸せ、そして地球の幸せと一致すべきなのです。

これが達成される時、個々人の幸せの間に矛盾はなくなり、争いもなくなります。そのために必要なことがエゴを手放すことであり、広い世界観を持つことです。僕たちは日々の暮らしの中から心を見つめ、自らの思いを手放し、視野を広げることを心掛けています。それを支えにして、血縁を超えた100名近い人々が助け合いながら共に暮らしているのです。

「自分」という意識がなくなると、他人と比べることで苦しむことがなくなります。生きることが楽になり、大いなる存在への感謝の気持ちが深まります。加えて、宇宙が描き出す物語はとても壮大で、自分が描く物語よりはるかにわくわくするのです。これは6年間、木の花ファミリーで暮らしてきた僕の実感で、今、幸せな毎日を送っています。

今の社会は一人一人の心が創っています。心が変われば世界は変わります。みんながエゴを手放すことの大切さに気づき実践するならば、この世界はすぐにでも幸福に包まれるでしょう。


こんな幸せな世界を一緒に創っていきたいと思ったあなた。
2月15日(日)から3月14日(土)まで開催される木の花塾『1ヶ月間の真学校』に是非、ご参加下さい。前人未踏の”ありえへん”プログラムになっています。
詳細はこちらをご覧ください。 → 木の花塾『1ヶ月間の真学校』





0 コメント:

生活を通して心を学ぶ

1月10日~12日まで。木の花ファミリーでは大人サミットが開催されています。

大人サミットの「大人」とは、年齢に関係なく、「大きな精神」を持つ人を意味します。
 自らの意識が世界を創造している、という自覚と責任を持ち、個人の枠を超えて、他者のため、地球全体のために生きる人 ─── それが真の「大人」です。

そんな大人として生きていくのはどういうことか?
サミット初日、いさどんは、語りました。
(以下の文章は、いさどんブログ『大人として生きていく』の要約です。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今、日本の財政は自己破産状態にありますが、政治家や企業の経営者たちは、子どものように分別がなく、社会を一方的に物・金の価値観に誘導しようとしています。そして、人々の心は、物やお金に依存するようになっています。世界観が狭く未熟で、他の生命のことを考えない、ひとりよがりの生活をしている状態です。
本来、人間の優れた能力は、この世界の中で自分たちのポジションを悟り、世界に貢献していくためにありました。ですが、今の人間は、傲慢になり、自然を思うようにコントロールしようとし、このままでは宇宙にさえも、愚かな行為をもたらしかねない状態です。今、人類はタイムリミットを迎えようとしています。それは天盤の巡りや文明周期説からも見えることで、今の文明の成り立ちは終末を迎える段階に至っているのです。ここにおいて、人類が、現状を客観的に捉え、自らの中から変革を生み出し、新しい時代を迎えるのか?それとも、この世界によって人類が淘汰され、次の世界へ移行していくのか?今はそのターニングポイントにあります。
今、太陽の黒点の活動が変化してきています。それを受けて、地球のマグマが活動期に入り、地震や火山の噴火などの自然災害が起きようとしています。そこに人為による気候変動もプラスされるのです。生命すべての元は太陽の光にあります。黒点の活動の変化は、太陽の意志の顕れであり、人間の活動にNOを示していると取ることも出来ます。このような捉え方で地球上に起きていることを判断することが、天の声を聴くことになるのです。
大人の「オ」をカタカムナでひも解くと、上下前後左右の6方向に拡大・縮小するという意味になり、大人の視点から天を捉えると、天とはこの世界すべてとなります。この構造を理解し、生命のプラスとマイナスのエネルギーのバランスを秩序良く保つこと。それが健全な大人が生み出す社会です。このサミットをきっかけにし、大人としての意識に目覚め、天とは何か?地とは何か?生命とは何か?自分とは何か?生きるとは何か?ということを理解し、生きていきましょう。

☆彡 ☆彡 ☆彡

大人サミットでは、天の声を聴くこと。そのための柱を一人一人が立てることがテーマとなっています。

11日の午前中。大人サミットの参加者も交えて、どんと焼きが行われました。書初めや門松を燃やすことで、無病息災、世界平和などの願いを天・潜象界(ない世界)に還しました。以下、その様子を写真で紹介しますね。




