世界の中に自分を見る

もしあなたが詩人ならば1枚の紙の中に空に浮かぶ雲が見えるでしょう。

この言葉はティク・ナット・ハンの著作『The Heart of Understanding』~邦題『ティク・ナット・ハンの般若心境(絶版)~の冒頭に一文です。

紙がこの場に存在するためには、製紙工場が必要であり、木が必要です。そして、木が存在するためには、雨や太陽の光が必要で、雨が降るためには、雲が必要です。紙の背後には、原料である木が存在し、それを育てる太陽の光や雨を降らせる雲が存在しているのです。

それだけではありません。紙の原料である木が製紙工場に行くためには木こりが必要です。そして、木こりが存在するためにはその父母が必要で、毎日の食糧も必要です。このように見ていくと、1枚の紙の中にはこの世のすべての存在、歴史が含まれているのです。

それは、人間も同様で、僕たちは宇宙の初めから続いている時代の中で生み出され、すべてを含んで、今ここにいるのです。そして、それは逆も真実で、宇宙のすべての存在の中に自分を見ることも出来るのです。

すべてのものが相互に依存し境界も存在しない。それがこの世界の姿です。

そんなこの世界の中で痛ましい事件が起こりました。12月16日、パキスタンで学校が襲撃され140名以上の犠牲者が出たのです。この事件に対して、世界中から批判の声があがっていて、先日ノーベル平和賞を受賞したマララさん声明を出しています。それらの声には、今回の事件の首謀者、パキスタン・タリバーン運動に対する怒りが含まれており、強く非難しています。事件の悲惨さを思えば、その怒りは当然と言えるでしょう。ですが、パキスタン・タリバーン運動にも彼らの言い分があり、政府が自分たちの家族や女性を狙っているというです(THE HUFFINGTON POSTの記事を参照)。お互いの中に怒りや憎しみがある状態になっていて、このままではそれが連鎖しかねません。

今回の事件に対する怒りは、どこに繋がっていくのでしょうか?もし仮に政府軍がパキスタン・タリバーン運動を壊滅出来たとします。それでこの問題は解決するのでしょうか?僕は解決しないと思います。おそらく新たなテロ組織が生まれ悲劇が繰り返されるのではないでしょうか?本当の解決に至るにはテロを生み出しているこの世界、そして人間の実体を知ることが大切なのです。

先に紹介した本の中で、ティク・ナット・ハンは娼婦について触れています。娼婦を生み出しているのはこの世界であり、娼婦の中に娼婦ではない人々が見えるし、娼婦でない人々の中に娼婦が見えるといいます。それらはInterbeing(相互依存)の関係にあります。
それと同じように、オバマ大統領やマララさんの中にタリバーンが見えるし、タリバーンの中にオバマ大統領やマララさんが見えます。すべてのものは相互依存しているのです。その視点に立った時、本当の意味でのこの問題が解決するのではないでしょうか?

僕は12月16日の大人ミーティングにて、このBLOGの投稿「世界が僕を変える」をみんなにシェアしました。その時、みんなから普段の僕の変化について沢山のコメントが出て盛り上がりました。ですが、この投稿をきっかけに宇宙の話に展開し、みかちゃんいさどんが語りだした時、みんなの反応が鈍くなるということがありました。

身近なことに関心を持つけれども、遠くのものへの関心は薄れる。

それは世界観の狭さの表れで、自分の関心、自分の感情から抜け出せていない証です。この状態ではいくら語り合っても、物事の背後にある大いなる流れに至ることが出来ません。僕らの目指しているのは、自分を超えて大いなる流れに沿うことであり、そこに向けて心を広げていくことです。このことをきっかけにあらためてその大切さを確認し合いました。


2014年2月の花祭りの様子です。
そして今、僕たちは2015年1月31日に開催される富士浅間木の花祭りに向けて練習を重ねています。昨日は、鬼の練習をしていましたが、なかなか上手に舞うことが出来ない子どもがいました。その練習を見ていたいさどんからこんな言葉がありました。(僕の記憶に基づくもので正確ではないかもしれません)

すべての子どもを一律に出そうとしているようだけれども、やはり相応しい子が演目に出るのが良いと思う。出ることが出来ない子はそのことを通して学んでいくものだし、そうやって心が育っていく。なんでも一律出せばよいというものでもない。祭りはとても大事な場であり、真剣な場として創っていきたい。※すべての子どもたちを何らかの演目に入れていました。

表面的に見ると、子ども全員がお祭りに参加することが平等であり良いことのように見えます。ですが、一人一人の子どもの特性、心の動きにまで注意を向けたら、全く違う答えが出てきます。そもそも本当の意味での平等とは、形を整えることではなく、それぞれの存在が相応しい現実を伸び伸びと生きていくことです。(「天然循環法がもたらす本質的平等」も参照して下さい)。固定概念に縛られずに常に本質を見て判断していく必要があります。

一人一人が自分の視点や感情に捕らわれて、表面的に物事を判断し行動していく。それは世界のあらゆる場所で日常的に見られる景色かもしれません。そして、大抵は大きな問題にはならずに済んでいるのでしょう。ですが、そういう姿勢がパキスタンではテロに繋がり、現状を悪化させているのではないでしょうか?そして、それは環境問題や経済格差、貧困や戦争など、その他多くの問題でも共通して言えることではないでしょうか?普段、何気なくしている自分たちの行動が世界全体で見たらどんな影響を与えているか?この視点に立つことが大切です。

木の花ファミリーの暮らしはそこを超える取り組みです。自分を離れ、自他の区別をなくし、大いなる視点から物事を眺め感じていきます。まだまだ未熟な部分もありますが、確実にそこに至ることを目指しています。その時、自分の中に宇宙のすべての存在を感じ、宇宙のすべての場所に自分を感じることが出来る。そして、その感覚が世界に平和をもたらし、テロもなくしていく。僕はそれを信じてこの道を歩んでいます。それはとてもわくわくして楽しい暮らしです。

そんな暮らしの一端に触れたい人にお勧めのイベントがあります。
12月23日に千葉県船橋市で出張木の花塾「すべては響き~宇宙視点の性」が開催されます。
宇宙も含めて、この世のすべては性(陰と陽)から誕生しています。その神秘を学びたい方、是非、ご参加下さい。※詳細はちらです。



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