点火前に集合写真を撮りました。



お神酒で乾杯です。

火を点ける前にみかちゃんが「おいわいえ」を歌っています。
着火されました。富士山を背景に煙が浮かび上がります。





みんなで歌を歌いました。






お餅を焼いています。
お食事前のお祈りです。







みんなでカタカムナ63首を歌っています。

木の花祭りの舞「四つ舞」です。

参加者の中には「みくさのみたから」を学ばれている方がいました。そして、その方がリードし、みんなで「みくさのみたから」を踊る時間も持ちました。






そして、この日の大人ミーティング。どんと焼の際、踊りをリードした方から「みくさのみたから」を木の花で取り入れては?という提案を受けました。僕はそれに対して、自分たちが心を大切にしていること。手法を重視していないことなどを伝えましたが、伝えたいことを充分には伝えることが出来ませんでした。どうしたらよいのか?思案しているところ、いさどんが語りだしました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

あなたは「みくさのみたから」に出会ったばかりで新鮮に感じているように見えます。そして、まだ理解は浅く本質までには至っていないのではないでしょうか?そういう状態で、「みくさのみたから」を所有しているのです。人は本質を理解した時、そのものを手放し、流れに委ねることが出来るのです。あなたは今、新鮮な気持ちから伝えたい、広げたいという気持ちが強くなっています。それはニュートラルな状態ではありません。その気持ちから伝えようとする時、きっと抵抗に出会うこともあるでしょう。それはあなたにとって自分を知る機会となります。

主催者の飯田茂実さんがやっていることを聴きましたが、時代の寵児になっていることを感じました。「みくさのみたから」はとても速いスピードで広がっています。そこから浅く広がっていることが推察されます。このまま広がっていくと、飯田さんは大変になるのではないでしょうか?

私たちは、生活を通して心を学ぶことを基本としています。手法は大切にしていないのです。例えば、健康についてですが、私たちは「健康になる」ことを大切にしていません。健康は結果いただくものです。不健康は自分自身の状態を教えてくれる有難いものなのです。それを手法で直してしまうと、その問題をいただいたことを生かしていくことが出来ません。常に心を学ぶこと、緻密に見ることがベースにあるのです。それを基本として出会いや縁を大切に取り入れるものもあります。例えば、カタカムナ地球暦がそれに当たります。そして、一度取り入れたならば、僕たちはそれを深く追求していきます。

「みくさのみたから」については今のところ分からないというのが正直なところです。どちらにしても、今のあなたが持っている「広げたい!」という気持ちに私たちが乗ることはありません。もっと奥に大切にしているものがあると思うのです。そこは共有することが出来たらいいと思っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

天とはこの世界のすべて。この世界に起きるすべての出来事は天からのメッセージです。そこから心を見詰めることは、自分を知る機会となります。いさどんはそのことを上手に伝えてくれました。もし、いさどんの話がなかったら、この方には「自分の提案が断れた、気持ちが伝わらなかった」という残念な気持ちだけが残ったことでしょう。自分の力量不足を感じましたが、良い学びの機会ともなりました。人に大切な心が伝えられるように今回の経験を生かしていきます。

他の参加者の中にもいろいろな心の動きが起きています。大人サミットは今日の昼までです。どんな変化が生まれるか?それがこの世界になにをもたらすか?とても楽しみです。



0 コメント:

人生の意味をひも解いていく

1月7日、フランスの風刺週刊誌「シャルリエブド」本社にて、3名の男が銃を乱射し、12名の犠牲者が出る事件が起きました。その追悼集会が各地で行われ、この事件を「表現の自由に対する挑戦」とし怒りを露わにしているようです。「私はシャルリー」怒る10万人 仏新聞社襲撃、各地で追悼集会


表現の自由は当然守られるべきもので、暴力やテロは絶対に許されません。それはその通りなのですが、表現する側も、表現の目的を吟味する必要があるのではないでしょうか?シャルリエブドの風刺画は何のためになされているのでしょうか?

シャルリエブドは、過去にもイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載しており、イスラム団体に非難されてきていました。そして、2011年には火炎瓶が投げ込まれ事務所が全焼しています。その行為は許されないものですが、相手をそれだけ怒らせているのも事実です。風刺画は相手の嫌悪感を押してまで表現しなければならないものなのでしょうか?

表現の自由を守らなければならない

それは確かでしょう。ですが、それだけが大儀名文になり意地の張り合いになってはいないでしょうか?この状態で、この先、解決の見通しはあるのでしょうか?


シャルリエブドは来週号を100万部発行する予定のようです(銃撃事件の仏週刊紙が来週号発行へ、部数は30倍の100万部)。編集長が命を落とす中、発行を続ける努力は素晴らしいと思います。ですが、そこに今回の犯行に対する対抗意識があるとしたら、それは更なる悲劇へと繋がる可能性を持ちます。憎しみや悲しみの連鎖となって現れるでしょう。

今回のことで容疑者をしっかり断罪するのは当然です。
ですがそれと共に、シャルリエブドの方も他者の気持ちを逆なでる風刺を控えることを明言する必要があるのではないでしょうか?それがバランスの取れた姿勢だと思います。

表現の自由を守ることは正義です。ですが、正義も振りかざすことになれば、暴力となります。追悼集会で怒りを表明する10万人の群衆。それは未熟な群集心理の現れなのではないでしょうか。群衆心理は(1)感染する (2)過激に走りやすい (3)衝動的である という特徴を持ちます(群衆心理については、「コミュニティの仏陀 ~個性豊かな人々の集まり~」も参照して下さい)。多くの場合、群集心理は思考停止をもたらし、世の中を混乱させます。実際に今、事件への報復と見られる襲撃が相次いでいるようです(焦点:仏銃撃事件で炎上か、イスラムめぐる欧州「文化戦争」)。憎しみの連鎖を断ち切るように。一人一人が群衆心理を超え、客観的な位置からこの出来事を見詰め、そこから学べるようになることが大切です。

☆彡 ☆彡 ☆彡

ところで、1月8日の大人ミーティングで、僕たちは群衆心理について話し合う時間を持ちました。
いろいろな人がそれぞれ思うことを言う中、みほちゃんから「動物の群れ」と「群衆」の違いという話題が出ました。それを聞いたいさどんは面白い着眼点だねと言い、みんなに意見を求めました。
そして、出てきた意見としては以下のような感じでした。

【野生動物の群れの特徴】
自然の摂理で動いている。思惑を持たない。個が全体のために動き、全体が個のために動く。
種の保存のためにエネルギーを使っている。お互いに生かし合う役割から逸脱することはない。
危険などに対してセンサーが正確に働いている。

【群衆の特徴】
思惑を持つ。個体の保存のためにエネルギーを使っている。選択の幅が多く、役割から逸脱する。
危険などに対してセンサーが働かない。

出てきた意見はどれもそれなりの両者の特徴を掴めているものです。ですが、それぞれが意見を言っているだけという状態で場は纏まりませんでした。そんな状態で話題が、「ミーティングでの学びを日常に生かす」というものに変化し、そして、また動物の群れと群衆に戻って・・・というようにし締まりのない場となっていきました。そして、そのままその日にあった出来事へと話題が移っていったのです。

黙ってしばらく様子を見ていたいさどんは、この状態について以下のように言いました。


☆彡 ☆彡 ☆彡

発言していくことがテーマの人がいて、その人たちが発言していくことは良いことだと思います。だけれども、場を収める役割の人たち、そこまで成長している人たちもいるはずです。そんな人たちがこの場で機能していません。野生動物の群れと群衆の違いですが、動物は本能でいのちを繋いでいます。自然から外れることはありません。その一方、人間は思惑で動いています。自然界から外れることで、群集心理の特徴が出てくるのです。その人間が再び、自らの意志で天と共に進んでいく。そこにこれからの人間の姿があり、その点を確認することが大切なのです。ですが、先ほどの場は、このポイントを共有することなく、ダラダラと意見を述べている状態でした。それでは良い場になりません。

☆彡 ☆彡 ☆彡


この時の自分の心境を振り返ると、2点反省するべきところがありました。最近BLOGに大人ミーティングの様子を紹介することが多くなり、「記録に残す」ことを意識するようになっていました。この時も意識がそちらに行き「場を創る」意識が疎かになっていました。これがまず1点目の反省点です。そして、僕の中には余計な思い込みもありました。この話題について、いさどんが深遠な答えを用意しているという思い込みです。みんなからある程度意見が出た後、深く長く語り出すだろうと思っていたのです。そのため、それを待つ姿勢になり、自分で場を創っていく姿勢が欠けるものになってしまったのです。これは自分の中の依存心の顕れで、こういう心が群衆心理に繋がり、場を停滞させ、つまらないものにするのだと思いました。これが2点目の反省点です。

この後、いさどんの話は、様々なことに及びましたが、その一つに「人生の意味をひも解く」というものがありました。


☆彡 ☆彡 ☆彡

この近くには、大鹿窪遺跡がありますが、これは13,000年前のものです。13,000年前はカタカムナの時代であり、現在になり、この場にカタカムナがやって来ています。その意味するところはなにか?りょうちんは今、鬼の面に魂を入れていますが、それは花祭りをここに定着させるためのもので、とても重要なことです。花祭りの自分たちの企みでやっているわけでなく、天意により、この場にもたらされたのです。そして、上条千居にも遺跡(4000年前)があり、僕らはそこで蜂を飼っています。不二阿祖山太神宮にも一昨年の11月に出会いました。これらすべては繋がっていて、出来事や出会いを通して、僕たちは天意のひも解きをしているのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この話を聴き、僕は今の自分をあらためて大いなる物語の中に位置づけることが出来ました。

学びを知識だけのもので終わらせず、実践の中でそれを確かめる。それが僕たちの暮らしの醍醐味であり、僕は上記の反省を生かし、具体的な行動に繋げていきます。1月9日の大人ミーティングでは、ともちゃんが「昨日の学びをみんなは生かしているのか?」と投げ掛けることで、場がシーンとなるということがありました。こういう時は、身体が固くなるものです。そうなると全く発想が降りて来なくなるので、とにかく身体をリラックスさせようと腕を振り回したりしながら、その場に臨みました。他の人も場を創ろうと努力をしています。今、木の花祭りの鬼の面を創り、そこに魂を入れているりょうちんや大人サミットの準備をしているみかちゃんが、昼間にいさどんと話したことをシェアすることで場を創っていってくれました。そして、それに「乗っかる」形で他の人も場創りに協力していきます。そんな中、僕も以下のように自分の気持ちをシェアしました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

昨日、動物に群れと群衆心理が話題になった時、僕は、その場を収める努力をしませんでした。こんなことではBLOGを書いてはいけないなと思いました。なぜなら、BLOGで書いていることが言葉だけになり、実態が伴わないものになるからです。だから書けるように自分を創っていく必要があります。

昨日のいさどんの言葉で印象に残っているものがあります。それは「人生のひもを解いていく」というものです。僕たちは木の花ファミリーで暮らし様々な出来事に出会ってきました。それらの出来事は天意の顕れであり、それを通して天意をひも解いて来ました。そして、それはここに集まる一人一人についても言えて、ここで出会う出来事を通してそれぞれの人生の意味を知っていくのです。人生の意味を知ること、それが生きる醍醐味であり、僕たちはそれを通して宇宙の神秘に触れることが出来るのです。

1月7日、フランスの風刺週刊紙「シャルリエブド」本社が襲撃される事件がありました。それに対して、フランスの人々は「表現の自由を守る」ために戦おうとしています。これは人間が考えた正義のための戦いであり、お決まりの物語の一つです。熱狂することでお決まりの反応パターンの中に組み込まれていきます。一方、テロリストたちにも正義があり、それは例えば虐げられた歴史に対する反抗であり、彼らも自由のために戦っています。そして、これもお決まりの反応パターンと言えるでしょう。このお互いに相容れない反応パターンに基づき世界は混迷を極めています。

これら反応パターンの奥に天意があり、お互いに対する理解があります。自分が今この瞬間この場所にいることの意味があります。それは自分を手放し出来事をいただく姿勢になった時に観えてくるものです。これこそ人類の未来に必要な生き方であり、僕たちはその実践をしているのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

その後、ともちゃんが再びみんなに「学びを活かせているか」を問い掛け、最後にいさどんが話を纏めてくれてこの日のミーティングは終わりました。コミュニティの仏陀は、一人一人が天と繋がり、直観を生かして主体的に行動し、お互いを生かし合う中で生まれます。コミュニティの仏陀を目指して日々、楽しみながら心磨きを続けているのです(^ー^)


こんな未来の暮らしについて共に学びたいと思った方。
是非、前人未到の“ありえへん”プログラム・木の花塾『一ヵ月間の真学校』にご参加下さい。

みかちゃんが描いたイラストです。


以下、1ヶ月間の真学校の案内です。


【日程】
2015年2月15日(日)〜3月14日(土) 28日間
 
【場所】
木の花ファミリー
静岡県富士宮市猫沢238−1
 
【対象】
■ 自分を変えたい人
■ 世界を変えたい人
■ 今の世の中をどこかおかしいと感じながら、どうすればよいかわからずにいる人
■ 自分は何のために生まれてきたのかを知り、真に人生を謳歌したい人
■ この星に生きる人 すべて

 
【内容】
すべての出来事は、目には見えない大いなる時代の流れから生まれています。
目の前で起きている現象だけを捉えれば問題ごとに思えることも、その背後にある、この世界を生み出す側の視点に立った時、それはまったく違った意味を持って見えてきます。そして、壮大な時代の流れに沿い、人として生まれてきた役割を果たすための叡智が湧いてくるのです。
古い時代の知識が、その叡智が湧くことを邪魔しています。
「1ヶ月間の真学校」では、固定概念を打ち破り、宇宙全体を俯瞰するマクロの視点と、日々の出来事を丁寧に分析していくミクロの視点の両面から、自分という存在を紐解き、人がこの世界で生きることの本当の意味を知る旅をします。
そして、木の花ファミリーメンバーと実際に生活を共にしながら、一人ひとりは不揃いな人たちがなぜ調和して共に幸せに生きることができているのか、その秘訣を実体験を通して身に付けていきます。それは、間違いなく、様々な困難が待ち受けるこれからの時代を生き抜くために大切なことだからです。
講座は「農」「食」「医」「経済」「環境」「教育」「社会」「芸術」と多岐に渡り、下記にその一例を記載していますが、プログラム内容は固定されていません。受講生の皆さんと木の花ファミリーの双方向の掛け合いにより、その時、その場で、もっともふさわしいものが提供されていく、誰にも予測不可能なプログラムです。
あなた自身が創りあげるオリジナルの、世界に二つとない学びです。
  
【1日の流れ】
140307-121701
7:30  朝食
8:30  午前の講座(途中休憩あり)
12:00 昼食・昼休み
15:00 午後の講座(途中おやつ休憩あり)
17:30 入浴
18:30 夕食
20:30 大人ミーティング(自由参加)
*時間は日によって変更があります。
*毎週日曜日は休講日となります。
*講座は座学と実習を織り交ぜ、農作業やキッチン、子育てなどを自由に体験する「生活体験」の時間もあります。
  
【講座例】
140228-144326
天然循環法の畑作・稲作/ファシリテーション/世界観を広げる/菩薩の里の経済/カルマ読みと地球暦/自然療法プログラム/食養生/有用微生物群の培養/天然醸造味噌作り/創造性と芸術/カタカムナ/性と宇宙/自然再生と災害復興/持続可能な心の持ち方
*その他、お誕生日会や子どもたちの卒業パーティー、地域の方に向けた食事会など、イベントも盛りだくさん!豊かなコミュニティの暮らしをリアルに体感してください。
  
【サポーター指名制】
受講生には当初、木の花ファミリーが選抜したメンバーが日々の暮らしをサポートする“サポーター”として一人ずつつきますが、滞在に慣れてきたら、直感で「ピン」とくる別のメンバーをサポーターに指名することもできます。メンバーとの相部屋も可能です。
20代から70代まで、多彩なメンバーたちがあなたの学びを全力でバックアップします!
  
140322-162058
【4つの特徴】
■ 実践的な学び
多彩な講座を、創立から20年間ひたすら実践の道を歩み続けてきた木の花ファミリーという現場で学ぶことで、机上の論理では終わらない、実践的な学びをリアルに体験できます。
■ 生涯の仲間
これまで知らずにいた本当の自分自身と出会う日々の中で、喜びも悲しみも分かちあい、真に互いを想いやることを共に学んだ塾生たちは、強い絆で結ばれた生涯の仲間となります。
■ 継続的なサポート
講座終了後も、より良い未来を共に築いていくパートナーとして、木の花ファミリーは継続的に塾生たちをサポートしていきます。
■ 共に進化する場
「1ヶ月間の真学校」は、常に進化し続ける学びの場です。その進化の過程に参加し、塾生自信も進化しながら共に場を創り上げていけるところが、このプログラムの最大の醍醐味です。
  
【講師】
■ 古田偉佐美(宇宙おじさん/NPO法人ぐりーんぐらす代表理事)
■ 嵯峨美雅子(宇宙講義プレゼンテーター/木の花楽団ボーカル)
■ 北尾晃一(天然循環百姓)
その他ファミリーメンバーが講師を務める他、下記の方々をゲスト講師としてお迎えする予定です。
■ 芳賀俊一(カタカムナ研究家)
■ 平井健之(ヒプノセラピスト)
  
140315-172723
【定員】
15名
*定員になり次第締め切りとさせていただきます。
お申込みはお早めにどうぞ!
  
【参加費】
収入に応じたスライド制になっています。
(自己申告制)
① 年収400万円以上 22万円
② 年収200万円以上 20万円
③ 年収200万円未満 18万円
*参加費には、受講料、宿泊費、食費、保険料等一切を含みます。
*分割払いをご希望の方はご相談ください。
 分割の場合にも、講座開始までに全額を納入いただく必要がございます。
  
【お申込み】
下記のお申し込みフォームよりお申し込みください。
→ 「1ヶ月間の真学校」へのお申し込み
  
【お問合せ】
ご不明な点は、下記までお気軽にお問い合わせください。
電話:0544-66-0250(担当:池谷)
メール:konohana-jyuku★konohana-family.org

0 コメント:

Your left Slidebar content. -->